難聴者のための喫茶店 『こうひいの木』

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michitomo888

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2007年08月20日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

今年は本当に猛暑です。
クーラーなしではおれないほどの35度を越える暑さ・・眠れないほどの熱帯夜・・エアコンなどの使いすぎで地球の温暖化が危惧されているけれどクーラーなしでは熱中症も心配だし・・・
孫が大人になった時にはどんな地球になっているのでしょう・・・不安、怖いですね。

ところで、私がこうしてブログを書くなんて思ってもいなかったです。何でこんなに書くようになったか・・・と元を辿っていくと、全て主人が亡くなったことがきっかけなのです。

主人が亡くなって早や10年経ちます。
それまでの私は主人の庇護のもと、店と家庭だけが生活の全てでした。
喫茶店の裏方・・・として厨房だけ・・・あとは子育て、家事だけで全く不満もありませんでした。主人や子供達といつも会話があったからです。

たまにPTAに行っても話が聞えず面白くないから、家に帰り主人と話すほうが余程楽しかったし(私の居場所は家庭しかない)といつも思っていました。
時々近所の友人とお喋りするくらいが家庭外との接点でした。
(それでもスーパーなどの買い物で出会った人と友達になったりしてました)

それが主人が3年の闘病後、亡くなってから胸に大きな空洞ができました。
何をしても楽しくない、子供と喋っている時や、店をパートの人に手伝ってもらって営業している時は、少し気が紛れるけれど、いつも空洞感を埋められず雲の上を歩いているような気分でした。
空虚感、寂寥感、涙ばかり流れてきます。(子供がいても埋まらなかったのです)

一年くらいは毎晩涙が流れて、とても辛い日々でした。
これではいけない・・・と思うようになった二年弱、新聞に「卓球始めませんか?」の記事が載っていました。「これだ!」と思ったその日、記事に載っていた人を訪ねました。「卓球したいけれど耳が聞えなくてもできますか?」
「耳が不自由なら障害者卓球クラブがありますよ」と教えて頂いたその足で又次のところを訪ねました。

そして「翌日見学だけでもどうですか?」と言われ見学のその場で卓球クラブへ入会しました。全く知らない人ばかりで1人で入会して心細かったけれど「耳が聞えないので宜しくお願いします」と周りの方に挨拶しました。

卓球クラブは健常者が半分で他は足や手の不自由な人、車椅子の人、1人だけ耳の不自由な若い女性がいました。
スポーツとは無縁の生活だったので勿論卓球も50歳過ぎて初めてです。
最初はラケットに球があたらない、あたったとしても球がとんでもないところ・・天井や隣のコートの人に当たったり、あまりの下手さに「すみません」の連発でした。

そんなにして休まずに通い始めると自然と話す人も少しずつ増えてきました。
ある日「一回だけのパン教室に行かない?」と仲間から誘われました。
その頃は、何でも断らずに行ってみよう・・という気になっていたので行きました。
15人ほどのメンバーの中で耳が聞えなかったのは私一人だけでした。
仲間が気を遣ってくれて「michiさん前のほうへ行ったほうが聞こえるよ」と言うので前へ行ったらパン教室の先生がパンをこねながら
「耳が不自由なんですか?」
「ハイ耳が聞えません。手話もあまり知りません」と答えたら
「貴女みたいな方が谷間にいる難聴者なんですよ。手話を知らない人に中途難聴会や要約筆記がありますよ」
「要約筆記???谷間にいる難聴者?」
サッパリ意味がわかりませんでした。

手話も知らない、マイクや話し声も聞えない・・・だから谷間にいる難聴者・・・なんだと。よく聞けばパン教室の先生は要約筆記の会の副会長だったのです。(現在は会長)

暫くしたらFAX番号を知らせていたので「手話ダンスに来ませんか?難聴会に来ませんか?」とFAXが送られてきました。

このときは前向きになっていましたので迷わずに難聴会へ行きました。4年半前です。
そこで初めて要約筆記のスクリーンを見た時の感動・・・涙が出ました。
(ここにやっと私の居場所があった。話のわかる方法があるんだ)と。

そして子供達に話しました。「要約筆記ってすごいよ!!お母さんも話がわかるのよ」と。
そこで人工内耳のことも初めて教えてもらいました。

tomoはその頃から「難聴者が経営する喫茶店」を考えていたようです。
既存の喫茶店をリニュアールしたら?と私に勧めて試行錯誤の末、実現しました。
友人が「市会議員に知り合いがいるから・・・」と要約筆記のことを議会の一般質問に取り上げるようにしてくれたり・・・いろいろ手伝ってくれました。

その後は流れるようにして道が出来ていきました。
あたかもこの道は作られていたのではないか・・・と思えるほど次から次へと手伝ってくれる人も増えてきました。信じられないほどに・・
この活動の延長で知り合いから、知り合いへ・・・と知人が増えるうちに、仲良くなったMさんから、ついにカンボジアへ誘われ海外まで行きました。
今でもMさんは、人工内耳で聞えるようになった私を「michiさんに聞かせたい」とコンサートへ誘ってくれます。

もし、卓球をしていなかったら・・・今の私はいません。
パン教室を断っていたら勿論・・・今の私はない。
tomoの言う事を聞いてなかったら(難聴者が経営する喫茶店)もなかった。
tomoから勧められて触ったことも無いパソコンで(tomoが)ブログを書けるようにしてくれた。
店のお客様と友達になり台本付きで観劇まで、広がりました。
人工内耳もtomoがインターネットで調べてくれて強く勧めました。

思い返せば一歩進むごとに新たな道ができていったのです。
自分の人生は、自分で作っている部分もあると思います。
きっと一般の人も、進めば道が開けるのではないでしょうか?

空洞感を埋めよう・・・と歩みだした時から人生も少しずつ変わっていきました。
お金が増えたわけではない・・・でもお金で買えない、友人、知人が増えました。
店のお客様、要約筆記の方、卓球の仲間、難聴会の方、活動を通じて知り合ったボランティアの人たち・・・たくさんの方の心を頂いています。

それでも主人がいたときのような充足感はないです。
多分主人にしかこの隙間は埋められないでしょう。
でも以前より人生を前向きに思えるようになってきました。
全ての方に感謝したいと思います。「有難う!アリガトウ!サンキュー」






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最終更新日  2007年08月21日 00時09分41秒
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