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萩といえば長州藩です。幕末や維新期に尊皇攘夷や挙藩倒幕で活躍した志士が多く、それも吉田松陰門下生から多く輩出しています。関が原の合戦で西軍に味方した毛利家、36万石に減封されながら広島城から移ってきた土地柄だけに、時を経て徳川幕府に対する反骨があったのでしょうか・・・?そして文化庁が世界文化遺産にノミネートする初公募に、『萩城・城下町及び明治維新関連遺跡群』として立候補していますから、文化価値も相当高いようです。(結果は落選でした) 萩城(別名指月城)は広島から移封されて来た毛利輝元が、1604年から築城を始め4年後に完成、以来毛利家の居城として用いられました。1874年(明治7年)に解体、城址は指月公園として開放され市民の憩いの場になっています。写真右の上級武士が住んだ堀内鍵曲り道(城内の道)は、敵の侵入を防ぐために造られた町割りで、見通しがきかないように道路が鍵の手(直角)に曲げられています。 上級武士が居を構えていた城内の堀内地区、外堀の東南側あたりの平安古地区には中級武士が住み、屋敷跡や土塀、石垣が国指定史跡『萩城城下町』として保存されています。写真左は青木周弼の旧宅。長州藩出身で幕末当時、日本屈指の蘭学者で長崎で開業。その後長州藩に召し挙げられ医学書翻訳や兵法、政治学など業績は多岐に及びました。次の写真は伊藤博文旧宅。松下村塾近くにあり、実父が奉公先で養子になった住居。吉田松陰に師事し倒幕運動に参加、維新の時までの本拠で、千円札肖像画になるほどの名宰相でした。次は木戸孝允旧宅。8歳のとき養子に出され桂小五郎を名乗り、20歳で江戸に出るまでこの家で過ごしています。坂本竜馬の仲介で薩長同盟を結んだり、維新後は五箇条の御誓文起草、版籍奉還、廃藩置県など、維新三傑といわれるに相応しい功績を残しています。左端は益田家老宅の物見矢倉で、堀内側にある建物です。矢倉とは武器を仕舞っておく倉庫、その一段高い所から見張り(物見)が出来るようにしたのが物見矢倉になります。しかし家並みからの感想は、戊辰戦争勝ち組の薩摩鹿児島・土佐高地、負け組の会津若松などと比べ、歴史が浅いからなのか?人物は排出していますが見劣りしてなりません。 黄檗宗(おうばくしゅう)東光寺は、毛利家三代藩主吉就が1691年に創建した毛利家菩提寺で、以降11代までの奇数藩主夫妻だけの廟所となっています。黄檗宗とは禅宗の一派で、吉就が若くして深く帰依していたために建立したようです。また、建物形式は明末・清初の中国風の雄大華麗な建築美を見せてくれます。 吉田松陰を祀っている学問の松蔭神社、その境内には松下村塾(叔父玉木文之進が開いた私塾で松蔭が引き継ぐ)があります。小さな私塾が、維新という大輪の花を咲かせました。松蔭は明治維新の事実上の精神理論者で、安政の大獄時に老中暗殺計画を自供し、江戸伝馬町の牢で29歳の命を斬首刑で落しています。功績の詳細は割愛しますが、門下生にはキラ星人物ばかり、木戸孝允、高杉晋作、九坂玄瑞、伊藤博文、山懸有朋、前原一誠、吉田稔麿等など、維新の立役者や指導者となる人材を育てています。 萩焼は俗に一楽二萩三唐津といわれ、特に萩焼は侘び・さびの心根を最も具現化した作品といわれています。桃山時代の千利休によって確立された『侘び花』の隆盛、注目を浴びた高麗茶碗に当時の武将達は魅せられたようです。毛利輝元も例外ではなく、慶長年間(1592~96年)に朝鮮から陶工を招き、藩の御用窯として開窯したのが萩焼の始り。原土は焼結温度が1700°以上といわけるピンクがかった大道土を使用、1200°前後の本焼きでは殆ど締まらないため土の風合いを多く残すことになります。柔らかく土味と吸湿性を保ち、使うにつれ茶渋による色変化『焼きの七変化』があり、素朴で風趣、肌触り、色艶など現在にも受け継がれています。休日、和菓子に抹茶は落ち着きます。次回は大分臼杵の磨崖仏を予定しています。
2007.01.27
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蔵王連峰は八甲田山や大雪山と同じように、最高峰の熊野岳(1842m)や刈田岳・地蔵山など連山の総称になっており、奥羽山脈の宮城と山形県境に位置しています。熊野岳頂上には蔵王権現を祀り、地蔵山(1736m)や三宝荒神山(1703m)には、各々の名の通りの神仏が祀られています。蔵王権現は奈良県吉野の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊、日本仏教独自の仏で、釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊が合体したものとされ、忿怒形の怖い顔?になっています。全国各地の霊山に広まり、この地にも祀られて蔵王連峰の名の由来になったわけです。 スイスのマッターホルンの麓、ツェルマットスキー場からの写真です・・・?と言いたいところですが、ここは山形蔵王スキー場パラダイスゲレンデからの写真、高度1500mだけに雪質は粉砂糖をまぶしたようなサラサラベストの状態。スキーヤーを喜ばせてくれます。左下に見える小人が住むようなエキゾチックな建物はパラダイスロッジ、昼食でよく利用するホテルです。高石ともや歌う『想い出の赤いヤッケ』が蘇ります。 山形蔵王スキー場の全体像は上の案内通りで、大変魅力的なスキー場になっています。標高差880m、ゲレンデ数14、全コース25、最長滑走距離9kmのダウンヒル、総滑走距離15kmで最大斜度がなんと38°の横倉の壁もあります。分度器で38°は大した角度ではないように見えますが、その斜度の上に立つと断崖絶壁、身震いし滑り出しに勇気が要ります。転倒でもしようものなら、皆が見ている前で約200m以上も滑落請負いで赤恥です。湯沢(新潟)や野沢(長野)、大鰐(青森)と同じ、山形蔵王も温泉地にスキー場を開発、積雪状態にもよりますがG・Wまで昔は滑降OK、今は温暖化からか3月末がやっとの状態です。 何をするにしても天候に恵まれることはベスト、特にウィンタースポーツはそうです。写真左側はロープウェイ樹氷高原駅(中間駅)から山頂方面を望んだもので、左が三宝荒神山、右が地蔵山になります。ロープウェイの山頂駅は、その山と山の丁度中間地点になります。樹氷高原駅は山形蔵王スキー場のヘソみたいな位置で、モンスターと呼ばれる樹氷見学の基地にもなります。(樹氷は2月、八甲田、八幡平、蔵王、吾妻山の奥羽山脈でしか見られません) ロープウェイ山頂駅から樹氷高原駅方面の写真で、ゲレンデが大きく広がっていることが分かり、連峰の裾野も遠くに見ることも出来ます。山頂駅に着いたら徒歩10分程のところの蔵王地蔵尊(坐像)に御参り。釈迦入滅から57億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまで、衆生を救う仏だけにパスするわけには行きません。(病苦身代り、子宝・子育て守護、厄除け、延命・開運・勝利、災難予知・危難防御など諸々のご利益)そしていよいよ滑降になりますが、すぐに難所(樋状の狭いカールコース)のザンゲ坂が出現して、初心者を悩ませます。一方ここは樹氷を独り占め出来るメルヘンスポット、転ぼうが雪まみれになろうが、足を伸ばさなければならない場所になっています。 冷えた身体と一日の疲れを癒すには温泉がベスト。山形蔵王には上湯・下湯・川原湯の共同浴場が3ヶ所もあり、日帰りの時はよく下湯に浸って帰ったものです。開湯は今から1900年前、日本武尊の東征時に従った吉備多賀由により発見されたという伝説があります。湯量は8700トン/日で世界有数の湧出量、強酸性の硫黄泉は神経痛・皮膚病・筋肉痛など23種の効能があります。冬期間閉鎖されている大露天風呂は新緑や紅葉時期にはピッタリ、湯の真ん中に脱衣所を配置し、千枚田のように上三段が女性用、下三段が男性用の湯船、湯は上から流れて来る仕組みで、男湯は外部から覗き見が可能です。経験した露天風呂の中で一番、1月末の雪見樹氷まつり2007に2日間だけ開放されます。泊りは常宿の神聖な源泉に浸り、夕食はいつも草鞋のような米沢牛ステーキかすき焼きでした。 ゲレンデの中腹から出羽三山の一つである月山を望んだものです。天気が良ければ飯豊連峰や朝日連峰も望むことが出来る、絶景のスキー場になっています。次回は長州藩の萩を予定しています。
2007.01.20
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小樽は坂の街・開拓歴史の街、夜景が綺麗な函館・神戸・長崎と同じ雰囲気があります。石炭運搬のため日本で3番目の鉄道が夕張-小樽間(手宮線)に引かれ、その荷役や漁港(ニシン漁)として繁栄した港町だからです。北のウォール街と言われるだけに、日銀小樽支店(札幌より早い)を筆頭に、地域の産業隆盛を築いた金融機関・商業施設・石造倉庫等など、明治・大正・昭和初期時代の建物が沢山残っており、市指定歴史的建造物だけで67棟もあります。丁度、門司と同じような情緒が味わえるレトロ街でもあり、ヒット曲『小樽の女』が似合う街でもあります。しかし、観光で生きる現在の小樽の姿に寂しさが宿ります。 小樽には縁があって、10数度も訪れています。余談ながら最初に訪問の16、7年前、履いて行ったカジュアルシューズは今も現役、物を大切にする世代の代表選手?を自負。小樽を代表する風物は運河、そして界隈の商業施設や飲食店になります。大正12年に手狭になった港を拡張した際、旧埠頭と運河の幅を残して埋め立てたために誕生したのが運河。冬の季節は寒いけど、雪が似合う小樽が一番印象に残ります。その小樽運河で、今年9回目になる『雪あかりの路』が2月9日~18日で開催されます。市内全域に広がりつつあるようですが、運河と手宮線(寿司屋通り~日銀通り~中央通り)の各会場が主役。特に運河会場は浮き球キヤンドルやキャンドルロードなどでローソクを灯し、石造倉庫群の窓明かりも加わり、幻想の世界へと誘ってくれます。浮き球キヤンドルは、魚網の目印として使われたガラスの浮き玉にローソクを灯したもの、現地ではしっかり10本入りローソクを500円で販売、あなたも参加出来る仕組みになっています。 北一硝子三号館は明治時代の石造倉庫を利用して、世界のランプを展示即売。その他ガラス工芸品の種類や品数が豊富で売り場も広々、お土産選択にはピッタリの店。硝子体験工房も準備されており、疲れたら併設の北一ホールでケーキタイムも満足です。写真右は、石油ランプとワイン・ビールの各カップ、そしてドレッシング容器です。 一方、小樽は130軒以上も寿司店がひしめく街、美味しく安く食べられます。最初は石原裕次郎軍団ごひいきの店、次は混んでいる店、その次はガイドブックに誘われて・・・?でも地元の人に案内された店が一番でした。中には写真のように、寿司屋の二階が宿屋という変わった店もありました。(当然、夕食は寿司三昧のようです) かに倶楽部。テーブルに紙が敷かれ、その上にカニをドンと載せ手掴みで豪快に食べます。活毛がに・花咲がにがメイーンになり、この店オリジナルのフルーティーなナイヤガラワインを飲みながらは、豪華豪華で至福のときを約束してくれます。 歴史的建造物がレストランやホテル、喫茶、博物館に変身している建物が多くあります。内部も当時そのままに残されていますから、食事や泊り、或いはお茶を飲むにしても贅沢とノスタルジーを味わえます。是非・是非、推奨したいスポットになります。小樽周辺観光には散策バスを利用するなどして、見所が抜けないように計画したいものですね。次回は山形蔵王スキー場を予定しています。
2007.01.13
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新春は明るく縁起の話題でスタート、大宰府といえば昔政庁があったところで、大宰府天満宮と九州国立博物館が観光スポットです。大宰府天満宮は、学者として政治家として大きな功績を立てられた藤原道真公を祀つり、清らかで尊い心を持った人徳像から、学問や至誠の神様として世の崇敬を集めています。本来は習い上手になる神様(各分野で人生の道を究める、過程を大事に努力)のようです。 九州国立博物館は東京・奈良・京都に次ぎ、’06年10月に全国4番目に開館。コンセプトは、日本文化の形成をアジア史的観点から捉えるとなっていますが、日清戦争以前に我が国が外国と戦った歴史は、北九州を舞台にしていることが思い出されます。鎌倉時代の二度に渡る元寇来襲(蒙古=現モンゴルの皇帝フビライ・ハーン)は野分に助けられ、朝鮮半島での白村江の戦(倭国+百済軍と新羅+唐軍の戦)と豊臣秀吉の二度の出兵は散々な敗北の歴史。見物、九州国立博物館は大宰府天満宮に隣接して立地しています。 天神様といえば菅原道真公の神号、道真公没後に火雷天神とする信仰が起こり、それを祀っている神社の宮号を天満宮といいます。平安時代、右大臣の道真公が左大臣藤原時平の陰謀で大宰府に左遷(実際は配流)。57歳の時で、恨み語一つ言わず慎ましい生活を送りながら、2年後に京の夫人の死去の知らせもあって、追うように白梅が散る時期にこの地で没しています。後々、京で疫病や異常気象など不吉なことが続き、道真公の墓の上に社殿を建立したのが大宰府天満宮の始まり、京には北野天満宮が創られています。朝廷も罪無きことを認め、道真公が人から神の御位に昇り、学問や文の神として祀られることになりました。 西鉄大宰府駅に近い門前の参道は整備され、名物の梅が枝餅が美味しく印象的。楼門をくぐると天満宮境内、清々しく新鮮な気持ちになり、老いた亡き父の手を引いて太鼓橋を渡たり、感謝されたことが思い出されます。本殿は神聖な場所、拝殿して祈祷されている方が多く見受けられます。飛梅は道真公を慕い、一夜にして京から飛んで来たと伝えられる由緒ある梅、境内6千本の梅に先駆け春一番に香り高い花を付け、平安の昔を偲ばせてくれるといいます。道真公が京出発の日、紅梅殿で『東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ』と詠われたのがあまりにも有名です。 この太宰府天満宮で、毎年1月7日酉の刻(PM7:00~)にうそ替え神事が行われます。昨年の嘘を誠に変えてしまいご破算にし、この一年間をスタートさせる縁起良い行事です。すずめに似たスズメ目アトリ科のうそ鳥は、人間の口笛のような鳴き声から、口笛を古い言葉でオソブエが訛って『うそ』になったとか、口笛を吹くときの口の形を表現したうそ笛から来ているとも言われます。また、学問の神様ですから学を昔の字で書くと學、この字の下側を鳥に変えると鷽(うそ)の漢字になるという奇縁?もあります。道真公が海上で遭難したときうそに先導されたとか、神事の最中にクマバチの大群が来てうそが食べてくれ災難を救ったとかの伝説から、うそは天神様のお使いの鳥として扱われています。このうその削りかけ(木うそ=朴の木で彫った神縁物)を境内で、酉の刻の暗闇で『替えましょう、替えましょう』と呼び合いお互いに取替えることで一年間の嘘を清算し、ご神前で天神様の誠心に変えて幸運を戴き、新しい気持ちで本年を過ごすのが、迎春のうそ替え神事になります。特にうそ替え神事で『純金うそ(6本)』を授かった方は、更なる幸運を得るといわれています。 うその玩具で、左が土鈴、中央がおみくじ(中がくり抜いている)、右が土笛です。頭がくるくると丸まっている2体が木うそで、売り切れると困るので1月7日朝早くに出向き天満宮で求めました。 うそ替え神事当日には『金うそみくじ』がPM6:00から行われ、みくじを引くことにより純金うそを引き当てる神事です。更なる幸運が得られるといいます。また、鬼すべ神事(PM9:00~)はうそ替え神事の後に行われる火祭り、年の初めに当たって災いを祓い福を招く祭りで、日本三大火祭りに数えられている鬼をいぶり出す火祭りです。 吉。充実した運気が強く、すべてにフル回転の状態となって評価を高める好機。そんなことで上機嫌で帰宅した記憶があります。次回は冬の小樽を予定しています。
2007.01.06
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