↓ ① 名護屋城博物館所蔵本(名博本) 名博本は、出所・伝来等の詳細はよくわかっていませんが、六曲一隻の屏風として仕立てられる以前は(昭和40年:1965年)前後、美濃紙を繋ぎ合わせた大きな画面で竪八つ、横三つに折りたたんであったようです。その後、屏風に仕立てられて昭和43年(1968年)6月に東京古典籍會主催の「古典籍展観大入札會」に出品され全国的に大きな話題となり一般に知られるようになりました。 昭和45年(1970年)に佐賀県立博物館の所蔵となり、昭和54年(1979年)の佐賀県重要文化財としての指定を経て、平成11年(1999年)に管理換によって佐賀県立名護屋城博物館(平成5年:1993年)開館の所蔵となり現在に至っています。
↓ ② 群馬県個人所蔵本(群馬本) 群馬本は、群馬県佐波郡(現在の伊勢崎市)の旧家に、「唐津城図(仮称)」と共に六曲一双の屏風として所蔵されていました。所蔵者の話では、明治初期に旧藩主(伊勢崎藩)の酒井家からこの一双の屏風を購入したものと伝えられています。屏風絵の名称についての伝来はありませんが、その当時から一隻が肥前名護屋城の屏風絵であることは知られていたようです。この一双の屏風は、平成17年(2005年)に公表されて一般に知られるようになり、現在は名護屋城博物館の寄託資料となっています。 制作年代については、建物・人物等の描写表現・技法・色彩等から江戸時代後期(18世紀中頃~19世紀前半)の制作で模本の類と推定されています。製作者についてははっきりとしていませんが、描写技法等から狩野派統計の絵師によって制作された可能性が指摘されています。