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右手の青い海はず~っと続く。やがて左手からヒグラシの合唱が始まる。平坦か下り、交通量も少なく、おとうさんも安心しているのか、私の方をあまり振り向かない。 海と空の風景は見飽きることがない。 この道のりがずっと続いてもいいのに、と私は思った。 しばらくすると製塩所に着いた。奥能登は製塩がさかんなので、どこかで見学するだろうと思っていた。博物館のように、製塩の手順が説明してあったり、道具も展示してあった。十五分ほど休憩、見学していると、 「そうだ、この先の塩田村にも行かなくちゃいけないんだ」とおとうさんが言った。ドジおとうさんが氷見のキャンプ場に忘れてきた眼鏡を、管理人さんが宅配便で塩田村の職員のおばさんに送ってくれるということらしい。そこでおとうさんは眼鏡を受け取れる… 夜中にキャンプ場でトイレについてきてくれるときも、わざわざコンタクトレンズをつけないと、おとうさんは歩けないくらいの近視なので、眼鏡がないと不自由だ。 少し走ると、その、道の駅・すず塩田村に着いた。茶色い木目調の壁にとんがり屋根のおしゃれな建物だ。 私達が自転車を停めていると「あっ! やっぱり!」と声をかけられた。 「自転車が近づいてきたから、そうじゃないかと思ってたんだ」ともう一人。見附島で写真を撮ってくれた四人グループのおねえさんたちだった。富山県から車で旅行に来ているらしい。 「また、写真、撮ってあげるよ」と言われて、私とおとうさんは自転車の前で二人で並んだ。 「そうだ。二人でジャンプしてみてよ」と一人のおねえさんが言った。 「あたしたちのあいだで、流行ってるんだ」と言われ「よし! 跳ぼう!」とおとうさんは張り切った。 「はい、チーズ」と言われて、おとうさんは跳び上がったけれど、私はタイミングが遅れて、構えているあいだにシャッターを押されてしまった。 「よし、もう一回、がんばって!」とおねえさんが言って、私達はもう一度跳んだ。今度は上手くいった。 なんだか、楽しい。 「こないだより、ニコニコしてるね」と一人のおねえさんに言われた。見附島で“笑って、笑って”と言ってくれたおねえさんだと思った。私は上手く笑えているのかな?違う、きっと、心の底から楽しいんだ。 おねえさんたち四人のジャンプ写真をおとうさんが撮ってあげると 「六人、みんなで撮ろうよ」と一人のおねえさんが言い出して、カメラを置いてタイマーをセットした。横に六人並んで、みんなで手を繋いで、いっせいのせっ!、でジャンプした。遅れずに跳べて、よかった… おとうさんは、おねえさんと手を繋いでニヤニヤうれしそうにしちゃって… 「楽しかったよ~ 気をつけてね~」と四人は車に乗り込んで出発していった。運転手以外の三人は、ずっと後ろを向いて手を振ってくれていた。
2014年01月31日
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キャンプ場を出るとすぐに上り坂だった。いきなりで辛かったけれど、ギアチェンジだけで乗り切れた。昨日よりもっと空が青い気がする。上り切ったところに椿展望台というところがあって、海をはるか下に見下ろせた。海の色も昨日よりずっと深い。 バイクツーリングの男の人二人組に写真を撮ってもらった。シャッターを押される瞬間にもう一人の人が変な顔をしたので、私は大笑い顔になってしまった。 「ここから向こうはしばらく平らだよ」と教えてくれたので 「よ~し、がんばるぞ」と言った私の声が思いの外、大きくなって、おとうさんと二人のライダーが楽しそうに笑った。 海と空。 とにかく、海沿いをひたすら前に走っていく。平坦か、緩やかな下りが続き、心地よい風が後ろへ過ぎていく。雲ひとつない青い空と、優しい波音をたてる海に、自転車ごとはさまれているような気がする。ヒグラシは寝坊のセミなので、まだ声は聴こえない。 ゆっくりと、ゆっくりと、下っていき、海の高さに引き寄せられてきた。 「このあたりにゴジラ岩って、あるはずなんだけど…」 逆車線の路肩に自転車を停めてからおとうさんが言った。車が停まっていて、海まで下りていっている人影が見える。手前の海に黒い岩がポツポツと浮かんでいる。 「どれがゴジラだろう? ガイドブックには大きくかっこよく、写ってたんだけどなあ…」 あれかな、あれじゃないよ… 私達が二人でいろんな岩を指差して品定めしていると、人影が路肩に上がってきた。小さい男の子とそのおとうさんだった。私達は意見をまとめて訊いてみた。 「ゴジラ岩って、あれでしょう?」とおとうさんが指差すと 「そうみたいなんですけど…」とそのおとうさんは苦笑いして答えた。拍子抜けしたかんじなのだろう。 「ずいぶん、ちっちゃいですね」とおとうさんは言ってから 「ゴジラ、おっきかったかい?」と男の子に訊いた。 「あんまり、おっきくなかった」と男の子は答えた。四歳で岐阜県から車で来たんだ、という。 「ゴジラ、楽しみにしてたのになあ」と、そのおとうさんが言った。 「おっ、自転車か、すごいな」と言われ、私も氷見から走っていることを話した。若おじいさんたちやライダーと話したりして、知らない人とも、少しだけ上手く話せるようになった気がする。 「いつか、この子とも、走ってみたいな」とそのおとうさんが言った。 「チビゴジラのところまで行ってみるか?」とおとうさんが言ったけれど、 「それほど大したものじゃないですよ」とそのおとうさんに言われたので、やめることにした。 親子は、さようなら、と車で走り去って、おとうさんは「チビゴジラめ!」とつぶやいて、私と岩をカメラに収めた。 それでも、うれしそうだったし、私もうれしかった。
2014年01月31日
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2008年8月7日 起きると八時だった。旅先でこんなに遅く目覚めるのは初めてだ。だいぶ疲れているのかな。 「おはよう。疲れていそうだから。起こさなかったんだ。今日は予定を変えて、泊まるところを少し手前の民宿にしたよ。明るいうちに着けるようにね」とおとうさんが言った。 テントを出ると、夏の陽は、もうずいぶん高く昇っていた。 林をくぐって、キャンプ場の奥に歩いていってみる。 涼風が気持ちいい。 いちばん奥までいくと、広く海が見渡せた。崖になっているので降りてはいけない。禄剛崎から眺めたのと同じ方向の海のはずだけど、違う表情に見えた。朝だから、穏やかだけれど海も張り切っているようなかんじだ。 今日も真っ青な空だ。また、ガイドブックどおりの景色が待っていてくれるのかな、と思うと、私も元気が湧いてきた。早く走りたい気持ちにさえなってくる。 戻っていくと、隣のテントの外で、ディレクターチェアに座って話している夫婦がいた。私のおじいちゃん、おばあちゃんより少し若いくらいの人たちだ。 「こんにちは」と私達が挨拶すると、 「自転車で走ってるの? すごいわね」と若おばあさんが言った。私達の自転車が停めてあるのが、ここからでも見えた。 「どうぞ、少し、めしあがれ」と若おばあさんは、ざるの中のすももをすすめてくれた。ツルンとした皮が赤く光っている。 「どうぞ、遠慮しないで」と若おじいさんも眼鏡の奥で笑った。 「いただきま~す」とおとうさんのほうが先に手を出した。だいたい、わたしよりおとうさんのほうが子供っぽい。私もつまんで食べてみた。プチッと皮が弾けると果汁が甘く広がってくる。でも少し、すっぱい。 「おいし~い」とおとうさんはやっぱり子供みたいだ。 「ウチでとれたものなんです」と若おじいさんが言った。どこから来たのか訊いてみると、南アルプス市からだ、と言われた。 「外国ですか」と私が言うと、笑われてしまった。 「♪南アルプス、天然水っ♪ってコマーシャルあるだろ」とおとうさんがおどけて唄って、また若おじいさんたちが笑った。 「でも、すごいわね、何年生?」と訊かれたので 「四年生です」と私は答えた。学校には行ってませんって言おうと思ったけれど、やめておいた。おとうさんはいつも“学校に行っていないことを引け目に感じるな、逆に誇りに思え”って言うけれど、せっかくの旅行中に学校のことを話題にされるのは気が重い。 でも、その後は若おじいさんが 「いい思い出になるね」と言ってくれたのでほっとした。 話が盛り上がって笑いが増えてきたので、おとうさんが眼鏡をキャンプ場に忘れてきたり、足をケガしたドジ話をした。 「しょうがないわね。おとうさんの面倒をしっかり見てあげてね」と若おばあさんは楽しそうに笑った。 管理棟には、管理人のおばさんがいたので、夕べテントを張っておいてくれたお礼を伝えた。枯れ枝と廃材で火を起こした話をすると「たくましいわね」と目を丸くされた。 九時半に出発するとき、私達が大声で、さようならあ~、と叫ぶと、若おじいさんと若おばあさんと管理人のおばさんが笑いながら手を振ってくれた。
2014年01月31日
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ちゃりこの旅も後半へ入ります。 ちゃりこは少しずつしか進めません。 ゆっくりと、しっかりと、が私達のモットーです。 昨今の、学校、教育現場でのいじめ、体罰… 明るみに出るケースが増えただけで、隠蔽されたり、泣き寝入りさせられたものって無数にあると思います。 この物語は、ちゃりこのポジティブな成長の物語なので、ちゃりこが受けたいじめや学校の酷い対応などは、別の機会に語ろうと思っています。 いじめや体罰、そういった醜いことを生む大きな要因であり、根絶すべきだと私が思っている言葉があります。 それは、 「はやくしなさい」 「おせえよ」 子供が何かを成し遂げるまでにどれだけ時間がかかったって、構わないじゃないか、サボってるんじゃなければ。能力をつけるのに、時間がかかっても、いいじゃないか。 もちろん、他人を傷つける、危害を加える、こんなものは、問答無用でただちに矯正されるべきだ。 世の中、ゆっくり見守るべきことと、ただちに矯正するべきこと、逆になってしまっている人が多いんじゃないかな、って思う。 どれだけ速く走れる子供だって、ボルトにはかなわない。 どれだけ野球が上手い子供だって、イチローにはかなわない。 ボルトやイチローがきみらをバカにしたり、いじめたりするかい? 動きの鈍くなって、支払いにもたついているお年寄りに、イライラしていないかい? 仕事ができるつもりになって部下にあたっている上司、あなたより仕事のできる人なんて、ごまんといるよ。 その場しのぎのやり方で、いじめなんて、根絶できない。 心を育てる。 心をゆっくりと育てる。 心をしっかりと育てる。 ちゃりこは、ゆっくりと、しっかりと、走ります。 あまり、人と話せなかった、ちゃりこ。 後半は出会いも増えてきます。 ゆっくりと、しっかりと、走ります。 ゆっくりと、しっかりと、見守ってください。
2014年01月31日
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六時半に灯台をあとにして、海沿いを西へ向かった。右手に海を臨み、左手からヒグラシの声。広い視界の中、陽が水平線に徐々に近づいていくのがイヤでも目に入る。昨日みたいに暗くなってから走るのは怖いなあと思っていたけれど、やっぱり陽は待ってはくれなかった。水平線の上をころがって、やがて半分姿を消し、残照だけになり、そして辺りを青白くして、更には暗くしてしまった。 まだ、下り坂があったり上り坂があったりする。自転車のライトを点けるが、街灯は疎らだ。夕べと違うのは、高台、というより海沿いなので崖の上、を走っているかんじだということだろう。車の通行はほとんどないので、二人、横並びで走った。 おとうさんがしきりに、携帯電話でキャンプ場の管理人さんと連絡をとっている。今夜は常設テントではないので、到着してから、レンタルのものを設営する予定だった。でも、このままでは管理人さんのいる時間帯にキャンプ場には着けそうもない。 そのうち、ヒグラシも鳴きやんでしまった。波の音は聞こえない。二人の自転車のブロックタイヤだけが、ブウン、ブウンと音をたてる。夕べは暗くなってから走っているとき、よくわからない歌を唄っていたおとうさんも、今日は荷物に押し潰されてか、声も出ないのかもしれない。私が何か唄えればいいのに… 七時半、木ノ浦健民キャンプ場は通り沿いにあった。草の繁った敷地内まで自転車で入っていく。 管理人さんは残っておらず、テントは張っておいてくれたようだ。ポール式の旧いタイプのテントだ。一安心… と思ったら 「しまった、薪がない!」とおとうさんが叫んだ。薪はキャンプ場で買うつもりだったけれど、もう管理人さんはいない… どうするんだ? バーベキューの食材、たっぷり買って、おとうさんの背中に乗ってはるばるやってきたのに… お店なんてそれ以来、全然なかったのに… 「よし、枝を拾いにいくぞ」とおとうさんが言った。 奥の敷地に林があって、その小径に落ちた枯れ枝を拾ってまわった。おとうさんは胸いっぱいに太い枝を集めて抱え、炊事棟へ運んでいく。私は懐中電灯で辺りを照らす役目だったけれど、もう片方の手で細い枝を何本か拾った。 何回か林と炊事棟を往復して、かなりの量を集めた。 「火を起こすまで休んでていいぞ」と言われたけれど、飯盒や食材は私が運んだ。テントと炊事棟を荷物を持って往復していると、くべた枝に息を吹き込む継ぎ目に「ありがとう」とおとうさんの声が聞こえてきた。 枝のはぜる音を横に、私はお米を研いだ。 ブロック製の炉に起こした火の上の金網にお肉や野菜を載せる。おとうさんがトングで掴んで私の紙皿に次々と入れてくる。私はそれを口の中に次々と放り込む。飯盒の蓋を開けると、もうもうと立ち上がる蒸気の中から真っ白なご飯が顔を出す。よだれが出そう… 「だいぶ、慣れてきたか?」と訊かれ、自転車で走ることが好きになっている自分に気がついた。 「うん、お天気や景色が最高ね」と私は答えた。おとうさんはうれしそうに笑った。 今日、見てきた、見附島、禄剛崎… 思い出しても心が踊る。これからも坂がきつくても、頑張れる気がする。 私は、おとうさんと違う言葉を叫んだんだから。 “絶対、一周してやるう!”って。 「もう、森は怖くないの?」と訊かれたので私は「これくらいは、林だよ」と言った。おとうさんは小さく、またうれしそうに笑った。 テントに戻る。 姿の見えない海の音が聴こえる。 しん、とした夜の音も聴こえる。 星の瞬きまで聴こえてきそうだ。 私はタオルにくるまって、おとうさんの腕に抱きついたまま、眠ってしまった。
2014年01月30日
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この後、海沿いを走り、鉢ケ崎、長手崎灯台とすぎていくと、上り坂が増えてきた。道は細くなってきた。前を行くおとうさんの体が、二つのリュックにつぶされるように下を向いてきた。それでも、時々後ろを振り向いて私にむかって、大丈夫かぁ、と叫ぶ。陽射しもまだ強い。 五時すぎに須須神社に着いた。珠洲(すず)市だけど、須須(すず)神社だ。停まって休む。休憩なのに石段を上るのは能登島の閨観音でもそうだったけれど、気分転換にもなるし、歩いても重力がいつもと違うかんじがする。 安全祈願を終えて、また上り坂を走る。陽は少しずつ傾き始め、空の色も勢いをなくしてきた。この時間でまだ上り坂はきつい。 おとうさんの背中が離れていく。ペダルをこげなくなる。自転車を押していく。待っているおとうさんに追いつく。ペットボトルを渡される。飲む。休む。スタート。こぎ始める。背中が離れていく。こげなくなる。押して上る。追いつく。ペットボトル… 昨日もあったような繰り返し… 数回の繰り返しのあと、小さな街中で石段の下に辿り着いた。自転車を停めて歩いて上る。ゆっくりとした足取りでも、少しよろけてしまった。 上り切った高台。近づいてきた。白亜の灯台が… そう、ここも、ガイドブックで何度も見ていた、禄剛崎灯台。「背が低い灯台だね」って二人で本で見て話していた。それでももちろん、私達は灯台を見上げる… 周りの石畳や短く生えた草ぐさも含めて優しさを感じる風景だ。そして、水平線と、最後の橙色になる少し前の黄色い夕陽。 ここが能登半島の最北端だ。 ここから向こうはよその国しかない。 波がなくて、静かな、スーッと丸い、水平線。 「夕陽が見られてよかったね」とおとうさん。 「うん」と私。 ここもガイドブックどおりだ。本の写真の中に私達がいるみたいだ。 「先っぽまで来たぞお!」とおとうさんが海に向かって叫んだ。おっきい声だった。 「ぜったい一周してやるう!」と私も海に向かって叫んだ。おっきい声で。 おとうさんは私の頭の上に手を載せて、くしゃくしゃっ、と撫でた。
2014年01月30日
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海沿いのキャンプ場に入った。ところどころ、テントが張られている。小径を走っていくと、目指していたものが見えた。 見附島だ。 「うわあ、うれしいなあ」とおとうさんが叫んだ。自転車を停めた。 「ガイドブックどおりだ」と私。 “見附島”と大きな木製の看板。軍艦の形をした大きな岩の島は、たくさんの木々の緑に覆われて、浜からすぐのところに浮かんでいる。とび石で浜から島へつながった道を歩いている人もいる。そして、強く吸い込まれてしまいそうな青い空。静けさをたくわえたようなゆったりとした青い海。時折、細いさざ波… 本当。ガイドブックの写真どおり。 うれしい。 靴を脱いで海に足を浸す。小さめの石が、足の裏を押してくる。遠く、遠く見える、水平線。足元にやってくる、ほんの小さな波。強く、優しい陽射し。 ガイドブックの中に収まっていたところに、私は自転車で来たんだ。うれしい。 海から上がって、芝の上に寝転んだ。寝転んでも、見附島を見ている… 「ソフトクリーム、食べようか?」とおとうさん。喉が乾いちゃうからお茶やお水がいちばん、甘いものはいらない、と思ってきたけれど、この絶景を見ることができたごほうびに食べたくなってしまった。売店で買ったソフトクリームをなめる。ソフトクリームをなめても、見附島を見ている。 “見附島”の看板の横に二人で自転車を入れて、写真を撮ってもらった。四人グループのおねえさんたちが、笑って、笑って、と言ってくれる。私はあまり上手く笑えていないのかな? でも、私はきっと、ここで見た景色のことは、ずっと忘れないと思う。 ほとんど景色に見とれていただけで、一時間も過ごしてしまった。 見附島をあとにすると、街中ではお祭の準備をしていた。キリコといわれる大きな短冊形の飾りを作っている人たちがいる。地面に寝かせたキリコに絵を描いている人たち。立たせたキリコを調節している人たち。高さは五メートルくらい? もっとかな? 小中学生も手伝っている。自転車で通り過ぎるだけの私達に「こんにちは」と声をかけてくれる。私達も「こんにちは」と言って走り過ぎる。海からの風と、私が走って切る風と、街の人たちの声と、私達の声がすごく気持ちいい。 私は今、能登半島を走っているんだ… 三時すぎ、飯田市街に入った。大きなスーパーで、今夜のバーベキューの食材を買い出しする。食材はおとうさんが背中のリュックから出した別のリュックに入れて、二つのリュックを背負う。 「私がひとつ、背負うよ」と言ったけれど 「いいよ。これはちゃりことの約束だろ。ちゃりこはどんな道のりでも自分の自転車には責任持つ、でも走行中の荷物と行き帰りの自転車はおとうさんの責任、って」と答えた。そして 「もし、この旅行を終えて、ちゃりこがまた自転車旅行したいって思うようなら、そのうち荷物持ってもらうかもしれないけどね」と言ったので、私は間髪入れずに 「絶対、行く!」と答えた。答のあいだをおくと、連れていってもらえなくなってしまうような気がしたから… 私は走りたい! だって、あの、見附島の景色って、いったい、何? 宝物、だよ!
2014年01月30日
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陽が上がっていくにつれて、空の青さが増してくる。 松波という町に入り、少し海からはずれて、また上り坂になった。細い道で道路工事をしていたので、自転車を降りて押していく。ギアチェンジだけで乗り切れそうだったのに、と悔しく思っていると、作業員の眉毛を剃った怖そうなお兄ちゃんが「おねえちゃん、がんばれよ、気をつけてな」と言ってくれた。私は後ろを振り向いて「ありがとうございます」と答えたけれど、自転車を押しながら体を後ろにひねって出した声だったので、あまり大きな声が出せなくて残念だった。 下ってまた海沿いへ出る。空と海は、また、青くなったような気がする。 平坦な道のりから恋路海岸に着いた。十二時。100均の腕時計も今日は元気だ。 広~く青い空。まっすぐな水平線。穏やかな海。かすかな波の音。こんな景色、もらっちゃっていいんだろうか? 自転車を停めて、全部を眺める。海じゃなくて、空じゃなくて、水平線じゃなくて、全部を眺める。 「なんでここに来たかっていうと、おとうさんがちゃりこに恋だから」とふざけるおとうさんの腕を、私はギュッと握った。 近くにあった小さな食堂に入った。店内は薄暗くて狭かったけれど、海向きの窓が大きくて、とてものんびりした気分になれた。 高いところに置かれたテレビが“北京オリンピック”と言っている。そうか、そんな時期か。でも、今の私達にはまるっきり関係ないような気がする。 ワールドカップやオリンピックがあると、国民全部が応援しているようにテレビが伝えるけれど、本当にそうなんだろうか? その日、一日生きているのが精一杯の病気の人やお年寄りや障害者だっている。オリンピックなんかを見て、勇気や元気をもらう人もいるかもしれないけれど、そうでない人だっている。騒ぐより静かにしていたい人だっているんだし、国が違うから相手をやっつけろなんて、戦争みたいで私は嫌だ。それに、サッカーや野球の上手い子なんて、だいたいスポーツのできない子に対してすごく意地悪だ。でも、スポーツができるくらいで偉くなったつもりでいたり、周りの大人もチヤホヤしたりする。おかしいと思わないんだろうか? そんなことを考えていたけれど、冷やし中華が運ばれてくるとペロリと平らげてしまった。 お店を出ると、涼しく感じた。海風が気持ちいい。でも、平坦な道を少し走ると、すぐに汗をかいた。
2014年01月30日
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真脇縄文公園を出て下り坂。空一面が濃い青色だ。小姫木トンネルをくぐって小さな港町を走る。海は静かで、空の何倍もの濃い色を湛えている。係留された船で作業をしている人たちがいる。木々の繁った大きな崖で狭く区切られてしまっている、小さな港だ。左手の家並みには洗濯物が干され、三輪車や自転車が並んでいる。お年寄りや小さな子供とすれ違うとき“こんにちは”と言ってみる。私達は自転車ですぎてしまうので、後ろの方から挨拶が返ってくる。 港町を抜けると上り坂になった。緩やかな傾斜がだんだんきつくなってくる。汗が吹き出てくる。やがて海は、視界の下の方へ遠ざかっていった。 左手にまた、のと鉄道の廃線跡が現れる。 九十九駅。 古い駅舎だけが残っている。自転車を停めて待っていたおとうさんがペットボトルを差し出してくれる。錆びた線路。くすんだ駅舎。“過疎”という言葉を家で勉強したときに知ったけれど、どうしようもないのかな? 旅行に来るたびに思うけれど、田舎の路線バスは本数もお客さんも少なく、廃線になるものも多い。でも、病院へ通うお年寄りのためには必要なんじゃないか。便利だとか、かっこいいだとかを求めてばかりで、きっと大切なものを少しずつ、みんなが失っていっているような気がする。 駅舎を淋しそうに見つめているおとうさん。 私にとって、大切なものって、なんだろう? 失いたくないものって、なんだろう? きっと、この駅でだって、たくさんの人たちがいろんな思いをしたんだろうな… 少し走ると、海は目の高さに戻ってきた。 五色ケ浜という海水浴場で自転車を降りた。サンダルに履き替えて、海に入る。サラサラした白砂が気持ちいい。素敵な海水浴場だけど、数えるほどしか人がいない。 足で水を蹴っ飛ばして、私にかけようとするおとうさん。もう、ケガは大丈夫らしい。 なんとかなるもんだな… 私もだんだん、楽観的になってきたみたいだ。
2014年01月29日
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2008年8月6日 七時前に目が覚めた。畳の上でぐっすりと眠れた。窓を開けると、宿の前はすぐに海だった。夕べは真っ暗だったし、疲れていて宿しか目に入らなかったのだろう。 外へ出る。細い道を渡ると防波堤だ。おとうさんと二人で腰をおろす。小さな漁船がつながれている。朝の陽を浴びてキラキラと光っているさざ波。空気が澄んでいて気持ちいい。 名古屋からバイクで一人旅をしているというおねえさんが荷物を積み込んでいた。 「今日は金沢まで走るのよ」と言っていた。 私達は自転車で走っているんだ、と話すと、目を丸くして「私にはできないわ、すごいねえ」と言った。 私達は金沢に着くのなんて何日もあとだ。 朝ごはんを食べて、九時半に宿を出た。夕べ、先導されて下ってきた坂を上っていく。夜、走って怖かった道も明るくなってからだとのどかだ。トンネルも昨日とは表情が違う。天気によっても季節によっても違うんだろう。人間だってそんなところあるもんね。 昨日と違う上り坂を行く。前輪のギアの調子が悪く、変速は後輪だけにする。 上りきったところに真脇縄文公園があった。 すごく広い敷地だ。土器が展示してある建物や勾玉のペンダント作りコーナーがあったけれど、広いはらっぱに自転車で入っていくことにした。 「せっかくのマウンテンバイクなんだから、こういうところも走ってみたいよ」とおとうさんははしゃいで走り回っている。私も後を追いかけてみたが、草が長いので、上手くはしれない。ペダルが重く感じる。でも道路を走るのとは別の楽しさがある。 二人でぐるぐる回っていると、どっちが追いかけて、どっちが追いかけられているのか、わからなくなってしまった。小さい頃、よく公園でやっていた追いかけっこと同じだ。でも、楽しい。 中学生くらいの、おそろいのジャージを着た集団が私達に「こんにちは~」と言ってすぎていった。私達も「こんにちは~」と言った。 私とおとうさんは山登りにもよく行って、見知らぬ人にもよく挨拶するけれど、東京の街中では知らない人に挨拶なんてしないのが普通だ。学校の先生も生徒には挨拶しなさい、って言うくせに自分達はろくに挨拶もしない。図書館のカウンターの人が挨拶してきても、無視する人がほとんどだ。とても悲しいことだ。挨拶を返している私達のほうが変わっていると見られたりもする。 「わあああ!」と大きな声をあげて、おとうさんがはらっぱ広場から木々のあいだの急傾斜を走り降りていった。 「ほうら、ここまでおいで」 私も思い切って急傾斜を走り降りてみた。ボコボコと土のオフロードでサドルが上下する。シャーッと砂利道まで降りる。おとうさんが笑っている。気持ちいい。 「先へ急ごう。勾玉のペンダント作りは残念だけどね」 工作に一時間もかけてしまうと後が心配だ。それに、はらっぱを走って、オフロードを走り降りて、知らない中学生に挨拶されて… 充分だ。
2014年01月29日
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五時半に、間島というところで休憩した。サンベッドがあったので自転車を降りて横にまる。海を眺めていい気持ちだ。西陽はまだ、水平線からかなり高いところにあるけれども、涼しくなってきた。 リスタートすると、陽は速足で水平線に近づいていき、やがて薄暗くなった。淡い空に白い三日月が浮かんでいた。 100均の腕時計は夕方になると、きちんと時刻を示すようになった。六時半。今日も九時間くらい走っている。そう言えば、もう、お尻はなんともない。でも疲れた。 やがて、ストーンというかんじであたりが暗くなった。陽が沈んでしまった。七時。 真脇という町の海沿いの交番で、宿の場所を確認する。 「暗くなっちゃったし、今さら急いでもしょうがないから、ケガをしないことがいちばんだぞ」とおとうさんが言ったけれど、夕べあわてて、キャンプ場でケガをしたのはおとうさんの方じゃないかと思って、笑ってしまった。 ライトは点けて走っているけれど、東京の街中とは違う。暗いというより、黒い。右手の海は静かに波をたてている。前を行くおとうさんの背中もあまりよく見えない。怖くなってしまった。キャンプ場のテントの裏の森の中の迷路に、自転車に乗ったまま入り込んでしまうような気がした。私が、怖い、というと、車もほとんど通らないので、二人で横に並んで走ることにした。 トンネルをくぐると、それまでポツンポツンと立っていた街灯も、全く姿を消した。真っ暗で、まだトンネルが続いているのかと思うくらいだった。 左へ曲がって海沿いから離れる。私を怖がらせないようにか、おとうさんが何か唄っているけれど、何の歌かわからない。 急に大きなライトが前から近づいてきた。 「お疲れさま」と言われた。バイクで迎えにきてくれた宿のおじさんだった。 あとは、先導してもらって坂を下ればすぐだった。 漁火ユースホステル。 自転車から降りるとき、足がぐらぐらして転んでしまい、おじさんとおとうさんがびっくりしていた。 もう、八時だった。 食堂に案内されてすぐご飯にした。お刺身、焼魚、煮物、酢の物、コロッケ。かがぶとキューリなんてのもあった。私はかたっばしから平らげていった。自分がこんなに食べられるのがうれしく感じた。おいしかったし、たくさんの道のりを走ってきて失われたエネルギーを補充しているという実感があった。 私が自転車をこいできたのだろうか? 私が自転車なんじゃないか、と錯覚しそうだ。 「曽山峠、上ってくるとき、あっただろ…」おとうさんは自分の分のコロッケも私のお皿に載せながら話す。私が何度も遅れて、おとうさんが停まって待っていてくれたところだ。 「ちゃりこが歯を食いしばって自転車押して上ってくるとき、涙、出そうだった…」 私は、自分が遅れちゃったから、おとうさんが怒っているのかな、って思っていたんだけど… ご飯を四杯も食べてから、おとうさんは洗濯をしにいった。 今日だけで、いろんなことがあった。上ったり、下ったり、きつかったり、気持ちよかったり、怖かったり、ツバメ、レトリバーのもも… おじさんがスイカを切って、おとうさんを呼んでくれた。
2014年01月29日
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穴水という町からは大型ダンプが増えてきた。のと鉄道は今はここまでしか通ってなくて、ここから先は廃線になってしまったのだそうだ。 おとうさんが私の方を振り返る回数が増える。大型車が私達を追い抜いていくときは、風圧が大きくて、少し揺らされる。 「ハンドルだけ、しっかり!」 「あぶないぞ、一回、停まれ」 「停まって、はじっこによれ!」 何度もおとうさんが叫ぶ。 歩道のないトンネルや歩行者用のトンネルなどもくぐり、ようやく大型車の姿が少なくなった。 三時に中居湾に着いて、休憩した。おとうさんはバイクを停めていたおにいさんに地図を見せながら話しかけている。 「すごいなあ。がんばってね」とおにいさんも言ってくれた。 今夜泊まる九十九湾まで行くのに、ここから海沿いを行くのと内陸側を行くのと、どっちがいいのか、おとうさんが訊いたらしい。どちらも坂はきついので距離の短い内陸側のほうがいいだろう、と言われたそうだ。曽山峠を越えていく道のりだ。 少し走ると、すぐ視界から海が消えた。徐々に上り坂が厳しくなってきた。後輪のギアはとっくに“3”まで下げている。やがて、ペダルをこげなくなってくる。停まってしまう。おとうさんの背中がだいぶ遠くに見える。私は自転車を押していく。私が遅れたことに気づいたおとうさんは自転車を停めて待っている。自転車を押して坂を上るのは、ずっしりと腕に重みを感じる。暑い。汗が帽子の下に滲む。腕にも汗の粒… ようやく、おとうさんに追いつくと、ペットボトルのお茶を渡される。一口、二口、飲む。自転車を支えたまま少し休む。 「よし! 行こう」とおとうさんが言う。 自転車をこぎ始める。少し行くと、私はこげなくなってしまう。自転車を押して上る。おとうさんが待っている。ペットボトルを渡される。飲む。休む。頭の上におとうさんの大きな手がのる。 「よし! 行こう」 繰り返し… これが曽山峠か。 ヒグラシが鳴いている。 ようやく、平坦な道から下り坂になった。 瑞穂という町の小さなお店で二リットルのお茶を買った。水分の減るのが速い。 鵜川という町でまた上り坂になった。もう上れないよ、と思い始めていると、道沿いの畑で農作業をしていたおばあさんが「がんばってえ」と声をかけてくれた。そう、がんばらなくちゃ。 また、海沿いに出た。 左手に見えるのと鉄道の廃線跡がとても淋しげだ。
2014年01月29日
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空も海も真っ青で波の音がとても心地いい。広く、ゆっくりとした、穏やかな音だ。陽射しは強いけれど、右手の視界のはてが、まっすぐな水平線なので、こもってくる暑さをかんじない。自分達が走っていくことで風の一部分になっている気がする。道も平坦で気持ちいい! 五十分ほど走り続けて、ポケットパーク根木、で休憩した。お土産屋さんも兼ねているところだが、看板犬として、もも、という名前のレトリバーがいた。 私は犬も猫も大好きで、不登校になった初めの頃、池袋のサンシャインシティーにあった“わんにゃん広場”によく連れていってもらった。犬種もたくさんいて、いろんな犬と仲良くなれたけれど、レトリバーはいなくて残念だった。 ももはおとなしくて、体を撫でると、柔らかくてきれいな茶色い毛がひんやりしていて気持ちよかった。寝そべったまま顔だけあげて、少し潤んだ目で私を見ている。おとうさんは、ももをひと撫でしてからお店のおばさんと話しだした。 ももの体を撫でていると、私もしゃがんだまま眠くなってきてしまった。 「五分くらい走ればレストランがあるって」とおとうさんが言った。能登のむかしばなし、という本があったので買ってもらった。 ももは全然吠えなかったから、最後まで声は聞けなかったけれど、私達が自転車にまたがるところまで出てきてくれた。 おばさんは「がんばってね」と言ってくれたあと、「ももはもう、年寄りだから、あまり店の外まで出てこないんだけど、今日は特別みたい」と笑った。座っていたももはゆっくりと立ち上がって、ゆっくりとしっぽを振った。 「さようなら」と言ってペダルをこぎ始めた私に「よかったね」とおとうさんが言った。 海には真っ青な空の下、ぼら待ちやぐらが突き刺さっていた。少し前傾したやぐらの形が、姿勢を正して座っているももの姿と似ている気がした。 五分くらいで着くよ、と言われたレストランまでは、二十分くらいかかった。でも、もうわかっていた。車の人たちが悪気なく教えてくれる、“平らだよ”は“舗装されている”の意味で坂がないことじゃないし、所要時間のことも自転車でどのくらいかなんて、みんなわからないんだろう。 レストランで食べた海鮮丼は、ハッとするくらいおいしくて、すぐに食べ終わってしまった私を見て、おとうさんが「すごい食欲だな」と目を丸くしていた。 レストランを出て自転車にまたがるとき、おとうさんが「よ~し、がんばるぞ~」と声を出したので、私も思わず「オーッ!」と叫んでしまった。
2014年01月28日
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中島町に入った。舗装路で歩道もしっかりとしていたので、安全に走れる。しかし、上り坂はきつく、両脇は林で海も見えない。時折、公共施設が見えるくらいだ。お陽さまは容赦なく高く昇り、ジリジリとハンドルを握る腕を焦がしてきた。雲ひとつない。暑い! 能登島の中よりも傾斜は緩いけれど、ちがうのは、上り坂がずっと続いていることだ。平坦にも下りにもならない。腕時計を見るとディスプレイが真っ黒になっていて数字が読めない。壊れちゃったのかな? ようやく十字路が訪れて、道の駅で休む。時計が壊れたことを言うと、おとうさんのものも同じだった。100均のものだから強い光でだめになったのかな? おとうさんの携帯電話で時刻を見ると十二時だった。あの単調な道のりを一時間近く走ってきたんだ。 トイレの屋根近くにツバメの巣があって、親鳥がヒナたちにえさをあげていた。ヒナは三羽見えたけれど、親鳥は一回に一羽だけにえさを与えると飛びさって、また訪れた。今度は別のヒナがえさをもらえているかどうか、心配になった。そんな観察をしていた私をおとうさんは見つめていたようだ。 「ちゃりこの考えていること、わかるよ」と言って、やっぱりおとうさんは私が考えていたことをズバリ当てた。 「三才頃だったかな。動物にえさをあげられるようなところへ行くとね、ちゃりこは全部の動物に平等にえさをあげなくちゃって頑張ってたんだよ。カモにあげるときなんて池をぐる~って一周してね。それでも池の真ん中にいるカモさんにはまだあげてないんだって。お腹減ったらかわいそうだって。ちゃりこ、泣いちゃったんだよ」 恥ずかしいけど、なんとなく憶えている。 「みんなにあげなくちゃって思うんだろうね。歩けるようになったばかりの頃、ゼリーを食べてたちゃりこが、おいしかったんだろうね、スプーンに一口分載せて、おとうさんに食べさせようって持ってきてくれようとしたんだよ。でも、途中で転んで、こぼして、泣いちゃったんだ。うれしかったよ~。ちゃりこが親ツバメで、おとうさんがヒナみたいだったな」 おとうさんは本当にうれしそうに目を細めた。 休憩を終えて出発するときも、親鳥はまだ、行ったり来たりを繰り返していた。 国道249号線を行く。 のと鉄道の線路をまたぎ、左手に見る。右手はずっ~と海になった。車は少ないので車道を走るが、たまに後ろから車の音が聞こえてくると、おとうさんが 「車が来たぞ~気をつけろ」と大きな声をあげる。私の方が車に近いんだからわかってるのに、いちいち振り返って大声をだす。心配症だな…
2014年01月28日
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2008年8月5日 朝、起きると七時半だった。体がだるいかんじだ。おとうさんはもうテントの外にいた。草ぐさは朝露をまとっている。 「おはよう!」と朝からおとうさんは声が大きい。お尻が痛くないか、筋肉痛はないか、とか訊かれたけれど、全体がだるいかんじでよくわからない。 テント裏の“森”は朝、見てみると林に過ぎなかった。足を踏み入れてお散歩した。ひんやりとする。林を抜けると海沿いの高台。崖なので降りてはいけないけれど、潮の匂いが強い。少し曇っているので、海が黒く見える。 テントへ戻るとき 「ほら、こいつの上に飛び降りちゃったんだよ。暗くて見えなかったんだよ。こいつめ!」とおとうさんは大きな石を殴るふりをした。 暗くて見えないところへ飛び降りたりするなんて! どうして、そんなことするんだ、まったく! 「どうして真っ暗なところになんて飛び降りたのよ」と訊くと 「だって、はやくカレーを作ってやりたかったんだ」とおとうさん。 明るい道を回っていったって大して時間はかわらないのに… やれやれ。でもケガは大したことなさそうでよかった。 管理人のおじさんと奥さんに見送られてキャンプ場を後にする。おばさんはステッカーをくれて、おじさんは 「半島一周、頑張ってな」と言ってくれた。昨日の夕方の道のりを思い出して憂鬱にもなったけれど、どっちにしろ、もう走りだしてしまったんだ。引き返すわけにはいかない。雲が切れて青空が広がり始めた。サドルに座るとお尻は痛いが体のだるさはとれてきた。 昨日、島の南側から入ってきて、今日は北側から出ていくから違う道のりだ。アップダウンが半端じゃない。舗装が途切れて、ブロックタイヤが土煙をあげる。両脇を背丈を越えるほどの草が繁っている。空は真っ青に晴れ上がってきた。舗装路に戻ったと思ったら急な上り坂 閨観音でほんの少しの休憩。 アップダウンはまだきつい。 ようやくたどり着いたツインブリッジのと、を渡り始めるとき、 「能登島、さよなら」とおとうさんが、らしくない静かな声で言った。 「能登島、さよなら」と私も言った。 昨日、渡ってきた能登島大橋のときほど風をかんじなかったので、余裕を持って走ることができた。遠く海を眺めながら渡り終えると、後にしてきた能登島の起伏の激しい岩肌が見えた。あんな島を走ってきたのが信じられない気がする。 渡り切ったところの展望台で自転車を休ませ、螺旋階段を上る。能登島はさらに大きく見える。今、自分が立っている地と島に挟まれた海を、自転車で渡ってきたんだ。 広い。すごく広い。 「ヤッホー!」とおとうさんが叫んだ。すごく大きな声だったけれど、それでも海の上の空間にすぐに吸い込まれていってしまった。 「ヤッホー!」と私も叫んでみたけれど、私の声は橋のたもとにポチャンと落ちてしまったような気がした。 「ヤッホー!」とまた、おとうさんが叫んだ。島まで届かせようとしているのかもしれない。 「ヤッホー!」と私ももう一回、叫んでみた。一回目よりも大きな声が出て、おとうさんがうれしそうに笑った。 売店からおばさんが出てきて「あんなおっきな声は初めてきいたわ」と笑った。 半日も過ごしていない能登島を懐かしく、誇らしく感じている自分がいた。
2014年01月28日
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「だいじょうぶ~?」と訊いてみたが、しばらく声が返ってこない。 「…やばいかも…」 ようやく、おとうさんらしくない声が返ってきた。 斜面を下りていってみると、おとうさんはかがみこんで足をおさえていた。近づくと、爪先から血がたくさん出ている。 「どうしたの?」 びっくりして訊いてみると、おとうさんは隣にある大きな岩のような石を指差した。 「あの上に飛び降りちゃったんだ」 炊事棟からテントまで急いで飛び降りたとき、くぼみにあったこの岩が暗がりで見えなかったのだろう。真っ暗なところへ飛び降りていくなんて… なんてドジなんだろう。靴からサンダルに履き替えていたので、足の指は無防備だ。親指の爪が割れちゃったみたいだ。 「う~ん、血だけとまれば大丈夫だから、お米研いでて」なんてのんきなことを言いながら、管理人さんに電話をかけていた。 おじさんは薬を持ってきてくれた。おとうさんはニコニコしながらお礼を言っていたが、かなり痛そうだった。 「こんなことで大事な旅行を中止にするわけにはいかん」とか言いながら、薪をくべ続けて作り上げたカレーライスだったけれど、特に血の味とかはしなくて、とてもおいしかった。食べ始めるのが九時半になってしまったけれど、おかわりして、お腹いっぱいになった。 常設テントエリアの裏は“森”になっていた。そのあたりに宿泊していたのは私達だけだったので、薪が燃え尽きてしまうと、私達の話し声だけが澄んだ夜空の星々に届くくらいに響いていた。 おとうさんは私の今日の走りを褒めてくれたけど、明日からも走れるか、私は心配だった。そして、おとうさんのケガは大丈夫なんだろうか。裏の森も怖かった。 「オバケが怖いんだろう」と言われたから 「オバケなんていないよ」と答えた。 上手く言えないけれど、森か怖いんだ。足を踏み入れると、迷子になってぐるぐると回っているだけになって、出てこられなくなってしまうんじゃないか、という怖さだ。出口のないところをさまよっている自分を思い浮かべる怖さだ。 カンテラの灯りに寄ってきたカブトムシやカミキリムシにちょっかいを出していたおとうさんが飽きた頃、歯みがきを始めた。 「しまった! メガネ、忘れてきた!」 普段はコンタクトレンズで寝起きと寝る前にメガネにするおとうさん。今朝、氷見のキャンプ場の洗面所に置いてきてしまったらしい。どこまでドジなんだろう。忘れ物ないか、なんてよく私に言うくせに。まったく、どっちが子供かわかりゃしない… そんな騒動の中でも、疲れの上に眠気はかぶさってきて………… むにゃむにゃむにゃ… 参考文献・朝日新聞2009年4月14日・夕刊 DAYS欄 「不登校の娘と約束の旅」
2014年01月28日
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今日は能登島のキャンプ場に泊まるんだから、もうすぐだろう。でも、走り始めるとすぐに上り坂になった。すぐ下りになった。また上りになった。なんだ? この島は? 海が全く見えなくなったり、海沿いにいったりと、くねくねと道のりが曲がっている。もう、本当に体が重くなってきたけれど、おとうさんは平気なんだろうか? 途中にお店があって、カレーの食材を買った。「大丈夫」と答えたけれど、もう全然、大丈夫じゃない気がする。おとうさんは食材も背負って、背中に荷物が二つになった。すごいとは思う。でも、私はもう、走れなくなりそうだ。 また上りだ。おとうさんとの距離がはなれてくる。両脇が鬱蒼とした木々に囲まれて薄暗い。怖くなってきてしまった。 「おとうさ~ん」と大声で叫んだ。ちょっと涙声になってしまったような気がする。おとうさんは停まってくれた。 「待っているから、ゆっくりおいで」 ゆっくり、じゃないよ! 私、もう、走れないよ! おとうさんは大人だから大丈夫かもしれないけれど、朝からずっと走っているんだよ! そう思ったけど、疲れて声も出ない。それでも、足は動いた。ゆっくりこいで、追いついた。 「おとうさんもなるべくスピードを落として走っているつもりなんだけど、ごめんな」 滝へ寄り道したからかな。でも、あんなに楽しかった時間を否定するのはやめよう。 それから五分ほど走ったら、キャンプ場に着いた。 能登島家族村WEランドキャンプ場。敷地が広くて視界が一気に開けた。自転車を看板に立て掛けて、私は座り込んだ。遠く水平線に夕陽がちょうど沈み込むところだった。 「やった! 夕陽がきれいだよ。ごほうびだね」とおとうさんが笑ったけれど、私はそんなに喜べなかった。こんなのが毎日続いたら私には出来ない。 「ちゃりこががんばれると、おとうさんはうれしいよ」って言ってくれたけど… おでこまで真っ黒に日焼けした髪の短い管理人のおじさんが出てきて「おねえちゃん、頑張ったなあ」と言ってくれたけれど、そんな言葉も聞きあきたかんじで、どう答えていいかもわからない。 とても頑丈な常設テントに案内された。あ~あ、完全に陽がくれてしまった。七時半。 「約束だからカレーを作るけど、待ってられないなら、買ってきたのり巻きとか食べててもいいぞ」とおとうさんは言った。私はテントの中で横になったけれど、キャンプのときに飯盒でごはんを研ぐのはいつも私の役目だったので、すぐに外に出た。 おとうさんは炊事棟で火を起こしていた。私は草に覆われた斜面を上ってそこにいき、 「お米は私が研ぐね」と言った。 「そうか、ありがとう」とおとうさんは答えた。 折ってくべた薪がはぜる音が、静かな夜気の中でつぶやいているようだ。小さかった火がブロックの炉の中で少しずつ大きくなっていく。 野菜を切っていたおとうさんが 「テントの中にお鍋忘れてきちゃった」と言って、テントへ向かって暗い斜面を走って飛び降りていった。そんなに急がなくていいのに、と思っていたら 「いってぇ~!」と大きな声が聞こえてきた。シャリシャリと私が研いでいたお米の音は私の手とともにとまった。
2014年01月27日
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陽が少し西に傾きかけた頃、海沿いの道をはなれて内陸に入った。アップダウンも増えてきて、おとうさんが私の方を振り向く回数が増えた。 初めてのトンネルは段差のある歩道を走れたので安全だったけれど、トンネルに入る前におとうさんは何度も、“あぶないと思ったら一度とまれ”とか“トンネルの中は音が響くから車の音がすごく大きく聞こえるけど怖がるな”とか“ハンドルをふらつかせるな”とか、怖い顔をして言いつけた。 いくつかトンネルが続き、上り坂も増えた。ヒグラシの声は相変わらずだけれど、海はもう見えない。 前をいくおとうさんと距離がはなれることが多くなってきた。後ろを振り向きながら走ってくれるので、大きくはなれると停まって待ってくれる。私が追いつくと、背中のリュックからペットボトルのお茶を渡してくれる。 平坦な道になっても、その先に上り坂が見えていると、うんざりしてしまう。空はどっしりと太陽が支配している。 上り坂が見えてくると 「ちゃりこ、また、ヤツが来たぞお!」とおとうさんが叫んだ。上り坂が憎たらしいのはおとうさんも同じなんだなと思った。 「ヤツが来たぞお!」 「坂は初めからあるんでしょ。来たのは私達の方でしょ」と私が答えると 「おっ、まだ元気そうじゃないか」とおとうさんはうれしそうだった。 上り坂のたびに叫ぶおとうさん。でも私はだんだん反応できなくなってきた。キツい… ようやく街中に入った。しばらくすると、七尾マリンパークに着いた。海と再会。 四時だけれど、まだまだ陽射しは強い。 やっぱりお尻が痛い。イヤだな。 きれいな港だった。 青空の下、とても広い。大きな白い船が何隻が停まっていて、錨のモニュメントや七色のガラスのバーが短冊形の搭に埋め込まれてある。七尾だから七色なのかな?早口言葉みたいだ。 写真を撮ってくれたおにいさんはやっぱり私を励ましてくれた。うれしい。 もう出発してから八時間経つ。 「まだ長いよ」とおとうさんが言う。 「大丈夫」と私は答える。自転車旅行の話をされたとき“疲れたなんて絶対に言わない”って約束したのは私だし、滝へ寄り道したいと言ったのも自分だし、棚田の下り坂で素敵な気持ちになったのも自分なんだから。 六時頃、和倉温泉の街をすぎて、やがて能登島大橋に来た。 大きくて長い橋で、広い海が下に広がっている。横風が強くて、渡る前におとうさんはトンネルのときよりももっと強い口調で私に注意した。“どんなことがあってもハンドルをぐらつかせないこと”“風がもっと強くなったら途中で停まること” 渡っているあいだ、風はずっと強くて、体の周りに自分で膜を張るようなかんじで頑張ってみた。橋が高いところにあって、この下に広い空間があって、さらにそのはるか下に海があるというのが不思議だった。遠くから私達を見ると、空中を自転車で走っているように見えるかもしれない。 きっと、二分くらいだったのかな? でもすごく長い時間がかかったような気がする。 渡り終わった私達は駐車場の日陰でやすんだ。宅配便の運転手のおじさんに「がんばれえ」と言われた。 私達は能登島という島に来たんだ。
2014年01月27日
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楽しい気持ちを連れて、往きに上ってきた道を下っていく。下り坂でスピードが出ると、前を走るおとうさんは時々ペダルから放した両足を大きくまっすぐに横に広げて「気持ちい~い」と叫んで、私の方を振り返った。私はそのたびに「あぶないよ」と注意していたのだけれど、おとうさんがあまりにも楽しそうで、言うことを聞きそうもないので、諦めた。 下り続きですごくスピードが出る。ブロックタイヤはブーンと軽いうなり声をたて、私の両脇を風が音をたてて通りすぎていく。右手の棚田から稲の匂いが次から次へと押し寄せてくる。 おとうさんが言っていたことがある。写真とかビデオ、映像や声や音ってたくさん残せるけれど、匂いや手触りって残せないんだって。私が赤ちゃんのときのミルクっぽい匂いや、ちっちゃな手の感触っていうのは残しておけないんだって。録画や録音しても残せないんだって。心の中の大切なところにしか、しまっておくことはできないんだって。 だからきっと、私はこの稲の匂いって、大切なところにしまっておくことになるんだと思う。おとうさんが、赤ちゃんだった私の匂いや感触を、大切なところにいつまでもしまっておいてくれるのと同じように… ペダルから足は外さなかったけれど、私も下り坂のスピードにのって思い切って 「気持ちい~い」って大声で叫んでみた。 私の声は風の中に吸い込まれて、棚田の上に広がっていった。 海沿いの道に戻って少し行くと、七尾市、と標識があった。ここから石川県だ。右手は海と青空の絶景で、左手は切り立った斜面に林となっていて、ヒグラシの涼やかな声が響いてくる。まっすぐに伸びた木々のあいだを滑り抜けるように聞こえてくる。 「やったあ。ヒグラシだあ」とおとうさんが叫んだ。私もヒグラシは大好きだ。自転車で走りながら、青い空と海とヒグラシの声に囲まれているなんて最高だ。波の音も心地いい。 そろそろお腹が減ってきたけれど、国道沿いなのにレストランもコンビニもない。 ようやく、小さな個人商店のパン屋さんがあった。いくつか買ったパンをお店の外で食べていると、おばさんが私達の自転車を見て、「頑張ってね」と言ってくれた。いろんな人に励ましてもらえるのがうれしいし、力になるような気がする。 私はいつも、ありがとうございます、しか言えなくて、もっと上手く話せれば、励ましてくれる人も気分よくなるかもしれないのになあ、と思った。そう、おとうさんみたいにお調子者になれれば… でも、そうだ。私はゆっくり、追いかけていけばいいんだ。 おとうさんが食べかけのパンを落として叫んだ。…ドジだ…
2014年01月27日
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坂を上ると大境洞窟住居跡に着いた。少し休んで先に進む。海沿いの道へ戻ると、空はもう、真っ青に晴れ上がっていた。空の青と海の青の境目が遠くで溶け合っているようだ。 狭い路肩を走らなければならない区画がふえて、心配したおとうさんが何度も何度も私の方を振り向きながら走る。自分のほうが危ないんじゃないの、ってツッコミたくなる。自分のほうがドジなんだし。 100均ショップで買った私のピンク色の腕時計は十二時を差していた。自転車を停めたおとうさんが言った。 「今、十二時だろ」 一緒に買った色違いの青い腕時計、100均ショップを覗きこんで。 「海沿いを大きくはずれて寄り道になるけど、滝に行きたいか?」 滝! 「もちろん!」と答えた。滝での水遊びは小さい頃から大好きだった。 “寄り道したら何キロだよ”とか“余分にこれだけ時間がかかるよ”とか、おとうさんの言葉はほとんど右から左へすり抜けていった。 滝! 滝! 滝! 「はやく、いこっ!」と私が言うと「よしっ」と答えたおとうさんは左に折れて細い道へ入った。 なだらかな上り、やがて左手は一面の田んぼになった。青々とした稲が夏の空の下で密生して力を蓄えている。時折、風が吹くと、さわさわと柔らかい音をたてた。田んぼは緩やかに段をなしていた。奥に雑木の繁った丘陵。このむせるようなのは稲の匂いだろう。道は細いけれど、バス停の標識がところどころに置かれている。上り坂は緩くなったりきつくなったりするが、今のところ後輪のギアを6から3のあいだで操作すれば大丈夫だ。稲の緑、空の青。気持ちいい。ハンドルを握る私の腕に力が入り、汗が吹き出てくる。吸い込む空気が体の中を洗ってくれているようだ。 三十分ほど上って、さらに細い道へと右折する。“長寿ケ滝”と表示があって、自転車を停めた。二人で砂利道を歩いていく。すぐ横には軽やかな音をたてて川がは流れている。 「今の上り坂、きつかったか?」 「ううん、大丈夫」 違う。坂道はきつかったのかもしれないけど、棚田と夏の空と時折吹く風と… あの景色の中だったら、どこまででも上っていけそうな気がした。今は晴れ上がって見えないけれど、もし雲があったら、その上に乗れそうなくらい上っていけそうな気がした。私が小さい頃に描いた絵の中にいるような不思議な気持ちだ。 砂利道を川沿いに上ると、すぐに長寿ケ滝が現れた。流れの音が大きくなる。滝壺に入れそうだ。石に腰掛けて、二人でビーチサンダルに履き替える。 「あっ! ヘビがいるぞ」とおとうさん。一瞬、びっくりしたけれど、ヘビはカサコソとすぐに逃げてしまった。そう、ヘビのほうが人間をこわいんだ。だから堂々としていればいいんだ。 水の中に入った。ひんやりとして気持ちいい。滝の落差は八メートルくらいかな? 岩肌を滑ってくるかんじの柔らかくて優しい滝だ。滝壺が浅いから、どんどん近くまで寄っていける。飛沫がかかってきて最高だ。 「おとうさんも一人で自転車旅行したとき、寄り道して滝に来たよ。暑いし疲れてると、気持ちいいよなあ」 そうか、おとうさんも滝で足を冷やしたのか。私はきっと、ゆっくりと、それを追いかけているのかなあ… 「でも、ちゃりこは九歳で始めたんだから、すごいよ」と言って、おとうさんは手ですくった水を私にかけてきた。私もうれしくなって、たくさん水をかけ返した。そう、どうせすぐ、乾いちゃうんだ。枝に張り巡らされたクモの巣にも水がかかり、銀色に光っている。 「私、すっごく楽しくなってきた!」と思わず口からこぼれた。 おとうさんも、すごくうれしそうな顔をして、私にたくさん水をかけた。
2014年01月27日
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私達の行く手に、車を停めている人たちがいたので、おとうさんが話しかけて写真をとってもらうことにした。 大宮ナンバーの車に乗っていた大学生くらいの男の人たちで、私達が東京から来たことを話すと、「そうか、近くだね」と言われた。東京にいるときは大宮が近いと思ったことはなかったけれど、能登まで来ると、確かに大宮は近く感じる。不思議だ。たぶん、外国で会えば東京と能登は近く感じるのだろうし、近いとか遠いとか、大きいとか小さいとかって、そんなことにすぎないんだろうなって思えてくる。おとうさんがよく言う“いつできるようになるかなんて大した差はないんだよ”っていうのもわかるような気がする。たぶん、強いとか弱いとか、きれいとかきたないとか、すごいとかだめだ、とかも… 私達のバックに阿尾城跡の崖を入れてシャッターを押してくれてから、男の人たちは「頑張ってね、お嬢ちゃん」と言ってくれた。 雲が少しずつちぎれて流れていった。 小境海水浴場では水遊びをすることにした。ビーチサンダルを出して履き替える。二人とも半ズボンだから、膝くらいのところまで、海に入っていく。水はそれほど冷たくないけど、気持ちいい。 「わ~い。生き返るね」と言っておとうさんが水をかけてくる。 「わっ! ぬれちゃうじゃない!」 「大丈夫だよ。すぐ、乾いちゃうよ」 本当だ。空はいつの間にか青くなってきていた。暑くなりそうだ。 「よ~し」 私もおとうさんにいっぱい水をかけてやる。おとうさんは、うわああ、と言いながら逃げ回っているけれど、どちらかというと、逃げ回る自分が起こした飛沫でぬれちゃっているかんじだ。ドジだなあ。 ほんの十分くらいだったけれど、自転車をこいでいるあいだは同じ姿勢をしているし、靴を脱いだだけでも気持ちよかった。元気がたくさん湧いてきた。サドルに腰掛けるときには、Tシャツもズボンも、もう乾いていた。 リスタートしてしばらくいくと、上り坂。よし、ギアチェンジだ。ガチャ、ガチャ、ガチャ、ギギギギ… あれ? あれ? ペダルが回らない。固まっちゃったみたい。とまっちゃった。おとうさんの背中が行ってしまう。 「おとうさあん、たすけてえ~」 自分でもずいぶん大きな声が出たと思う。 「ん? どうしたあ?」 私の何倍もの声が返ってきた。 「動かなくなっちゃったよ」 走り始めたばかりなのに自転車が壊れたのならどうしよう。おとうさんはせっかく上った坂をすべり下りてきて、私の横に停まった。 「ああ、チェーンがはずれただけ。心配しない」 指を突っ込んだおとうさんがガチャガチャいわせると、すぐなおった。 「オッケー、行こう」 あっけなかった。 チェーンの油で真っ黒になった手で顔の汗を拭いたせいで、おとうさんのほっぺが黒くなって、私は笑った。 「あれだけ、大きな声を出せたのはいいぞ。何かあったら、あのくらいの声を出すこと。よしっ!」と言っておとうさんは私のほっぺを撫でた。 自分のほっぺも油で黒くなってしまうんじゃないかと思ったけれど、イヤな気はしなかった。 それもいいな、と思った。
2014年01月26日
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2008年8月4日 六時すぎに起きると雨はやんでいた。 夜中に目が覚めたときには、まだ大きな雨音がテントを叩いていたが、ひと安心だ。 曇り空の下、おとうさんと砂浜を散歩する。花火は跡形もないし、遠く見える街もほとんど眠っているかんじだ。波の音だけが休みなく押し寄せてくる。 「雨が上がってよかったね」と私が言うと、おとうさんは不満そうに 「う~ん。立山連峰の朝陽をちゃりこに見せてやりたかったのに~」と悔しがった。口をとがらせて子供みたいだ。お天気のことはしょうがないって自分が言ってたくせに。 朝食、おとうさんはコンタクトレンズを入れ、テントをたたんでおじさんに挨拶して出発だ。 曇り空の下、細かい雨粒が舞っているようだけれど、私もおとうさんみたいに楽観的になってみよう。そう、きっと、大丈夫さ。 朝日山貝塚、氷見市街を走り、川沿い、忍者ハットリくんのからくり時計。人が少なく、空が近くて広く感じる。 私はウェストポーチひとつで、こんな平坦な道のりだったらずっと走れそうな気がする。 港のフィッシャーマンズワーフ海鮮館でに寄って、立山連峰の朝陽のカードをもらった。カードからこぼれてきそうなほど、真っ赤な陽の写真だった。 「ほ~ら、残念だったろ」と言ってから、おとうさんは「でも花火がきれいだったからいいか」って。全然関係ないと思うんだけど… 比見之江大橋を渡り、海沿いの道を行く。 一時間ほど走ると、阿尾城跡、という標識が見えた。初めての上り坂。ギアチェンジ。 苔むした石の鳥居の横に自転車を停め、ペットボトルのお茶を受け取って飲んだ。石段を上り、城跡に少しお邪魔した。 リスタートするとき、 「初めての上り坂、大丈夫だったか」と訊かれたので「全然、大丈夫!」と答えた。 下って、また平坦な道をしばらく行くと、突然おとうさんが停まって、 「ほら、後ろを見てごらん」と言った。 振り向くと断崖の高い岬が海に突き出しているのが目に入った。 「あそこが阿尾城跡だよ」 「えっ!」と私は思わず大きな声を出してしまった。あんなに高いところだったのか、というのと、もうそんなに走ってきたの、というくらい遠くに見えたから。 自転車って、すごいのかもしれない。
2014年01月26日
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氷見駅前からすぐに直線道路に出る。左手には松林の奥に海が見える。夏空の下だけれどもう夕方近いし、快適だ。平坦な道のりで十分走ってキャンプ場に着くだけなのに、自転車旅行が本当に始まったんだなとワクワクする。ずっと平らだといいんだけどな。でも“海沿いを走るだけなら楽だ”って言ってたし。 「あっ! ここだ!」とおとうさん。 松田江キャンプ場。もう着いてしまった。 物足りないな、もっと走りたいな。テントをレンタルして張る予定だったけれど、管理人さんが見当たらない。おとうさんが他のお客さんに訊いてみると、 「ここの管理人さん、すぐ、どっか、いなくなっちゃうんですよね」と言っていた。 松林の中でくぐり抜けてくる波の音を聴いて心地よく休んでいると、やがて管理人さんがやってきた。 「やあ、自転車で旅行するんだって?」 よく日焼けした、白髪まじりの体の細いおじさんだった。 「近頃ではそんなことする親子も減ってきたね… 思ったより小さい子だな。何歳?」 何年生、って訊かれなくてよかった、と思いながら 「九歳です」と答えると 「そうか、半島を一周するのは大変だけど、すごいことだ。頑張ってな」と言ってくれた。 おじさんはレンタルのテントを出して、おとうさんと設営を始めた。私もできるようにしなくちゃいけないので、しっかり見ていた。今まで行ったキャンプでは簡単なドーム型テントや常設テントが多かったから、ポールを通したり、杭を打つ角度なんかをよく頭に入れた。 「今日は街でお祭りだから、行ってごらんよ」 テントが完成すると、おじさんが言った。 おとうさんと私は、カレーでも作ろうと思っていたけれど、自転車で市街へ、お祭りを見に行くことにした。 海に注ぐ川が何本か流れる市街。メインストリートは屋台のにぎわい。人出も多い。氷見うどんやどんど焼きを食べて、地元の人に少し話を聞くと、私達のキャンプ場からは、二ヶ所の花火大会が見える絶景ポイントだそうだ。 キャンプ場の、壊れそうなシャワー室から出ると暗くなっていて、テントに戻るとやがて爆弾のような音が響きだした。氷見の花火大会だ。 私とおとうさんは松林から砂浜に下りていく石段に腰掛け、夜空に大きく上がっては吸い込まれていく極彩色の模様を眺めた。音や震動に慣れてくると、むしろ、花火と花火のあいだに聞こえる静かな波の音のほうが心に響いてきた。 そのうち、右手にも、小さく花火が上がり始めた。こちらは富山市の花火大会だ。 大きな花火と小さな花火、合間に波の音。幸せな気分だ。自転車旅行はいいことがありそうだ、と思った。 九時前にテントに戻った瞬間に激しい雨がふりだした。それまで、雨の匂いも風の手触りも全く感じなかったのに。 「明日、大丈夫かなあ?」さっきまでいい予感がしていたのに。するとおとうさんは 「明日のことは明日考えればいいよ。天気や地形は変えられないんだから」と言った。 テントを叩く甲高い音はやまない。 日記を書いて、カンテラの灯りを消すと、すぐ、眠ってしまった…
2014年01月26日
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2008年8月3日 朝、三時半、もちろんまだ真っ暗。おとうさんがベランダの鉢植えにたっぷりの水をあげていた。 「おはよう」とおとうさんが言って「おはよう」と私が答えた。 「着替えててな」 「うん」 おとうさんは自転車を四階からおろすのにいったり来たり。 「いいよ、おりておいで」 二台を組み立てたおとうさんが私を呼ぶ。十分くらいでできるようになったみたいだ。進化してる。でも、汗びっしょり。 私は二十リットルのリュックを背負った。飯盒も入ってパンパンだ。ずっしりと重い。 おとうさんは六十リットルのリュックを背負った。すごい。 「いってきまあす」 誰もいない部屋に挨拶した。 自転車置き場で水銀灯に照らされて待っていたマウンテンバイクにまたがる。 「よし、ケガのないようにスタートだ」とおとうさん。 私も自分のマウンテンバイクに、よろしくね、とつぶやいた。そして、しんと静まった夏の夜気の中にうずくまったピンクのシティーサイクルにも、いってきます、とつぶやいた。 最寄りの駅まで十五分ほど走る。駅前でマウンテンバイクを解体して、輪行袋に詰め込んで改札をくぐる。エレベーターはないから、階段を下りて、上って、ホームへ。自転車は一台、約十五キロの重さ。おとうさんは右手で一台、左手で一台、フレームを掴んだまま、リュックを背負い、階段をおりて、上る。すごいけど、汗だくだく。 「ちゃりこが今、自転車を運ぶのは無理だ。行き帰りの自転車運びは全部おとうさんが責任を持つ。でも、現地で走り始めたら、どんなに辛くても自分の自転車には自分で責任を持つんだよ。故障したとき以外は」 これが、私とおとうさんの約束だった。 だから私は、今はおとうさんの汗を拭いてあげることくらいしかできないけれど、走り始めたら絶対に頑張ろうと思う。 青春18きっぷでゆっくり一日かけて行くので、目的地の富山県・氷見に着くのは夕方で、乗り換えは七回あるはずだ… 朝早かったから、眠ったり、お話ししたり、おにぎりを食べたり、本を読んだり… 乗り換えは階段しかない駅だったりエスカレーターが使えたり、向かいのホームの電車にスムーズに乗り継げたり… 最後の乗り継ぎ、高岡駅では階段しかなくて、もうおとうさんもヘトヘトだったみたいだけれど、ゆっくりとしたレトロな氷見線が海沿いを走っていくのがとても気持ちよかった。 午後三時四十分、終点の氷見駅に着いた。小さな駅だ。十一時間かかった。最果てまで来たような気がするけれど、ここがスタートなんだ。駅前で自転車を組み立てる。いよいよだ。少し西に傾いた陽はまだまだ強い。ブレーキが上手く入らないみたいでイライラしているおとうさんのおでこの汗を拭いてあげると、「ありがとう」と言葉だけ返ってきた。真剣だ。 「よし、できたぞ」 おとうさんのマウンテンバイクにはリアキャリアをつけて、六十リットルのリュックをくくりつける。私の背負ってきた二十リットルのリュックはおとうさんの背中に移る。私は身一つで自転車に専念させてもらう。 「今日のキャンプ場は十分も走れば着くはずだから、すぐだよ。行くぞ」 「おう!」 おう! なんていつもは言わないけれど、自然にそんな声が出た。 走り始めた。 参考文献・「サイクルスポーツ」2009年7月号 P.124 ライフスタイルバイク
2014年01月26日
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善福寺公園の中には資料館みたいなところがあって、そこで「泥の芸術展」というのをやっていた。好奇心旺盛なおとうさんがスタスタ入っていったのでついていくと、きれいな泥の作品がたくさん展示してあった。私はシンプルな泥だんご、が気に入ったんだけど、どれもツルツル、ピカピカでいろんな色をしていた。髭をはやした作者のおじさんとおとうさんはすぐに仲良くなって話していた。おじさんは自分の泥だんごをとてもうれしそうに紹介してくれた。聞いていて、こっちまでうれしくなった。おとうさんは私達がこれから自転車旅行をする話をした。知らない人に話してもしょうがないのに、と思っていたら「一度話したら、知らない人にでも、約束は約束だ」と言っていた。 十五分ほど走り、井の頭公園に着いた。電車で来たことはあったけれど、自転車で来れるとは。どこまでなら自転車で行けるんだろう。 夏の空にポッカリと雲が浮かんでいた。 園内は人が多く、露店、アクセサリーも並んでいる。トランペットの練習の音が聞こえる。いろんな人がいて、それぞれ自分のエリアを築いているんだな、と思う。池には白鳥ボート、手こぎボート、鴨の群れ。 自転車はベンチで留守番。お散歩だ。 芝生広場を横切ると、自転車に乗ったおじさんが「あぶないぞ」と言いながら過ぎていった。シートを敷いて横になっている人も多いのにこんなところを自転車で走るほうが悪いんじゃないかと思っていたら、やっぱりおとうさんが 「お前のほうがあぶないだろ、降りろ」と言った。おじさんはそのまま行ってしまったが、誰とでも仲良くなるくせに、誰とでも喧嘩するおとうさん。子供みたいだ。 芝生広場だからよちよち歩きの赤ちゃんもいるし、お弁当を食べている人もいる。そんなところでもテニスボールを空高く打ち上げている人もいる。 他人のエリアを侵害する人ってイヤだなって思う。私にはきっと、“侵害しないでください”って伝える力がおとうさんみたいに備わっていないのかもしれない。 公園内に動物園があって、リス園という別のスペースもあった。ちっちゃなリスたちが私達の足元を走り回り、実をかじっていたり… 踏んづけちゃったらどうしよう、と思っていたけど、もちろんそんな心配は必要なくて、リスたちの動きに囲まれてウキウキした気分にかわっていった。 おとうさんはいたずら者だから、リスを捕まえようとあっちへこっちへフラフラしていた。 たくさん遊んで家に帰ると五時になっていた。疲れもお尻の痛みもなかった。 「旅行中は今日の倍くらい、毎日走るぞ」とおとうさんはおどかしたけど、私は「大丈夫だよ」と答えた。 リスたちも元気だったし、私は私のエリアで頑張ろう、そんな気持ちになっていた。 夜は盆踊りに行って、二人で少年八木節やオバQ音頭を踊りまくった。 プール、スイカ、花火、盆踊り… 夏本番に入っていった 新しい自転車にも慣れていった。
2014年01月25日
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新しい自転車が来て二日後に初乗りをした。井の頭公園まで往復三十五キロほどの道のりだ。 朝、おとうさんがガタガタと、分解収納されていた自転車を四階から一階までおろした。二往復して二台をおろす頃にはおとうさんは汗びっしょりになっていた。 そして組み立て。フレームの両脇に固定された両輪をはずして装着、Vブレーキをはめる、後ろの荷台をつける。おおまかに言うとそれだけだが、まだ慣れていないので、おとうさんはさらに汗だくで、水をかけられた猫のようになっていた。 私には、運んだり組み立てたりは無理だけど、車体を支えたり、ネジや工具を渡したり、汗を拭いてあげたり、できることはしてあげなくちゃ、と思った。だって、私のためにこの旅行を計画してくれたんだってことは、わかっているから… 「あれ、ブレーキが上手く入らないぞ」 「これじゃ、タイヤが動かないな」 ブツブツ言いながらのおとうさんが二台を組み立てるのに、三十分くらいかかった。 さあ、初乗り。ハンドルが硬い。サドルも硬い。 「走りながらギアチェンジしてごらん」と言われて、ハンドルのグリップをひねってみた。何回かやっているうちに上手くいった。 「ハンドル見つめてちゃだめだよ。前を見ながらだよ」 スピードを落として私の横に並んだおとうさんが言った。 変速するたびにペダルが重くなったり軽くなったりするのが不思議だった。 「気をつけて車道を走ろう」と言われて、おとうさんの走る軌道を追いかけた。スピードを出すと、ブーンという軽い音が自転車から発しているような気がした。シティーサイクルにはなかった感覚だ。 一時間ほど走って小さな公園で休憩した。自転車から降りるときに、シティーサイクルと違ってサドルの前にフレームがあるのでそこに足を引っかけて転びそうになってしまった……のは私でなくて、おとうさんの方だった。ホントにドジなんだから… 平坦な道のりだけど、手のひらにハンドルのギザギザ跡がついて少し痛い。それを見せると、「お尻の皮だってむけるかもよ」って言われた。ゲゲッ、ぞっとする。 その後坂道でギアチェンジをためして、善福寺公園に着いた。水鳥が浮かんでいる池の周りの柵に自転車を立て掛けた。二台のマウンテンバイクが並んでいるとちょっとかっこいいな、と思った。 おとうさんの青い自転車は二十六インチ。私の白い自転車は二十四インチ。ゴツゴツした太いブロックタイヤ。がっしりしたフレーム。家の自転車置き場に置き去りにされたピンクのシティーサイクルを思い出して少し申し訳ない気持ちにもなったけれど、でも、私は、このマウンテンバイクで頑張るんだ、能登半島を一周するんだ、という気持ちになってきた。
2014年01月25日
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その後もシティーサイクルで試走した。 家では能登半島のガイドブックや自転車のカタログを眺めた。 「ねえ、おとうさん、私と自転車旅行に行きたい?」と訊いてみた。 「もちろんだよ」と答が返ってきた。 ピンクのシティーサイクルには悪いけれど、新しい自転車に乗って夏の海沿いの道をおとうさんと一緒に走る自分を想像してみた。 きっとやれる、と思えるようになってきた。 区営プールが始まって三日目の夜、自転車屋さんが新しいマウンテンバイクを二台、届けてくれた。 マンション一階の自転車置き場に並べられた新車は今までのシティーサイクルより、すごく大きくて強そうに見えた。水銀灯のあかりをうけてピカピカに光っている。 おとうさんもうれしそうに、おじさんから説明を受けている。“クイックレバー”という言葉がおじさんの口から飛び出して、カチッと音をたてて車輪がはずれた。魔法のようだった。自転車の分解を教わっているおとうさんは生徒みたいだ。 おとうさんの青い自転車が何回か分解され組み立てられ、私の白い自転車が何回か分解され組み立てられた。 「お嬢ちゃん、何年生?」と訊かれた。 「あっ… 私… 四年生です… 学校、行ってないんですけど…」 四年生って答えて学校へ行っていないことを話さないと、自分がずるいことをしているような気がしてしまう。“何歳?”って訊いてくれればいいのに。 「へぇ、そう、おとうさん、学校、行かせてないの?」おじさんは今度はおとうさんに話しかけた。 「大丈夫ですよ」とだけ、おとうさんは静かに答えた。 どうして“学校へ行かせてない”なんて言うんだろう。私が、行っていないのに。 私は今までに体験したいろんなイヤなことを思い出してしまった。…… 児童相談所や警察の人が家に押し掛けてきたこと。先生が嘘をついていじめがなかったことにされたこと。私が嘘つきにされたこと。近所のおばさんたちの悪口。公園で体育をしていると「今日は学校はどうしたの」って訊かれること… みんな自分の信じたいようにしか信じようとしないし、自分の都合のいいようにしか信じようとしないんだ… 「大丈夫です」と私も答えた。 新しいマウンテンバイクの太いブロックタイヤは、まるで戦車のキャタピラーのように強そうだった。 私は、自転車置き場のすみにうずくまったピンクのシティーサイクルに「ごめんね」とつぶやいて、その優しくひび割れたタイヤをさわった。
2014年01月25日
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「ぱぱす坂って覚えてるか?」 「うん」 小さい頃住んでいたマンションから薬局へと上っていく坂。補助輪つき自転車で私が上っていくと、途中ですぐ動かなくなってしまった。 「やっぱりここまでだあ」と私が言うと、おとうさんは自転車をかついで上っていってくれた。いつも同じところまでだった。 でも“ここまでだあ”をいつかは越えなくちゃいけないんだ。たぶんおとうさんは「いつ越えられるようになるかなんて大差ないんだよ」って言うだろうけど。 上野に近づくと坂が増える。五十分ほど走ると不忍池に着いた。 「少し、休もうか」 私はもっと走りたかったけど、ベンチに座って水筒の麦茶を飲んだ。空が夏色に晴れ上がっているのに気がついた。浮かんでいる雲も、ふわりとした優しい夏の雲にかわっていた。池いっぱいに蓮の葉が広がっている。 「ちゃりこが二歳くらいだったかな、上野動物園にきたとき、入口の前で『おとうさんと動物園だ、わ~い、わ~い』っておっきな声で飛びはねててね、周りの人たちがニコニコしながら見てたよ」 おとうさんは私の小さい頃の話をするときはいつも目を細めながらゆっくりと話す。 「よし、今日も上野動物園に行くか、って言ったときにね、『ねえ、おとうさん、いつも上の動物園ばかりだけど、下の動物園には行かないの?』ってちゃりこに訊かれたことがあったよ」 私はゲラゲラ笑って、おとうさんはニコニコしていた。 「ちっちゃい子っておかしいよね。おとうさんも大笑いした?」 「笑わないよ。だってすごいことじゃないか。上があるんだから、下はどうなんだろうって、言葉を覚え始めた子供が一生懸命考えて訊いてきたんだよ。笑ったりしないよ。すごいね、って言ってから、上野っていうのは街の名前なんだよ、って教えた」 「そっかあ」 小さな私にゆっくり丁寧に話しているおとうさんを思い浮かべてみた。今よりちょっと若いかな。 池に浮かんだ大きな葉のあいだにいくつかの花が開いている。薄桃色の花は開くときに小さく、ポンッと音をたてるらしい。 「よし、行こうか」 「うん」 雲は全て消えて、一面の青空が広がっていた。 やがて川の匂い、雷門。自転車を停めて境内へ入っていく。赤いっぱいのほおずき、涼やかな風鈴の音… たぶん、自転車で旅行するって特別なことじゃないんだ。“ここまでだあ”をちょっと伸ばすだけなんだ… 帰ると夕方だった。往復三十キロ弱。何とかなるのかな? ドームの横の上り坂みたいなのがずっと続くのかな? ギアチェンジはそんな坂も楽にしてくれるのかな? 走り終わった気だるい疲れとともに、新しく湧き出てくる疑問を抱きながら、私はくたびれたピンク色のシティーサイクルをしまった。 その二日後に西へ走った。落合川のほとりにジャーマンアイリスがたくさんさいていた。水遊びをした帰り、自転車の後ろから遠く雷の音が響いてきた。雨に降られる前に家に着いた。雨だけならいいけど、雷なんて鳴ったら怖いよ、と思った。 豆知識・東京東久留米市の落合川のほとりはとても楽しく遊べます。お花もきれい。
2014年01月25日
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ベランダの朝顔が今年初めて開いた朝、トーストを食べているとおとうさんが言った。 「今日は自転車で浅草まで行くぞ」 平日なのに、勉強はいいのかな、と思っていると 「遠足だよ、ほおずき市へ」 ほおずき市なら小さい頃に連れていってもらったことがある。たくさんの人、お店がいっぱい、風鈴の音… 「自転車で長く走ってみなくちゃ」 そうか、旅行の練習か。 「でも、今の自転車で行くの?」 今、乗っている自転車は二人とも普通のシティーサイクルだ。変速のついているような自転車じゃなくちゃ、旅行なんて行けないんじゃないか。 「今の自転車である程度走ってみて、ちゃりこが嫌なら、無理に自転車旅行をさせるつもりはないんだ。来年でもいいし」 そう言われて、私は頑張ろうと思った。 「大丈夫、疲れたとか、絶対言わないよ」おとうさんはニコニコしながら 「…別に…疲れたときは疲れたって言ってくれていいんだよ。ちゃりこは決めたことを守ろうとか、きちんとしようとしすぎるのかもしれないよ」と言った。 でも、私は決めた。疲れたなんて言わない。能登半島を一周するんだから。 曇り空の下、シティーサイクルでスタートした。ピンク色のくたびれた自転車。二年生になる直前、補助輪なしで乗れるようになってすぐ買ってもらった。二十二インチ。もう、ちょっと小さいけれど、やっぱり愛着がある。 東京北部の家を出て、幹線道路の歩道を走る。 「周りの人に危ない思いをさせない範囲でいつもより少し速く走ろう」 前を走るおとうさんが振り返って大きな声を出す。そんな大きな声でなくても聞こえるよってくらいの。 「わかったあ!」 でも、私も大きな声を出してみた。東京の街中を走るだけなのに、この先に自転車旅行があるのだと思うと特別なかんじがしてくる。 三十分ほど走ると小石川植物園へと降りていく播磨坂の横を過ぎた。このあたりまでなら、たまに来ている。 「うん、いつもより速く走れているよ。休むか?」 「休まない」 「はりきりすぎると続かないぞ」 「大丈夫」 富坂を下って東京ドームを右手に上り坂。湯島天神に行ったときは上りきれず、自転車を押していったところだ。ペダルが重くなる。「無理しなくていいぞ」おとうさんの大声。でも、こんな坂を上れないようじゃ自転車旅行なんて、きっとできない。 重い… 電動機つき自転車のおばさんがスイスイと私を追い抜いていく。 上りきった信号のところでおとうさんが停まって待っている。 もう少し…もう少し…左右に体が大きく揺れる…そして、追いついた。 「よし、すごいじゃないか。上れるようになったね」 おとうさんはうれしそうな顔をして私の頭の上にそっと手をおいた。 息が苦しいけどうれしい。上りきれたんだ。 豆知識・東京文京区の小石川植物園は桜や紅葉もきれいで、銀杏拾いをする人も多いけど、意外と知られていないのは、花梨の実。奥の林の中、秋、拾ってみよう。
2014年01月24日
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夏の旅行は毎年、楽しみにしている。去年は東北のあちこちをキャンプして回った。 「今年は自転車で旅行をしないか?」 おとうさんにそう言われたのは、梅雨明けを告げる大きな雷が遠のいていき、最後の激しい雨が暴れ倒して去っていった後の夕御飯のときだった。 「えっ?」 私はおかずの“とりっぴー”(鶏肉とピーマンの中華風炒め)をのみこんでから声をあげた。 「そろそろ、ちゃりこも大丈夫だと思うんだ。去年の夏も遠野を走ってみたし…」 去年の夏の一週間のキャンプ旅行中に、遠野の里をレンタルサイクルで走った。あの時はカッパ淵で水遊びをして、おとうさんが岩かなんかにズボンをひっかけて破いてしまった。「カッパに破られた」とふざけていたっけ。朝から夕方まで方々を走り回って、炎天下だったし上り坂もあって、ヘトヘトになったのを覚えている。 「あの時は三十キロくらい走ったんだけど… 毎日続けてもっと長く走る、サイクリング旅行をやってみないか」 おとうさんの顔は笑っているけれど、真剣なのが伝わってくる。 私にできるのかなあ。体力もないし、球技をやってもかけっこをやっても鉄棒をやっても、いつも同級生にも先生にも、ダメだダメだって言われてきた私に、そんなこと、できるんだろうか。自転車の補助輪がとれるのも遅くて、ずっとバカにされていて、一年生の終わり頃にやっと補助なしで乗れるようになった。そういえば、たくさん転んで練習しているときにも“いつ乗れるようになるかなんて大した差はないんだよ”っておとうさんは言ってたっけ。 「大丈夫。やってみればできるよ」 戸惑っていた私に、おとうさんはゆっくりと言った。 「平泳ぎだって、ちゃりこは結局、できるようになっただろ。ゆっくりとだけれど、いろんなことができるようになっていくんだ。競争したり、スピード出したりするわけじゃないんだし…」 競争じゃない。勝ち負けじゃない。 「そうだね。いつかやってみようって言ってたしね…」 一年生の頃、読んだ本を思い出した。男の子とおとうさんがサイクリング旅行する絵本。セミの声、山あいの村、夕立ち、宿がなくてバス停で寝たり… あんなかんじになるのかな? 「でも、どこへ行くの?」 「どこかを一周したいって考えたんだ。島か半島。伊豆や房総は行きつくしただろ。能登半島なんてどうかなって、少し、調べてあるんだ」 夕御飯を食べ終えたおとうさんは食器を台所まで運んでいき、戻ってきたときにはガイドブックを持ってきた。「ほら、食べ終わったら、見てごらん」 能登半島ってどこだっけな? と私は日本地図を思い浮かべてみたけれど、はっきりとはわからなかった。 ご飯を食べ終えてからガイドブックを見ると、東京からずいぶん離れているんだなあ、ということだけはわかった。 参考文献・「サイクリングやっほー」(絵本・講談社リトル)
2014年01月24日
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私はちゃりこ、四年生だ。 小学校に行かなくなって一年近い。だから、もうすぐ夏休みでも、普段とあまりかわらない。 いじめや嫌がらせのひどかった小学校へ無理して通っていたのが、弾けるように壊れてしまったのは、三年生の秋だった。初めのうちは、涙がこぼれてきても、ランドセルを背負った。玄関でしゃがみこんでしまったこともあるし、マンションの一階まで降りたけど戻ってきたこともある。通学路をおとうさんと一緒に歩いていったこともあった。でも、校門までたどり着くことはなかった。学校に近づくと、空気が濁ってきて、粘り気を帯びてくる。苦しくなって世界が灰色に見えてくる。 おとうさんは言った。「いやだけどいく、とか、いきたいけどいかない、というのはあるけど、いくけどいかない、というのはないんだよ。最終的には、いくか、いかないか、だ」 苦しかった。“いかない”を選ぶことさえ苦しかった。朝が来ると、毎日、選ばなくちゃならなかった。 “いかない”を選んだ私に、おとうさんは「わかった」とだけ言っていた。 それが、どれくらい続いただろう。おとうさんが家で勉強をみてくれるようになった。 「どうする?」「…いかない…」「わかった」 そして「学校に行かないとしても、だらしない生活をしちゃだめだ」と言われた。 登校していたときと同じ時刻に起き、朝食、歯みがき。行かない、という気持ちを確かめて、算数の勉強を始めた。漢字の練習、国語の音読、理科、社会。リコーダーをおとうさんと合奏し、家庭科の針仕事、水彩画、書道… 午前中の公園で体育もした。バスケットのゴールにシュート、長距離走、砂場で幅跳び、なわとび、バドミントン、おとうさんを馬にして跳び箱がわり… そんな生活を続けてきた。 暴力。“ぶっ殺す”“死ね”が平気で飛び交う教室。先生がシラッと嘘をつき、なかったことにする、そんな学校へは、もう、行きたくなかった。 私のしているような生活を、ホームスクーリングというのだそうだ。夏休みは公園での体育が区営プールへ行くことに変わる。 一年生のときの先生も二年生のときの先生も三年生のときの先生も「学校のプールに来ないと泳げるようにならないよ」と言った。私は自由参加の夏休み中の学校のプール指導には一度も行かなかった。一年生の夏にはもう学校は大嫌いだったから。そのかわり、毎年、区営プールには、おとうさんと20日くらい通った。一年生のときには、まだ顔を水につけるのも怖かったけれど、少しずつ練習して、三年生の夏に平泳ぎで25メートル泳げるようになった。泳ぎきったとき、おとうさんは私を抱き上げて喜んで、もう一回私をプールに投げ込んだ。今年はクロールでも25メートル泳ぎたい。 学校に通っているとき、泳げないことで、たくさんバカにされたけど、おとうさんは「いつ、泳げるようになるかなんて大した差はないんだよ」と言っていた。それから、「北島康介がもし、すっごい意地悪だったら、全然泳げなくても優しい人のが素敵だろ」とも言っていた。その通りだと思う。でも、優しさって外には見えないものだ。 とにかく、そろそろ今年も梅雨が明ける。 不登校の私でも、開放的な気持ちになってくる… 参考文献・「母の友」2010年6月号、“不登校というアイデンティティー”
2014年01月24日
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小学校でいじめにあい、不登校になった女の子、ちゃりこ。父とホームスクーリングで過ごしている。元々、おとなしく、引っ込み思案だが、三年生の秋に完全不登校になってからは、元気や自信を失う時期もあった。 一年過ぎた四年生の夏、父に提案されて自転車旅行に挑戦する。準備、試走の段階で不安と期待が入り交じる。 いよいよ東京から電車で自転車を運び、走る舞台は能登半島。真っ青な空、真っ青な海、ヒグラシの声に囲まれ、父娘で走り始めるが、楽な道のりばかりではない。急な上り坂ではペダルをこげなくなり、体よりも大きく感じられる自転車を押していく。前を走る父の背中が遠くなってしまったり、カーブ続きの山道では見えなくなったりもする。日が暮れてからの街灯もない道、疲れきってからのキャンプ場での飯盒での調理、父のケガ… 投げ出したくなるような中で、行く先々で出会った人たちからの励ましの言葉、温かさ、優しさ… そして絶景。 走り続けるなかで、ちゃりこの心も少しずつほぐれ、自信が芽生えていく。 富山県・氷見を出発し、一週間かけて金沢駅に到着したときには、ちゃりこの心の中に達成感と控え目ながらの自信が根付いていた。そして、能登半島の美しい自然と、現地で出会った人たちの温かさへの感謝、感動を胸に刻む。自転車の補助輪がとれるのが遅く、バカにされていたちゃりこが、起伏の激しい三百六十キロを走り抜き、ゆっくりとしっかりと自分のペースで歩んでいけばいいのだ、と父娘で確認するのだった。 昨今、酷いいじめで命を落としてしまう子供たちが多いなか、狭い学校から広い世界に出てみれば、人の親切、優しさが満ちあふれている場所が必ずあるはずだよ。ゆっくり、しっかり歩んでいけばいいんだよ、というメッセージを込めました。
2014年01月24日
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学校現場での悲惨な事件が続いている。 命を落としてまで、学校ごときにしがみつく必要があるのか? もちろん、答はノーだ。 人生のうちのほんのわずかな期間だけ関わるだけの学校に命まで奪われてはいけない。 物語を語ろうと思う。 いじめにあって、小学校を不登校のまま、卒業した女の子の話だ。ホームスクーリングで三年半を過ごし、父親手製の卒業証書を手にした。 彼女が毎年夏、自転車で旅をした話を語ろう。 学校ごときにしがみついて、これ以上、尊い命が奪われませんように。
2014年01月24日
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いじめ殺しなんかが起こると(殺しまでいかなくても)、加害者もまた被害者だ、などとほざく加害者擁護者がいる。 責任逃れしか考えていない教育関係者もそういった輩だ。 いじめ、暴力ばかりしているような児童生徒に対して何もしない、できないくせに、 「加害者もまた被害者だ」などとほざく。 加害者児童生徒がその生い立ちから虐待などを受けていたとして、百歩譲って、被害者だった時期があったとしても、 子供の世界でそのストレスなりを別の子供にぶつけているのであれば、その側面では明らかに、加害者でしかない。 いじめられている側にとって、いじめている側も被害者だなんて、教育関係者という最底辺のクズどもの言い訳にすぎない。 加害者もまた被害者だ… 禅問答のようなこういった言い回しで、頭の悪い奴らが自分達よりさらに頭の悪い奴らを騙し、我慢する子供にはいくらでも我慢をさせ、その理不尽な我慢の上にかろうじて虚構を成り立たせるふりをしている… それが「学校」 学校なんていらない。
2014年01月24日
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大津の極悪非道な中二いじめ殺し事件。 卑劣な隠蔽事項が後になってから次々と明るみに出てきたのは記憶に新しい。 虫の死骸を食べさせた、とか羅列するのも憚られるような内容だが… それでも、いちばんひどいのは、 担任教師が、いじめの現場を見て 「やりすぎんなよ」 と加害者たちに声をかけて通り過ぎていったことじゃないのか… こんなクズ教師でさえ、丁重に匿って、復職させてしまう、教育委員会、日教組… 大津市の市長の涙も、醜かったよね。 なにしろ、生徒が亡くなったときでなく、都合の悪いことが発覚してからの涙だから、何に涙していたのか… 大津市独自の 「いじめ対策推進室」 設置されたが、小中学生の八割は、その存在を知らないのだそうだ… 奴らの相手は世間の目。 奴らの大切なのは自分達の体裁と保身のみ。 法律や制度を新しくしても、教育関係者の卑劣さは、それらをいくらでもすり抜ける。 アホくさ。
2014年01月23日
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山形県天童市の中学生のいじめ自殺に関するアンケート調査で、全校532人の生徒のうち100人以上がいじめを知っていた、と回答したらしい。 いじめを知っていながら… という状況に関しては、私は『続き』や『シンプル方言』シリーズなどで、その集団心理の形成などにも言及しているので、ここでは触れないが、 問題は、天童市教育委員会の調査に対して、教師たちは一人もいじめを把握していなかった、と答えていることだ。 いじめ自殺、という言い方をしているが、こういう事件はいつもそうだが、実際には 『いじめ殺し』だ。 命が奪われるまでのものを、 「気づかなかった」 と教師たち。 言ったとおりだ。 これからの責任逃れの言い方のトレンドは 「いじめという認識はありませんでした」から 「いじめに気づけず残念だった」 に変わっていくだろうとの予測どおりだ。 法律なんて変えたって、 定義なんて変えたって、 卑劣な教育関係者たちは次から次へと、言い訳、マニュアルを変えて、のらりくらりと自分達の体裁、保身だけは優先するんだよ。 ただし、 「気づけません」なら、 無能か 嘘つきか どちらかなんだから、 どっちにしても、そんな教師たちは懲戒免職にせよ。
2014年01月22日
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いっぱしの理屈を並べている教育関係者のブログにコメントしてみた。 教師だって人間だから、未熟なところもあるはずだ…云々と書いてあったので… 私はこう書いてみた。 “「未熟」と「卑劣」は違うしね。 「寛容」と「放置」は違う。 「寛容」を求められるのはいつも被害者。 「寛容」を要求するのはいつも加害者。” とコメントしたら削除された。 虚言や隠蔽というのは、意図的なことだから、「未熟」でなくて「卑劣」なんだよね。 だから、教育関係者が卑劣なんだってことを教えて差し上げているんだが。 都合の悪いことには耳を貸さない。 削除。 さ~くじょ~ 尾木直樹のブログも、「学校なんていらない」って書き込むと、削除されるよ。 どっちにしろ、聴く耳なんて持とうとする気なんてないくせにね。
2014年01月21日
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自分達の都合の悪いことは、そもそものはじめから、なかったことにする。これが教育関係者のお得意の手口である。無理を通して道理を引っ込めさせる。それが通用しなくなったことだけ、渋々と公表するわけだ。例えば、児童、生徒が命を奪われたこと自体は、今の日本では隠しようがないので公表するが、もっともっと杜撰な警察、司法制度のもとならば、教育関係者なら、気に入らない子供が亡くなっても、遺体を校庭のウラにでも埋めてしまうのではないか、と思ってしまう。思われても仕方ないね。これだけ、虚言、揉み消し、隠蔽三昧なんだから…
2014年01月20日
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教育関係者が、自己正当化したり、自己を擁護する主張をしている稚拙なブラックブログもたまに覗いてみるんだけれど、むちゃくちゃな奴らが多いな。 実例をあげて説明してやっても、都合の悪いコメントは削除する。 まあ、教育関係者だから、仕方ないか… 私のほうも、そうすればいいか。 最近、見つけたのは 「学校で『共通財産』が育める」とか 学校イコールいじめ隠蔽機関、と描いたテレビドラマに関して稚拙な論説?を展開していて笑える。 こやつ、教育委員会勤務だったことを“売り”にしているよ。 探してみるといい。
2014年01月19日
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鹿児島の小学校で体罰教師が児童を骨折させる… 児童が勝手に転んで骨折した、と嘘をついていたらしい… それで、 減給数ヶ月でいいの…??? 小学生を骨折させて… 百歩譲って、 そうなってしまうこともあるかもしれないよな… 逆に、強行な指導が必要な児童、生徒だっているはずだから… でも、そういう生徒には教師って奴らは猫なで声しか出さないくせに… 問題は、 嘘ついて騙そうとしたことのほうが大きいんじゃないのか? 「勝手に学校に来させないだけ」なんていじめ隠蔽しておきながら嘘の噂流して、いやがらせをけしかけた管理職教師、板橋区にもいたよな。 都合が悪くなると、 虚言 隠蔽 だから、教師はみんな嘘つきだって、思われるんだよ。 虚言、隠蔽教師は一発懲戒免職でいいだろ。 ましてや、傷害事件だぞ… いじめなんかでも、子供の命や心を傷つけるような件で嘘をついたり隠蔽するようなのは、一発懲戒免職で十分だよ。 ただでさえ、普段から手厚く身分を守られているんだから。 クラスの子供が自殺したって、会見なんかには担任なんて絶対出てこないで、教育委員会様様におんぶにだっこ… 申し訳なかった、って自殺した教師って、聞いたことないな。 ホントにいい気なもんだ。
2014年01月18日
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桐生市の小学生のいじめ自殺の裁判から。 「軽微なものだった」 小学生の子供が自ら命を絶つようないじめが「軽微なもの」 なんだそうだ。 柳川市の生徒の自殺でも 市側が「全面的に争う」姿勢だそうだ。 すごい市だな。 いじめを受けた子供など、 命を絶った子供など、 そもそものはじめからなかったことにして、いなかったことにして、 おしまいにしたい… それが、加害者と教育関係者の思考だ。 そもそもこの世にいなかったことにしたい… 滝川ルネッサンス 葬式ごっこ・八年目の真実 命を奪われてからさえ、冒涜される、無視される…
2014年01月17日
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山形県天童市の中学生の飛び込み自殺は、やっぱりいじめられていたと書き置きがあったみたいだ。 学校が、アンケート調査をするんだって。 都合が悪いことを書かれたら、 書き換えさせるだけのくせに… ただの「アンケートはしました」ってアリバイ作りのためだろ。 学校は教育委員会に対して、アリバイを作るために。 教育委員会は文部科学省と世間様に対して、アリバイを作るために。 そして、板橋区教育委員会もよくほざいていたが 「そんな報告は受けていません」 そんな返答でいいと思っているんだよ。 教育関係者のバカどもは。 待てよ。 自分の部下が、自分にきちんと報告しないのは、自分の責任だろ。 自分が部下を躾られない、自分の無能さに責任があるんだろ。 それなのに、板橋区教育委員会は、よけ逆ギレしていたな。 学校がアンケートなんてとっても無意味だってことは、今までの歴史からわかりきっていること。 名古屋の小学校の女教師、児童が書いたもの、書き換えさせておいて、懲戒免職にも何もしていないだろ。 なんでもあり… 大暴れするガキに対して、猫なで声で 「〇〇く~ん、いけませんよ~」と言って通り過ぎれば、 指導! したことになるという、 世にも卑劣な世界だから… 大津の中学校のこと、考えてみな。 あれだけひどいいじめを日常的に受けていたのに、 その現場を見た担任が、 「やりすぎんなよ」 一言で通り過ぎちゃったんだよ。 で、無事、復職だそうだ。 死ぬな! 学校なんていらない。
2014年01月16日
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嘘つきや卑怯者ほど、主幹教諭や校長などの管理職になりやすいのは、なぜだ? ありえない… 実例を実名をあげていきたいくらいだ…
2014年01月15日
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先日の「死ぬな! 生きろ!」のメッセージに、 『学校や教師に殺されたらなんにもならないです』 とコメントをくれた人がいた。 学校被害者にならないと、そんな思いもわからないのだろうか。 大分の剣道部顧問による、熱中症殺し事件も不起訴になってしまった… 大阪のバスケ部顧問の体罰殺し事件も、執行猶予付きで、のうのうと一般社会で暮らしている… 学校という閉鎖空間… なんでもありなんだな… 矮小化するなよ。
2014年01月14日
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教師が唯一できるのにやらないこと。 「ボクの生徒がボクの生徒をいじめてますよ」 と正直に警察に通報すること。 無能なくせに、無能でないふりをするのが、悲劇の始まり。 そして、嘘八百を重ね、重ねて、隠蔽三昧。 教師に有能なことなど、誰も期待していない。 せめて、嘘をつくな。 「ボクの生徒がボクの生徒をいじめてますよ」 おまえらは、それだけでいい。 もはや、それくらいしか、できることなど、ない。
2014年01月13日
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入学前の学校説明会で学校が言うべきなのに言わないこと。 「私達、教師、学校は自分達に都合の悪いことが起こった有事の際には、いくらでも嘘をつきますし、いくらでも隠蔽をします。子供の命や心より、組織の体裁、保全のほうが大事なんだから、仕方ないじゃないですか。それでもよろしければ、入学していただけませんか」 こういうことを前もって言えれば、せめて詐欺ではなくなると思うんだが。 学校被害者を陥れるようなマニュアルを作るのは大得意なんだから、この入学前の説明会での言葉も、文部科学省公認のマニュアルにすればいいのにね。
2014年01月12日
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こういった発信をしていると、リアルタイムで学校や教師にいたぶられているご家庭に巡り会うことが多い。 どこの学校も教師も教育委員会も、ひどいものだ。 先日はこんなケースに出会った。 小学生で不登校。 無視、黙殺しているくせに… そろそろ年度末ということで… 「進級するには出席日数が足りなくなりますよ」と担任… こうやって、真実を知らない人間を騙して、クズのような学校制度は、虚構として、かろうじて存続してきたのである。 義務教育課程において、進級、卒業に必要な出席日数などというものは、 一切、存在しない。 進級、卒業できないなどと脅してくるような悪質な教師のことは、 脅迫でどんどん訴えていいはずだよ。 立場や権威をかさにきて、脅す。 しかも、法的根拠もない「進級、卒業に必要な出席日数」だと。 教育関係者って、ホントにたちが悪い… 高校以上に関しては別途、考察。
2014年01月11日
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新学期が始まって、 山形で中一、新幹線に飛び込み自殺 兵庫で中一、校舎から飛び降り自殺 長崎で中三、グランドで首吊り自殺 アンケート調査したって、書き直させたりするんだろ。 名古屋の教師、やってたよな。 そいつ、懲戒免職にもなっていないし、 書き換えさせ、ありなんだろ。 無意味だろ。 有識者って、識が有ったためしがないし 第三者委員会って、第三者だったためしがないし スクールカウンセラーって、スクールに都合のいいカウンセラーなだけだし 学校なんていらない 学校なんて棄てていいから 死ぬな! 生きろ!
2014年01月10日
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自分達の保身と体裁が全ての教育委員会ごときが、『はだしのゲン』の是非などを語ること自体が、チャンチャラおかしい。 教育委員会の二重行政廃止、いや教育委員会制度は全廃すべき。
2014年01月10日
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学校絶対視、学校神話、学校真理教… もはや、学校なんてカルトのようなものだ。 一生、学校に通う人間などいない。 それなのに、学校ごときにこだわって、命まで落としてしまう子供がいる。 娘にこんなことを言った教師がいた。 「いつまでも、おとうさんに頼っているんじゃないわよ」 小学生が親に頼るのを否定する? 自分達は何があっても教育委員会に守られて隠蔽してもらえるくせに? 何をやっても教育委員会に頼って、依存ばかりしているくせに? 学校絶対視、学校神話、学校真理教… 全ては依存からきている。 学校依存。 その依存は何のためだろう。 その他大勢と同じことをするため? その他大勢と迎合するため? その他大勢と同一化するため? その他大勢と悪事をはたらくため? 次の課程の学校のレベルの高いところに行くため? それは、また次の課程の学校のレベルの高いところに行くため? そしてそれは、名前の通った会社に就職するため? そのために、学校に依存するの? でもね、いちばん学校に依存しているのは、教師をはじめとした、教育関係者だよ。 塾も含めた教育産業も、全ては、どこの学校に入るか、という、 学校依存症なんだよ。 洗脳されてるよ。 学校がなくなっていちばん困るのは、実は、教育関係者なんだよ。 いつの間にか、教育イコール学校にされてきた。 違うよ。 学校は、制度であり、手段であり、選択肢でしかない。 ゴー・トゥ・スクール・オア・ダイ をなくす。 ゴー・トゥ・スクール の後は ノット・トゥ・ゴー・トゥ・スクール でいいはずだ。 学校に行くか、死ぬか、と迫られる子供たち… 行くか、の次にくる言葉は、 ただ、 行かないか、 のはずだよ。 ただ、それだけ。 学校なんて、 棄てりゃあいい。
2014年01月09日
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