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「名誉」と言う言葉は良くも悪くも武士道の中心にある。名誉があるから救われることは世の中の常であろう。しかしその為に失うものもあるのだ。また小さな名誉の為に大儀を見失うのも悲しいことだろう。
このあたりは孟子の「些細なことで怒るようでは君子に値しない。大儀の為に怒ってこそ正当な怒りである。」といったことばに集約されている。
一般的には「武士は喰わねど高楊枝」といっているが「何よりも金銭を惜しんでならない。富は知恵を妨げる」と言った考えは原題でも日本人の心の中に脈々と続いている。このことがある意味で経営学の進歩を妨げているのは間違った武士道の教えと言わざる負えないだろう。
この考えはまた武士道が己よりも公を重んじることに合い通じる考えではないだろうか。その為に己の家族の犠牲のもと会社や周りの人々のことを重んじるが如くの行いが良しとされる帰来が多々あるだろう。
しかしそう言った行為は例えば「考」と言う武士道でも大切な教えと相反する場合が多々あるのだ。己の一番近くに居る人たちを幸せに出来なくて、どうして回りの人々を幸せにできるのだろうか。
一族一体と言った前提で回りの人たちの個を尊ばないのは武士道の欠如するところではないだろうか。
話は少し横にそれたが「名誉」と言う言葉の為に間違った行動は多く行なわれてきた。簡単に言えば「切腹」の世界の話だろう。本当に名誉の為の自己選択に夜死はありえるのだろうか。
武士道は品格を大いに大切にしている。品格のある人間が「切腹」するのは本当に品格のある行為なのだろうか。
名誉があまりにも重んじられたお蔭でその他の大切な部分を切り捨ててはいないだろうか。そんな思いを起さずにはおれない思いが募る。
もしかすると「武士道」とはまだ完結されていない思想ないのではないだろうか。
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