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午前6時、私のマンションから台風の目が左から右にゆっくり通り過ぎていった。尼崎の方だと思っていたら、TVが西宮に上陸したもようです、と言っていた。8階のマンションから少しだけだが、青空が垣間見えた。強風だがそんなにものすごくはない。マンションの真上をすごいスピードで雲が通り過ぎている。今7時過ぎだが、もうまもなくすると快晴がおとずれるだろう。
2003年08月09日
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黒澤監督の「7人の侍」もすごかった。そして次に私の好きな監督は、山田洋二監督。彼の「トラさん」も好きだ。日本独特の味が画面に広がっている。そして「たそがれ・・・・」はすばらしかった。ビデオが半額なので、借りてきて見た。1人で見たので、帰ってきた妻に見ろと言ってまた一緒に見た。夕方次男が会社から帰ってきたので、見ろといったら彼は一人で見ていた。 3人そろって見ればよかったのに、3人がそれぞれひとちで見た。楽しみは1人で楽しむと一人分の楽しみだがみんなで一緒に楽しむと2倍にも3倍にもなる。 いい映画を一人で見ていると、なんだか寂しい。人は1人では生きていけないものなんだな。 1人で旅をする人もいるが、やはりいい友人と一緒に旅をしたい。そしていい場面を一緒に見たい。“たそがれ”感が一人でいると増すものだ。 それでも1人で旅をすることの方が多いが、自分の内に友を持っている人はまありいない、あなたは?
2003年08月07日
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広島の原爆は、58年の月日の間に23万人を殺した。こんな犠牲を出された国は世界の中で日本だけだ。その日本で主義主張をなくして国としての自覚を殺されたのはこの58年間で何人になるのだろう。 世界で平和の福音を語るにもっともふさわしい体験した国民であるにもかかわらず。 私は母の背中で大阪港区の町を焼夷弾の雨の中を逃げた。隣家の韓国人が運転手で逃れるところを知っていた。彼が町内の人たちに公園に逃げればいい、と大声でみんなに声をかけてくれた。 私は母の背中で防空壕へ隠れよう、と叫んだ。母は防空頭巾をまくりあげて、外を私に見せた。あたり一面火の海。電信柱は火柱になっている。真っ赤な光景に私は黙ってしまったと言う。防空壕に入っていた人々は、蒸し焼きになったと言う。 安治川の川べりの公園まで導いてくれた韓国の人の機転で私たちは助かった。朝鮮人と私たちは言っていた。家は丸焼け。その後、私たちは谷町4丁目に引っ越した。その隣の3丁目は、まるで今のホームレスの人たちのようなバラックの行列であった。そこに貧しい朝鮮人のおばさんがいた。その人に母は、毎日何かを与え世話をしていた。母はよく言った。「人はみんな同じだよ。」 その朝鮮人のおばさんは、よく私の家に来て話して帰って行った。名前も忘れたがみすぼらしいおばさんだったことだけは今も覚えている。 家の前は馬の糞がまだ落ちていた。小学校の前は坂道でベアリングを板につけて何度も何度もその坂を滑ったものだ。 毎日食べるものは、サツマイモ。それから麦めしになった。それから白い米が混ざるようになった。そして白い米だけになった。その白米のおいしさは今も脳裏に焼きついている。
2003年08月06日
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NZに着いて間もない頃、知り合ったばかりのトニーが電話をかけてきた。そのとき私は、マウントイーデンのTeacher Training Collegeの寮にいた。彼は電話の向こうで「Come for tea」と言う。そこでteaならお茶だと思った。たらふく寮の食事をしてから、彼の迎えにきた車に乗った。着いたところは、H家の夕食だった。 ニュージーランドでは、夕食のことをTeaという。DinnerもSupperも使わない。これは40年経った今も変わっていない。 およばれになっている身だから、げっぷを出しながら一生懸命食べた。おかわりは? (How about more?)私は、Very Nice!といいながらNO,thank you、と丁寧におことわりした、のを今でもうれしく覚えている。 それ以来、A cup of teaとTEAの区別を忘れずした。 腹いっぱい食べるのは、時には拷問に近いが贅沢な話です。 余談ですが、そのH家の奥さんは現在87歳、彼女が老人ホームに1人入られてからは、私は年に2度はその方に合う目的だけででもニュージーランドへ行くことにしている。その家族への恩だけは、一生死ぬまで私は忘れない。
2003年08月05日
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2か月ぶりに関空へ行った。NZからの友人夫婦を迎えに行ったのが6月。今回は見送りだ。 小学生の4人の女の子、中学生が女子二人、高校生男子二人、3人の大人の女性が手を振りながら北口ゲートから姿を消した。「いるかと泳ぐ」がメインの3週間、私も泳ぎに行きたい。冬でもウエットスーツを着て海に飛び込む、自然のイルカで水族館のイルカではないのだぞ! そう説明しながら「あぁ、私も行きたい!」 これは彼らの楽しみの一つ、カヤックホームステイをしながら、午前中は英語のレッスンを受ける。彼らは、貴重な体験をして8月26日関空の土を踏むだろう。 若い日に日本を外から眺めるための、きっかけになる3週間だ。彼らが大人になるとき、また大学生になるときどこか外国で日本をじっくり眺めることになるだろう。 「井の中の蛙、大海をしらず」こんな句が現実にならないように、また私は次の若者に声をかける。
2003年08月04日
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私の父親、母親はもうこの世にはいない。私が生れる前に親類を頼って、石川県から大阪に来た。 母の妹(義理の妹、弟のお嫁さん)が1人今も金沢にいる。8月のお盆の休みに77歳の長姉、と70歳の次姉と共に金沢に行く。この旅は心の旅であり先祖への旅。私の兄弟が生れる前の両親がまたその両親が住んでいたところへの旅である。 私の先祖は何を信じて生きていたのだろう。押水町、羽咋郡の役場に行っても、先祖の系図もなにも残っていない。お寺にあるらしいが一度も行っていない。今回行ってみよう。だが彼らの心の軌跡は何もない。浄土真宗だと聞いている。でもそれがどれほどの動機と真剣さがそこにあったのかは、誰も知らない。形式的な一般的なものならそんなもの私には関心がない。 彼らの心の軌跡を知る方法などもうない。彼らの一番喜ぶ生き方は、と問いながら自分の息子娘が生きていってほしい生き方を重ね合わせて考えると、一つの生き方すなわち旅の仕方が浮かび上がって来る。 その生き方の旅を私はしたいし、子孫にもしてほしい。心の旅は、毎日を心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして神と隣人を愛する旅のことだ。 先祖がどの宗教など、あまり考えることなどないと思う。それは、宗教の弊害をいやと言うほど体験したからそう思う。みせかけや形式や、意味の分からぬことばの羅列などその形だけで実のならぬ教えの風にふきとばされてきたから。 生きているのは外側だけで、実際は死んでいるような宗教の先祖の墓参りなど私には、Jもう関係ない、無意味だ。墓掃除をして先祖を尊ぶが、本当に尊ぶとは毎日の旅を神にも人にも喜ばれる生き方をすることではないか。 年に一度の先祖を尊ぶ行いなど、それにくらべればこどもの遊びのようなもの、これは言いすぎかな。 墓参りをしながら、兄弟がけんかをして仕事に実を入れず、夫婦の仲が悪いなら何の意味もない。 自分を愛するものを愛して何の良いところがある?そんなこと赤ちゃんでもしている。自分を憎むものに愛をほどこすことをすることは、宗教などから生れてこないし、先祖がそれをしていたらそれこそ墓参りの意味がある。果たして私の先祖はそれをやっていたろうか? 日本人の先祖がそれをやっていたらしい。秦氏の人々の信じていたものが見えてきた。だから、まだ望みが子孫の私たちにもあるように思えるのだが・・・・。
2003年08月02日
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秦、端、畑、畠、羽田、波田、八田、半田、波陀、これはみんな「ハタ」と読む。野や山をつけて変化して波多野、秦野、畑山、畠山、畑中、八幡、広畑、畑川、そして派生して服部、羽島、林、神保、宋、惟宗、田村、島津、長田、長蔵、辛嶋、小松、大蔵、依智(えち)、三林、小宅、本間、高尾、高橋、原、常、井手、赤染、長宗我部、(これは秦氏の謎、と十字架の国・日本から参考) この本の著者は、私の友人なんだが、私のことも載っているので、興味ある人はかって読んでみては? さて、秦氏とはどこの人か?その故郷は?中央アジアの「弓月」、日本語ではゆづきと読むが、中国語ではクンユエと読む所の人たちであった。シルクロードの北方ルート上だ。バルハシ湖の南、イリ川付近。現在のカザフスタンです。 早くからここはキリスト教国であった。中国の皇帝たちは周囲の民族を征服し、労役に駆り出した。難民も多く出た。弓月の人々も万里の長城の苦役に絶えられず東へ逃げ、朝鮮そして日本にやってきた。それを助けたのが日本の天皇であった。紀元前から紀元後にかけてその人々は、東の国をめざして旅をしたのである。 2万人に近い大集団の移民が、記されているが記されていない人たちも何回にもわたってボートピープルとしてやってきたであろう。 日本にとって、その技術や文明は魅力であったに違いない。秦氏にとっても日本の素晴らしい自然や豊かな水は別天地であったであろう。その当時の人口は全国で200万人くらいであったから、その影響力は、日本の中枢に入っていって日本を今の日本に至らしめるに十分であったにちがいない。 古代史には、秦氏一族は背の高い人々で衣服を清潔にし特別な言語や風習をもつ人々であったとあり、“王は馬に乗り、高い文化をもつ人々”とある。(三国史・魏志東夷伝3世紀)「衣服を清潔にし」というのは、特に古代東方キリスト教徒やユダヤ人などに見られる特徴である。 昔のヨーロッパ人や中国人は清潔にはほとんどちゅういをはらわなかった。風呂に入ることもなく衣服を洗うこともなかった。 ヨーロッパで香水が流行ったのは、風呂に入らず水で体を洗うこともしなかったからで今も汚い人は香水をよくつけるのかもしれない。(いやこれは、余談!?) これに反し、秦氏は清潔で風呂に入る。ユダヤ人も風呂に入る前に体を洗うし、風呂の中で石鹸の泡の中では洗わない。 トロイの遺跡発掘で有名なシュリーマン(1822~1890)は、世界一周の旅をして旅行記を書いた。「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」この特徴は、秦氏がもたらしたものだろう。 SARSが日本に影響をもたらさなかったのは、このためかもしれないと、思うがあながち的外れていないかも。 この特別な特徴を調べると調べるほど、秦氏が驚くべき多くのキリスト教的特長を見ることができる。日本を知るうえでこれは避けられない旅と思う。これからもここでこの旅をしていきたい。お楽しみあれ!
2003年08月01日
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そんな説を唱えている人がいることは知っていた、しかし本当にそんな人がいて実際に会うと面喰ってしまう。まじめに話されるのでどう受け答えしていいのかまた面喰らった。 まるで真剣に進化論を信じている人と合ったような感じだ。猿が私の父だと信じている人より、マシだが。これは付録(笑) 確かにこの二人の墓が日本にある。私は旅が好きなのと歴史上の人物が生きたところへ行って、その土地のもっている空気を吸いたいからで、その土地の人々と話したいから。そこで青森県のイエスの墓にも、石川県のモーセの墓にも行った。 その辺りにある伝説に触れたり、なぜそのようなものが存在するのかを調べたりするが、不思議な国だなぁとつくづく思う。 「日本の中のユダヤ文化」と言う本には、次のように書かれていた。 最初に古代イスラエル宗教があり、それを信じる古代イスラエル人が日本にやってきて、日本神道を作った。 のちに秦氏というイスラエル人キリスト教徒もやってきて日本神道をより発展させた。 これとまったく逆の考え方をする人々もいる。最初存在したのは日本神道であって、ユダヤ教やキリスト教はそれを模倣したにすぎない、という考え方である。輸出したのは日本神道のほうだ、と考える(逆同祖論)。 その考えを擁護するために、さまざまな偽書さえ作られた。どう見ても信じるに足りない変な事を書いている“○○聖書”なんてものも発刊されている。 さて、文明はどうなのだろう。歴史的にみれば古代イスラエル宗教の方が先である。モーセの時に確立されたとすれば、約3500年前。日本神道は、そんなに昔ではない。日本が最初とする、というなんでも日本という日本本位の考え方は、かえって真実を見えなくすると著者は言う。私も同感だ。 でも、火ないところに煙は立たないのだから、あながち無視して愚論と決めつけることはできないとも思う。それだけ、神道家の人たちも神道とユダヤ・キリスト教は似ていると認めているからなのだろう。 逆同祖論は神道家に多いし、実際お話もさせてもらったが彼らの聖書は、クリスチャンの方々よりよく読んでおられる跡が見受けられるほどだった。いたるところに傍線が引いてありすぐに引用されるその知識に舌をまいたことがある。その方は、イスラエル民族が日本にやってきて日本を作ったという正論の同祖論者であったが。 最近、修験者であった方と親しくしている。彼は、神道の内実を本当に自分のものとすることができたのは聖書を信じたときだった、と述懐された。毎年大峰山登り、滝に打たれ修行をしたが本質は変わらなかった。だがイスラエルが日本に来ているというこの類似点を知り日本のルーツを知って、私の内なるもののルーツがわかったとき、今までの修行も無駄ではなかった、と涙ながらに語られていたのが今も胸中に暖かい。 彼は、求めていたものを見つけて目が輝いている。彼の巡礼は、別の“道”を歩き始めている巡礼だ。 もうすぐまた彼に会うが、彼の輝いた顔を見ると私も輝けるようで何だが楽しい気持ちになる。
2003年07月31日
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今夏祭りがそこかしこで行われています。隣の茨住吉神社は今年も盛大でした。わが塾の中学3年生の成績優秀(5科目で420点)K君は今年も太鼓をたたいていた。その母もわが塾生であった。2代目なのだ。 神道の神輿もイスラエルの「契約の箱」の2代目だ。 リチャード・ギアはその契約の箱の前で踊っていた。腰をからげて彼は阿波踊りをしていた。馬に乗って「ハイドウ」と言う。日本人が製作したのかな?いや古代イスラエルを忠実に映し出していたのだとすると、日本の神輿は2代目になる。 担いでいる人たちのいでたちは、白い亜麻布。その着物の端には4つの房がついている。 リチャード・ギアの踊っている画面の背景は、エルサレム。その背景を日本に置きかえると十分違和感がない風景となりますね。日本人は何ものなんだ! シルクロードの西と東の端で、非常な親近感を持たせるこの神信仰からくるこの一致は、DNAのなせるわざでしょうか? 神輿はミコシと読む。ヘブル・アラム語では「ミコダシュ」と言う語は「聖所」という意味だが、それが訛ってミコシとなったのだろう。八坂神社神輿 昔、エドモンド・ロスチャイルドが日本にやってきたときミコシが運ばれてくる光景をみて絶句したと「日本に見るユダヤ文化」の本に書かれていた。 日本のある地域では神輿を担ぐ男たちは、7日間身を清めます。家族からも離れて共同生活をするのです。ちなみにこの風習は古代イスラエルと同じで彼らも身の清めの期間は7日間で「家族を離れて暮らさなければならない」と古代ユダヤの教典「ミシュナ」に書かれています。金拍で仕上げられた神輿は、キンキラキンで飾り付けがしてありその上には鳳凰という鳥が羽を広げていたり、京都の松尾大社のそれは、羽を広げている2羽の鳥のシンボルのようなものついています。「契約の箱」の上には天使ケルビムが羽を広げています。両方(イスラエルの契約の箱と神輿)の中には3種の神器が入っています。その名をアーク(船)と言うが伊勢神宮の遷宮の時に3種の神器を運ぶ箱を「御舟代」と言う。 日本人がかついでいるものは、知らないで拝んでいる神なのだ。その神には形がない。 これを知ることこそ現代に生きる日本人の心意気を発揮する唯一の道ではないかと今読んでいる本などから思う真夏の一日でした。
2003年07月30日
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6月に下鴨神社にニュージーランドの友人やアメリカからのユダヤ人をお連れした時に、神社の奥に右に獅子と左に1角獣があった。 そのときに他の神社にも同じようにユニコーン(1角獣)が左にあるのが目に付いていた。 久保有政氏の「日本の中のユダヤ文化」を読んでいるが、彼は他にも次のようなところにユニコーンがあると述べている。日本の皇居に古くから伝わっており明治時代以前は京都に皇居があったが、御所の清涼殿にある天皇の座の前には、獅子とユニコーンがあった。 昔天皇の冠にも、ユニコーンの図柄があった。私たちは右側を獅子、左側を狛犬と呼んでいる。平安時代は両者は明確に区別されていたが、今は混同されている。狛犬はユニコーンなのだ。このユニコーンは何のシンボルなのかと言うことだ。獅子はユダ族。ユニコーンはエフライムのシンボルなのだ。そうすると、これは歴史をひも解き始めると日本のアイデンティティーの神道と天皇とそのユニコーンとの関わりは何か非常に世界的視野の範疇に入ってきそうではないか、となる。 世界のベストセラー、聖書の世界がぐっと近づいてくる感じだ。アメリカからきた宣教師は、神道を偶像礼拝と言う。しかし、神社にはいかなる像の形もない。日本の人は、いったい何を拝んでいるのだろう。その何がおわすかわからずとも、ありがたやと拝んでいるお方を守るために獅子とユニコーンがいると神官は私に説明したから、それらは礼拝の対象ではない。 日本の神道信者は1億3千万人であるので、日本人は皆神道信者である。神道は布教もしないし説得も折伏もしない。ユダヤ教と同じというところも一考に価する。 本を読みながら今日は、礼拝の対象を考えてみた。詳細はページの日本人のルーツの「古都京都に見る秦氏の痕跡」の欄を参照されたし。
2003年07月29日
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「おじいちゃん日本のこと教えて」中条高徳氏著を読んだたら「おじいちゃん戦争のこと教えて」同者著を読みたくなって図書館で借りた。すると「日本の中のユダヤ文化」久保有政著を久保先生が発刊されたほやほやを献本してくださった。親しくしているので内容が2重に濃くわかる。これは簡潔明瞭。 本と読むときその著者と親しくあればあるほどその内容が理解できるのは、当然だし誤解もない。その点、「おじいちゃん・・・・」はその著者を知らないので内容の深さが図りかねないところが時々ある。なぜアサヒビールなのか?など。 図書館に頼んでいた「猿田彦と秦氏の謎」清川理一郎著が昨日やっと手に入った。この著者とも親しいので初老のおじさんよく書いていると感心して読んでいる。私の先祖?の秦氏の謎は私たち日本人の謎を解いてくれるかも。 それに今、天皇制に関するキリスト教徒からの見解を述べたものと、「教会がカルト化するとき」ウイリアム・ウッド著を読んでいる。天皇制うんぬんはどうしても納得いかない内容記述が多いので、著者を知るなら彼の意図ももっと分かるかもしれない、などと思いながら読んでいる。カルトうんぬんの著者はまれに見るバランスある人格の持ち主であり正しい教えの布教に尽力しておられるし、私も最近親しく意見を交わしているので、彼の意図がよく汲み取れるし優れた内容だ。 聖徳太子じゃないけれど、同時に5冊の本を読んでいるがそれぞれが私の鈍い頭に適度な刺激を与えてくれている。読書は、旅の方向付けを確かにしてくれる大きな道具のようだ。 読書はこの暑いときにそぐわないかもしれない。しかし旅(人生は旅)をしているとき読書を気候によって左右されることなどそんなのおもしろくない。でしょ?
2003年07月28日
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日曜日の私が楽しみにしている集会に若い女性がやってこられた。来年ニュージーランドに行く計画をしている。私の塾で働いてくれている若い女性Sさんにも来てもらったがそれは彼女が私が窓口になっているライフウエイ・カレッジへ2度も行った経験者だから。 それに35歳の男性は、いつも集会に来ているのだが彼は9ヶ月もそこにいた体験者。 経験者の話が、未知のところにいくには大変安心感を与えるものだ。 私が1963年にニュージーランドに行ったときにやはりマラソン選手の君原氏や登山家の佐藤テル氏に会いに行ってかの地の様子を伺ったことがある。今その方たちはどうしておられるのかな?時折うわさは聞くが、ぜひお会いしたいものだ。
2003年07月27日
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勉強はやはり朝やるものだ。塾は夕方から生徒がやってきて勉強するがこの夏休みは、朝からになった。 小学生も中学生も疲れていないのがいい。もちろん私も講師の先生も同じ。夜は勉強しないで、家族団らんがいい。 勉強するときは集中してやればそんなに長時間やらなくてもいいはずなのに、昼間やらないので夜までがんばるという悪い歯車回転をするパターンになっている。 日本の社会全体がそのようだ。それで能率が上がっているかといえばそうでもない。 時間をかければ、なんだかやった気がするという自己暗示の弊害を生徒に教えて30年。集中して文武両道をめざせといいながら、夜に勉強するようにと来させている変な塾長が私。
2003年07月26日
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今年の夏は去年より涼しい。でも隣の神社のせみが激しく泣いているのはやはり夏なのだ。 13年ぶりに先週北海道を旅したが、やはり涼しい。札幌の友人は、北海道では涼しいということばがない、と言う。寒いか暑いかです、と。 それも情緒がないが、2月に沖縄へ行ったとき友人が半そでで出迎えてくれたのは、おどろいた。 日本は南北に長い列島で四季にめぐまれて、キューバのように東西に長い島国ではないのは神様の恵みをたくさんいただいているように思う。
2003年07月24日
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ギャルが神輿かつぐのは反対!なぜ女性が神輿かつぐのか?神輿かつぐのは男性だ。男性が家庭で神輿かつぐことをやめてから日本はおかしくなった。 塾にこどもの教育で相談に来るのは、ほとんどお母さん。お父さんは仕事をしているだけで、神輿を担いでいない。 中国や韓国のこどもたちの親は、だいたい父親が塾にやってきて自分のこどもの進路相談をする。外国人の父親が神輿かついでいるのだ。 日本人が日本を忘れて、民族の誇りを失って世界に貢献できないで自分の首を絞めている。 今、中条高徳氏の「おじいちゃん 日本のことを教えて」と言う本を読んでいるが、日本再確認のために非常によい本だ。 日本の祭りは、原点に戻るべきだ。だれがギャル神輿など発案したのか、言い出した男の顔が見たい。まさか女性ではあるまい。
2003年07月23日
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香りがいい。どんな香水も足元にも及ばない。人間の作るものは人をある程度満足させるが、魂の奥には届かないということを思い知らされる。花の香りもその花びらの色と花弁の形。それが丘一面に咲き誇る姿を人が整理する人の働きもすごい! 文章も写真もその一部を知らせることができるが現物を見て触れて味わわなければ、やはり魂は満足しない。神様が創られたものを味わう人生の旅をこれからもしたい。
2003年07月22日
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斜里で集会は人の出会いと親交のあたたかさは12度の寒さを補ってあまりあった。その火・水・木は曇り小雨で太陽は隠れていたが・・・。そんなの問題にもならない。レンタカーで札幌まで行った。そして札幌では、快晴!ジンギスカンなべ(豊平区の月寒じんぎすかんクラブのオーナー夫婦の素晴らしさはラムの肉のようにうまい・新婚旅行はニュージーランドだったとのこと、それも20年も前)新鮮な寿司、ラベンダーのソフトクリーム、ふかしたジャガイモ、とうもろこし、39年ぶりにあった旧友とその妻は、私たち夫婦をどこかの王様のように歓待してくれた。 富良野のラベンダーは今が見ごろ、ポピーの赤、麦畑の金色に輝く太陽の下の緑のパッチワーク! 旭川の飛行場で手を振る夫婦に祝福あれ!土曜日18時半に離陸したJASは無事20時半に大阪伊丹空港に着陸。
2003年07月21日
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フランス人の友人から電話で「いつ来るんだったのか確認です」「18日の午前10時です」と私、再会が楽しみだ。1ヶ月まえ、那須のシンポジュームで初対面だったが電話の数回のやりとりで通じ合っている。彼の日本での28年間は、日本人なみの日本語と日本人的感覚に親しみやすい人柄はすばらしい。 39年ぶりに会う牧師は、私がニュージーランドから帰国したとき、神戸で親身なって孤独な私を助けてくれた。同じ歳だがお兄さんのような印象を抱いた思いを今でも覚えている。彼は39年ぶりに会うにもかかわらず私と家内を二日も札幌の家に泊めてくれる。 「斜里は寒いですよ。ストーブ入れています」「夜ですか」「いいえ、昼間の今、12時にです」「奥様には、カーデガン持ってきてくださいと伝えてください」この方の家で集まりを持ってくださることになっている。また新しい出会いがあるのが楽しみ。網走からも数人の人が来られるとのこと。 旅の出会いから、一緒に旅をする人が増えてくる。そんな楽しみが出会いから生れる。人生の旅は実にすばらしい! 寒さに気をつけて行ってきます。11時半、伊丹から飛行機に乗ります。2時間で女満別だ。(そこは寒かった、となるかな) (笑)
2003年07月14日
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家の近くのおいしいお好み焼き屋へ行った。家内と夕食だ。6時前であったが二人先客がいたがすぐ、私たちふたりになった。「7時ごろになると混むんでしょう?」と家内。「いやいやいつもひまです」と前で焼いてくれている女主人。私は一度食べたかった広島焼きで1300円。ボリュームたっぷり。家内は豚玉で700円。広島焼きは、もやしや野菜がたっぷり、山のようなお好み焼き。柔らかい生地が普通のお好み焼きと違う舌の感じでうまかった。 8時をまわった頃から、お腹が痛くなってきた。そして9時までに4回トイレに走った。広島焼きのどこがおかしかったのか。 調整剤を飲んで一晩ぐっすり眠った朝は快適だが、今日はあまり食べ過ぎないようにお腹をいたわろう。 明日から北海道へ行かなければならない。向こうでもうまいカニを食べたいから。
2003年07月13日
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「冬でも泳げるのですか?」ニュージーランドは冬ですが、北のベイオブアイランド「Bay of Isalandではウェットスーツを着てイルカと泳げるんです。」と答えるとそれじゃということで、ある学校の責任者の方と話がトントンと進んだ。私の友人のニュージーランドのスタッフは、二日で3週間のスケジュールを組んでくれた。イルカと泳ぐ。ホースライディング(乗馬4~5回)、森歩き、観光はもちろんロッククライミング、一日中でかけて何かを楽しむ日以外の時は、だいたい2週間くらいあるがその日の午前中は英語会話の勉強、そのほかゲームや現地の小学校での授業に参加など。 小学6年生が数人、と大人の人が5名ほど行くことになって、今それに相乗りする人を募集中。関空から8月4日に発って3週間、私はその予算を今検討中だが、29万円(飛行機賃込み)で高くないと思っているが、今もっと安くなる方法をわがスタッフと検討中である。 できるだけ安く、そして質の楽しいものであり、体験学習としての最高のものを提供するという彼らのポリシーを今回も思い知らされて心からこの仕事をしていることを誇りに思った。 10日間しか行けない大人の方々は、17~19万円くらいか、と今考えている。 私の友人たちにもメールで大人も子供も楽しめる企画にいかが?と誘いをかけているがまだ誰もその指にとまってくれない。 10人くらいの生徒(小学高学年、中学生)を行かしてあげてほしい。そのような体験が子どもたちの精神、思い、心にすばらしい暖かいものを養ってくれるかを知って、そこにお金をつぎ込んでほしいものだ。こどもの頭に知識を詰め込む前に、豊かな体験を今の子供たちにさせてほしいものだ。 塾をして30年、子どもの心が豊かになるときに成績が伸びることが分かっているからなおさらだ。 私が行きたい。息子が12歳のときなら行かしただろう。でも今は28歳と25才。28歳は今ニュージーランド、わが友人の経営しているTV局で働いている。別荘地の海岸の1等地で間借りして、豊かな生活を楽しんでいる。そこは、わがスタッフの友人たちが働いているところだ。心豊かな人たちと過ごす人生こそ最高の“旅”だ。 そういう豊かな心を育てるこの仕事をもっと発展させたい。 誰か一緒に働きませんか?もちろんボランティアですよ。
2003年07月11日
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日本航空に電話してニュージーランド便の値段を聞いた。大人16万円、12歳未満は12万円というコースを紹介された。小学6年生が4人いると言ったから。 そこで12歳は大人料金なんですか、と聞くと未満だからと言う。未満は11歳は分かりますが、12歳は?「小学生でもパスポートで12歳と判別した場合は、大人料金です」 地下鉄も風呂代も12歳は中人または大人料金だ。 体で判断するなら、中学生より小学6年生のほうが大きい生徒が私の塾でもざらにいるし今までもいた。 30年も小学生や中学生と毎日付き合っているが12歳というのは、心も体も著しく差がある歳だ。大人のような子供だし、幼稚園児のような12歳もいる。 学習能力の面を言えば、自分のことをちゃんと主張できる大人のような12歳は、おしなべて成績が良い。偏差値60以上の生徒は、大人らしい子供の方が多い。 中学3年生よりはるかに確かな判断をするし、考え方も沈着性も落ち着きもある。 この連中は中学3年生の数学を2分でとく。それも暗算で。中学3年生のクラスの角度の問題が黒板に書かれてあったのを二人の小学6年生が立ち止まって、すぐに答えを声に出して言ったのを見て、中学3年生たちは「あいつら何もんや」 この二人は、関西でもトップクラスの中学へ入っていったがそのような小学6年生は、はるかに中学生よりは大人である。生活態度、言葉づかい、ものごとへの真摯な態度、集中力、忍耐力、そして私のやっている日曜学校の常連。不思議な傾向は、日曜学校の常連はすべて100%トップ中学へ入学して、そこの学校ですべて学年の1割のトップ成績を修めているという事実は、私もその原因を把握しかねている。 人間は学業の成績では測れない不思議な生き物であると思う。自然界で生き残るのも、優れた能力がないと敵に食い殺される場合が多いかもしれないが、人間はそうでないだろう。 今回の少年は、成績優秀だと聞く。それで幼稚さが目立つとも新聞記事は書いてある。その幼稚さというのが私の頭の中で彼の成績と合致しない。 人間だけの世界の問題ではないような気がする。(このことを理解してくださる読者がいればたのもしいです。) また、少年法をどうのこうのということを議論はじめているが問題の矛先はそこではない。
2003年07月09日
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「そんなこと、試験当日にはしないよ。」のひと言が頭にきた。 社会の地図で南米のチリと書くところをその中学1年生は「チソ」と書いた。そこで私は、答案にバッテンをつけて“リ”と赤ペンで書き直した。「これ、チリや」と抗議する中学生。 塾対象の入試説明会で中学受験でも高校受験でも漢字の“はね”や汚い荒っぽい字は、よく注意して指導よろしくと言われる。言われなくても字というものは自分だけが読めていいわけではないから丁寧にちゃんと書くように日頃から指導しているつもりだ。試験当日に、日頃のくせがでてしまって自分では正しい答案を書いていると思い込んでいても間違って判断されることがある。それが小さな誤りであるかもしれないが日頃の生活態度の要因からくる悲劇(不合格)という結末を招く大きなミスになる。だから人生の道をそこで踏み外すことにもなりかねないのだ。 そのとき隣に座っている生徒が言ったのである。「試験のときは、私らちゃんと書くよ。」私はどなってしまった。机をたたいて怒鳴った。「日頃からちゃんと生活しろ!試験の日だけちゃんとするなどなんと言う態度か!」教室中が静まり返った。隣の教室も静かになった。 つづけて私は怒鳴った。「そしたら、私はここで心を込めて君たちを教えているのは意味ないのか!」「そんな生徒はここへ習いに来るな。やめちまえ!」私は、本当にそんな生徒を教えているのか。勉強以前の心構えを教えていると自負している私の前にそんな生徒がいる。彼らのような生徒は今までもいた。だから、日頃の態度が大切であって、試験日だけが君たちに重大な日ではないと言ってきたが、何にも彼らに入っていないのなら、私は何のために何を教えてきたのだろう、と自分のほぉをたたく思いで机をたたいていた。 怒れば怒るほど、私がどうして怒っているか、分かってくれると信じて怒っていた。これが教育だと思いながら、怒り心頭に達していた。 しかし、いつ怒っても後味の悪いものだ。砂を噛む思いとはこのとこだ。怒鳴られている生徒は、黙ってペンをその後走らせていたが怒られているのは、その生徒ではなくその生徒の心構えであることをわかってくれているだろうか? 私の心の中で、「そんなに目を吊り上げて起こらずとも優しく諭せばいいじゃないか」「それで分かってくれなければ、仕方がないじゃないか」と言う。 優しくするに時があり、怒るに時がある。そう思っているうちに夜の9時がきて、中学生たちは、「先生、さようなら、ありがとうございました」と帰って行った。 わが塾には、教室に標語が掲げられている。1.あいさつをする2.うそはつかない3.ゴミは拾うこれを守らない生徒が成績上がらなくても当塾は責任をもちません。 ちなみに、わが塾は高校受験で30年間私学入試で落ちた生徒は誰もいない。 中学受験合格率97%。
2003年07月07日
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午後家族全員と中学生ふたり、そして1人の青年とでわがステーションワゴンに乗り込み、三重県上野西側、白樫インター近くのヤーコン畑に行く。 育っているわ、いるわ、それこそ緑の絨毯どころかまるで草むらだ。 前日の雨のせいで抜きやすい、それに曇りで炎天下はまぬがれた。絶好の雑草抜きひより。 よく育っているヤーコンもあれば、10センチくらいのもある。夏の日でりを受けてこれからドンドン育っていってくれる姿を見せてくれるだろう。 収穫のときに、これをごっそり盗まれたさくらんぼの農家の方たちの憤懣を少しは分かるような気がする。 「上着を取るものには、下着もやりなさい」こんな道理に合わないことを言う人の真意は誰も理解できないだろう。でもその収穫の究極を掌中に握っている方は、そのことばを実行した人への報いについても言及している。それを信じる者は、果たしてこの日本に何人いるのだろう。 そんな思いを抱いて、雑草抜きを楽しんだ。楽しみは苦労の苦味を砂糖の甘味に変えてくれる。 中学生は「また連れてって」と言う。土を触る喜びを失って、コンクリートの上を歩いて旅しているから、地球の柔らかさの感触さがあることさえ知らない私をも含めてみんなすばらしい体験をしているのだ。都会育ちの貧しい心の持ち主の日記でした。
2003年07月06日
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1192(いい国)造ったか鎌倉武士の源氏の頼朝から北条氏、足利の室町で絢爛豪華な時代を経て戦国時代、長篠の戦いで鉄砲で勝った織田信長、大阪城の豊臣秀吉から徳川時代に入った。 江戸幕府の仕組み(老中、若年寄、バカ殿の綱吉から名君吉宗の目安箱、療養所の設置、名奉行大岡越前の守、などなど教えた。マンツーマンの授業だ。 この生徒のお母さんから頼まれてみている。兄弟で習いに来てくれていた母親の紹介ではじめ断ったのだが「どうしても」ということで10年以上続けた中学受験生の面倒をまた今年の4月から見始めた。(結局1年間やめただけ) 間違い直しをやってくるようにと言って、余分な勉強はする必要ないと指導して、それを忠実に守っている小学6年生の男子だ。 1543年ポルトガルの鉄砲が入ってきて、6年後の1549年フランシスコザビエルがキリスト教をもってきた。(イゴヨクミカケルクリスチャン)それから50年たって徳川時代になって、日本は平和を享受する。世界史でもまれに見る平和な国260年間となった。明治維新にしても、ほとん無血革命なのである。 文化も栄えて、人々は世界一の大都市を建造する。江戸100万都市である。日本の素晴らしさを教えて、愛国者を私は造る。自分を愛さない人は、隣人を愛するすべを知らない。自分の国も愛さない人は、隣国を愛するすべも知らない。ましてや自分の国を知らないでどうして愛せるのか、歴史をしらずして、未来はない。 小学6年生は、江戸の町の様子を聞きながらびっくりしていた。 ノーベル賞ものの学者がそこかしこにいたし、芸術も超一流であったのだ。すばらしい日本!
2003年07月05日
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1週間前くらいから、電話をかけたい教育機関があった。忙しさにかまけてほったらかしにしていたが、別の教育機関(T私立中学高校)の入試説明会に今朝行くつもりであったのを取りやめたので、電話してみた。 「アメリカへの研修旅行が中止になりました。山火事が原因です。」その校長先生とは3年ほど前わざわざわが塾に来られた面識のある先生であった。私はそれを忘れていて電話したので、恐縮、恐縮で午後のアポを取ってすぐに訪問した。 「中止になったのを生徒たちは、ひどく残念がっていてニュージーランドに1週間から2週間、英語を体験しイルカと泳げるなんて、冬でもOKなんですか?」と矢継ぎ早に質問される。 メモをとられて、早速旅行プランを立てると言われた。冬でもイルカと泳げるの?(ウエットスーツ着てね)海岸で潮干狩りできる?(歩いて5分のところで1時間でバケツ1っぱい)8月の温度は?(7度から14度)乗馬は?(2回目でジョギィングで走れる)小学生は?(隣の小学校に聴講生として授業を受ける)付き添いの費用は同じ料金ですか?(生徒人数によって考慮)などなど、メモされてすぐに問い合わせると言う。 1本の電話がことをトントン拍子に運ぶとはこのことだ。日本を外から見る機会をもってもらうために、私はニュージーランドを紹介している。そのために、ニュージーランドの友人たちの教育機関が受け皿になってくれているのでたのもしいかぎり。この2ヶ月間で10軒ほどの教育期間の校長、理事長に会ってきたが、一つも煮詰まった話はない。 どこの組織も生き残りのために、独特のプログラムを考えているが、海外研修と言っても1週間2週間のホームステイ英語研修、そして留学プログラムをもっている。 しかし、危険なので乗馬はダメなどの話を聞くとなんだこれは、と開いた口がふさがらない。 そして、予算の高さに目をむいてしまう。4週間、3食つき、英語授業はもちろん宿泊つきで15万円しないというわが友人のカレッジを紹介しても検討中でなかなか電話がかかってこない。今に連絡してこられると思っているが・・・・。がしかし、今日の校長はやる気満々だった。小さな学校である。不登校児や問題児と言われる生徒を抱えて奮闘している学校である。生徒も未来を見つめてがんばっている。父兄もその学校の方針に賛成して送り込んでいる。そして海外での体験もさせている。 そのような生徒にわが友人のカレッジの先生やスタッフに会ってもらえるのは、そう遠いことでもなさそうだ。
2003年07月04日
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赤穂浪士に会いに行ったところ、隠れキリシタンに会った。弾圧が家光あたりから激しくなり、綱吉はひどいおふれをだす。8代将軍吉宗ころは少しゆるくなるが、檀家制度がキリシタンを締め出すようになった。そこで自分たちの信仰を子孫に残そうとして地蔵として地方の町、加西では背面十字を描くものや隠れたデザインとして地蔵に託したのが多くある。群馬県にも多くある。完全に十字架を描いているというのは、少ないがあるわ、あるわ。隠れ十字架シンボルがそこかしこの地蔵さんの中にあった。 指定文化財大日寺石仏 加西のある寺の地蔵背面十字 「墓紋の謎」吉田元著。副題に墓石に刻まれた文字のルーツをたどる、の本を図書館で借りて昨日今日で読破した。日本の歴史が机の上で考えられた学者の作った教科書がいかに薄っぺらもので、現地を歩いて取材し、キリシタンの何であるかを知っている専門家のお話やこの著書の中から聞いたり読んだりした私は深く感銘を受けた。また教えられた二日であった。 結論は何か?それは日本は確かに政治と結びついた仏教の勢力下のもと基督者と共に基督教は弾圧を受け、この日本から消えてしまったかのようだが、石が叫んでいるとあるように今の日本各地で石仏や石地蔵が叫んでいる。「私たちは仏教徒ではない、全知全能の神を信じていました」と。 キリシタン信仰はご法度であった。そして、弾圧されて迫害を受けたものは大変な数であったが、それにもれた人たちは無数にいたわけである。その人たちは、隠れて信仰を表そうとした。私たち子孫のために、お地蔵さんの中にである。石なら残る。 今、交通違反はご法度である。しかし守っている人などいない。みんなが捕らえられて罰金を払っているだろうか?その“ご法度”を犯しているにもかかわらず逃れている人のほうがはるかに多いのである。そのように、その当時の日本には隠れてうずもれていたキリシタンが無数にいたわけである。いのちをかけて残そうとした人たちが・・・・。未だにその子孫は無数にいるのだ。 自分の先祖がキリシタンであって、赤の他人様の机上の論理を真に受けて、偽りの情報のために「先祖に申し訳ない」と言う。クリスチャン信仰の素晴らしさをうすうす知っていてもその聖書の神様を信じない人がたくさんいるということ、これはもうどうしたらよいのか、私はその専門家の話を聞きながらいらだって仕方がなかった。 私の母は、私がクリスチャンになったとき先祖にもうしわけない、と言った。だが、私だけは他の兄弟姉妹とちがって心配をかけない息子になったと言って、「アーメン」(阿吽「あうん」の呼吸の原語)と祈りのことばの最後に唱えて息を引き取ったのが94歳。 彼女は先祖の信仰を見つけて、天国に行った。そして今、先祖に会って喜んでいる。 ちなみに私の先祖は、原始基督教徒(西暦90年には日本に来ていたであろう渡来人)であった秦氏であるそうだ。
2003年07月02日
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今日は朝から人と姫路駅で会います。それから赤穂浪士の墓に行きます。彼らを動かした最大の理由が墓に隠されている、と言う人に会います。その土地で育った彼らの武士道は、他の藩の武士とは違うものをもっていたのではないか? 日本人の心を熱く燃やして今も語る彼らの言動は今の日本に何を期待しているのだろう。 彼らが墓からよみがえって、今の日本を見るならばはたしてなんと言うだろう?墓に刻まれた“しるし”は何を語るのか、その研究に多くの時間を割いているご老人に会うのが楽しみだ。 すばらしい啓発の日となることを祈りつつ、もうすぐ玄関をでる。
2003年07月01日
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2003年も半年過ぎて振り返るとどんな時を過ごしたか切り目の良い時にやってきたことの大掃除をするとそれからの旅をもっと有意義に過ごせる。つまらんことに時間と金を使ったことはないか?実の実らない種を蒔いたことはないか?実らしたものを枯らしたことはないか?泣いている人を慰めたことは?疲れている人に休み場を与えたか?がんばった人をほめたことは?苦しんでいる人に励ましを?悩んでいる人に「信じなさい」と言ったことは?若者に高尚な志を持て!と叫んで老人に夢をもちましょう!と言ったことは?この6ヶ月間で何したか?なにをしなかったか?今年の後半年をすごしても実際生きていたと感じて充実感のある日数はたった7日間だったということなんてないように。 何もしなくても、また失敗したと思ってもそれを肥やしにして、進もうと思っているのだから自分で自分をほめてやろうじゃないか後何年生きるかわからないから無駄な旅をしないように心がけよう。 ふるさとながめて のぼりゆく日まで なぐさめあたえ よろこびをみたす
2003年06月30日
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土曜日朝、友人と二人で雑草抜いた。もう20センチ30センチがドンドン生えている。手当たり次第に抜くまくる。友人は、丁寧に小さなものは今に大きくなるのでそれも抜くと言って、二つのむねを完璧に抜いてしまった。100レーンはあるだろう。そのうちの二つはきれいになった。 大阪はどしゃ降りの雨、だが三重県の白樫はくもりで雨上がりの絶好の雑草抜き日より。長靴は泥がへばりつき、軍手は3つも取り替えた。2時間半の午前中の作業を終えて、急いで大阪にとって返したのが2時、5人ほどの塾生が机に向かって問題を解いていた。教室に作業姿の塾長を見て数人が「先生、次の時は私も連れてって」ものづくりがどんなにしんどいものか、食べものは、こうして作られていると言うことをこどもは知るべきなのだ。先日も1時間で音をあげてしまって、あとの2時間を遊んでいる中学生でも雑草を抜いて成長するヤーコンの収穫を11月、12月に見たときに何かを感じ取ってくれるんじゃないか、そんな思いを抱きつつ塾長の作業姿をあえて見せてそのままの姿で教室で赤ペンを握った。次回は7月6日の午後に出かける。雨上がりの曇りがいい。昨日の曇りでも汗が吹き出てきたから。それに半そでの腕は日焼けしていた。
2003年06月28日
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我が塾からの高3生が、学年2番の成績でがんばっているのが構内掲示板で張り出されていた。「塾長として誇り高い」と当人がやってきたとき肩をたたいた。 英語の授業で黒板をいっぱい使ってチョークの粉をものともせず声高に説明している男性先生に好感をもつ。隣の英語の女性先生は、男性徒ばかりの机の間を巡りながらこれも声たからかに英語の説明をしていた。先生は声が大きくなければいけないと思う。だがこの女性先生は、50分授業が終わるとくたくたになるんじゃないかな?そして生徒も・・・・・、とそんな懸念をいだいて次の教室へ。 ひとつ気になったことがある。中学、高校と20クラスほどの教室をのぞいて一つも笑い声がなかったということだった。たまたま私たちが巡っていた時間が、そうであったのかもしれない。 ユーモアというのは、ものごとをスムーズに流れさす血液中のポリフェノールのような働きをするものだから授業そのものの流れをスムーズにさせる。品の悪い冗談は、程度ものだろうが先生の生活態度の人格と品性が高い水準にあるならユーモアの題材がどんなものであれ、けっしてユーモアそのものが生徒を堕落させないし、すべてプラスに働く。ユーモアそのものが、いくら品がよくても先生の人格と生活態度が品のないものならこれは悪い木が悪い実を実らすだけで、すべてダメ。 生徒は決してアホじゃない。英語ができなくても数学が不得意でも、自分の心の態度や生活が悪いと知っていてもちゃんと先生の人格を見抜いている。 外側を一生懸命授業に打ち込んでいるように見せかけていても余裕のない証拠であるユーモアが出ない先生など血液がドロドロのため脳梗塞や心筋梗塞の症状が教室にでてしまうだけだろう。 ここでユーモアをひとつ:授業にポリフェノールを取り入れないなら、ワイン飲んで授業するか?これはブラックユーモア!笑えない人はユーモアわからん人だ。あんたが先生ならおもろない先生になるよ。これもブラックユーモア!?
2003年06月26日
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まずは写真を見てください。 青々としているのがすべて雑草だ!もうあきれるほどの雑草、雑草、雑草、そして雑草!ヤーコンはそのなかで遠慮して生えている。植えた覚えのない雑草がどうしてこんなにすくすく成長するのか、と尋ねている間にもう右手も左手も雑草に伸びて、手当たり次第に抜き始めた。やんでいた雨がはげしくなった。左手に傘を持ってしゃがんで抜いて抜いて抜きまくる。奈良県と三重県の境目の西名阪の白樫インターの近くは雨がよく降るところなのか、お百姓さんが「あんたは雨男や」という私のせいか。 人の世界でも両親も学校の先生も子どもにはよいことしか教えないはず、うそをつきなさいとか、泥棒しなさいとか、いじめをしなさいとか、人に迷惑かけなさいとかそんなことは植え付けないし教えもしないのにどうしてそんなことがはびこるのだろう。植え付けた正しいこと、人のためになること、愛すること、親切、善意、寛容、自制、などが遠慮しがちに生えているだけ。だからその悪を抜くのだ、という心意気で抜きまくった。雨の中を600坪にはびこる邪魔ものに立ち向かった。2時間は雨に打たれながら、そしてあとの1時間はやんでくれた中をひたすら抜きまくった。 その「悪」は抜かれやすかった。実は雨が降ってくれたからだ。根が柔らかい地面には弱かったのだ。少しの握力で雑草は抜かれていった。もし好天気で地面が硬くなっていたら、根こそぎできず葉っぱだけしかちぎれなかったかもしれない。 人の心の中の雑草も環境の悪い中こそ、根こそぎする絶好の機会なのかもしれない。心の雑草を根こそぎするためにまず自分の心に生えてくる雑草から処置して、そして他の人のこころの雑草に手を伸ばして行くなら人生で多くの収穫と得るんじゃないかと思う。 悪を心の中で処置するなら、新聞をにぎわしているすべての事件はなかったことになる。 憎んでいるならあなたは殺人したことになる。女を情欲の思いをもって見るならもうすでにあなたは姦淫したことになる。これだれが言われた至言か、だれもが知っているから。 心の雑草を抜くのをやめると、秋には収穫はない。人生の旅は雑草を抜くがごとく日々これ戦いなり。この戦いなくして人生の勝利なし!
2003年06月23日
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今日の午後ヤーコン畑に行く。おととい面倒をみてもらっているお百姓さんから電話があった。「雑草がものすごく生えてきました。」22日には抜くに行くことに決めていたので「ハイ、何人かを連れて行く予定にしています。」と応えて7人の出資者(一人は沖縄なので了承済み)に連絡を取り確認したら、そのうち3人都合が取れないとのこと。結局友人の社長さんと青年と私の3人になった。そこで塾生の中学生を狩り出すことにしたら、うれしいではないか、4人が名乗り出てくれた。3人の女子中学生と1人の男子小学生。そして25才の息子、と家内。家内はぎっくり腰の原因をこの前の雑草抜きでつくったのでおやつ配り行くことになった。 収穫のためにはせねばならないことがちゃんとある。収穫のためには汗を流す代わりに金を出す人、知恵を提供する人、他の人を変わりに送り込む人、それぞれがそれぞれの働きをすればいい。でも実際土をいじり、雑草を抜き、水をやる人が一番収穫の味を味わうのである。私は現場に出ないで収穫を半分だけ味わうような真似だけはしたくない。これは特権である。かわいそうなのは、雑草を抜きにいけない友人たちのほうだ。 今日の午後、我らが借りた600坪の土地の上を歩くのが楽しみだ。雑草なんで植えた覚えがないのに邪魔なものが生えてきている。 幸い雨が降らないようだ。邪魔もの一掃のために汗かくか!
2003年06月21日
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20日の夕方、大阪で30名くらいの人が集まって日本の中にあるイスラエル民族が大昔に持っていた宗教性について勉強した。その道の日本で今第一人者を豊橋からお招きした。そしてそのあと、私が少し話した。そして質疑応答のときを1時間。司会をさせてもらったが、初め皆さんが黙っておられたのは私の話に感激したからか?(笑い)一人の人が口火をきられたら、もうあとは洪水のようにそこかしこからご意見と質問の嵐であった。 内容はまたの機会に書くとして集まりが一人の人の講義を聞くだけでなくお互いの考えや疑問をぶつけ会えるというその自由な集まりを私はひどくうれしく思っている。いわゆるキリスト教会にいくと、一人の人が語ってそれをおとなしく聞いてそして家路に着くというパターンが繰り返されているが私はそれを30年も体験してきて、今、それは本来の姿ではないと悟り始めている。そしてそのような集まりを始めて一人一人が自分の考えや意見や、問題点を話し合う会合を持つようになった。会合の素晴らしさを味わい、“みんなの会合”という意味合いをエンジョイさせてもらっている。これが「集まり」なのだ。人と人がお互いの意見を尊重し、質問をぶつけ合い悩みを喜びを分かち合う、目的意識をその中に基本として同じくするのがすばらしい。内容とか勉強している話題などは、人と人のつながりあってこそ生きてくるのだから。ある人は、みんなの前でしゃべるのが苦手だから黙っておられる。しかし自分のしゃべりたいことを誰か他の人が代弁してくれていることに安堵感をいだくものだ。何もしゃべらなかった人が、帰りの駐車場で私を呼び止めて、「また会いましょう」と言ってくださった。 一晩明けて昨夜の会合を振り返りまたあんな会合をもちたいものだ、と切望した。次回はいつになるやら。参考:http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/tokehon.htm このホームページには内容の一片を垣間見る書物の紹介があります。著者は私の友人です。
2003年06月20日
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彼は、大河ドラマの「武蔵」のお通役の女優の顔に似ている。私は彼女の目が好きだ。彼は175cmで125キロの速球を投げるピッチャー。その彼が投げるボール(単語)を持たないで英語の勉強をしているのが気になる。ピストルに弾丸を込めないで標的に向かって撃っているような無駄なことをしている。塾で単語を教える暇などない。またそんなことをして何になる、生徒への教育はそんなものではない。生徒自身がしなければならないことを先生がするなら、それが教育なら教育なんてしない方がいい。 最高のレシピーは空腹だ。お母さんがご飯を口に持っていって食べさせることなど中学生相手の塾がするべきではない。なぜ英語を勉強するのか、なぜ数学なんて社会にでて役に立たないかもしれないものを、やるのかを説明して、空腹感を抱かせるのが教育の教育たる醍醐味なのだ。食事は楽しいものだ。勉強も楽しいものなのだ。人間が営々と築き上げてきた6000年の知識をこの小さな頭に吸収し、自分のために使うのではなく愛する家族のために、また社会のために、国のために、世界のために役立てる。自分のためなら、いやならやめてしまうだろう。自分がそんなものいらん、と言ってしまえばいいのだから。だが、貧しく知識なく、誰かの奴隷になっている苦しんでいる人々がいるのを見て助けてあげたと思うなら、自分にムチ打っていやのことでもがんばろうとするだろう。そのモチベーションを若者に植え付けるのが教育の醍醐味だと思っている。クラーク先生の「少年よ、大志を抱け」だ。「お前がピストルに弾丸を詰めて射撃訓練場に立て、私は打ち方を教える」「お前は、空のピストルをもってここに立っている、引き金をひいても、玉が出ないならどうして的を射る事ができるのか」「ボールなしでピッチャーマウンドに立ってバッター向かっているお前は何者だ」 勉強のやり方がわからない、と生徒はよく言うがなさねばならない基本は、誰でも同じ簡単なものなのだ。野球をする前に、しなきゃならないことはルールを学ぶことではなく、キャッチボールでもなく、素振りでもない。バットとボールを手にもつことだ。「バットとボールなしで野球ができるのか」 ひどい小学生や中学生は、塾に鉛筆も消しゴムももってこない。これは問題外かもしれないが、単語を覚えないで英語の文章をどうして訳せるのか、どうして書けるのか。漢字を読めないなら、社会や理科の問題の意味をどうして解けるのか。国語の文章理解に漢字は基本だろう、と話すが武蔵の「お通」は、「ハイ、がんばります」と返事は野球で仕込まれているのだろう、憎めない男前だ。笑顔の目が素敵だ。
2003年06月18日
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大阪城の巨大な天守閣を見上げて、ワンダフル! お堀の水に写る近代的ビルディングの影とお城の日本の均整美に驚嘆していた夫婦は関西の旅を終えて、今朝ヨーロッパに発った。ルフトハンザでドイツに直行、息子のいるロンドンに滞在して8月の末にニュージーランドに戻ると言う。実に2ヶ月半に及ぶヨーロッパの旅だ。 彼は海岸に別荘をもっている。私は海岸に家をもつのが長年の夢だった。これで私はニュージーランドに二つ別荘をもつことになった。彼はいつでも休息に来てくれと何度も言って去って行った。11月に少なくとも1週間海岸で寝そべって本を読もう。彼もまた他の友人も少なくとも1ヶ月何もしないで休みを取れと言う。それが当たりまえの世界にいる彼らの生活は日本の私には夢のまた夢、浪速の花も夢のまた夢なのだが真剣に11ヶ月は寝る間もなく働いて、やはり1ヶ月くらいは海岸で寝そべりたいと今真剣に考えている。今年は1週間、来年は1ヶ月にして見せようじゃないか。なさねばならぬ何事も、鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギスではなく、鳴かせて見せようホトトギスで大阪城の豊臣秀吉にあやかりたい。
2003年06月17日
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KIWIの夫婦は、建物の大きさに目を見張り、大仏の大きさに驚いた。雨の2月堂は、奈良の都の雨に煙る姿を見せてくれた。そこから下る石段の屋根の下は、カメラの格好の絵になる日本の味だ。 2月堂の「お水取り」の行事は、景教の儀式に類似している。(マリオ・マレガ「修二会の行法と西アジア原始基督教の儀式」三彩社刊)そのときに僧侶による幾種もの声明(しょうみょう)(声楽曲)がありますが、その中にユダヤ・基督教的讃歌に似たものがあります。(新訂 日本民族秘史 川瀬勇)「お水取り」の行事、「修二会」は人間が日頃犯している過ちをご本尊の前にざんげし、罪障を願い身を清め願いをこめるという「悔過」(けか)の法要です。これは基督教の「悔い改め」とおなじなのですとKIWIに説明して、日本は仏教国と印象を日本人も持っているのですが、仏教には罪の概念はなく、「悔過」などはもちろん本来の仏教的概念ではないので、これは景教から来たものなのです、と案内した。(詳しくはすぐにページのところに載せます。今日は、そのKIWIを大阪城にお連れするのでもう出かけなければなりませんから)(また来てくださいね)・・・・ひとりごと・ 鹿の歓迎を受けるKIWIは、100円豆腐の棒を買ってあげる姿もカメラの絵になった。人と鹿が一緒に過ごす奈良の公園は、神様の安らぎを感じさせる心休まる雨降る奈良を映し出す。みどりの葉々の間から日の照る公園でランチを広げて食べたかったがそれもできず、近くの日本食堂でそばをすすった。 KIWIは言った。「雨でも日本の美しさはよくわかります。そして君に会えるだけでも日本に来た値打ちがあります。私たちは、大満足です」私の目が熱くなり降りしきる雨のように濡れてきた。「そのことばはうっと惜しい梅雨のじめじめを取り払っておつりがきます・・・・。」
2003年06月16日
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京都は雨だった。みたらし団子は御手洗と書く。身を洗い清める禊の意味が5つの団子に託して5体を清めてくれる。下鴨神社の若い神主に「なぜ、獅子と一角獣が奥の方に座して外に座していないのですか?」と聞いた。 「人に見せるためにおいてあるのではなく、神様を守るために神の近くにいるのです」「そうなら、八坂神社の獅子と一角獣はなぜ外にあるのですか」と私。「各がちがうのです。くらいの上の神さまの守りは奥にあるのです。」 わかってわからないような、返答よりもなんだかぶっきらぼうな答えかたが、「お前はそんなこともわからんのか」と20代の青年神官が60代の大人にむかっての応答の無礼が、そんなに神官がえらく、普通の人とは各が違うのか、と私は心の中でついつぶやいてしまった。 神を説く、人と神の間に立つものならばその人柄の中の態度に、権威をそんな形であらわするなら、日本の神が泣くではないか。日本人はそんな礼儀知らずではない。神官よ、君は一刻も早くその立場を辞すべきでありならば態度に慎みを入れよ。 雨の中の竜安寺の蓮池は日本人の私には、いとも趣のある庭であり、そのこけのみどりは目にしみた。南半球からの旅人は、色鮮やかな池にひろがる蓮の一面に咲く雨に打たれている花に「ビユティフル」と目が行くが、私はむしろみどりのこけにカメラを向けた。 石庭のたたずまいに静かに座して、自然の驚異にこころときめかすことは、今は不可能に近い。土日には3千人を越える人が来るという。朝の8時前、または午後の5時以降にどうぞと受付の人は答えてくれた。その丁寧な受け答えが、うれしかった。 広隆寺も雨だった。国宝第一号は今日も首をかしげて、なにやら憂いの優しさの中に激しい顔面の神々の真ん中に不思議な指を使いをして右のほほに触れんとしていた。12人の神々を従えている勒菩薩半跏思惟像は中国の敦煌から発掘された景教の伝道者を描いたそれと酷似しているのはどういうことか? 中国の景教の先生の絵の像を送られた聖徳太子が、景教徒と言われている秦川勝にその象を贈ったのは彼らが、仏教徒でなかったことを物語っているのではないか。(景教=基督教であり、三位一体を信じている) 日本の都、京都の原点に迫れば迫るほど日本のルーツの不思議にただ我が友人は「シルクロードからだな」と応えた。蚕の社の元糺すの池は、日本の古代に基督教が入ってきていた証拠の一つ。この看板の字を読むと、基督の教えが来ていたこと、洗礼の魂の洗い清める元を糺す(ただす)ということばの意味と心がけは忘れないでいたい。 同行した日本の若い女性は、「私の知らない京都の歴史でした」と雨降る京都にびっくり。ついこの3週間前に一人のユダヤ人を案内した京都を今日はニュージーランドの友と長野県の女性を案内し、それぞれが京都のルーツから日本のルーツを垣間見た雨の1日だった。
2003年06月15日
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エアニュージーランドの乗客は4分の1にも満たなく3つの座席で横になって楽な飛行機旅だったとのこと。それに予定時間を30分も早く関空に着いた。私たち夫婦の大歓迎を受けて大阪市内のホテルに落ち着く。「暑い」が最初の声。オークランドは8度くらいの寒さで、関空は26度だから仕方がない。「明日(今日)は京都に行くとき、半ズボンで皮のサンダルでもいいだろうか」あぁ、これがキウイなんだ、と納得。ホテルについて、1時間後ホテルの隣で焼きめしを夫婦で注文、私たちはラーメン。サァ、今日は日本を満喫させてやろう。松尾大社でみたらし団子など、いいじゃないか。
2003年06月13日
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人類の祖先が16万年前だ、という朝日の朝刊と今日の天声人語をみて驚いた。16万年前の人類の頭骸骨とそれの顔写真!放射性同位元素を用いて判定したそうだが、頭蓋骨そのものを計るのではなく、その地層を計る方法で時間の秒針を短針で測る以上の愚かな方法だということを一言も書かれていない。世の無学な者をある一握りの学者の名声と保身のいけにえとさせられるなど、もってのほか!このようなことは、日常生活のさまざまな世界で起こっているのは、憤懣、義憤の壁を通り過ごして悲しい。 新聞記事など、一度疑って読んでみる見識をもちたい。そしてじっくりそのいきさつを見てみたいものだ。政治の世界などそのよい例だろう。 ちなみに、人類の祖先などアフリカではない。今までどれだけ進化論者によってだまされてきたかもう人類は彼らの「うそ」と「猿真似」から抜け出てよさそうなものなのに。「イブ」はチグリス・ユーフラテスから出ている。 私は中学生に社会を教えるとき、よく出くわすのに「アウストラロピテクス」がある。類人猿だ。その年代がこのカリウムアルゴン法で割り出すとい実に260万年前だという。もう開いた口がふさがらない。それからもうひとつ、最初調べた時は、2億2000年前と出たという。もうあごが外れそうだ。
2003年06月12日
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明日13日(これを書いているのは12日の朝)1963年のニュージーランドの春10月に会って、それ以来の友人夫妻がやってくる。大阪の私に会うために。いや日本を初めて見るために。 年に2度ほど私は心の洗濯のためにニュージーランドを訪問して彼に会っているが、奥さんと一緒にはじめて彼のほうがやってくる。彼に初めて会ったとき驚いた。日本の歴史を私以上に知っていた。「織田信長、豊臣秀吉、徳川時代など・・・・・」そのころ日本を学んでいるKIWI(ニュージーランド人のことをキウイと言う)など皆無だったから。学校の先生だったが、ふけて30過ぎに見えたのを覚えている。つい昨年、同じ歳だと分かった。彼は今リタイアして基督教に関する解説書の論文を書いている。丁度私も同じポイントについて興味を抱いているので同じ体験をした者として話が合う。そのことについては、「基督教の教会は、自由を与えると宣言していながら信者を奴隷化する危険性をはらんでいる」という点だ。 私は、そんなところへ賢い日本人は10人にひとりも行かないことを、今むしろ喜んでいるが、だからと言って真理をどこで見つけるのかと問われればやはり、仏教や神道、イスラム教にはないと言うだろうし、基督教の聖書の中にあるから教会に出かけてほしいし、その中に真理をみつけて保護してほしいと思っている。 りんごを食べるとき、芯があるのでそこは食べられないからと言ってりんごを全部捨てるバカはいないからね。 教会は窮屈だと思っている若者がどうして結婚式を教会で挙げるのだろう、やはりそこに何かがあると思っているのか人生の第二の出発点をスタートするには希望がそこにあるらしいと何か本能的に分かるからなのか。私の親類縁者の若者は全員教会で式を挙げている。
2003年06月11日
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中学3年生から1年生、そして小学生高学年を連れて8月の下旬に勉強合宿しようと思っている。はたして15人は行くだろうか。なぜと言うと最低それくらい行ってもらわないと一人当たりの金額がべらぼうに高くなる。先生4人分の給料、そして交通費、を生徒の人数で割って試算するから。2泊3日で兵庫県の県立嬉野学習センターに宿泊条件を聞いた。空いている。さわやかな風に吹かれて朝から晩まで勉強するといのは、遅れている生徒にとって、自身がつく3日間であるから。彼らは、朝から晩まで野球はやっても、まだ勉強をしたことがない。「俺はやるぜー」とのたまう頼もしい野球少年は夏の大会を終わったそのときに高校受験に熱をもち始めていてほしい。
2003年06月10日
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SARSが日本に入ってこないのは奇跡的だ。「なぜ?」と多くの人が言っているが、その答えは神様だけが知っているのかもしれない。一時よりも報道も下火になっているが、これだけは、報道が下火になっているからといってSARSが日本に来なくなったことにはならない。先週末に東京に行ったが、誰もマスクをしている人はいなかった。大阪でも見かけない。そんなときにマスクを買った。三つも。家内と息子と私が今の家族だから。 明日の新聞にSARS患者が日本に出た!と載ると次の日にはマスクは店から無くなるだろう。今でも少ないという薬局に勤めている人が言っておられた。私はもしかして、という感じがしてマスクを買った。「備えあれば憂いなし」もちろん、手も洗いうがいもしているがこれは子どもの頃から、親にしつけられているのでやめたことはない。親に大感謝!その親も、もういない。
2003年06月09日
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暖かくなってきた。半ズボンはらくだ。はきやすいし動きやすい。最近肥えてきたせいかバンドの当たりがきゅうくつで健康を考えるとダイエットしなきゃならないがなんだかそれより運動不足のような気がしている。公園を歩くのがまた遠のいた。明日は歩くぞ。絶対に!今夜中の12時。10時に晩飯食べたから、やせんわい。
2003年06月08日
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朝、新大阪を7時7分に乗り、東京から東北新幹線に乗り換え約1時間、那須塩原から6分で黒磯。午後1時には高原の別荘地、わが大阪の下町とは天と地の差がある自然のみどりに囲まれた鶯の鳴くところだった。 20名ほどの人が、集まった。何についてのシンポジュームかは、ここで詳しくは書けないほどのややこしい、むつかしい、誤解を生む可能性を秘めたサブジェクトだが、「カルト問題」である。指導者の陥る危険性、とその下にいる普通の人たちのいじめられている現実からどうして解放すればいいのか。問題は複雑でいじめられている人が虐待されていると自覚していないのがなお問題を複雑化しているから。 世に言われる絶対善であり、世の光的存在の団体がその危険性をはらんでいるというから、それがなおその問題の深刻さが増している。3時間の話し合い後、コーヒーブレイクのとき参加者みんなが「疲れた」とため息をついた。そして夜の会合、そして土曜日の朝の8時半から12まで休みなし。その分野の日本の専門家、エキスパートが闇の部分の解決にメスを入れていくが、情報開示の重大性を結論として打ち出した。マスコミ2社が出席しておりその編集長が司会者であった。 その編集長は、ことの重大性のためか司会をしながら頭を抱えていたのが、その会の良心であり、ちょっとした安堵感を与えて少々の笑いをかもし出していた。 これは、良心の開示であり闇が追い出されるための角口に立っただけだが偽リーダーを覆っている力とのこれからの対決に出席者全員が身を引き締めた、という実感が今回の私の旅だった。 何のことが分からない今日の記事かもしれないが根幹は、自由をなくするいかなる団体も人をロボット化する、ゆえにそのリーダーが何をしているかを衆人は知らねばならない。人は自由に旅する生き物なのだから、それを阻害する者たちは、自分が何をしているか自覚することをしないなら、被害は甚大というのろしをあげたのだ。そのリーダーもまた自分が何をしているのかわからない部分があるため盲人が盲人を手引きしていることになる、という実態なのだ。特に社会的、精神的なリーダーは心しなければならないしことは重大なのである。 正直言って疲れた、が実に充実した会合であり、そこで知り合った人たち、その問題に対処している方々の人格と暖かさは黒磯のみどりの木々のように新鮮で美しかった。
2003年06月07日
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早朝5時過ぎにめざめてしまう。散歩にでも出かけたらいいのだが、おっくうなのとなまけもあって、不整脈も心配なのもあり朝っぱらから体に負担もかけずにおこうと思うあまりつい新聞など読んでいる。そんなこんなで、8時にはメールの返信も済ませる。朝食はニュージーランドの絶品のクローバーハニーをつけてトーストをパクパクする。10分で済ます。 朝は事務所で電話、郵便物発送、塾の準備、パソコン教室で週に2度は大人の人を教える。午後は2時ごろから留学に関する仕事で4時には生徒が来る。そして夜9時までぎっしり詰まっている。夕食を落ち着いて食べて、その後ゆっくりするなどこの何十年したことがない。こんな生活はばたばたというのか、せかせかというのか、キュウキュウとしているというのか、そう言うのが相場だろうが、そんな生活はしていない。物理的にも精神的にも。私はゆうゆうとしているつもりでも、体は正直で精神的にももたなくなったときがあった。それで、週1日(火曜日)は休みにした。でもその火曜日は、病人を見舞い、老人と過ごしたり、知人を訪問することにしてわが身のリフレッシュとする日としている。それをつづけて2年ほどになる。日曜日は、一番楽しい。心許した人々と会談のひとときがあるから。午後はその人々と過ごしたり、また自分ひとり自由な時間をもつ。 そして年2度は2週間づつくらい完全に電話や郵便物からサヨナラしてニュージーランドへ行く。これこそゆうゆうだと思っている。 私の一番きらいなことばのひとつは、「ばたばたしていて・・・」ということばだ。朝の5時から晩の9時まで私ほど四六時中何かをしている人がいたら、紹介してほしいが私は決してばたばたしていないし、せかせかもしていない。ゆうゆう働いているつもり。(悠悠自適からはまだ程遠いしそれは一生無理と言うもの)今日は朝9時にある学校を訪問して、ニュージーランドの紹介をする。若者よ、とくに都会の青年諸君にイルカと一緒に泳ぎなさい、と自然を満喫し海外から日本を見る体験をしてみろよ、と奨めましょう。はたして校長先生はどう言われるだろうかなァ。
2003年06月04日
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若い女性が圧倒的に多いのは、身軽なだけが理由だろうか。最近毎日のようにメールが来る。英語を学びたい人が多いが、私の体験から言わせてもらうとやはり英語を母国語としているところに滞在して、友達をつくることだろうと思う。それも若ければ若いほどいい。 私も23歳のときにホームステイを1年から5年(3度にわたって)したが、教会に誘われて、若者といっしょにキャンプに参加して2週間くらい寮で過ごすと、ものすごく英語の力がついた。だから、私は英語を学びに行く人たちにできるだけ寮生活を勧めている。 メールで問い合わせが来るが、資料を送ってもなしのつぶてが多いのは冷やかしか、と勘ぐりたくなる。メールで返事をしても、なしのつぶてが多い。でもまじめな人がその中から数人いるのだし、その人たちがニュージーランドの穏やかな緑とキウイの明るさに触れて、また行きたいと必至にお金をためている姿を見ると、できるだけ安くしてくれるライフウエイ・カレッジのスタッフに頭が下がる。 彼らのほとんどがボランティアスピリットの持ち主でボランティアの何であるかを、私のようなものにも身をもって教えてくれている。また励まされている。 日本の若い男性諸君、井の中の蛙になることなかれ!世界の常識が日本の非常識であることを学ばないかぎり日本を愛するなんて、できっこないよ。その逆またしかり。自分を啓発しない自己愛なんてありえないし、愛国心のなんであるなんか分からないと思う。
2003年06月03日
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塾の中学生女子3人に「田舎に連れて行って」とせがまれた。雑草抜きを手伝ってくれるというので三重県山添村に行った。 台風も熱帯低気圧になって、まずは快晴。2200本の種植えの3週間の成長はこの写真のごとくだった。特大もあり、まで目に見えない程度のもある。 雑草は3~5センチくらいのが一面に生えてもう無数だ。良い農薬があって、「もう一網打尽ですよ」とアドヴァイザーである農家のわがメンバーOさんは言った。「雑草を抜きにくるのが楽しみなんですから」と私。彼は、「でも検査したらちゃんと毒物が混入されているのが葉に検出されますし、ヤーコンにもでますからね」また彼は心配なことを言った。「土地が悪い、粘土質です。収穫はわるく、ひび割れが多く採れるでしょう」実験栽培となるか、今年はこれで多くを学ぶことになる。来年の土地を探しておいてくれるように早速地元の農家の人に頼んでおいた。 “サンドラ・ブロック”もやってきて雑草抜いてくれた。また、こんな田舎にやってきて、土を触りたいと女子生徒ははしゃいでいた。「次回は弟もつれてくるよ。」 次回の雑草抜きは6月22日、3週間後だ。もう雑草も背丈がヤーコンと同じくらいに伸びているので抜きやすいらしい。「環境が、条件がわるくともできるだけのことはやろうじゃないか。」と自分に言い聞かせて三重県から大阪に帰った。寝不足のせいか帰りの車の助手席で寝てしまった。
2003年06月01日
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梅雨雑感予告編もうまもなく梅雨がくる。ニュージーランドの気温が30度を越えるときはほとんどない。25度でも直射日光が強いので、日陰でなければかなり暑いが蒸し暑くもな。夜の過ごしやすさは日本の比ではない。あの蒸し風呂のような夜がやってくると、毎年ニュージーランドへ逃げ出したくなる。ただ一度だけ夏をNZで4週間の冬を過ごしたことがある。そのときだけ、冷夏であった。なんと皮肉きわまりない。 日本人の道を歩いている人、自転車に乗っている人の顔をつくづく見て思うのだが、口をへの字にまげて、額に立て皺よせて「人類の不幸を一身に負っている」ような顔をよく見かける。昨年の夏、私は尾瀬沼の丸太の上を歩いた。行き交う人が必ず「コンニチワ」と声をかけてくれる。うれしくなった。が少し変、何か変だ。街ではそんな声かけてくれるなんて皆無だというだけでない何か変な気がした。私も知らない人に声などかけないが、(そんなことすると忙しくてしかたがない)額に皺をよせていないつもりだ。 そこで人は場所によってこうも違うものかと変に思ったわけだ。挨拶する人の目を見て私も「コンニチワ」。驚いたことに笑顔で私に「コンニチワ」と言ってくださる人が誰もいない。ましてや私の目を見て声をかけてくれる人もいないではないか。たまにいてもその目は笑っていない。もちろんニコッともしていない。ただ声が空しくとは言わないが、口から発せられる音としてきこえるだけ。 この無言の都会の人の行き交いも、尾瀬沼や山の「コンニチワ」の声の行き交いも、同じ日本人の同じ心の現われだった。何か不平がその体臭にやきついて、不満と不安が服を着てじめじめした梅雨の気候の気質が歩いているように思えてならない。日本の梅雨はニュージーランドにはない。彼らはニコッと笑顔で「Hi」と言う。車の窓越しに、目が合うと「ニコッ」とする。カラッとした気候が生じさせるものだろう。日本人の梅雨的顔面そのもの、これは日本人の罪ではない。しかし、私は目をみて笑顔で「コンニチワ」を実行しているつもり。 梅雨は、それでもやってくるけれど。さぁ、6月だ。
2003年05月31日
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今から3週間前、ヤーコンの種植えを仲間7人とやったさい、家内は根詰めてかがんで植えていたので心配して「もうここら辺で休むかやめたら」と声をかけた。他の人が一生懸命やっているのに、自分だけ休めないというこころが伝わってきたのが非常に気になっていた。私も腰がそんなに強くないのがわかっているので、適当にやって、腰以外の作業がないかうろうろしていると鋤があったので「うね」をつくろうと土を山盛りにし始めた。二分ばかりやったら、種植えよりきつい。すぐやめてうろうろしなががら、時折種植えをしたりして適当にやったのが、あとに響かず筋肉痛で済んだ。家内は2週間後、スーパーの買い物途中、別にかがんでもいないのに「ギクッ」ときたらしい。複線があってのこと、みなさん気をつけてください。それから2週間、私はスーパーに行ってメモ片手にピーマン、魚、豆腐(きぬこしか木綿か分からず)その他諸々を買いに行く羽目になった。2週間たった今は、家内をつれて自動車で今買い物に行かされている。その間、他の先生に頼んでわが生徒にも「買い物や」と出かけている。生徒も毎日、「先生の奥さん、大丈夫?」と聞いてくれている。おばさん先生は?と家内を慕っている小学生は、いつも尋ねてくれる。ギックリ腰は、2週間経っても痛いらしい。家内は自然治癒を目指して、病院にも行っていない。
2003年05月30日
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鳴くよ鶯平安京、と鶯が鳴いて東の国でイスラエルのエルサレムが造られたのが794年。そんなのごろ合わせだとおっしゃる御仁はちょっとまって。名前を羅列した先日の続きです。イェル・サレムはヘブル語で「平安の都」という意味です。秦氏はこの町を高度な技術で建てあげました。精神的に物理的に。巨大な古墳、淀川の氾濫を防ぐ工事などの末に高度な治水工事によって鴨川や桂川の流れを大きく変えて、そこを住みやすい土地としたのです。私は思うのですが、794年に突然平安京ができたのではなく、もっともっと前から準備と人々の結集があったと思うのです。秦川勝が聖徳太子を迎えて教えたのがその数百年まえですから実にそれから数えると1000年以上もそこは、天皇の住処となり日本の平安を支えてきたのは、今の日本の土台となっています。 京を旅する人々が、行くところは金閣寺、銀閣寺、竜安寺、西本願寺、清水寺、それに先斗町のようです。でもどうして、京の源流であり今もその流れが日本中にある秦氏のたずさわった太秦(ウズマサ)を訪れないのでしょうか。元糺すの森の蚕の社、 日本を作った三本トリイ(日本は仏教の国ではありません)、そこには映画村があり日本中に面白い歴史の映画を見せてくれるのに。(これはもちろんシネマの映画のことではありませんので、実歴の探訪ですのであしからず。日本人ルーツの旅ですので)
2003年05月27日
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