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Mar 30, 2008
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遠藤徹は『プラスチックの文化史』(水声社2000)において以下のように述べている。

「戦後の一時期、特に1950年代を中心としてSF映画の一ジャンルとでもいえるほど流行したのが、核物質によって突然変異をとげた生物の物語だった。日本でも第五福竜丸事件によって蘇らされた被爆体験の記憶を背景として1955年に世界的に有名な怪獣映画の金字塔ともいえる『ゴジラ』第一作が作られている。そこでは海底にひっそり生きながらえていた古代の恐竜ゴジラサウルスが、放射能被爆によってケロイドのようにただれた背びれをもった巨大な怪獣ゴジラと化し、口から放射能の熱線を吐きながら日本の首都東京に上陸するという物語が展開されていた。1960年代になって後発のもう一方の怪獣の雄として登場する『ガメラ』の場合もロリシカというロシアとアメリカを掛け合わせた名前の国の核物質を搭載した戦闘機が南極に墜落し、その熱によって冬眠から覚め、さらには放射能に被爆した古代の巨大な亀がガメラとして復活するという物語だった。その意味では当時、日本でも世界でも怪物や怪獣の出現の理由としてはとにかく原子力、放射能、核爆弾といっておけば誰もが納得するような時代背景があったのである。」(294頁)

ここまではこれまでもよく指摘されてきたことである。(なお1955年というのは1954年の間違いであろう)
しかしこれに加えて遠藤氏はこう付け加えている。

「それは同時にこのころから人知をこえた力が不可視のレベル、つまりは分子や原子のレベルで生命体に働きかけ、もっとも根源的な遺伝子からその生命体を作り変えてしまうという脅威が意識され始めたのだといえるだろう。その背景にはもうひとつワトソンークリックによってDNAという遺伝物質がぼくたちの身体の設計図になっているという衝撃的な事実がすでに教科書的な知識になっていたという事実も見逃せない。このような意識の土壌が大衆レベルですでに形成されていたがゆえに1980年代以降、急速に発展した遺伝子工学の脅威もさほどの抵抗なくうけいれられたのだろう。いずれにせよもはや目には見えず、理解することもできないナノレベルでの脅威に自分たちがさらされているという意識が20世紀後半の人間にとっての潜在的なトラウマになっていったわけである。」

ゴジラが生まれた1954年には、分子生物学の分野では、ワトソンとクリックが、DNAの二重螺旋構造を解明しつつあった。この偶然は興味深い。そして80年代以降に急速に発展する遺伝子工学を取り上げたのが「ゴジラ対ビオランテ」(1989)であろう。この映画においては、ゴジラ細胞というものが問題となり、はじめて分子レベルのゴジラの身体が問題となる。80年代以降はゴジラの身体もひとつの資源なのである。





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Last updated  Mar 30, 2008 01:49:29 PM
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