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2009.11.18
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カテゴリ: 子育て
昨日は、ムスメの幼稚園の英語指導の授業参観があった。

終始英語だけで話すテンション高めの先生。(いい意味でね。明るくて楽しくて優しそう)
子ども達もめちゃテンション高くて、楽しそう。
先生が話す一言一言、細かく意味が分からなくても、何となく音の感じとか、今の状況とかで内容を感じ取って反応する。
そして、「Repeat after me」と言われてなくても、自然と子ども達は先生の口にする英語を真似する。
ここにも自然習得のプロセスがある・・・って思った。
誰にでも、いつでも、どこでも!!
やっぱりそれは人間やからやんなぁ~!!


「これ、いいよね!こういう授業を毎週やってくれたらいいのに!絶対、英語喋れるようになるよね!」

そうかなー?

この授業を否定するつもりはさらさらない。
確かにこどもたちは楽しそうやし。
でも、「わが子にどんな人間になってほしくて、そう言ってるのかな?」って単純に疑問に思った。

「とっかかりとして、とにかくまずは英語を好きになって欲しい」ってことなんかな?
楽しい授業、楽しい先生・・・
確かにこれなら英語を好きになるかもしれない。
子どもは好奇心旺盛やしね。

でも、私なら自分の娘に「英語が好きな人間」に育って欲しいわけではない。
むしろ、「英語とか、何語とかっていう枠組みにとらわれない人」であって欲しい。


そして、たとえこの授業をコンスタントに受けられる環境があって、もし「英語」を話せる子が育ったとしても、果たしてその子は、他の誰とでも英語でコミュニケーションとれるのかなぁ?
授業してくれる「先生」は、あくまでも「先生」。
生徒に「英語」を教えてあげようと思っている。
何度かの授業を重ねることで、そこに信頼関係は生まれるだろうし、コミュニケーションも生まれるとは思う。
でも、それって、「先生」から歩み寄ってくれてるよね、確実に。

ちゃんと向き合う子もいるとは思うけどさ。
でも、そのときに必要なのは、ツールとしての「英語」ではないはず。
相手の言ってることを聞く「耳」と、思ってることを伝える「口」と、もっと寄り添いたいと思う「気持ち」・・・・じゃないかな。

普段なら、何気なくスルーしてたような事柄やけど、もっと感じたままをことばにしていきたいと思って、書いてみました。
書いてみて、子育ての場としてヒッポを選んだ自分が、その中でムスメと一緒にどうやって生きていきたいのか、ちょっとはっきりしたかなって思えた。

英語が好きな人に育ってくれても、もちろんOK。
でも、そのことばを話す誰かの存在があってこその「好き」であればいいな。
そんな感じ。





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最終更新日  2009.11.18 22:49:13
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