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Jun 9, 2009
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カテゴリ: Rock Boxx

ハードロックの理想型に最も近い存在。衝撃の蠍団!

2005 スコピ2005 スコピ2 2005

バンド・サウンドとしての成功


そこには、元 プロコルハルム ヘヴィ・メタル・キッズ のメンバーらも集まったというが、結局決まらず地元ドイツのハノーバーへ戻り捜すことになった。そこで彼らはUFOを脱退したマイケルと合流し、再びオーディションをしたところ、元FARGOの Matthias Jabs マティアス・ヤブス をマイケルも絶賛し即決した。
そして、上にも少しかいたが、79年アルバム「ラヴ・ドライヴ」をリリースするのだが、この中で3曲にマイケルが参加したため、ヤブスの影を薄くしてしまう結果となった。マイケルはUFO時代に比べると、それでも控えめに弾いていて、おそらく目立たないように気を遣っているのだろうが、いかんせんこの時点ではロック界で最も旬なギター・ヒーローである。話題だけが先行してしまって、このアルバム全体の良さとヤブスの魅力が正当評価されなかった。
マイケルの抜けた次のアルバム「電獣~アニマル・マグネティズム」では、スコーピオンズ自体がもはや注目されなくなっていた。
また、悪いことに81年ヴォーカルのクラウスが喉を患って1年間の休養を余儀なくされる。
しかし、この休養がその後のスコーピオンズにとっては良い充電期間となり、次の素晴らしい作品を生むこととなる。マイケル~ウルリッヒという偉大なギタリストの亡霊が取り払われ、ルドルフを中心としたバンド一体型サウンドになったことは、80年代におけるヘヴィメタ・ブームの流れにも合致していた。
82年、満を持して放ったアルバム「蠍魔宮~ブラックアウト」は全米10位と、それまで最大のヒットとなり、アメリカでの成功をも手中にするのだった。勢いづく彼らは84年にもアルバム「禁断の刺青」を全米6位に送り込み、ここには、以降彼らの代表曲ともなる「Rock You Like A Hurricane」も収められていた。
この年、スーパーロック'84イン・ジャパンに ホワイトスネイク MSG ボンジョヴィ らと共に出演するため来日もしている。
その後ツアーに明け暮れ、大きなイベントがあると、必ずと言っていいほど参加し話題を振りまいてきた。90年にはアルバム「クレイジー・ワールド」を発表し、そこからの名バラード・シングル「ウィンド・オブ・チェインジ」は全米4位の大ヒット記録し、改めて健在ぶりを世界に知らしめた。
94年には、 MSG を解散させたマイケルも同行して来日し、アコースティック・セットも披露するなど貫禄と余裕を見せつけたが、99年のアルバム「アイ・トゥ・アイ」あたりから様子が一変した。このアルバムでは、デジタル・サウンドに挑戦し、一聴しただけではスコーピオンズと分からないほどのサウンド変化を見せているらしい(未聴)。2000年には、ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラとの共演ライブ、2001年にはアコースティック・ライブのアルバムも発表し、しばらくは迷走中といったところだったのだろうか・・・。
しかし、どれもそのクオリティーは高く、彼らがどんな方向へ進もうとも、本当のファンなら、そのサウンド変化を楽しんでみていられるはずだ。
マイケル・シェンカーは現在再結成UFOとMSGを行ったり来たりの活動をしているが、UFOの来日公演の演奏途中でギターをステージに叩きつけて帰ってしまったり、ウルリッヒやジョー・サトリアーニと共にヨーロッパG3ツアーと題して回った公演でも途中で失踪と、相変わらずの振る舞いを繰り返している。
ウルリッヒはスコーピオンズ脱退後、ウリ・ジョン・ロートと名を改め、エレクトリック・サンというトリオ編成のバンドを結成し、さらなるジミヘン崇拝への道をたどっていった。その後はスカイ・ギターと命名された独自開発のギターを使い、オーケストラをバックにクラシック曲へ挑戦をするなど孤高の道を突き進み、"ギター仙人"というあだ名まで付けられている。

ディスコ・グラフィー

1972年 Lonesome Crow(恐怖の蠍団) *マイケル時代唯一のアルバムにしてデビュー・アルバム。
1974年 Fly To The Rainbow(電撃の蠍団) *日本では次作より後に発表された、ウルリッヒ加入後初のアルバム。まだマイケルの曲も入っている。
1975年 In Trance(復讐の蠍団) *ウルリッヒの驚異的なギター・テクが爆発した最高傑作。彼のテーマ曲とも言うべき「ダーク・レディ」収録
1976年 Virgin Killer(狂熱の蠍団) *ウルリッヒ時代で最も有名なアルバム。欧米ではジャケ写がワイセツということで差し替えられた。「幻の肖像」がヒット
1977年 Take By Force(暴虐の蠍団) *これもジャケットが問題視されたアルバムで何故か今では唯一廃盤になっている。「スティーム・ロック・フィーバー」収録
1978年 Tokyo Tapes(蠍団爆発~スコーピオンズ・ライヴ) *ウルリッヒ時代の集大成とも言うべきライブの傑作2枚組。中野サンプラザでの音源。現在出回っている1枚ものは曲数が足りない
1979年 Love Drive(ラヴ・ドライヴ) *マイケルも一部に参加し、ヤブスが正式加入したアルバム。これまたジャケットが米では差し替え処分に・・・(^_^;
1980年 Animal Magnetism(電獣) *実質ヤブス時代に入り、現在のスコーピオンズのスタイルを確立させたアルバム
1982年 Black Out(蠍魔宮~ブラック・アウト)
*全米10位と初のビッグ・ヒットを記録した出世作
1984年 Love At First String(禁断の刺青) *ヤブス加入後の代表曲「Rock You Like A Hurricane」収録。アルバムは全米6位の大ヒット
1985年 World Wide Live(ワールド・ワイド・ライヴ)
*ヤブス時代初のライブ2枚組。曲もすべてがヤブス加入後のもの
1988年 Savage Amusement(サヴェイジ・アミューズメント)
*4年ぶりの新作は全米5位と、もはやヘヴィ・ロック界の大御所といった貫禄さえ身につけた
1990年 Crazy World(クレイジー・ワールド)
*バラード曲「ウィンド・オブ・チェインジ」が全米4位の大ヒット・シングルとなる
1993年 Face The Heat(フェイス・ザ・ヒート) *ベース・ギターがブッホルツからリッカーマンに交代した
1995年 Live Bites(ライヴ・バイツ) *ライブものだが、「In Trance」など往年の名曲も演奏している
1996年 Pure Instinct(ピュア・インスティンクト~蠍の本能)
*イースト・ウエスト・ジャーマニーへ移籍し、ドラムにはハーマンに代わりカール・クレスが加入
1999年 Eye II Eye(アイ・トゥ・アイ) *ドラムがまた代わりジェイムス・コタックが加入。サウンドがポップス・バンドかと思われるほど、かなりソフトになった
2000年 Moment Of Glory(栄光の蠍団)
*ベルリン・フィルハーモニーと共演したスケールの大きなアルバム「Rock You Like A Hurricane」の2000年ヴァージョンも聞ける
2001年 Acoustica(アコースティック・ライヴ) *アンプラグドもの。またもや「Hurricane 2001」というヴァージョンが・・・

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ここまで来れば、あなたはもう スコピのとりこなのでしょうね~?早速聞いてみたくなりませんか?






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Last updated  Jun 10, 2009 12:00:45 AM
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