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「竹田和夫はこれの独壇場で一人でぶらりと現れていきなりぐわああっと弾き倒して皆をノックアウトする事が得意でした」
偉いのはクラプトンからのコピーだけでなく、クラプトンが入れ込んだ昔のブルースマンたちの直接の音をしっかりと聞いていましたね。ここが平凡なクラプトンフォロワーと違うところです。
クリエイション時代のライブではもう一人のギタリスト飯島とツイン・リードやギターバトルのようなパフォーマンスを決めていたのですが、レコードでは決してそれが成功しているとは言えないのが残念です。「クリエイションはライヴアルバムを出すべきだった」という発言がファンからよく聞かれる。決定的なライブ・アルバムがないのは本当に悔やまれるところです。スタジオの限界が致し方ないにせよ、彼らの本質はライブでしか味わえない。ちょっとしか聞いてない私でもライブとスタジオではぜーんぜん迫力が違うんです。ニールヤングみたいに全曲新曲ライブっていうのも面白かったかもしれない。プロデュースについては、当時としてはあれが精いっぱいだったのかも。
この当時のことはよく覚えてますが、残念ながらライブは見た事無いんです。「クリエイシヨン・ウィズ・パパラルディ」ではまさに「クリームアンドマウンテン!!」ですね。ただ、ギターに関しては本来のパワーを伝えきれてなかった。この時期、NHK-FMでアメリカ帰りのクリエーションがスタジオライブをやってて、断然こちらの方がパワフルでした。アメリカから返って来た竹田和夫は地元のミュージシャンから50年代の改造レスポールを格安で手に入れてチェンジしてました。こちらの方が音が太くて伸びも良かったようです。やっぱし似合うのはレスポール。
しかし、ファンキー路線も目立ってて、「あれ?ハードロック一本じゃないのか」なんて思ってたら、案の定パパラルディと決別してたということで、パパラルディのバックバンド的存在が気に入らなかったのでしょうか。
この辺の話は当事者が口をつぐんだままですので、どこまでも想像の範囲でしか言えないのですが、恐らくパパラルデイは「おまえだけアメリカに残れ、後の面倒は俺が責任持ってみるから。一緒にグループを組もう」とか言ったのだと思います。想像ですけど。
夢のようなアメリカでの成功をとるか、メンバーの信頼と絆をとるか、悩んだ末にみんなと一緒に日本に帰ってきたのでした。もちろんクリーム・マウンテンもどきに自分が縛られるのもいやだったかもしれません。パパラルディが竹田和夫に自分の夢を託したのも分かるんですが、ほんとのところは当事者しかわかんないんでしょう。
クリエーションの人気は決して悪くないどころか、大受けの最中でどうして最後は方向性が変わってしまったのか。一説ではもうハードロックに飽き飽きしてたんじゃというのがある。もともとクリエイションのレパートリーは70年代前半に演っていたもので、クリエイションのファーストが出た時は曲の旬はとうに過ぎていて嫌々レコーディングしたそう。
確かにあの時代(75年)に出したアルバム(ファースト)にしては音の感覚は古いものでしたね。これはプロデュースの問題かもしれませんが。曲の題材も一昔前のものですし。70年代中期と言えばハードロックって主流じゃなかったし。
だから、帰国後に出したサード、「ピュア・エレクトリック・ソウル」はそういう音楽的変化の過渡期のアルバムと言えます。この中での目玉、「トーキョー・サリー」はジェフ・ベック的ファンキーさとモントローズぽさにソウル的感覚を織り込んだ秀作でした。
竹田和夫が70年代初期のハードロック時代に注目していたのはクラプトンは当然として、ベック、リッチーにも目を付けてましたし、ミック・エイブラハムス(元ジェスロ・タル)にもけっこう傾倒してました。ミックのブルース・ジャズ・ロックンロール・C&Wを混ぜ合わせたようなフィーリングが気になっていたんでしょう。しかし、後の竹田がファンキー/ジャズ路線に行ったのは案外ジェフ・ベックの動向に注目していたんじゃないかという気がします。
竹田の変化し、成長するスタイル、よくわかります。ある意味では今のクラプトンを超えた部分もあるんじゃないでしょうか。この様な自己探求のアーチストは持ち場がないのかもしれません。でも今も竹田はロックしていると言いきってしまいましょう。
当時グレコのギター買うと成毛 滋のロック・ギターの解説テープと小冊子がついてきて、みんなこれで音作りの基本を学んだものですが、その後に竹田和夫バージョンも出ましたね。これは竹田和夫がハードロック路線からジャズ・ファンキー・ブルース混合のクロスオーバー路線にかわっていた時期に作られたテープですから、いまいちわたしにとってはつまらなかった記憶があります。全体的にスマートすぎて成毛さんの泥臭さに比べるとちょっと肩透かしという感じです。まあそれはそれとしてためにはなりますが。
竹田和夫はクラプトンのハード要素を継承する一番手だったかも。「スピニングトーホールド」が売れたのがだめだったかなあ。
・・・・懐かしくも、永遠のギターヒーローなのでした。・・思い入れが・・
ヨシ!!!行くことにしましょ(#^.^#) Sep 26, 2024 コメント(4)
イロイロはさまりで・・・すんなりとはいかず… Sep 8, 2024 コメント(3)