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[762] Re[761]: 大先生について 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/04/27(Fri) 21:39 平成元会員さん、こんにちは。>「仙道修行のためには、社会生活を放棄すべし」ですか、・・・・どの道を行くにしても蘊奥を究めるためには、世間との交際などを絶たないといけないのでしょうね。道家というものは大先生にとって、丁度良いものだったのかもしれませんね。日本人にはあまり馴染みがなく、以前誰かが書かれていましたが、「俺が道家のスタンダード」的発想が根底にあったのでしょう。
2007.04.27
[761] 大先生について 投稿者:平成元会員 投稿日:2007/04/26(Thu) 03:14 皆さんの仰るところに首肯しつつ、違う視点で少々述べます。五千言坊先生は、仙道修行のためには、社会生活を放棄すべしと書いておられます。大先生との本質的な違いはここにあると思います。仙道修行と「一般的」社会生活の両立は、不可能かもしれませんし、日本道観もしだいに露骨に人を選ぶようになりました。(最近は知りませんが)仙道連へのアンチテーゼとしての大先生は評価するところがあります。今でも日本のマスコミの欺瞞は犯罪的ですが、その一般的風潮の中、国際情勢をある程度、正確に把握し、所謂保守系の比較的まともな言論人と交流し、導引を教えておられました。国が危うくなれば、道士は立ち上がるということをどこかで書いておられましたが、支那大陸とは全く異質の歴史を持つ日本においては、明治維新や元寇の時のように海外からの侵略に対して立ち上がることに他なりません。仙道連は勿論、別格として、そこから必然的に派生した大先生が残したヒントには上記以外にも汲むべきものがあります。
2007.04.27
[759] Re[758]: 大先生は変わったか 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/04/25(Wed) 20:13 >正直なところ,陳さんがおっしゃるように,大先生は大志を貫かれたと考えたいし,無意識にはそうしているのですが,龍さんにバシッと言われてしまうと,やっぱそーかぁって感じ.で,大先生が変わらなかったかという点についてですが,大先生は,その能力とこの社会のつなぎ方について何度も方針を変えられたと思います.僕が大先生が変わらなかったのは、お金が大好きだったということで、これは普通の人は皆好きだと思うので人間味があると言えばあるということでしょう。お金に興味があるのは悪いことではないと思うけど、・・・。>その後,テレビにレギュラー出演するようになったり,ハウツーものの大手の出版社から出版するようになったりして,労力をかけずに稼ぐ傾向が始まったように思えます.テレビに出演してるの見たことないです、・・・残念だったなぁ~。> バブル経済も,大先生の方向転換に影響がありましたね.もしかして,結局株で大損なさって,その穴埋めのために大人数の洗心術を何度もやったってことはないでしょうか? (すいません,これは邪推)あの頃は、皆狂ったように株、株、株って目の色を変えていましたね。大先生は株でこんなに儲けた、・・・修行代は株で稼ぐなんて触れ込みでしたね。幸い僕は、元手になる資金がなくてできなかったのです。バブルが崩壊してから、次々に指導員の方が居なくなりましたね。> 気功ブームも影響がありました.気功の看板を使って,エステ並みにメジャー拡大を狙っていくころ,私は日本道観を離れたのでした.なぜ導引を教える時間を削って,気功を教えるんだ?結局、気功の奥伝が導引だということで導引に回帰したんですね。でも道学院とか言って気功や書術、料理までやってましたね。タオの村とか言うのもあったね。構想は凄いと思うけど、その後どうなったのかな?確かに有精卵とか豆腐とかは美味しかったですね(笑)
2007.04.27
[758] 大先生は変わったか 投稿者:翁桂栄 投稿日:2007/04/25(Wed) 04:51 この話題,大先生のファンとしては避けていたところがあるのですが,日本道観での体験を総括するには,避けてられませんね.正直なところ,陳さんがおっしゃるように,大先生は大志を貫かれたと考えたいし,無意識にはそうしているのですが,龍さんにバシッと言われてしまうと,やっぱそーかぁって感じ.で,大先生が変わらなかったかという点についてですが,大先生は,その能力とこの社会のつなぎ方について何度も方針を変えられたと思います.初期の著作には「このたび日本で始めてxxxxをxxxxするコトとしました」とか,「質問があればドシドシ寄せられたい」とか,後年には全く見られなくなった勢いがありました.これから導引をメジャー路線にのせるぞぉ,そのためには,労力を惜しまないぞぉという勢いが感じられます.(引用はうろ覚え)その後,テレビにレギュラー出演するようになったり,ハウツーものの大手の出版社から出版するようになったりして,労力をかけずに稼ぐ傾向が始まったように思えます.難病治療に関しては,ご本人から聞いた話だったと思いますが,治療ができても,急に悟ったようなことを言い出す人とか,無理してコロッと行ってしまうひととかばかりで,いいことがないと.それで難病に手を出すのはやめてしまったとか.これも,大先生自身,経験から学んで方向を変えた例ですね.バブル経済も,大先生の方向転換に影響がありましたね.もしかして,結局株で大損なさって,その穴埋めのために大人数の洗心術を何度もやったってことはないでしょうか? (すいません,これは邪推)気功ブームも影響がありました.気功の看板を使って,エステ並みにメジャー拡大を狙っていくころ,私は日本道観を離れたのでした.なぜ導引を教える時間を削って,気功を教えるんだ?このころ,中身が抜けたような若い人が多く日本道観に集まって,これを使ってナントカ隊だの演劇団だの,本気とは思えないような指示を出していましたね.うわぁ.思い出してみるととやっぱり変だな.というわけで,あれだけの大人にして,ナゼかはわかりませんが,大先生は変な方向に変わってしまったと認めざるを得ません.そう認めたうえで,私は初期の大先生,たぶん私がお会いするより前の大先生を,心の師として持ちたいと思います.
2007.04.27
[757] 導引だけ 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/04/24(Tue) 12:49 龍さん、初めまして、どうぞ宜しく。辛辣なお言葉、ん~なんと申してよいやら、・・・。先祖云々はご自分の意見があるならそれでよろしかろうかと思います。>道家のおきてに人から最低限のお金しか取ってはならないというのがある以上、あそこは医者であって、本物の道家ではない。↑初めて聞きました(笑)。そんな掟が道家にあったんですね。>彼も人の子、家族,組織を守る、ということ、で悪い意味で変わってしまったのだと思います。↑大先生は変わったのでしょうか?僕的には変わらなかったのではないかと思ってますが。>このすばらしい導引などを考えた昔の中国人がこれをきいたら嘆くでしょう。わしらはただ世のため人のために考えたのに。と。。。。↑嘆きますかね?!導引は、自分自身のためにあるもので、世のため人のためのものではないような気がします。いくらお金を出しても、その後やらない人はいる訳で、体に良いことと思っていても継続できない(自分も含めて・・・・)がかなりいるでしょう。大先生は大先生なりに考えて、我々には解らないことを実践していたのかもしれない、・・・・。本当に病人を治すのは大変なことで、そうならないように半健康人に目を向けたでのではないかと考えますが。
2007.04.27
[756] あの人について 投稿者:龍 投稿日:2007/04/24(Tue) 09:35 桂栄さん。はじめまして。早島正雄というひとはおそらく昔はまだ良かったのではないでしょうか。しかし彼も人の子、家族,組織を守る、ということ、で悪い意味で変わってしまったのだと思います。その意味で言えば道家になりきれなかった人であったといえます。ただし、導引などの術には罪はないのでお金をかけた意味はあります。人の悪口を言いたくはないのですが。大先生も人の子であった。。妙瑞という人に関して言えば人相的に金に汚い相が出ているのです。顔と言うのは正直なもので、人相に出てしまうのです。このすばらしい導引などを考えた昔の中国人がこれをきいたら嘆くでしょう。わしらはただ世のため人のために考えたのに。と。。。。
2007.04.27
[755] Re: 導引だけ 投稿者:翁桂栄 投稿日:2007/04/24(Tue) 08:46 龍さんこんにちは.辛口でバシッとまとめていただきました.私もそう思います.残念なことに,そういう問題がある集団に金も時間もかけてしまった.ならば今こそ,教わったことをふるいにかけて,本当に役に立てようではないかというのが,この掲示板の考え方だと思います.大先生がなさったことは,意味不明です.初期の著書にあるような鋭い指導をやめて,難病の治療もやめて,私のような半病人ばかり相手にユルユルの洗心術をして何が楽しかったのか.確かに金儲けにはなったと思いますけど,あれだけの人が,それを目的にしていたとは,ちょっと考えにくいしなぁ.
2007.04.27
[754] Re[667]: Re[662]: 導引だけ 投稿者:龍 投稿日:2007/04/24(Tue) 02:11 病気というのは先天的なものと後天的なものとあり、先天的なものは、生まれ持った幼児期の病気などがあり、後天的なものは、いわゆる成人病のたぐいである。いたずらに先祖の因縁とか、先祖に感謝するとかというのは断見の誤りである。そして導引、動功に関していえば経絡を通すというのに留まり、内蔵への直接アプローチが欠如している。また洗心にしても道家本来の玄典である老子をマスターせずにいたずらに指導者の言う事を鵜呑みにしていたのでは完成に至らない。導引で病気は治るが、会員の行動を見る限りヒステリー状態になっている人が多い、また指導者にマインドコントロールされている。道家のおきてに人から最低限のお金しか取ってはならないというのがある以上、あそこは医者であって、本物の道家ではない。道というのは我執とかに留まらずもっと奥深いところにあるのである。人間は子供に戻るのではなく、進化するものなのである。
2007.04.27
[753] Re[751]: はじめまして 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/04/13(Fri) 18:23 雪花さんへ本当は書き込みなんかしたくなかったところ、無理にお願いして書いて頂きありがとうございます。きっとその素直さが人生をより良い方向へ歩ませてくれるものと思います。何でも素直に「ハイ!」と言えることが無我執なのでしょうね、きっと。今の習いたてでなければ書けないことがあると思うのです。恥ずかしいことだったり、トンチンカンなことだったりするかもしれませんが、新たにこの掲示板を読む人には、絶対共鳴してもらえると思います。今まで、何人かの人を稽古場に案内しましたが、やはり感謝の気持ちがある人は継続して稽古に参加していますね。洗心術の時もそうでだったと思うのですが、相談したことを実践して結果こうだったと報告することが大事だったりするのではないかと思うのです。別に僕個人に連絡しなくてもよくて、この掲示板で知り合えたのなら、この掲示板で結果報告とか感想とかかけるのではないか、と思うのです。それがきっと感謝の気持ちの表れだと思うのです。
2007.04.27
[751] はじめまして 投稿者:雪花 投稿日:2007/04/12(Thu) 12:17 向日葵さん、翁桂栄さんはじめまして。まだ陳希夷さんの所で始めたばかりですのでまだまだ把握できていない状況です。一緒に稽古できる機会がありましたら色々と教えて下さいね。>大先生をご存じない世代の方なんですねー大先生の名前は存じていたのですが、あまりどういう方だったのか判りませんでした。確かに存じていない世代といえばそうかも知れません。いろいろと勉強させてください。
2007.04.27
[750] Re: 動功術稽古 投稿者:翁桂栄 投稿日:2007/04/12(Thu) 02:53 > 元会員さんとの稽古で改めて思いました。多少肩に力が入っていようが、変な受身でもそれなりに効果が動功にはあると。> なので稽古するのとしないのとでは、内容の如何を問わず、差が出るように思います。そうですね.小さな子を相手に,はじめの三手までやっただけですが,あの懐かしい爽快感のカケラを感じました.それから,雪花さん,こんにちは.大先生をご存じない世代の方なんですねー.最近修行をはじめた方々が,どういう風にしておられるか興味があります.いろいろ書いてみてくださいね.
2007.04.27
[749] [746] 動功術稽古 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/04/11(Wed) 17:54 翁桂栄さん、こんにちは。> 日本を離れても,いまどき何でも手に入るので,> 何も懐かしむものはありませんが,動功術だけはツライです.> で,昨日から7歳の息子に公園で教え始めました.> ちょっと時間がかかりそうですけど,意外といけるかな?↑7歳なら充分可能でしょう。というか、アメリカ人でも興味のある人はいると思うのですけど、・・・・。元会員さんとの稽古で改めて思いました。多少肩に力が入っていようが、変な受身でもそれなりに効果が動功にはあると。なので稽古するのとしないのとでは、内容の如何を問わず、差が出るように思います。激しい動きでもないので心配もいならいでしょう。雪花さん、コメントありがとうございます。この板を読んでいる方が少しでも勇気をもってもらえるように、素直な気持ちを書いて頂き感謝しています。また機会がありましたら、磐城までいらっしゃって下さい。
2007.04.27
[748] こんにちは 投稿者:向日葵 投稿日:2007/04/11(Wed) 17:33 雪花さん、はじめまして。宜しくお願いします!今度、稽古でごいっしょすることがあったらぜひご指導くださいネ(^0^)/
2007.04.27
[746] 動功術稽古 投稿者:雪花 投稿日:2007/04/10(Tue) 23:54 はじめまして。この掲示板を読ませていただいて、早島先生に対する印象が大分変わりました。正直酒風呂とか面白い先生だなーという印象でしたのでw。動功術・導引術をこの前の日曜日陳希夷さんのご好意で一緒に練習させていただきました。練習をやってて気持ちよくなるのは良かったです。受けも取りも導引なのですね。また勉強させてください。
2007.04.27
[745] Re: 元会員さん達との稽古で。 投稿者:翁桂栄 投稿日:2007/04/10(Tue) 01:53 > 先日、元会員さんと動功術をする機会がありました。うらやましいー.日本を離れても,いまどき何でも手に入るので,何も懐かしむものはありませんが,動功術だけはツライです.で,昨日から7歳の息子に公園で教え始めました.ちょっと時間がかかりそうですけど,意外といけるかな?
2007.04.27
[743] 元会員さん達との稽古で。 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/04/05(Thu) 19:11 先日、元会員さんと動功術をする機会がありました。皆さん、久しぶりの割りには、技は体に入っているので難なく稽古できました。元会員さん達の思いは、一つ。もう一度、あの気持ち良い動功を稽古したいというものです。一度でも、あの気持ち良さを体感したことのある人なら、もう一度動功の稽古がしたいと思うのは人情だと思う。動功術の変わりに合気道でもいいのではないか、とは誰でも一度は頭をよぎると思うが、実際合気道の道場に顔を出してもちょっと違和感を感じると思う。やはりそこには「導引」の裏打ちがないからではないかと僕は思う。また逆にヨガでもいいのではないか、と考えるだろうが、やはり活殺合わせ持っている動功の方が効果的だと思う。まあ、興味のない人や縁のない人には、どうでもどっちでもいい話だが、・・・。また大先生の本には、「合気の哲学」と書かれているが動功を稽古すると対人関係に利用できるし、動きの我執を指摘してもらえればそれはそのまま「洗心術」になると思う。もちろん、日本道観に通える人は、そちらで「修行」してもらえば結構だと思う。問題は、破門や卒業させられた人、続けたかったけけど無理になった人、はたまた入会前から躊躇している人だと思うが、有志の方が全国にいるので、勇気を出して問い合わせして欲しいと思います。大阪、関西方面では、仙人列伝さんが主宰して稽古しているみたいなので、そちらに問い合わせしてもらえればと思います。先日の稽古で、動功の稽古がやりたいと思っている人が、実はもっと沢山いて手を拱いているのだとしたら、同じ気持ちの人は全国に散らばっていますよ!と知らせてあげたいと思い書き込みさせて頂きました。
2007.04.27
[742] 齋藤式呼吸法 投稿者:翁桂栄 投稿日:2007/04/05(Thu) 03:45 齋藤式呼吸法っていうのがありますね.鼻から3秒で吸って,腹にぐっと2秒ためて,15秒かけてゆっくりはく.導引の方からみるとどうなんでしょう?私の経験では,導引をすると邪気を排出するときに強く息をはきすぎる傾向があるので,導引の間の2呼吸に齋藤式呼吸法を使うと,出入りのバランスがいいように思います.
2007.04.27
[741] 無題 投稿者:平成元会員 投稿日:2007/04/02(Mon) 09:44 いえいえとんでもないです。別に気にしてませんでした。`heavenly account`もそうですが、導引は大陸起源で、やはり生への希求がハンパじゃない(つまりそれだけ不幸である)ところで生まれたから、素晴らしいものなのでしょうね。
2007.04.27
[740] Re[739]: 無題 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/03/28(Wed) 12:02 平成元会員さん、こんにちは。前回レスがあった後、飛び越えて(無視したように)書き込みしてしまったので悪いなあ~と思ってました。すいませんでした、・・・・・。>自分は修行者であるとはおこがましくてとても言えませんが、そうえですね、自分からは言えないですね。言えないけど自分では修行していると思わないとやれないかなと思います。導引は、気持ち良いというけれど、毎日継続するとこのシンドさ、大変さは、やっている人にしかわからないと思いますね。>"Heavenly Account"という概念のさほど普及していない窮屈な場所で本当にまあ、普通にいい人が多いなあといつも思います。これ正に、大道廃れて仁義あり、智慧出でて大偽あり。じゃないですか?これみよがしにやるということは、過去に悪いことをした罪滅ぼしのような感覚がどこかにあると思うのです。普通が大事、凡が大事。なんでも中庸が大事なのだと思いますね。
2007.04.27
[739] 無題 投稿者:平成元会員 投稿日:2007/03/28(Wed) 00:48 体の修行も積まなければ、修行として片手落ちだと、まあ、自分は修行者であるとはおこがましくてとても言えませんが、導引を実践すると私のような素人でもわかります。導引という基準がなければ、観念論争の袋小路に陥りやすいですよね。"Heavenly Account"、外から見たアメリカは確かにそういうある種の理想主義を持っているように見えます。男気溢れるヤンキー魂も脈々と生きているみたいです。偽善も凄いですが。(笑)現代日本は小さいスケールの「ひどい社会」ですが、それでもオレオレ詐欺みたいなのに引っかかる人が続出する、"Heavenly Account"という概念のさほど普及していない窮屈な場所で本当にまあ、普通にいい人が多いなあといつも思います。こういう先祖の徳について言いたかったのですが、うまく書けませんでしたね。。
2007.04.27
[738] 「伝法者即行者」 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/03/27(Tue) 12:03 宗教教団は、その基本である教典の解釈の相違で、更にいくつかの教派に分かれいることも周知の通りで、その結果は各教、各派がお互いに自教自説に固執して対立抗争し、甚だしい時には流血の惨事さえ引き起こしていることは歴史の教える所である。なぜ、そんなことになってしまったのだろうか?初めは純粋であった教えが、俗界に入り大衆を教化しようとすると、その内容が俗化し、やることも俗物化してしまって、何時の間にかミイラ取りがミイラになってしまったので、これは「伝法の責を負う人々が、自ら行をしないからだ」と喝破しておられるが、釈迦も基督も共にひたぶるな自我滅却の行を積み上げ五欲を超克し去った大行者である。自分で実行しないで、それを他人に強制することは偽善である。これは何も宗教に限ることではなく、世のすべてに共通していることである。↑なにが言いたいかと言えば、我々には、導引という行法が残されているので、その行法をすることである。行法が残っている道家は幸せであると僕は思うのです。
2007.04.27
[737] Re: 徳 投稿者:翁桂栄 投稿日:2007/03/27(Tue) 08:48 > 本質原理である「道」が人間を通じて現れたもの、それを「徳」と言います。ここまでの考察のあとでは,この定義が一番しっくりくるように思います.道に則って人間が生きた証が徳ということですね.そう生きると,すべてがうまくいく.自分も,周りも,子孫も.また,キリスト教のお説教から引用しますが,ある牧師さんは,日曜日にお説教をする時間に,最大の幸せを感じるといいます.なぜかといえば,その瞬間,神様が彼に与えた能力を最大限に発揮しているから.(実際,その牧師さんはプレゼンテーションの天才です.)鳥は空を飛んでいるときが最高だし,魚は泳いでいるときが最高だと.
2007.04.27
[736] Re[735]: 徳 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/03/24(Sat) 19:40 > なぜだかわからないけど,徳を積むと返ってくると.↑日本人的には、見返りを期待しない。返ってこうようが、返って来まいが関係ない。翁桂栄さんが日本人でそういう人にめったに会わなかったのは、没我的で無意識にやっているからではないでしょうか?!「人物を修める」という本の中に、道徳を簡単に説明します。東洋では、宇宙人生というものを一貫して営んでおり、これがなければ宇宙・人生は成立しないという最も本質的なのものを、名づけて「道」と言っておる。人間は、自然-天の一部ですから天人であり、天に基づいているごとく道に基づいているのです。(中略)この宇宙生成の本質であり、天地人間を貫くところの創造・変化、いわゆる造化の本質原理である「道」が人間を通じて現れたもの、それを「徳」と言います。道と徳とを結んだのが、「道徳」であります。上記の説明では、僕にとっては「道・徳」も???よく分からないですが、翁桂栄さんには理解できるかもと思って書いてみました。確か、大先生の「老子道徳経の読み方」とかいう本にも書いてありましたが、老子の言う道徳と西洋の「モラル」を訳した道徳では意味が違うと・・・。大石蔵之介は「器量」人だという「器量」という言葉も今では顔の美醜だけの器量に変わってしまっているから、瑞先生が言った「徳」ということ説明するのは難しいかもしれませんね。> そういう風に生きている人には日本ではめったに会いませんでしたけど,米国ではたくさん会いましたよ.今の日本にはあまりいないのかもしれませんが、昔の日本人には少なからずいたと思われます。昭和組さんの書かれた「功過経」は道教の戒律みたいなもので、こういう行為は何点プラスとか、こういう行為は何点マイナスとか事細かに決められていたみたいです。中国の影響は少なからず受けていたでしょうから、・・・。こいうことは米国人だけに限ったことではなく、恐らく世界中に浸透していたのではないでしょうか?!
2007.04.27
[735] Re: 徳 投稿者:翁桂栄 投稿日:2007/03/24(Sat) 06:50 どうやら,こんどこそ理屈では割り切れないようですね.なぜだかわからないけど,徳を積むと返ってくると.なぜだかわからないけど,そうなっていると理解しておきます.なぜだかわからないので,"Heavenly Account"のような例えが使われているのでしょうね.(キリスト教では,これは例えではなくて真理ですけど.)陰徳を積むというと東洋的な感じがしますけれど,"Heavenly Account"は米国人には馴染み深い感覚で,日本での陰徳より浸透しているように思えます.そういう風に生きている人には日本ではめったに会いませんでしたけど,米国ではたくさん会いましたよ.
2007.04.27
[734] 徳 投稿者:昭和組 投稿日:2007/03/23(Fri) 00:24 功過経ですね。
2007.04.27
[733] Re[707]: 先祖の代から 投稿者:陳希夷 投稿日:2007/03/22(Thu) 12:00 > でも,徳っていうのは,まだ理解できないです.> 私を引き上げてくださった先輩や先生がたは,私の祖先どころか,> 父にあったことすらありませんから,私の家系の者がした善行を誰かが記憶しているという話ではないですよね.> 人間が生きていく中で1+1=2ということの方が少ないのではないでしょうか?まあ仮に祖父母のことは記憶にあるかもしれませんが、それ以前のご先祖様達については、記憶がないけどDNAレベルでは、その人達が行動したことが潜在意識に残っていると言われています。日本では「徳を積む」と言ったら普通は「陰徳を積む」ということで、翁桂栄さんの仰るキリスト教の"Heavenly Account"と同じことだと思いますが。電車の中で、席を譲るにしても日本人的には、「席を譲ります、さあどうぞ!」というよりは、無言で次の駅で降りるから席を立ちましたといった感じで、別の車輌に移ることがよくありますね。
2007.04.27
[732] 無題 投稿者:平成元会員 投稿日:2007/03/22(Thu) 02:51 再び、横レス失礼します。>私の母は献身的な人ですし,祖母もそうだったという話です.>そういった人たちの人柄が私の人格をつくるのに影響して,>それを感じた人たちが私を引き上げてくださるということかな?私も適当にしか考えていませんが、大体、社会で上に立つ人、というか立つべき人は、大先生のよく言っていた`自ら損をする`人に越したことはなく、そのように人の上に立った人はやはり、後継はそのような人に委ねたくなりますよね。そういう意味では、日本は理想的な環境だと、個人的には思います。翁桂栄さんは米国在住とのことですが、その辺は如何ですか?これは個人的関心に過ぎませんが。
2007.04.27
[707] Re: 先祖の代から 投稿者:翁桂栄 投稿日:2007/03/21(Wed) 09:50 すみません.間があいてしまいました.いいお話をいただいたので,よーく考えてからと思っていたら...でも,徳っていうのは,まだ理解できないです.私を引き上げてくださった先輩や先生がたは,私の祖先どころか,父にあったことすらありませんから,私の家系の者がした善行を誰かが記憶しているという話ではないですよね.私の母は献身的な人ですし,祖母もそうだったという話です.そういった人たちの人柄が私の人格をつくるのに影響して,それを感じた人たちが私を引き上げてくださるということかな?そういえば,この掲示板で先輩方にご指導いただいているのも,私が一番ですね.余談かも知れませんが,キリスト教では"Heavenly Account"ってのがあって,いいことすると,だれも見てなくても神様が数えてるって話.自分の金を持って天国に行くことはできないけど,"Heavenly Account"にためた徳は死とともに消えることはない.いい話だと思いますし,私はそう考えて生きたいと思ってます.払い戻しは,あてにしてませんけどねー.
2007.04.27
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