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天高く、馬肥ゆる秋――馬がどうして肥えるのか、その理由は分からなくても、空が高く澄んだ青でいることは分かり過ぎるくらい分かる。パーカーの上にジャケットを着た。空気が澄んで空が高くなったせいで、太陽はきっと燦々と照らそうにも、僕らが立つ地面からその距離を伸ばしてしまったんだろう。息が白くないのが不思議なくらい、きんとした空気の中でそう思った。そうでなければ、雲がひとつも無いこの空であって、僕が上着をクローゼットから引っ張り出す理由がつかない。秋が、すき。そう言ったひとのことを思い出した。僕がそのひとと一緒に見た秋の空は、この青より少し深かった気がする。気がするだけで、そうじゃなかったのかも知れない。そう言えば、太陽ももう少し黄色みがかっていたっけ。そうして、途切れ途切れの雲が山際の端に引っかかっていた。そのひとがどうして秋が好きだったのか、その理由を僕はしっかり聞かなかった。だから、そのひとのことを思い出しても秋の何が好きだったのかは思い出せない。だから、僕は秋があまり好きではないのかも知れない。肌を焼く太陽を蒸し風呂のような湿気をあれほど嫌っていたにも関わらず、夏を懐かしんで寂しい気持ちにさせるからだ。秋をすきと言ったあのひとを思い出させるのも、寂しい気持ちになるひとつかも知れない。秋は寂しい。秋は、寂しい。自転車を漕ぎ出した。ジャケットの隙間から、パーカーの襟元から澄んだ、きんとした空気が流れ込んでくるのを感じた。あのひとと秋の空の下を歩くときは、いや、それは春の空でも夏の空でも冬の空でもその下を歩くときは決まって自転車を押しながらゆっくりと歩いていたから、自転車が空気を切り裂く風ではない、街路樹の葉を揺らすのと同じ速さの風を感じていた。きんと冷えた空気は襟の隙間から吹き込んでくることは無かった。僕が自転車を押して歩くのを、あのひとは嫌がった。だって、両手でハンドルを握るから、手を繋げないじゃない。そう言って嫌がった。僕はバランスを崩しそうになりながら片手で自転車を押して、もう片方の手であのひとの手を握った。ときどき大きくバランスを崩して、自転車が倒れそうになった。ばーか、と言って、自転車は邪魔だからきらい、そう言いながら、でも顔は笑っていた。どんな季節の空の下であっても、僕が自転車を押しながら、ゆっくりと歩く機会はすごくすごく減ってしまった。もう、何年もそうして街路樹の葉を揺らすのと同じ速さの風を感じながら押すことも、バランスに気を遣って片手で押すこともなくなった。自転車を漕ぐスピードをあげる。びゅう、と透明な、透明すぎる空気を切り裂いて自転車がその中を走った。漕いだ。ずんずん漕ぐ速さを上げていった。寂しさだとか、冷たさだとか、神聖さを感じるくらいの青さの空、透明な空気、それら全て。そういうものがひょっとしたら落っこちてしまうんじゃないかってくらいに漕いで、ぐんぐんとスピードを上げていった。そうして、目の前を走る女子高生を必死で追ったのに、終ぞその短いスカートの中の下着が見えることは無かった。
2006.11.09