M17星雲の光と影

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2006.01.04
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カテゴリ: その他
今日が仕事始めの方も大勢おられるだろうが、今日までは休み。この1日は貴重である。しかし、昨日の夕方から左の鼻の具合が悪く、副鼻腔がやられている気配。鼻の奥という部所は、脳の直近であることもあり、全身の健康にはさほど影響を及ぼさないものの、精神的なうっとうしさははなはだしく大きなものがある。あー、しろしい(博多弁)。

 空は朝から曇天だったが、次第に明るさが増してきた。うちのマンションは7階建てで、自宅は最上階にあるのだが、晴れた日にはほぼ目の高さに富士が屹立している姿が見える。夕方には西の空一面に広がるあかね色を背景に富士がすっくと背筋を伸ばして立つ姿を望むことが出来、当家随一の自慢である。

 今日は西方の山並みが曇りにもかかわらず、よく見えた。そして、その中央に雲に似た灰白色ながら、南の斜面に太陽を浴びて銀色に鈍く輝く富士が見える。これもまた休日にしか味わえない風景の一つである。

 年末の大掃除が終わり、正月三が日も終わる。あわただしい年末に混乱の極に達した部屋の惨状は大晦日に見事に秩序を回復する。目の前のB&Wのスピーカーの上にも脇にもなんにもなし。すっきりとした木目が浮かび上がっており、すがすがしい。いずれエントロピーの増大に伴い、また元の姿に返っていくのだろうが、こういう秩序だった姿に心引かれることが最近多くなった。

 以前にはこう感じていた。人間が生活すればあちこちに雑然とものが散らかるのは必然であり、その姿は自然なものだ。そんなものほっとけばいいじゃないか、と。それを無理やり秩序立てても、いずれもとに戻っていくのであり、必死になって片づけを行うのは自然に逆らう不自然な行為だと。

 でも最近少し考えが変わった。人間が生活していれば周囲にものが散らかるのは当然である。この前提に変わりはない。でも、だからこそ毎日毎日少しずつ、その乱れを整える作業を行う、日々秩序を回復する。そのことの意味はけっして小さくないのではないか、と。

 だって、一言で整理整頓を行うといってもそれは一色の行為ではありえない。十人いれば十通りの秩序の立て方があり、そこにはその人のスタイルが反映される。そして、自らのスタイルを生活の細々としたことに反映させるのは、それはそれで人間として自然な行為ではないか、と考えるようになった。

 皿を食器棚に並べる時にも、実用本位でいくか、美的見地を優先するか、機能別でいくか、色でいくか、製造メーカーでいくか、種別でいくか、さまざまな分類整理の方法が考えられる。

 これを洗い桶にほおりっぱなしにしておくと、たしかに自然な姿とはいえるかもしれないが、そこには自分の自然なスタイルは反映されない。その姿はだれがやってもほぼ同じ無個性的なものであり、そこには人間行為一般の自然さはあるかもしれないが、自分のもつ自然なスタイルはむしろ消滅してしまう。

 人間の散らかし方には一定のパターンしかないが、整序の仕方には無限の広がりがある。こちらを愉しむ生き方というのもいいかもしれないな、そう考えることが多くなった。

 汚れ物のあふれた台所の洗い場をみて、まずさっと水で下洗いをし、スポンジに洗剤を垂らす、その洗剤は事前に水でほぼ二倍の薄さに薄められている、大きなものから洗っていき、小さなものをその上に重ね、コップを洗い、小物を洗う、すすぎの水が上手く洗い物全体の上にこぼれ落ちるような順番で作業を進め、すすぎに使う水の量を最小限に押さえるように工夫する。洗い桶に入れるときにもしずくが自然な流れを作り、水がよく切れるように置き方を考える。まあ、なんということもない作業だが、こんな小さな作業の時にも、頭はけっこういろいろなことを考えているものだ。

 洗い物が終わり、ふきんで食器に残った水気を拭き取り、食器棚に再配置していく。それが終わり、洗い桶の底にたまった水をざっと流しに空け、周囲を台拭きで拭き上げる。一連の作業を終えて周囲を見回すと、何かすっきりとした爽快感のようなものが感じられる。

 「終わった」という感覚は、次に何かを「始めよう」という気持ちを生み出す。

 人が自然に生きるという時、そこには異なる二つの意味が含まれているようだ。ひとつは天然自然の法則に従って生きるということであり、もうひとつは自分の内面で自然に感じられる生き方をするということである。

 両者がひとつに重なることもあるだろう。しかし、天然自然の法則に唯々諾々と身を任せる生き方に訣別することから、人は自分の歩を進め、独自の生活や文化を作り上げてきた。

 自然の大きな流れを無視しては失敗することが目に見えている。でも、その流れにただ身を任せるだけでは、この「自分」が生きているという実感が感じられなくなってくる。では、どうすればいいか。

 自然の大きな流れを感じながらも、時にはその流れに正面から向き合い、自分の足と手で流れとは逆の方向に進もうとすることも、また大事なことではないか。その時に、自分の体の回りに渦がまきおこり、さざ波が生まれ、その波が周囲に及んでいく。流れと流れがぶつかりあったところにわずかではあるが、心地よい抵抗感が生まれ、生きているという実感が湧き起こる。自然の流れの方向や巨大な水量は、実は無自覚的に流されている時ではなく、自分の足ですっくと立ち、流れの源流に目を向けた時にこそ、実感として感じとれるものではないか。

 日々の小さな片付け作業も、実は無秩序へと下っていく大きな流れの中で、自分の足で立ち上がり、源流へと向かって一歩足を踏み出す行為であり、その時に体の回りに湧き起こる心地よい抵抗感を味わう作業ではないだろうか。

 そんなことをふと考えた。






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Last updated  2006.01.04 11:37:55
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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