M17星雲の光と影

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2006.01.19
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カテゴリ: 猫のいる公園にて
世情は騒然としているが、テレビをつけるとさぞかしあの人やこの人の顔が氾濫し、あのことやこのことがかまびすしく論じられているのであろう。金一筋に生き(この段階が実は問題だと思うが)、その結果として法を踏み外した人間と、それをさんざん祭り上げるだけ祭り上げておいて、一夜にして態度を豹変させた人間と、どちらがたちが悪いかというと、個人的には後の方が始末が悪いような気もする。少なくとも微塵も罪障感を感じていない点においては、後者のほうが上だろう。

何はともあれ、人間は「歴史を学ぶ」ことはできるが、「歴史に学ぶ」ことはきわめてむずかしいというのが私の感想である。

さて、そんな人たちの尻馬に乗ってわあわあ騒いでいてもしかたがない。話を変えよう。

ここで唐突にクイズです。次の3つのことばに共通するものはなんでしょう。
「1 いわし 2 さわら 3 かもめ」

なに、「海」ですと、たしかにまちがってはいませんが、いささか退屈な答ですな。じゃあ、ヒントもまた3つのことばで示しましょう。
「1 よくわからない 2 そうかもしれない 3 いささか」

なに、ヒントになってない。失礼しました。これは村上春樹氏の口癖(書き癖?)ですね。最初のクイズの答は「猫」です。すべて村上作品に登場する猫の名前というわけです。(ここで文体を変えて)

私はこれらの猫の名前を好む。猫という生き物はどこかひらがなになじむ。その生き方の柔軟性というかしなやかさというか、それがひらがなと通じるところがあるのである。できれば猫には大和言葉をつけてあげたい、そういう気がする。



それからその公園に出かけて猫に会うのが楽しみになった。そこには五匹の猫がいた。顔なじみになると、名前がないと何かと不便を感じる。呼びかけようがないからである。そこで名前をつけようと思った。

最初に出会った雌猫は人なつこいが、聡明で、意外にクールなところもあった。撫でられることは拒否しないが、媚びを売ったり、べたべたまとわりついたりはしない。クールでべたつかず、聡明さのただよう、しかも元気で長生きできる名前はないかと考えた。その際に村上春樹氏のネーミングのセンスを見習おうと思った。

その猫に「ひのき」と命名した。清潔で長寿でさっぱりとして人にも好かれる。これはわれながら自信作である。呼んだ感じもいい。

おそらくその猫の姉妹であろう、毛並みのよく似た猫がもう一匹いた。ややとぼけてて、おっちょこちょいで人見知りもするが甘えん坊である。「樹木」シリーズで「がじゅまる」と名づけた。これも悪くはなかったが、やや呼びにくいのが欠点だ。「がじゅ」と約して呼ぶことが多かった。

あと二匹いる。一匹は栗色の毛色が特徴的だったので、安易だが「まろん」、もう一匹はこわもてで黒っぽい毛色でいかにも野良という感じのどら猫である。絶対に人間に体を触らせないし、近づいてもこないので、高貴な名前をと思い、「ばろん」と命名。

その後、さらにもう一匹登場。これは攻撃的でやんちゃな性格。手を伸ばすと、右フックで手を引っ掻かれた。その傷を見ながら、「鷹みたいなやつだな」と思い、「まるた」と命名。「マルタの鷹」ですね。

この五匹である。「ひのき」は名前に反して疥癬にかかり苦しんだ挙げ句、謎の失踪をする。何ヶ月ぶりかにやっと帰ってきたと思ったら、今度は「がじゅ」が失踪。野良猫の世界も転変としてなかなか大変なのである。

事情があって、その公園にも1~2ヶ月行けなかった。以前には猫缶をもっていったり、にぼしをあげたりして親交をあたためていたのだが、それも間遠になり、いつしか月日が過ぎていった。

先日、ひさびさにその公園に立ち寄った。「まるた」がいた。はたして私のことを覚えているだろうか。猫は物忘れがはげしいっていうもんな。彼は私のほうへ小走りでやってきた。以前には餌をねだるような仕草をしたのだが、私の1メートル前くらいで立ち止まり、ほんの一瞬だが、じっと私の目を見た。そして、一言「やあっ」といった。なにぶん猫なので軟音化されて「にゃあ」となったが。でも、私の耳にはたしかにそう聞こえた。「ひさしぶり」という表情をして、私の周りを一回りして、再び1メートルくらい離れて私と同じ方向を向き、おもむろに毛づくろいを始めた。

猫の集団を観察していると、小津の構図(互いに向き合わないで皆が同一の方向を向いて座る)をとることが多い。おそらくは無防備な背中を相手に見せることが、ある種の信頼と親しみの表現となるからではないかと思われるが、詳しいことは聞いてみないとわからない。

私は感動した。まるで旧友と再会したような気持ちになった。まるたは決して繊細な猫ではない。攻撃的で自らの欲望に忠実なバイタリティあふれる食い意地の張った猫である。でも、餌をねだるでもなく「やあ」と一声かけて、公園のベンチに並んで腰掛けでもするように、私と同方向を向いてぼんやりとしている。



猜疑心の強いまろんは無反応だったが、最後に会ったひのきはまた違った反応を見せた。彼女は地面に横たわり、おなかを撫でる私の手を一心に舐めはじめた。それはまるで私の手の甲にある「空白」という文字を舐めてぬぐい取ろうとしているかのように見えた。あるいは私の傷を癒そうとしているようでもあった。ざらざらとした舌の感触を感じて、私はなんともいえない気持ちになった。

なぜ彼らはこんなに洗練された再会の作法を身につけているのか。今時、人間ですらこんなにさりげなく、かつ情のこもったコミュニケーションの所作を行うことはむずかしいというのに。

そして、彼らの作法の背後に、コミュニケーションに不可欠な二つの条件があることに気づいた。それは「孤独」と「はじらい」である。

コミュニケーションとは原理的には個と個をつなぐことである。だから、コミュニケーションの大前提には、なによりもまず「個」であること、すなわち「孤独」が必要なのだ。私はそのことに思い至った。

猫は基本的に単独行動をとり、どんなに集団でいてもその一匹一匹はあくまでも「個」としてふるまう。「個」と「孤」の緊張感を背後に感じさせるからこそ、彼らのつながりはべとつかず、ねばつかない。



「えっと、あんただれだっけ」という忘却でもなく、「いったいいままでどこいってたんだよ」という非難でもなく、「早くエサよこせよ」という要求でもなく、「やあ」と一声かけて、少し距離を置いて同じ方向を向いて座り、肩をならべて遠くを眺める。

猫の洗練された作法からわれわれが学ぶべきものは少なくない。






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Last updated  2006.01.19 19:52:56
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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