M17星雲の光と影

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2006.03.11
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カテゴリ: 文章論
「自分の思っていることを文章に書いてみなければ、私は自分が何を考えているかがほんとうのところ、よくわからない人間なんです。」

こういうフレーズが村上春樹氏の小説およびエッセイにはよく出てくる。

へー、そんな人間もいるのか。けっこうめんどくさくて大変だろうな。これが私の第一印象だった。だって、思っていることをいちいち文章に書き留めてみなければ、自分が何を考えてるか、自分自身にもわからないとしたら、これはずいぶんと手間ひまのかかる生き方ですよね。そうか、この世の中にはそういう種類の人間もいるのか。これが私の感想でした。

毎日少しずつ文章を書くようになって、ほとんど四ヶ月がすぎた。その過程でほんの少しではあるけれども、文章を書くということの意味について体感として感じとれることが増えたような気がする。

たとえば若い頃のことを文章に書く。そうしようと意識しなくても、自然と思い出を語っていることが多いことに気づく。

それを読んだ人にこんなことを言われたことがある。

「ずいぶん昔のことをよく覚えてるのね」
「いや、覚えてるわけじゃないんだ。あれは文章を書いている時に作られてくるものなんだ。」
「え、あれって作り話なの」

「よくわからない」
「たしかにね。ぼくにも実のところはよくわかっていないんだけど。ひとつだけいえることは、文章以前に頭の中に何か確かな記憶なりイメージなりが存在していて、それを書きとめるということが文章を書くという行為の本質でないってことなんだ。」
「よくわからないんだけど、たとえば料理を作るのとはちがうってことかしら。コロッケ食べたいなと思う。材料を買ってくる。下ごしらえをする。油を熱し、コロッケを放り込み、きつね色になったところで引き上げる。キャベツの千切りを添えて皿に盛る。文章を書くのって、こういうプロセスとは違うって、あなたはいうわけ?」
「うーん、そうだな、たぶんそれとは違うと思う。書き始める時、最初の一行や核心的なワンフレーズが浮かぶことは確かにある。でもそれは『コロッケを作ろう』という気持ちとはかなり違う。そんな全体像があらかじめはっきりと浮かぶというのではないんだ。なんとなくあんなものが食べたいな、という漠然とした気持ちからそれは始まるんだ」
「油で揚げたかりっとしたものが食べたいな、とかってこと?」
「うーん、それに近いかもしれない。でもとりあえずジャガイモを買ってきてお湯で茹でる。それが最初の一行なんだ。」
「それから」
「そこからがうまくいえないんだけど、そうだな『何かに導かれていく』といったらいいだろうか、そういう感覚があるんだ」
「どういうこと?」
「そうだな、文章を書くってことは実はそれほど自由な行為ではないと僕は思うんだ。そこにはある制約というか、法則性というか、こうしたら次はこうなる、そうしたら次はこうでしょう、っていうような流れがあるわけ」
「うん」

「だとすると、それはあまり主体的な営みではないということにはならないの」
「うん、ある意味ではそういえるかもしれない。でも自分のほんとうの主体性というのはそういう形であらわれるものかもしれないという気もするんだ」
「よくわからないわ」
「つまり自分が何を考えているかということは実はみんなよくわかっていないような気がする。それはどこから始まり、どこをたどって、どこへ行き着くのかがよくわかってないということなんだけど。こういう流れがわからない限り、自分がほんとうに何を考えているのかはよくわからないと思うんだ。言ってること、わかるかな」
「うん、なんとなくわかるような気はする」

「ピースがただばらばらに存在している状態ってわけね。」
「そう、そしてとりあえず最初のピースを置いてみる。多くは角っこの部分だったりするよね。とりあえずそれにつながるピースを見つけてくる。そうしてそのブロックが完成する。そしていくつかのブロックが組み合わされて、徐々に全体像の予感のようなものが感じられてくる。そして最後の一行がぴしっと枠にはまった時、文章ができあがるんだ。そして、背伸びをして、いま作り上げたパズルを遠目に眺めた時、『ああ、これが私の頭の中にあったことなんだ』ってわかる。文章を書くっていうのはそういうことなんだよ」
「それって文章を書き終わって、事後的にはじめて自分の考えが自分にも明らかになるってことなの」
「うん、だいたいそういうことだね、おそらくは。」
「だとしたら、以前あなたが言ってた村上春樹さんの言ってることと同じことなんじゃない。文章を書いてみなければ、自分が何を考えているのか、ほんとうのところはよくわからない、ってことばのこと、このあいだあなたいってなかった?」
「そうか、だんだんわかってきた。あのことば読んだときには『ふーん、そんな人もこの世の中にはいるのか』って思ったけど、それは読みが浅かったんだ。彼はほんとうは『文章を書くとはどういうことか』ということを書いていて、ただし『安易な一般化は避けよう。慎重に言おう』と思ったんだ。」
「どういうこと?」
「つまり『文章を書くってことはジクソーパズルを完成させるようなことで、文章を書いてみてはじめて人は自分が何を考えているかがわかる。』と書こうとして、『いや、待てよ。こんなに簡単に一般化していいんだろうか。これはあくまでも僕一人の実感にすぎない。世の中の人はそういう過程をたどらなくても、ちゃんと自分が何を考えているかしっかり把握しているのかもしれない。だから、こう書かなくちゃいけない。『文章を書くことではじめて自分が何を考えているのかがわかる。私はそういう人間です』、って。」
「自分の実感を尊重しながら、その実感を安易に一般化せずに、慎重な保留をつけた表現ってことね」
「そう、そうか。なんとなくわかってきた。そうだったのか。そして、これは自分一人の実感にとどまるものではなく、おそらくは一般化することが可能な仮説かもしれないんだ。だから、春樹さんの小説は次第に『文章を書く人』が登場人物として出てきて、その仮説を検証する役割を果たしているのかもしれないね」
「『スプートニクの恋人』のすみれちゃんみたいに?」
「そう。あるいは『蜂蜜パイ』の淳平くんみたいに」
「ふーん」
「そういえば春樹さんがある雑誌のインタビュー、正確にいうと若い小説家とのメールのやりとりなんだけど、その中でこういうことをいっていたことを思いだした。『文章を書くということは、経験していない記憶を辿る作業なんだ』って。」
「けっこうむずかしい言い方ね」
「うん、これは小説の場合、最初の一行を書きつけた時には、その後のことはほとんど何もわかっていない。でも、ひとつひとつ辿っていくとある世界ができあがる。そういうことを言っているんだよ。」
「ふつう、記憶って知ってることを辿る作業なんだけど、それを未知の経験にあてはめることが文章を書くってことになるってことかしら」
「たぶんね。それは自由気ままでも勝手なことでもない。辿るというのはある法則性に従っていくということだからね。でも、何を辿るかというとそれは未知の経験なんだ。それが文章を書くってことの本質なのかもしれない。文章を書いていて、昔の思い出が生き生きとよみがえるのも、おそらくはこの『辿る』という文章の本質から導かれてくることなのかもしれない」
「そして、もうひとつの文章の本質も私はわかったような気がする」
「どんなこと」
「それは文章を書くことは、昔の自分と今の自分だったり、私とあなただったり、あなたと春樹くんだったり、いずれにしても『対話』をすることだってこと。そうじゃないかしら」
「誰かの文章を読むってことは、それを通して自分の内面とその人との対話を行うことであり、自分で文章を書くってことは、その対話の質をいっそう深化させる作業だってことになりそうだね。」

なんだか少しわかってきたような気がする。だけど「文章を書く」ことを「文章に書く」ってことはなかなかややこしく、しかしなかなかに興味の尽きないことであることだけはたしかだと感じられるのである。

ややこしいブログですみません。(といいながらまったく反省していない自分がこわい)






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Last updated  2006.03.11 21:33:59
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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