なかなか考えさせられるお話が多く、いつも楽しみに読ませていただいております。
私も、ほんのしおりさんと同じく、村上春樹氏を思い浮かべながら、今日の文章を読んでおりました。

『完全な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。』
「風の歌を聴け」の冒頭です。
まさに・・・ですね。面白かったです。 (2006.12.28 21:44:48)

M17星雲の光と影

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2006.12.22
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テーマ: 感じたこと(2902)
カテゴリ: 音楽
完全に理解しつくせるものと、まったく理解できないものは、愛の対象とはならない。

ある程度までは理解可能だが、最後の最後のところで、どうしてもわからない部分が残る。そういうものを私たちは愛の対象として選択する。

そもそも最初から理解しようという気の起こらない場合は論外である。それはこころがそちらに向かっていないのだから、愛情の起動装置そのものにスイッチが入っていない。そういう状態は「無関心」と呼ばれる。

完全に理解できるということは、しかし、その時点ですでに理解のレベルを超えて、「支配」の領域に入ってしまっている。支配下にあるものを庇護したり、愛玩したりすることはできるが、愛することはできない。庇護や愛玩と愛は違う。前者は既知が前提であり、後者は未知が前提だ。すべてが既知であったとしたら、そこにはもう愛は存在しない。

まったく理解できないものに対しても、愛は起動しない。それはある意味では未知の塊なのだが、あまりにも大きすぎる未知は違和感だけを引き起こし、親和や親密の感情を呼び起こさない。したがって、そこにも愛は生まれない。

まず対象を理解したいという強い欲望がある。その欲望は強烈な執着や愛着を伴って、どこまでも対象に肉迫しようとする。しかし、あと一歩というところで、極限までのばされた指の先から対象はむなしく逃れていく。その瞬間、伸びきった指の先端から分泌される感情、それが愛である。

届きそうで届かないものに対してわれわれはあこがれを抱く。でも、あこがれもまた愛そのものではない。それはしょせん、愛にふりかけられる調味料にすぎない。調味料を皿に大盛りにしてもそれは料理にはならない。だから、あこがれは愛ではない。むしろ「届きそうで届かない」という条件のほうが、あこがれよりも愛の本質に近い。

対象に到達したいというやるせない願望、でもどうしても到達できないという苛酷な現実、この二つの間の相克に愛の本質はある。両者の拮抗のなかでのみ愛は棲息可能である。二つの条件のうち、どちらかが明らかに優位に立ったとき、愛は終息してしまう。願望が現実に勝ると、そこには実体のない幻だけがあてもなくただよう。逆に現実が願望に勝ると、そこには無力な断念が生じる。二つの相異なる条件の間に、微妙で、かつ強力な磁場が発生しない限り、愛はその姿を現さない。

この機微は何かに似ている。そう、それは文章を書くことと相似形をなしているのだ。



あるいはあらかじめ何かを書くことを断念し、あこがれに酔うための手段として文章を用いることもできるかもしれない。そこにある種の靄のようなもの、霧のようなものをただよわせることはできるかもしれない。でもしょせん靄は靄、霧は霧である。それが実体感のある文章の手ごたえにつながるわけではない。そこにはただ現実と遊離した底の浅い幻想がたちこめているだけである。そこにも愛はない。

求めてやまないものに渾身の力をこめて手を差し伸ばし、懸命にその指先をのばして対象に手を届かせようとすること。そこにしか愛は宿らない。でも、届かないものに指先を届かせようとすること、それを愛の定義として認めてしまった瞬間に、その現実的な到達の可能性はあらかじめ断念されてしまう。

愛も文章もその絶望的なアポリアのなかにだけわずかに自らの棲息条件を見出す。さわろうとしてもさわれないもの、表現しようとしても表現しえないもの、それが「愛」であり、「文章」なのだ。

私はいったい何をいおうとしているのだろうか。

そう、それは「あいだがあいだ」ということである。

「間が愛だ」。

懸命に手を伸ばし、指先を伸ばし、対象に触れようとする。その指先と目指すべき対象とのあいだに存在するかすかな、わずかな隙間。そこにこそ愛は棲息する。

愛の棲息領域はその「あいだ」にあるということ。私にはそのことだけはわかる。

もしもその狭い領域に双方から手を差し伸ばし、その指先に一瞬の放電現象が起きるとしたら、それを可能にする条件はなにか。

残念ながら、それは私にはわからない。

二つの指と指の間に、あるいは文章と対象との間に、一瞬でも虹をかけることができるのか。もしもできるとしたら、どうすればそれは可能になるのか。



私にわかるのは、二つの魂の隔たりをどこまでも零に近づけようとして接近を試みることの大切さと、しかし、その距離はけっして零にはなりえないという事実。ただそれだけである。


ただひとつ 木枯らしにこごえる日には
 かじかんだ手を あたためてほしい
なにひとつ たしかには見えなくても
 おびえることは なにもないから

 話せるときがきたら くらしていこう
すばらしく すばらしく 毎日がすぎて
 悲しみに出会う時は なみだをながそう

夜がきて あたたかいスープをのもう
 あしたも きっと またさむいから

Oh baby ぼくは君に話しかけてる
 あの日のように いつものように

ぼくらが もうすこし 愛について うまく
 話せるときがきたら くらしていこう
すばらしく すばらしく 毎日がすぎて
 悲しみに出会う時は なみだをながそう

ぼくらが もうすこし 愛について うまく
 くらしていこう
悲しみに出会う時は なみだをながそう

(スガシカオ「愛について」)


この不思議な、そして完璧な歌詞の意味が一瞬わかりかけた気がしたのだけれど、もうすこしというところで、また差し伸ばした指の先からその意味は逃げていってしまった。

私は、そして彼は、「愛について」いったい何を語ろうとしているのだろうか。








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Last updated  2006.12.24 21:13:39
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はじめまして!  
マコ5596  さん
改めて考えながら読ませてもらいました!
共感する部分があり大変面白かったです。
また寄らせていただきますね! (2006.12.22 23:12:41)

Re:はじめまして!(12/22)  
マコ5596さんへ

こちらこそはじめまして。スピーディーなコメントありがとうございます。ずいぶんあれこれ考えて、わかりにくい書き方になってしまったかなと思っていただけに、「面白かった」というコメント、ありがたく感じました。お暇な時にまたおいでください。では。 (2006.12.22 23:41:29)

明日もまた寒いから  
えいこん さん
『愛について』はこの前のコンサートで二度目のアンコール曲だったのですよ。
客席がわあわあしているところにギターを持ってひとりだけで現われ
『愛について』とタイトルコールしたとたん国際フォーラムの大会場が無音。
「わあ、静かだな」とつぶやいて演奏が始まりました。
ほんとうに素敵な瞬間でしたよ。
愛は暖かいスープの湯気のなかにあるかもよ? (2006.12.23 00:36:39)

名文です!  
ほんのしおり さん
やや、すばらしい。
文の、書いてあることとそれが示していることがずれてないのも、ちょっとおかしみとかなしみがいりまじっているところも、すばらしいですね。
村上春樹の小説と、グレート・ギャッツビーを思い起こさせる文章でもありましたよ。 (2006.12.23 03:50:55)

Re:愛について(12/22)  
ジュン さん
     「届きそうで届かないもの」
     「間が愛」

なるほど…愉しく読ませて頂きました。 ちょっと難しかったですが。

タツル先生は、愛の始まりは「あなたの事をもっと知りたい」であり、愛の終わりは「よーく分かったわよ、あなたという人が」であるからにして愛とは…と書いていらっしゃいました。

そのお話と通じるところがあって、うふふであります。 (2006.12.23 11:24:40)

Re:明日もまた寒いから(12/22)  
えいこんさんへ

そうですか、アンコールであの曲をやってるんだ。でも彼のライブを体感されたというのはなんともうらやましい限りです。私もそのうちぜひにと思っております。

スガシカオのことばの感覚には以前から注目しています。いわゆる「いい詞を書く音楽家」というのは他にもいると思いますが、彼ら(彼女たち)の多くは、「書きもの」の世界の人間に頭を「なでなで」されると従順にしっぽを振るのに対して、彼の詞は「書きもの」の世界の人間の指先にも鋭く突き刺さってくる棘をもっている。そこがすばらしい。この曲もそうですが、彼のタイトルのつけ方もいいですね。「ストーリー」、「愛について」、「夜空のムコウ」。なんともいいタイトルです。
(2006.12.24 09:08:50)

Re:名文です!(12/22)  
ほんのしおりさんへ

いやいや、ありがとうございます。ほんのしおりさんはほんとにほめ上手ですね。書き手はもともと増長しがちなタイプですから、ほどほどにお願いします。春樹氏、フィッツジェラルドとでは、「月とすっぽんの足のうおのめ」ほどのへだたりがありますが、ギャツビー春樹訳を三度読み、病が高じて原文も読み(春樹訳が頭に入っているので、単語なんかわかんなくてもけっこう読めるんですよ)、都合、四度ギャツビー体験をした身としては、わずかでもその残り香が文章にただよっているとすれば、光栄これに勝るものはありません。 (2006.12.24 09:10:04)

Re[1]:愛について(12/22)  
ジュンさんへ

そうですね、たしかにタツル先生もそうおっしゃっていました。私は自分なりに先生の「他者」のお話をうかがうたびに、「愛」のことを思います。「先生はえらい」もそうですが、他者とのコミュニケーションの根底には「未知なるものへの愛」、あるいは「相手が未知であるゆえの愛」がある。そういう発想はおそらくタツル先生から学んだことではないかという気がします。
(2006.12.24 09:12:45)

はじめまして  
ぴーとん さん

Re:はじめまして(12/22)  
ぴーとんさんへ

こちらこそはじめまして。いつもコメントをいただく方々とのやりとりも愉しいですが、はじめての方に声をかけていただくことはまた特別ですね。文章を誉めていただいてありがたく思います。しかも尊敬してやまない春樹氏の名前まで挙げていただけるとは。この文章は私なりにこころをこめて書きました。その分、少しばかり息苦しい書き方になってはいないかなとも思っていましたので、こういう形で声をかけていただくことは励みになります。これからも気軽にお立ち寄りください。初コメントありがとうございました。 (2006.12.29 07:32:17)

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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…
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