美深センターの周りの土地は石ころだらけです。
大人の頭より大きな石が、うじゃうじゃと埋まっています。
建物を造るときに、そこに埋まっていた石ころを捨てたのも原因ですが、もともと石の多い土地柄のようです。
住所の“辺渓(ペンケ)”は、アイヌの言葉で川上という意味だそうです。近くには、川下を指す“班渓(パンケ)”があります。
山間である仁宇布(ニウプ・ニップ/森林)から流れるペンケニウプ川が、悠久の時の間に蛇行を繰り返し、ときには氾濫して、大量の石を運んできた…。
トラクターで起こした大地のあちらこちらから、ひょこひょこと頭を出している大小の石ころたち。
ひとつひとつ拾っては放って、集め、積み上げていく。
こういう単純作業をして、無心になっているときが最高に愉しい。
この石がたどってきた軌跡を想像する。
大きな岩が水の流れによって削られて、ごろりごろりと動いていく。
仲間たちと激しくぶつかり合い、格闘し、擦れ合い、葛藤し…。
そんなことを繰り返し、繰り返しするうちに、次第に角がとれて丸くなっていく。
そう、人間もまた然り。
北海道に来なければ出会うこともなかった石ころたち。
トラクターの刃が何本も折れてしまうほど硬いけれど、丸みを帯びた形にはひとつとして同じものはない。
邪魔もの扱いしているけれど、次第に愛おしくもなってくるから不思議です。
そしてもちろん、農哲学院は集めた石を無駄にはしません。
いつの日か、彼らは石釜の一部となってくれることでしょう。
掘り起こされた大地から石を拾いながら、これからここを使わせていただきます、種を蒔きます、宜しくお願いします、と知らず知らずのうちに大地に挨拶しているのかもしれない。
倭人とは一体全体どの人たちを指している言葉なのか分かりませんが、「倭」という文字は、農耕を女性に“委ねる人”を意味していると聞いたことがあります。
万世一系の民族がこの列島を支配する以前の、母系制の時代に生きていた人たちのことなのかもしれません。
「母系制の時代、女性たちが畑にいた理由は、そこで育つ植物たちに歌をうたって聞かせる必要があったからだと聞いたことがある。植物たちは話しかけられ歌を聞かされることで育ち方が全然違う」(北山耕平さんの Twilog より)
のんびりとマイペースで作業しつつ、無意識に植物や道具たちに心の中で語りかけているような氣がします。
広大な大地で誰にはばかることなく大声で唄える環境ですので、そのうち歌のほうも試してみようと思います。 ^^
(てる)
田んぼの教室 2012.06.19
12月1日をむかえて。 2011.12.02
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