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うちは、私の母も義母も病気で、姉妹もいないので、赤ちゃんが生まれたら、最初から夫婦二人で頑張るぞー!という状況です。2月というと、夫も年度末が近づき、年間でも仕事が一番忙しい時期なので、そうも休んでいられません。2日くらいなら何とか・・・という感じ。入院予定は1週間くらい。退院後は、ほぼ一人で頑張る覚悟です。そういうおうちって、結構多いのでしょうか?案外そういう人達だって、わりといるだろうし、中にはシングルマザーで全部一人で頑張る人だっているかもしれない。やってできんことないでしょー!と思っていたのですが・・・先日遊びに来てくれた友人が、「それは無理だよ、一人じゃ大変だよ」と心配してくれました。帝王切開後ということも気にしてだと思うのですが、「よし!私が毎日手伝いに来る!」って言ってくれてます。気持ちが嬉しい でも彼女も0歳児の母で忙しいはず。同級生になるのです 男を産めと言われました(笑)彼女の場合は、最初母乳がなかなか出なかったり、いろいろ思うようにできなくて、すごくブルーになって、1週間くらいは泣いてばかりだったんですって。普段はしっかりした明るい人なので、ホルモンバランスの変化とかも関係あったのかもしれないですね。なんせ、初めてのことなので、私もいろいろ上手にできるか、体力は大丈夫かとか、不安は不安なのですが・・・気力体力がなんとかなれば、電話などで相談にのってくれる友達は結構いるし、このブログでだってアドバイスがもらえるかも。お腹を切るのは今回で3回目になるので、他のオペより特別しんどいのでなければ、多少痛くても、次の日から動く自信はあります。退院すれば車だってすぐに運転できそう。嬉しくて幸せで、何でも頑張れちゃったりしないかな??結局「やってみんとわからん」ことですし、もし赤ちゃんが一時保育器に入ったり、私のオペが少しやっかいなことになれば、また予定も違うのですが。さてさてどうするか。父の奥さんに甘えてみるか・・・でもお仕事してるし、頼むのに少し勇気いるな。父に来てもらうか・・・役に立つんだろうか入院を少し長めにしてもらうか・・・夫といろいろ相談中です。育児ブログめぐりでもしてみようかな。
2009.11.06
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昨日11月3日は、9回目の結婚記念日でした。ミレニアム婚です。レストランを予約し、ワインとジュースで乾杯「9年間ありがとう!これからもよろしく!」久々のコース料理と、ピアノの生演奏。素敵な夜でした。焼きたてパンが美味しかったーお腹がいっぱいになってきても、パンのお姉さんが回ってくると、ついつい頼んでしまい、もう何個食べたやら・・・。二人で、ウーン・・・くるし~と、ブツブツ。この苦しさ、ちょっと分けたげる。ほら、何でも分かち合うって誓ったじゃないの(英語丸覚えでチンプンカンプンだったかもだけど・・・)いらんわいっいつも変な会話をしています。もう9年かぁ・・・。しんどい時もあったけど、今年が一番幸せかも。来年、再来年も、「今年が一番幸せ」って思えたらいいな。さて、体調のほうは、吐き気はもう全くなくて、脂っこいものを食べると胃もたれゲップが時々。消化吸収は少し落ちているけど、つわりというほどではなくなりました。食べる量が増えて下剤も少し減らしました。お尻の調子はたぶん、生まれるまで要注意です。腰痛は「トコちゃんベルト」で調子良いです。はずすと痛くなるので私は必須かな。お腹がどんどん大きくなって、今年生んだ友達に「妊娠線でスイカみたいになるよ~」と言われたので、毎日ベビーローションでマッサージしています。胎動がはっきりしてきて、見ていてもおなかの表面が動くのがわかるし、夫が触っても良くわかるようになりました。「今日も元気!」と安心。体重がみるみる増え始め、昨日の食べすぎもありますが今朝は55.4キロ・・・2週前53.0キロ・・・ヒー! えらいこっちゃ。昨日はたくさん食べることを予測して、エアウォーカー1時間半。今日も頑張ります昔買った、ディズニーの英語絵本+CDがあって、最近それをBGMに家事をしたり運動したりしています。キャラごとの声優さんで、歌もたくさん入っています。時々拾える単語や文節をまねしてみたり、一緒に歌ったり、ディズニーは楽しい昔から何度も、「英語ペラペラになりたい!」と思い立って、独身の頃は英会話に通ったり教材を買ったりを繰り返していました。ダイエットと一緒さて、今回はいつまで続くかな~。
2009.11.04
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毎月恒例、認知症の義母の通院。義母は義兄と二人暮しなのですが、月に一度の通院は、私たち三男夫婦の担当になっています。今までは大抵、迎えに行くと準備万端で待っていてくれたのですが、今回は、なぜか11時前から一人でご飯を食べていました。私たちが誰なのかも認識できず、きょとんとしていたので、食事が終わるのを待ち、出発しようかと思ったら・・・便臭・・・。洗面所や廊下、良く見ると着ている衣類全体にも失敗のあと。きれいに着替えて病院へ向かったのですが、夫はショックが大きかったようで、「なんで・・・どうして・・・まだ65だよ?」と落ち込んでいました。人が老いるのは仕方ないけれど、残酷な病気です。待ち時間、義母は私の手を離さず、ずっとスリスリしていました。私が誰なのか、たぶん分かっていないのでしょうが、なんとなく不安で人恋しかったのでしょう。「赤ちゃんがいるんだよ。」とお腹に手を持っていっても、「はぁ・・・『あ・か・ちゃん』っていうの?」と、不思議そう。3年前ならきっと喜んでくれたのに。汚れ物をそのままにしていたので、夫から義兄に連絡をして事情を話すと、「最近時々あるよ」と淡々としていたそうです。通院後はお天気だったので、義父のお墓参り。夫がふっと、「お母さん、生きてて楽しいのかなぁ・・・」と言います。どうなんだろうねぇ・・・。「生きがい」とか、「目的」とかはなくなってしまったかもしれないけれど、優しくしてもらって嬉しい、気持ちよい、美味しいとか、瞬間瞬間の幸せはあるんじゃないかなぁ。なので、お墓参りで、「もし体が悪くなってしまって、お義母さんにとって苦しいことばかりになったら、早く迎えに来てあげてね。」と一緒にお義父さんにお願いしてみました。ちょっと罪悪感。実家に戻り、最近わりと口を聞いてくれるようになったお義兄さんと、少しお話しました。ここのところ、時間の感覚が狂ってきていて、先週も昼夜逆転で戻すのに苦労した。汚れ物を隠してしまい、洗濯しても落ちにくいので、洗剤を変えた、など・・・淡々と話してくれるのですが、それがかえって悲しい。30代の独身男性です。介護が始まった頃は、「もうちょっとちゃんとしてあげようよ・・・」って思っていたけれど、お義兄さんはお義兄さんなりに、いろいろ葛藤しながらずっと頑張ってきたのかな。三兄弟の中でも母親との絆が一番強い義兄。まだ若い母親が認知症になった事実を受け止めるのに、時間が必要だったのかも。怒ったり、私たちや介護関係の方を拒んでいるようだったのも、認知症の症状を「前からの癖だ」と認めなかったのも、今になって、辛かったのかな・・・って思います。夫が今日受けたショックを、日常の中でたくさん受けてきたはずです。衣類の話になって、夫が「お母さんのタンス、ちょっと整理しない?」と言い出しました。そうそう、ずっとやりたかったのよね。勝手にあれこれ捨てられなくて、そのままになっていたのですが、今回はお義兄さんと3人で、思い切ってかなりの衣類を処分し、多すぎたタンスもひとつ処分しました。部屋もかなり広々として、スッキリ~3人で片付けながら、なんとなくテンションも上がってきて・・・たぶん、私たちの気持ちも、少しだけ、スッキリ晴れたんだと思います。ただ、私たち夫婦は、また日常に戻っていくけれど、自分から選んだこととはいえ、義兄にはあれが日常です。年配の親戚の方たちも、「自分の人生を大事にしなさい」と助言してくれているようです。お義母さん本人も、ついこの間まで、ほとんど言葉が出なくなっても、意味が分かっているのか微妙になっても、「○○を早く結婚させたい」が口癖でした。私の立場からはどうかと思いつつも、帰り際、お義兄さんに、辛いでしょう?と、施設入所の話を少ししてみたら、複雑な顔をしていました。数日後、迷った挙句、久しぶりにケアマネさんに電話しました。義兄とのコミュニケーションは、やはりなかなか難しく不十分なようで、状況を報告すると、「そうですか、そこまで・・・。そろそろ在宅は難しいかもしれませんね」と。施設の提案も含め、一度直接会ってお話してみてくれるそうです。私にできるのはこのくらい。余計なことかもしれない。いろいろ難しい。
2009.10.19
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ちょっと体調が良くなってきているので、書きたい気分夢を見ました。夫と温泉街を歩いています。私は浴衣を着ていて足元が悪く、転びそうになりながらちょこちょこ歩くのですが、夫は気づかず振り向かずどんどん行ってしまう。気づいたら人ごみの中、はぐれてしまって迷子。20~30分オロオロしていたら、夫がジュースを飲みながら戻ってきて、「なにやってんのー?どんくさいなぁ。」カーンとゴングが鳴って、大喧嘩開始、という夢です。夫に話したら「たはは・・・妙にありそうで怖い。ゴメンゴメン。」いや、謝んなくても 濡れ衣ですから・・・。今の夫は、こういうことはないけれど、昔、結婚前は近かったかも。「女の子はねー、好きな人にかわいいって思われたくて一生懸命オシャレするんだよ!それで、ちょっと歩きにくかったりもするの。靴擦れしてでもオシャレしたい生き物なのっ!」「女の子と歩く時は、相手のペースに合わせて、足元の悪いところは気をつけてあげるとかさー!一人でさっさと行かないのっ!」みたいなことを、しょっちゅー言ってました。(めんどくせー女)うちの父もスタスタ先に行ってしまう人で、父が再婚したあとも同じようなことを言った覚えが・・・。今でも、小柄な奥さんが、「待ってよ~」とか言いながら、ちょこちょこ一生懸命ついていってるんですけど偶然なんだか、運命なんだか、父と夫は同じ名前。まぁ、男の人って、そんな感じの人、多いのかも?もしくは・・・私の「白馬の王子様妄想」「お姫様願望」なのでしょうか?あのころは若かったなぁ・・・。来月、結婚9周年です
2009.10.15
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夫が仕事中に尿路結石の疝痛発作で倒れて、救急車で緊急入院。危険な病気ではないし、石が残っているのは分かっていたので、いつか来るとは思っていたのですが、こんなタイミングで点滴をジャンジャン流して鎮痛剤をたくさん使って・・・お昼から6時間ほど激痛が続いたそうです。夕方連絡をもらって、病院へ行くと、抜け殻のようになった夫が「やっと今出たところ~」と。先生や看護師さんが次々とやって来て、口々に「良かったですね~~!」と、なんだかとっても、おめでたい雰囲気。これはきっと、相当苦しんだな・・・。入院が決まって連絡があってから石が出たのですが、今日は強い薬をたくさん使ってフラフラなので、1泊して明日退院ということになりました。自分が痛いのも、身内が痛がるのも、辛いですね~。びっくりしたけど、よかったよかった。
2009.07.16
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17の時、母から貰ったアイロンです。80年代の代物。なつかしー家から離れて全寮制の専門学校へ入学する時、「女の子は、いつもきちんとした身なりで」と持たされました。今更想う、母心。コードレスのスチームアイロン、今は当たり前ですが、当時はわりと新しいものだったと思います。長いこと使ったけれど、スチームの出が悪くなってしまったので、買い換えました。いままでありがとう。母にはいつ報告しようかなぁ。うーん。↑アイロンを買い換えたことではなく・・・。そういえば、まだ穏やかだった頃は、「結婚して赤ちゃんができたら、上げ膳据え膳で面倒見てあげるから、帰っておいで」と、張り切って部屋まで準備してくれていました。あれからすっかり、やんちゃで変人(ややおちゃめ)なオバサンになってしまい・・・たぶんもう忘れてる妊娠中に関わって彼女とバトルとか・・・ちょっと嫌なので、無事に生まれたら教えてあげよう(えらそう)。どんな顔するかなー心拍が確認できたら、父や心配をかけた友人に知らせたいと思っています。
2009.07.10
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日曜の夜に夫が・・・「なんかブツブツできちゃったよ。かゆい」「あらら。どれどれ・・・何か塗っとく?」 めくりっ 胸の真ん中に赤いブツブツムムッ・・・ 「他にもある?」 「さぁ・・・?」 背中も めくりっ右の側胸部、右の背中にも2~3箇所ほど赤いプツプツ。一部水疱。ムムム~ッ・・・ 「皮膚科に行った方がいいよ。ちょっと嫌な配置。ただの湿疹ならいいんだけど・・・。」「明日行くのよっ。ほらほら、会社の近くで検索ー!」そして昨日・・・皮膚科で診てもらったら、やっぱり「帯状疱疹」だったそうです。抗ウイルスの塗り薬と内服薬をもらってきました。毎日遅いし、疲れてたのかなぁ。お休みの日は、もっとゆっくりさせてあげようかな。私も以前、なったことがあります。しびれたような気持ち悪いかゆさが、ちょっと続きました。「帯状疱疹」、ご存知の方も多いと思いますが、子供の頃の水疱(みずぼうそう)のウイルスが神経の中にずっと潜伏していて、体力の落ちたときに神経に沿って炎症が出るのだそうです。通常、体の片側に帯状に出て、チクチク痛むそうですが、分かりにくいのもあって、私の時は、かゆみだけで痛くもなく、帯っぽくもなかったです。普通に生活していて、大人同士でうつることは、ほとんどないそうですが、小さな子供や妊婦さんには近づかない方が良いそうです。訪問入浴の仕事をしていたときも、「お風呂入りましょうね~。」と脱いでもらったら、あらら~・・・これは・・・と、ケアマネさんに電話したことが何度かありました。「帯状疱疹」、結構見かけます。体力があれば、早く気づいて治療すれば、軽く済むことも多いですが、重症化すると大変です。怪しい湿疹は早めに皮膚科に行きましょうね~たぶん夫は軽く済みそうですが・・・早く治りますように。こんなときでも~今朝の体重 58.2キロ(あと4.2) 体脂肪率 30%(あと5)戻ったー
2009.02.10
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今日から夫の母親のところに、1泊お泊りです。お布団がどうなっているのか、不明なので、寝袋持参。同居の、夫の兄は「海外出張」、そのついでにダイビングに行きます、多分大丈夫だけど、よろしく。とメールが来ていました。毎度どうも・・・。今回も、ケアマネさんに言わずに行ったのかな。夫がポツンと「暖房、ちゃんとつけてるかな。」そういうのは、たぶん大丈夫だと思う。非日常なことが起こらなければたぶん大丈夫・・・だと思いたい。もう1年以上前のことです。お休みの日に二人で会いに行くと、義母の鼻に大きな絆創膏。顔や服に血がつき、めがねは壊れています。手にも怪我をしていました。そして、机の上に、何も書いていない「菓子折り」が・・・。「優しい女の人がこれをくれた」と義母はニコニコ。ちょっと、読めた。嫌なストーリーが。でもとりあえず病院!鼻折れたり頭打ってないといいけど・・・。お義母さんいわく同居のお兄さんは「朝早くから仕事に行った」(ゴルフ)そうで。病院に向かいつつお兄さんたちに連絡をして、お義母さんから事情を聞いてみる。「小さな女の人が、ちょんちょんぴょんぴょん。」「入ってきて、ガーンって。ほんと、ちょんちょんちょんちょん・・・。」わからーん車にぶつかったの?と聞いても分からない。小さな女の人ってだれ・・・?事故したのは相手も分かっていて、ごめんねって菓子折り置いて帰ったんだろうね。でも、少し話せばボケボケなの分かるんだから、当人と話しつけて終わりって、ちょっとずるくない??とは思いました。レントゲンやCTなどを撮ったので、待ち時間に「帰る帰る」と大変でしたが、幸い怪我は大したことなく、「とりあえず、無事でよかったね~。さあ、自分たちも帰ろう。」なんてほっとして家に戻ると・・・。家には怖い顔をしたお兄さんたちが。 ヒー何があったんだ? 警察は呼んだのか? 絨毯に血がついてる。めがねが壊れてる。謝罪なしとはどういうことだとご立腹。「まずお母さんが無事かどうかでしょ? とりあえず病院つれてったところです。」と夫も反論。そーだそーだその後、義兄たちは警察を呼び、「犯人」を突き止め、夜遅くまであれやこれや。真相は、小さな女の子が自転車で敷地内に入ってきてぶつかって倒れて、怪我をした。その子の母親が手当てをして謝ってお菓子を置いて帰った、ということらしい。相手を責めることだけで終わっていい問題じゃないと思うんだけど。何かあっても上手に対処できない義母を一人で置いておくことに問題があると思うんだけど・・・・・。伝わらなかった。あれから、大きな事件は起こっていません。確かに「大抵は」大丈夫なんだと思う。でも、義兄が長期に家を空けると聞くと、ドキドキしてしまう。ショートステイも勧めてみたけれど、使わないと言うし。(まぁ、「帰る帰る」と大騒ぎするのは目に見えているけど・・・)義兄がお出かけするのは、ちっとも悪いことじゃない。まだ若いのだから、自分の人生楽しまなきゃいけないと思う。いつも見ていて、一番よく知っていて、大丈夫だと思うから一人にしておけるのかな。本当に危ない、無理だと思えば考えるはず。お義母さん自身は、一人ぼっちの時間が長くても、危なっかしくても、たまにトラブルがあったとしても、それでも施設より、自分の家で、時々かわいい息子の顔を見て暮らすことが幸せなのかもしれません。たぶん、そうなんだろうな・・・。えらそうなこと言って、うちだって、お義兄さんのお留守のたびに預かるほどの気持ちはありません。結局外野。えらそうなこと言う権利もない。まぁとりあえず、行ってこよう
2008.12.30
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夫のお母さんのお話。「アルツハイマー」と言われたけれど、その後仕事関係でも勉強してきて、今は、もしかしたら「ピック病」だったのかもなぁ・・・と思っています。読んだ資料に比べたら、ずっと温厚だと思うけれど、他の症状は、全てぴったり。もしそうだとしても、めぼしい治療法があるわけでもないのですが・・・「なんでそんなに早く発症してしまったの?」「なんで簡単な言葉(「コップ」も「砂糖」も)が分からないのに、割と記憶はしっかりしてるの?」「なんでそんなに必死で時間にこだわるの?」「なんで同じおかずばっかり買うの?」「なんで看板を全部読み上げるの??」などの不思議なことに、少し納得しました。今日は、月に一度の受診日でした。独身のお兄さん(息子)と同居のお義母さんですが、月に一度の通院は、私たち三男夫婦の担当です。先月私は風邪を引いてしまい2ヶ月ぶり。毎回会うたびに、夫(息子)はすぐに思い出すのだけど、私の名前はすぐには出てきません。お付き合いが短いので。おととしくらいから、少し考えて○○ちゃんよね?と確認するようになって、少しずつ「確認」までの時間が長くなって・・・今日は、ほとんど帰り際になって、夫がトイレに行っている隙に、「あなた、○○ちゃん?」と小声で聞かれました。不正解、それは、昔同居していた長男のお嫁さんですよ歩いていると手を握って離さなくて、あなたはいい人だね~と、いつものように褒めてくれて、普通にご機嫌よく見えたけれど・・・このとき私は、お義母さんが、本当は会った時からず~~~っと、「この子の名前なんだったかしら。聞いたら傷つくかな、どうしよう・・・。う~ん、う~ん息子に聞いたら怒られるかもしれないし・・・。」と考えていたことに気づきました。「あなたは何でも分かって、何でも覚えて、偉い人だね。私は何も分からない。」と、いつも、たぶん誰にでも口癖のように言います。認知症の初期のころは、家族に必死で隠して、「頭の検査したけど、なんともないって」と言って、ずっとアリセプトを飲んでいました。なんか・・・なんか・・・自分がだんだん分からなくなっていくことが不安でたまらないのに、人に気を遣って・・・。もうそろそろ、今度から「おはようございます。○○だよ」と、初めに答えあわせを済ませてしまおうかな。認知症の方たちの、「本人会議」というのだったかな。認知症の方が自分たちの想いを語り合った会議。あれもかなりジーンと来ました。この気持ちを職場のグループホームへも持っていこう。
2008.11.08
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夫の田舎、夫の母方の叔父夫婦の家なのですが、夫が子供の頃からかわいがってもらっていたそうで、今は私も一緒にかわいがって頂いています。私が始めてお邪魔した年、言葉がめずらしくて、私だけ外国人みたいになっていました そして、自分の頭にたくさん新語登録しましたそのいくつかをご紹介します(写真は撮ったものではありません)「うるる」 (イヨシロオビアブ)田舎の人たちが、急に「うるるだ」「早く叩いて」と大騒ぎ。見ると小さなアブ?やけにかわいらしい名前ですね。噛まれると痛いんですって。綺麗な沢のある場所に生息するらしいです。今回夫が噛まれてまだ赤いです。しかし・・・いきなり周りの人が一斉に「うるる」「うるる」と連呼しだすと何事かと思います。まさか虫とはね「盆花」 (ミソハギ(禊萩))お墓参りの前に、みんなが「『ぼんばー』とりに行こう」と。私にはそう聞こえた・・・ わけも分からず長靴を履かされついていくと、田んぼの脇に綺麗な花がたくさん。こちらでは定番の「盆花」なのだそうです。それぞれの御家の田んぼで栽培するのだそうです。昔ながらの山のお墓は、公園の墓地より、なんと言うかエキゾチックで自然に神様ご先祖様を感じます。お墓に行く途中、地元の子宝の神様にもお参りしました「よしな」 (ウワバミソウ)写真は栽培された商品ですが、田舎では近くで採れるらしいです。山菜です。ワラビのような粘りがあり、美味しいです。甘辛く煮たり漬物にしていました。余談ですが、前に「木の芽」も「ふきのとう」もその辺で摘んできてました。すご!スーパーでパック詰めされている山菜が、とてもヤワに見えます^^;「えご」刺身こんにゃくかと思って口に入れたら、海の香りが広がりました。びっくりして、「これは何ですか??」と聞いたら「エゴ、めずらしい?名古屋じゃ売ってない?」と逆に聞かれました^^; 売ってませんってば。「えご草」という海草からできているらしいです。私にはすべてが新鮮で、いちいちなんでも質問して感激するのですが、ニコニコといろいろ教えてくれます。特に食べ物がとても美味しく、このお味噌汁の同じ味噌がほしい!と買いに行ったり、料理のアドバイスをもらったり。甘えすぎなくらいで^^;素朴で素敵な土地と人、美味しい空気と湧き水、今度はいつ行けるかなさてさて、私たちの田舎(←そう呼ばせていただきます)は、いったいどの辺りだか分かる方いますか?
2008.08.20
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昨日の夜、夫の田舎から戻り、今日は私の父とコンサート&お食事会でしたとりあえず、田舎から頂いた大量の夏野菜たちを美味しいうちに食べる(食べてもらう)べく、おすそ分け、調理、保存などでバタバタしています。↑これはほんの一部です。こちらのスーパーで売っているのと違って、野菜の味が濃い!元気がいい!田舎に住んでいる方には当たり前のことかもしれませんが、本当においしい「こんな美味しいの、名古屋じゃ手に入らないよ~!」と言っても、「え~?そうかねぇ?」と、良く分からないらしいです。しかし・・・ナスが超大量なのよ~~~~ぅあとダンボール1箱あるのよ~~~ぅ!おすそ分けといっても、お友達も大抵2~3人住まいなので、そうたくさんは食べられないし。分けても分けても、なかなか減りません^^;焼きナスが冷凍できて後で使い回しがきくらしく、今回初めてですが、やってみます。ぬか漬けも仕込みました昨日は夏野菜たっぷりのカレーをモリモリ食べましたどうやって食べたら美味しく残さず食べられるか、野菜のことで頭がいっぱい。話は変わって・・・なんとか野菜から離れて行って来た今日のコンサート、なかなか良かったですこのポスターで、思わず全員トライアングルの楽団を思い浮かべるのは私だけでしょうか・・・。まぁ、それはそれで観てみたい?警察・消防・自衛隊の音楽隊の合同コンサートでした。夏祭りのイベントです。選曲もジャンルが多彩で良かったです。私の好きな曲が多かった「シング・シング・シング」や、「コパカバーナ」は迫力満点でかっこよく、組曲惑星の「木星」や、ひばりさんの「お祭りマンボ」、ディズニーメドレーなんかもあって、ずっと飽きずに楽しめました。吹奏楽部でクラリネットを吹いていた頃、私はベニー・グッドマンに憧れ、トロンボーンの友達はグレン・ミラーに憧れ、耳コピで真似をしていました。そんなんも思い出したりして。そうそう、消防のカラーガード隊の「リリーエンジェルス」の女の子たちが、技術はもちろん、美人ぞろいで若くて元気が良くて、本当にかわいい 同姓でもファンになりそうですとりとめがないですが・・・寝ます~
2008.08.16
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毎年お盆や正月に、夫の母と夫と私で、夫の母方の実家へ泊まりに行っていました。自然がいっぱいで人の優しさもいっぱいの素敵なところです。私には自分の田舎と言える場所がないのですが、夫と結婚した時に招待してくださり、みんな集まってお祝いしてくださり、「ここを自分の田舎と思ったらいい」とまで言ってくれたんです。いつもお米や野菜も送ってくださって、本当に可愛がってもらっています。おかあさんもまだ季節感のある頃なら、「今度はいつ連れてってくれるの?」なんて、しつこいくらい電話をしてきたのに、毛糸の帽子をいまだに手放さないこの夏は、田舎の地名さえ思い出せない。自分のお兄さんの名前もわからない。そんな状態で連れて行っても皆さんショック受けるだけなのかな、と、夫が電話で打ち明けたら、「そんなこと気にせずに一緒に来なさいよ」と言ってくださったみたいです。きっと行けば思い出す!元気出るはず!と行く気マンマンだったのですが・・・今年はおかあさんと同居する次男さんの許可がおりず、おかあさんを連れて行けなくなりました。夫は一生懸命説得しようとしていたけれど、やっぱり弟は弟、勝てません。勝ってはいけないルールらしいです。なんかね・・・「1日自分でご飯を炊かないと、炊き方を忘れて覚えさせるのに3日くらいかかるから」とかいう理由で。お兄さんの「せっかく今できていることを少しでも減らしたくない」という考え方は、間違ってはいないと思います。一緒に住んでいるからこそ、なおさらそこが重要なのだろうし。あぁでも・・・家族の名前も分からなくなってきて、人に優しくしてもらえること以外楽しみがないような状態で、「ご飯を炊けること」がそんなに大事なのかな。へこむわぁ・・・。夫が思いっきりへこんでいてかわいそう。お兄さん、難しすぎ
2008.08.03
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今日は夫のおかあさんの月に1度の受診日でした。前は前日に「明日連れてってくれるんだよね?」といつも携帯に電話があったのですが、ここ3回ほど電話がかかってこなくなりました。電話自体かかってこなくなったなぁ。こちらからかけると誰かわからず、すぐに切ってしまうし、かえって不安になるようなので、最近はかけていません。認知症、進んだなぁって毎回思います。どんどん言葉が出なくなっています。ほとんど「うん、うん」だけ。意思の疎通がかなり困難です。こちらの言ったことを時々「○○ってなに?」と聞き返すのですが、ちゃんと聞き取れていないので言葉が変わってしまい、本当に外国人のようです。答えても、答えた言葉が理解できないので「○○ってなに?」はエンドレスですそのうち出てくる「あぁそうか」も、たぶん妥協かな。体はまだまだ丈夫なようで、受診や検査の結果は問題なし。まだ若いもんね。いつも順番待ちでじっとしていられないのが困っちゃいますが^^;体は元気に動くので、トイレも問題なくご飯も炊けるのです。一人でもなんとなく過ごせている状態。でも、夏場はちゃんと自分でエアコンつけてるのかなぁとか、水分とってるかなぁとか、腐ったもの食べてないかなぁとか、いろいろ気になってしまいます。コミュニケーション障害がここまでひどくなければ、「大丈夫であること」が言葉で確認できるんですけどね・・・。同居のお兄さんはほとんどお留守だし、やっぱりそろそろ施設でないと無理かも。主治医も介護関係の方も、おかあさんが一人で過ごす時間を心配してくれています。そりゃ心配だよなぁ・・・私も心配なんだけど・・・だれかお兄さんを説得してくれないかしら こわいよぅ。
2008.08.02
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夫は鞄を持ちません。そういえば、一般的に鞄を持って出歩く男の人自体が少ない?学生さんには学生鞄やキャンバスのショルダーが似合う。ラフな服装にはリュックも似合う。スーツ姿のビジネスマンには、ビジネスバッグが似合う。では・・・休日にちょこっとお出かけする中年男にはどんな鞄が似合うのでしょうか?ジーンズ+Tシャツ・ジャケットとかが多いのかな。セカンドバッグはオジサンぽいから嫌って言うし・・・。←もうオジサンでいいじゃん?そして荷物を私の鞄にギューギュー押し込む・・・やめて夏は特にポケットが減って、財布をお尻のポケットに入れて歩くのも危なくないですか??探してみたら、わりとカッコイイ鞄が見つかり、夫も気に入ったので、買いました。(↑のショッピングリストにあります。)夫は好みじゃなかったみたいですが、同じお店のベルト穴に吊るすタイプのポーチも、わりとカッコイイですね。今まで考えたことなかったけど、男の人の鞄って結構むずかしいのですね~。
2008.07.13
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UAE(子宮動脈塞栓術)を受けるに当たり、自分の気持ちの整理や情報公開をしようと始めたこのブログ。書き始めると、吐き出したいものが、自分で思っていた以上にたくさんあって、今では病気のこと意外でも、私の脳内をじゃんじゃん公開してしまっています 丸裸です。子供の頃は、作文なんて何を書いていいのか分からなくて大嫌いだったのに^^; 不思議。これでいいのかとも思うけれど、これでいいやとも思う今日この頃。ごちゃごちゃしていた私の心は、かなり整理整頓され、すっきり前向きになってきています。他人に公開することに意味があるのかというと・・・やっぱり、コメントを頂いて元気が出たり、はっと気づくことがあったり、人との交流がとてもありがたいです。実はこのブログ、夫も読んでいます。なぜかというと、ブログを始めるとき、いろいろな設定が一人で理解できなかったから~「夫~!これ、どういう意味?どうすればいいの?」と質問攻めにしていたので、ブログを始めたことはバレバレです。時々「何書いたの~?フムフム」と読んでいます。夫は毎日仕事で帰りが遅いので、家にいる時間は少し。休みの日は平日の疲れでゴロゴロ。私の愚痴や、回りくどくて長~~~い話を毎日聞かされていたら、たぶんやせ細っていきます おいたわしや。ということで、結果的にこのブログ、いつの間にか夫婦のコミュニケーションにもなっていました そんな意図はなかったけれど、すばらしーこれからも、私たちにとっての幸せな生き方を一緒に探していけたらな、と思っています。夫も時々語りたいことがあるらしく、もしかしたら今後たまには、このブログに乱入することもあるかもしれません。「夫婦の交換日記」とか、気色の悪い物になったら、もうだれも見に来なくなったりして。あははんそういえば、夫婦で同じオンラインゲームにはまっていた時期があって、パソコン2台使用でゲーム内でチームを組んで、他のプレーヤーと遊んでいたこともありました。チャットで夫婦漫才・・・気色悪いことになっていましたが、あれはあれで楽しかったです遠距離恋愛とかにはいいかもねオンラインゲームの中毒性が恐ろしくなって完全にやめてしまったけど、ゲームで知り合った人たちも、みんな好きでした。元気にしているといいなぁ
2008.06.18
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6月15日は父の日ですね昨日は父が奥さんと一緒に遊びに来ました。しょうもない駄洒落を連呼する父、あきれる奥さん旅行の話をしたり、お互い夫婦の話でのろけあったり、ピアノを弾けと言われたり。賑やかなひと時でしたでもやっぱり、今回のUAEの前に、初めて自分の病気の詳しい話をして、夫婦で心配してくれていたみたい。生理痛が辛くて寝込んでしまうこと、子宮の病気であることは伝えていたのですが、完治させるには全摘しかない、というのと、遠くまで治療を受けに行くことを知り、かなりショックだったようです。行く前には、私が藁にもすがる思いで、うさんくさい治療をうけるつもりではないかと心配もされました 病院のパンフレットを見て、やっと安心したみたいです。私自身はもう、今ショックを受けているわけではないし、前向きに治療しにいくんだよと、逆に父をなだめていました。今は、父が私のことを大切に思ってくれていることが、痛いほど分かりますが、昔はそれが分からず、父をたくさん傷つけました15の頃、母が兄と私を連れて家を出た時は、今思えば、私は母の異常が分からず、父のことを悪く言う母に、完全に感化されていました。心配して家族を連れ戻そうとやってきた父を、母と一緒になって冷たく追い返したことも何度もあります。あの頃どれだけ父が必死だったか、どれだけ傷ついたかと思うと、今でもズキズキと心が痛みます。お兄ちゃんも、ええかげん出てきて謝りぃ~とも思う・・・。母と離れ、大阪で看護学校に行きながら病院に勤めるようになり、いろんな方と出会い、いろんな親子の情にも触れ、父のことが気になりだした頃、「親は大事にしなきゃいけない」「すぐにでも連絡しなさい」と、真剣にしかってくれた人がいました。彼には今でも感謝しています。幸せになっているといいなぁそれから父と時々会うようになり、自分がひどいことをしたと謝り、お互い照れまくりながらも、涙ながらに語らって、今では月に1回くらい夫婦どうしで食事をしたり麻雀をしたり父の傷を癒してくれた今の奥さんにも、とても感謝しています。いろいろあったけれど、結局私は人との出会いにすごく恵まれているんだと思いますまぁ・・・だからと言って、本当に父を大切にしているかというと・・・う~ん、ごめんねまず自分が元気になって、これから頑張るわ←本当かよっ!
2008.06.09
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昨日は夫のお母さん(以後「おかあさん」で)の、月に1度の受診の日。いつも夫と二人で、付き添います。おかあさんは、認知症で、コミュニケーションの障害がかなり強く出ています。自分でご飯を炊いたり、トイレに行くことはできるのですが、「お名前は?」「住所は?」と聞かれても答えられません。何を聞かれているのか理解できないのです。「私の名前は○○です。あなたは?」と聞けば答えられるのですが、長谷川式の認知症テストも、淡白にやれば、0点でしょう。昨日も受診後、恒例のお墓参り。「お墓っちゃーなに?」「お花っちゃーなに?」説明してもチンプンカンプンなので、写メに撮ってある画像を見せて何とか納得してもらいます。(お金からトイレまで、何でもかんでも写メってます)でも、お墓に着くと、草むしりをしたり、お花を切りそろえたり、体が動くんですよ。人間て不思議ですね。お墓参りの後は、これも毎月恒例、鉄板・お好み焼き屋さん今まで、定食屋さん、お寿司屋さん、蕎麦屋さん・・・いろいろ行ってみたのですが、「母心」で、食事どころではなくなってしまうのです^^;夫や私は、おいしいものを食べて喜んでほしいと思っているのですが、おかあさんは、とにかく自分より子供達にたくさん食べさせたい。ご飯もおかずも小鉢も、何もかも、自分にはほんの少しだけ残して、必死で夫や私に食べさせようとします。そしてボロボロこぼします。そのくせ、家に帰るとまたすぐに、ご飯を食べる・・・初めのうちは、なんとか分かってもらおうと、ついついこちらまで、むきになっていました。そんなおかあさんに、夫も前は声を荒げてしまうことも多かったけれど、最近はかしこい鉄板焼きで、少しずつ出てくる食べ物を上手に勧めています。「うまそうだろ~?」と夫が目の前で調理しながら、食欲も好奇心もあおります 私も一緒にあおられますおかあさんの大好物、サイコロステーキは一番最後。子供のように目を輝かせて、じぃ~っとお肉を目で追います。生のまま食べようとしたり、焼いている途中も、「もういい?」と何度も催促。それでも、「私はいらない、あなたたちが食べなさい」と言ったけれど、なんだかんだ、結構食べてくれました。やっぱり、好きなんじゃん 夫の作戦は大成功です最近は常識外れな行動をとっても、人に少し迷惑をかけても、夫はほとんどおかあさんを怒らなくなりました。笑顔で周りの人に頭を下げます。同居ではないし、少し遠いし、もう少し何とかしてあげたいと思いつつ、口出しできないし、自分達にも余裕がなくて、たいしたことが出来ないのが私たちのジレンマ。たまに会った時くらい、何かお母さんに喜んでもらえることないかな~なんて、相談中です。今のところ、動物園×、植物園×、カラオケ△、美術館・博物館×、ジェンガ◎、輪投げ△、塗り絵×・・・次回は小動物と触れ合えるような所に行くかも。反応は期待しすぎず・・・何か良いアイデアがあれば、アドバイスください
2008.06.08
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母の日ですね~ 昨日の続き、今日で終わりです。8年前の当時は・・・そりゃもう、びっくりしましたよ~ そしていっぱい泣きました。あの優しかった母が、ひどいことや、とんでもないことばかり言うんだもの・・・そろそろ結婚しようというときで、まだ「私のお母さん」でいてほしかったし、笑顔でおめでとうって言ってほしかった。まだまだ、いろんなこと教えてほしかったし、結婚後も相談したかったんですけどね。母の心や体のことは心配でしたが、半分は自分のエゴだったのかもしれません。今の夫が支えてくれなかったら私もどうなっていたのか分かりません。車で2時間以上かかる母夫婦の家まで迎えに来てくれたこともあったし、気分転換をしなさいと無理やりお芝居を見に連れて行ってくれたこともありました。感謝こんな時期に結婚してはいけないのかな・・・とも思いましたが、簡単に治る病気でもないし、遠くに住む私に、何かできるわけでもない。自分は自分の人生を大事にしようと決め、この少し後に入籍しました。夫も親のことで事情があり、2人だけの結婚式をしました。今は、母の旦那さんに「もし、そばにいるのが辛くなったり、逃げられてしまったら、連絡を下さい。」と伝え、お任せしています。本当にそれで良かったのか、今も考えることがありますが、結局いつも母のそばにいて母を一番大切に思ってくれる人、母が一番頼りにしているのは旦那さんなのです。私は、母の言葉の攻撃に耐えかねてしばらく逃げ出してしまったし、兄も「もうこれ以上関わると自分がおかしくなる」と逃げてしまい、いまだに音信不通です。元気かなぁ・・・私には連絡してくれたっていいのに。最近は母と、距離を置いて付き合っています。電話だとちょっと恐ろしいので、たまにファックスを送り、返事は夫に先に見てもらってから、読みます。私がひどく傷つきそうなものは夫止まりで。前ほどやたらと傷つきませんが、肉親でなければ「変わった人~」で済むので^^;この前のやりとりでは、自分で「私は躁うつ病だけど、治す気はない。感情のコントロールが前より上手になったと思うの♪ どう?上手になったでしょ?」と言っていました。病院に行こうと言ったらあんなに怒ってたのに、なんであっさり認めてるんだろう・・・謎。「欲におぼれて、自分や家族のことしか頭にない人はカスだクズだ」とのたまう母・・・みんないろんな状況で生きていて、自分や家族で精一杯の人だって、たくさんいますよね。母は世界平和のためなら家族を捨てる覚悟で、それが尊いことだと思っているようですが、連絡すると喜ぶし・・・どうなのよ。パンドラの箱を開けるには、わりと精神的に疲れるので、本当に私が必要ないのなら、あなたの前から消えてもいいのでしょうか。そんな冷たいことを、つい考えてしまうこともあります。今はもう、娘として相談したいとか頼りにしたいとか思うことはありませんが、介護の仕事をしていて自分の母親はほったらかしでは悲しいし、やっぱり母が好きなので、ドキドキしながらも、パンドラの箱・・・開けてしまうんでしょうね~きっと今日も母は世の中の役に立ちたいと、一生懸命です。その志は素晴らしいし、応援する! でも、だれかに喧嘩売っていませんように・・・。
2008.05.11
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昨日の続き、母のお話です。ナースの目で見れば明らかに人格が変わり、精神科の疾患ではないかと思いました。受診させたいと思ったけれど、再婚の旦那さんは「神がかりだ」と真顔で言いました。世の中には不思議なことがたくさんあるし、私も「絶対に違う」とまでは言い切れません。母の状態を、当時自分が勤めていた病院の精神科の先生に相談し、「診察しないとちゃんと分からないけれど、躁うつ病の可能性が高い」と言われました。自分でも資料を集め勉強し、当てはまる症状がたくさんありました躁うつ病は、感情の起伏が激しく、躁状態で幸せモードであっても、心も体も消耗しているのだそうです。本当はコントロールできた方が本人も楽だということみたいです。何度も母の旦那さんと話し合った上、旦那さんも「病気かもしれない」という認識になったのですが、そうであっても自分が責任を持って守るから見守ってほしい、と言われました。ちゃんと愛されているのね~ 良かったよ。無理やり精神科に連れて行くことで、怒って逃げ出してしまうし(たぶんその通り)自分が信頼されて、そばにないと守ってやれない。もし入院になったら、とてもじゃないけどかわいそうだ。これは自分のわがままだけれど、嫌われたり離れるのは辛い・・・と。後で父から聞いた話では、母が常軌を逸することは、実はもっと前からあって、父は守りきれなかったのだそうです。母が私たちを連れて飛び出してしまったので・・・。子供の頃の私は、母が普通の人と違うだなんて、ちっとも思っていませんでした。父は仕事で忙しく、母と過ごす時間が長かったのもあり、母は強く優しく正しい、自分にとって絶対の存在だったのかもしれません。父は、今でも母のことを思い出すのが辛そうで、かなりのトラウマみたいです。そんな父も今は、私も大好きな素敵な人と結婚して幸せになっています。良かったよ。まだ、続きます。書き始めると長い^^;
2008.05.10
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もうすぐ母の日ですね「パンドラの箱」というのは今の私にとって、母のことです。母のことを書いてみようと思います。万が一お心当たりのある方は、そうっとしておいて下さい。たぶん、ないとおもうけど。「私は神様に選ばれた。世界平和の為に奇跡を起こす」もし、自分の母親が突然こんなことを言い出したらどうしますか?8年位前に私の母が言った言葉です。私は無神論者でもないし、信仰を大切にし、日々良い人間であろうと努力している方たちを尊敬します。私も誰かの役に立ちたいという気持ちはあるし、世界平和の為に積極的に活動されている人達もすばらしいと思います。母の場合は明らかに顔つきが変わり、喜怒哀楽が激しくなっていたし、自分の考えが受け入れられないと、かなり攻撃的になってしまう状態でした。言葉の嵐です世界平和の前に、まずあなたが平和な人にならないと~神様に選ばれたと思う理由というのも、数字や言葉のちょっと強引な語呂合わせであったり、私に理解できるものではありませんでした。私に理解できなければありえないなんてことはないし、中には「ほほぅ」と思うものもありましたが。聞けば私の同級生の親に急に手紙を書いたり、市役所に何度も手紙を書いたり電話をしたり、公園のホームレスのおじさんに喧嘩をうってみたり・・・えらい忙しそうで長くなりそうなので、続きはまた今度。
2008.05.09
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今朝、また介護疲れによると思われる無理心中のニュースを見ました。最近多いですね。本当に悲しくて切なくなりますお母さんが認知症になり、今後を悲観してしまったらしいとのこと。病気などで家族の人格が変わって行く時、お母さんが、お母さんでなくなって行く時・・・その絆が強いほどショックも強いと思います。時には自分の心も巻きこまれます。私の母が、何年も前から躁うつ病で、認知症とはまた違いますが、分かった当時はかなり泣きました。今はネタにしてますが その話は置いておいて・・・夫の母親も、アルツハイマー型認知症です。当時は性格だと思っていたけれど、今思い返せば、私たちが結婚したころから、もうすでに症状は始まっていたようです。夫の母は63歳、お兄さん(次男)と二人暮しでお兄さんはまだ30代の働き盛りで独身。私たちは車で1時間ほどの所に住んでいます。おかしいながらも、日常は自立していたこともあり、去年までずっと放置状態でした・・・。実は私たちも、お兄さんとあまりうまくいっていなくて、症状が目立ち始めて心配しながらも口出しできない状況だったんです。お兄さんになんとか断りを入れ、去年無理やり病院について行ったら、なんと、3年前からアリセプト(認知症の薬)が処方されていました 先生も家族と連絡がとれず困っていたみたいお兄さんに文句を言われながら急いで車の運転を止めてもらい、介護サービスをお願いしました。今は週2回のデイサービスと訪問介護を受けています。うちは私が動けたけれど、特に発症が早いと、家族は働き盛りで世話ができないし、平日に動けないから介護をお願いするのに、手続きがほとんど平日って・・・困っちゃいますね私は自分が介護の仕事をしているし、あの状況で放置はあまりにも気の毒だし、ありえないとおもう・・・。言葉もあまり理解できなくなり、「寂しい寂しい」と電話で訴えて・・・。でもそれは、親の愛情をたくさんもらって育った私の考え方だし、親子関係って人それぞれなんですよね。夫の母親への思い、兄たちへの思いも複雑みたいで、私の考えを押し付けちゃいけなとも思うし。私は介護の手配をしたり、たまに電話したり会いに行くだけなので、決して一生懸命介護しているわけではなく、えらそうなことは言えません。お兄さんも本当はいろいろ大変だと思います。なのについつい、なんで私ばっかり!めんどくさ!って思ったりすることもあります。でも顔を見ると無邪気にニッコリ笑ってほうっておけなくなっちゃうこれは偽善なのかなぁ・・・ お兄さんたちにとったら余計なお世話だったのかも?介護の仕事でも、ご家族の気持ちも前より考えるようになりました。 介護放棄、介護疲れで自殺・無理心中。悲しい事件が起こるたびに、いろんな立場から、もんもんと考えてしまいます。
2008.04.22
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ちょっと天然だけど、いざという時はとっても頼りになる夫。出会ってすぐに好きになり、1年間付き合って、2000年文化の日に入籍しましたいろいろ事情があって、翌年にフィジーでふたりきりの結婚式。楽しかった~偶然にも夫の名前は私の父の名前と一緒なんです。縁って不思議ですね~。仲良くなってからも、なんと呼んだらいいのか・・・とりあえず苗字。だって、デート中におとんの顔がポワワ~ンと浮かんだらイチャイチャもできやしない うわー!お願い今はあっちに行って!!って感じで。(ごめん父。)入籍の日は、嬉しくて嬉しくて大はしゃぎ。「夫よ~♪」「妻よ~♪」とじゃれあっているうちに、いつしか夫の呼び名は「おっと」になっていました。へんてこ夫婦このころ、けらえいこさんの「せきらら結婚生活」というマンガのシリーズがあって、その中でも、けらさんが旦那さんを「おっとぉ~~」と呼んでいたので、そのマネもあったのかな。このマンガ、夫婦のちょっとした面白いことがたくさん書いてあって、いろいろ共感。私にとっては、幸せな気分になれるマンガです。シリーズ全部読みました♪ 「あたしンち」はアニメ化されたし、こっちの方が有名かな。そんなこんなで、今でも「おっと~」と呼んでいます。外で大きな声で呼べませんわぁ。一応、親戚の前では、しおらしく名前で「○○さん」と呼びますけどね てれる。結婚8年目、子供がいないのもあって、今でも毎日のようにバカなこと言ってじゃれあっています♪生理の時は、泣いたり怒ったり、困らせていますけど・・・女性のみなさん、男の人のどの部分に魅力を感じるのでしょうか~?やさしさ、行動力、そういうのはもちろんですが、私は夫の「お尻」と「手」ですね~近くにプリッ♪と素敵なおケツがあると、ついつい触りたくなる衝動!だってかわいいんだもん 怒られるけどこんな二人の日々が続くのも楽しいだろうし、いつか「パパ~」(にあわん)とか「お父さ~ん」なんて呼ぶ日がくるのかな。
2008.04.21
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