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先日の飛行船の件実は別のSNSへの書き込みを間違って楽天に送ってしまったのです。でも、おかげで久しぶりに楽天ブログの皆様を訪問できて、「棚からぼた餅」?自分の前の書き込みを見たら、昨年11月にケガの顛末を書いていました。なので、ケガのその後を。チタン合金プレートによる内部固定を施した鎖骨骨折修復手術から半年。今年の2月の検査で、骨の再生が順調に進んでいるので、チタンプレートの除去を行えるとの判断をもらいました。そして、3月8日に再入院し、翌3月9日に再び全身麻酔で手術に臨みました。今回は、打撲による痛みもなく、術後は退屈な入院生活でした。とにかく、自宅まで徒歩1分の病院なので、午前中のお役目(点滴など)が済んだら、無届出帰宅して事務仕事もしました。今は、余計な異物(チタンプレート)も無くなり、生身に戻ってます。ただ、少し突っ張った様な違和感が残っていますが。明日死ぬかもしれない。昨年3月の地震、7月の失神転落事故、関越道のバス事故、そして先日6日の竜巻。そう、竜巻はその前日の5日に、茂木町から益子町、真岡町への、まさに竜巻ルートを車で走っていました。いつでも、どこでも、災害に出会う可能性が有り、交通事故に出会うこともありうる。今日を精一杯生きるしかないとは思いますが、ついつい怠け心が出ます。40代おしまいの年なので、もっとおおらかに来年の「大台」に向け精進せねば。
2012.05.15
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最近上空を飛んでいるアリコの飛行船 係留されている姿に遭遇 ここをねぐらにしているのだろうか? 今は解体されてしまったツェッペリンNTとは比べ物にならない小型の軟式飛行船 でも現在国内を飛ぶ民間飛行船はこれだけかも 仕事帰りに立ち寄ったここは「キャッセ羽生」土日は客が多いが平日はガラガラ 飲食も平日休業 いがまんじゅうがモデルのいがまんちゃんも寂しそう
2012.05.11
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前の日記がお彼岸。その時に、チタンのプレートが云々と書いてます。ことのてん末は7月23日に仕事で現場に赴き、脚立に乗っていたら、転落して左肩鎖骨の骨折と頭部挫傷、左半身強打僕、の負傷でした。転落時の体の位置は地上から一メートル半ほどに足がある状態。普通なら、きちっと足から着地するか、最悪でも受け身をとります。しかし今回は、何の動作もせず左肩から落ちたのです。つまり、失神して墜落したのでした。墜落後、救急車の到着寸前に意識が戻りましたから、おそらく5~6分は意識消失状態だったのでしょう。救急車で搬送された病院では、バンドによる固定だけで帰され、その後も一週間は手術をしない「保存療法」で経過を見たのですが、状況悪化で手術による修復を選んだのです。手術は問題なく済み、10日間手術傷の回復と固定した骨の再生のために安静入院でした。退院時には、上半身がすっぽりギプスで覆われていて、それがその後4週間続いたのです。そして、ギプス除去後に「失神」の原因追及のため脳と心臓を詳細に検査しました。その結果、脳は脳波もMRIによる画像診断でも全く異常が無く、特に脳内の血管は実年齢よりも若い状態で、つまったり切れたりする予兆も見られないと、褒められ(?)ました。心臓も、想定した病気がいずれも否定される良い結果でした。ただ、血圧が猛烈に高かったので「降圧剤」が処方されるようになりました。なので、「失神」の原因が特定できませんでした。そんな場合、医師は「迷走神経血管反射」という事にするそうです。これは、脊髄で起こる「反射」により、心臓の鼓動が急に早くなり、細動と呼ばれる状況に陥り、心臓が血液を圧送できなくなり、脳が貧血状態になり「失神」に至った。という説明です。ただ、なぜ反射が起こるのか、どんな状況で起こるのか、が、分からないらしく、全くの健康体の人でも起こるのだそうです。対処法も予防法も無いので、結果として「異常なし」となりました。ということで、立冬の今日もサイボーグな私です。左肩に違和感を感じたまま過ごしています。
2011.11.08
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前の日記が6月15日なので約100日ぶりです。 お元気でしたか? 私は元気ですと言いたいですが、7月に一騒動ございまして、現在は人造人間と化しております。 体の一部が人の手によって改造されました。 鎖骨にチタンのプレートが入っていて違和感を感じつつの毎日です。 まあ、怪我はいずれ癒されますが、人の命のはかなさを感じた出来事でもありました。 3月の地震も大きな事ですが、私には7月の出来事の方がはるかに大きく重く、一時は行く末を案じるまでありました。 今、人造人間ながら旧来の生活に戻りつつあります。 涼しくなったこの頃、昨夜はお腹を冷やしてしまいました。
2011.09.29
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もう6月半ばですね。毎年月日の経つのは早いのですが、今年は特に早いです。ついちょっと前に大きな地震があったのに、もう三か月。心配していた仕事の方の材料不足も取越し苦労で終わるようで安堵してます。普段の生活で日々が過ぎていきます。それは幸せなことです。こういう日々がずっと続きますように。
2011.06.15
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未曽有の地震でした我が家は皆元気です部屋の中が本と本箱の瓦礫で埋め尽くされて、2日間二階の部屋で避難生活。地盤沈下で敷地内水道管が壊れ、1日間だけ断水生活。たったそれだけです。ただガソリンが手に入らず、仕事に支障をきたしそう。ガソリンが底をついたら、霞を食べて暮らします。美味しいかな、霞
2011.03.16
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6日の臨時理事会で財団法人日本相撲協会は3月開催の「大相撲春場所」を中止決定したとのこと。あわせて今年中全ての地方巡業も中止するとのこと。調査に専念して、真相が明らかになるまでは相撲を見せられないとの理事長の話。「相撲協会」としては良いですけど、大阪の年に一度の「大相撲」で飯を食っている人々が、かなりたくさんいらっしゃるのではないかと想像されます。また、今年予定されていた巡業先の関係者の方々。そして、5月の領国での大相撲も開催されないかも、とのこと。「相撲茶屋」の方々をはじめ、協会外で大相撲に携わっている方々のこと。そのすべての人達の「生活」を保証する覚悟が「相撲協会」にはあるのでしょうか?3月以降、関係各方面から「損害賠償訴訟」が起こされたら、「相撲協会」はどうするのでしょうか?やはり、過去を含め「ごめんなさい」を言って、「普通のプロスポーツ」として事業を存続させる道を選ぶのが賢明なんじゃないかと思いますが。今報道されている「公益法人に認可が無くなると、基本財産(国技館等)を類似の団体に全て寄付して財団法人を解散しなければならない」と言うのは本当でしょうか?現法律での「一般財団法人」に移行して、基本財産はそのまま継承して存続する、ってのは無理なんでしょうか?その場合は、当然法人税を本則通り納めて、寄付に対する「免税」も無くなるので、経営は大変になると思いますが、他のプロスポーツ興行団体だって同じ条件で頑張っているんですから。上記の事、「類似の団体に全て寄付」ってのが解せないんです。現在の「(公益)財団法人日本相撲協会」に類似って?素朴な疑問なんです。
2011.02.07
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揺れてますねぇ「財団法人日本相撲協会」もともと競技団体ではないのですよね。相撲の競技団体は「日本相撲連盟」です。アマチュア相撲の統括団体です。なので「財団法人日本相撲協会」は、性格上は「日本プロ野球機構」と同じ「プロフェッショナルスポーツの興行団体」報道では「公益法人」の認可を取り消すの消さないの、と。なんでも大正年間に「公益法人」になったとか。現在の法律では「公益団体」の定義が厳しく、以前は「公益法人」とされてきた多くの「財団法人」「社団法人」が「公益法人」と認められず、「一般社団法人」という名称に変わっている事を考えると、大きな収益事業(大相撲興行、巡業興行など)を行っているので、当然「公益」ではないような気もします。まあ、「国技」ってことでのお目こぼしなんでしょうが。で、八百長。語源は「八百屋の長兵衛」とか出っ歯の亀吉の「デバガメ」と似ている。たしか、古典講談にも相撲の八百長の話があったと思うから、江戸時代の興行としての相撲の成立期から綿々と続いてきた「伝統」でもあるのでは?それをいまさら「正義」を振りかざして糾弾するのもいかがなものか?ただ、「公益」が引っ掛かる。そこで、「公益法人」を返上し、株式会社でも何でもよいから営利団体として興行する。そうして、こんな取り組みを行う「八百長公表取り組み」事前に八百長の内容、つまり、どう当たって、どこで引いて、どう投げられて負けるのか、を解説して、実際にその申し合い通りに相撲をする。これ、結構面白い。今回の報道で、NHKでは実際の取り組みのビデオを、メールの内容と同調させて放映した。まさに、メール通りの展開で勝負が決まっていた。その見事なまでの取り組みは、ある意味で素晴らしい職人技(笑)興行として十分に成立するのではないかと。ちなみに「プロ野球」では、八百長は永久追放。大相撲と同じくプロフェッショナルスポーツの「興行」ですけど厳しい掟。さて、同じ格闘技系の「プロレス」は?今後の「大相撲」は、どっちの系統に属すのでしょうかねぇ。「新大相撲」に期待します。
2011.02.04
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所属している某組織の事業に「青少年交換事業」がある。平たく言うと、青少年(おおむね高校生)を国際間で短期でホームステイさせるという事。もう23年間も隣国の韓国との間で行ってる、とのこと。今年度、私がその担当者になっていた。毎年、韓国から50名の若者がやってくる。私のクラブでは2名を引き受ける。1月8日~13日のたった6日間だった。ホストファミリーは、日本側から派遣する生徒さんの御家庭にお願いしている。来日の8日。韓国の仁川空港が吹雪のために出発が遅れてしまい、到着が1時間半遅れた。ホテルの部屋にやってきた50名、女子34名男子16名だが、皆利発そうな顔立ち。その場は時間が遅れていることもあり、さっさとセレモニーを済ませてホストファミリーのもとに。わがクラブには、日本でいうところの高校2年生(3月から3年生)と中学1年生(3月から2年生)の女子二人。翌9日には、我々の陰謀で二人に和服を着させて「小江戸川越散策」初めての和服に中学生の娘はびっくりして絶句していたらしいが。その後、韓国の生徒たちだけでディズニーランドに行ったり、日韓交えての交流会も開かれて、超多忙なハードスケジュールをこなす。離日前日の12日には、地元の高等学校を訪問。英語の授業に参加。その時の韓国の生徒の感想「どうして先生がいるのに騒がしいのですか?」確かに私も騒がしいなぁと思い、自分の高校生時代とは違うなぁ、とも。授業中も先生の話に聞き入っている生徒もいるが、後ろのほうでは髪をブラシでとかしていたり、生徒同士で何やら交換していたり。それに先生に対して「タメ口」なのにも驚き。そう、そんな教室風景はドラマでしか見たことなかったので。韓国からの生徒さんに韓国での学校事情を聴くと午前9時から午後5時まで学校で勉強。帰宅後は2~3時間は勉強する。学期は前期後期の2学期制、3月~7月が前期で8月はお休み、9月~12月が後期1月と2月は休みで、入学試験は12月に行われるとのこと。1年間で3カ月の90日間が休みとのことだが、1月の休みは、ほぼ毎日学校に通って「自習」するのだそう。他の長期休みも、その期間で「奉仕活動」や「社会体験」を行い、それが学校の評価につながっているそう。騒がしかった教室内の日本の生徒と比べたり、先日の従兄弟の子供と比べると、現在の日韓の経済的バイタリティーに大きな差が生じているのもうなづける。高校生や大学生の「留学」も盛んだそうだ。「内向き」になっている日本の大学生を考えると、ますます差が出るのだろうと思ってします。日本はサッカーアジアカップでのサウジアラビアには完璧に勝利したけど、経済活動ではあちこちの国に完敗しそう。がんばろう日本。がんばってね青少年たち。
2011.01.19
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あけましておめでとうございます。年末は30日まで現場仕事があり、大みそかと元日は自宅でのんびりしたものの、2~4日は妻の実家に。往復とも道中に渋滞が無く、スムーズに走れたのは幸い。4日の帰り際に、自宅の隣町に住む叔父宅に寄る。連絡をすると、従兄弟たちや従兄弟の子供たちが大集合とのこと。ぼーっと走っていたら、隣りから「お年玉は?」と言われて、そうかお年玉かと考える。幸いポチ袋は銀行からもらっていたのがバッグの中にあったので、数枚足らない千円札を妻から拝借して準備万端。叔父の家に着き、入ってみると二人の従兄弟とその子供(高校生と中学生)がマージャンに興じていた。こたつには叔父と叔母、それにもう一人の従兄弟の子供が二人(高校生と中学生)。叔父と少し話をしたのち、マージャンの自動卓がトラブルでプレイが中断したタイミングで「お年玉タイム」マージャン組の二人は、「ありがとうございます」と声を出して、しかし少しはにかみながら受け取ってくれた。問題はこたつ組の二人。この二人は兄弟だが、兄(高校1年生)は、私の隣であおむけに寝ている。卓を囲んでいる母親(=従兄弟)が、「お年玉だって、ちゃんと起き上がりなさいよ」と言っても無視。妹(中学3年生)に至っては、ゲーム機から目を離さず、両耳にはヘッドフォンをつけたまま。これまた母親の声を無視。さてどうしたものか、すでにマージャン組の二人(こちらは高校3年生と中学3年生)に渡しているので、こちらのこたつ組に渡さぬわけにもいかない、しかもすでにテーブルに二つのポチ袋を出してるし。結局、兄のほうは「イヤイヤ」体を起こし、蚊が鳴いてももっと大きいだろうと思うような小さな声で「あ・り・が・と」と言ったような気がした(可聴範囲すれすれの声だったので)。妹の方は、ついに私たちがお暇をして立ち上がるまでゲームから目を離さず、ヘッドフォンもそのまま。こたつの上に出された「お年玉」も、そのままさらしものに。 ふぅ~ どぶに捨てたほうが、まだ良かったような気がした。
2011.01.11
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足かけ9日間のロングラン旅行から、今日、社会復帰しました。今回の旅は、日本の神様が集結している「出雲国」へ向かい、その後、「ゲゲゲの街」から日本の文化の兄貴分にあたる、お隣の国を駆け足でした。10月2日22時、東京駅を離れる「サンライズ出雲」に乗ってから、9日に「ビートル」で博多に戻り、また上りの「サンライズ瀬戸・出雲」で戻るまで、私も相方も「和装」で通しました。日本国内でも二人で和装でいるとジロジロ見られるのに、かの地ではどうなるのだろうかとの、不安と期待を抱いての旅。写真を整理しつつ、少しずつ書いていきます。さ~あ、仕事っ!!
2010.10.12
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岡山から乗車のサンライズ。 シングルツインの上段にて。 既に富士駅通過。 長い旅路もあと二時間弱で東京到着。 名残惜しい
2010.10.10
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「国際」の方です。 ここはゲゲゲの空港です
2010.10.05
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「サンライズ出雲」でぇ~私は私は、神の国へたびだち~ます~ぅ。初めて乗ります「電車寝台」昔の583系にも乗ったことないので。
2010.10.02
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一日三回の食事の総量規制を始めてから一か月とちょっと。今朝、ヘルスメータに乗ってみたならば。マイナス3キログラムぱちぱちぱちぱちおめでとーそういえば、腹回りも少し縮んだようだし、お尻も少し小さくなったみたいだし。三度の食事が、それぞれ約半分だからねぇ時折、つまみ食い(間食)もしちゃうけど。これって、効果ありってことですよね。(そう言ってくださいませ)目指せ、高校時代の「最軽量記録」=56キログラム。無理だろ(笑)現在、「池中玄太」とほぼ同じウエイトですから。
2010.09.15
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もともとは、ガラス加工とか窯業とか鍛冶屋とか、熱源のそばで仕事する人がかかる症状だったとか。仕事に熱中するあまり体調を崩すということかもしれません。しかし、今、38度にもなる気温。芝生上の一メートル半にある、日陰の百葉箱の中で測るのが正式な気温ですから、東京練馬で38度などと言われたら、普通の日向のアスファルト上では40度は軽く超えてます。小さな赤ちゃんや、足の短いダックスフントなどはもっと暑いわけで。ガラスの溶解炉の前に居るのとさほど変わらないかもしれません。先日、都内某所で「講談の会」がありました。ご高齢な男性を中心の客席。その一番前に座っていましたから、どなたか当日上がった講釈師のご贔屓さんなのでしょう。開口一番から3人目。最近二つ目に昇進したばかりの女流講釈師の口演中、どさっと鈍い音と共に椅子から崩れて床に倒れてしまいました。意識がもうろうとされている様子。しかし、講談ファンだからでしょうか、このことで話を中断した高座の講釈師に「ごめんごめん」と言いながら、「大丈夫、大丈夫」と抱えられて椅子に戻る。しかし、すぐにバランスを失って。今度は、手足、いや全身に痙攣が表れてます。ほぼ間違いなく脱水症状。しかし、70代かとお見受けする男性、やはり「大丈夫、大丈夫」こうなとソファー寝かせても、おそらく水分はお摂りいただけない。誰かが「救急車」と叫び、会のスタッフが通報。ほどなく救急車が到着して病院に搬送されました。先日報道の約3万人にこの方も含まれるのでしょう。熱中症というと、私も経験あり。といっても高校1年生の時ですから30年以上前。まだ、熱中症という言葉は一般的でなく、屋外での「日射病」のみ認識されていたころ。高校で卓球部だった私。夏休み中の合宿練習中のこと。弱小卓球部は体育館を使えず、取り壊し寸前の木造の旧校舎教室が練習場でした。教室ですから天井が低い。しかも、風が入ると打球に影響がある(軽いピンポン玉ですから)ので窓は閉め切ってます。一年生ですからラケットとボールの練習は少なく、基礎体力作りがほとんど。蒸し暑い教室内の、床に寝て、腕立て伏せだの腹筋運動だの。腰を痛めるからと採用されていた「足上げ腹筋」を終えたとき。私は全身の力が抜けて立ち上がることができず。先輩に声をかけられてもこたえることもできず。そのまま仰向けになったまま脱力していると、3年生の女子の先輩が「これはいけない、誰か手を貸して」と、私の体を抱き起して、合宿所に使っている和室(茶室)に運び込んでくれました。すると私は意識を失い。気が付いたのは、大きなやかんに冷たい「レモン水」を作ってくれて声をかけられたとき。その時の女子の先輩が「マリア様」のようにも見えました。3時間ぐらい横になっていたのでしょうか。練習も終わっていて、そろそろ夕食だというのを聞いて、なんとか起き上がり食堂へ。目の前の食事を口にすると、ムクムクと元気が出てくる、御年15歳の私が居ました。今なら確実に救急車だったと思います。今日の関東は31度の予報で涼しい(驚)でも、西日本は酷暑とか。こちらも週末にはまた「猛暑日」復活とも言われていますので、くれぐれもご注意あれ。午後は、灼熱の鉄仕事(溶接作業)に入ります。では。
2010.08.19
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朝から猛烈に暑いという話題ではない。今年の「盆」は、14日15日が土日という、良いのか悪いのかわかりにくい曜日配置。最長は7日の土曜日から昨日まで通しの9日間というパターンだろうか。わが社(へへ、わが社だよん)も12日から16日まで休みにした(対外的には)しかし、12日にどうしても盆休み前に施工という物件が入り、今日16日には、どうしても盆明けすぐにという打ち合わせと採寸が入り。結局のところ、普通に14日15日の土日だけの休みとなってしまった。で、本題であるが。今朝、打ち合わせに向かう車の中で、ラジオ番組のパーソナリティがこう言った。人生で、40歳を「正午」と考え、それ以前が「午前」以降が「午後」。午前と午後では日の当たる場所が違う、と言った哲学者が居ます。かの有名な「伊能忠敬」は、50歳まで婿養子に入った商家で商いを行い、50の年に家督相続、いわゆる「隠居」となったが、その後測量と天文学を学んで56歳で日本国土測量の旅に出て、かの「伊能図」を作った。つまり、50歳を境目に表に現れた能力が全く異なる面を持っていた、ということ。40歳、または50歳で人生の峠を越え、あとは坂を下るのみというのではなく、午後には午前中には日陰だった場所に日がさして明るくなる、と。人間の隠された才能は、午後に初めて明るく白日の下にさらされる。世に出た才能は、午前中とは全く違った事かもしれない。いや、必ず違う才能が芽吹くはず。そういえば私も、何かムズムズと皮膚の下から芽生える雰囲気を感じる。あんな才能か?こんな才能か?早く出てこい午後の芽よ、出さぬと土をほじくるぞぉ~。
2010.08.16
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真夏の太陽と、ドライヤーのごとき熱風が目に痛い先週末、土曜日から昨日月曜日まで、ちょっと早めの「夏休み」の相方さんに付き合って、栃木県の北部、那須地域に行ってきました。北関東なので涼しいかと思いきや、日中は34度にもなり。しかし、朝方は涼しい風が気持ち良い。この三日間、特段何をするでもなくゴロゴロと過ごし、帰りには大地の恵みをおすそ分けいただいて帰るという贅沢三昧。南関東の酷暑にさらされて、本日はバテ気味です。早めに現世復帰せねば。仕事だ仕事だ(笑)
2010.08.03
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某関取の後援会から、この名古屋場所の番付表が送られてきました。2年前に入った後援会ですが、昨年の会費は納めておらず、いいかげん「除名」だと思っていますが「番付表」は毎場所送られてきました。今場所のは来ないので、やはりさすがに送るのをやめたのか、と思ってましたが、相撲協会からの発行が遅れていたんですねぇ。会費を納めていないのに毎場所送ってくれるとは、ご丁寧なことですが、おそらく会員としては復帰しません。あまり義理の無い関取さんなので。今回の騒動では名前は出ませんでした。出ていたら、そりゃ大騒ぎになったでしょうね、周辺のみなさんが。でも、大相撲中継が無いんですね。それも今場所に限ったことではなく、9月場所以降も協会の対応いかんでは中継しないかもとNHKが「脅し」をかけてます。が、NHKの本心は放送権料の値引きかも。5年契約で二十数億円だとラジオで聞きました。民放がスポットで(たとえば上位10番とか)中継しようとすると、1番10万円なんだそうです。「たかり体質」と言われても仕方がない。現在の「相撲人気」のレベルだと「中継していただく」なんだけど。(若貴ブームのころなら「中継させてやる」だったでしょうけど)そんなことを知るようになると、昔、春日野理事長が現在の両国国技館を借入金無しで作ったことを「経営手腕がある」と評価していたのが疑問に思えてくる。たぶん、星の数ほどのスポンサーを集めたんでしょうね。スポンサーといえば、たとえば東京ドームのフェンスとかスタンド上の広告。小さめで、あまり知名度の無い企業の広告は、東京ドーム出入りの業者さんの「バーター取引」なんですよ。実は。まあ、通常の商取引ではありますけど。
2010.07.08
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琴光喜~解雇処分ですか。大相撲入り前から頭角を現し、日本人横綱候補の最先鋒だったのに。加えて、愛知県出身、しかも岡崎で三河出身。私の母が三河出身で、そんな事もあり応援していたのに。本場所中、前半調子が良いのに連敗したり。格下の力士にコロッと負けていたのは、賭けが調子悪かったから?なんて思ったり。鳴り物入りで大相撲入り(高校横綱、学生横綱など)したが、30歳過ぎてから大関になった出世の遅いお相撲さんだった。早く横綱になっていれば今回のようなことに手を染めなかったのかな?師匠の佐渡ヶ嶽親方は、先代から部屋を引き継いだので、琴光喜は自分で一から育てた力士ではない。でも、親方は親方。謹慎処分の出羽海親方は、あの事件で解雇された先代親方に代わり、急きょ現役引退して親方になった出羽の花。なんか運の無さを感じてしまう。今回の事件で首謀者のようになっている大嶽親方は、あの「大鵬部屋」を引き継いだ元貴闘力。現役中の相撲は好きだったなぁ、やんちゃな相撲で面白かった。なんだかんだで世間を騒がせている角界野球賭博だけど、お~いお~い、お~い、お~い警視庁~(東京地検か?)胴元の方をさっさと暴き出して検挙せねば。臭いにおいは元から絶たなきゃダメッ。って、何昔か前の「お相撲さん」なら呑む・打つ・買うは、「甲斐性」だったけど。公益法人である財団法人日本相撲協会が仕切る「大相撲」では、コンプライアンスは重要。でも、胴元を暴こう!是非
2010.07.05
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今年も折り返しです。6月30日で半分と思いきや、365÷2=182.5日ですから6月30日だと181日。7月1日で182日なので、今日7月2日正午で正確な「折り返し点」。2月が28日だから面倒くさいわけで。これは、かの「シーザー」が、自分が制定した「ユリウス暦」で、自分の生まれ月の8月を大の月にしてしまったからとか。まあ、そんなことはともかく、7月2日です。これからの182日を有意義に過ごしましょう。4368時間あるし、262080分もあるし、なんと15724800秒なんですから。なんでもできるっしょ。
2010.07.02
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暑かとですたい。こげんに6月が暑いと、夏に何か悪いことが起きもうす。そう、おそらく寒い夏ですばい。もう、30年も前のこと、6月が猛烈に暑か年があり、その夏は涼しか夏でした。気象庁の長期予報でも冷夏。しかし、今年は半端な冷夏ではなさそうですたい。暑さに弱いおいどんには、うってつけの夏だが、景気や農作物を考えると笑ってもいられもうさん。でも、涼しか夏はよかとね。
2010.06.28
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実は、日曜日から月曜日、一昨日と昨日に旅行していました。取引先の旅行で、協力業者30名ほどの団体。行先は「水上温泉」過去に、新潟の瀬波温泉まで遠征したこともあるのですが、今年は水上。やけに近くて、途中どこに寄るのだろうと思っていました。第一日目最寄駅に全員集合、午前8時半出発。まっすぐ水上を目指すと、昼前に着いてしまう勘定。関越自動車道に乗り、ゆっくり目に走って沼田インターでおります。その時、午前11時。しかし、昼食に。到着したのが「原田農園」この不況のご時世に大型バスが押すな押すなで目白押し。入りきれないバスが路上で溜まってしまって周囲の道が大渋滞。我々のバスも入れずに路上待機。とうとう群馬警察のパトカーが来てしまう状況でした。店内に入り、昼食。食べ終わっても11時半すぎですよ(笑)お土産にリンゴが丸ごと入ったバームクーヘン「はらだのくーへん」を購入。さて、出発。どこに行くのかと思ったら、旧新治村にある「たくみの里」旧三国街道沿いに何軒もの店それぞれ特徴ある品を並べていて、体験コースもある店も多い。たった1時間の滞在では半分も見られず、当然ながら体験もできず、「また来よう」と思った場所でした。さて、再び出発。案内では「みなかみの森」とか。到着すると、そこは「トリックアート美術館」だが、美術館には入らず、駐車場としてだけ利用して、少し離れた場所へそこが「バンジー!」なところでした。前の日記の写真の場所です。飛んだのは若い衆3人。半分だまされた格好で飛ぶ羽目になったのですが、若いって素晴らしい。3人ともナイスジャンプ。で、私はちゃっかりバンジースタッフのカメラに収まりました。ばっちり看板の前で。飛ばなかったのにねぇ。理由は、着物だったから。今回の旅行には、相方さんも同行で二人して「和服姿」なので目立ったのでしょう。即日、サイトに載っていました。見たい方は「バンジージャパン」のサイトへジャンプ!!その日は水上温泉の宿に入り、夜は宴会宴会宴会。私は1次会でお暇し、夫婦でゆったりまったり。が、温泉街から離れた宿だったので、行くところもやることもなく。暇を持て余した我々がとった行動は「卓球」私は、中学高校と卓球部でしたから自信がありますが、相方さんがやけに好戦的。誘ってきたのは相方さんでした。「この素人がっ」と思っていましたが、やってみると結構上手。30分間、本気に近い卓球をやってしまいました。当然ながら「着物姿」で。カラスがカーで夜が明けて。9時半に宿を出発。目指したのは伊香保。温泉から温泉。でも、湯にはつからず「水沢観音」ご参拝。1打100円のお布施を投じて、大きな梵鐘を一突き。思いっきりの打鐘で気分爽快。お昼ご飯はご存じ「水沢うどん」うどんとビールと天ぷらで満腹になったら、次はどこ?「横川」だそうです。伊香保からなので一般道を安中に出て、国道18号で一直線と思いきや、渋川伊香保インターに戻って関越道。藤岡ジャンクションで上信越道に入って松井田妙義インターで降りました。???????納得いかないコース取りで、ちょっと不満ですが、行った先が「碓氷峠 鉄道文化村」本物の電気機関車を、本物のレールの上で、本当に動かすことができる施設ですが、そのためには何度も講習を受けなくてはならない仕組み。「機関士見習い」「機関助手」「本務機関士」と階段を一歩一歩上らないとマスコンを握ることが許されない厳しい世界のようです。それでも好きな鉄道物ですから、短すぎる滞在時間中目いっぱい歩いて見て回りました。電気機関車の機関士訓練用の本物の運転シミュレータもありますが、時間が足らず断念。ここも、また是非とも来なくてはならない場所でした。「峠の釜めし」を土産用に買い込んで、帰途についたのです。帰りは、最寄駅で解散なのですが、そのコースの途中に我が家があります。往路も我が家の前を通ったので、添乗員さんに確認して旅行幹事の承諾も得て、我が家から50メートルほど離れた、某バス会社(乗っていた観光バスとは別のところ)の車庫前で降ろしてもらって、他のみなさんよりだいぶ早く我が家に帰りました。遊んだ2日間ですが、疲れ果てて。特に相方さんは、ほとんど初対面だらけで、しかも男性が大多数の集団の中で、さぞかし疲れ切ったのでしょう。布団を敷く途中で撃沈したようで(笑)声をかけても、顔をたたいても起きないほどの熟睡でした。その後、あまり時間を置かずに私も沈んだ模様でして。気が付いたら、夜が明けていました。さあ、6月後半、仕事に精を出さなきゃ。4月、5月は、記録的に暇だったけど、今月後半は結構忙しい。次の旅行のためにも、稼ぎます、稼がなきゃ、稼げっ(誰からの命令?)ハイ、了解いたしましたっ(敬礼!)
2010.06.22
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群馬県みなかみです
2010.06.20
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通常国会が閉会しました。通常国会が会期延長をせずに既定の会期で閉会するのは非常に珍しいとのこと。「非常に」ってのは「常ではない」と言う意味ですから、会期延長をするのが常識ってことになる。会社の労働時間でいうと、「残業」が当たり前で「定時」で終わるのは非常識ってこと。????変でしょう?確か180日と決まっている通常国会の会期。その中で議案が出され審議され採決されて可決されれば成立し法律となる。国会議員は、決められた会期の中で無駄無く十分に議論し会期中に採決できれば結論を得る。採決に至らなければ廃案が原則。しかし、重要な案件に関しては継続審議の手続きを取る。その限られた時間という制約の中で与野党の本気の論戦が生まれる。いくらでも延長できるんだったら意味がない。なので、当たり前のように「会期延長」するのは国会議員の無駄な時間浪費の証として恥じなければならないはず。したがって、今回の政権党の行動(会期延長の無い規定通りの閉会)は、糾弾されるべき内容ではない。ただし、会期中、しかも閉会近くで内閣総辞職するというのは褒められた行動ではなかった。せめて、通常国会は内閣を変えずに終わるべき。24日には参議院銀選挙の公示蒸し暑いのに、暑苦しい選挙カーの「連呼」を耳にするのか。走り去る自動車のスピーカーから「政策」を訴える技術は、普通の人間ならおそらく持ち合わしていない。本来は、「演説会」でゆっくりと政策を訴え、政策を聞くべきだろうが、そういった演説会が開かれることは稀。そんな演説会に蒸し暑い中足を運んで耳を貸す人も、これまた稀。こんな方法はどうだろう国政選挙の場合、選挙期間中に公営の「立会演説会」を複数回行う。「立会演説会」では「受講証」を発行し、投票の際にはこの「受講証」を最低1枚出さないと投票する権利を得ることができない。つまり、投票したい人は少なくとも一回は「立会演説」を聞かねばならない。当然だが、「立会演説」は中立性を保障された方式で運営される必要がある。真夏の夜の夢か?
2010.06.17
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「はやぶさ」の、です。直径40センチと報道されましたけど、ニュース映像で見たらもっと小さく見えた。日本に持ち帰って、玉手箱を開けるがごとく開封するのでしょう。そんな話題を家で話していたとき、ふと考えた。カプセルは、小惑星イトカワの表面でふたが開いていた。小惑星イトカワは、とても小さい天体なので「大気」は無い。となると、そこはほとんど真空の世界。ってことは、今、密封状態のカプセルの中は「ほぼ真空」。カプセルの外は1気圧の地球大気3/4が窒素で、1/4弱が酸素、0.3%が二酸化炭素。カプセルのふたを開ける場合、内外の気圧差をなくさなくてはならない。その方法ひとつは、カプセル内の加圧もう一つは、真空空間での開封加圧する場合、中に入れる「気体」は何?空気入れちゃっていいの?酸素があるから、もしかしたら入っている物質を酸化させちゃうかも。そうなると不活性ガス?たとえば、ヘリウムを充満させた箱の中でヘリウム注入するとか?真空空間での開封も、開封後に1気圧環境にさらさなくてはならないわけで。まったく未知な「小惑星の物質」が入っているかもしれないんだから、それはすごく慎重に作業するんだろうな。ってなことを語り合っていたら寝ちまいました。ゆえに、サッカーの結果は今朝のニュースで知りまして。おめでと-.勝ってよかったね、勝ち点3。現在グループ内でオランダに並び1位(ただし得失点差で2位か)次に私が興奮するのは「はやぶさカプセル開封」だな。
2010.06.15
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宮崎の口蹄疫は収束どころか拡大傾向で。口蹄疫ウイルスは、日本の政治が今どうなっているのかなんて全く気にしていないわけで、ただただ、自分たちの種を残すために世代交代を繰り返しているだけ。世代交代ともいうべき首相の交代。新内閣ができたと思ったら、国家戦略担当の大臣が事務所費でどうのこうの。連立相手の「しずかちゃん」は、「私が言うことが今実現できないならもう一緒にはいられない!」と三行半。確かに、郵便局で普通の窓口と「ゆうゆう窓口」の運営主体が違うってのも変なものでして。簡易保険の勧誘に「郵便局」の人が来たけど、商品説明は「かんぽ保険」の人だったり。そんなさなかに、来月には参議院議員選挙がある。衆議院と違って6年の任期が保障されている参議院。解散が無いから選挙があることはずっと前からわかっていたわけで。それなのにドタバタする政治の世界。与党、野党を問わずドタバタ。これは、常々確固とした政策を持っているのではなく、選挙ごとに「風」「雰囲気」「動向」をにらむ「せいさく」を考えているから。特に、新米野党の自民党は、わかりきっていた参議院議員選挙なのだから、麻生政権下での「政策」が政権交代で中断しなかったらこうなっていたはずだという「絵」を掲げるとか、谷垣総裁の下、「シャドウキャビネット」で練りに練った「次の政策」を公示など待たずにドンドン国民の目に見せればよいのに(現政権党と違い長年与党の座に居て戦後日本を築き上げてきた政党だからこそ)なのに何も聞こえてこない。そんな「国難」の折、小惑星「イトカワ」からカワイイものが舞い戻った。小惑星探査船「はやぶさ」最後の九州ブルトレも「はやぶさ」だし、数日後に登場する新型新幹線も「はやぶさ」ニュースで「はやぶさ」が錯綜して混乱してます、私の頭。でも、ワクワクしますね、カプセルの中。たとえ「塵」程度のレベルでも地球外惑星からの「物質」は初めてですから。で、空っぽでもいいじゃないですか。宇宙空間で迷子になって、でも、ずっと電波を出し続けていたんでしょ。泣き続けた赤ん坊のようだ。それを聞きつけた地上の「母」が、あれやこれやと手を打って、やっと帰ってきた。それだけでいいじゃない。ただ、着地点がオーストラリアってのがねぇ。日本の技術で、浦賀水道のど真ん中に見事着水!ってできないのかなぁ。主権の届く「領土」「領海」に帰ってきてほしい。そう思う梅雨入りの日です。(サッカーは、どーでも良い。)
2010.06.14
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隅田川台東区側から アサヒビール吾妻橋ビルにスカイツリーが写り込むポイント。 撮影する人があまり居なかったが、趣のある景色だ。
2010.06.10
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ある日の予言その通りに(笑)では、次の予言次期首相は、現在の財務大臣が副総理ってことで順当ですが、ならず。先の党首選挙を戦った現外務大臣は「普天間問題」の当事者につきナシ次の次と言われた、現行政刷新担当大臣は、我任に非ずと辞退。では誰かと尋ねたら現在は閣内に居ない、でも事業仕分けで注目株の「蓮〇」参議院議員。参議院議員でも首相になれますし。(あれ?改選組じゃないよね)当然、参議院選挙までの登板。ここはひとつ往年の「クラリオンガール」で票起こし。不謹慎だと思います、この予言。
2010.06.02
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ヘリコプター搭載護衛艦 の ヘリコプター。 機首に機関砲が2門。 航行している護衛艦の艦尾飛行甲板にて。
2010.05.31
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おとといの日曜日近所の「陸上自衛隊大宮駐屯地」に行く毎年恒例の「○○周年」の駐屯地公開。今年は53周年だそうです。元、旧陸軍工廠だったこの地に、今は陸上自衛隊第32普通科連隊と化学学校があります。雨だったので、終わる寸前に入り、展示車両などを見て回る。50周年のときは、攻撃ヘリのコブラが飛行展示したりしたらしいが、今回は自前の装備中心。無反動砲だの、機関銃だの、毒ガス検知装置だの解毒中和装置だの。目玉は木更津飛行基地から飛んできた輸送ヘリコプター「チヌーク」CH-47確かにでかい。前日に飛来したそうだが気付かなかった。なぜなら、前日は「鉄あそび」で、これまた近所の「JR東日本大宮総合車両所&JR貨物大宮車両所」の年一回の工場公開に行ってたから。遊び三昧の週末だったが、今週末の日曜日には千葉の船橋へ。海上自衛隊の護衛艦に搭乗してきます。鉄&ミリタリー。今日は仕事相方さんは有休とって、骨董遊び。
2010.05.25
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そんなに暑いか? まだ朝8時だが 猫になりた~い
2010.05.19
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大型連休は、秋田県湯沢市(旧皆瀬村)の小安峡温泉にあるキャンプ場に行ったわけだが、夜の寒さに耐えかねて(冬山用の装備は持っていなかったから)2泊とも麓の町に降りてヌクヌクと。特に二泊目はちゃんとした宿に泊まってしまった。(1日目のスーパー銭湯がイマイチ使いにくくて)このキャンプ旅行は前にも書いた通り、「ちょっと鉄」旅。大宮に住んでいるので大宮駅から素直に東北新幹線に乗ればよいのに、那須塩原まで車で走っての乗継には理由があるということも既出。秋田新幹線には、十数年前に秋田市内に住む同級生(今回のキャンプ2日目に家族連れでランチバーベキューに来てくれた)の家を訪問した帰りに秋田駅からの上り線で乗車済み。今回は下り線。しかも、「はやて」とのドッキングなので全車指定席。大型連休を甘く見ていたので席の確保が大変だった、が、その際には大宮駅のみどりの窓口の担当者さんにお世話になりました(ちょっとルール破りをしてもらったり)。秋田新幹線(田沢湖線)と奥羽本線との接続駅は大曲駅。その十数年前に山形方面から来て乗り換えて以来の訪問。当時と比べて、駅舎が立派になったのに驚いた。秋田新幹線の駅といえども、その頃は単なる地方駅だったと記憶しているのに、今は美しいガラス張りの壁が有ったり。でも、昔から鉄道の要衝であった駅構内は、使われなくなってはいるが往時をしのばせる転車台が有ったり、やけに広い線路敷は、貨物も多く扱ったであろう昔の賑わいを残している。最寄りの湯沢駅までは、ゆっくりのんびりな単線のローカル列車の旅。乗客の多くは高校生。女子高生は、やはり秋田、美形な顔が目につく。途中、焼きそばで有名になった「横手」そこに十文字駅があるのだが、先日のテレビ番組で「婚姻率ワースト1」として秋田県が取り上げられ、その秋田県でも南部地域が特に「低婚姻率」ということで、この十文字地区の人が取材されていた。男子高校生はかっこよくて、女子高生は、美人でかわいいのに、なぁ。今回の「ちょっとだけ鉄」な旅は帰りの山形新幹線。十数年前は山形駅が終着だったが、今は新庄駅。で、この新庄駅は「新幹線」と「在来線」が平面で乗り換えられる構造。この構造を体験したかった。キャンプ場でも帰り支度がさっさと終わり、レンタカーも予定より数時間早く返せて安く上がった。ただ、この安く上がったことがあだになり、新庄までの途中にある「院内駅」で滞在することが無理になり、ちょっと残念。この院内駅は、明治期の古い建築が残った駅だとのこと。ま、また来る理由ができましたって。湯沢駅を出たのが正午なので、なにか買い込んで昼ごはんでもよかったのだが、1時間と少しで新庄駅に着くので、そこで駅弁でも買って山形新幹線車内で遅い昼食をと思い我慢我慢。新庄駅に到着上から見るとアルファベットの「H」の形のプラットホーム。秋田からやってきた在来線が、その上側の(北側の)ホームに到着。山形新幹線の「つばさ」は、下側(南側)のホームに待機。「H]の横棒部分に新幹線改札があるのだろうと思っていたけど、無い。いわゆる「信用乗車方式」車内検札も無かったから、新庄駅で在来線切符のみでも乗れちゃう。そして、もう一つ無いのが「売店」駅弁は、ホームに出ているワゴン販売で「米沢牛弁当」と「どまんなか弁当(幕の内)」の二つだけ。30分ほど時間があるので駅舎の外に出てみるも、土産物屋はあるが弁当は売られておらず。仕方なしに、物産店のようなところでお菓子とかパンとかを買い込み乗車。始発駅なので指定席は取らずにいたのだが、先発の列車は9割程の乗車率で出発。なので「荷物君たち」に乗車口で並んでもらっての駅外散歩だったのだが、我々が乗る臨時の「つばさ」は、逆に2割ほどの乗車率で出発。うまい具合に接続する在来線がないのが空いている理由らしい。急がない旅の場合、あまりよくない連絡の列車を狙うのも良い方法かも知れませんよ。山形新幹線の上りは初乗車、しかも新庄からの始発乗車は初めてなのに、なのになのに。キャンプでの疲れがどっと出て、福島までの山形新幹線区間はほとんど意識無く過ぎてしまい。気が付けば乗り換えをしなくてはならない郡山駅に到着。臨時「つばさ」なためか、福島駅での「やまびこ」との併合も無く、「つばさ」単体での走行でした。あまりにも「ちょっとすぎる」鉄旅、これにておしまい、またの機会を楽しみに致しましょう。
2010.05.11
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今日の関東は、どんよりとした曇りから雨が降り出していますが、昨日は真夏日でした。大型連休中も、連日良い天気で気温も高く汗ばむような陽気だったそうですね。私は、1日から二泊三日で秋田県でキャンプでした。秋田県の最南端の山間。湯沢という町があり、そこから「栗駒山」の方へ入った「とことん山」という場所。なにが「とことん」なのか分からないのですが。前日30日も関東は良い天気でした。那須塩原駅まで車で、あとは鉄道旅行という変則的な行程ですが、昨年の同時期に福島県内で大渋滞に遭った経験から、夜中の12時、日付けの変更とともに出発。さすがに渋滞は無かろうと思っていたら、宇都宮の先で大型トラックと乗用車の追突事故とのことで十数キロの渋滞発生。宇都宮まで来れば那須は近いので一般道におりて走る。これが正解。渋滞無しで午前3時過ぎには那須塩原駅着。一泊500円という格安駐車場に車をとめて仮眠&朝食。予定では7時半発の便だったけど、やることもないので一本早く6時半過ぎの列車に乗る。ただし、乗り継ぎの仙台では、一本前の「こまち」が全席指定で満席なので、都合1時間半ほど待ち合わせ。予定どおりの「こまち」に乗って、いざ秋田へ。盛岡までは良い天気だったのが、秋田新幹線(田沢湖線)に乗り入れて、県境を過ぎると雲が多くなってきた。田沢湖の駅を過ぎた頃から車窓に雨が当たる。宮城に住む友人夫妻が、車で峠越えをして走っていて、既に秋田側に出ていたらしく連絡が入る。「秋田はガンガン雨だよ」「こまち」は、武家屋敷で有名な角館を通過し、大曲着。ここで、奥羽本線の下り普通列車に乗り換えるのだが、この頃には雲も切れて青空ものぞくような空に。やった、晴れるぞ。ほぼ正午に湯沢駅着。レンタカーを借り出して、昼食の後、キャンプ用の食料買い出し。そして山に入っていくと、どんどん青空が広がる。キャンプ場についた頃には程良い気温で気持ちが良い。テントを設営して、諸々準備。ちょっとゆったりしていると日が傾いてくる。すると寒い。風が冷たくなってきた。夕食は焼き物中心のバーベキュー形式の予定だったが、寒くてやってられないので汁物に変更。野菜を煮込んだスープがメインの食事となった。このキャンプ場には入り放題の露天風呂がある。しかも天然温泉かけ流し。夕食後、どんどん寒くなってきたので、温まる目的で温泉に入る。十分に温まり、じんわり汗をかくようになるまで入ってからテントに戻る。夜はたき火を囲んで、なんやかやと語らうのが常だが。寒い。さっさと火を消し、テントに潜り込む。温泉で温まっているのでシュラフに入ると少し暑いくらい。いつの間にか眠りに落ちたようだ。1~2時間寝たのだろうか。ふと目を覚ますと、猛烈に寒い。体が冷えきっていて、感覚がおかしい。手もとの服などあらゆるものを体に巻き付けるが一向に暖かくならない。ウトウトとするが、寒さで睡眠に入れない。そんなことをしていたら、太ももの筋肉がつった。猛烈に痛い、痛い、痛い。さてどうしたものか、この寒さはたまったもんじゃない。隣で寝る相方さんがこうつぶやく。車に行く?といってもエンジンをかけない車内は、テントとほとんど同じ環境。駐車スペースはテントサイトに近いのでエンジンをかけっ放しているわけにもいかない。また相方さんがつぶやく。ドライブしようか。テントにいても寒くて眠れない。キャンプ場内ではエンジンをかけてはいられない。ならば走ろう。キャンプ場を出て真っ暗な山道を走る。もちろん町の方角に。幸い、小一時間で市街地に降りられるロケーション。だいぶ降りてきてもう少しで市街地というところに気温を示す表示板があった。その数値は3℃するとキャンプ場では、限りなく0℃か市街地に入り、深夜営業のレストランに入る。温かい食事と飲み物で体の中から温める。やっと落ち着く。その頃、時刻は午前2時。さて、これからどうしよう。また、相方さんがつぶやく24時間営業の健康ランドみたいなのを見つけたよ。携帯電話で検索した情報をカーナビに入力して、その店に行ってみた。入浴と広間での休憩で1000円なり是非もなく、一人1000円の費用を払って室内へ。そしていつしか夢心地。午前6時前に目を覚ましたので、再び山道を「とことん山」へ既に起きていた友人夫妻におはよーキセルキャンプ、とでも言いましょうか(笑)
2010.05.07
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愛想が無いとか悪いとか。 愛想笑いなら願い下げ。 愛想振りまく我が家の黒猫。 愛想良しなら我が家の嫁御。 愛想いっぱい、我が家は安泰。 とな 写真は、栃木県大田原、黒羽付近の那珂川で、鮎解禁前に漁がたつ「アイソ」という名の魚。 焼いて、頭からガブリと食す。 香り立つ山椒味噌を添えて。
2010.05.06
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ゴールデンウイークは、映画雑誌がつけた呼び方なため、公共放送の日本放送協会では大型連休と表現しているそうです。で、今年ですが。昨年は友人とキャンプで福島県へ。1000円高速の影響を受けつつ遠征したのだが学習しない猿はいるのである(笑)今年は、その福島を通り抜け、宮城県も越えてしまって秋田県まで遠征。さて何時間かかることやら。昨年と、今年の違い。そう、一緒に行く人が「連れ」ではなく「相方」に代わった。同一人物ですけど。で、「相方」の実家からも「大型連休辺りに来るんだろ?」という暗黙のお声がけをいただいている。秋田でのキャンプは、キャンプ通の友人が絶賛するキャンプ場で。遠いこともあり最低二泊三日。私の連休は5月1日から5日。さて、如何致すか。さらに、相方さんの「秋田新幹線乗ったことない、山形新幹線も。」とのリクエストも加わるので。はい、プランができました。秋田のキャンプ場には昼過ぎには到着したい。その時間条件から逆算方式で考えて。那須(相方さんの実家があるところ)までは車で走る。那須塩原駅を午前7時半頃に出る新幹線で仙台まで行く。仙台で「こまち」に乗り換え。(こまちは那須塩原を通過してしまう)盛岡で秋田新幹線(田沢湖線)に乗り入れて、相方さんは初めての路線経験。大曲で奥羽本線上りに乗り換え。逆走するように南下して、横手を過ぎて湯沢という駅で下車。この駅でレンタカーを借りる。駅からは20数キロの山道を走ってキャンプ場着。二日過ごして予定では5月3日。湯沢駅まで戻ってレンタカーを返却。奥羽本線上りに乗って、そう、大曲方面の下りじゃなく上り。新庄駅まで在来線の旅。新庄からは、山形新幹線の「つばさ」乗車。東北新幹線との接続駅の福島で東北新幹線に乗り換え。那須塩原駅についたら、車に乗って実家まで。掘りたてのタケノコや、現在高騰中の野菜もろもろを、車いっぱいいただいて5月4日中に帰宅。そんな「乗り鉄」&「キャンプ」&「温泉(キャンプ場が温泉地)」&「帰省」&「おみやげ(これはあくまで皮算用)」を一気に満喫な大型連休の予定です。そのためにも今月中は、仕事、仕事、仕事。
2010.04.28
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予言まあ、戯れ言として読んで下さい。このところ「ふてんま」のことで色々な話が出ています。首相は、5月末日までの「決着」を、その定義も含めて繰り返し明言してる。しかし、官邸の女房役は「決着」の定義をぼかそうと懸命。外国との交渉を担当する大臣は、現実的な観点を持っているような様子。「国家戦略」という大きな名前を背負っている方は、原則論を話して糾弾されている。それを総合して考えると「はと様」は、おやめになりたがっているのでは?でも、「あべ」「ふくだ」のご両人は「投げ出し」「逃亡」の雰囲気が有ったし、その昔の「肥後のお殿さま」も、なんか「わらわは飽きたぞよ」的にお辞めになっているので、それらの方々と同じレッテルは貼られたくない。しからば、声高に「五月末日決着」を叫び続けて、その時が来たならば、「力及ばず無念」と涙を拭い、「こうなったのも拙者の至らぬところに責任あり」とのことで首を投げ出す。となると、「国家戦略」担当さんがおっしゃっていた「同日選挙」も有りか?自由と民主主義を掲げる「新米野党」は、また飛び出る方がいらっしゃるそうで、この時期ならば「総選挙」を行っても、今の与党が過半数を割ることもなさそう、だし。議席を減らしても(減るだろう)過半数を保てば、「国民の信任を得た」という錦の御旗を掲げて「かごんま」の島にも大きな声でものを言えるだろうし。ありそうなシナリオだと思うが。問題は、誰を党首にして戦うかだ。私の地元の選挙区の「Eさん」なのだろうか?「事業仕分け」担当で、今のところヒーロー的だもんね。もし、「Eさん」で勝ったならば提灯行列でも仕立てますか(笑)
2010.04.21
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先月半ば過ぎ、そうお彼岸を過ぎた頃から今日は真冬の寒さですと思ったら今日の最高気温は20度に迫るでしょうという日もあり今日も最高気温が10度未満、しかもそれが朝のうちに記録されるらしい。桜の開花日から満開までの期間が、近年になく長かったようですね。今日も雨模様ながら、まだ枝に多くの花を残している桜の木が目立ってます。花冷えというにはあまりにも寒い日がありしかし春を通り越して初夏を思わせる日も挟まり昨日、近所の家具量販店に買い物に出かけたら、タンクトップの女性や、いわゆるランニング姿の男性をも見かけるほどのポカポカ陽気。それほど「暑く」は無かったとは思うけど、そんな夏姿になりたいのも分かる。知り合いの移動販売のクレープ屋さんが出ていたので一つ買ったけど、やはりアイスクリームのトッピングを追加してしまいました。なのに、今日はセーターに上着を重ねたくなる寒さ。治ったと思った風邪が再び勢いを増すのも仕方がないことかも。我が家は、咳とくしゃみの美しいハーモニーが復活してます(笑)
2010.04.12
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先日、オペラを鑑賞。「仮面舞踏会」という演目。ストーリーは単純で、コミカルな部分もあり楽しめた。ソリストたちの朗々とした歌声にしびれ、コーラス隊の下支えも懸命さが伝わり。3幕構成の舞台が終わり、出演者が入れ替わり立ち替わり幕前に出てくる。指揮者も加えて横一列に並び、再び幕が上がってオールキャストでの挨拶。鳴りやまぬ拍手。いわゆるカーテンコールだ。だが、だがしかし。何度も何度も何度も何度も出てくる彼ら。その度に、うねりのように高鳴る拍手。懸命につとめた舞台に対して、観客の溢れるばかりの賛美なのだろう。しかし、少ししつこくありませんか?キャストも、観客も。最近良く行く落語だと「トリ」が終わるとすぐに幕が引かれて「デテケ デテケ デテケ デテケ」の「打ち出し(追い出し)太鼓」ですから。もう少し余韻に浸りたいと思っても、「出てけ!!」ですからね(笑)歌舞伎も、普通の公演だとカーテンコールらしきものは無く(浅草で観た「平成中村座」はオペラ並のカーテンコールやってたけど)総じて「和物」は、あっさりとした、まさに「幕切れ」。なんとなく、あっさりとしている方がお気に入り。いつ終わるとも分からないカーテンコールの連続はイマイチです。
2010.04.08
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吹き荒れましたねぇ通勤時間数秒、屋内通勤の私には無関係ですが、都内に通勤する相方さんにとっては大問題。案の定、普段使っている通勤路線は大幅な間引き運転。遅延と大混雑が予想されるので、今日は「新幹線通勤」滅多なことでは不通にならないし、おそらく空いている。しかも、朝の時間帯は遠距離通勤客のために、通勤電車なみの運行本数。最もつまっている時間帯では5分間隔くらいでの発車。思った通り、早くて快適な通勤だったようです。味をしめたらしいですが、是非とも「自腹」でお願いしたい。私はといえば、春の嵐とともに、「春の風邪」を食らってしまいました。半日寝込んじゃいました。でも、夕飯は食欲旺盛でしたから回復も間近でしょう。皆様ご自愛下さい。
2010.04.02
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大きくなくノッポでもなく、まだ百年動いていないが。 今年で48歳の掛け時計。 丸12年動いて居なかったが、先日オーバーホールして見事に息を吹き返した。 百年に向かって再スタート。 この時計が百歳を迎えると、私は目出度く白寿。 おめでとうございます。いつもより多めに回して居りますぅ。
2010.04.01
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しだれ桜
2010.03.28
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以前より、日本一痴漢が多いと評判(?)の埼京線には存在していた。都内の私鉄でも、今は当たり前の「女性専用車両」4月19日から、東京到着7時30分~9時30分の東京方面行き列車に設定するとの告知ポスターを、今日、駅構内で見かけた。東京まで51~52分の、我が最寄り駅で考えると、6時40分発から8時40分発までとなる。で、編成のどこに設定されるか見たらば大船方から三両目、とのこと。大宮からの、いわゆる「南行」では、前から三両目。大宮~東京の区間で設定される。なんか、やけに、ちゅ~とはんぱやなぁ(笑)一番端(先頭車両か最後尾車両)だと、差別感があるからか?ならいっそのこと、十両編成のど真ん中、5号車で良いのではないの?なぜに3号車か。よく分からんが。でも、この時間帯は、相方さんが毎日の通勤で使っている時間帯。はてさて、彼女は「女性専用車両」に乗るのでしょうか?「女性専用車両」は、他の「混乗車両」より空くのでしょうか混むのでしょうか?で、分断隔離される形になる「1号車」「2号車」は、どんな状況になるのでしょうか?興味津々です。と言っても、わざわざその時間帯に乗ろうとは思わないが。皆様、毎日の通勤お疲れ様です。毎朝、通勤時間数秒(2階から1階)の私より。
2010.03.25
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レールの締結式が行われたそうです。これで、東京から鹿児島(鹿児島中央駅)までフル規格の新幹線がつながった。なぜ、八戸や新潟から鹿児島が、と言わないかというと、東京駅で東海道新幹線と東北新幹線は縁が切れているから。で、九州新幹線は愛称を往年の「1番列車」と同名の「さくら」にするそうです。戦前からの名門列車の名前が復活するのは嬉しいことです。ただ、東京から鹿児島への直通は無く、新大阪発着のみとか。これは、JR東海の大方針の「16両固定編成限定」があり、東京新大阪間が容量目一杯走っているため。それに、東京から南九州へは空路の方が便利で安いから、一貫通しの需要は見込めないかららしい。しからば、ご提案。東京駅で東海道新幹線と東北新幹線のレールを繋ぎ、寝台列車仕様の編成を作る。新大阪東京間は、運転本数減少する夜間早朝間運転するようなダイヤを組めないだろうか?夕方鹿児島を出発して、翌朝に仙台や盛岡、北海道新幹線ができたらば札幌に到着って。これならば、東海道区間の日中ダイヤには影響無いし、通しの需要も無いとは言えないんじゃないかな?飛行機嫌いの人も結構いるし、寝ているうちに移動できるっていうのが最大のメリットだし。問題は騒音だけど、それは技術革新で克服しよう。そうなったら、「寝台新幹線」で列島縦断してみたい。
2010.03.23
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旅先で自宅の近所の人とバッタリ出会ってしまう。旅先の地元の人と話していたら、すごく親しい人が共通していた。そんな経験はございますか?世間は狭いからどこで誰に見られているか分からないよ、出かけるときはちゃんとした身なりでね。と、巷のおかみさんたちがよく口にします。先週の金曜日有明のビッグサイトで業界関連の大きな見本市があったので電車で出かけた。通常は、埼京線から臨海高速鉄道への乗り入れで、乗り換えなしのルートだが、この日は天気もよく暖かだったので、有給休暇の消化に悩む細君を連れて、日の出桟橋から水上バスで乗り込もうと画策。浜松町までの電車旅なので必ず座れる始発の京浜東北線に乗る。発車間際に、斜め前の空いている席に一人の男性が座った。この男性、私の顔見知り。自宅のお隣の次男さんで、今は市議会議員を務めている。私が子供の頃は隣に住んでいたので、かわいがっていただいた。先方が気が付いたらご挨拶しようと思っていたのだが、気付いていただけぬまま次の駅で降りてしまった。平日の電車にはめったに乗らない私なのに、目の前に知り合いが座る確率はどのくらいになるのであろうか。その後は、トロトロと半分寝ながら揺られて浜松町着。ビッグサイトまでの船旅には、一つの「事件」が絡んだのだが、それはまたの機会にまわして。昨日、半月前ほど前に施工したお客様から「トラックに擦られちゃちゃって破けちゃった、ちょっと補修してよ」とのご連絡。いそいで市内の現場に。小さな傷だったのでその場で接着補修完了。お代を頂戴して、少し雑談したならば。「先週の金曜日に京浜東北線に乗っていたでしょう」「目の前に座ってたんだよ」「そのときも、そのブルソンだったでしょ、目立つからすぐに分かったよ」え?ええ~?確かに、5年前の地元の見本市出展時に作った蛍光グリーンで胸と背中に社名ロゴの入ったナイロンブルゾン姿だったけど。まさか、目の前にお客さまが居たとは、まったく想像もしないわけで。今度は私が気付かずに居てしまった。世間は狭し今日も蛍光グリーンのブルゾンを着て現場におもむきます。都内ですけどね。打ち合わせです。終わったら、ちょいと某演芸場で時間潰しして、夜は細君と落ち合って某所で某噺家さんの出る落語会に行きます。当然、蛍光グリーンのブルゾンで。見かけたらお声がけを。最初に行く現場は、その昔エノケンで有名な興行街の一角。最近フランスで賞を受けた某映画監督も下積みはここでしたね。なので、時間つぶしは、ここの演芸場、交番が目の前です。で、夜はサンプラザやブロードウェイなんてのがある街です。日本国内です(笑)
2010.03.16
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どういう記念日かは、当事者しか分からないのですけど、今日は「当選記念日」です。考えてみれば「ホワイトデー」の翌日だったんだなぁ。というか「ホワイトデー」を当選日にするつもりだったのだが、ちょっと機を逃し「当選確実」しか出せなかったのが現実。翌日に、当選確定したわけです。はい、これからずっと、大切な記念日の一つになります。ふふふ、謎でしょ、当選って(笑)あ、知っている人は黙っていて下さい。
2010.03.15
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もう一週間が経ち、いつまで引っ張るのか、って事になるので最終回。駆け足のため、箇条書き的に参ります。親族控え室での両家親族対面の儀式は、なんとなく終了。ここで、普通は「式」の為に親族と新郎新婦は「式場」に向かうのだが。親族は控え室に留め置かれ、新郎新婦は「結婚式会場」の普通のバンケットに行く。しかも、この結婚式用に設えた「舞台袖」に入る。「舞台袖」には、今回出演(?)の噺家と女流講釈師が居て、最終の打ち合わせ。定刻を迎えて、新郎が舞台袖の「影マイク」で、結婚式の開会を案内する。舞台袖と客席を隔てる屏風の向こうから「今の声naruchanだろ?」「そうだよnaruchanだよ」の声が聞こえるしてやったり(笑)ちなみに客席はテーブル無しの椅子だけを並べた、いわゆる「シアター形式」新郎新婦が舞台に設えた「高座」の前に出て挨拶、したと思ったら舞台袖に隠れてしまう。ここからは演芸会。高座名を持つ新婦が、今度は高座の座布団に座って「前座」としてつとめる。次は、正真正銘プロの女流講釈師が一席。客席から「松竹梅」にちなんだ三人を呼び上げての「余興(色物)」そして、真打ち登場、ほんまもんの「真打」の噺家が一席伺う。会場は大爆笑の渦に飲み込まれる。ここまで、まったくの「演芸会」しかし、あくまでも「結婚式」なので、次がその本番歌舞伎の襲名披露とか、落語などでの昇進披露の際に行われる「口上」の形式を用いた「宣誓式」「片しゃぎり」という、口上専用のお囃子(笛)により、噺家、新婦、新郎、女流講釈師の順に高座にあがる、座布団は無い。前出の噺家さんによる「とざい、と~ざい」の声に拍子木の音。女流講釈師の司会によって二人のプロフィールが紹介されて、その後何故か出会いから馴初めのご質問に答える。それは、両端二人の芸人さんに大きく絡んだ話となった。後見役の噺家さんからもお言葉をいただき、いよいよ新郎による「宣誓」事前に「形式張った在り来たりの宣誓は行わないように」との新婦からの希望を取り入れ、落語のくだりを引用しての宣誓なのだが、自分で笑いの壷にはまり、おしまいの決めの前で笑ってしまって収拾が付かない始末。それでも、なんとか持ちかえして宣誓終了。約200人での「江戸三本締」で祝っていただきました。で、「中入り」(笑)この第一部の間は、常に「お囃子」が流れ、宣誓終了後も寄席で流れる「中入り」のお囃子。約30分の休憩だが、新郎新婦は楽屋での打ち合わせに同席。打ち合わせの最中に、美容と着付けのスタッフを楽屋に呼びつけて、あちらこちら手直し。まるで一流芸能人気分(笑)中入り後場所を大きな3階の部屋に移し鳶の方々に露払いをお願いし、獅子舞の先導で新郎新婦入場。しかし、「高砂の席」が無い。パフォーマンス重視なのと、始終衆目にさらされる「高砂」が嫌で嫌で仕方がないので、いっそのことと「高砂」を廃止。ステージ上手に椅子を二つ並べて「新郎新婦席」ここで、祝いの獅子舞を間近で見た後、それぞれの主賓からご挨拶をいただく。新婦側は恩師だが、私側は恩師でも上司でも取引先でもない。いわばブログ仲間の「セイウチおじさん」。お世話になりました。主賓挨拶終われば、乾杯だが、その前に「鏡開き」「日本酒で乾杯推進会議」メンバーである私の披露宴の乾杯が、日本酒以外のわけがない。主賓お二人と両家父親を呼び上げての「鏡開き」見事に開いて、お客さまには「升」に満たした樽酒での乾杯。新婦には「三三九度」で使うような朱塗りの杯。新郎の私には、大相撲で優勝力士が持つような朱塗りの大杯。しかも4合ほどありそうな酒が注がれている。乾杯の音頭は私の恩師。主賓挨拶を頼まなかったのには訳がある。つまり、話が長い。かといって、全く話す場面を作らないもの失礼なので乾杯の音頭をお願いした。目の前には、力士級の大杯を持つ教え子たる新郎。この4合もの酒を入れた大杯は重いの何の。しかし、乾杯前の「一言」が長かった。はじめのうちは大杯を、腕を伸ばして捧げ持っていたが、二の腕がプルプルし出し、限界が近付く。しかし、「一言」は、まだ終わる気配がない。現役学生の間、ずっと聞いてきた恩師の話から想像するに、まだ話の半分にも達していない模様。腕を伸ばしきりにするのをあきらめて、大杯の淵を胸に預けて腕で支える姿勢に変更。そう、重量挙げでバーベルを胸の位置でキープしている、まさにそんな姿勢。案の定、姿勢を変更してから、また相当な時間が経過していよいよ「乾杯」乾杯の発声の後、私は大杯を傾ける。少しずつ飲んで4合を飲み干すつもりだったのだが、この恩師が暴挙に出た。大杯に手をかけて傾斜を急にするのだった。溺れるぅ~、なんてことするんだぁ~。それに、こぼしてしまってはこの日の為に誂えた色紋付を汚してしまう。とっさに腕をはねのけ大杯を戻す。事無きを得るしかし、大杯の酒は半分(2合)ほど飲んだだけで残してしまった。まったくもう~その後は、歓談に移り、我々新郎新婦はマイク片手に(?)各テーブルに訪問。プロの噺家の司会をして「この披露宴に司会は必要?」と言わしめる「セルフ司会」に徹する。途中、新郎友人のアコーディオン奏者と、新婦友人のアルトのソリストによる洋楽のステージ。和に徹した設えの中、一つのオアシスの如き音楽のひととき。このステージの間、新郎新婦は会場の一番後ろ、「お開き口」近くのテーブルの無い椅子に座ってゆっくりと音楽鑑賞。この間、多くのテーブルで「新郎新婦はどこに行ったんだ」との話題で持ち切りだったとか。ステージ終了、会場は拍手に埋まる。そして、このタイミングで祝電披露。「新郎新婦から自分達への祝電」も披露され、また司会の噺家による「六代目三遊亭円楽」からの祝電もでっち上げられ、これもまた「らしくない」、いや「らしい」祝電披露。ちなみに、中に元中日ドラゴンズの選手である某野球解説者からの祝電も有ったことが特筆されるんですよ、実は。後半はお色直しもせずに、中入り前と全くかわらない姿のままの新郎新婦が、今度は新婦の「セルフ司会」でテーブルを訪問する。この間、各テーブルでは「同窓会」「同期会」「OB会」「クラス会」「単なる飲み会」がそれぞれ勝手に進行していたらしく、とてもにぎやかな会場。しかし、テーブルを回り終えた新郎新婦は、謝辞を述べる時間帯に。再びマイクを握ろうとする新郎。そこにちょっと待った。の声。新婦の出身校関係者を中心とした約30人余りの老若男女が、あの有名な「踊り」を披露。その足音たるや、同時間帯に階下で宴を催していた人から苦情が有ったとか無かったとか。そんな状態なので、涙を誘うはずの新郎の謝辞は、やはり笑いとともに行われ。しかし、ステージに火消装束の鳶さん達が並んだ時には会場は水を打ったような静けさ。澄んだ声の「木遣り」が朗々と歌われ、そう祝いの木遣り。木遣りに送られる形で我々は「お開き口」から部屋の外に退いた。その頃、各テーブルでは、テーブルの上の装飾品(ほとんど手作りの品」の争奪戦が、テーブルの垣根を越えて行われていたことを、我々二人は知る由も無かった。午後3時15分から4時間15分予定どおり、午後7時30分に終了できたことは、ひとえに皆様が盛り上がり、しかし節度を持ってご協力頂いた賜物です。ありがとうございました。持ち込んだ大道具などは、翌日、車二台で回収。現在も、我々の部屋の多くの面積を占領してます。笑って、笑って、笑い尽くした結婚式・披露宴。これにて一巻の読み終わりでございます。次は決して「結婚式」ではございませんが、何やら画策の動きがある模様。首を長くしてお待ち下され。それは、多分「金婚式」西暦2060年に開催予定です。みんな、それまで頑張れ!!人間国宝の噺家と、やはり女流で初の人間国宝の講釈師が出演する「演芸会」だぞ~。出席しないと後悔するぞ~地獄での井戸端会議に事欠くぞ~~完~
2010.03.08
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新郎新婦の出で立ちは、新婦は二十歳の時の振り袖姿、新郎は色紋付色無地袴。まったくもって新郎新婦の姿じゃない。しかも、二人とも自宅で着込んでから会場入りなので、美容室で行うのは新婦は化粧と髪型づくり。新郎に至っては、着付けの手直しと袴付けだけ。なので、すぐに終わって新郎が向かった先は受付少し複雑なマニュアルにしたので、手伝ってくれる人との最終打ち合わせ。そんなこんなしていると新婦も出来上がって受付に来る。同様に最終打ち合わせ。ふつう、作り終わった新郎新婦はどこかで二人、静かに時を待つんでしょ?我々は、受付や会場の最終準備に走り回る。特に私は会場で音響のチェックなどをしていた。新郎新婦には介添えの人が一人つく。ふつうなら、この介添え人の誘導で、二人はしずしずと動くのだろう。しかし、我々は別々に今日のイベントの最終チェックを行っていた。なので、介添え人が「新郎はどこでしょう?新婦はどこ?」そんな事になっているとは知らずに、あらかじめ打ち合わせた時間に写真室に勝手に向かった我々。介添え人が後からやってきて「あ、お揃いですね」という始末。この後、二人での撮影。「足をこっち」とか「顔をこうやって」「手は軽く握って手のひらはこちら側に」お~い、早く撮ろうよ、細かいことはどうでも良いからぁ~が本音ごった返しているという受付や、会場内の準備が気になって気になって仕方がない。でも、写真の担当は「きれいに撮るためで~す、もう少し足を内側にぃ~」え~い、うざったいぞ~と思いつつも、いうことを聞かないと終わらないわけで愛想笑いも無理して作り、撮影終了。家族写真も撮り終えたら、親類が待ち受ける控室へ。続く
2010.03.04
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平成22年2月27日その日を迎えるために、さまざまな舞台裏があった。その舞台裏を「メイキング編」として、支障の無い部分のみ明らかにしていこうと思う。準備期間編1結婚を決めたのが11か月前会場を決めたのが10か月前、決めた理由は「無理なことをお願いできそうだから」この時点で既にありきたりの式や披露宴でないことは決定していた引っ越しして来て、同居を始めたのが7か月前この頃から具体的な準備が始まったある日、私が「ずっと昔から、自分の披露宴でやりたいことが有るんだよねぇ」「なにそれ?」「セルフ司会」「え?」「たとえば入場の時さ、自分の襟につけたピンマイクを使って、「それでは新郎新婦の入場です、盛大な拍手でお迎えください」って言いながら入っていくとかさ」「え?ええっ?何それ?」「つまり司会を置かないで、全部自分で進行するのさ」「え~、駄目だよそんなの」言った途端に否定された「セルフ司会」だったが、実際の「式」では・・・・・・。ご出席いただいた方々はご存知でしょう(笑)どのような状況だったのかは「メイキング編(その2)」以降をお楽しみに。
2010.03.02
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先週の土曜日、2月27日に、つつがなく執り行われました。私の結婚式・披露宴です。スムーズに運んだことは良かったのですが、御出席の半数程度の方は消化不良でお帰りになったかも。決して、お料理で腹の具合がと言うわけではありません。結婚式の設えが、どう見ても結婚式にあらず、部屋を間違えたかと思われた方多数発生。いきなり、新郎本人のアナウンスが入るし。その後はもう、ここはどこだという疑問符が皆さんの頭の中に充満する状態。大爆笑のうちに「結婚式」を終えたのでした。大爆笑です、大爆笑。~続く~
2010.03.01
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