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前にも書いたと思うのですが、世俗の愛というのはそれを与えられなかった場合には、他人へ与えることができないのです。
俗に言うところの、愛されなかった人は、常にハングリーであります。ここでの愛とは、生まれてから教えられるモノです。好き嫌いの感情も、何が好ましく、何がそうでないのかの基準を植えつけられるからです。
そういった基準の持たない人は、型破りで自由なのです。
親に愛されなかったという人にとって、人を愛せるはずがありません。
・・これは一般の好き嫌いの愛です。しかし絶対的な愛は、誰に教えられるものでも無く最初から持っています。言葉で表現するのは困難です。不可能でもあります。つまり、「愛」は枯れること無く沸き出でる命の根源のようなモノだからです。あえて名前はつけたくないですが、世間では便宜上絶対的「愛」と言ってます。親に愛された、愛されなかったの段階は飛び越えて、ただただ与える愛のことです。
子供の時、この「愛」に気が付かず、ずっと親に嫌われていたと思いこみネガな性格になってしまった人がいるでしょう。でも、一方通行の「愛」を一度感じればすぐさまその人はその「愛」で満たされるのです。
うらみやつらみがあるうちは、「愛」を感じていない人なのです。なぜなら、ほんの少しでもその光(の様なモノ、表現不可能)に触れればネガ感情は消えてしまうからです。
また、嫌われたと思っている人、それでも愛されなかった場合よりもましなのですよ。好かれもしない、嫌われもしない、無視されるよりもずっとましなのです。一般的な愛は、このように比較できるのです。ところが、「愛」は比較対象が無いのです。
愛されなかった人は、嫌われた人を包み込みましょう。悪口を言われた人も、意地悪してきた人も皆、まとめて包み込みましょう。あなたの「愛」のエネルギーでネガは蒸発してしまいますから。。それだけのエネルギーはちゃんと備わっているのですよ。。