
「岩屋山」の磐座群については、その全体像を過去記事の(1)と(2)で書いた。
☆過去記事・・・ 「岩屋山」の磐座群と〔山口と九州を貫く南北軸〕(1)
☆過去記事・・・ 「岩屋山」の磐座群と〔山口と九州を貫く南北軸〕(2)
実はその後も、当地の 「
臼美歩道(うみほどう)」
という遊歩道を訪れ、その道沿いにある様々な磐座を観察したのだが、その中でもとりわけ印象に残る磐座を「鏡岩」と名付け、今回は(特別編)として取り上げることにした。
そこで冒頭の画像は、その「鏡岩」(画像の手前左側に部分的に映る岩)の斜め背後から、海に突き出た半島に並ぶ小山の鞍部(凹みの部分)の遠方に浮かぶ「祝島(いわいしま)」に狙いを定め、ここから東南東に向かって撮影したものである。
(※上の画像では「祝島」が分かりづらいので、下方にその拡大画像と同島を”縁取り”した画像を掲載。)
つまり今までの経験から、この洗練された加工の形跡のある「鏡岩」を見出した時、この場所に「鏡岩」を置いた”背景”があると判断した私は、この岩の前に立って前方を眺めているうちに視認した対象が、二並びの小山の凹部に浮かぶ「祝島」だったというわけだ。
・・・やはり古代人は、広範囲に徹底した地文測量の末、しかるべき場所に磐座を設置しており、特にこの「鏡岩」は太陽光の反射を利用した「祝島」との”光通信”を目的とする施設ではなかったか・・・と直感した次第である。
※関連記事・・・ 「祝島」の磐座群(下)
ちなみに、この「鏡岩」と「祝島」の位置関係は、当日記の一番下に掲載した地図に詳しいが、ここから「祝島」は直線距離で約60㎞も離れている。加えて微かではあるが、画像右端の海上には「姫島」(直線距離で約40㎞)が映り、また画像左端の遠方には「向島」(直線距離で約17㎞)の上部が映っている。
さて、この上の画像と下に続く2枚と計3枚の画像は、その私的に「鏡岩」と名付けた一つの大きな磐座を、3つの角度から撮影したものである。
この3枚の画像を見比べると、この岩を太陽光を反射する鏡と見立てるとすれば、いわゆる「凹面鏡」の様相を呈していることが判ると思う。
その鏡岩の凹面は、ほんの少し斜め下方に傾いているのだが、おそらくそれは朝日を集光し反射する目的があり、遠方の「祝島」を含む近隣の対岸域等に、強い陽光を伝達する意図があったと推察できる。
上の画像は、古代人によって凹面状に加工されたと思しき「鏡岩」を真正面から撮影したもので、午前8時頃の朝日が満面に当たった風情である。
おそらくこの「鏡岩」は、この場所に古代より据えられたままの状態で維持されてきたと考えられ、現在でも白っぽく陽光を反射する岩石の、石質を見極めて選択したであろう古代人の卓越した洞察力を垣間見て、深い感動に包まれるのであった。
次に上の画像は、二つの小山が並ぶ凹部の海に浮かぶ「祝島」が見えるように、冒頭画像を少し拡大したものである。ここから見た「祝島」は、横に長い台状の島だが、その島の中央部が少し凹んでおり、その凹みから燦然と昇る朝日が想定され、感無量になったことを憶えている。
そして下の画像は、観測地の「鏡岩」を起点として、上の画像に映る「祝島」に向かって〔黄色の軸線〕、その「祝島」を挟んで左側の山頂に向かって〔青色の軸線〕、同じく右側の山頂に向かって〔紫色の軸線〕と、計三本の軸線を引いたものである。
さらに下の画像は、上の画像に引いた三本の軸線を地図上に示したものだ。実は、下の地図に線引きする過程で判然としてきたのは、起点となる東西軸上の「鏡岩」から、一方の山頂を貫く〔紫色の軸線〕が真東から南に約15度の角度を形成し、もう一方の山頂を貫く〔青色の軸線〕が真東から南に約30度の角度を形成するということであった。
実はこの「鏡岩」から見て、〔紫〕と〔青〕の軸線が示す山頂から昇る朝日は、暦の如く年間の決まった月日になっており、この〔紫の線〕が示す山頂から朝日が昇る月日は毎年10月23日頃と2月20日頃で、〔青の線〕が示す山頂から朝日が昇る月日は「冬至」の12月21日頃である。
つまり、昇る朝日の顔を出す位置が、〔紫の線〕が示す山頂から〔青の線〕が示す山頂へ至り、そこからまた〔紫の線〕が示す山頂に戻るまでの一往復となる期間が、10月23日(冬の始まり)から「冬至」を挟んで翌年2月20日(冬の終わり)までの《冬期の120日間》となるわけだ。
この「冬」の始まりから終わりまでを《冬期の120日間》として”冬の時期”とする捉え方は、既存の「 グレゴリウス暦」等の
【太陽暦】に基づく暦法には見受けられず、岐阜県下呂市に存在する「金山巨石群」に残された「古代太陽暦」の痕跡により解明された『縄文』系譜の太陽観測に基づくものとされており、上記の捉え方については、以下の関連サイトにある該当記事を参考にさせていただいた。
※関連サイト・・・ 日本の古天文学『 金山巨石群 』
(関連サイト内の該当記事…〔冬至をはさんだ約120日間の観測〕と題し3ヵ所に記載)
☆当日記の関連記事・・・ 【中央】を担う祭祀場を巡る(1)
☆当日記の関連記事・・・ 【中央】を担う祭祀場を巡る(2)
☆当日記の関連記事・・・ 【中央】を担う祭祀場を巡る(3)
ちなみに上の画像では、〔紫の線〕が示す山頂の、すぐ左隣の山頂に向けて(下の地図では〔紫の線〕のすぐ上の線)伏線として細い線を描いているが、この双耳峰の凹みがあることで、「冬」の”始まり”と”終わり”を的確に指標する基準になったと類推でき、おそらく縄文時代には重要とされた「冬の時期」において、特に冬場における太陽観測の施設であり、また陽光を反射する施設でもあった「鏡岩」を起点とし、《冬期120日間》の日数を数えたであろう古代人の営みが、今や私の脳裏に映るかのようである。

(地図左側の半島に描いた曲がりくねった緑の線は、この「鏡岩」を含む磐座群が散在する遊歩道だ。)
ところで、冒頭から何度も取り上げてきた〔黄色の軸線〕が示す「祝島」から昇る朝日の月日はいつ頃であろうか・・・。その位置付けから憶測した私なりの見立てでは、横に長い同島からの日昇期間が「冬期の120日間」に2回あって、一方は12月2日~12月12日頃(同島の中央部からの日昇は12月7日頃)で、もう一方は12月31日~1月10日頃(同島の中央部からの日昇は1月5日頃)となる。
この「祝島」での2回の日昇期間が意味するところは判然としないのだが、後方の日昇期間が現行の「正月」の期間と重なるところが興味深い。いずれにしても、ここ岩屋山の「鏡石」からの太陽観測において、「祝島」との関係から見出せる2回の日昇期間に、おそらくは太古より連綿と続く縄文系の祭祀があったことが想像され、胸が高鳴るのであった。
今回の(特別編)として取り上げた、この〔山口と九州を貫く南北軸〕の軸線上にある岩屋山の「鏡岩」は、上記のように「冬期の120日間」を観測するための特別な施設と認識できることから、かねてよりこの南北軸を《「冬」の 南北軸 》と表現してきたことと、絶妙に符合すると感じ始めた今日この頃である。
☆関連記事・・・ 「弥生」から『縄文』への意識転換(上)…山口と九州を貫く南北軸…
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