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ある日。 友人が書き上げた小説を読む。 読みはじめに、しきりに思われた友人の存在がだんだん原稿用紙のマス目に溶けてゆき、ただもう、描かれた世界に入りこんだ。でもときどき、小説のなかの想念のようなものに衝かれると、またひょいっと友人を思ったりする。 小説の善し悪しは、わたしには語れず、ましてや判じることはできないけれども、この日読んだ小説を好きだと思った。そのことに安堵したり、うかれたり。 ある日。 「きょうは、ずっとできないでいたことをする日にしよう」 と、長女が起きてくるなり、云う。 どうやら、わたしを誘っているらしい。 「くつしたの繕いと、料理と、それに『北の国から‘95秘密』も、観る。ね、」 仕事と雑用の予定を抱えていたけれど、「北の国から」と聞いて、よろめく。観ちゃおうかなー、と思う。 テレビドラマ「北の国から」(*)を、初めて観たのは昨年の秋だった。 長女が友人からすすめられて、DVDを借りてきた。 おそるおそる、その肩越しに観るともなく観たのがはじまりで、気がつくと、ぺたんと床に坐りこんで観ていた。 観たはなしをする前に、「北の国から」という人気ドラマを、どうして昨秋まで観たことがなかったかということを書かないといけないだろう。何だろうかなあ、観そびれたかなあ、と云うしかない。何より、このドラマがはじまった1981年ごろには、自分の人生を生きること、「自分の国」を築くことで精一杯だった。観ないでとり残されてみると、それもわるくないような気がしたし、そうでなくてもわたしは天の邪鬼だ。 「え、観たことない……?」と云われるだけで、どんどんひねくれてゆく。 「観ないといけないという法律でもあるんですか?」と、最近は小学生でも云わなくなったようなことを思ったり、云ったり。云ったり、思ったり。 観はじめるなり、田中邦衛演じる主人公の黒板五郎が、ぽつりまたぽつりとつぶやく科白につかまれてしまった。それはすべて、自分が云いたくて、知恵や経験が足りないためにことばにできずにいたことだった。 長女とふたりで、ドラマに描かれた人生をみずから生きながら(それほどの思い入れで、という意味)鑑賞をつづけ、この日、スペシャルドラマもさいごから3番めの「‘95秘密」にたどり着いたのだ。 夕方、友人が差し入れと云って、ばってらと穴子の押し寿司を持ってきてくれた。 「ありがとう、わるいね、こんな……」 とうれしく受けとる。 「お母さん、口調が五郎さんになってるよ」 ある日。 朝、喪服を着て、コートをはおって家を出る。 20歳のときもとめた喪服に、同じころ先輩から譲り受けたコートを着て、30年以上の歳月にくるまったような心持ちになる。 武蔵野市の元教育長川邊重彦氏の告別式である。 わたしにとって、かなたのまぶしいばかりの存在だった氏と、ことし、年始の会合で初めて向かい合っておはなしをした。正月のことでもあり、川邊さんは「孫たちも大きくなると、欲しいものを云うようになるので、こちらはその金額を渡す、というお年玉のスタイルになりました」と笑顔ではなされた。それは、ああ、なごやかなお正月を過ごされたのだな、とこちらまでぬくもるような語り口だった。 上ふたりの子どもの小学生時代だ。 行事のたびに川邊教育長は学校にいらして、いつも笑顔でおだやかにおはなしになった。ひと目見ただけですばらしいとわかる人格もある、というのがその当時のわたしの感想だった。ことしの年始の会合で身近にことばを交わしたときも、ああ、ほんとうにすばらしい方だと、あらためて思った。 そういうことがあったばかりのこの日、出かけていった葬場祭(神道のお葬儀であった)で、またさらにすばらしさを知った。とつぜんの死に「何が何だかわからない」と語る夫人が、川邊さんが初めて教師として赴任した学校名から、つぎつぎと就いてこられたお役目を、ひとつひとつ空(そら)で挙げてゆかれるのを聞きながら、おふたりでずっとともに歩いてこられた道を偲ぶ。 かの日、「教育委員、どうぞがんばってください。よろしくお願いします」と云われたことばを抱(いだ)きなおす。この世のお別れではあっても、わたしにはどうしても、縁(えにし)のはじまりと思える日だった。 * いつしかわたしは時間について考えている。 友人が書き上げた小説を読むこと、仕事や雑用を棚上げにしてドラマを観ること、葬儀に出かけること。どれも時間を使っての出来事だ。 時間をつくり出すためには覚悟や苦心が要るし、時としてあきらめも入用になる。……と考えていたわたしが、見方を変えようとしているのだった。 時間は、つくり出したり使うのものではなく、捧げるものなのではないか、と。そして(これがもっとも大事なところなのだが)、友人に捧げた、ドラマ鑑賞に捧げた(あるいはまた、誘った長女に捧げているとも云えるかもしれない)、偉大なる先輩に捧げたと考えていたところで、結局、みずからに捧げていたということにほかならないのだ、と。 *「北の国から」1981−2002年に放送。脚本倉本聰。連続ドラマ(1981年10月−1982年3月/全24話)放送後にも、スペシャルドラマ8編がつくられた。 昨年12月の引っ越しのなかで、いくつか見えなくなったモノがありました。一時的に隠れてしまったそんなモノたちは、ひとつ、またひとつとみつかりました。さいごのさいごにみつかったのが、写真のガラスのスプーンです。ドレッシングやタレを入れたピッチャーに添えるのに具合のいいスプーンですが、華奢な上に透明ですから、新聞紙にくるんだままいなくなってしまったかなあとあきらめかけていました。ところが、別のスプーンのあいだに隠れているのがみつかりました。モノも、時間の狭間にそっと隠れているようなことがありますね。
2013/01/28
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「どうです? もう落ちつかれましたか?」 「こんどのおうちに、すっかり馴染まれましたか?」 と、皆さん訊いてくださる。 昨年12月の引っ越しのあとを、心配して訊くのである。 そういうありがたいこころをわかりながら、 「いいえ、まだまだ」 と、わたしは答える。 過去に9回経験しているとはいえ、引っ越しは人生にそうたびたび起こるものではないのだし、そんな機会をうやうやしく受けとめなければ。たのしまなけりゃ。 ある日。 ナプキンペーパーのひきだしの整理にとりかかる。 棚のなかに納めた、小ひきだしの、そのまたひとつひきだしのなかというスペースであるから、ナプキンペーパーはほんのわずかな量なのだ。それでもときどき見直さないと、紙は窮屈なひきだしのなかで、思いがけない劣化を見せることがある。 さて、ナプキンペーパーに、わたしはたいそう思い入れがある。 というのも、その昔、小学生時代、蒐集に没頭したのがナプキンパーパーであったから。当時めずらしかったクッキーの大きな缶の箱を母にもらって、そこに、ためてゆく。小学生のことだから、こづかいでひと包み買ってためるなどということはできない。母が買ってきたものから1枚、どこかの家のお茶のとき使ったのを1枚、というふうにためた。 小学生のころは刺繍にも凝っていて、エプロン・三角巾(エプロンと三角巾は当時、ひと組だった。三角巾はあたまを覆うためのもの)に、あるいはまた布の提げ袋に刺繍するとき、ナプキンペーパーの箱をあけて、図案の参考にしたものだ。舶来、ということばも使われなくなって久しいが、舶来のナプキンペーパーには、洒落てモダンな柄が少なくなかった。なつかしい。 こころ躍る蒐集であったが、中学生になるころ、それをよした。あつめたナプキンペーパーのシミや汚れが浮きたって、なんともみすぼらしいものになったのが、蒐集をよした理由だった。1枚ずつの蒐集は、たいてい使ったあとのものであるか、うまくしても使うふりをしたものであった。どこかに見えないシミがついていたとしても、不思議ではない。そして見えないシミは時を経て浮きたち、ほかのものにも及んでいったのではなかったか。それが紙の怖いところである。蒐集をよそうと決めたときのさみしさは、忘れられない。が、あつめたナプキンペーパーの手ざわりと模様や色は、記憶のなかに棲みついて、わたしの美意識(大袈裟に美意識と書きたい気持ち、理解されたし)に影響を与えつづけていると思える。 その後、ナプキンペーパーを幾種類か持つようになったとき、身に沁みて感じた。 ――ナプキンペーパーをみずから買える大人になったのだなあ。 と。 ある日。 食堂のレースのカーテンの裾が落ちているのに気がついた。 このカーテンは、大家のTさんが、大事にしまっておいたものを「使えたら、使ってください」と云って出してきてくださったものだった。 上等の、そして古風なレースだった。ありがたく使わせていただくことにしたのだったが、一部裾にほつれがあったものらしい。引っ越しのどさくさのなかでは、気づかなかったものが見えてきたということだろう。こういうのも、ひとつのうつろいなのだと思う。 窓辺に下げたまま、しゃがみこんで裾をまつる。 ある日。 下駄箱の片づけに着手。 子ども、とくに上ふたりの靴の数がふえている。厳重注意だ。季節外の履きものを階段下の納戸におさめることにしたら、こんどはこちらが気になり、あらたな片づけがはじまった。 こんなふうに、浅瀬の片づけをしているうちに深みにはまり、いつのまにか大がかりな「変革」に着手していることも少なくはない。立ちどまっては片づけ、それがつぎにうつってゆく。なんとたのしいことだろうか。 「まだまだ馴れない」と云って制動をかけている。 ゆっくり馴れてゆきたい思いが、制動をかけるのだ。 ゆっくり馴れる……? 少しちがうかもしれない。わたしの気持ちは、やっぱり……、ゆっくりゆっくり好きになってゆきたい、である。ゆっくりゆっくりわかってゆきたい、ということもある。 ともかく。時間をかけてゆっくりと。このナプキンペーパーを見たとき、思わず(子どものときのように)、1枚ください!と叫んでしまいました。英文翻訳の師であり、友人でもある高橋茅香子さんのお宅で。茅香子さんと、わたしが鳥好きということもありますが、これは日本にはないデザインだと思いました。……好き(鳥が苦手な方には、お詫びします)。このナプキンペーパーは、大判で厚みもあるわたしの気に入りです。友人が輸入しているフランス「PAVIOT(パヴィオット)社」のナプキンペーパーです。
2013/01/21
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うつくしい日だった。 晴れていたが、視線は高くならず、そのせいで雲のことが記憶にない。これでは、とてもではないが雲好きだなどとは云えない。でも……。 ——いまは、それでかまわない。 名を呼ばれ、夫とわたし、それに長女と二女の4人は、1時間ほど前に辞してきた場所へ、ふたたび向かう。おのおのゆっくりとした足どりで、ぶらぶらと行く。 ——さあ、泣こう。 と思った。 ここで泣くのをさいごに、わたしは(それはこの先、涙ぐむくらいのことはあるにしても)、もう声を上げて泣いたりしないだろう。 ——さあ、泣き納めをしよう。 そうこころを決めていた。 「どうぞこちらへ」 と促され4人がならんだ先には、台があった。 そこに……、白い骨がならんでいた。 頭骸骨(とうがいこつ)。頸椎(けいつい)。肩甲骨(けんこうこつ)。胸椎(きょうつい)。腰椎(ようつい)。骨盤。尾椎(びつい)。それに肋骨と、前脚、後脚の骨もあり、ほぼ完璧な猫のかたち。ほかの3人も、息を飲んでいるのがわかる。おそらく皆、大泣きしてしまうだろうと覚悟していたはずなのに、そうならなかった。 深く嘆息している。 目の前の、いちごの骨に感じ入っているのである。 前腕骨(ぜんわんこつ)だけは箸渡し(2人2組で骨上げをする)をし、あとは手で骨を拾って、骨壺におさめてゆく。 あまりにうつくしい骨である。 あまりに愛しい骨である。 いちご自慢の長い尻尾の骨は圧巻で……、わたしたちは、あまりの見事な骨の有り様(よう)に、泣くどころか笑うのである。 うつくしいと云って、愛しいと云って、笑う。 2013年1月7日 午前6時48分。 猫のいちご永眠。 昨年の暮れも押し詰まったころ、とつぜん弱ってよろよろとしか歩けなくなり、ものを食べなくなった。水と、スープ少ししか摂らなくなって、どんどん痩せてゆくのがわかった。 いちごは、この家の大黒柱だった。 愛しく、かわいくもあったけれど、敬う気持ちがつよかった。この存在に恥じぬ人間でありたいという、そんな気持ちにさせられていた。 昨年12月7日の引っ越しのあと、いちごはこの家のすみずみを興味深げに探検していた。まるで、この家を隅隅祓うかのように。 介護なら、いくらでもするつもりだった。 やっと恩返しの機会が到来したかと思うと、うれしくもあった。 ——困らせておくれ。うんと心配させておくれ。 けれど、わたしたちにはたいして何もさせず、いちごはよろよろとみずからのことはみずからでして、静かに弱っていった。 そして、年を越した。 引っ越しをともにし、年越しもともにしたことは、大黒柱たるいちごの、わたしたちへのさいごの啓示だったと思える。 別れが迫っていることを最初に気づいたのは、夫だった。「みんなを呼ぼう」 と云うので、わたしもうなずいて娘たちを呼びに行った。 1月7日の明け方4時だった。 3人は階下のいちごのもとに集まり、声を上げて泣いた。わたしはすでに6日の日がおわる頃、えーんえーんと、子どものように声を上げて泣いたから、泣く子らを泣かずに見守った。 逝く直前、いちごは、ああと鳴いた。 それに対して、皆はどう応えただろう。 わたしは気がつくと、「……ごめんね」とあやまっていた。たしかにごはんのこと、誰もいなくなったとき(外出後、就寝後)のいちごの通路の確保、寒さ暑さを凌(しの)ぐ手段について、わたしはこころを砕いてきた。が、それだけだったような気がしての「……ごめんね」だった。それ以上にもっともっと、愛情を伝えたかった。 いちごが逝ってしまった翌朝、動物も弔う多摩の寺で荼毘(だび)に付すこととす。 朝7時半頃夫がどこかへ行ったな、と思ったら、バナナの箱を持ち帰った。 「見せてもらった箱のなかで、これがいちばんふさわしかった」 と云う。 そのことばから、棺をもとめて八百屋に出かけていたことがわかる。 三女が云う。 「きょうは始業式だから、学校に行くね。うち(わたしの意)は、がんばるよ。みんなとちがって生まれたときすでにいちごがいたから、いちごなしの人生を、これから初めて生きるんだからね」〈追記〉 いちごの骨を見たとき、ああ、自分(の一部)がいちごになった、と感じました。同時に、胸のなかに、悲しみ過ぎてはいけないと戒めるものが生じたのです。悲しみに暮れている場合ではありません。 いちごが17年と8か月、果たしてくれていた役割を引き継がねばならないからです。
2013/01/15
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引っ越し、引っ越しと思うなかに、日が過ぎてゆく。 緊急事態のようなニュアンスをもつ引っ越しという文言(もんごん)に励まされ、浮かされもして、わたしは毎日せっせと働く。 (この家で)夜休むようになった日を転居とすると、その日からはもう、明日でひと月だ。……ひと月。 このひと月は、たしかに緊急性を帯びてはいたけれども、一方で緊急性に飲みこまれないだけの、たしかな日常があった。 ——とすると……。 と、わたしは考える。 引っ越しも、日常のうちのひとつの出来事に過ぎないのではないだろうか、と。いつ終わる、いつ落ちつく、とみずからに問いかけ問いかけ過ごしてきたのが、端(はな)から日常をただ生きてきたということか。 終わることもなく、落ちつくこともなく、日常の途中をやっているのだ。 ——なんだ、そうだったのか。 引っ越しからひと月たとうというきょうも、ひとつ、この家との「結び」があった。とりあえず納めた雨傘の置き場所を、ここだという場所に納めなおしてほーっと、長いため息をついている。 日常の駒をすすめなくてはならぬ身ゆえ、雨傘の納めなおしひとつにとどめて、それがすむとわたしは何事もない顔で、朝ごはん、昼ごはん、晩ごはんをこしらえた。わたしばかりではない。子どもたちもそれぞれの日課をこなし、持ち場の掃除をし、買いものをし、てんでに引っ越しを終えた顔をしている。猫のいちごでさえ、とうの昔からここにいるといわんばかりの様子で、まるくなっている。 そうこなくっちゃ。 が、きっと、明日もひとつ、明後日もひとつ、そのあくる日もまたひとつと、それぞれがこの家との「結び」をとり行なうことになるのだと思う。 かすかに緊張をともなう日々である。これを日常と呼んでしまってもいいけれど、さりとて、いまだ引っ越しと呼べないこともない。……と、わたしは、また、考える。 どちらでも好きなほうの呼び方をすればいいことになろうけれど、まあ、渾然一体というのが正解であるようだ。 かすかに緊張をともなう生活、とわたしに書かせたのは、あたらしい環境、あたらしい家に馴染んでゆきたい、みずからの思いである。ぱっと好きになる、全部飲みこんだつもりになるというのでは、引っ越しの醍醐味も薄まり、暮らしの奥行きも寸詰まりになってしまうというものだ。 ゆっくり好きになってゆきたい。少しずつ飲みこんで、相手をわかりたい。そのための努力は惜しみませんと、誓うことこそが暮らす者のつとめだろう。また、ゆっくり好きになろうとすること、少しずつ飲みこんでわかろうとすることが、即ち暮らすことなのではあるまいか。 そう思ったら、とつぜん欠伸(あくび)が出た。久しぶりの欠伸。 わたしは、とつぜん動きを止めて、「2時間昼寝します」と宣言する。「この部屋で昼寝してごらんよ」 という誘いにのって、二女の部屋のベッドにもぐりこむ。 ——いい部屋だねえ。 とつぶやいたかと思うと、つぎの瞬間、わたしは寝息を立てていたそうだ。 宣言どおり、きっちり2時間眠って、目を覚ます。目覚めたとき、身に貼りついた緊張がいくらかほどけていた。ほどけた分、この家を好きにもなったのだろうし、わかったのだろう。そう思ってよろこぶ。 その日の夕方、家にいた二女と三女とわたしの3人で、銭湯に行く。 家の給湯の温度調節に不具合が生じて、風呂の給湯を2日間休まなければならなくなったからだ。 「お風呂屋さん行こう」 「行こう」 引っ越しも、給湯の不具合も、何もかも日常。なんとも愉快ではないか。 銭湯からもどって、晩ごはんにする。 ご飯、わかめと油揚げ、長ねぎの味噌汁、青梗菜とカレイの酒蒸し(タジンにて)、昆布巻き、黒豆、白菜漬。 本日も、佳き日常なり。晩ごはんの「昆布巻き」は、夕方、はっとしてつくったもの。――おせち料理に、昆布巻きつくるの忘れたー。と、とつぜん気づいたのです。5分間で巻いて、20分間煮てつくる、簡易昆布巻きですが、人気ものです。巻いてあるのは、牛肉とごぼうです。 *皆さまことしもどうぞよろしくお願い申し上げます。ここがことしも、明るい「場」となりますように、と希っています。 山本ふみこ
2013/01/07
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