2004年12月27日
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★『図らずも実現した世界一周「文明の十字路ツアー」の思い出』
           《第15回(全19回連載予定)》

 ※同人誌『群』第四号 (1990年7月30日発行)寄稿文「旅友M君への手紙(オリエントの旅を終えて)」
  を、14年後の今、即ち2004年10月26日に偶々再読。大幅遅れの楽天公開日記の埋め草にと着目、
  推敲と読後感を加え斯く連載することにした。
  今以上に構文の稚拙さが気になる作品だが、要は此処に書き残すような旅のハプニングも、時には
  有るんだなあと言った軽い話題として、読み流して戴けたらと思う。

ルクソール・河岸ホテルのロビーでT&t
天井一面に飾られた硝子器具のインテリアが忘れられない
             ルクソール・ナイル河岸ホテルのロビー(一昔前の筆者と妻)


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☆第15回(全19回) 

【前文】…初回11月1日のみの掲載記事
  ※第二回目以降から読まれる方々は、本文記事をヨリ理解いただきたい為、
   11月1日だけ掲出した【前文】だけでも、出来るだけ目を通されてから、
   続く本文を読み始めるよう、お薦めします。
   勿論、お気が向く限り、初回から順次全文を通読される事こそが、この
   程度の拙文しか綴れない筆者の望むところ…。
   まあ如何様に触れて戴くにせよ、読み難きを耐え、物足りなさを忍んで、
   何卒ヨロシクご判読の程を…。

            『 旅 友 M 君 へ の 手 紙 』
             …オリエントの旅を終えて…
              その15(全19回分載予定)

※前文「1990年3月・筆者註記」とエジプト土産のイラスト挿絵転載は省略

            ☆          ☆         ☆      

♪エジプト …カイロ ⇒ルクソール⇒カイロ/(?分割中の9〕)♪

§4.ルクソールでの思い出(その6〔全?分割〕)
《「ルクソール西岸観光…後半」》

♯墓の盗掘人の子孫の村・クルナ村。

かねてより墓の盗掘人の子孫の村として聞いていたクルナ村を私達が訪れたのは、
ハトシェプスト女王葬祭殿からの帰りだったと思う。

そこは見るからに貧しそうな小さく粗末な家々が数十軒ほど建ち並ぶ集落の一角
だった。
その中の道に面して建つヤヤ大きめで豊かそうな家の壁に、子供の落書きのよう
にも見える稚拙なペンキ絵がデカデカと描かれていて、その家に立ち寄った。

これはメッカ巡礼を済ませた回教徒の家である事の目印なのだそうだ。
絵柄は派手派手しい空飛ぶジャンボ機や駱駝や汽船等の絵が、壁一面に塗られた
黄色い下地の中にゴデゴテと並んで描かれていた事が今も脳裏にクッキリと焼き
付いている。

「墓の盗掘人の子孫も、今は神の存在を信じる強い宗教心に支えられた暮らし方
をしているのか…」なんて思いながら中に入ったものだった。

一説によると、この辺には数千を超える墓があるというが、昔からソノ墓の副葬
品を少しずつ売りさばいて生活していたというのである。だから、もしかすると、
そんな発掘品の幾つかがコノ家の地下あたりに密かに隠されているかも…なんて
良からぬ妄想も、正直に言うと脳裏を過ぎった。(ニヤニヤ、ウフフ)

でも今では、みやげ物用のアラバスター製の容器を作って訪れる観光客に売って
生活を立てていると聞いた。アラバスターは此処で採れる石の一種らしい。
仕事場で撮った写真には、削り取って散らばった白い粉に塗(マミ)れた様々な鉄
の道具が並び、これを使いこなす事で、光が透過するほど非常に薄い容器として
仕上げられて行く。
白い民族服と白布を頭に巻いた褐色の肌の主人の脇には、息子らしい幼い少年が
父の技を学び取ろうとするごとく土間に屈み込んで細工に励む主人の手元を一心
に見つめている様子が記録されている。


又その仕事場の隣は土間にソノママ鍋や薬缶を置いた台所であった。褐色の肌を
した母子が、やはり白一色の民族服姿で並び、母親は丁度何かを調理中だった。
二人とも目がクリッとしていて中々の美人だ。特に5~6歳程の女の子は中々に
人懐っこそうで、手に持った帳面に何か絵でも書いて私達に「見て見て」とでも
言いたげに示している様子。又その背後には、そんな娘の姿を横向きに振り返る
ソックリさんの母親の眼差しも母性愛を感じさせる。
その母親の服装だが、写真をしげしげと見直すと、そんな質素さの中にも色気が
あった。顔には赤と黒の大きな横縞のストールを真知子巻きにしていたし、屈ん
で見えにくかった白い民族服の裾にはオレンジ色した百合のような花が緑の茎や
葉をあしらって描かれている事が見て取れた。それを若妻らしい色気と感じた私
だが、この程度の彩色品を色気とした表現は少し捉え方が大袈裟だったかしら?

また個人的に西岸を訪れる観光客のガイドの仕事も生活の糧となっているようだ。
尤も、なかなかに駆け引きに長けている連中もいるようで、親切そうな案内に気
を良くしてチップを弾んだのに、別れ際に様々な名目の追加料金を要求されて、
支払わなくては一歩も引かない態度で迫られた例もある様子。
そんなトサカに来て書いたような旅日記も、この記事を書く為に調べたインター
ネット上で見た。
まあ人それぞれだろうが、クルナの村民のガイドの中には、そうした先祖の稼業
を髣髴(ホウフツ)とさせるオニイサンも居るらしいから個人旅行の方々は記憶に
留めておいたほうがヨロシそうだ。


♯メムノンの巨像

西岸最後の見学先は、船着場に近い遺跡のメムノンの巨像だった。

バスの車高程もあるかないかの丸みを帯びた潅木が点々とするだけで、唯々
ダダッ広い休耕地の向こうに、その2体の巨像だけがポツンと鎮座ましまして
いるのが、遥か遠くからも車窓に見えた。

それもその筈、高さ18mもあるという座像だったが、そんなに高かったかなぁ
と今になると思う。
だって18mといえば私の背の十倍以上もあったわけである。だが今振り返って
脳裏に残る実感は、精々五倍位の印象である。
間近に比べる物とて無かったからだろう。

側に立って記念撮影をしておけば良かったと残念がる今の私だが、良く見ると
像の周囲は膝の高さぐらいの杭とバラ線で囲まれていた様子。
これでは恐らく、直下での写真どころか、直接手で石の感触を確かめる訳にも
行かなかったのであろう。

左後方から夕日を浴びて、自らの影を右下の足元に長々と伸ばす、逆光気味な
一対の巨像の姿の背後には、潅木の疎林の遥か後に先ほど通り抜けてきた王家
の谷の方向と思しき辺りの山並みが、巨像の肩の高さヤヤ低く連なる。

又、向こう側の座像のスネ辺りの遥か右後方には、山裾に住宅地らしき家並み
も虫眼鏡で確かめてみたら在った様子。
あの、泥棒村かもしれないが、かなり纏まった集落の様に見える。現代のルク
ソールでは「ネクロポリス(死の街)」と言われようと、必ずしも住宅地として
敬遠されてばかりはいないのかも…と思った。

ところで、往時ここはアメンホテプ3世が葬儀を行うために建てた葬祭神殿の
跡だったと言う。

そしてこの像は、そのアメンホテプ王がネメスと言う頭巾を被り、顎付髭(アゴ
ツケヒゲ)を付け、両手を膝の上に置いて玉座に座っている姿を刻んだもの。

…なのに、どうして「メムノンの巨像」と言われるようになったかと、インター
ネットで確かめようと思った。

「《メムノンの巨像》の呼び名はギリシアの伝説、メムノン王に由来します。
 メムノン王はトロイ戦争でアキレスに敗れ、メムノンの母エオスは嘆き悲しみ
 ました。
 1日1回の生き返りをゼウスに頼んだところ、朝日が昇るときメムノンは物悲しい
 声をあげたといいます。
 巨像の石が朝日が昇ると夜との温度差で振動し、泣き声のような音をたてていた
 ところからきていますが、1999年修復後はその音を聞く事はなくなりました」。

という説明が、私としては一番信頼できそうだが、中にはメムノンをエチオピア王と
し、こんな一文もあった。

「エチオピア王でトロイ戦争の英雄だったメムノン将軍が、内乱で負けてルクソール
 西岸まで来たが、この石像の前で捕まり殺された。

 メムノンの母親がここまでやって来て泣き悲しんだ。
 その時、地震があり像に亀裂ができ、強い風が吹くと像が軋んで音が出る様になった。
 その悲しい音を聞いていた現地の人が、お母さんが泣いている声だと思い『メムノ
 ンの巨像』と呼ばれるようになった。

 珍しさのあまりローマ皇帝まで見物に来たといった話もあり、その後、ローマ支配
 時代にローマ皇帝の命令で復元したが、その時から不思議な音は発生しなくなった
 そうだ」。


まことに諸説マチマチで何とも判りにくい点が多いこの巨像だが。次の点は共通して
いて、まず事実に間違いないと思えた。


その一つは、修復以前のこの石像は良く軋(キシ)むような音をたてたという事。
それが「メムノンが母親である曙の女神エオスに挨拶をしている」とか、「この地で
殺された武将メムノンの悲業の死を諦めきれぬ母の泣き声」と考えられたりした様子。

但し、修復され音がしなくなったと特定されている1999年がADだとすれば、ローマ
時代の修復後に、何時か再び軋むようになっていて、つい最近また修復されたのか?
…てな事を思ったりした。

だってBC1999年と言えば、未だローマ建国以前の事ではなかったか…。そんな疑問
から、この石像は二度に亘って修復されたものの、何れの場合も何時か復活。しかも
軋む時と音が異なっていた。
即ち、前者はギリシャ神話的な物語が伝える「朝日が昇る時、メムノンは物悲しい声
を…」と書いている。そして後者は「地震があり像に亀裂ができ、強い風が吹く時に
像が軋み、メムノンの母が泣いている声の様だ…」といった具合。

 尤も、神殿自体は2030年前の地震で完全に崩壊した。又、その瓦解した夥しい
石材などは、河岸に近いこともあって他の建築物の材料として再利用されたらしく、
今残るのは神殿前の両脇に在った、この2体の巨像のみと言う経過を辿ったものの
ようだ。


 それにしても、この一対の巨像に心あらば、今、交々足下に来たりて群れをなす
世界各地からの観光客や、五千年もの時を経ても殺戮を繰り返して止まない人間
達を如何なる思いで見下ろしているものやら…。

            ※(以下、本文は明日以降の日記に続く)

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最終更新日  2005年01月12日 13時19分25秒
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