おじん0523のヒロ散歩

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2020.11.04
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カテゴリ: 続 日本100名城
​本佐倉城から房総半島を南下して大多喜城へ向かう。
房総半島を南下して進むが、カーナビの到着予定は約60kmで、12:30頃と案内。
12:30
酒々井の「酒の井碑」を出発


10月6日(火) 10:36
国道296号(成田街道)を進み、墨入口交差点を右折して県道77号へ


10:49
県道77号(富里酒々井線)
この先の住野交差点を右折して国道409号へ。



国道409号を南下
大多喜城へは47km、到着時間12:33


11:03
JR総武本線の踏切を渡る、右側に「八街(やちまた)駅」


JR八街駅の北口広場にある「落花生の像」。
八街に落花生が導入されたのは明治29年ごろで、文違区、住野区で栽培されたのに始まると言
われています。八街は周辺の土壌が育成に最適と言われ、農家などの献身的な努力により、落
花生栽培は明治末期から急速に発展し、大正初期には特産地となりました。
昭和24年には耕作面積が全耕地の約80%を占め、日本一の生産を誇りました。この頃から「八
街の落花生」が全国に知られるようになりました。また、昭和28年には、全農家中、落花生栽
培戸数は95%を占めるほどの発展でした。現在、収穫量は全国1位を誇り、品質の改良・加工方



11:18
国道409号は滝台交差点を左方向へ


11:21
国道409号は国道126号に突当り(小野交差点)、左方向の「茂原、東金市街」方面へ進む


国道126号(東金街道)を進む



台方十字路交差点を右折して国道128号へ


11:42
国道128号を南下、右側をJR外房線が並行して走る。
右側に「本納(ほんのう)駅」


大多喜城へは27km、到着時間12:40


12:03
国道128号の茂原市街地は渋滞、カーナビはこの交差点を直進して県道27号へ。
大多喜城へは後 18km、到着時間 12:41


交差点の左側に像


交差点横にあったアマビエ像
所在地:千葉県茂原市茂原1066-1
江戸時代末期、肥後の国、今の熊本。疫病が流行ったとき海岸に現われ「私は海中に住むアマエ
ビ様、私の姿を写し人に見せよ」と言って海中に姿を消したという。
京都大学所蔵の瓦版には、疫病が治ったとの記載はないが、見た人の間で治ると信じられたのか
もしれません。
一日も早い新型コロナウイルスの収束を願いながらチェーンソーで彫りました。
      市内在住  木村 廣?     令和2年4月


12:11
給田交差点を直進


12:22
国道297号との横山交差点を直進して県道172号を大多喜市街へ


大多喜市街に入り、右前方に大多喜城


県道172号の大多喜駅入口交差点にある「四ッ門公園」
石柱には「上総大多喜城四ッ門跡」


12:32
大多喜駅入口交差点を右折。
四ッ門通りを進み、いすみ鉄道大多喜駅前を過ぎメキシコ通りへ入り踏切を越え坂道へ。
大多喜城駐車場
所在地:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜484
利用料金は24時間 200円と安い。
大多喜城へは、バルト三国の帰りの2017年4月28日(金)に立ち寄っており今回が2度目


二十一世紀の森
千葉県立 大多喜県民の森案内図
園内路案内
  ●展望コース     1400M  60分
  ●探鳥コース     1120M  50分
  ●ピクニックコース  1400M  60分
  ●御止川コース      600M  30分


駐車場から大多喜城へ緩い坂を登る


道路脇に立つ旗、3年前に来た時も大多喜の街並みに「NHK大河ドラマに」の旗が多く立って
いたが、今でも「本多忠勝・忠朝」を大河ドラマにの旗が立つ。
町の活性化の一段であろう、頑張ってほしいものです!


千葉県立中央博物館 大多喜城分館
千葉県指定史跡の上総大多喜城本丸跡に建設された天守閣づくりの特色ある歴史博物館です。
常設展では「房総の城と城下町」を主題とした展示を公開しています。
そのほか、この地方に残されている優れた文化遺跡を紹介する役割も果たしています。また、資
料の調査・研究・保管・展示を行い、県民の生涯学習に寄与することを目指しています。
開館時間:午前9時 ~ 午後4時30分  入館は午後4時まで
休 館 日 :*月曜日(祝日・休日の場合は開館し、翌日休館)
        *12月28日 ~ 1月4日
     *その他 展示替等の臨時休館日
入 場 料 :有料

大多喜城の歴史
上総大多喜城は、戦国時代に築かれ、小田原北条氏の滅亡に伴い、徳川四天王の一人である本多
忠勝がこの地に十万石で封じられました。
城主は、本多氏三代のあと、阿部氏等の普代大名が入りましたが、元禄16年(1703)の松平氏の
入城以降は9代続き、最後の城主松平正質の代に明治維新を迎えました。


掲示板には
マスクの着用をお願いします。
「まむし」に注意!
今日の展示「房総の城と城下町」


空堀の説明


城には、敵が攻めにくいように堀を作りました。堀の中で水のないものを空堀といいます。
山城の堀は空堀が多く、平城は低いところに作られているため、ほとんどが水堀でした。空堀
の底は土や石なので落ちるとケガをするため、水堀よりかえって攻めにくいといわれています。
大多喜城の空堀は、西側の守りに多く作られています。


空堀を振り返る


マムシに注意! と嫌な標示


道路脇の草は刈取り整備されているが、中に入ると・・・・・


千葉県立中央博物館 大多喜城分館


模擬復興された三重天守


土 塁
土塁は、堀とともに城を守る大切な構えです。土塁は堀と組み合わせて作られ、堀を掘り上げた
土で、土塁を作る方法がとられています。土塁は、城内が見えないように作られていました。
勾配は、敵が入りにくいように、城の外側を急勾配に作ります。
大多喜城では、この本丸跡の周囲に、土塁が見られます。


入場料のご案内
大  人  ¥200(160)
高・大生  ¥100(80)
中学生以下及び65歳以上   無料
( )は20名以上の団体料金、我々は、65歳以上の証明を出し無料で入場。


家 紋
博物館の屋根の瓦には、二つの家紋が使われています。
最初の城主となった本多家の紋「丸に立葵」と、最後の城主の松平家の紋「三つ扇」です。
武家の家紋は、権力の象徴であるとともに合戦の際に敵味方の識別をしやすくするために作られ
たものです。家紋は、家を代表するものとして、明治維新まで大きな権威を持っていました。


天守への入り口。
室町時代末期に真里谷(武田)信清が築いた小田喜城の跡地に、天正18年(1590)の豊臣秀吉の
小田原平定後、本多忠勝が大改修して大多喜城を築いたとされる。慶長14年(1609)に難破し
たスペイン船のドン・ロドリゴ一行を大多喜城下で保護したが、大多喜城が壮麗であったこと
が、ロドリゴの「日本見聞録」に記されている。
南方の夷隅川に面した段丘部分を利用して、半島状の台地に本丸、二の丸、三の丸を配し、各
曲輪間を空堀で区画して、三の丸の東と南を水堀が大きく囲んでいた。


房総の大名


千葉県の城
千葉県には多くの城があるが、日本百名城&続百名城に認定されているのは、3城。
日 本 百 名 城:No.20 佐倉城
続日本百名城 :No.121 本佐倉城、No.122 大多喜城


続日本100名城のスタンプが2階にあるので、2階の展示場へ。
紺糸威最上胴具足(こんいとおどしもがみどうぐそく)                                                                                                                                                                                                                                                                           


江戸時代中期から後期にかけて流行した復古調の具足。大多喜城主・大河内松平氏所用と伝え
られる具足の一つである。


兎形変兜と采配脇立付筋兜


兎形変兜(うさぎなりかわりかぶと)


兎形変兜
張懸で兜の全身を表現している。前立のように長く立つ耳は、内面に金箔を押し、裏面には毛
を植えている。兜は俊敏で後退しないことから武将に好まれたデザインであるが、このように
写実的に表現する例は少ない。


采配脇立付筋兜(さいはいわきだてつきすじかぶと)


采配脇立付筋兜
椎形の黒漆塗り筋兜の横に、戦陣で指揮をとる時に使う采配を脇立として立てたものである。
本品では、金箔を押した紙の采配を模している。三つの立ち銀杏の前立が付く。


刀剣の展示
左:脇差、中:刀、右:??


刀剣の種類
大 刀 (たち)  :平安時代中期まで用いられた直刀様式の刀剣
太 刀 (たち)  :長さ2尺(60.6cm)以上あり、刃を下に向け腰から吊りさげる様式
刀  (かたな)  :長さ2尺(60.6cm)以上あり、刃を上に向け腰に差す様式
脇差(わきざし):長さ1尺(30.3cm)以上、2尺(60.6cm)未満のもので刃を上に向け
        腰に差す様式
短刀(たんとう):長さ1尺(30.3cm)未満のもの
薙刀(なぎなた):長い柄をつけてなぎ切るのに使用するもの
槍 (や り) :長い柄をつけ刺すのに使用するもの
剣 (け ん) :両刃のもので平安時代以降は寺社の奉納用に多くつくられた


太刀(近村上)
長さ 2尺1寸5分(65.2cm) 反り 7分9厘(2.4cm)    平安時代末期
一説に、近村は、三条宗近の子、兄吉家の養子となって備前国(岡山県)に住んだと伝わっている。
銘は「近村」または、「近村上」と切った。細身で腰反りの強い古雅な姿である。


刃紋の種類
直刃 (すぐは)、互の目 (ぐのめ)、丁子 (ちょうじ)、のたれ


太刀(刀)の名称
刀装(拵)の名称


本多忠勝画像(模写)


本多忠勝画像(模写)     原品:江戸時代前期
大多喜町良玄寺所蔵の紙本著色本多忠勝画像(千葉県指定有形文化財)を模写し、屏風仕立てと
したものである。鹿角脇立付の兜をかぶり、白毛采配を手にし、床机に座る姿は、威厳に満ち
ている。


大多喜城主 大河内松平氏、「三ッ扇紋付黄羅紗陣羽織」


大多喜城主 大河内松平氏
元禄16年(1703)、松平正久が相模国甘縄から大多喜城に移り、以後9代約170年に
わたって、松平氏が二万石で城主でした。城下は交通の要衝・文化の中心で、多く
の人々が往来しました。十返舎一九の「諸国道中記金の草鞋」にも当時の宿の賑わ
いが描かれています。
7代藩主正義は学問を重んじ、文政12年(1829)に藩校「明善堂」を開いています。
天保の末、大多喜城は火事になり、藩の財政も苦しくなっています。8代藩主正和
は夷隅の海岸に砲台を築き、房総警備に努めています。9代藩主正質は幕閣に入り、
慶應4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いでは老中格として幕府軍の指揮を執ります。
代々の藩主は、書画に秀で、特に正和は「梅閣」と号し、南画を得意として、和歌
にも優れていました。


12:48
大多喜町指定文化財「三ッ扇紋付黄羅紗陣羽織」     江戸時代後期
大多喜城主松平氏所用。江戸時代には貴重な輸入品であった毛織物の羅紗を素材にしたもの。
松平氏の紋所「三ッ反扇」を配してある。



                                     ― 続く ―​





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最終更新日  2020.11.04 03:00:05
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