おじん0523のヒロ散歩

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2022.01.05
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カテゴリ: 続 日本100名城
今日は九州の旅三日目。初日は西南の役の激戦地である田原坂を散策、三日目の今日は薩軍の
墓地がある南洲公園を散策と ”せごどん” 三昧という感。
本来の目的である志布志城への途中、急遽立ち寄った「道の駅おおすみ弥五郎伝説の里」。

11月16日(火) 10:20
道の駅 おおすみ弥五郎伝説の里
所在地:鹿児島県曽於(そお)市大隅町岩川6134-1
この道の駅は大隅半島曽於郡を縦断する国道269号沿い、岩川市街地近くに位置し、町に入ると
高さ15メートルの弥五郎どんの銅像が目に飛び込んでくる。


銅像広場の案内標示。

の末吉町・財部町・大隅町が合併し成立した。 畜産や畑作を中心とした農業が盛んな地域。旧
末吉町・財部町を中心に隣接する宮崎県都城市と日常生活や文化面でのつながりが深く、都城都
市圏の範囲内となる。人口は、37,040人(2017年4月1日)。

健康ふれあい館の横を抜けると銅像広場に、高さ15メートルの弥五郎どんの銅像

公園内に建つ石碑


碑には、
Spanisb Commemorative
         Monument


碑 文
弥五郎どんスペイン遠征

 弥五郎どんは1992年7月、スペインのマタデペラで行われた「AMICS DELS GEGANTS(巨
 人博)」に出展を果たした。しかし、商工会青年部がこの事業を実現するにあたって、資金
 の目処がつかず、一時断念をせざる得なかった。だが、地元メディアに取り上げられた事に
 より、県内外からの多数の人々に多額の支援金を受け、出展することができた。この記念碑
 は、その県内外多数の人々からいただいた浄財を財源とし、皆さんの「心」を「形」として、

 郎伝説の里」に建立するものである。
         1996年(平成8年)11月吉日
          大隅町商工会青年部
            大理石施工 西村石材店


弥五郎どんスペイン遠征記念
  遠征に際して協力して下さったすべての方々に感謝致します
遠征スタッフ
  20名の氏名
大隅町商工会青年部
  27名の氏名

       大隅町商工会青年部   
       創 立 30 周 年 記 念
                           1996年11月

大型芝刈り機
ゴルフ場でも使用されているような機械である

銅像広場に建つ弥五郎どん

弥五郎どんの左上空を飛行機が飛ぶ


弥五郎どんを正面から。
両袖幅 8m、長い刀 9m、短い刀 7mの大きさがある。

弥五郎どんって何者?
一説には、300歳の長寿を誇り、6代の天皇に仕えた竹内宿弥か、隼人族の首領ではないかと言
われています。
この銅像は、地域おこしのシンボルとして弥五郎どんを永く後世に伝え、祭りと弥五郎どんの
伝説を多くの人々に広く知ってもらおうと建立いたしました。
   銅像は、高さ15m 重さ39t
         大刀9m、小刀7mです。
                          1996年 2月 建立
     町花 ツツジ   町木 ウメ


平成8年3月建立
   鋳造 富山県高岡市 株式会社 竹中製作所


下から見上げる。
避雷針がないが対策はどうなっているのか。


弥五郎どんをズームアップ
銅像の眉幅 80cm、目玉の幅 50cm、ひげ 1m、口幅 1m30cm

銅像広場廻りには平成31年3月17日に寄贈された、サクラ。 
弥五郎どんの銅像前から市街地を見下ろす。


健康ふれあい館を見下ろす。左の建物は「弥五郎の湯」。

健康ふれあい館
道の駅の約20ヘクタールの広大なスペースには、遊具施設、温泉、物産館、レストランなどが
あり、休日をゆっくりと過ごせる。


健康ふれあい館内にある「弥五郎の湯」には、大・小浴場や岩風呂を完備している。
館内へは消毒、検温をして入場とコロナ対策。


弥五郎銅像模型
これは、銅像広場に威風堂々とそびえ立つ弥五郎銅像の1/10の模型です。実物は、高さ15m
重さは39tもある巨大な銅像です。約480日間かけて鋳造されました。  
  銅像の眉幅 80cm、目玉の幅 50cm、ひげ 1m、口幅 1m30cm、両袖幅 8m、
  長い刀 9m、短い刀 7mの大きさがあります。

寄贈された「藁草履」
弥五郎どんが生きていた頃は、わらじを履いている時代でした。巨人であったと
いうことで、足の大きさはこれくらいだったでしょうか。想像が膨らみます。
      寄贈 太良木 学 様


道の駅に植栽された約1,500本の桜が見ごろを迎えると、県内外から多くの人で賑わう。


鹿児島県下の三大祭りの一つである「弥五郎どん祭り」。
曽於市大隅の岩川八幡神社の例祭が今年も11月3日に始まり、澄み切った秋空の下、子どもたち
に引かれた身の丈 4.85メートルの弥五郎どんが近くの岩川小学校まで往復したと。
写真はネットから。


10:36
旧同僚が退職して都城に帰郷しており、連絡が取れ急遽立ち寄ることに。
同僚の場所を確認、位置的に先に志布志城へ登城し、その後宮崎への途中立ち寄ることにする。
カーナビを志布志城にして出発。


10:50
カーナビは弥五郎の里から志布志城まで20数キロと標示。


11:29
カーナビはこの先の関屋口交差点を左折と


11:34
志布志城駐車場
所在地:鹿児島県志布志市志布志町帖6380
駐車場(無料)には、「日本遺産 志布志麓」の幟が立ち並びトイレも併設されていた。


駐車場から志布志城跡への道


若い女性グループが向っていたので追うと右側に看板。
ウラカフェ
所在地:鹿児島県志布志市志布志町帖4371
カフェだがいろんな定食が食べれるようで、休日のランチは混んでいると。
志布志市志布志町と変換すると、同じような字が並び間違っているような錯覚になる!


駐車場脇にあった「国指定史跡 志布志城跡」
志布志は、万寿3年(平安時代中期 1026年)に平季基によって開かれた日向国の大荘園島津荘
(現在の宮崎県都城市)の港として発達した。志布志湾に面した前川の河口付近に、河川で浸食・
分断された標高50m程のシラス台地の東端に内城・松尾城・高城・新城があり、この4城をあ
わせて「志布志城」と呼ぶ。いずれも石垣や天守閣はなく、地形を利用した戦いのための砦の
ような「山城」である。
志布志城の築城者と築城年代は正確には不明だが、文献で初めて記載があるのは、建武3年(
室町時代 1336年)で、「志布志城の肝付氏が重久氏に攻められた」という記録が残っている。
志布志城の領主は、港の所有をめぐって幾度も交代しており、記録に残る領主を大きく分ける
と、肝付氏 ー 楡井氏 ー 新納氏 ー 豊州家島津氏 ー 肝付氏 ー 島津氏の流れとなる。
その後、徳川幕府の一国一城令によって廃城となり現在に至っている。
「志布志城」の中心である内城の規模は、山城部分だけでも南北500m、東西250mになる。
志布志にこのような広大な山城が築かれたのは、この地が海上交通の要所であり、国内のみ
ならずアジアの各地とつながった国際的な貿易港であったからと考えられる。
     志布志みなとロータリークラブ

志布志城は、4つの山城(内城・松尾城・高城・新城)で構成されている。
全体規模は東西約1,000メートル、南北約900メートルと、戦国時代の山城としては巨大。
一般的な見学スポットは内城のみですが、内城だけでも走りまわれるほどの広さ。最低でも
1時間は予定しておくといいでしょうと。


航空写真


志布志城は4つの城があり散策には時間を要するので駐車場で引返すことに。
従ってこれからの3枚の写真はネットから。
本丸上段東側の切岸と空堀
今まで北条氏の空堀をよく見たが、このようにざっくりと削られた切岸は圧巻の城である。「南九
州型城郭」と称され、鹿児島県や宮崎県にみられる城の特徴で、志布志城はその代表例であると。

中尾久尾から大野久尾へと続く長大な空堀


本丸に至る空堀で正面が本丸


11:40
後のスケジュールを考え、続百名城のスタンプが置かれている「志布志市埋蔵文化財センター」
へ向かうことに。


11:46
先程の関屋口交差点へ戻り国道448号を直進。
志布志市は、鹿児島県の東部に位置する市である。市の南部は志布志湾に面し、国の中核国際港
湾である志布志港が整備されている。志布志港からは国内外へ複数の航路が設けられており、南
九州地域での重要な役割を担っている。人口は、33,720人 (2013年2月1日)

国道448号を進み、左に志布志駅 200m
志布志駅はJR九州日南線の起点で、宮崎県宮崎市の南宮崎駅を結ぶ。


11:50
志布志市埋蔵文化財センター
所在地:鹿児島県志布志市志布志町安楽41-6
開館時間:午前9時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休 館 日 :月曜日(国民の祝日の時は翌日)、12月29日~1月3日
入 館 料 :無料      駐車料金 無料

入口に続日本百名城のスタンプが置かれていた。


NO.197 志布志城
デザインは山城の象徴、空堀であろうか


志布志のお殿様


館内には国の指定史跡である志布志城の内の、「内城」のジオラマが展示されている。


志布志城跡の中心的山城である「内城」を実物の200分の1のスケールで復元している


館内には、旧石器時代の発掘物から、土器などの埋蔵文化財が展示されている。


続日本百名城認定証「志布志城」殿
         平成二十九年四月六日


日本遺産の認定証「薩摩の武士が生きた町 ~ 武家屋敷群「麓」を歩く ~」


12:00
いろいろとパネルの説明書きがあったが。



                                      ー 続く ー





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最終更新日  2022.01.05 03:00:05
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