おじん0523のヒロ散歩

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2022.01.13
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カテゴリ: 続 日本100名城
​​​​引き続き、日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区の立磐神社を散策。

11月17日(水) 10:04
拝殿の左側から廻りこみ、本殿(切破風造)2.7坪。
屋根の銅板葺き替え工事が令和二年度拝殿、令和三年度本殿改修工事が行われたようだ。


社殿の左側に、「磐座」
松吉稲荷神社


地元有志により祀られた松吉稲荷神社


耳川に架かる国道10号の美々津大橋。
耳川は、宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野の九州山地三方山に源を発し東へ流れる。宮崎平野

美々津川とも呼ばれ、耳川の戦いの古戦場で有名。


美々津大橋の上流側に日豊本線の耳川橋梁が架かる。


拝殿前から東方向の参道


苔むした岩に黄色のツワブキ


御神木のくすの木の根元にツワブキが咲く


境内を振り返る


燈籠の後方に、「神武天皇御腰掛磐」の碑


立磐神社を後にする


保存地区の入口に、高札場(まちなみ広場)がある。
駐車場は別の所にあるがトイレがある。


日向市美々津伝統的建造物群保存地区案内図

⑤ 美々津公民館   ⑥ まちなみセンター   ⑦ 美々津軒     ⑨ 日向市歴史民俗資料館
⑩ 漁業生産組合倉庫(ちりめん加工工場)   ⑪海軍発祥の地・記念碑  
⑫ 日向市美々津まちなみ防災センター    ⑬ 高札場(まちなみ広場)
港から南に延びる三本の主道路や、それらに直交するツキヌケ(防火地)は江戸時代に設けられた
ものと伝えられており、旧い敷地割や石畳などとともに美々津の歴史的景観を構成する重要な要



上記案内図の色の説明
ツキヌケは江戸時代につくられた防火地


高札場跡景観整備について
高札は、立札ともいう。木の板に法令・禁令等を墨書したものである。江戸時代は幕府や藩が
民衆に対し直接的に伝達する手段でした。都市や農村の交通の多い市場や辻等の要衝の地の高
札場に掲げた。高札の規格は、伝達文の内容により大小様々である。奈良時代にはじまり、鎌
倉時代は禁制・制札とも呼称される。高札場は、政治的権利の主張する場であり、民衆は立札
と呼ばれる自らの札を立て一揆を呼びかけることもあった。高札・高札場は、支配の象徴であ
り、民衆の自治と情報伝達の場でもあった。明治六年(1873)廃止される。
本事業では、高鍋藩支配の美々津において、この場所が高札場であった旨伝えられていること
から修景事業として整備した。なお、藩政時代の高札・高札場の状況は明らかではないが、私
本「立縫抄」(渡辺綱男著)に昭和初期地元古老より聞き取り調査した地図が掲載してあり、高
札場・札の辻の記載がある。現在、宮崎県においては、唯一、明治初期の太政官布告の高札
(145×55、山型)が県立博物館に所蔵されている。
                平成十一年三月
                   日向市教育委員会


高札場(まちなみ広場)に立つ道案内


暖簾に「お休み処 伝統的建造物 旧 近藤家」、「美々津軒」


10:10
高札場(まちなみ広場)に立つバス停「立縫の里」。
神武天皇の衣服が破れたが、立ったまま縫ったので、立ち縫いの里と呼ばれるようになった、
と伝わると。
急遽立ち寄った日向市美々津の保存地区から、国道10号を北上延岡へ向かうことに。


美々津の保存地区から坂道を上り、国道10号美々津交差点。
この交差点を右折、国道10号の美々津大橋を渡り北上。


日豊本線に平行して国道10号は北上。
国道を一路北上するが目的地は私の頭の中にはなく。


10:22
カーナビはここ国道10号お倉ヶ浜交差点を右折指示。
道路の左側に、「大御神社 3km」の案内板。


カーナビの目的地到着時間は、10:29、残り 3.1kmと。


美々津(矢印)から国道10号を北上、大御神社(丸)へ


10:30
伊勢ヶ浜門前まち観光案内所駐車場(無料)へ到着。
大御神社(おおみじんじゃ)
所在地:宮崎県日向市日知屋1番
大御神社は、日向のお伊勢さまと呼ばれ親しまれている。


日向のお伊勢さま
大御神社(おおみじんじゃ)
御祭神 天照皇大御神  国登録有形文化財
日本最大規模「さざれ石」群  大御神社周辺点在図


駐車場脇のトイレ前に幼稚園の園児が座り込み


園児はマスクを着けていないようだが


日向市のおすいマンホール蓋
市章の周りに市の花ヒマワリの花が三つ描かれています。「ひゅうがし おすい」と表記。


駐車場脇に「日知屋城趾」碑
日知屋城跡は、伊勢ケ浜南岸の岬に築かれた城で、伊東氏と係わりが深く、塩見城・
門川城とともに三城と呼ばれ重要視された。
文明18年(1486)には、伊東氏5代祐国の弟祐邑が当城で暗殺されており、また伊東氏
の飫肥侵攻をはじめとする宿敵島津氏との合戦に際しては城番の福永氏や日知屋衆が
軍勢催促を受けて、入郷地域の諸将とともに出陣していた。したがって日知屋城の歴
史は伊東氏の歴史とも言える。

伊勢ヶ浜海浜公園 日知屋城址案内図
城内に入ると不整形に削平された6ヶ所ほどの曲輪があり、要所には土塁や空堀、それに櫓台等
の防御施設も付設されている。全体的な縄張りは地形や岩盤に制約されているためか、まとまり
に欠けるきらいもあるが、こうした状況が中世城郭に見られる特徴であることは言うまでもない。


海岸に建つ、「大御神社」
大海原を見渡す絶景の柱状岩上に建つ大御神社は、古くは天照皇太神宮と言われ、皇孫瓊々杵尊
が皇祖天照大御神を奉祀して、平安を祈念されたと云われています。また、神武天皇御東征の砌、
天皇は当神社にご参拝になり武運長久と航海安全を祈願されたと伝えられています。


日向のお伊勢さま
大御神社御由緒並に沿革
   御祭神 天照皇大御神
大御神社は、皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが当社に伝わ
る「神明記」その他の古文書によれば往古皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給
うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇
祖天照大御神をお祭りして平安を祈念されたと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所にに
一宇を建て皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。
また、神武天皇御東遷の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、鉾島が細島に転じた
と伝えられているが、天皇はこの時、伊勢ヶ浜(脇の浜)から港に入られ、皇大御神を奉斎する御
殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる
櫛の山(槵の山)と、東に隆起する米の山(久米の山)は、神武天皇の先鋒の天櫛津大久米命の名に
因むものであると言う。
その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官等に尊崇され、地
方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、且つ親しんできたのである。最近ことに、御神
徳を慕って県内外の参拝者が激増している。
大御神社の社名は天照皇大御神の大御をいただいて社名としたと伝えられている。現在の御社殿
の改築は昭和十三年に完成し、資材は高千穂地方の神社の境内木が使用されている。
       例祭日   十一月十五日
                十六日


社務所、手水舎が海に向って建つ


社務所の前に、
御社殿屋根葺替銅板
    御奉献のお願い
当大御神社の御社殿は、平成十一年に国登録有形文化財の指定をうけておりますが、銅板屋根
が長年の風雨、特に台風・塩害による損傷が著しくなってまいりました。
そこで御社殿の屋根葺替等の整備を行い、御神威の発揚とともに貴重な文化財として後世に守
り伝えて行かねばならないと存ずる次第でございます。
つきましてはご参拝の皆様方の真心からなるご協賛を賜りたく屋根葺替用銅板の御奉献をお願
い申し上げます。
    銅板  一枚  2,000円
 お申し込み受付は お守り授与所にてお願い致します。

因みに、先程参拝した立磐神社では「銅板 一枚  3,000円」でした。


大御神社の社殿
大御神社は、天照大御神をご祭神とする古社で、「日向のお伊勢さま」として知られ、国内では
珍しく絶景の大海原を見渡す柱状岩を背に立つ神社です。

拝殿の扁額「大御神社」


登録有形文化財
   第45ー0008 ~ 0009号
 この建造物は貴重な国民的財産です
     文化庁


南方向の、お倉ケ浜海水浴場


境内の南方向にある、
日本最大級「さざれ石」群 !!。
平成15年の秋、境内地拡張の際に発見された「さざれ石」群は、国内最大規模であるとみられて
います。今から約2千万年前に、大御神社付近は大きな川の流れる浅い海岸平野でした。その河口
付近には大量の礫(石ころ)が堆積し、粘土や砂などと混じり長い年月の間に凝固して「さざれ石」
となりました(写真はパンフレットから)。
神座(かみくら)(さざれ石)
天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)がお立ちになり絶景の大海原を眺望されたと伝えられる。
(周囲30m 高さ4m)


日向灘を望む


海岸線は柱状節理


南側からの大御神社社殿


境内の北方向に社務所、入口


龍宮(鵜戸神社)参道入口


龍宮(鵜戸神社)
    ここから歩いて三分の所にあります。
5,000年前、縄文時代の人々が龍神信仰をしていたと思われる岩窟であることが解りました。
奥にある御社の前に立ち、入口の方を振り返ると天に昇る白龍がご覧いただけます。


北方向に廻り、大御神社社殿。
満潮時になると砂浜まで水位が上がるのであろうか。
左手前に「親亀」


現在の社殿は、昭和13年(1938)10月に全面改築されたものであり、建物全体が直線形の木造銅
板葺で切妻屋根を支える力柱を持ち、棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造りが特徴。本殿
裏の波打つ柱状岩と相まって独特の雰囲気を醸し出し、特に海岸より観る姿は実に美しい。
設計施工は当時全国的に活躍していた宮大工・谷山武義(四国出身)で、建築資材は高千穂地方の
神社の境内木(杉材)が使われている。その後は改築もほとんどされていない。


三代の亀(親・子・孫)
今から約1500万年前のこと。神社の沖にある海底火山の活動により、この海岸一帯は多量の
火砕流が押寄せ堆積しました。
そして長い年月をかけて固まったのが柱状節理(溶結凝灰岩)です。
長寿を象徴するめでたい亀。
悠久の時を経て、大自然がもたらすこの三匹の亀岩の見事な芸術をご覧下さい。
                   大御神社社務所


沖側に「孫亀」、手前に「子亀」


10:40
西の曲輪、堀切


日知屋城跡  堀切
岬の城である日知屋城跡を陸地から攻められにくくするために掘られたU字形の溝が「堀切」
です。ただこの場所は岩場であるため深い溝を掘るのは大変な作業だったと思われます。



                                      ー 続く ー





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最終更新日  2022.01.13 03:00:06
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