おじん0523のヒロ散歩

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2026.08.03
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小園子之社からの帰路、Googleマップで調べていた寺社史蹟に立ち寄った。

7月18日(土) 15:25
綾瀬市立東名公園
所在地:神奈川県綾瀬市早川2980-87
綾瀬市にある住宅街の、子どもが走り回るには十分な広さの公園です。昭和後期につくられ
た第二次ベビーブームのための公園です。公園の設備にはトイレ、水飲み・手洗い場があり
ます。遊び場には砂場、ブランコすべり台がありますと。


広い公園の南側隅に朱色の祠が建っていた。
南側には東名高速道路の防音壁。


稲荷神社

公園南側のフェンス際に鳥居と社殿があったが説明板がなく詳細は不詳。


Googleマップの書き込みでは、「社殿内には石祠と木製本殿が祀られている」とあったが、
南京錠で施錠され確認できなかった。また、鳥居脇に「藤美神社」「稲荷社」二社・「蚕
影社」を合祀と記された木標が設置されているとあったがこれも確認できなかった。


祠の前にはペットボトルのお茶が供えられていた。


東名高速道路に向かって鎮座している。


東名公園は昭和後期につくられた第二次ベビーブームのための公園とあったが、現在は
少子化も要因か、この日は土曜日だが子どもの姿はなかった。


ここにもレンタル自転車が置かれていた。


遊具越しに稲荷神社を望む。


稲荷神社から東名高速道路に沿って西側へ下ると目久尻川手前の左側に庚申塔があった。



庚申塔
所在地:神奈川県綾瀬市早川3041-2
坂を下ってきた松並木の手前に立っていた庚申塔。


庚申塔は風化していた。


こちらの面には、
「相模國高座郡

       内藤善兵衛  他」の名が刻まれていた。


目久尻川に架かる内藤橋。


内藤橋の上流側を望む、左側はサイクリングロード。
目久尻川は蛇行して流れている。


庚申塔前から下ってきた稲荷神社方向を見る。
東側の丘陵地に住宅団地がある。


目久尻川に沿って下ると県立綾瀬西高等学校前の交差点角に石塔が立っていた。


左側は神奈川県立綾瀬西高等学校のグランド。


左に道祖神、右側に庚申塔が2基。


瀬端橋(せばたばし)


きまぐれ堂 駄菓子屋
所在地:神奈川県綾瀬市早川瀬端橋(バス停横)
交差点角に建つ駄菓子屋で、焼き立てワッフルが美味しいと。


瀬端橋の袂に立っていた案内板。
目久尻川 サイクリングロード 
 新武者寄橋から上流の小園橋までの距離表示板
 目久尻川サイクリングロードは河川管理用道路を兼ねています。
 管理用車両などが通行することがありますので、利用者の方はご注意願います。


瀬端橋上から下流側を望む。
この辺りの目久尻川も川底が深く、蛇行して流れている。下流側に「 宮久保遺跡 」がある。


次に向かったのは道路からそれた「 地蔵堂 」。


地蔵堂
所在地:神奈川県綾瀬市早川
城山公園の西側下に位置し、背後に透明で綺麗な水が湧きでていた。


覆い屋の中に衣裳をまとった三体の地蔵。


覆い屋の中にはほうきもあり地元の方が管理。


由緒等の詳細は分からないが集落の方の信仰が篤いのであろう。


城山からの湧水であろう。


サラサラと音がし湧き出ており奇麗であったが、飲料水としては?。
傍には柄杓がなかった。


かつての小径であったのであろう。


最後に訪れたのが「江川天神社」。


江川天神社
所在地:神奈川県綾瀬市早川808番地
綾瀬市役所から”市役所南通り”を西に走ると、新武者寄橋の北側の雑木林の若干薄暗い中に
ひっそりとある。


江川天神社
  ⇦ 綾瀬市役所 0.7km      五社神社 1.02km        ⇨
                                           武者寄橋 0.15km (目久尻川)   ⇨ 
                   綾瀬市・綾瀬市教育委員会


鉄製の鳥居は紙垂で飾られていた。


案内板の裏面にこの説明文があった、
江川天神社
祭神は菅原道真と平成輔。享保十五年(1730)に建てられた古碑があり、それには「平宰相
成輔卿祠社」と彫ってありました。
平成輔は京都の公卿で、後醍醐天皇の親任を受け、鎌倉幕府討滅を計画しましたが、失敗し
て捕えられ、鎌倉に護送される途中、元弘二年(1332)五月、早川河口で殺害されました。
その故地は小田原市に現存し、同市指定史跡となっています。
早川という昔の村名が、たまたまこの早川と同名なので、後世ここにも祭ったものと思われ
ます。
境内の涌き水は社によって大切に保護され、飲料水や農業用水として利用されてきました。
  平成三年三月
                        綾瀬市教育委員会


薄暗い鬱蒼とした中に建つ社殿。


手水鉢
側面には「文政十亥年九月□吉日」と。
文政十は1827年で江戸時代末期の奉納になる。


社殿も紙垂で飾られていた。
周りは綺麗に清掃されており日々地元の方々が管理。


鬱蒼とした杜の中に鎮座している。


社殿の南側に広場があり神楽殿であろうか建物が一棟建っていた。
今でもまつりが開催されているのであろうか。


ズームアップ、後方は市役所南通りの新武者寄橋。


広場から社殿を見上げる。


入り口を見る。


15:45
神社は市役所南通りからの脇道沿いにある。


市役所南通りの「天神森隧道」。


帰路につき、県道45号線(中原街道)の新用田辻交差点。


綾瀬市の北西部地区をほぼ制覇した。今後は東部、南部地区をと思っているが。


                                        END





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最終更新日  2026.08.03 03:00:05
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