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ジャズ・サックス奏者、マイケル・ブレッカーがなくなった。白血病だという。(正確には「骨髄異型性症候群」という病気が悪化すると白血病になるのだそうだ)享年57歳。マイケル・ブレッカーは、兄でトランペット奏者のランディ・ブレッカーと一緒に、「ブレッカー・ブラザーズ」というユニットを結成、ロック的なハードなフュージョン・サウンドを確立し、80年代のフュージョン・シーンをリードした。【ブレッカー・ブラザーズの『ヘヴィ・メタル・ビ・バップ 』名盤です】ヘヴィ・メタル・ビ・バップ / ブレッカー・ブラザーズヘヴィ・メタル・ビ・バップ当時、ライブに行ったとき(確かベースはマーカス・ミラー)、熱心なファンが多く、みんなの拍手に即され、4回か5回もアンコールをおこなった。フュージョン・サックス・プレイヤーとしてカリスマ的な存在感をしめし、日本のサックス・プレイヤーはこぞって彼のプレイを研究した。ギタリストまで、彼のフレージングに影響を受けた。そんな、マイケルは、渡辺香津美の「トチカ」に参加したり、ステップス(後のステップス・アヘッド)に参加するなど、ジャズ・フュージョンの地平を切り開いてきた。ところが、サックスをプレイするときに、のど、首の筋肉を外側に伸ばし空気をためてプレーするスタイルが、彼の筋肉を痛め、その吹き方では、今後サックスがプレイできなくなる、とドクター・ストップがかかり、プレイ・スタイルを変える。一時は、エレクトリック・サックスなども使っていたが、近年は、ロックよりもジャズの本流回帰のプレイをしていた。だから最近の彼はフュージョン・プレイヤーではなく、いつのまにかジャズ・プレイヤーに変わって言った。昨年、村上春樹の小説の題名に使われている音楽を、いろいろなジャズ・プレイヤー、フュージョン・プレイヤーが集まって作った企画アルバムがあったが、某大型CD展では、「マイケル・ブレッカー復活!」と紹介されていた。これは、おおうそで、マイケル・ブレッカーが闘病生活で入院する前の、おそらく最後のレコーディングだったはずだ。すでに闘病中であったが、共演するプレイヤーだけでなく、音楽プロデューサーも彼の病気を知らなかったようだ。大変な病気にかかっていながら、スタジオで録音するときには、そんなそぶりもみせず、若手のプレイヤーを励ましていいたというからすごい精神力だ。マイケル・ブレッカーについて詳しく紹介する前に、彼はなくなってしまった。これでまたひとり、僕の好きなアーティストがなくなってしまった。ご冥福をお祈りする。
2007年01月15日
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♪夏がまた来る、いつかのメロディ。走る風に乗り、心はずませ、ん~、ごらんよ、ふたりの夢さえ、声をひそめて、そこまで来ているのさ~♪たんら~ら、たんら~ら、たんら~ら、というギターソロに続いて始まる、高中正義の「トーキョー・レギー」 いつも、夏が始まる頃に聴いてきた曲。入梅前の6月は、もう夏。高中正義/サウンズ・オブ・サマー~ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・高中正義~この曲を聴き始める季節が、だんだん早くなってきて、5月の連休ごろには、もう夏が始まっていた。ぼくが、ボードセイリング(ウインド・サーフィン)やボディ・ボードに夢中になっていた頃、週末、海に行く時、クルマの中で、平日、朝、起きたとき、自分の中で、夏のイメージがどんどん膨らんでいき、なるだけ夏をはやく始まらせ、なるだけ夏を遅く終わらせるエンドレス・サマー に憧れ、北半球の冬にハワイのノースショアからスタートして→タヒチ→オーストラリア→南アフリカ→東アフリカを北上→インド洋→バリ島→~~~ハワイに戻る 1年中、サーフボードと軽装(Tシャツにジーンズ、サンダル)だけで、世界を駆けめぐる、サーファーたちのドキュメンタリー映画に憧れ、彼らは、お金がなくなったら、世界各地のサーフショップでバイトをして波がいい日は、仕事をやめて、海に入る。そんなイメージを持ちながら、でも、実際には普通の生活をしている時が何年かありました。あの頃は、太平洋の島々や物語にえらく興味を持っていて、リン鉱石が掘りつくされちゃうと島で生きていけなくなってしまう、ナウル諸島海の上に浮かぶ首飾りのように美しい環礁のマーシャル諸島や、地球上の4大環礁のツアモツ諸島、ランギロア島、インドネシアや、オーストラリアの木曜島での、黒真珠の養殖地上は砂漠なのに、海の中は豊かな見たこともない色や形をした珊瑚がいっぱいの幻想的な海、紅海インド洋に浮かぶ手つかずの自然の残り、ヨーロッパ人のツーリストがロング・ステイするセイシェル。鳥やゾウガメ、黒アザラシがやってくる島々。そんな夏、海、南太平洋やインド洋の楽園のイメージ。高中正義の「Blue Lagoon」 は、まさにそうした環礁・ラグーンにぴったりの曲。ギター・ソロのカッコいいこと。爽快な気分。高中正義は、いったこともないセイシェル諸島の写真集をみて、曲をかいた「憧れのセイシェル諸島」 そんな、曲の数々が、実は湘南の砂まじりの風と、コパトーンの匂いとともに鮮やかによみがえってくる 。そして、実際、自分も、グアム、サイパンからはじまって、ハワイ、バリ島、ニューカレドニア、ペナン島(マレーシア)、プーケット島(タイ)などに行き、もっともっと沢山、南の島に行きたかったのに、旅行の1週間前に三浦半島でボードセーリングを練習していて、いつになく高い波と風に、マストとボードの間に脚が挟まったまま波に巻き込まれ、膝に大怪我をしてあえなく断念したフィジー島。ビーチコマーさながらにうろうろしていたころ。ビーチに生きるため、人生をぶんなげた男。あいつは、今、どうしているんだろうか。高中正義の曲を聴きながら、なんかそのころのエネルギッシュだった自分が、だんだんよみがえってきました。まだ、ウクレレに出会う、ずいぶん前の頃です。「I Remember You」 友達が言っていました。「題名もアーティストもわからなくて、もしこの曲を聴いたら、誰のなんという曲か知りたくて、調べられなかったら、とっても気になって、いつまでも忘れられない曲。自分は、この曲を知っていて本当によかった」あいつは、今でも、ギターを弾いているんだろうか。ぼくにとって、高中の音楽、夏、海、それは、日本の海ではなく、太平洋、南太平洋、インド洋。。。。ところが、高中の「伊豆甘納豆売り」 という曲で、セミの声って、すごく夏を感じさせてくれるし、郷愁をさそうよなぁ、と、日本の夏のよさを再認識させてくれた曲もあります。そして圧巻が、やっぱり「Ready to Fly」 イントロから、徐々に盛上がっていって、いっきにギター・ソロが駆け抜ける。ソプラノ・サックスのソロが入る。あの頃の高中はやっぱり最高だったなァ。最近、ここ2~3年かな、高中正義が復活して、「クロスオーヴァー・ジャパン2005にも出演したみたいだし。」夏の始まりは、高中正義。(ということは、夏の終わりは別のアーティスト。それは、夏の終わりに紹介します)なんか、だんだんCD聴きながら、日記書きながら元気が出てきたぞ。いよいよ、夏本番、真近。「サウンズ・オブ・サマー~ヴェリー・ベスト・オブ・高中正義」 という2枚組みのベスト盤CDが出たようなので、上で紹介したような曲をまだお聴きになったことのない方は、ぜひチェックしてみて☆追記、1.上であげたような、太平洋の環礁は地球温暖化で海の中に沈もうとしている。2.フランスは、フランス領ポリネシア・ムルロア環礁で、何回も地下核実験を実行した。(亡くなった景山民生氏は、小説「遠い海から来たクー」で、フランスの南太平洋地下核実験を非難・告発している)3.インド洋やタイの楽園と思われた島々、リゾート・ビーチは、インドネシア沖地震で、とてつもない災害を受けた。すべて、忘れてはいけないことですね。
2005年06月09日
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水は「高き」から「低き」に流れるとはいいますが、どうしてこの水は糸のようになっていて、下にいっても幅が広がらないのでしょうか?グラスファイバーみたいなものの上を水が流れているのかなァ?
2007年07月07日
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ジェイク・シマブクロの登場を見ようと思い、結局、全部見てしまった第57回NHK紅白歌合戦、大ハプニングが起きてしまいました!!白組、DJ OZMAのパーフォーマンス。大勢のバックダンサーたちが、リオのカーニバルのような衣装を着て踊っていたのだが、歌えや踊れやの大騒ぎの終盤、あれっと思ったら女性のダンサーたちがおっぱいぽろりと出しちゃいました。え、え、ええ~~、NHKでこんなことやっていいの?と思ってよく見ていたら、フィギュアスケートで着るような薄い肌色のボディースーツに、本物のおっぱいと同じ位置に乳首が書いてあるようなのです。なんだ、こりゃ、と思っていると、最後にはパンツ(ビキニの下のような)を脱いで、バタフライというんですか(最近、聞かないな今言葉)、ようするにアソコをぺこっと隠しただけの姿になってしまいました。男性も脱いでましたから、何名がそんな格好をしていたか、わけわかりませんでした。で、これはNHKがよくこの演出・企画を許したなぁ、と思い、もし、事前にNHKがOKを出していたのなら、「あっぱれ!」と思いました。しかし、赤組司会の仲間由紀恵が、唖然としていてフォローする言葉が出てきませんでした。少なくとも、彼女は事前には知らなかったと思います。また、すこしたってから曲の合間にNHKの男性アナウンサーは、「ボディースーツのようなものを着ていたので、決して裸ではありませんでした」と弁解の言葉をはなしました。じゃあ、ひょっとしてDJ OZMAが、「やっちゃえ、やっちゃえ、どうせ俺たち今年しか出られないし、だったら、やったもん勝ちだぜぇ~~!」と考えて、リハーサルではみせなかった演出をしたんではないだろうか、と思いました。だったらDJ OZMA、快挙!!だと思いました。NHK紅白は、いつもアーティスト側の意向を軽視した強引な演出をやるので、いわゆる大物は敬遠して出てこないのですが(例えば、ユーミン、例えばサザン、彼らは自分たちが特別待遇のように意味ある演出がされる場合以外、出てきません)そんなNHKに一発かましてやった、という感じです。お笑い芸人も、あたえられた時間を目いっぱい使って、どうやってアドリブするか苦心しているようで、昨日も、ナイナイの岡本隆史が、打ち合わせにないことをちょっとやりましただ、まあたいしたことではありませんでした。で、今朝、NHK紅白のサイトを見たら、出てました、出てました。http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/『DJ OZMAのバックダンサーが裸と見間違いかねないボディスーツを 着用して出演した件について、NHKではこのような姿になるということは 放送まで知りませんでした。 衣装の最終チェックであるリハーサルでは放送のような衣装ではありませんでした。 今回の紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えます。視聴者の皆さまに不快な思いをおかけして誠に申し訳ないと考えております。』NHKは一切知らなかった、ということですね。やったじゃないか、DJ OZMA!!快挙!快挙!もしかしてこの瞬間が最高視聴率だったら面白いのになぁ、と思います。パスタさんは、どうしてそんな下品なパーフォーマンスを支持するの、と言われるかもしれませんが、理由は下記のとおり(1)民放、または世の中の常識的には、それほどたいした露出ではない(だて裸とは違うことがわかるのですから)(2)表現の自由のほうがNHKの都合より重要(3)NHK紅白は、時間と表現、演出に制約が非常に多く、力の弱い出演者がいつもへんてこな演出を押し付けられている。例えば、早い時間帯に出ていた男性演歌手の鳥羽一郎が「兄弟船」を歌う後ろにウルトラマンが出てきたりするのです。これって、歌手のファンにも、ウルトラマンのファンにも失礼じゃないですか?どちらにとっても違和感のある演出、というか意味不明です。そんな演出がここかしこでみられました。で、問題のDJ OZMAの事前のコメントを調べてみると、ありましたありました。『「小林幸子さんの後で歌うと知ったのは今朝。これはまずいことになったと思った。」とOZMAさん。開き直ったのか「衣装じゃかなわないからステージでTake offしちゃうよ。NHKの人は俺を選んで後悔するよ。」と爆弾発言?。きらきら衣装で始まりだんだん、、、、していくとか。DJ OZMAのステージから目が離せない!? 』ちゃんと、書いてあるじゃないですか、そのままのことが事前に!!確信犯、確信犯、そりゃあ、誰だって、小林幸子の大衣装パノラマ・ショーみたいの後に出演順が決まったら、一発かましてやるしかないですよね。いいじゃないですか、年に一度のお祭り騒ぎ、このくらいのハプニングがあっても、とパスタは思うのですが、不快に感じるひともいるんでしょうね、きっと。さて、本命のジェイクの登場ですが、夏川みりと一緒に彼が出てくる流れは、上記のハプニングとは違ってよく考えられた流れだったと思います。まず、Orange Rangeが沖縄のライヴ・ハウスからの中継で歌いました。彼らがインディーズ時代に出演していたライブ・ハウスでした。ギターの音など、いわゆるライブ・ハウスの箱らしい音響で、ロックしてました。次に、渡辺謙がゲストで登場(審査員でもありますが)、白組司会の仲居くんが、「『硫黄島からの手紙』に出演してみてどう感じられましたか?」、と質問すると渡辺謙が、「平和の意味を、このように年末に素晴らしいイベントができるという平和の大切さを普段から考えていかなきゃならないと思いました」とこたえました。次に、沖縄出身の赤組司会 仲間由紀恵が、「次は夏川りみさんです」と紹介して「花~すべての人の心に花を~」の歌詞を少し読み始めました。この曲は、「すべての兵器を楽器にかえて!」と平和を訴え続ける、沖縄の喜納昌吉の歌で、いまやアジアの多くの国で親しまれている曲です。その平和のメッセージが織り込まれた歌を夏川りみが張りと艶がある素晴らしい声で歌う横で、ジェイクがウクレレを弾いていました。ジェイクもやっぱり沖縄出身の日系4世(だったかな)です。津軽三味線の上妻 宏光(あがつま ひろみつ)は、藤あや子だったかな、女性演歌歌手のバックで三味線を弾いていましたが、彼を紹介する字幕は出ませんんでした。しかし、ジェイクは夏川みりのよこに椅子に座って、思い入れたっぷりにウクレレを演奏していました。しかも、画面には字幕で縦に ジ ^ ェ ウ イ ク ク レ ・ レ シ マ ブ ク ロと、出ています。扱いが上妻 宏光より大きいじゃないですか。よかったね。ジェイクの演奏ですが、残念ながら私のところは普通のテレビなので、あんまりはっきり聴こえませんでしたが、仲間由紀恵の朗読の時から、「ぴよ~~ん」というジェイク独特の音色(映画『フラガールズ』のなかの旋律に似た綺麗な音色)が聞こえてきました。夏川りみが歌うよこで、身体を大きく動かしながら弾いているフレーズも、番組の視聴者に対する音響バランスでは、綺麗なメロディのところがあまり聞こえず、アタックを強く弾いているフレーズ、フレーズの最初の部分だけが、よく聞こえました。もう少し、ウクレレの音量のバランスを大きくしてくれればよかったのに、と思いましたが、5.1chなどのいいテレビで見ていた人にはよく聴こえていたのかもしれません。その後、白組からキムタクが出てきて、ジョン・レノンの「Imagine」の歌詞の意味を日本語で朗読しました。そして「Imagine」を歌ったのは、布施明です。英語でちゃんと歌いました。最後には、外国人が大勢の合唱団が出てきて、布施明も、おそらく得意の高いキーに変調して、歌い上げました。そういうことだったのか、布施明が「イマジン」を歌うって書いてあったけど、まさかジョン・レノンの「Imagine」じゃないよね。ちょっと唐突だよね、と思っていたのですが、Orange Range~仲間由紀恵~夏川りみ~ジェイク~喜納昌吉は沖縄つながりです。そして沖縄は第2次世界大戦で大変な犠牲者がでたところです。渡辺謙の「硫黄島からの手紙」~喜納昌吉の「花~すべての人の心に花を~」~ジョン・レノンの「Imagine」は、戦争の意味を考え、世界に恒久的な平和がおとづれるのを願う歌です。最初は、へんてこな順番だなと思っていましたが、このパートの流れだけは、そのメッセージが明確に伝わってきました。とてもよかったと思います。さて、あと面白かったのは審査員の女子プロゴルフの横峯 さくらにむかってステージから呼びかけた細川たかしが、歌詞を間違えてしまいました。さてなぜそうなったのでしょうか。下記のうちからふさわしいと思われる番号を選びなさい。(1)横峯 さくらの美しさに、思わずうっとりとしてしまったから(2)横峯 さくらの斜め後ろの席に、さくらパパがいたから(3)応援ゲストのベッキーの前髪が黒柳徹子していたから(4)上記のいずれでもないさて、何番でしょうか。正解は。。。。ご想像におまかせします☆その2に続く
2006年12月31日
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ヴァイオリンの巨匠、イツァーク・パールマンのリサイタル(ピアノ:ロハン・デ・シルヴァ)が、サントリー・ホールであったので行ってきました。ぼくは、ただのウクレレ弾きですから、Pop Musicほどにクラシックは聴いていないのですが、イツァーク・パールマンは、昔から知っていることと、ヴァイオリンとウクレレは同じ4弦楽器なので、興味がある、というへんな理由で行ってきました。(参考CD)当日の演奏曲ではありませんが。【音楽CD】モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 K.216ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ...クラシック・ファンにはよく知られていることかもしれませんが、ポーランドから移住してきたユダヤ系の両親のもと、イスラエルで1945年に生まれた今年61歳になるヴァイオリニスト。3歳からヴァイオリンをはじめるけれども、4歳の時に小児麻痺にかかって、両足が不自由になってしまいした。イスラエルからアメリカに舞台を移し、NYのジュリアード音楽院に学びます。その時の推薦人はアイザック・スターン。クラシックの世界でさまざまな賞を受賞し、有力なオーケストラと共演して、世界でもトップのヴァイオリニストとなっていますが、映画『シンドラーのリスト』の音楽を手がけたり、最近では映画『SAYURI』で、ヨーヨーマとともに音楽を手がけるなど、活動の範囲は広がっています。また、ニューヨーク・フィルやシカゴ交響楽団などで指揮者として指揮棒をふってもいます。ぼくもNYに住んでいた時に、彼のコンサートに行った記憶がありますが、残念ながらどのオーケストラと何を演奏したか覚えていません(当時は、NYで聴くことの出来るあらゆる種類の音楽を聴きまくっていたのですが、記録をとっていないのです)さて、彼のヴァイオリン演奏は、ヴァイオリンの魅力を徹底的に追及し、音程は完全にコントロールされ、美しく繊細で豊かな音色を奏でることで、天才的ともいえるべき評価を得ています。私が行ったリサイタルのプログラムは、第1部モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番 変ロ長調 K. 454フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第一番 イ長調 Op.13第2部:ドヴォルザーク:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調 Op.100クライスラー:名曲集(ステージで曲目を発表)でした。クラシックの熱心なファンには、非常に恐縮な話なのですが、ぼくはクラシックのコンサート、リサイタルに行くと、たいていの場合、後半の演奏のほうがいい演奏だった、と思うことが多いのです。これは、ひとつには私自身の問題として、仕事からコンサート・ホールにかけつけて、すぐに始まってしまう第1部というのは、まだ、頭の中に、仕事やらいろんな雑念が入っていて、頭や気持ちを即座に切り替えて、演奏に急には入り込んでいけないことが多いからです。いわば、わたしが音楽に集中していくためのウォーミングアップの時間になっていちゃうのです。演奏者には大変、失礼なことなのですが、1日ゆくり過ごして、コンサート会場に出向く、ということはなかなか出来ないものですから。これが、ロックのコンサートなら、最初のギターの音で、グァ~~~ン!とやられると、一挙にテンションが上がって、音楽の世界に入り込めちゃうから不思議です。ただし、ぼくはクラシックのコンサートで後半のほうがいつも楽しめて充実していると感じることが多い理由はそれだけではないように感じています。それは、演奏者自身も、第1部で、お客さんや会場の雰囲気になれていくプロセスでもあり、他のお客さんも多かれ少なかれ、私と同じような状況じゃないか、と思うからです。もちろん、熱心なクラシック・ファンは最初から、演奏の一音一音を聞き逃すまいと、集中されている方も多いのでしょうけれども。音楽の好きな友人が、前に語っていてくれたことがあります。いいコンサート、いいライヴに出会えるのは、1.演奏者(アーティスト)2.観客(われわれ自身とまわりのお客さんも)3.会場(ホールの音響や雰囲気)の3つがそろって、はじめていいコンサート、いいライブに出会える。どのひとつがかけても成立していない。という持論です。ぼくも、これは、かなりその場で消えていてしまう音楽、生の音楽のきわめて重要な核心をついているとも思います。それで、第1部では、そのための環境作りが、演奏者と観客そう方が、おたがいに歩み寄っていく、というか入り込んでいく、というか、距離感が近くなる、一体感が強くなるように、無意識にしろ意識的にしろ、そう行動(または頭の中の活動)をしているのでは、ないかなx、と思うのです。演奏者と観客、それから見えない会場の磁場みたいなものが会って、雰囲気がほぐれてくるのが第2部。そこで、私の場合は特に集中して聴く体勢になっていくからだと思っています。もちろん、プログラムの第1部、2部に何の曲を持ってくるか、ということも大きな要素でしょう。そういうわけで、私は、この日のリサイタルは、第2部のドヴォルザーク:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調 Op.100が一番、いい演奏だったと思っていますし、実際、パールマンのヴァイオリンの音色に最も魅せられたのもこの瞬間です。もちろん、ドヴォルザークの美しい旋律がいっぱい出てくる、というのも、私のような中途半端なクラシック・ファンには、楽しめた要因かもしれません。彼のヴァイオリンは、きわめて完璧にコントロールされていて、美しく繊細で暖かく、文句のつけようがなく、ちょっとPop Musicファンでもある私からすると、またまたクラシック・ファンには怒られてしまいそうですが、もうちょっと、ラフであったり、ちょっ破綻しそうになるところとか、いやひやするところがあってもいいんじゃないか、とも思いました。やっぱり、そうした聴き方は、邪道なのでしょうけれども。一リスナーとしては、完璧すぎる、しかも冷たい音楽ではなく、人間味あふれる暖かい音楽を奏でてくれるのですから、もうそれだけで大満足なのですが、弦楽器って、どこで生まれたのだろうか、とか、インドや中央アジアか?インドの音階は100を越す、とか、どこかで生まれた弦楽器は、東に行って、ニ胡になり、西に行ってヴァイオリンになった、(両方とも弦を弓で弾きます。いわばこすれる音です。楽器のボディが共鳴して音を大きくします)じゃあ、ギターやウクレレのような楽器、指や爪で弾く弦楽器と、弓で弾く弦楽器は、どこで分かれたれたのだろう、とか、そういう余分なことを考えてしまうからかもしれませんね。やっぱり、私の聴き方は、パールマンを楽しむには、ちょっとひねくれすぎているかもしれません。さて、小児麻痺で両脚が不自由な彼は、義足をして、杖を両手に1本ずつかかえて、ステージに登場し、また退場します。むかしNYで観た時より、かなり太ったのではないかと思うのですが、その巨体を、ゆっさゆっさゆらしながらステージに登場する彼が(ヴァイオリンはピアノのロハン・デ・シルヴァが持ってきてくれます。)ひとたび椅子にすわってヴァイオリンを演奏すると、身体的な不自由さから解放・開放されて一挙に自由に音楽を奏で、彼のヴァイオリンの音色が音符の分子となって、ホール会場いっぱいに満ち溢れ、観客はそれに息をのんで聴き惚れ、とてもすこやかな、やわらかな、やさしい気持ちでいっぱいになるから不思議です。この幸福感こそが、彼の音楽の最大の魅力のような気がします。実際にヴァイオリンを弾いていらっしゃる方からすると、とんでもない思い違いをしているかもしれませんが、ウクレレ弾きである私は、そんなふうに彼の音楽を受け止め、心暖かくなって帰りました。多くの観客も同じような幸福感を感じたのか、「ブラボー!」という声があちこちから聞こえました。最後に、クライスラーの名曲集で何を演奏したかを、ご紹介しておきます。1. クライスラー編曲 ウェーバー:ラルゲット2. クライスラー編曲 ヴィエニクスキー:カプリス3. クライスラー作曲 ベートーヴェンの主題によるメロディ4. クライスラー編曲 チャイコフスキー:ユーモレスク5. クライスラー作曲 ジプシー6. クライスラー作曲 中国の太鼓 作品3まだ、14日:愛知県芸術劇場コンサート・ホール15日:ザ・シンフォニーホール16日:サントリーホール18日:サントリーホールが残っていますので、クラシック・ファン、ヴァイオリン・ファンのかた、ぜひ出かけてみてください♪
2006年01月11日
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原題「Down With Love」お気楽,おバカ、ロマンティック・ラブ・コメディ~♪昨日の『彼氏がステキになったわけ♪』とは、正反対の、王道のロマンティック・ラブ・コメディ。おバカさん、と思いながらも、結構面白かったよ。この映画。主演は、「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・セルヴィーガ」とユアン・マクレガー。ユアン・マクレガーは、「トレイン・スポッティング」で、鮮烈な印象を残したが、まったくそれとは全然違う役をうまく演じている。舞台は1960年代のNew York!簡単なストーリーを紹介すると(ネタばれしないので安心してください)、メーン州からやってきた女性作家、バーバラ・ノヴァグが、NYの出版社から最新の本を売り出そうとする。題名は「Down With Love(恋は邪魔者)」本の内容が、また面白い。女性が、真の自由と解放を得て、男性と対等になるには、自立しなければいけない。そのためには、愛・結婚とセックスを分けて考える必要がある。レベル1.なるだけ男性を遠ざけて、男性に本気で恋をしないようにする。レベル2.それでも湧き出る性欲は、チョコレートを食べて満足させる。チョコレートは、セックスをしたのとおなじような快感・満足感が得られる。レベル3.完全に自立した女性として、恋愛や結婚とセックスを切り離して、おおいにセックスを楽しむ。というものだ。保守的な男性ばかりが重役の出版社で、女性の編集者とこの作家が、どうしたらこの本が売れるかと作戦を考える。最初に考えたのが、スクープ記事、暴露記事で有名なピューリツァ賞も受賞している、ノウ社(I Knowの「Know」)の看板記者キャチャー・ブロックに、カヴァーストーリーを書かせること。アポ取りに成功したふたりは、記者とランチをするために、NYのオシャレなレストランで待っている。「ノウ社」の社長も同席している。ところが、プレイボーイで有名な記者キャッチャー・ブロックは、そんな女性作家のことなど、まったく関心がなく、あるニュース・ソースをおおさえるためにブラジルへ行ったついでにお持ち帰りしたボサノヴァ娘、3人姉妹のひとりとのお遊びの方が大切で、ドタキャンの電話をレストランに入れてくる。ランチの約束をディナーに変更、レストランでまた待っていると、ディナーの約束を翌日の朝食に変更。と次々に、ドタキャン。その間、名うてのプレイボーイ記者キャッチャー・ブロックは、ボサノヴァ姉妹の2人目、3人目と次々にお楽しみ。完全に頭にきた作家、バーバラ・ノヴァグは、もうあんたとは100年後も会わないといって電話を切る。作家のバーバラと女性の編集者は、次の手を考える。(ビートルズもこれで、全米に有名になった)「エド・サリバンショー」に出演すること。運良く、当日のゲストが倒れ、替わりに彼女の本「Down With Love(恋は邪魔者)」が紹介された。しかも、ジュディー・ガーランドが、「Down With Love」と連呼する歌を歌ってくれた。エド・サリバンや、ジュディ・ガーランドと、実在の人物がストーリーの中で使われているところが面白い。この番組のおかげで、本は、大ヒット、アメリカのみならず、中国、ソ連(60年代当時はソ連だった)など、世界中で大ヒット。売れに売れた。しかも、大成功した彼女は、テレビのインタビューで、このように男性に不信感をいだいて、男性から自立しようと考えたきっかけになったような、女性を次々に取り替えるような実際の人物がいたのですか?との質問に、「キャッチャー・ブロック」と名指しで答えたのだ。当時のNYの人口800万人。「ノウ社」の社長は、キャッチャー・ブロックに言った。「君は、NYの400万人の女性に影響力のある、たった一人の女性、バーバラ・ノヴァグを怒らせてしまったんだぞ!」そこで、キャッチャー・ブロックのリベンジの暴露記事スクープ作戦がはじまる。NY,マンハッタン中で、もはやバーバラ・ノヴァグを知らない者はいない。ところが、彼は、バーバラ・ノヴァクに偶然であったふりをして、でも、彼女のことも、彼女の本も全く知らないと言う。ノヴァークと名のった彼女に、「おお、キム・ノヴァグ(正確には、キム・ノバク:当時の魅惑的な美人女優)」と間違えてみせる。「自分は、しばらくNYにいなかったから、最近のことは何も知らないんだ。宇宙に行っていたから。」といって、NASAの宇宙飛行士のふりをする。こうして、まんまと正体がばれずに、作家バーバラ・ノヴァグに接近できたキャッチャー・ブロック記者、それに本の出版社の女性編集者、「ノウ社」の社長の4人が、お互い、あの手この手で、恋の駆け引きをするロマンティック・コメディ。最後にどうなったかは、書きません。この映画は、ストーリのばかばかしいけど面白いのとあいまって、60年代当時のファッションやインテリアなどがふんだんに出てきてとっても楽しい。ある意味「オースティン・パワーズ」に似た面白さもある。それから、当時の男性の女性観、女性の男性観、社会での女性の地位の低さなども面白おかしく描かれていて、興味深い。21世紀の今でも、完全に性差別がなくなったなんて、全く思ってはいないが、60年代って、あんなに女性の地位が低かったかなぁ、とくにリベラルな街NYでもそうだったかなぁ、と思ってしまった。例えば、出版社の重役会議で、重役は全員男性で、女性編集者がこの本の説明をしている会話の最中でも、平気でお茶くみ(この場合はコーヒーを入れて)を頼んでいたりする。また、当時の女性のファッションがとっても新鮮で色鮮やかに描かれているのが楽しいだけではなく、男性ファッションにも驚いた。ぼくは、よく知らないのだが、当時の保守的な(オーソドックスな)男性「ノウ社の社長」が、ハイソックスをはいて、それがずり落ちないようにするためにガーターベルトを使っているのだ。ええ、男性もガーターベルト使っていたの??と思わず、ビックリ。60年代のNYの街のエンターテイメントの様子が出ていて面白い。バーバラ・ノヴァグと、宇宙飛行士に成りすましたキャッチャー・ブロックは、NYでデートを重ね、ミュージカルやジャズなど当時のNYのエンターテイメントを存分に楽しむ。そこに、ビレッジ・ヴァンガード(Jazzの有名なお店)や、ブリーカー・ストリート(サイモン&ガーファンクルが歌にもしている通りの名前)が出てきたりする。また、「ノウ社長」や「宇宙飛行士に成りすましたキャッチャー・ブロック」が住んでいるのが、73丁目のパークアベニューと、アッパー・イーストの高級コンドミニアムなのに対し、グリニッジ・ビレッジが、「ビートニク」の拠点として位置づけられ、「ビートニク」が、大挙してコンドミニアムにやってくるシーンなどは笑ってしまう。ビートニクでは、はやくから白人もアフリカ系アメリカ人も交流しているのだが、まるで、今のクラブ・カルチャーのように「ビートニク」が描かれていて、いわゆる、西海岸のヒッピー像とはちょっと違って描かれている。作家バーバラ・ノヴァグの部屋から見えるのは、クライスラー・ビルディングとエンパイヤ・ステート・ビルで、1973年に完成したワールド・トレード・センターは、当然ながら出てこない。2003年のアメリカ映画なのだが、わざと窓から見える景色を実写ではなく、当時の映画の多くがそうであったように、描き絵で見せていたりするところも面白い。まあ、おバカ・コメディだからこそ、そうしたディテイルのひとつひとつが面白くて、笑ってしまう。これからデートでわくわく準備をしている時に、女性が、部屋で身支度している時には、アストラッド・ジルベルトの「Fly me to the Moon」の曲が流れ、男性が部屋で身支度しているシーンでは、フランク・シナトラの「Fly me to the Moon」の曲が流れる。ふたりの歌い方が全く違うのも面白く、こうした細かい演出がにくいほどうまい。「Fly me to the Moon」を、ちょっと軟弱な曲に最近思っていたぼくは、この曲、やっぱりいいじゃん、と思い、今度、ウクレレのレパートリーに取り入れようかなぁ、などと思った。結末は最後まで、ネタばれさせませんでしたが、なかなか、この映画、おバカハストーリーに笑いながらも、60年代の時代の空気感が味わえて、とっても良かったです。
2005年06月11日
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