セレンディピティ

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2007/10/02
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カテゴリ: 歴史

アーリア人が日本民族の祖となっている可能性について少しの説明が必要かと思われます。 

BC2000年頃、カナーンの地で、フェニキア人とアーリア人の混血よって

カッシート人 (後のサカ族=月氏=蘇我氏) 生まれました。

彼らは進取の気性に富んだ海人族であったといいます。

その100年後のBC1900年頃、バビロン第一王朝が始まり、200年後のBC1800年頃から

インド・ヨーロッパ語族(白人種アーリア人)の拡散が始まっています。

BC1013年、イシン王国の末期にフェニキア人の海の国、マカンがアラム人とともにアッシリアと

戦った結果、殷の本国、イシンが滅んだために、番韓のヤードゥ(ヒクソス人)は、海に浮かんで

インドへ逃れました。またアラム人(後のウラルトゥ人)は、北方ヴァン湖周辺に退き、

ウル人(釈迦を輩出したインド・シャキイ族)は南下してニギハヤヒ族になりました。

このオリエント戦乱の時代BC1060年頃、 ウラルトゥ人は、フェニキア人とヒッタイト人の

混血によって生まれました。

小アジア(トルコ)のヴァン湖周辺に建国されたウラルトゥ王国の初代王となったのが

アマテル(天照大神・男神)でした。

この血統が、後にシルクロードの【ウガヤ王朝】となり、朝鮮~倭国の神武王朝から邪馬壱国

を経て百済国となりました。その百済国は、白村江の敗戦によって、いったん滅亡しますが

亡命ユダヤ人シメオン族の藤原不比等が始めた【天皇家】に、その系譜は引き継がれました。

その後、道鏡の策略によって道鏡の子、桓武天皇が百済王朝(南朝系)を開くことに成功しました。

以上によって、南朝天皇家の先祖はウラルトゥ王家の末裔であり、アーリア系の子孫と

考えられます。






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最終更新日  2007/10/02 06:00:17 PM


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