セレンディピティ

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2007/12/30
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カテゴリ: 歴史

箕子朝鮮とは、殷(イシン)最期の王・箕子が遼東半島に建国されたとする 古代国家。

伝説の古朝鮮の一つ。『史記』によれば箕子は、甥の紂王の暴政を諌めた賢人とされています。

箕子朝鮮は九州の東表国(アシムス氏)と婚姻関係にあるので、日本人のルーツでもありました。

古代中国の人々は、箕子朝鮮を 智淮子燕ちえしえん (カルデア人の燕)と呼び

エラム人の燕と区別しています。

さて、そのエラム人の燕人・衛満の策略によって、箕子朝鮮が滅んでしまいます。

BC195年、漢がエラム人の燕(後の藤原氏)を滅ぼし

漢に屈服した燕人・衛満が策略を計ります。

燕人、衛満は箕子国に説いて言った。

『大凌河を背にして建国し、以って漢の侵入を防ぎたい・・・・・」

そこで箕子国は、これを大凌河と遼河の間の地に封じた。

満は、一方で漢に説いて言った。

『箕子国は秦の亡命者をかくまっている。私は、これを滅ぼして、漢の郡をおき、

後患を絶ちたい・・・・・』 漢は喜んで軍兵を与えた。

箕子王・準は衛満を信じていましたが BC194年、衛満は急襲して箕子国の領土を奪い

衛子朝鮮を建てました。 

そのために、箕子国の王は辰国に亡命し、秦の遺民は 従って逃れ、箕子国は亡びました。

謀略が成功したので、満は漢に約束の取り消しを求め、漢は塔子河を去りましたが

心中深く恨みを残しました。穢国の王アグリナロシは箕子国のために仇を討とうとし

これを漢に協力し、漢は郡をおかないと約し、王印を与えて誓いました。

ところがBC108年、漢は衛氏を滅ぼすと、箕子朝鮮を再興せずに 漢は約を違えて

楽浪・玄莵の二郡をおいたため、ナロシは怒って 自刃しました。子、アグリイサトは

襲って遼東を破り、郡守を殺し、国を率いて扶余前期王朝と 合体しました。

その後、アグリイサシは王位を奪って北扶余後期王朝を建て、その庶子が東明王と称しました。

これが箕子朝鮮の後の高句麗で、結局、ウガヤ王朝=辰国が、アメニギ氏から高句麗に

代替わりになったということで『倭人興亡史』に記されている

『アメシウ氏が国をヒミシウ氏に譲った。未だ日あらず漢が攻略した・・・』

という部分で、このアメシウ氏は、ウガヤ王朝連合の 第一王朝 天の王朝 のことです。

縄文末期に九州に渡来して豊国に大製鉄所を造ったエビス王の東表国です。

後に朝鮮半島南部に飛地して金官加羅国をつくり、加羅国からの分派、新羅につながります。






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最終更新日  2008/01/03 11:24:37 PM


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