匈奴はチュルク族とキンメリ族の二系が率いる連合軍でした。
チュルク族は歌が好きで、それは万葉歌にも示されていて、
今でも天皇家の歌初めという儀式に残ります。
なおチュルク族の一派がたてたウイグル王家の風俗はカラ・ホージャ壁画に
残っていて平安貴族とよく似ています。
日本史では、チュルク族の韓文化とサカ族の蘇我氏と
ユダヤ族の守屋氏(物部)が作った倭人文化は
銅矛文化と銅鐸文化の対立という形で表されますが
言語と文字の対立も見過ごせないものがあります。
人類の文字は、エラム族が作った絵画配列に始まるとされます。
エラム族はサカ族などの原型となり、この人々こそ中国の甲骨文字と
メソポタミアの原エラム文字を作った人々といわれます。
原フルリ人が後の倭人やユダヤ人になったということで、この後、
ウルクを支配したシュメール人は膠着語を用いてスメル文字を作ります。
フェニキア人はアルファベット式文字を作りました。
これはウガリット文書に残っています。
チュルク人は、はじめ独自の文字を作らずサカ族からプラフミー文字
シュメール族からウルク文字を借用していました。
扶余と箕子朝鮮の人々は、BC274~236年のアソカ王刻分にある
プラフミー文字を持っていました。
扶余人は漢字受容後もこの文字を持ち続けて、上記文字やサンカ文字
として残しましたが扶余と箕子系の人々はトカラ文書を
ニギ氏系の人々はコータン文書も残しています。
チュルク人の一部は河西の北涼に合し、439年に北魏に滅ぼされたため西走し
北涼がトルファン盆地に高昌国を建てるとチュルクの阿史那氏が加わりました。
この人々がソグド人の古体ソグド文字を学び、チュルク文字や
トルコ・ルーン体文字に発展させたといいます。
ソグドとは蘇塗であって、アラム・サカ・ユダヤ諸族の商業基地をいいます。
扶余のサカ族が東行し、一部がソグディアナ地域を中心にして、シルクロード
の商圏を支配したキャラバン国家が成立したのでしょう。
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