Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2016/12/31
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 27.ダイキリ(Daiquiri)

【現代の標準的なレシピ】 【スタイル】 シェイク

 ダイキリは現代、日本も含めて世界中のバーでとても人気のあるショート・カクテルです。「1898年(1896年説もあり)頃、キューバのダイキリ鉱山で働いていた米国人技師のジェニングス・コックス(Jennings Cox)が考案し、鉱山の名前にちなんで名づけた」という説があまりにも有名です(考案場所については、「キューバ・サンチアゴのヴィーナス・ホテル」としている欧米の専門サイトもあります)。国内外のカクテルブックや専門サイトのほとんどは、このコックス考案説を紹介しています)。

 近年まで、このジェニングス・コックス考案説を裏付ける資料はあまりオープンになっていませんでしたが、「The Cocktails of The Ritz Paris」(Colin Peter Field著、2001年刊)は、1946年に出版された「The Gentleman's Companion」(Charles Baker Jr著)の内容を引用する形で、「ダイキリを考案したのは鉱山技師のジェニングス・コックスとその友人のハリー・スタウトである(二人とも著者のBaker氏自身の個人的友人だったとか)。カクテル名は、当時バカルディ・ラムの工場があった、キューバのサンチアゴ・デ・クーバ近くのダイキリ村に由来する」と紹介しています。

 一方で、カクテル研究家の石垣憲一氏は、その著書「カクテル ホントのうんちく話」(2008年刊)で、「なるほどコックスなる人物はいたかもしれないし、当時現地(ダイキリ鉱山)では当たり前のように飲まれていたドリンクかもしれない。しかし、(ラムのライム・ジュース割りは)少なくとも18世紀末には、英海軍では普通に飲まれるドリンクだったし、キューバでも(コックスがいた頃より)100年も前から普通に飲まれていたドリンクだった」という見解を述べています。

 石垣氏の見解を裏付けるかのように、Wikipedia英語版では、「ダイキリのレシピは、少なくとも1740年代から英海軍で飲まれていたドリンクとよく似ている。このドリンクは1795年までに英海軍水兵への一般的な配給酒となっていた」と記しています(言わずもがなですが、当時このカクテルにはまだ「ダイキリ」という名はありませんでした)。

 従って、「ダイキリ」に関して現時点で確実に言えることは、「1898年前後に、キューバで現地産のラムを使ったライム・ジュース割りに、ダイキリ鉱山にちなんで『ダイキリ』と名付けられた」ということだけです。

 ちなみに1898年と言えば、米西戦争(1898年4月~8月)が起きた年。フィリピンとカリブ海という2つの地域で米国とスペインが交戦しましたが、米国の勝利に終わり、キューバは米国の保護領となりました。コックスなる人物は軍人ではありませんでしたが、おそらくはキューバから権益を吸い取ろうと目論む米国資本のために派遣された一人だったと想像されます。

 ダイキリは当初はキューバのローカルな飲み物でしたが、1909年キューバを訪れた米海軍提督ルシアス・ジョンソンがとても気に入り、帰国後、ワシントンの将校クラブに紹介したことから米国内でも飛躍的に知名度が増していったと言われています(出典:Wikipedia英語版)。

 「ダイキリ」が欧米の文献で初めて登場するのは、1913年に出版された「The Cocktail Book:A Sideboard Manual For Gentlemen」(Martino Publishing編)と「Straub's Manual of Mixed Drinks」(Jacques Straub著)という2冊のカクテルブックです。そのレシピは、前者は「ラム4分の3、グレナディン・シロップ4分の1、ライム・ジュース(シェイク)」、後者は「ラム3分の1、ライム・ジュース3分の2、パウダー・シュガー1tsp(シェイク)」となっています。

 「えっ! グレナディン・シロップ?!」と多くの方が驚かれると思いますが、これには訳があります。「ダイキリ」はもともと、バカルディ社のラムを使って一世を風靡した「バカルディ・カクテル」(ラム、ライム・ジュース、グレナディン・シロップ)のバリエーションとして生まれたといわれます(当初は、ライム・ジュースは入っていなかったようですが)。1910年代では、「ダイキリ」と言えども、グレナディン・シロップを入れるレシピも珍しくなかったようです。

 例えば、1919年に出版されたハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)の「ABC Of Mixing Cocktails」(1919年)。そのレシピは、「ラム3分の2、ライム・ジュース6分の1、グレナディン・シロップ6分の1」、また1922年、ロンドンのエンバシー・クラブ(The Embassy Club)に勤めていたロバート・ヴァーマイヤー(Robert Vermeire)が著した「Cocktails: How To Mix Them」でも、ダイキリにはグレナディン・シロップが使われています。

 それがその後、シュガー・シロップやガム・シロップなど、白や透明なシュガー(またはシロップ)を使うレシピへと変化していきます。マッケルホーンが「ABC Of …」を編んでいた1910年代とその後の20年代は、そういう過渡期だったと言えます。ちなみにマッケルホーン自身も、その後の改訂版では、グレナディン・シロップとは書かず、単にシュガーと記すだけにとどめています。

 ちなみに、1910~30年代の欧米の主なカクテルブックでの「ダイキリ」の登場状況をいちおう見ておきましょう。

 ・「173 Pre-Prohibition Cocktails」(トム・ブロック著 1917年刊)米 
  → 収録なし(バカルディ・カクテルは登場するが)
 ・「Cocktails: How To Mix Them」(ロバート・ヴァーマイヤー著 1922年刊)英 
  ラム3分の2、ライム・ジュース3分の1、グレナディン・シロップ少々 
 ※「キューバと米国南部の州ではとても有名なカクテルである」とのコメントが添えられている。
 ・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著 1930年刊)英 
  ラム1グラス、ライム・ジュース2分の1個分(またはレモン・ジュース4分の1個分)、パウダー・シュガー1tsp(ティー・スプーン)
 ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイヤー著 1934年刊)仏
  ラム2分の1、ライム・ジュース2分の1個分、シュガー2分の1tsp
 ・「The Old Waldolf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 
  ラム1グラス、ライム・ジュース2分の1個分、パウダー・シュガー1tsp
 ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 
  ラム45ml、ライム・ジュース1個分、パウダー・シュガー1tsp
 ・「Bar la Floridita Cocktails」(1935年刊)キューバ
  ダイキリNo1=ラム2オンス、シュガー1tsp、レモン・ジュース2分の1個分
  ダイキリNo2=ラム2オンス、キュラソー数dash、オレンジ・ジュース1tsp、シュガー1tsp、レモン・ジュース2分の1個分
  ダイキリNo3=ラム2オンス、シュガー1tsp、グレープフルーツ・ジュース1tsp、マラスキーノ1tsp、レモン・ジュース2分の1個分、クラッシュド・アイス(シェイクして、氷と一緒にグラスに注ぐ)
  ダイキリNo4(Floridita Style)=ラム2オンス、シュガー1tsp、マラスキーノ1tsp、レモン・ジュース2分の1個分(クラッシュド・アイスと一緒に電動ミキサーに入れてフローズン・スタイルで供す)
 ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英
  ラム4分の3、ライム(またはレモン)・ジュース4分の1、ガム・シロップ3dash

 キューバに伝わった当初のダイキリは、クラッシュド・アイスを詰めたトール・グラスに入れて飲むスタイルでしたが、1930年代後半にシェイクして冷やしたフルート・グラスに入れて飲む、現代に近いスタイルに変わったということです(出典:Wikipedia英語版 → 原資料はマイアミ・ヘラルド(The Miami Herald)の1937年の記事)。

 欧米ではその後は、シュガー・シロップ(またはパウダー・シュガー)を使ったサヴォイホテルのレシピがメジャーになるに至り、国際バーテンダー協会(IBA)もそれを標準レシピに採用(出典:Wikipedia英語版ほか)、現在では欧米も日本も、冒頭のようなレシピが標準的なものになっています(現在市販されているマッケルホーンのカクテルブック改訂版もIBAレシピに従っています)。

 「ダイキリ」は、日本には1920年代前半までには伝わり、1924年刊の文献に初めて登場していますが、50~60年代くらいまでは、やはりグレナディン・シロップを使うレシピが一般的でした(村井洋著・JBA編「スタンダード・カクテルブック」=1936年刊=ほか多数)。調べた限りでは、日本のカクテルブックでシュガー・シロップを使うダイキリが登場するのは、1954年刊の「世界コクテール飲物辞典」(佐藤紅霞著)が最初です。

 しかし、その後も日本では60年代に入ってもグレナディン・シロップ派が優勢で、シュガー・シロップ(またはパウダー・シュガー)を使うレシピが一般的になるのは70年代になってからです。この理由としては、日本にはマッケルホーンやエンバシー・クラブのレシピ(グレナディン・シロップ使用)が最初に伝わった影響が大きかったのではないかと推察しています。

 なおダイキリと言えば、フローズン・スタイルの「フローズン・ダイキリ」も有名です。文豪ヘミングウェイが愛したことでも知られ、これがとてもお気に入りの彼は、キューバ・ハバナに居を構えていた頃(1939~41年、48~60年)(出典:ヘミングウェイ年譜 → http://www.casa-de-cuba.com/hemingway/nenpu.html )、住まい近くのバー「エル・フロリディータ(El Floridita)」で愛飲したと伝わっています。

 ヘミングウェイのフローズン・ダイキリは、ラムをダブル(倍量)にし、グレープフルーツ・ジュースを加え、シロップは抜いたもので、「パパ・ダイキリ」または「パパ・ヘミングウェイ」とも呼ばれました。「(店では)1日12杯も飲んだ」とか「水筒に入れて釣りに持ち歩いた」という伝説も残っています。

 フローズン・ダイキリが最初に考案されたのは1920年代後半で、同じくハバナの「スロッピー・ジョー」というバーだったという説(出典:サントリー社HP)もありますが、裏付ける文献にはまだ出合っていません。ちなみに、欧米のバーで「ダイキリ」と言って頼んでもまず通じません。英語では「デクゥレ」あるいは「デクゥィリ」と発音します(最後の「レ」や「リ」は聞こえないことが多い)。

【確認できる日本初出資料】 「コクテール」(前田米吉著、1924年刊)。レシピは、「バカルディ・ラム3分の2オンス、ライム・ジュース3分の1オンス、グレナディン・シロップ若干」となっています。


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汪(ワン) @ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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