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ハルシュタットの旅を終え、ザルツブルク中央駅に到着したのが18:10。まだ夜は始まったばかりですが、程よい疲れにそのままホテルへ向かいました。はぁ、明日は帰国かぁ~。。。。。では、毎晩20:00から各部屋にて映画「サウンド・オブ・ミュージック」が放映されます。その同じチャンネルで、毎日決められた時間帯にザルツブルク案内が流されます。ドイツ語・イタリア語・英語・日本語の4ヶ国語で、それぞれ2回づつの計8回。およそ45分の内容です。その日、18:30に部屋へ戻った私がTVを点けると、すでに30分は経過していましたが、日本語版のそれが目に入りました。画面に映ったのは、ザルツブルク音楽祭の会場で有名な"祝祭劇場"の隣りにある「馬洗い池」。(写真)その昔、大司教は馬車用にと130頭もの馬を飼育しており、これはその馬の為の洗い場でした。そして、その背後にそそり立つ切り立った岩肌が見えるでしょうか…。それはホーエンザルツブルク城塞が聳える"メンヒスベルクの丘"の硬い岩壁。*この岩を削って造られたのが祝祭劇場のホール「フェルゼンライトシューレ」。「サウンド・オブ・ミュージック」では、音楽祭に出場したトラップ一家が歌うシーンに登場しました。この岩肌からの落石で、以前は多くの人達が負傷していたのだそうです。その危険を除く為、毎年4月になると13人もの地元男性が岩壁を丁寧にチェックします。すでに落下しそうな石を取り除く作業です。この期間のザルツブルク市内では、作業による落石注意の為の交通規制が行われるようですよ。"コツコツ、コツコツ"音が響きます。高い場所からロープで吊り下げられ、ひとつひとつ点検する姿には頭が下がります。それこそ、そこから落下すれば彼らの命はありません。その場限りの観光客では見ることのできない、けれど私達を危険から守る為に陰でこういう努力がなされていたんだ、、、そう思うと、なんだか心の底から温かい気持ちになりました。単なるザルツブルクの観光案内に過ぎないと思っていた番組だけに、思いもかけないザルツブルクの素顔を見れたようで嬉しかったです。次の日の朝、いつになく清々しい気分でこの岩壁を見上げたことは言うまでもありません。^^
2009.01.31
*に続く並木道。 【'09.01.03】「picchu~ko~!!! How are you~? (o^―^o) 」のスタッフは、皆さん 気さくで陽気な人達。^^とりわけ、いつもレセプションに座る可愛らしい女性は私の大のお気に入り☆彼女は、私がワーホリ時代に語学学校で仲良しだった先生にそっくりです。^^(メラニーの写真は、('07.09.25日記)の日記に載せてあります。)「アウグスブルクでの年越しはどうだった~?」「えぇ~! ハルシュタットまで行って来たの~? とっても遠かったでしょう! バスで行ったの?」まるでホームステイ先のマザーと話しているみたい。^^私から色んな話を聞きだそうと、彼女の目は爛々と輝いています。「列車で行ったわ! 少し立ち寄ったバート・イシュルもなかなか素晴らしかったわよ!!」そう、、、私は日本にいる家族や友達よりも、まずは彼女に旅の報告をしているのです。(*^―^*)* * *そして、私はこのホテルの朝食に出される山盛りのパンも大好き☆クロワッサンにロールパン、様々な雑穀の入った薄い食パンにベーグルっぽいのもあったかな。。好きなだけ食べれるようにと、テーブルごとに様々な種類のパンたちが山積みされているのです。日本の食パンのふわっとした食感に比べるとかなり固いんですけどね、、、どうやら私はこちらの方が好みのようです。どれもこれも美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまうのが難点ですが、旅行中はいつになく歩く距離も長いですから、それもよしとしましょうか。。。^^:*:*:*:*:*ザルツブルクに着いた時、懐かしさと安堵感に包まれて、思わず「ただいま~!」って叫びたくなる瞬間があります。ひとつはを仰いだとき。次にに立ったとき。そして、ここの扉を押すときです。親しみやすいスタッフの皆さんと、あのパンとともに煎れたての珈琲の香りが私の心をくすぐるんですよ~。^^ザルツブルクの新市街、ミラベル宮殿からザンクト・アンドレー教会を左手に北東へ真っ直ぐ進んだところ、、、、、ピンク色の可愛い建物が見えたら、それがです>!* ('07.12.17日記)でも、について詳しくアップしています。^^
2009.01.30
なだらかな坂道を上っていくと、目の前に"マリア・テレジア・イエロー"を思わせる建物が現れました。「カイザーヴィラ」…その重い扉を開けると、皇帝の別荘というには慎ましい趣き。けれど、館の壁いっぱいに飾られている鹿の角の数には驚かされました!(↑)それは、狩りが何よりも好きだったというフランツ・ヨーゼフ皇帝が射止めた獲物たちです。その数、2000頭以上。鹿の頭に両翼を広げた鷲など、その剥製を眺めるだけでも充分に見応えがあります。昨日も書きましたが、この館に来た目的は皇帝が大好物だったクグロフを食べる為、、、その他は何も期待していませんでした。入ってすぐの右手側にある売店をぐるっと回った後、何気なく中を覗きました。目の前の人がそれぞれの言語で書かれた説明文を手にしています。日本語はあるかなぁ~、、、、、?「ここに入るには入場料がいるわよ。中はガイドが案内するから、後10分ほど待っててね。」無断で説明書を取り出した私に、売店のお姉さんがそう教えてくれました。^^;見ると、次のガイドツアーは14:15から。* * * * * * *ツアーは基本的にドイツ語のみの説明です。館の内部を約1時間かけて一周します。ウィーンの王宮と比べると、なんてこじんまりとしているのでしょう。。。だからでしょうか、、、そのあちこちに皇帝と皇后エリザベート(シシィ)の面影が色濃く残されていました。そして、サロンの奥にある小さな礼拝堂を覗いて言葉を失います。なんと、そこにはシシィが亡くなる最期の時に敷かれていたクッションが置かれていました。*ご存知の方も多いと思いますが、エリザベート皇后はスイス・ジュネーブの湖畔でイタリア人ルイジ・ルッケージによって暗殺されました。あぁ~、シシィはこの上で息をひきとったの。。。彼女の息吹が感じられそうな空間だけに、感慨もひとしおでした。* * *そのエリザベートの胸像が置かれたフランツ・ヨーゼフ皇帝の書斎。ここで皇帝はセリビアに対する宣戦布告に署名しました。 1914年7月28日のこと。長年に亘って栄華を誇ったハプスブルク家を崩壊させた第一次世界大戦のはじまりです。署名後、皇帝はすぐにウィーンへと戻り、以後二度とバート・イシュルを訪れることはありませんでした。その2年後、皇帝がこの世を去ったからです。肩をおとし、寂しそうなフランツ・ヨーゼフ皇帝の後ろ姿が目に浮かびます。。。皇帝が最後に過ごした時のまま、まるで時間が止まってしまったかのよう。机の上は当時の状態のままで保存されています。思いもよらず、歴史的意義のある場所を前にした私は、改めてオーストリアという国に深く興味を持ちました。もっともっとこの国について知りたい。この先も、きっと同じ場所に立つ私がいると思います。:*:*:*:*:*:ところで!! 肝心の「グーグルフプフ(クグロフ)」のお味ですけれど、、、あはは。 実はこの日、カイザーヴィラ内のカフェは☆closed☆でした~。^^;もう一度詳しくガイドブックを見てみると、カイザーヴィラが開いている期間は5~10月上旬とあります。あれれ??? どうしてこの1月2日は入場できたのかしら??? 不思議ですねぇ。(o^―^o)
2009.01.29
もうすぐ昼休みという時間、私の携帯電話がメール受信を知らせました。それは、一昨年の夏にハルシュタットで出会った韓国人Jeannaから。^^('07.12.26日記)「Oh, picchuko !あなた、またザルツブルクとハルシュタットへ行って来たのね~。うぅ~、ハルシュタットの冬景色はなんて美しいのでしょう、、羨ましいわ!・・・・・・・今年があなたにとって、素敵なことばかりの一年になりますように。 Jeanna 」 先日、この旅で撮ったハルシュタットの写真を彼女に送っていたのでした。* * * * * * * '07年の7月、ハルシュタットからザルツブルクまでの道のりをJeanna達と行動を共にしました。ハルシュタットを出ておよそ20分。『バート・イシュル』という駅に到着しました。その時は数分停車しただけの小さな街。「ここって、皇帝のお気に入りだった街だよね。」 Jeanneが指差しながら言いました。だからでしょうか、、、何気なく私の中にその街の印象が残っていました。* * *そう、皇帝フランツ・ヨーゼフは、その生涯の殆ど毎夏をバート・イシュルで過ごしました。そして、シシィこと皇后エリザベートと彼が出逢ったのもバート・イシュルでした。二人の結婚を記念して、皇帝の母ゾフィーから贈られたものが「カイザーヴィラ」という別荘です。(写真)1月2日、ハルシュタットへ向かう列車の中で偶然見つけたガイドブックのコラム欄。~ バート・イシュルに滞在中のフランツ・ヨーゼフ皇帝は、毎朝4:15には執務を開始した。そして、6:30きっかりになると皇帝の大好物のグーグルフプフと香り高いコーヒーとともに朝食を取るのだった。グーグルフプフ(別名クグロフ)は、バターがたっぷり入ったスポンジケーキのこと。マリー・アントワネットも大好物だったというこのケーキは、カイザーヴィラ内の小さなカフェでも味わえる。 ~これは是非とも食べに行かなくっちゃ♪ なんとなく気になる街だったし…。そこでハルシュタットからの帰り道、バート・イシュルで途中下車した私です。^^ここは温泉町としても有名です。ヨハン・シュトラウスが「温泉ポルカ」を作曲したのもここ、ブラームスが温泉名のタイトルを付けた「バーデン・バーデン交響曲」もこの地が由来です。^^日本では温泉といえばもっぱら湯に浸かってばかりですが、ここでは鉱泉水を飲むのが主流なんだそうですよ。死海よりも塩分の高い鉱泉水を、「トリンクハレ」という施設で「飲む」温泉療法を体験できるらしいです。ですが、私の目的は温泉ではありません。わきめも振らず、一直線に「グーグルフプフ(カイザーヴィラ)」へと向かいました。(笑) ・・・・・・・・・・・・・
2009.01.28
「美しい湖畔の街、ハルシュタットに来ています。鐘の音がちょうど正午を知らせます。ほとんどがカトリック教徒のオーストリアですが、ここハルシュタットではプロテスタントを信仰する人々が半数近くも占めているそうです。今、カトリックとプロテスタントの二つの教会の鐘の音が、まるで調和するように響いています。。。 '09.01.02 picchuko」* * *写真は、急斜面の岩の上に建立されたカトリック教会の裏手側、墓地と納骨堂「バインハウス」です。辺境の地で、しかも狭い土地では充分な墓地のスペースが取れないハルシュタットでは、10年ごとに墓の割り当てが決められていたのだとか。そして、墓の再利用の為に掘り起こされた遺骨を納めた場所が、白い建物のバインハウスでした。そこには故人の生没年とともに、一族を示す文字や彩色が施された頭蓋骨が整然と並べられていました。その数、およそ600以上なのですって!(驚)頭蓋骨の下にも、足や腕らしき骨がぎっしりと積み重なって…。けれど、恐いとか無気味だとか、そういう雰囲気では全くないのです。祖先を大切に敬う気持ちが伝わってくるようなところ。 そして、いつかは誰にも訪れる死後の安眠の場所に見えました。ですが、さすがに一人で入る勇気もなく、外から眺めるだけで引き返しました。それぞれの墓地には可愛らしい装飾や生前の写真、きっと春が来れば美しいであろう花壇が設けられていました。故人と静かに語り合えるような静けさと空間は、人は死後、確かに神様の下に召されることを教えてくれるかのようでした。。。
2009.01.27
~~~ あなたにわかってもらえるかしら… 私に訪れた この変化をここ数日 恐くてたまらなかったの 私は流されてしまうんじゃないかと…古い話を語ってみたり 歌をうたったりして 考えてみたの自分がいったいどこから来たのかだからこそ なんだか 今ではずいぶん遠い気がして… ~~~*スコットランド出身の放浪詩人"ダギー・マクリーン"の名曲「CALEDONIA ~カレドニア」より 。"Celtic Woman"の2ndアルバムにも収録されています。^^「カレド二ア」、古くローマ時代にはスコットランドをそう呼んでいたそうです。* * * * * * *自分でも不思議なことに、、、ここハルシュタットを旅する時は、なぜかケルト色の強い音楽を耳にしたくなります。夏に訪れた時は「Celtic Woman」を、そしてこの冬は「Secret Garden」の曲を聴きながら自分の世界に耽りました。私は、スコットランドやアイルランドを旅したことがありませんので、それらとハルシュタットを比べることはできませんが、それでもケルト音楽とハルシュタットはとてもよく合うと思います。幻想的で神秘的な雰囲気がそう感じさせるのでしょうか…。けれど、実はハルシュタットとケルト人とは深い関わりがあるのです。ケルト人は元々 中央ヨーロッパに誕生し、その後オーストリア・アルプスを中心にヨーロッパ全土へ広がっていきました。しかし、紀元前1世紀にローマ帝国のカエサルによって征服され、続くゲルマン民族にも追われ、西へ西へと移動していきます。そして、現在のスコットランドやアイルランドに辿り着き、生き延びた民族だそうです。*紀元前1200~紀元前500年頃、ハルシュタットの裏山に眠っていた豊富な岩塩を求めて移住したケルト人の文化が有名な「ハルシュタット文化」です。その世界最古の岩坑は、今も操業されています!(驚)私がハルシュタットにケルト色を感じたのは、もしかするとそんな悠久の歴史を知らず知らずに肌で感じたからかもしれません。^^* * * ~~~ 言わせてよ 愛していると いつもあなたを想っているとカレド二ア… あなたが私を呼んでいるさぁ、故郷へと帰りましょうけれど、もしも私がよそ者になるなら これ以上悲しいことはないカレド二ア… 私にはあなたしかいない ~~~遠く故郷を離れた移民たちの、切ない想いがこみあげてくる歌ですよね。。。それは、遥か彼方から繰り返されてきた彼らの記憶からかもしれません…。
2009.01.26
1/2の朝、ザルツブルクはまだ眠りから覚めていないような深い霧に覆われていました。白く染まったその街は、また違った趣きで佇んでいます。けれど、いつもは雄雄しく街を見下ろすホーエンザルツブルク城塞も、今日は霧に隠れて姿を現してくれません。「それならハルシュタットへ行こう!」雪が降ったなら、少し遠出をしてハルシュタットへ向かうことを心に決めていました。サクサクッとうっすら積もった雪を踏みしめ、中央駅まで急ぎます。ホテル・モーツァルトから徒歩15分。列車QBB(IC 547)は9:08に出発です。切符売り場の窓口では、丁寧に私が乗車する列車と時間、乗り換え駅まで詳しく印字された紙を手渡してくれました。ザルツブルク中央駅からウィーン行きの列車に乗り、アットナンク・プッハイムまで47分。 9:55着。そこで乗り換えて、ハルシュタットまで1時間14分。 10:13→11:27待ち時間を含め、トータルで2時間19分。 距離は136kmです。そう、誰が見ても分かるように書かれてありました。座席にも、その列車の到着駅と到着時刻が記された紙が置かれています。そこにも各駅からの乗り換え先など、乗客が下調べをしていなくても困らない心配りがされていました。私、決して1等車に乗ったわけではないのですよ。 2等車の自由席。1年半前もハルシュタットへ行く為に同じ列車に乗りましたが、こんなに親切だったかしら?* * *この列車で途中下車しなければ、お昼過ぎにはウィーンなのかぁ…。それでも良かったかな~^^、、、なんて思いながら窓の外を眺めていました。このザルツブルクからハルシュタットへ向かう車窓からの風景が、私、特に好きなんです。(*^―^*)何気ない牧歌的な景色なんですけどね、なんだか懐かしくなってしまって、思わず涙がこぼれそうになるんです。ハルシュタットに近づくほど、辺りの山々は深く険しくなっていきます。夏では感じられなかった威厳ある面持ち。一瞬恐れを感じながら、それでも目を離せない美しさに息を呑みました。その時の感覚は、きっと永遠に忘れないでしょう。すでに私は虜になってしまったようです。^^冬のハルシュタット、、、、、かなりオススメですよ♪
2009.01.25
いつもご訪問、ならびに沢山のコメントをありがとうございます。o(^-^)o本日、50000アクセスを突破することができました。奇跡のようで驚いています。皆さんからの足跡とコメントが大きな励みとなって、ここまで続けることができました。本当にありがとうございます。^^/50000アクセスの記念品として、今回はザルツブルクの銘菓『モーツァルト・クーゲル』を1名様にプレゼント致します♪ザルツブルクのお土産で最も有名なモーツァルト・クーゲル。これはその数ある製菓会社の中でも"元祖"「フュルスト社」のものです。1890年に菓子職人パウル・フュルストが生み出しました。当初はモーツァルトボンボンと呼ばれていたそうですよ。*^^*ピスタチオというナッツのマジパンを、ヘーゼルナッツのヌガークリームとチョコレートでコーティングした球状のお菓子です。6年間を費やして出来上がったこのチョコレート菓子は、瞬く間にザルツブルクの人気商品となり、1905年にはパリ菓子博覧会で一位の座を獲得しました。今では大量生産のミラベル社やレーバー社に圧されきってしまいましたが、しかしそこはさすが本家☆ 今でも手製の手法にこだわっています。一般に見かけるモーツァルト・クーゲルの包み紙は赤と金色にモーツァルトの肖像画が描かれています。本家フュルスト社のものは青と銀色の包みが特徴です。* * *私はいつも、旧市街・レジデンツ(大司教の館)のすぐ傍にある小さなお店に入ります。1/3の朝、凍える手を擦りながらお店のドアを引きました。店頭には綺麗に飾られたチョコレート達が並んでいます。「今朝は冷えるわねぇ。」真っ赤な鼻を啜りながら、私も「そうですねぇ・・・。」と答えました。「少し暖まって行きなさい。^^」少し年配の店員さんはそう声を掛けて下さいました。このチョコレートには、そんなさりげない優しさも込められています。(*^_^*)宜しければ、私のブログの左下側「Mail欄」からご連絡下さい。もちろん、直接私の携帯に連絡して下さっても構いませんよ。^^ご連絡、お待ちしております。(^o^)/
2009.01.24
アウグスブルクを後にして、もう少しだけ旅日記を続けさせてください。1月1日、17:42に発車した列車は一路オーストリアを目指します。そこで待っていてくれたのは白く雪化粧をしたザルツブルクでした。ただいま~!!(o^―^o)* * * * * * *さて、ザルツブルク中央駅に降り立つ前に、今日は私のモーツァルト感を一変させたピアニストについて書き留めておきたいと思います。「今、グレン・グールドの演奏するモーツアルトのピアノソナタを聴きながらメッセージを書いています。」 1/18の日記「モーツァルトの父レオポルト」へのキタサンからのコメントです。『グレン・グールド』??、、、、、そのピアニストはいったいどんなふうにモーツァルトを弾くのだろう。何故か私はドキドキしながら彼について検索しました。ピアノを弾く人、クラシックに明るい人はもうとっくにご存知でしょう。NHK教育テレビでも「知るを楽しむ私のこだわり人物伝」で、昨年5月に4回番組として紹介されたらしい天才ピアニスト。私も彼のCDが欲しい!しかし数ある彼の名盤の中でどれが親しみやすいのか、、、迷った私は、1ヶ月前に発売されたばかりの「グレン・グールド 坂本龍一セレクション」を選びました。http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/glenngould/そのCDが昨日手元に届きました。27曲も収録されている中、私は一番にモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲」を聴いてみました。それから ず~っとグレン・グールドのトルコ行進曲を流し続けています。*^^*「えっ? この曲ってこんなテンポだったっけ???」それが第一印象です。今まで聴いたことのない ゆっくりとしたトルコ行進曲。細かく正確には楽譜を読めない私には、過去に聞いたものが譜面通りなのか、それとも彼の解釈が正しいのか、それは全く分かりません。けれど、彼のピアノの前ではそんなものはどうでもいいような気がしてきました。聴けば聴くほど彼にモーツァルトが乗り移っているように感じます。 丁寧に、そしてここまで愛おしく鍵盤を叩くピアニストは他にどれほどいるでしょう。 指先の先、鍵盤と指の間の空気にまで神経が届いているように思えます。 それくらい鍵盤も彼の前では素直なのです。^^ では、バッハやブラームス、ベートーヴェンなどは彼によってどう表現されているのでしょうか…。それは今後の楽しみです♪^^ ~~~いったいどうやって、彼は若くしてあのような深い瞑想性と沈黙なるメランコリーを獲得してしまったのだろうか。 坂本龍一~~~
2009.01.23
ヨーロッパはどこの国でも、大聖堂は街の象徴的存在ですよね。これが、アウグスブルクの大聖堂(ドーム)です。どんよりとした重い空が冬のヨーロッパらしいですね。9~11世紀のロマネスクと、14世紀以降に改築されたゴシック様式を併せもつ教会だそうです、、、、、が、"~様式"と言われても、無知な私にはさっぱり。。。f^_^;そして、この教会に残されているステンドグラスは原型を留める世界最古のものだそうです!そのステンドグラスは「預言者の窓」と言われ、旧約聖書に出てくるダニエルをはじめ5人の預言者の姿が描かれています。12世紀初頭の作品と思われます。とても古典的な絵画で、ユニークな表情の預言者たち。ちょっと吹き出しそうな真面目なお顔と、カラフルな衣装が笑いを誘います。(^^)他にも綺麗なステンドグラスが数多くある中で、その5枚の個性的な絵だけが全く違う時空間の流れにありました。(笑)* * * * * * * 「Yes, picchuko!きっと今頃、君は日本へ向かう飛行機の中だろうね~。家に着いたら、どうか僕にメールしてね。日本についても色々お話聞かせてよ。写真を見て、そしてドイツを思い出してね。I wish you all the best Picchuko-san!アウグスブルクのMより」それはアウグスブルクを経つ直前に、駅近くのバーガーキングで出会ったトルコ人のMさんからのメールでした。彼はsuhさんと同じアパートの住人です。^^先日の日記にも書きましたが、彼の優しく深い瞳が印象的でした。suhさんが紹介して下さった人はどの方も親しみやすく、昔からアウグスブルクにいるような気分にさせてくれます。古い友人のような気軽さが魅力的☆^^* * *この先も、相も変わらず 私は旅を続けることでしょう。その中で懐かしい人達が集う街、それが私にとってのアウグスブルクです。そうそう、そして愉快なオペラが楽しめるところもアウグスブルクの美点でしたよね。^^役者さん(ヤーンさん)、とてもカッコ良かったですもの~。 *^^*('09.01.13日記)大聖堂や市庁舎といった沢山の見所よりも、縁ある人との出会いによって この街がより一層素晴らしく私の中に刻まれました。suhさん、ありがとうございました。Tさん、Mさん、ありがとうございました。その笑顔に また会いに行きたいです。(*^―^*)
2009.01.22
こちらが、カトリックとプロテスタントが同居している世界でも珍しい『聖ウルリヒ&アフラ教会』です。手前にあるのがプロテスタント、奥の大きな教会がカトリックです。この写真では霞んでしまっている玉葱状の塔の高さは93メートルもあります。カトリック教会は1474年に建設が始まり、プロテスタント教会は1555年のルター派の信仰が認められた「アウグスブルクの宗教和議」を記念して増設されました。*この歴史的背景と詳細は、('08.11.22日記)、('08.11.23日記)の日記に記してあります。カトリック教会の中には、細かく見事な装飾品で埋め尽くされた後期ゴシック様式の祭壇があるのだそうです。「…だそうです。。。」というのも、煌びやかな祭壇は修復中のために高く壁に囲まれており、残念ながらそれを見ることはできませんでした。(T_T)そしてプロテスタント教会には鍵がかかっており、こちらは中に入ることさえもできませんでした。(>
2009.01.21
これが、「フッゲライ」の中の様子です。ね、なかなか良いと思いませんか?(笑)全部で67軒に区分されている長屋には、140のアパートがあり、現在150人の入居者が生活しているそうです。* * * * * * *さて、ようやく税務署への提出書類(法定調書)と、各市町に出す給与支払報告書が書き上がりました。1月分の給与計算も終了したし、今年度の人件費の補正予算もほぼ完成。これで一息つけそうですが、、、、、あぁ~ん、今年もインフルエンザが流行る季節となりました。><。。。東京・町田市の院内感染のニュースも恐ろしいですが、それよりも すでに身近な所でも小学校が学級閉鎖になりました。どうか、これ以上流行しませんように。しっかり手洗いとうがいを励行しなくちゃね。十分な栄養と水分補給も忘れずに。 あと、、、マスク着用と加湿器と、、、。うぅ~、昔はこれほどインフルエンザに怯えていなかったように思うけど…。(T_T)
2009.01.20
では、続いてそのモーツァルトの曾祖父である「フランツ・モーツァルト」が住んでいたところを。(笑)(注:私は決してモーツァルトのルーツを辿る旅に出たのではなく、訪ねてみようと思った処が偶然にもモーツァルト縁の場所だっただけのことです。^^;)写真は、('08.11.21日記)でも紹介した『フッゲライ』の家並みです。フッゲライは、1521年に豪商ヤコブ・フッガーが資金を提供して、生活に窮しているアウグスブルク市民の為に建設された集合住宅。そのフッゲライの大工頭だったのが、「フランツ・モーツアルト」でした。昨日の赤い家がお父さんの生家ならば、ここフッゲライは曾お祖父さんの亡くなった場所。今でもフッゲライ博物館として当時の形で残されています。* * *フッゲライの入り口を入ると、左手にはマルクス教会があります。ここで一日3回、フッガー一族の為に祈りを捧げるのも入居の条件の一つらしいです。(^^)「玄関ベルの取っ手を見てみて! ねっ、家ごとに形が違うでしょう。」suhさんの言葉によくよく取っ手に目をやると、、、ホント、ホント、それぞれの玄関によって形が全然違います。それは、街灯がなかった時代に暗闇の中、夜遅く帰宅しても玄関ベルの形を触れば自分の家かどうかが分かるように工夫されていたのだとか。ちょっとした遊び心にも意味があるんですね~。^^☆現在の家の様子も見学できるようになっていて、その思いもよらない広さと快適さ?にもビックリしました☆玄関と居間と寝室と、台所とバスルームも、そして裏庭まであるのですから驚きです。@@しかも"年間88セント"!! 約120円です!!思わず、「私もここで住みた~い!」と叫んでしまいました。^^この世界最古の福祉住宅、、、21世紀の今でも使われているのですから、そのコンセプトの確固たるや、日本の政治家さん達にも見せてあげたいです。。。そして私が最も尊敬する点は、《貧しい人達が、人からお恵みをもらって生きてゆくのではなく、自活するための援助をする為にこの社会住宅を建設した》ということ。最近では、バングラディッシュでグラミン銀行を設立し、2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の概念と同じですよね。私は、この『フッゲライ』こそがアウグスブルクの一番の見所であり懐の深さだと思っています。ところで、フッゲライの入場料は大人2ユーロ、子供(8~18歳)は1ユーロ。むむむ、、一年間の家賃よりも高いではありませんか!(笑)
2009.01.19
*黄色い左側の家が、作曲家"ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト"の生家 【オーストリア・ザルツブルク】 右の赤い家が、その父"ヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト"の生家 【ドイツ・アウグスブルク】レオポルト・モーツアルトの最大の業績は、息子であるヴォルフガングの才能を発見し、芽生えさせ、当時考えうる世界最高の音楽教育を与え、歴史上比類のない作曲家を開花させたことである。(Wikipediaより)そのレオポルト・モーツァルトは、1719年11月14日にアウグスブルクで生まれました。('08.11.20日記)息子、ヴォルフガングは1756年1月27日の夜、ザルツブルクの↑の建物の4階で誕生しました。私はヴォルフガングには姉ナンネル以外の兄弟はいないと思っていました。しかし このレオポルトの生家には、成人することなく亡くなった他の兄弟達の写真も並んでいました。ヴォルフガングは7人兄弟の三男だったのです。昨年、ザルツブルクにあるもう一つのモーツァルトの住居を訪れた時、そこで初めて作曲家としてのレオポルトの一面を知りました。レオポルトは教育者として、また音楽教育理論家として高い評価を得ていますが、作曲家としての評価はイマイチ。ですが、そこで聴いた彼の音楽は、後のヴォルフガングに繋がる何かを感じさせてくれました。息子に比べると洗練さこそ劣ってはいるものの、心地よく響くメロディはモーツァルトの音楽そのもの。自然な流れで私の中に入ってきます。今に残るレオポルトの写真はどこか気難しく厳しい表情をしていますが、彼の足跡を辿ることでより深い親しみを感じています。もしかすると、レオポルトが生まれた ここアウグスブルクが天才作曲家モーツァルトの原点なのかもしれませんね。(*^^*)
2009.01.18
*アウグスブルク市庁舎外観 (裏手より)アウグスブルクの街の名は、初代ローマ皇帝アウグストゥス(オクタビアヌス)に由来します。紀元前15年に造られたドイツで最も古い街のひとつです。市庁舎の前には、1594年に建都1600年を記念して建てられたアウグストゥス皇帝の像と噴水があります。その像は堂々とした面持ちで右手を差し出していました。噴水盤の縁には、市の水力を象徴する4本の川のシンボル像が配されています。水の豊富な街なのかな? アウグスブルクを歩いていると、至る所で美しい噴水を見ることができます。 そして、幾多の水路も…。「旧市街に縦横張り巡らされた水路は、水の都として有名なイタリアのヴェニスよりも多いのよ。」ってsuhさんが説明してくれました。* * * * * * *突然ですが、、、今日放送されたTBS「世界ふしぎ発見!」。 テーマは"古代ローマ クレオパトラの魔法を解け!"でした。私がローマを訪れたのは3年前のことになりますが、この頃 何故か無性にクレオパトラに関する本ばかりむさぼり読んでいました。私の中では、カエサルもアントニウスも魅了したクレオパトラが古代ローマの象徴なのです☆カエサルはクレオパトラをローマに迎え入れます。古代ローマでは、異国の女王、それも飛びっきり美人で華麗な女王に魅せられた市民の間でエジプトブームが巻き起こりました。例えば、クレオパトラが好きだったというバラの花に需要が集まり、小麦を栽培していた農家が次々とバラ栽培へ移行した為に経済にまで影響が出てしまったほど。その当時の女性達の間ではバラ風呂が流行っていたのでしょうか?(笑)しかし、これには小麦が豊富に取れるエジプトへの人々の関心を誘うカエサルの思惑が隠されていたという話。そんなカエサルとクレオパトラの死後も、ローマにおいてエジプトブームは続きます。その第一人者?であった「アウグストゥス」は、エジプトから"オベリスク"を持ち帰ってくるほどでした。オベリスクとはご存知、ピラミッドが造られなくなったエジプトにおいて、神殿などの前に立てられたモニュメントです。現存するオベリスクはエジプトよりもローマの方が多いというのですから驚きです。番組後半、この「アウグストゥス」の登場に、思わず耳がダンボになりました!!!(^^)あれれ??? では、そのアウグストゥスと縁の深い「アウグスブルク」には"オベリスク"があったっけ???どうも私の記憶ではアウグスブルクにオベリスクはないのですが、あまり意識していなかった為にそれは定かではありません。(残念だなぁ。。。)そして、最後のクエスチョン♪ 『数多く造られたアウグストゥス像の共通点は?』それは次の3つの中からの選択でした。 1.服装が同じ、 2.ポースが同じ、 3.年齢が同じ私はとっさにアウグスブルク市庁舎の前に立つ像を思い出しました。服装までは忘れたけれど、、、確か、右手を差し出していたかなぁ…。 答えは2番だ! ^^/ローマにある像も右手を掲げていたのです。ブッブー!!! 正解は、3番☆ その頃としては珍しく76歳まで生きた彼は、自分が最も雄雄しかった30代の姿で像を造らせたのだそうです。私が見た像も若々しかったっけ~??? ちょっと記憶が乏しいですけれど、、、。^^;意外な「アウグストゥス」繋がりに、一層番組を楽しむことができました。^^アウグスブルクは古代ローマ時代から2000年も続く街。市庁舎からも近い「ローマ博物館」では、そんな歴史をより感じることができますよ。
2009.01.17
*金刀比羅宮 奥書院上段の間(絵葉書より) 【香川県琴平町】いきなり「和」ですみません。^^;昨日の日記へのキタサンのコメントに、、、そうだ! 「侘び・寂」に象徴される日本にだって「金(キン)」で囲まれた部屋があるではないか!と思い出しました。(笑)しかも近所に、、、。^^;「こんぴらさん」の愛称で親しまれる香川県の金刀比羅宮「書院の美」が、無事 三重県立美術館・フランス国立ギメ東洋美術館の巡回を終えて戻ってきました。円山応挙・伊藤若冲らの襖絵に、"おかえりなさい"ということで『パリ凱旋帰国展』が開催されています。(~4/26)先週末、県外から来た友達(きょんさん)と共に私は初詣を兼ねて「こんぴらさん」へ行ってきました。一年ぶりの再会!('07.11.20、11.21、'08.01.26日記)この内容は後日改めようと思っていたのですが、ちょうど「金(キン)」という共通点が出てきたことですし…。書院に入ると、そこには本来あるべき姿の応挙らの襖絵が、大役を果たした安堵の表情(?)で座っていました。(^^)残念なことに、今回 「奥書院」は公開されておりません。しかし、同じくパリから凱旋帰国した伊藤若冲の襖絵「花丸図」だけは展示されていました。↑の写真は、たった6畳の空間に若冲によって201もの花々が描かれた奥書院上段の間です。この空間を、パリという大舞台でそのまま再現させました。(『こんぴらさん―海の聖域』展)そう、畳を敷いて、本物の襖絵だけでなく移動不可能な障壁画はデジタル複製画を用いてその通りに配置させました。これにはパリジャン・パリジェンヌ達もさぞ驚かされたことでしょう。。。それを成功に導いた現代の美術家であり金刀比羅宮文化顧問の田窪恭治さんは、高校生の時分に この「奥書院上段の間」に圧倒されて絵描きになろうと決心されたそうです。私も昨年 奥書院が公開された時に多くの見物客の列に並んだのですが、勿論それは開け放たれた空間での展示でした。やはりこれは、閉じ篭った上段の間の空間の中でじっくりと鑑賞したいものです。田窪氏によると、この間の真ん中に座って居ると不思議と花々が壁から浮き上がってきて、狭い6畳間が無限の広がりを見せると言います。これには上部の花ほど大きく描かれている工夫も一役かっているのかもしれませんが、なるほど、本物を前にすると田窪さんのその言葉はイメージしやすいです。これらの襖絵と障壁画、実は後の絵師によって金砂子が蒔かれてしまったとのこと。若冲や応挙は白地に絵を描いたのです。当時は全く別の雰囲気を放っていたことでしょう。では、なぜ「金」を蒔いたのでしょうか。 こんぴらさんの力を見せびらかしたかったからとか???たぶん、私は「金」地の方が好みなんです。 「金(キン)」が好きっていうのではなく、、、。アウグスブルク市庁舎の「黄金の間」では、その金箔が頭上から降り注ぐような、圧倒的な存在感を持って迫ってきました。こんぴらさんの「書院」では、金箔の部分が自然な背景となって私を含めて同一化してしまう。この「金(キン)」の違いは何なのだろう・・・? ちょっと不思議な感じがしました。余談ですが、「金(キン)」づくしの年の始まり♪ なんだか幸先がいいではありませんか!(笑)
2009.01.16
クラクラするぅ~。@@これがアウグスブルク市庁舎3F、「黄金の広間」の天井です!そのあまりの絢爛豪華さに呆気にとられ、しばらく上を仰いでいた私はクラクラ目眩いを起こしそうになりました。例えばヴェルサイユやシェ―ンブルンなど、過去にも数々の宮殿の大広間に驚かされてきましたが、これほど頭が沸騰する感覚を味わったことはありません。思わず両手を広げて、くるくると踊ってみたくなりました~。(*^―^*)なんという空間☆一枚一枚の絵の価値よりも、今にも頭上に落ちてきそうな眩しい天井そのものに圧倒されました。勿論、この天井を支える壁にしたって、細部に至るまで贅沢の限りを尽くした装飾です。日本の「侘び・寂」の正に対極の文化ですね・・・。今も街のシンボルとしてその存在感をアピールするアウグスブルク市庁舎は、1615~20年に当地の建築家エリアス・ホルによって建てられました。当時、アルプス以北では最も美しいと賞賛されたルネッサンス様式の建物。第二次世界大戦中の1944年には、空襲で天井が焼け落ちてしまいました。その後、1985年の市の創立2000年を記念して、約3kgの大量の金箔を用いて復元されたそうです。(驚)*suhさんの昨日のブログに、この市庁舎について書かれてあります。懐かしいなぁ~、、、私がアウグスブルクを訪れてから、早2週間が経ちました。^^http://plaza.rakuten.co.jp/suh0716/diary/200901140000/
2009.01.15
*アウグスブルク市立劇場の外観【'08.12.31】1月1日午前0時を迎えると、まずはシャンペンで乾杯です☆suhさんご夫婦とグラスをカチンと合わせながら、私は2年前のスイス・ルツェルンでの年越しを思い出していました。~~~ (ルツェルンにて) ロイス川に架かるカペル橋周辺には大勢の人達が集まってきます。レストランでもらったグラスを片手にカウントダウンを待つ私。すると、ちょうど隣りになった家族連れのお父さんが、満面の笑顔で私にもシャンペンを注いでくれました。「A HAPPY NEW YEAR !」 ~~~* * * * * * *「A HAPPY NEW YEAR 2009 !」またひとつ、思い出に残る素晴らしい年越しを迎えることができました。すでに戸外では、新年を待ちきれない人々が花火をあげています。冷たい空気が頬を醒ます中、さぁ、私達も花火大会に参加です♪^^ご近所の皆さん総出でしょうか…。あちこちで打ち上げられる花火の轟く音、、、ヒュ~~~!!! どこへ飛んでいくか分からない空中を走る花火の数々に、suhさんと私はきゃぁきゃぁ言いながら逃げ回りました。suhさん、どこ~??? 最後には大きなゴミ箱の後ろに隠れていた私です。(笑)そこでご一緒したドイツ人ご夫婦、そして話は飛びますが、その翌日出逢ったトルコ人Mさんとそのお友達。初めて会った私に、どうしてあれほどの深みある笑顔ができるのでしょう。。。その優しいまなざしと気さくな人柄に、私は感動すら覚えました。帰国後、それを上司のKさんに話しました。「良かったねぇ。全てsuhさんのおかげだね~。」本当にその通りだと思います。私ひとりがいきなり皆さんの前に立ったとしても、どうしてあれほど親しく受け入れてもらえたでしょう。単身ドイツへ渡ったsuhさんが、これまで築き上げてきた人との繋がりがあってこそ、その土台の上で私は皆さんと知り合うことができたのです。「ありがとうございます。」それだけでは全然足りませんよね。明日からそのsuhさんが導かれた街、ドイツ・バイエルン州にあるアウグスブルクの満載な魅力を少しでもお伝えできればいいな、と思っております。^^
2009.01.14
《セビリアの理髪師》舞台は18世紀、スペイン・セビリア。大貴族アルマヴィーヴァ伯爵は、セビリア一の美人ロジーナに一目惚れ。彼女の部屋の下でセレナーデを歌ってみても、財産目当てでご執心の後見人バルトロが見張っていて窓は開かない。そこで伯爵は、お金さえもらえれば散髪から身の上相談、恋の仲介、手紙の代筆まで何だってする町の便利屋フィガロに助けを求める。伯爵は身分を隠し、貧乏学生リンドーロに変装してロジーナに近付こうとするが、同じく彼女との結婚を望むバルトロの邪魔があって思う通りにことが進まない。たびたび窮地に立たされながらも、あの手この手でバルトロ家に忍び込み、大混乱を巻き起こす。フィガロの機転でピンチを脱した伯爵は、身分を明かして誤解を解き、ついにロジーナと結ばれるのであった。* * * * * * *12/31の夕方、30分遅れでアウグスブルク駅に到着。suhさんとの再会、ご主人Tさんとの出会いの喜びを噛みしめる間もなく、私達は大晦日の最大イベント『オペラ・セビリアの理髪師』を観る為にアウグスブルク市立劇場へと急ぎました。18時開演です。趣きある白い建物のその劇場の中は、思いの外小さくて、そして想像以上に優雅でした。深いワインレッドのカーテンが印象的です。^^私達は、一階席の一番後ろ、中央に座ります。誰にも遠慮せず、舞台全体が見渡せる最高の場所。こじんまりとしているこの会場は、舞台との距離を全く感じさせません。ただ一つ、私には心配事がありました。それは言葉☆今回のオペラはイタリア語上演、ドイツ語字幕です。あらすじはざっと読んで来ましたが、だからといって頭の中に全てが入っているわけではありません。昨日、ミラベル宮殿のコンサートで居眠りしたしなぁ~。^^;せっかく何ヵ月も前からsuhさんにチケットを取ってもらったのに、寝てしまったらどうしよう。。。('~`;)待ちに待った舞台だけに、それだけが気になっていました。ところが!!!始まってみると、言葉が分からないなんてなんのその!!!舞台上で愉快に転がる(この表現が一番合ってるように思います。^^)役者さん達の一挙手一投足に笑いの渦が巻き起こります!手を伸ばせば届きそうなほど、役者さん達が近くに感じられます。気がつけば、私も前のめりになって舞台に釘付けでした~。^^大きなホールで名の通った舞台を観るのもいいですが、地方劇場ならではの個性的な役者さんや大道具で表現された舞台を鑑賞する魅力を教えてもらえました。きっと私、こういう無条件で楽しめるオペラを求めてたんです!!!(^^)あははははっ。きゃははははは。 可笑しくって、可笑しくって、、、。これこそ正に喜劇の王様だと思いました。* * *そんな舞台の小休憩。私達はTさんの案内で、劇場地下のレストランで一休みしました。そこは、役者さんやオーケストラの皆さんがお食事をするところ!!自身も舞台に立つことのあるTさんだからこそ、入れることの出来る特別な場所☆テーブルを囲んでオーケストラの皆さんが楽しそうに団欒していました。^^そんな様子をワクワクしながら見ていると、なんと理髪師フィガロ役の男性がそこに立っているではありませんか!!!!!舞台の上でも目立ちますが、さりげなく存在する彼も大したもの。否応にも目が彼を追います。素敵~☆(*^_^*)こういうのを一目惚れっていうのですね~。(笑)suhさんと二人、胸をときめかせながら見とれていました。^^そんな二人に見つめられながら、僅かな休憩時間にもかかわらず、彼は本格的に食事を取っていましたっけ。第2幕が始まって、歌いながらゲップが出たらどうするのだろう~、と私の方が心配してしまいました。^^;それでも大胆な食べっぷりは男らしくって!、ますます恋しちゃったpicchukoです~。(*^―^*)*写真は、suhさんのご主人Tさんが貰ってくれた、その愛しの彼・フィガロ役『ヤーンさん(Jahn Friedrich Eggers)』のサインです!suhさん、Tさん、とても楽しい最高の時間でしたね~。ありがとうございました。o(^-^)o
2009.01.13
さて、アウグスブルクに話を進める前に、suhさん宅で学んだことを復習したいと思います。*^^*お恥ずかしいことですが、、、私は今まで『エッグスタンド』の使い方を知りませんでした。^^;ゆで卵が転がらない為の単なる"たまご立て"くらいにしか思っていませんでした。もちろん、小物を入れたり、上手にお花をさしたりと色んな使い方があるのでしょうが、、。1/1の朝、アウグスブルクのsuhさん宅の朝食に、スタンドの上にちょこんと座ったゆで卵達が並んでいました。私は何も考えず、殼をむきむき。^^するとドイツ人であるご主人のTさんが奇妙な表情で私を眺めます。「ゆで卵はね、こうやって食べるんだよ~。」と、エッグスタンドに乗せた卵の上半分をナイフで切り、上手くスプーンですくっているではありませんかぁ~!!!36年も生きてきて、"目からウロコ"です☆(((@_@もう一つゆで卵を戴き、私もそのやり方に挑戦してみました。すっごぉ~い♪綺麗に殼の際まで掬えるものなのねぇ。ふふふ、今年初めての感動です☆(o~-')b* * *帰国した私は、両親にも職場の仲良しさんにも尋ねてみました。「ゆで卵ってどうやって食べる~? ^^」「そりゃあ、もちろん殼を剥くでしょう。」「むふふふ、そうじゃないんだなぁ~。(*^m^*) 」、と皆にエッグスタンドの使い方を自慢している私です。^^そして、我が家でもエッグスタンドでゆで卵を食べてみました!しかぁ~し、上手く切れない。。。(T_T)見た目がキタナイ上に、上手く掬えない。。。(T_T)ナイフが悪いのか、卵が悪いのか、はたまたゆで方が悪いのか、、、。(∋_∈)いつ社交界にデビューしてもいいように、これからしっかりと練習します!(笑)
2009.01.12
ゆっくりゆっくり山道を走ります。やがて、三頭トンネルという2000m以上もある長~いトンネルに入ります。そこで途中から下り坂になりました。きっと峠を越えたのでしょう。それから続く下り坂にほっとひと安心。「神様、ありがとう!!!」(><)私は世界中の神様にお礼を述べました。^^標識には見慣れた地名「琴平・坂出」の文字が、、。もう大丈夫でしょう。^^ 後は真っ直ぐ走るだけ!!* * *すると突然、『左です!』 ナビがそう表示しました。えぇ~、左ぃ~???目の前に広い道路があるというのに、どうしてここで曲がるのだろう?左から行った方が早いのかしら~?全く土地勘のない私は、まずはナビを頼りに左へと曲がりました。その道だって決して細い道ではありませんし、民家だって建ち並んでいます。しかし、ここで又も雪が増して来るのです。心持ち上り坂になったような気が???少しずつ積雪量も増えてきました。大丈夫かなぁ~。。。(∋_∈)段々と民家も少なくなってきました。ついに車一台分の道幅になりました。(ToT)ナビの動きもおかしい。なんとなく道を見失ったような反応です。(ToT)(ToT)(ToT)怪しい。絶対に怪しい。神様は私を裏切ったのかぁ~!!!(><。)。。私は車を停めました。「大丈夫だよ。またナビが道を示したよ。」きょんさんはそう言うけれど・・・。辺りはすでに真っ暗です。この先、電灯すらない林道が続きます。雪女出現か!?このまま進むと、もう冗談ではすまされない気がしてきました。引き換えそう☆ 私は覚悟を決めました。慣れない山道、しかも雪道をサイドミラーだけを頼りにバックします。暗くて暗くて周りは全く見えません。(><。)。。車内外の気温の差が激しいのか、窓ガラスが真っ白に曇りました。エアコンの曇り消しだってお手上げ状態です。私の超真剣な顔つきに きょんさんも何かを感じたのか、「窓を開けても平気だよ。」と言ってくれました。窓を全開にし、何度も何度も切り返しながら慎重に慎重に後ろへ下がります。早目に引き返しを決めたので、なんとか無事に道幅の広いところまでバックすることができました。ほぉ~~~。(^。^;)無事生きて戻ることができましたぁ~。(><)「きょんさんが雪女なんだよぉ~。」「いやいや、picchukoが雪女なんだって!」「チョコレートがあったから遭難しても大丈夫だったかなぁ。」「でも水分が足りないかも~。」今となっては笑い話???ですが、あの時引き返していなかったらと思うと、夜中に目を覚ましては身震いを感じました。「私は雪の"女王様"だからね。^^」きょんさん、きっと物凄く恐かったでしょうに、そんな冗談を言って私を慰めてくれました。ごめんなさいね~。もう絶対に自分の運転で雪山へは行きません。まして夜だなんて!!!生きて帰れたことに本当に感謝、感謝です。(^_^;)《追記》帰宅後、地図を開いてみると、、、私が迷い込んだ道は、「大川山」という標高1043mの山頂に続く林道でした。何故にナビはそちらを指したのか???しっかりナビ不振に陥っているpicchukoなのであります。(T_T)
2009.01.11
年末年始の旅日記はまだまだ続きますが、今日は特別脱線して"ひやり(^人^;)"としたこんなお話を。10日、11日と我が大親友「きょんさん」が1泊2日ではるばる神奈川から香川まで遊びに来てくれました。*きょんさん、ありがとう。 また来てね~☆^^彼女はベテラン添乗員!今でこそ海外専門に世界中を飛び回っておりますが、以前はお客様を連れて何度も四国を巡っています。四国の見所は、たぶん私よりも詳しいでしょう。f^_^;ですから彼女が初めて我が家へ来た時は、私に馴染み深い場所を案内しました。さて、今回はどこを回ろう。。。しまなみ海道? ・・・時間が足りない?直島? 小豆島?・・・風がキツくて海が荒れたら?祖谷のかずら橋?・・・平家の落人が潜んでいた山奥ですから、この時期深い雪に覆わているかも?ということで、徳島市の"阿波の人形浄瑠璃"と"阿波おどり会館"を案内することにしました。徳島ラーメンを食べるもよし!帰りには私のお馴染みの韓国料理屋さんへ連れて行こう!!むふふ、なかなかいいコースではないか!!!(o^―^o)自分一人で満足をし、予定通りに徳島観光を終わらせました。* * *さぁ、どの道を通って帰ろうか。ナビは、徳島市から北上して高松経由のルートを示します。その間の高速道路は一車線の部分が多いので、軽自動車の私はできれば一般道を走りたい。そうなると、その韓国料理屋さんへ行く為には高松を通るとかなりの遠回りになってしまいます。徳島と香川の県境を東から西へと走り、途中から北上するコースが最も近道だと思いました。再度ナビで検索すると、やはりそれが一番早く到着すると表示されました。^^なんだぁ~、だったらそれを一番に案内しなさいよぉ!(笑)順調に徳島市内を抜け、西へ西へと走ります。途中、何度か雪が散らついてきました。随分と走ったでしょうか、、ナビはやっと右折を示しました。国道192号線から外れると、まだ18時過ぎだというのに真夜中のような暗さです。ここで不安がよぎりました。目の前には讃岐山脈が高く聳えます。しまった~!!!、この山脈が危険だから、"祖谷のかずら橋"を避けたんだったぁ~!!!(; ̄Д ̄)時はすでに遅し。この山脈を回避するにはもう一度徳島市内まで2時間近く戻らねばなりません。それも辛い。(><。)。。『凍結注意!』が~ん!(ToT)))どうしよう、、、チェーンだって持っていないし、持っていたとしても使い方が分からない。(T_T)もちろん、スノータイヤなわけがありません。(T_T)(ToT)(T_T)とにかく行けるところまで行ってみよう。。。きょんさんにどうかこの不安が伝わりませんように。(>_<)道路の両脇に積もる雪の量が増えてきました。山道ですから急なカーブが続きます。(><)きょんさんと相変わらず他愛ない話をしながら、八百万の神様、イエス・キリスト様、エホバの神様、アラーの神様、、なんだっていい心の中では必死で神頼みしておりました。無事に辿り着けますように!(><)随分と坂道を上ったのでしょう、耳がツーンとしてきます。ここは一体 標高何mなのだろう。。無情にも、深い山道はますます吹雪いてきました。。。(><) 続く
2009.01.10
その後、私はザルツァッハ川に沿って駅へと向かいました。川はU字に大きく蛇行しています。向こう岸はドイツ。少し離れた場所に橋が見えました。「渡ろう!」手前にはオーストリアの紋章が、そしてその先にドイツの印を見ることができます。*写真は、ドイツ側から撮ったものです。150m程の橋を渡るとそこはもうドイツなのです♪(o^―^o)どこが国境なのかな~。(*^_^*)楽しみにしながら歩いていたのに、知らぬ間にあっさり渡り終えてしまいました。^^;『Bundesreoublik Deutschland』この街の名前はなんて読むのだろう?看板の後ろには『Bayern』の文字。間違いなくドイツ・バイエルン州のようです。^^おぉ~、歩いて国境越えしたぞ!!* * *橋の上から眺める景色も美しい。川の煌めきと深い木立の情景。ドイツ側の厳かな教会と、オーストリア側の赤く低い三角屋根の可愛らしい家並み。(その一枚が('08.12.31日記)の写真です。)もし私がオーベルンドルフの住民なら、きっと天気のいい日は決まってこの橋を散歩コースにするでしょう。。。^^
2009.01.09
小さな小さな「きよしこの夜礼拝堂」。中に入ると、きっと誰しも「きよしこの夜」を口ずさんでしまいますね。^^これまで、1818年のクリスマス直前に聖ニコラウス教会のモール神父が作詞をし、教会のオルガ二ストであり小学校の先生であったグルーバーが曲をつけたとされてきました。ところが最近発見された資料によると、モール神父はそれより2~3年前から自作の詩を温めていたのだとか。ただグルーバーがこの美しいメロディを僅かな時間で作曲したのは、間違いがないとされています。そうして出来上がったこの曲は、クリスマスイブにモール神父のギターとともに彼のテノールとグルーバーのバスソロ、最後には聖歌隊が加わって歌われたそうです。それが「きよしこの夜」が誕生した瞬間だったのですね。礼拝堂の両脇にあるステンドグラスには、生みの親であるヨゼフ・モール神父とフランツ・グルーバーの姿が描かれていました。* * *この礼拝堂のすぐ傍にある「きよしこの夜博物館」では、ドイツ語・英語・中国語で聴くことができます。私はしばし博物館の窓から礼拝堂を眺めながら、3ヶ国語の「きよしこの夜」を楽しみました。ドイツ語バージョンは当時と同じくギター伴奏。そして意外だったのが、中国語で歌われるこの曲も陽気さと神聖さが巧く溶け合っていい雰囲気を醸し出していましたよ。^^
2009.01.08
そして、こちらが「Stille-Nacht-Gedachtniskapelle ~きよしこの夜礼拝堂」です。1818年、きよしこの夜が初めて演奏された聖ニコラウス教会は、ザルツァッハ川の氾濫によって流されてしまいました。今ではこの礼拝堂が当時の面影を伝えています。本当は深い雪に覆われた礼拝堂を見たかったのですが、残念な?ことに この日は雲ひとつない晴天。そして、ひっそりとした村外れに建っていることを想像していたのですが、意外なことに住宅街。けれど、ここが世界で最も愛されるクリスマスキャロルが生まれたオーベルンドルフに代わりありません。それを思うと、それだけで神聖な空気に包まれている特別な場所のように感じました。*「きよしこの夜」が生まれた背景は、('08.09.10日記)で紹介してあります。^^
2009.01.07
2008年12月31日。いつも思いつきだけで旅する私も、この日は「きよしこの夜礼拝堂」を訪ねようと随分前から心に決めていました。ガイドブックには、「オーベルンドルフはザルツブルクから約18km。 ザルツブルク中央駅に隣接する"Lokalbahnhof(地下駅)"から出るLamprechthausen行きのローカル線でおよそ25分、Oberndorf下車。」とあります。はて? どこに地下駅があるのだろう?まずは中央駅のインフォメーションに立ち寄ることにしました。「それなら、駅を出てすぐのところに階段があるから。」インフォメーションの女性は駅入り口に向かって左手を指さしました。 「ダンケ シェーン♪^^」階段はすぐに見つかりました。地下に下りた私は切符売り場へと向かいます。「オーベルンドルフへ行きたいのですが…。」私の言葉を最後まで聞かず、売り場のお姉さんは「ホームはその階段を下ったところよ。」と答えました。はい、はい。私は真後ろにある階段を下りようとして、いやいや切符を買いに行ったんだと思い出し、売り場まで引き返しました。「切符は列車の中で買ってね。」さて列車に乗り、行き先を確かめてみると、オーベルンドルフという名のついた駅が二つあります。『Oberndorf Stadt』と『Oberndorf Bahnhof』。"Stadt"は英語でいう"town"や"city"のこと、"Bahnhof"の意味は"駅"です。私が案内板とにらめっこしていると、車掌さんと運転手さんが乗り込んできました。「きよしこの夜礼拝堂へはOberndorf Bahnhofで降りるといいよ。」「帰りの列車は何時くらいのがあるかしら?」その日私はアウグスブルクへ行く為に、ザルツブルクを13時52分発の列車に乗らなければなりません。その優しい車掌さん。胸のポケットから小さな時刻表を取り出して、「君が帰るのにいい時間帯はここら辺かな~。^^」彼はニコニコ顔でオーベルンドルフ発の時間に印をつけてくれました。 「ダンケ シェーン♪^^」ザルツブルク近郊を走る列車はバスと同じで、降りる前に乗車口近くにあるブザーを鳴らします。人がいないホームでは、乗客が降りない駅には停車しません。オーベルンドルフを目の前に、周りの様子を観察しながら私もブザーを押します。と同時に、先ほどの車掌さんが心配してわざわざ知らせに来てくれました。目と目の合図になんだか嬉しくなっちゃった私です。^^ 「ダンケ シェーン☆」*ザルツブルク - オーベルンドルフ間は往復で7.6ユーロです。*写真は「オーベルンドルフ駅」です。
2009.01.06
『ミラベル宮殿』ミラベルとは゛美しい眺め"の意味。1606年、ザルツブルクの大司教ヴォルフ・ディートリッヒが彼の愛人サロメ・アルト夫人の為に建てたもの。彫刻家ラファエル・ドナーの手による大理石の豪華な階段とそれに続く大理石の広間は当時の宮殿の豪華さを物語り、ここでは既にその当時、父レオポルド・モーツァルトがその子供達ヴォルフガングやナンケルと共にコンサートを行っていました。現在は市長公邸として、また市役所、市立図書館として使用されています。バロック様式の大理石の間では毎晩コンサートが開かれており、また結婚式場としても人気が高いのだとか。そして、「天使の階段」のキューピッドの頭の上に手を置くと、子宝に恵まれるという言い伝えがあります。というのも、大司教とサロメ夫人の間には15人もの子供がいたそうですから~☆* * *一昨年の7月、私は初めてザルツブルクを訪れました。せっかくモーツァルトの生まれた街、毎晩あちこちで開かれるコンサートを鑑賞しようとミラベル宮殿を選びました。その時は、あらゆる国のコンサートチケットを手配してくれる「カーテンコール」さんに予めお願いしました。2008年12月30日。この日、カフェ・ザッハーを目指していた私は、その道中にふらりと懐かしい宮殿内を覗いてみました。かすかに漏れる弦楽器の音色につられて宮殿の扉を押してみたのです。天使の頭を撫でながら足音をしのばせ階段を上っていくと、どうも一時間後に始まるコンサートのリハーサルをしているみたい。「コンサートは8時から始まるのですか?」入り口で準備をしていた男性に声を掛けました。もし今からでも間に合うようならと尋ねてみると、満面の笑顔でチケットを手渡してくれました。自由席の値段は29ユーロ。やはり「カーテンコール」さんに頼むよりも随分と安いですね~。^^*ただ大晦日やニューイヤーコンサートは、直前では手に入りにくいので前もって「カーテンコール」さんをオススメします。ちなみに一年前のホーエンザルツブルク城内でのジルベスターガラコンサートは、8月末の予約でギリギリでした。* * *7時半に開場、私は45分過ぎに到着しました。どこからこれほどの人が集まってきたのかと思うほど、すでに会場は多くの人でざわめいています。最後列に少し空席があるくらいでした。2008年最後となるモーツァルトコンサート。演奏者は、ミラベル宮殿お馴染みの「Twins Quartett」、双子の姉妹2組の四重奏です。彼女達にザルツブルクで有名なバイオリスト「Luz Leskowitz」氏、ピアニスト「Irma Kliauzaite」女史等を加え、モーツアルト作品でも特に親しみのある「アンネ・クライネ・ナハトムジーク」で始まった華やかな演奏と、ミラベル宮殿の大広間の居心地の良さに、"あぁ~、やっぱりザルツブルクは最高だなぁ~"と夢見心地の私。音楽はその後「ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 KV207」、小休憩を挟んで「ピアノ協奏曲第12番 イ長調 KV414」と続きました。暖かく心地よく、大理石の広間の煌びやかな光がまるで輪舞のように回ります。軽く足でリズムを取りながら、す~っと夢の中へ誘われてしまいました。^^;ガクッ!! 途中何度か目を覚ましましたが、次から次へと美しい音色は私を別世界へさらっていきます。曲目は進んでも、私の中では永遠に「アンネ・クライネ・ナハトムジーク」の出だし部分だけが繰り返されていました。そう、すっかり眠りこけていたのです。^^;気持ち良かったなぁ~、、、、、。決して居眠りする為にコンサートに来たわけではありませんが、本当に気持ちの良い2時間でした。夢と現実の境目でゆらゆら泳ぐ感覚を味わいたい方、、、、、ザルツブルクの小コンサートはお勧めですわよ~♪(笑)
2009.01.05
*Sacher Salzburgゴクリ。ザルツブルク空港に降り立った私は、唾を呑みタクシーに乗り込みました。空港から市内まで、車でおよそ10分ほどの距離。金額は12、3ユーロも掛かりますが、荷物の多さと長旅の疲れに負けてホテルまでの往復はいつも贅沢にタクシーを拾います。すでに暗くなった道のりを抜け、街の灯りが賑わいを見せる頃、趣きのある短いトンネルに入ります。その向こうに歴代の大司教の"馬洗い池"があり、装飾看板が可愛らしい通り"ゲトライデカッセ"へと繋がっていきます。そろそろ後ろを振り向くとザルツブルク城が見えてくるでしょうか。。。お城に見とれる間もなく、ザルツァッハ川を挟んで現れる『Hotel Sacher』!「あれがホテル・ザッハーね!」ここで私はいつもドライバーさんにそう声を掛けます。「ザッハートルテはお好き?」この質問も必ずします。「もちろんだよ。」やはりオーストリア人にとって、ザッハートルテは世界に自慢できる代物なのです。^^ゴクリ。対戦日は本日、到着日と決めていました。『ザッハートルテ vs picchuko』第4戦☆*これは、('07.10.03日記)、('08.01.03日記)に続く『トルテ戦争』シリーズです。(*^_^*)ホテルに荷物を置いた後、いざ出陣!ミラベル宮殿に立ち寄って"モーツァルトコンサート"のチケットを購入した私は、それまでの小一時間をカフェ・ザッハーで過ごすことにしました。日本から長時間の飛行を経て、この気だるい感じが程好いのです。気合いを入れて挑んでも、逆に空回りしてしまうことは一年前に証明済みですから・・・。^^;本家ザッハートルテの甘さは、かなりの甘党と自負する私でさえこれまで征服することができませんでした。けれど私にとって、フランツ・ザッハーによって考案された世界に名高いチョコレートケーキ以外は『ザッハー・トルテ』ではありません。(`ヘ´)堂々と現れたザッハートルテは、心持ち生クリームが多くなったような、、、?!砂糖なしの生クリームによって甘さが抑えられるはずなのに、私にとってはいつもそれが裏目に出てしまうのです。(T_T)ゴクリ。「ますます貫禄が出てきたな、ザッハートルテよ。」恐る恐るフォークを突き刺します。美味しい!!!!!(≧ω≦)b えぇ~、こんなに美味しかったっけ~♪(≧ω≦)bやはりザッハートルテは最高です。^^☆今回はパクパク、パクパク フォーク?が進みます。今度こそ勝利は私かな!?(笑)2004年から続くこのトルテ戦争。しかし、なかなか相手もしぶといです。最後の最後、チョコレートの塊に泣きました~。うぅぅ、めっちゃ甘過ぎだよ~。(ToT)本当のトルテ戦争『ザッハー vs デーメル』は裁判決着までに10年も掛かったというのですから、私の戦いはまだまだ"ひよっこ"のようなもの。次回は作戦を変えていきます☆この甘えさを倒そうとするのではなく、お友達になれたらいいかなぁ~なんて。結局、あの甘さが強烈過ぎれば同じことですけどね~。(^。^;)
2009.01.04
「picchuちゃん、ドイツに行ってたんだって?」昨晩のこと、大学時代の友人M地くんから久々にTELがありました。あれ? 年賀状にはザルツブルク行きのことしか書いてなかったのにな...。と話を続けていると、どうも彼はザルツブルクをドイツ領だと思っていたらしい。。。「ザルツブルクはオーストリアなんだよ」と私。 「え~! 俺の周りの人 みんな口を揃えてドイツだって言ってたよ。」 きっと『~ブルク』という地名がドイツを感じさせたのかもしれませんね。^^ちなみに、"ブルク"は砦とか城という意味、"サルツ"は塩です。* * *昨年suhさんから伺った話によると、まだユーロが導入される以前のザルツブルクではドイツマルクが通用していたとのこと。 またその昔は長年の大司教による支配の後、一時期バイエルン王国に編入された歴史もあります。 1816年、ウィーン会議によってオーストリアに併合されました。 ドイツ・バイエルン州に音楽の都ウィーンのエッセンスを加えた街がザルツブルクと言えば、あまりにも単純過ぎる表現になってしまいますが、しかし、どちらにも通じる雰囲気を持ちつつオリジナルな個性を放っている、、、 ウィーンのプライドの高さに憧れながら、歴史の重みを感じるドイツの気高さにも魅了された私の、その巧く混ざり合った空間がザルツブルクのように思えるのです。以前の日記にも書きましたように、それが天才モーツァルトの音楽性を生み出す背景に繋がったのでは、、、と勝手に解釈しています。^^* * * * * * *そのザルツブルクと2000年の歴史を誇るドイツの古都アウグスブルクという2つの素晴らしい街を巡る旅。それらの街の共通点は、そこで出会った人々のなんて素敵な笑顔だこと! なんて表現すればいいのでしょう、特にアウグスブルクで知り合った方々の温かみと深みのある笑顔の数々。人は名誉やお金や権力よりも、こんな豊かな笑顔を持てる回数の多い方がずっと幸せなんじゃないのかな~、なんて真剣に思いました。 いい笑顔はもっといい笑顔を広げてくれますよね。それが日本の皆さんへの一番のお土産になるといいなぁ~、と私も早速 鏡の前で練習です☆(笑)*写真は1/2、ほのかに雪化粧したハルシュタットです。^^
2009.01.03
*こちらは、旧市街から"モーツァルト小橋"を越えて振り返った眺めです。【'09.01.03】ねっ、溜息が洩れそうな美しさでしょう。(*^―^*)確かこの小橋は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中で、ピクニックへ行くマリアと子供たちが歌いながら渡るシーンに登場しましたよね。^^私にとっても大のお気に入りの風景です。つるんっ☆w(☆o◎)w今回は、橋の表面が凍っていた為に、二度も「おわっ!」と叫びながら滑りました。ホーエンザルツブルグ城塞を背景にして、どこか愁いを秘めて歩く絵になる女性、、、残念ながら、私には到底無理な話なのでしょう。。。おほほ。^^;
2009.01.02
何度私は同じ景色をカメラに収めれば気がすむのでしょうか。ホーエンザルツブルグ城塞は何度私を魅了すれば気がすむのでしょう。。。*:*:*美しい街ザルツブルグ*:*:*誰が言ったのか、『ホーエンザルツブルグ城塞はまるでザルツブルグに被せた王冠のようだ』と。空から写されたザルツブルグ市街を見ると、まさにその言葉通りだということが分かります。この写真は1/3の9時半頃、新市街から旧市街に向けて「マカルト小橋」から見た景色です。朝日を浴びたザルツァッハ川と古城ザルツブルグ城は、思わず額づかずにはおられないほどの美しさでした。* * * * * * *まずはこの旅の行程を。◆12月30日(火)18:00 ザルツブルグ空港着18:15 Hotel Mozartチェックイン18:30~ ミラベル庭園散策19:00~19:40 『Cafe Sacher』・・・"ザッハートルテ vs picchuko"第4戦!20:00~22:00 『ミラベル宮殿・大理石の間』にて「モーツァルト・コンサート2008」を鑑賞◆12月31日(水)8:50 ザルツブルグ中央駅へ9:00~9:25 ローカル線にてオーベルンドルフ村へ9:50~11:00 『Stille-Nacht-Gedachtniskbpelle~きよしこの夜礼拝堂』&『きよしこの夜博物館』11:00~11:45 対岸のドイツを眺めながらザルツァッハ川沿いを散策☆初・徒歩での国境越え!(o^―^o)11:45~12:20 カフェにてランチ&ブログ更新(笑)12:49~13:15 列車に乗りザルツブルグへ14:10~16:30 列車QBBにてドイツの古都アウグスブルクへ到着後、まずはアウグスブルク在住のsuhさん宅で手作りケーキとコーヒーで一息(suhさん、最高に美味しく戴きました! ご馳走さまでした。^^/)18:00~21:00 『アウグスブルク市立劇場』にてオペラ「セビリアの理髪師」を鑑賞その後、市内を散策しながらsuhさん宅へ22:00~0:00 ディナーにチーズフォンデュを戴きました。(suhさんのご主人、ドイツ人のTさんの豪快で美味しそうに食べるお顔が印象的でしたよ~。^^☆)0:00~0:30 suhさん家とご近所さんとの花火大会0:30~3:00 お喋りo(^^)o◆1月1日(祝)~9:30 朝食9:45~16:45 アウグスブルク市内を北から南へと散策この街もザルツブルグに勝るとも劣らず魅力溢れるところでした。詳しくは後ほど。^^/・『モーツァルトハウス』===こちらは、モーツァルトのお父さん"レオポルト・モーツァルト"の生家です。・大聖堂・市庁舎のレストランにてランチ・フッゲライ・市庁舎『黄金の間』・マクシミリアン通り・聖ウルリヒ&アフラ教会・ローマ博物館17:00~17:30 バーガーキングで一服 ^^17:42 アウグスブルク発20:10 ザルツブルグ着◆1月2日(金)9:08 ザルツブルグ発Attnang-Puchheim~アットナンク・プッハイムで乗り換えて、湖畔の街『Hallstatt~ハルシュタット』へ11:40~12:50 ハルシュタット散策・カトリック教会&納骨堂『バインハウス』13:00 ハルシュタット発13:30 『Bad Ischl~バード・イシュル』着===ハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフお気に入りの温泉地。13:50~15:10 皇帝の別荘『Kaiservilla~カイザーヴィラ』(ここは予想外に歴史的意義のある場所でした。@@;)15:40 バード・イシュル発18:20 ザルツブルグ着◆1月3日(土)8:00~10:00 ザルツブルグ旧市街散策その後、空港へ11:45 後ろ髪引かれながらザルツブルグを後にしました。(;_;)*この旅では、suhさん、そしてご主人のTさんに大変お世話になりました。お二人のおかげでこれ以上にない2009年の幕開けとなり、感謝と感動でいっぱいです。本当にどうもありがとうございました。* * *「ザルツブルグ・・・運命の地なんですかね。」広島在住のNくんからの年賀状にそう書かれてありました。そうですね。運命の地、本当にそうあって欲しいと願っています。* * * * * * *皆様、明けましておめでとうございます。今年も相変わらずpicchuko節でブログを続けていきたいと思います。^^何卒、本年も宜しくお願い申し上げます。
2009.01.01
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