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万雑520_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(
大伴家持_10)
引き続き、天平十六年(744年)春二月、安積皇子(聖武天皇の子)が十七歳で亡くなった時に、家持が作った歌6首の内の残りの3首(長歌と短歌2首)です。この3首は2月24日に作ったものです。
478_「かけまくも あやに恐し わが大君 皇子の命 もののふの 八十伴の男を 召し集へ あどもひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起こし 夕狩に 鶏雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山 木立の茂に 咲く花も 移ろひにけり 世の中は かくのみならし ますらをの 心振り起こし 剣大刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蝿なす 騒ぐ舎人は 白たへに 衣取り着て 常なりし 笑まひ振舞 いや日異に 変はらふ見れば 悲しきろかも」
※_
「心に掛けて思うことも、まことに
恐れ多いことである。我が大君安積皇子さまが、あまたの臣下のますらおたちを、呼び集め引き連れて、朝の狩に獣を踏み立て起こし、夕べの狩に鳥を踏み立て飛び立たせ、ご愛馬の手綱を控え、眺めては御心を晴らされた、活道山の木々の茂みの中に咲く花も散ってしまった。世の中は、かくも無常のものであるらしい。ますらおの心を奮い起こし、剣大刀を腰に取り佩き、梓弓を手に靫を背にして、天地と共に永久に、万代までもこのようであればなあと、頼みにしていた皇子の宮殿の、(五月蝿なす)活気に満ちて仕えていた舎人たちは、真っ白に喪服をまとい、いつも絶えることのなかった笑顔も振舞いも、日ごとに変わって行くのを見ると、悲しいことだ
」
と歌っています。
反歌2首;
479_「愛しきかも皇子の命のあり通ひ見しし活道の道は荒れにけり
」
※_「ああ悲しいことだ。安積 皇子が常に通ってご覧になられた、活道の道は荒れてしまった 」 と歌っています。
480_「大伴の名の負ふ 靫帯びて万代に頼みし心いづくか寄せむ 」
※_「 大伴氏の、名誉ある 靫を身に付けて、万代までもと頼みにしていたこの心を、今後はどこに寄せたらよいだろうか 」 と歌っています。
備考;大伴家持の経歴と関連する出来事
養老2年(718年)ころに生まれた
天平10年(738年)内舎人としてお目見え
天平11年(739年)6月;家持の妾が死去
天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕
天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去
天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任
※_越中国在住中の歌が223首ある
天平勝宝3年(751年)に帰京
天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる
天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任
※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です
天平宝字6年(762年)に帰京
天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ
神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ
神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)
延暦4年(785年)_8月28日死去
家持の作った歌の掲載巻別の歌数;
巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)
巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)
巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)
巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)
巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)
巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)
巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)
巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)
巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)
以上
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