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明日は帰国の日。荷物の整理がほとんど終わりお昼も過ぎたのでピッピを探しに行った。最初に隣の空き地を探そうかと思ったが、あの草深い中にピッピがいるはずがない。散歩の時もまずモートンの家に行こうとしていた。だから向かいの彼の家を訪ねた。家の裏を見せてくれないかというと彼は快くもちろんと答えてくれた。
ワシは家の左側、妹は裏を見に行った。そしてすぐに「ピッピがいた!」と妹が叫んだ。家の中央にある室外機の下だろうか、小さな屋根がついていて雨も風もしのげる場所だった。そこへ手足を伸ばして横になっていた。それだけ見れば気持ちよく昼寝をしていた、そんな感じだ。
妹は最初死んでいると思ったらしいが、「ピッピ」と呼ぶと小さな声で答えたらしい。桜色が自慢だったピッピの唇は黄色くなり、肉球も黄変していた。タオルに来るんで抱きかかえ、モートンにお礼を言って家に戻った。
ピッピが安心して眠れるところがどこなのか、ワシにはもうわからなかったけれど、以前よく寝ていた電子レンジの下がいいという妹に従ってピッピを寝かせた。ティッシュに水を含ませて乾ききった唇をぬらしてあげるとピッピは目を覚まして一度体の向きを変えた。
そっとしておこうということで、ワシは荷物を出しに出かけた。そして郵便局で送り状を書いているときに妹から電話があり、ピッピが死んだことを知った。
昨日の朝はちょっと雨が降ったけれど、その後今日の昼間まで本当にいい天気で、久々に青空と白い雲を見た。ピッピの外出を神様がプレゼントしてくれたような天気だった。まぶしい光の中、庭のレモングラスの陰でピッピがよく寝ていたところへ埋めてあげることにした。普段めったに外に出ない母猫のミルが出てきて、土を掘っているワシらを座ってみていた。そして、普段絶対に行かない犬のケージの近くへ行き、母猫が子猫を呼ぶ声で何度か鳴いた。そこはワシのベッドの上にいるピッピの一番近くだった。
その時、ワシはピッピがいつものように大きく伸びをして白い雲に駆け上がって行ったような気がした。ミルもそんなピッピに声をかけたのかもしれない。ピッピは欲望に忠実な猫だから、青い空と白い雲に行けるとわかったらさっさと遊びに行ってしまったのだ。未練なんて微塵もない。10才を超えているのに子猫のような毛と無邪気さを残していたピッピ、会えないのは寂しいけれど、ピッピはもう次のところで楽しくやっている。「遊んでおいで」と送り出した気持ちだ。
3月に腎臓病が発覚してから4ヶ月。ワシがとったピッピへの治療について後悔する部分もある。でも長生きさせるだけがピッピの幸せではないと、それがいつも心にあった。体に悪いとは思っても、ご飯を食べさせたい一心で何度も鶏のササミやマグロのお刺身を買いにセントラルやジャンクセイロンへ通った。ピッピには沼や草の茂みに入らされてとても怖い思いをしたけれど、今はピッピとワシの大切な思い出になった。沼の浮き草の上でピッピはワシだけを見つめていた。ツルに巻きついた時、ピッピはワシに助けを求めた。ピッピは家が嫌で出て行ったのではない。家の延長にある快適な場所へ行っただけ。だからワシらがすぐ探し出せたのだ。だから家で最期を迎えてくれたのだ。
今回、ピッピのことで改めて友だちの暖かさを感じた。妹やワシ、そしてピッピを見守ってくれた皆さん、本当にありがとう。プーケットの思い出をまた一つ増やすことができました。皆さんの友情にピッピともども心から感謝します。ありがとう。 http://phuket-gobutama.blogspot.com/2007/07/blog-post_13.html#links