日本語はダメか2

日本語はダメか2

2008.08.20
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カテゴリ: 期待 勝敗

スマイル完全に裏をかかれた!!

 鼻歌交じりにTVの前に陣取った。金メダル一個追加、とばかり。

 あっという間に負けた。100キロ級の鈴木桂治選手。その鈴木桂治選手に勝ったモンゴルの選手が勝ち進み(優勝)、鈴木選手は敗者復活戦に回った。が、そこでも初戦敗退。

 目を疑った。
 信じられなかった。
 まさかまさかまさか。

 鈴木は引退をほのめかしているが……。
ぶったまげた、ショックだった、この衝撃からどうやって抜け出したらいいのだろう、とそのときは本気にそう思った。

 ライブドアニュースその他に意見があった。それらを読んだ上で、考えをまとめてみたくなった。

無名でももっと強い選手がいるはず、だとか、「金を取れる」選手を選んだのが悪い、とかの意見もあった。その意見の中身は、谷亮子を差しているのでもあろう。国内選考会では優勝を逃している……。これまでの実績と体験から選ばれた……。
 では鈴木は?
 こちらは選考会を勝ち抜いている。


 どちらがただしいのだろう? 
 なるほど、とも思った。突っ張り合い、どつきあって、互いの柔道着を持って組もうとはしない、これでは柔道着はいらないではないか、とも思った。柔道着を着たレスリング。
殴り合い、蹴飛ばし合い、噛みつき合い――をしないだけだ、いっそのこと、それを取り入れたらどうだ……とさえ思った。

 戦国の殺気の残る柔術


 世界柔道連盟には日本人の役員はゼロ。しかもその本部は韓国にある、という。

 礼を重んじ、相手をたたえる、という「美」の崩壊かもしれない。 
 ではいっそのこと、柔道を柔術に戻したら良いのでは、とさえ思いたくなる。
 耳に噛みついても良いのだ、玉を蹴飛ばしても良いのだ、目玉に指を入れても良いのだ、ベロをかみ切っても良いのだ……。それが、戦国の気風の残った<殺すか殺されるか>の柔術だった。 
それではならぬ、と柔術諸派を集大成して近代柔道を興した。それが講道館柔道、と呼ばれている。始祖、嘉納治五郎。ニッポンにおける初代IOC委員。


 グジグジと考えていた重苦しい雰囲気がひとまずは和らいだ。
100キロ超級で21歳の石井慧が勝った!!
ニッポン柔道!!! 
勝利の後のインタビューでの発言は、まだまだ幼かったが。
 枠にとらわれない奔放な19歳がいた。

 だが、単純に喜んではいられなかった。終了直前まで「勝ち」を手にしたままなのに、あっという間に「一本」で逆転されてしまった塚田真希選手。銀は、それそれは尊い。だが、ココロはしめったままだった。涙もこぼれなかった。
相手の中国選手、何度、帯がゆるんだことか、何度、結びなおしたことか。あれはスタミナ温存の裏手だ。ユルオビだ、新語だ。
 汚い、きたない、キタナイ。
無礼だ無礼だ。
 嘉納師範は、これをもっとも嫌った。ああ、この言葉も今や、死語。

審判はどうしてもっと早く注意をしなかったのだ。審判のレベルも低下。
 判定に不服で、表彰台には上がったが、銅メダルを床において去っていったスェーデンの選手もいた。メダルは剥奪され、記録は抹消された。
 バベルの塔を出てバブルの谷底を歩いた灰色の<柔道着>の関係者たち運営者たち威信維持者たち。

 柔道には直接の関係はないが、いろいろな<演出>が話題になっている北京五輪。
 開会式で口パクで歌った少女、提出した計画も、共産党上層部の意見で大幅に変更させられた演出家、その他いくつも浮上している。

 中でも、あっ、やった、と思わせられたのが、「民族団結」の<演出>。開会式で「中国の56民族を代表する」と紹介された56人の子どもの多くが、少数民族の衣装を着せられただけの漢民族、などなどのニュース。

嘉納治五郎師範(1860~1938)よ、古代オリンピックの復興を提唱し、1896年に第一回大会(アテネ)を開催したピエール ド クーベルタン男爵(1863~1937)よ。

 その祖国フランス、日本の三倍の柔道人口を持つフランスも惨憺たる結果だった。
 と言うことは……。組み合ってワザを競う、という柔道の崩壊?

 投稿している人たちの声の中には、本当に様々な意見があった。
 もちろん、下品な意見も文章も。


 これは、果たして「柔道」と「judo」の争い、とだけ見ていていいのだろうか。ルールの問題、体力・腕力の問題、を遙かに超えているのではないか。死闘の中にも、相手への尊崇の念がある、ただ勝つのではなく、勝った姿も大事、と嘉納師範の考えに戻っていく……!?!?

 だが、それで勝てなくなった?? と思いはぐるぐると回る。

 鈴木は、ただ弱かった、ということ? 塚田は詰めが甘かった、まだ未熟だった、ということ? 「勝てる」と期待しすぎた反動で日本人がこの自分が泣いている、ということ? 勝つ者は勝つ、ということを直視したくないだけのこと?

「弱い柔道」を「強い日本の国技の柔道」として復活させるには、外国人のコーチを呼ぶべきだ、他のスポーツと同じように、などの指摘もささやかれている

 他のスポーツと同じように? 柔道が? 日本の柔道が?


 突飛すぎるが、ふと思った。原爆やマンモス軍備の恐怖にさらされている地球人、ジェット戦闘機が飛ぶたびに空気が減っている現代、武器に頼らないで肉体で戦うとはどういうことか、いやいや、そもそもなぜ殺し合いはなくならないのか、血はいつまで無駄に流されるのか、軍備の拡張はどこまで続くのか、生き延びるとは何か、人類はいつまでここにいられるのか、を問われているのではないだろうか、ボタンを押すのも、ヒトがやるのだ、その一個一個の能力はどうか、を問われているのだ、と。
            柔道二段 敗者復活戦の畳の上で





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最終更新日  2008.08.20 17:11:05
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