日本語はダメか2

日本語はダメか2

2009.01.20
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 数ヶ月後に安く売り出された。
 それを購入した男。妻と二人で13年間愛用のベンツに乗ってドライブに出かける。
 カーナビの案内通りに走っているうち、妙な道に入り込んでしまう。
 真っ暗。
 あるいは桜吹雪。

 やがて死者の群れが車を取り巻く。親類縁者がぶら下げ振り回しているのは生首。


 これが生徒さんの作品(30枚)の粗筋だが、何を書こうとしたのだろうか。

 最後は「稲妻が、谷底に落ちていくシルバーのベンツを照らし出した。/一瞬後、すべては闇に閉ざされた。」と締めくくられるのだが、何を書きたかったのか、何も読み取れない。

 ひょっとして、遺作? 遺言?

 そんなことはあるまい。
 作品とは、魂鎮めである。鎮魂である。作品は「寺」「神社」である。
 登場人物のための、そして自分のための。

「死」は重要なキーワードである。
 だが、それは「生」を描くための土台でなければならないだろう。場合によっては、言葉が悪いが、狂言回し。
 いや、百歩譲って、死そのものを書いたとしても、作者の独特の視点から書かれない限り、思いつきで終わってしまう。
 やはり、やがては「生」を浮き上がらせるための仕掛けが含まれていなければ無意味だろう、傲慢だろう、不遜だろう。「生」そのものを書くのさえ難しいのに、「死」を十分に書くことが可能だろうか。

 希望が欲しい。救いが欲しい。
 なぜ、死者たちの言いなりになったままなのだろう。<無条件>で。抗いもしないで。

 いつも、行く先を決めずに出かける夫を疑わない妻をだまして。
 でも、なぜ?
 その辺が何も伝わってこない。
「死」をもてあそんではいけない。いわんや「生」を。

 あり得ないことを書いてもいい、空恐ろしいことを仕組んでもいい、しかし、それはあくまでも「生」を見つめるためでなければならない。


「題材」と「文章」。これが作者の「哲学」「思想」によってしっかりと手を結ばなければ、ただの思いつき、ただの妄想。


 3月の土曜日、4回の「文章教室」の提出原稿が送られてきた。
 明日から、一回目の「読み」に入る。そして、もう一度。そして、当日にもう一度。
 書き手はどこにでもいる、いつでもいる。








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最終更新日  2009.01.20 06:21:03 コメントを書く


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