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エストニアの首都タリン。ここは中世にハンザ同盟で栄えた都市。旧市街地域は世界遺産に登録されている。この旧市街地のほぼ中央にあるのが旧市庁舎。高い塔を持ち、建物の上部からは竜が頭を出している。 真ん前は市民の憩いの場であるラエコヤ広場。中世のころは市場が出ていたところとか。この旧市庁舎の直ぐ裏手ヴァーナ・トゥルグ通りにあるレストランでツアー最後の昼食をとった。「PEPPERSACK」というそのレストランは、入り口の上に名前の通り胡椒袋が軒からぶら下がっている。また、大きな黒胡椒と赤胡椒も外壁に取り付けられている。ここの人たちは中世のいでたちでサービスに回っている。2階では、暇な従業員であろうか剣げきの練習もしていた。聞くところによると俳優志願者が多いとのこと。イケメンが多いので入り口でポーズをとってもらう。この店の直ぐ前には「オルデ・ハンザ」というハニーピーナッツの屋台が出ており、通行人にサンプルを木の大きなスプーンで渡していた。おもむきのある屋台だ。
2005.09.23
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ラトヴィアの首都リーガの中央市場。旧市街より歩いてリーガ駅横の地下道をくぐり、右へ曲がるとこの中央市場だ。カマボコが5つ並んだような建物で、ドイツのツェッペリン飛行船の格納庫だったということであった。日用雑貨から生鮮三品、お菓子・チョコレート、乾物、蜂蜜など特に食料品の店が多く、商品も豊富。ものすごい混雑。活気にあふれていた。(以前の記事 -蜂蜜酒って知ってますか?- も参考に見て下さい)この市場の一角に大きなジャムの専門店があった。そこで買ったのが下の写真のこけもものジャム。可愛いバケツ状のプラスチック容器に入っていた。取っ手が付いており、ちょいと持つのにとても便利。 大きさは直径9センチ、高さ7センチくらい。食卓の上に置くのに丁度手ごろだ。プラスチック容器なので、ただ単に蓋がかぶさっているだけと思ったのだが、さにあらず。 ちゃんと機械で蓋と本体を成型してあり、それを外さないと蓋が開かない仕組み。たっぷりと入たジャムが外部に漏れるおそれはない。香りもよく、舌触りも滑らか、甘みも適度でとても美味しいジャムだった。
2005.09.17
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今年の4月、カウナスからラトヴィアの首都リーガに向かって北上して行った。途中ラトヴィアとの国境を接するアウシュタイティヤ地方のシャウレイというところにある「十字架の丘」に立ち寄った。小さな丘にびっしりと立てられ、あるいは置かれた大小さまざまな十字架、異様な雰囲気である。入り口手前には、十字架やロザリオを売っている屋台が10軒近く並んでいた。案内本の「地球の旅」によれば、最初の十字架は1831年ロシアに対する蜂起の後、処刑、流刑にされた人々のために立てられたらしい とのこと。ソ連時代この丘は禁場とされ、KGBと軍は何度もなぎ倒したり、焼きはらったりしたらしい。しかし、その都度人々は、夜陰にまぎれて、新たな十字架を立て直し、今日に至っているようだ。この丘は縦に一本割合広い道が通っており、それに交差する横の道が何本かある。無数の十字架がそこかしこに置いてあった。丘から降りてくると、一家がお祈りを捧げているのが見えた。身内に不幸があったのか、あるいは今日はヨハネ・パウロ二世の葬儀の日、法王を悼んでのお祈りなのか。丘の右手の平地に簡易トイレがいくつかあるが、とても汚いそうだ。直ぐ後ろに小川が流れている。男性は野外の方が良さそう。
2005.09.16
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カウナスはヴィリニュスに次ぐリトアニア第2の都市。第1、2次大戦間の22年間は首都になっていたところとか。旧市街にはカウナス城、旧市庁舎、聖ペテロ・パウロ大聖堂などがあり、町並みも綺麗で歴史を感じさせる建物が多い。訪れた日は前法王ヨハネ・パウロ二世の葬儀の日だった。旧市庁舎のそばにある学校では校庭でミサが行われていた。そのためか学校は半ドンのようで、お昼には学生・生徒が三々五々帰宅の途についていた。ところで、カウナスといえば日本人にとって忘れることができない人物で有名だ。杉原 千畝氏。 カウナス日本領事館の領事代理だった人。1940年7月ナチス・ドイツに追われたユダヤ人に、日本本国からの指令に反して、日本通過ビザを発給し続け6000人に及ぶユダヤ人の命を救った人。本国の指令に反すればどういうことになるのか、重々承知の上で自分の信念を貫いた気骨の日本人だ。昔は凄い人がいたものだ。「1935年ソ連より長春以北の北満鉄道が満州国に移譲された際、この協定の実質的交渉にあたったのが杉原 千畝氏だった。彼は当時のソ連の情報に詳しく、ソ連側が出してくる条件をことごとく論破して、日本側を有利に導いた。その後、日本政府よりモスクワ駐在を命ぜられるが、ソ連は入国を拒否し、やむなくヘルシンキ勤務後、リトアニアの領事館開設でカウナスに赴任、運命の日を迎える。」ということを何かの本で読んだことがある。1969年、難民時代に杉原氏が助けたバルハフティク・イスラエル宗教大臣からイスラエル政府の勲章を受賞。1974年、「イスラエル建国の恩人」としてイスラエル政府より表彰を受ける。1985年には、「諸国民の中の正義の人」としてイスラエル政府より表彰を受ける。この翌年、1986年死去、享年86歳。ということで、杉原氏存命のうちにその行為に対する感謝・賞賛を受けて本当に良かった。この領事館は現在杉原記念館として保存されており、日本人はもとより多くの観光客が訪れているようだ。隣には日本文化研究センターが開設されている。
2005.09.14
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旅先特に外国の旅先で、ふくろう の焼物があったら買うことにしている。値段が安くて、可愛いのを探す。これがまた楽しみのひとつ。今年の4月リトアニア カウナスのダウンタウン、聖ペテロ&パウロ大聖堂の前の道ヴィリニュウス通り。 がらんとしたガレージ風の家の中に出ていた店(ほとんど屋台)で可愛いふくろうを見つけた。上の写真の真ん中のがそうだ。ここのオバサンがいろいろ探し出して見せてくれたものの一つだ。1つだけでは寂しいので、両脇を固めた。みんな高さは4センチぐらいのチビちゃん。左側はベルギー ブルージュで買った卵の中のふくろう。 おもしろ~い。右側はオーストリア ウイーンの森の地底湖の入り口にある売店で見つけた。ふくろうかと思ったが、買ってから良く見ると鷲 イーグル だった。いかめしいが可愛い。
2005.09.06
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エストニアの首都タリンの旧市街、権力の中枢機関のあったトームペア(現在も大統領府があるが)の北のはずれの高台。この高台は下の商業地域や一般市民の住居、遠くにバルト海が見える格好の展望台だ。この近くにはみやげ物店が密集している。とある店に入った。ご当地のみやげ物がずらり並んでいるそのはずれに、ひっそりと置かれていたのが、写真のペーパーウエイトだった。どこにでもあるような丸い平らな石に、バルト地方でよくみられる赤い尖塔のお城の絵。タリンの旧市街のどこかを描いたものであろう。なかなかの出来だと思う。裏側には作者のサインが銀文字で書かれている。現在は我が家の机の上へと居場所が変わった。
2005.09.04
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リトアニア ヴィリニュス旧市街 聖アンナ教会の真ん前の小路をピリエス通りに向かって歩く。琥珀博物館を右に見て少し歩いたところにあるお店。ふとウインドウをのぞくと、こっけいな姿のワンちゃんがぶら下がっていた。面白そう! 思わず中へ入る。ワンちゃんは土鈴だった。 振るとリンリンと硬質な綺麗な音で鳴る。見るほどにかわいい。このお店はこのような焼物のアクセサリーの専門店。ほかにもいろいろな姿の動物たちが、所狭しと並べられていた。家内はネコちゃんのナプキンホルダーを、娘のおみやげに買った。これもユニークな姿だ。日本では見られない、面白いデザインの動物たちで満ち溢れた、楽しいお店だった。
2005.09.03
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ラトヴィアはバルト3国の中央に位置する国。北がエストニア。南がリトアニアになる。その首都リーガの旧市街地ですごい看板を見つけた。スミルシュ(Sumilsu)通りだと思ったが、お店の外壁に褐色の漆喰で作られたと思われる女性の顔がデーンと飾られていた。日本の「かに道楽」の看板もなかなか見事なものだと思うが、しかしこちらの方がはるかにクラシック調で芸術的。アルカイックな感じ。見とれしまって、何のお店か確認し忘れてしまった。
2005.08.26
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エストニアの首都タリンの旧市街のライ(Lai)通りだと思う。面白い看板を発見した。走る狼に裸の女性がかじりついて乗っている。 勇壮 かつ なまめかし~い。パブの看板だ。 最初のエストニアのパブ とある。その店の名前がまたすごい。 「Hell Hunt」だと。
2005.08.25
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リトアニアの首都ヴィリニュスの旧市街地域にある琥珀博物館。博物館といっても個人経営の、琥珀を販売するお店。このお店の地下に、なるほど博物館らしく琥珀の原石がどのようなところで採れるのか、どのような形状をしているのか をリアルに展示してある。ここのお店のマーク(看板)がユニークだった。(上の写真)場所はゴチック建築で有名な聖アンナ教会(16世紀後半の建築)の前に小さな広場があるが、その先の路地を入ったところ。割合良さそうな琥珀が商品として置いてあった。トイレを借りるのにも良い。 OREO&MILK さんのブログにはバルト3国に展開するスーパーマーケットRimiのきれいなロゴマークが出ています。Rimiへのリンクもされています。
2005.08.24
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リトアニア ヴィリニュスの大聖堂は堂々とした荘厳な感じの建物である。正面の屋根の上には3聖人の像があり、これらをふくめて教会内外には多くの彫刻が飾られている。また、パイプオルガンのパイプの上にも像が飾られており、優美なオルガンの姿を見せている。 ここから北東方向へちょっと離れた場所にある「聖ペテロ&パウロ教会」は彫刻の教会といわれるくらい漆喰彫刻が建物内部の天井や壁に豊富に飾られているし、優美なパイプオルガンも見ることが出来る。一寸見でしかないが、リトアニアの教会は彫刻とオルガンが非常に良く整備されて保存されているという印象を強くした。これも国民の深い信仰心の表れであろうか。
2005.08.02
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バルト3国の一つラトヴィアの首都リガでの宿泊は「ホテル リガ」だった。丁度 国立オペラ座のすじ向かいにある。 遅い夕食が終わってホテルに戻り、ホテルからの夜景を見ようとカーテンを開けると丁度いまオペラ座がはねた直後、多勢の人が出口から出てきたところだった。明くる日オペラ座へ行って見ると、入り口脇に4月公演のプログラムが貼ってあった。 昨晩はヴェルディの仮面舞踏会だったのだ。それによると、4月は2日から始まって、3、5、6、7、8、9、10、12、13、14、15、16、17、21、22、23、24、29、30日と連日のようにプログラムが組まれている。管弦楽の演奏あり、バレーあり、オペラあり、タンゴありでさまざまな出し物が続いている。オペラだけでもナブッコ、仮面舞踏会、魔笛、スペードの女王、ジェヌファ、アイーダ、トスカ、アキスとガラテア(これはヘンデルのオペラで、2晩続けて同じ出し物)などバレーは 海賊、白雪姫と7人の小人、眠れる森の美女、白鳥の湖、ロメオとジュリエット がかかっている。随分充実しているようだ。階段を登って人が劇場内に入っていく。私も入ろうとしたら陰に隠れていた番人が飛び出してきて「だめだ」という。「なぜだ」と言っても「だめだ」の一点張り。オペラ座の入り口がどの位豪華なのか見ようと思ったのに。けち! 昨年スエーデンのストックホルムのオペラ座じゃ「どうぞ、どうぞ、写真も写して結構です」と言ってくれたのにね。なにか理由があったのかも?
2005.07.19
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バルト3国の一つ"エストニア"の首都タリンの郊外にある野外演奏場だ。5年に1度行われる歌と踊りのエストニア最大の祭典の会場となっている。ある旅行社が1999年にこの祭典参加の旅行案内を出していたので、次回は2009年になるのだろう。半円形のところがステージだ。1988年9月11日、エストニアの各地から30万人の人々がここに集まり、ソ連によって禁止されていた自国の歌の祭典を開いたことが独立につながったといわれている。写真は今年(2005年)の4月のもの。地面はまだ雪解けの水でジメジメしていた。客席からステージへは自然の地形を利用して、なだらかな下り勾配となっている。その小高い部分の一角に大きな銅像があった。誰なのか、どういう功績のあった人なのかは聞き逃した。なお、エストニアについては次のサイトがくわしい(出版元:エストニア共和国外務省)。 おすすめ! http://www.estemb.or.jp/failid/462/Jaapan.pdf私もこれを見てから行けばよかった。
2005.07.18
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ラトヴィアのリガ大聖堂にはヨーロッパ随一といわれるパイプオルガンがある。大聖堂の建築は1211年とかと聞いているが、最初のオルガンは1601年の建造、後期ルネサンス様式の木彫りで全体が装飾され、それが現在も中央部分に残っている。その後、1884年に新しいオルガンが作られ、その後何回か修復が重ねられて現在に至っているとのことである。特に第2次世界大戦での傷みがひどかったらしい。パイプは木製と金属製のものを合わせて合計6718本、短いものは7~8ミリ、長いものは10メートルにも及ぶとのことである。ガイドさんの話では、世界一の大オルガンだ と自慢し、だが最近これを超えるオルガンがアメリカで造られたが、音は「not very good」だと言って、みんなを笑わせた。 ガイドにここのオルガンで演奏したCDはないのかと訊くと「ある」との返事。教会内のCD売り場に連れて行ってくれた。そこのオバサンがリコメンドしてくれたのが写真のCD。オルガン独奏のほか、ホルンとの合奏、オルガン伴奏によるメゾソプラノ独唱(カッチーノのアヴェ・マリア)、室内合奏団との協奏曲など8曲70分の演奏が収められている。特に私がいいなと思ったのは、バッハのトッカータとフーガニ短調サン・サーンスのロマンスヘ長調(ホルンとの合奏)これは曲もオシャレだし、ホルンもすばらしい。ブクステフーデのトッカータニ短調 いい曲。演奏も素晴らしい。重低音が部屋の壁を揺さぶるヘンデルのオルガン協奏曲 特に第2楽章がすごく優美。全体的にオルガンの音が柔らかく感じる。とくに中高音から高音がとても柔らかくていいなと思った。(1997年の録音)いい買い物をしたと思っている。かなり前のこと、スペインのバレンシアの大聖堂(ドゥオーモ)、たしかコロンブスのお墓が中にあるとてつもなく大きな教会だったと思う。私はここのパイプオルガンのほうがリガのものより大きいのではないかと思っているのだが(パイプやストップの数でリガのほうが勝っているのかもしれない)、パイプの先に高音を拡散するためのデフューザのような形状のものが付いており、これはさぞかし良い音がするのではないかと思った。そこで教会の売店で「ここのオルガンの演奏のCDはないのか」と訊いたところ、「ここのオルガニストが弾いた別のオルガンのCDならある。しかし、ここのオルガンのCDはない」といわれ、がっかりしたことがある。したがって、今回のCDもここの教会のオルガンの演奏にこだわった次第。このリガの大聖堂はWebで検索する限り、入場は出来ないという記述が多い。しかし、現在は入場料を払えば入ることができるようである(事実我々も入れたのだから)。 また、切符売り場の入り口に積んだあった印刷物を貰ったところ、オルガン演奏会の4月分のプログラムで、毎週金曜日の午後7時から演奏会が開かれている。ちなみに4月1日はデクスニスのオルガンでラトヴィア・フィルハーモニーとの協演だった。このオルガニストはCDの最初に出てくるバッハのトッカータとフーガニ短調を弾いた人だ。私の住んでいる神奈川県でも「みなとみらいホール」や「県民ホール」で無料のオルガン演奏会をやっているが、とてもよい企画だと思う。ぜひ続けてやって貰いたいものである。
2005.07.16
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今年の4月に行ったバルト3国のラトヴィアの首都リガに、かってリヒャルト・ワグナーが2年ほど住んでいたという住居が現存している、ということを現地の英語ガイドから聞いた。ちょうど「カリチュ通り」というメイン道路を歩いているときだった。指差してあそこがそうだといい、そのまま通り過ぎようとしたので慌ててその家の前まで駆けていって写真を写してきた。「カリチュ通り」と「ワグネラ通り」の交差点から「ワグネラ通り」へ3軒ぐらい行った左側にそれはあった。現在はコンサートホールになっているとのことだが随分小さい。左隣は工事中のビル、右隣は海鮮のレストランのようだった。ワグナーが住んでいたから「ワグネラ通り」と名前を付けたのであろう。ああそういえば、「地球の歩き方」にそのようなことが書いてあったなと思い出した。それによると「(前略)この通りの4番地に1837年から2年間住んでいた。彼がリーガに来て、また去っていった理由が負債から逃れるためだったというのは有名な話。(後略)」とある。ガイドに「この2年間に、なにかオペラを作曲したのか?」と訊ねると「Frying Dutchman」という返事が返ってきた。「さまよえるオランダ人」はここで作曲したんだと納得して帰ってきた。帰国してから一応調べてみた。「ワーグナーの歌劇な部屋」さんによると次の通りであった。 1836 23 歌劇「恋愛禁制」をマグデブルクで初演するが失敗。 ケーニヒスベルク劇場と契約。 ミンナ・プラーナーと結婚 1837 24 ケーニヒスベルク劇場の指揮者に任命される リガ(ロシア領)の町劇場と契約。 1839 26 リガ劇場解職。パリに移住。 1841 28 歌劇「オランダ人」完成。 1843 30 歌劇「オランダ人」ドレスデンで初演。 王室ザクセン宮廷指揮者に就任。 とあった。 マグデブルクはベルリンの西南 旧東ドイツ地域、エルベ河畔にある都市。 ケーニヒスベルクはバルト海に近いリトアニア,ラトヴィアでさえぎられているロシア領の飛び地の都市(ソ連時代はカリーニングラード) そしてリガである。若いときはこの辺をうろうろしていたのだ。オペラの興業に失敗し、それで借金を作ってしまったのか。そして「リガ劇場解職」とあるのでここでも何かトラブルをしでかしたのかも知れない。それにしても歌劇「恋愛禁制」の初演のあとすぐ結婚とは、これまた面白い。やはり天才は何をしでかすのか、凡人にはわからない。ガイドが言った「Frying Dutchman」は彼がリガを去った2年後の28歳の時に作曲されている。突然変な東洋人から質問されたのでうろ覚えを言ってしまったのだろう。
2005.07.15
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リトアニアの首都ヴィリニュスから西へ30Kmのところにあるトゥラカイ城は湖に浮かぶ島の一つにある。 四月の中旬とはいえ、湖はかちかちに凍っていた。お城へ渡る橋の手前で我々を歓迎してくれたのが、アコーデオンの辻音楽士(写真の右、木の根元に座っている人)。奏でていたのはロシア民謡「ともしび」。1960年代に流行していた曲。当時はともしび喫茶でみんなで合唱するのが流行っていた。この曲で迎えてくれるということは、日本からの観光客はその年代の人が多く来るということなのだろう。 ラトヴィアの首都リガ。旧市街の「3人兄弟」といわれる15世紀に建てられた隣り合う3つの住宅のそばに来ると「♪さくら、さくら、弥生の空は・・・♪」の曲が聴こえてきた。3人兄弟の末っ子の17番地の住宅の前でフルートとハープ(テーブルハープ?)の合奏をしている。日本人と見てとっての選曲なのだろう。しかし実入りは少ないようだ。ハープの人の赤いベレー帽がよく似合っていた。 エストニアの首都タリン旧市街。一番高いところにあるトームペア城より下町へ降りてくる途中で、きれいな音が聴こえてきた。イギリス民謡の「ディビジョン(グリーンスリーブス)」だ。音を頼りに足を向ける。城門をくぐり、横丁に降りる。急な路地の階段の途中でソプラノリコーダが吹かれていた。下から女性が登ってきた。 ポケットからお金を取り出す様子だ。それにしても数年前ニュージーランドへ行ったときの女子高校生と思われる二人組みの合奏は良かったな~。北島のオークランドからフェリーで渡ったデヴォンポートのダウンタウン。街角でその二人は楽譜を見ながらアルトリコーダーで一生懸命演奏している。曲目は分からないが誰かの「2本のアルトリコーダーのためのソナタ」のようだった。ちょうど休日だったので人通りも多い。と、その子たちの父親の年代とおぼしき人がかがみ込んでお金を入れた。2人は演奏しながら「え! そんなに一杯入れてくれたの!」と嬉しそうにニッコリ、かつびっくりした表情を浮かべていたのがとても新鮮で、清純で、気持ちが良かった。私は写真を写すのも忘れ、ただただ見入っていた。
2005.07.12
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今年の4月中旬バルト3国へ行ってきた。バルト3国はポーランドの北東、フィンランドやスエーデンの南(バルト海を挟んで)に位置し、南からリトアニア、ラトヴィア、エストニアと続く国々である。それぞれの首都は南から順にヴィリニュス、リガ、タリンで、旧市街は全部世界遺産に登録されている。ラトヴィアは蜂蜜の産地として知られており、首都リガの旧市街と新市街の境目にある中央市場には蜂蜜屋がいたるところにあった。 この中央市場は5つのカマボコ状の建物からなっており、ドイツのツェッペリン飛行船の格納庫だったとか。そういわれてみると納得の巨大な市場(いちば)である。商品の種類も多く、ものすごい混雑。圧倒される。私たち夫婦が最初に行った蜂蜜屋さんはとても愛嬌のある美人の女将さん。蜂の巣入りの菩提樹の蜂蜜を買う。巣に蜜を注ぎ込んでもらう。菩提樹は体にとてもよいとか。とても濃厚なおいしい蜂蜜であった。ところで蜂蜜酒であるが、これはリトアニアで現地のガイドから聞いたもの。30度、50度、70度のアルコール分のお酒が市販されているという。スーパーマーケットに連れて行ってもらった。ヴィリニュス郊外にあるものすごく大きなスーパーで商品の種類は非常に多く、食料品(生きた魚も売っている)から家庭用品、一寸した衣服、電気製品など日常生活の必需品はほとんど揃う。いわゆるワンストップ・ショッピングが可能。 しかし、酒売り場へ行ってもどれが蜂蜜酒か分からない。ラテン系の国ならMIELで大体見当が付くがここでは全く分からない。ガイドに教えてもらう。それが写真の品物、生憎70度のものが無く50度の小さいものを買った(ビンは重いので大きいのは敬遠した)。ラベルを見ると"MIDAUS NEKTARAS SUKTINIS" とある。実は後から分かったのだがラトヴィア語では蜂蜜はmedusなので、リトアニア語ではmidausとなるのかも知れない。そうすれば上のMIDAUS NEKTARAS も理解できる。帰国してから味わってみた。香りはギリシャのブランデーMetaxa(メタクサ)の40年物に良く似ている。あれよりもうすこし鋭い感じの香り。やはり50度なので強いのだろう。味もメタクサに良く似ている。甘みは強い。なかなか表現しにくいが何か木の皮の味、ニッキ(シナモン)が入っているような香りと味のような気がした。
2005.06.26
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