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愛媛に引っ越してからも横浜へは何度も帰省しているが、乗り換えのため横浜駅で降りると育樹は私の腕にしがみついてきた。 いくつも並んだ改札口から次々に吐き出される人々は、広い地下道を埋め尽くし、洪水のようにうねりを上げて絶え間なく流れて行く。 その様子に育樹はいつも怖気づいていた。 愛媛でも中心部の松山ならそれなりに人も多いが、さすがにここまでの人ごみはそうはないし、ましてや今住んでいる町では大きなお祭りでもない限り、これほど大勢の人々を一度に目にする機会はなかった。 流れにさらわれて迷子にならないように、顔を強張らせてしがみついてくる育樹とは反対に、私はこの光景を見ると、横浜に帰ってきたことを実感してどこかほっとしていた。 濁流のような人ごみの中に一旦身を投じてしまうと、まるで水を得た魚。行き交う人々の間に生ずる僅かな隙間をするりと抜けて、自分の行きたい方向へ縦横無尽に突き進む。それは何とも言えず心地良かった。 こういうのも「郷愁」と言うのであろうかと、ふと可笑しな気持ちになる。 石川啄木の短歌に「ふるさとの訛りなつかし停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」というものがある。啄木に遠く離れた故郷を思い出させたのは、人ごみではなく、そこに混じっている同郷の人の訛りであった。同郷の人の訛りを頼りに啄木は故郷の緑豊かな山々や、そこを吹く澄んだ風や小川のせせらぎなどに想いを馳せていたのであろう。 それこそが私が思い描く「郷愁」というイメージだった。だからこんなごちゃごちゃした人ごみに懐かしさを覚えてしまう自分が、どこか不健全な気がしてならなかった。 けれどさすがに今回は違っていた。 帰省の理由が理由だっただけに、人ごみに紛れても少しも気持ちが高揚してこない。それどころか、かえって気がめいってきた。 一刻も早く母や父の病院に行かなければならないと思う反面、足取りは重く、駅構内に溢れる人波を煩わしいとさえ感じていた。 同じものを目にしても、その時の心のあり方で随分感じ方が変わるものだ。「ここで切符買うからね」「まだ電車乗るの?」「あと一つだけ。二十分くらい乗ったらお終いだから」 後になってみれば、この前日からの出来事など、これから直面することに比べたらたいしたことではなかった。 だがあの時は、いっぱいいっぱいになっていた。どうしてあんなに気に病んでしまったのだろう。 結局のところ私は現状を把握はできていても、それを受け入れることができていなかった。 毎朝、家族を「いってらっしゃい」と見送り、家事の他は友達とお茶をしたり、自分の趣味を楽しむだけの日々に、急に空から巨大な氷柱が降ってきてどすんと突き刺さったような気分だった。 恐らく孝之も私と同じだったのではないだろうか。 孝之には昨夜もう一度電話して私と育樹が横浜に行くことを伝えた。夜になっても孝之の興奮した状態は治まっていなかった。異常なほどの饒舌さは、昼間電話した時と変わっていなかった。「明日はね、病院の、デイがある日なの。デイ・ケア。分かるよね? 朝早いんだ。六時には家を出るから」「そんなに早く行くの?」「うん。いつも、そう。あのね、七時過ぎちゃうと、朝は、ほら、通勤ラッシュが始まるでしょ。僕ね、あれが嫌いなの。だからその前に、電車が空いているうちに行きたいから。それに、始まるまで、だいぶ時間があるけど、他の人もね、結構早く来て、缶ジュース飲んだり、煙草吸ったりしてる」 孝之がデイ・ケアに通う病院までは、電車と徒歩で合計一時間程かかる。午前九時から始まるデイ・ケアに間に合うように行くには、七時・八時台の通勤ラッシュを避けると、そのくらい早い時間に出なければならない。「それで帰ってくるのは何時頃?」「帰ってくるのはね、夕方。だいたいいつも、四時か五時ごろ。お昼も、デイで食べるから。だから明日は、家に誰もいないし、鍵がかかってるけど。僕の鍵は自分で持ってる。お母さんね、お母さんの鍵、病院に持って行ったみたいなんだ。どこにもないの。僕の鍵、どこかに置いて行こうか?」「ううん、いいよ。着いたらそのままお母さんの病院に行くつもりだから、その時お母さんに聞いて、もし鍵を持っているようなら借りて行くし、なくてもその後、お父さんの病院に寄ってから行くから、多分家に着くのは五時過ぎになると思う」「分かった。僕も、なるべく早く帰るようにするから、明日は。ご飯はどうする? 炊いておこうか? ああ、でも、僕、明日は朝早いから炊けないや。保温にしておくとね、電気代がかかるでしょ。だから、いつもスイッチ切っちゃうんだよね。お母さんがそうしてるから。ご飯が炊けたらね、スイッチ切っちゃうの。朝、炊いてもいいんだけど、そうするとね、スイッチ切らなきゃいけなくなるでしょ? だけどね炊けるのを、待っていたら、デイの日だから、遅くなると困るんだ」 途切れ途切れの短い言葉が孝之の口から、数珠つなぎになってぽろぽろ続いた。それはまるで心に溜まった何かを、必死に押し出しているかのようにも思えた。だから出来るだけ口を挟まず、ただ耳を傾けて孝之の言葉が終わるのを待った。言葉の深くに横たわる孝之の心の音を漏らさないように、慎重に、私の心の内に響かせるように、受話器から聞こえる声に耳を澄ました。 そうやって孝之の心に突き刺さった氷柱の大きさを、なんとか知ろうと必死になっていた。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。ご訪問、ありがとうございました よかったら、応援を♪^^ 本編の補足 精神科デイケアとは|介護ことば辞典[介護110番]より今回も、本のご紹介 ■丹羽晃成さんの本『「テル」という生き方』■丹羽晃成 著税込価格:1,470円 出版社/発売元:文芸社自分を取り巻く環境をバネに、恩師や仲間との絆を大切に夢を実現させていく「テル」の軌跡を描く自伝小説。「ひまわりの喫茶店」のCHAKO♪さんの旦那様丹羽晃成さんの作品です。私も拝見させていただきました♪何かと自分の境遇のせいにしたり、そのことで愚痴ってばかりの方もいますが、幸せになるにはそんなこと言ってる場合じゃないし、自分の境遇なんて、さほど関係ないんですよね。なんてことを思いながら読ませていただきました。^^お求めは、クロネコヤマトブックサービスまたは、楽天ブックス・最寄の書店でさて、ちょっと前の話ですが、1/9(土)に放送されたNHKの「追跡! A to Z なぜ繰り返される ペットの悲劇」皆様はどう思われましたか?私は放送前に取材協力した方の書いたものを拝見する機会があったのですが…ドイツでの取り組みは、日本もそうすべきと思いましたが、「どうして猫の里親詐欺が起きたのか、 どんなふうに解決していったのかの話は?」と不完全燃焼。この番組に協力した方の思い、猫の里親詐欺を繰り返した男性とのやりとり 等当日放送されなかった様々な事実。リンクを交えて私の思ったことを別館にまとめました。良かったらご覧ください。NHK「追跡!A to Z なぜ繰り返される ペットの悲劇」1月9日 放送今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)v別館・気ままな日常ブログ※一部リンクは携帯からはご覧になれませんので、ご了承ください。Copyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、ブログやホームページをお持ちの方で 私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 ブログやホームページをお持ちでない方、またはURLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^ 尚、こちらからの訪問・お返事は遅れることが多いのでご了承ください。
January 26, 2010
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夜になって帰宅した夫と話し合い、育樹は私が連れて行くことにした。 ちょうどいい機会だから最近気になっている様子についても、育樹が生まれてすぐ入院した横浜の病院で診てもらえばいいだろうということになった。もし向こうで時間的な余裕があればの話だが。 一週間も学校を休ませるのはどうかと思ったが、体調が心配だったし、授業に遅れてもまだ一年生だからそれ程難しい内容ではないので、後から追いつけるだろうと判断した。 だが、豊樹はそういうわけにはいかない。四年生の三学期に一週間も学校を休ませていては後から授業に追い付くのが大変になるだろう。だいたい豊樹本人には、一週間も学校を休む理由なんて何もないのだから。「えー、育樹だけ行くん? 俺も行きたいのに」 豊樹は思い切り不満そうな顔をしたが、すぐにこう言った。「でも横浜行ったら、みんなと遊べなくなるんかぁ。月曜日にデュエルの大会もやらんといかんし。俺、責任者だからなぁ」 デュエルというのは豊樹の友達の間で流行っているカードゲームのことで、企画から準備まで全て子供だけで進めた仲間内だけの大会が、来週開かれる予定だった。豊樹はその大会の言い出しっぺとして、大会委員長になっていた。 本物そっくりの賞状を作ったり、一人一個ずつ使わなくなったオモチャを持ち寄って入れた福袋もどきを優勝者への副賞にしたり、ここ数日はその準備に明け暮れている。 とは言え、本当は一緒に行きたいに違いない。夏休みに帰省した後、「次はいつ行くの? 秋? 冬?」としつこいくらいに言っていたのは豊樹だったのだから。「そうだよ、大会委員長がいなかったら、デュエルの大会もカッコつかないじゃない。それに今回は横浜に遊びに行く訳じゃないんだから」「うん、分かった。でも次に行くときは連れて行ってよ」 こういう時の豊樹は聞き分けが良かった。 生まれてから一歳になるまで育樹は入退院を繰り返していた。そのため豊樹は一番我が儘が言いたい時期から、たくさんの我慢を強いられてきた。 生まれてすぐに育樹が入院した病院は両親以外は病室に入れなかったため、豊樹を一緒に連れて行くわけにはいかず、いつも親戚に預かってもらっていた。病院には毎日通っていたので、私も豊樹といられる時間が限られる上に、家にいる時は家事に追われ遊んでやる暇もなかった。 それでも子供ながらに大変な状況を分かっていたのか、怒って駄々をこねたり大泣きして私を困らせることはしなかった。 そんな状況に慣れてしまったのかもしれない。寂しいと思う反面、そういう時に親を困らせてはいけないということを、豊樹はいつの間にか会得してしまったようだった。 大人を気遣い「俺なら大丈夫」と笑う豊樹が頼もしくもあり、親としては辛くもあった。子供の心はいつだって、いじらしくて愛おしい。「しばらく離れ離れになっちゃうんだから、今日は一緒に寝ようねー」 その日の夜、私はそう言って豊樹の布団の隣に自分の布団を敷いた。豊樹は「えー、しょうがないなぁ。別にいいけど」とまるで駄々っ子を迎えるような顔をして、少し照れながら笑っていた。 次の日の朝、夫と豊樹を送り出した後、子供たちが通う小学校に電話した。 育樹の担任に事情を話し、一週間ほど育樹を休ませることを告げた。豊樹の担任には昨夜手紙を書いて、今朝豊樹に持たせた。手紙には私が横浜に行くこととその間に何かあった場合の連絡先として私と夫の携帯の番号と、学校から帰宅し夫が仕事から帰ってくるまでの間、豊樹の世話をしてくれることになった親戚の電話番号を書いておいた。 その後、私は朝食の後片付けや今日の分の洗濯など、出かける前にできるだけのことはやっておこうと忙しく動いた。そんな私とは対照的に、今日からしばらく学校へ行かなくて済む育樹は、横浜に持っていくオモチャやマンガを楽しそうに選んでいた。 旅行気分で楽しんでくれるのはいいけれど、実家と二つの病院を行き来するだけの一週間、ずっと機嫌よく過ごしてくれるだろうか。いつもの遊び友達とも会えず、行く所も静かに大人しくしていなければならない病院ばかりで面白くはないだろう。 二階のベランダから見える空は、晴れて青く澄み渡っていた。空気が乾燥していて洗濯物が良く乾きそうな天気だったが、夫は今日も何時に帰宅できるか分からなかったので、洗濯物は部屋の中に干しておいた。「育樹、そろそろ出かけるよ。準備はいい?」 洗濯物を干し終えて下に降りると、育樹はリュックいっぱいにお気に入りのオモチャやマンガ、お菓子などを詰めていた。「ほら、こっちにはちゃんとゴミ袋も入れたし、ティッシュとハンカチも入れとるけん。予備のゴミ袋もあるし」 得意げにそう言う育樹は、リュックを背負いお茶を入れた水筒を首からかけて、まるで遠足にでも行くかのようだった。「遠足に行くみたいだね。でも遊びに行くんじゃないんだよ。じいじとばあばのお世話をしに行くんだからね」「分かっとるって」 無邪気な笑顔は、雑多とした不安を抱いていた私の気持ちを和ませるに十分だった。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。ご訪問、ありがとうございました よかったら、応援を♪^^ 本編の補足 「じいじ」「ばあば」という呼び方について※読まなくても大丈夫です。ご興味のある方のみどうぞ。さて、お礼と本のご紹介■ボーダーコリーの『パンチ』ちゃん見つかりました!!■情報提供・ブログへの転載など、ご協力ありがとうございました!良かった~※詳細は 「MARONEE&HARUSAME」ところてん6161さんのブログで■大西隆博さんの本のご紹介■以前、ご紹介した「太陽の欠片 月の雫」(文芸社)の著者大西隆博さんの新しい本が1/20に出版されます。発行:アニカ 定価:1,680円(税込)ISBN978-4-901964-17-3 C0037いじめがなくならない学校、なくせない先生へ。大西先生があちこちの学校で実施した対策や子どもたちにかけた言葉などのアドバイスが満載です。すべてのいじめをなくしいじめの起こらないクラスを作ってきた実績にまさる説得力はありません。どうぞ、お役立てください。いじめをなくしてください。詳細版元ドットコムにて予約受付中。書店発売日は2010年01月20日です。大西隆博さんのブログ「太陽の欠片 月の雫 大西たかひろのブログ」大西さんは現在教師をおやめになり、政治の方面から子供たちをとりまく環境を良くしていこうと活動を始められました。(楽天でのHNはzero0923さん)今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)v近況諸々 そこそこ更新中。最近、俳句にハマってます^^※一部リンクは携帯からはご覧になれませんので、ご了承ください。Copyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、ブログやホームページをお持ちの方で 私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 ブログやホームページをお持ちでない方、またはURLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^ 尚、こちらからの訪問・お返事は遅れることが多いのでご了承ください。
January 16, 2010
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父に宛てたメールを何とか送信して、ほっと一息ついた時に育樹が帰ってきた。「ただいまぁ」 春になれば二年生になると言うのに、育樹は同学年の子供たちと比べて背が低く痩せていて、いつまでたってもやたらとランドセルが大きく見える。「お帰りぃ」 あどけない眼差しに答えながら、はっとした。そうだ、ここにもう一人、病人がいるのを忘れていた。「おやつは?」「手を洗ってからね」「はぁい」 育樹は生まれつき「肺動脈狭窄症」という疾患を抱えていた。肺動脈の一部が狭くなっているため、右心室から肺に送られる血液の通りが悪い。不幸中の幸いで、心音に多少雑音が混じるものの軽症だったので、普段の生活には何の制限もなかった。通院の必要もなく、年一回の定期検診を受ける程度。成長していく過程で血管が太くなるか、あるいは現状維持のままであれば問題はない。だが万が一、心臓の負担が大きくなるようなことがあれば血管の拡張手術をしなければならなかった。 病気と直接関係があるかどうか分からないけれど、育樹について気になっていることがあった。 今日は元気そうに帰ってきたが、ここのところ学校で何をしたというのでもないのに、たまに酷く疲れて帰ってくることがあった。起きているのもままならない様子で、くたっと部屋で横になったかと思うとそのまま何時間も熟睡してしまう。おやつどころか夕飯にも起きてこないことがあった。 もともと同年代の子供たちと比べて疲れやすいところがあったし、熟睡した後はいつも元気になっていたのであまり気にはしていなかった。だが育樹と同じような症状の子が、病院で調べてもらったら大変な病気だったという話を最近ママ友から聞いて、少し心配になっていた。 「肺動脈狭窄症」は重症になると、心不全を起こして、運動時の息切れや動悸、胸痛などがあると聞く。もしかしたら育樹の疲れも病気に関係があるかもしれない。ちょうど来週、年に一回の定期検診があるのでその時に聞いてみようと思っていた。 私が横浜へ行くとなると定期検診は先延ばしせざるを得ない。病院で診てもらわないまま、育樹を愛媛に置いて行ってしまって大丈夫だろうか。夫も一年で一番仕事が忙しい時期で帰りも遅く、車で片道一時間以上離れた松山まで行くことも多い。私の留守中に育樹の身体に何かあったら? それが学校にいる時や友達と遊んでいる時ならまだしも、今日みたいに兄の豊樹よりも一足早く帰宅して、一人きりの時だったら大変だ。 そうかと言って、何事もなければ元気な育樹を一週間も学校を休ませて連れていくというのもどうなのだろう? 手を洗いに行く育樹の背中を見ながら、私もおやつの用意をするためにキッチンに立った。プリンに添えるリンゴを切っていたら、携帯のメール受信音が鳴った。「育樹、リビングのテーブルの上にある携帯持ってきてくれる?」 メールの差出人は高校からの友人の藤崎美津子、件名は「訃報」だった。 慌ててメールを開いて言葉を失った。『突然ですが、今朝、まどかのお父様がお亡くなりになったそうです。』 まどかのお父さんのことを、懐かしく思い出していたのはついさっきのことだったのに。 あまりのタイミングにただ驚くしかなかった。 メールにはまどかのお父さんは昨年の夏に体調を悪くして、昔働いていた瀬賀浦中央病院に入院していたと書かれていた。つまり父と同じ病院ではないか。 そう言えばこの半年間、一、二回ほど簡単なメールのやり取りをしたくらいで、まどかとはほとんど連絡を取っていなかった。まどかは仕事もしていたし、家や子供のこと、お父さんの看病などでそれどころではなかったのだろう。 それにしても寝耳に水だった。父や母からも、病院でまどかに会ったという話は聞いたことがなかった。大きな病院なので、恐らく別々の入院棟にいたのであろう。 だとしても、年明けに入院した父とまどかのお父さんは、この数週間は同じ病院にいたということになる。偶然と言えばそれまでだが、何とも奇妙な感じが拭えなかった。『お香典は個人ではなく、友人一同という形でしたいと思います。麻実は遠方だから来られないと思うので、差し支えなければこちらで麻実の分を立て替えておきます。金額は後でまた連絡するね。』 メールにはそう書いてあった。 愛媛と横浜、普段ならそうさせてもらったかもしれない。だが、まどかのお父さんにはお世話になったし、最後のお見送りくらいしてあげたい。そして今回はそれが許される状況だった。偶然にも横浜に行く予定なのだから。「ねぇ、ねぇ、おやつ、まだぁ?」 先程からキッチンのテーブルに着いて、大人しく待っていた育樹の前にプリンのお皿を置いて、すぐに美津子に返信した。『実家の両親が二人とも入院していて横浜に行く予定なので、行ければお通夜か告別式に行きたいと思います。詳しい日程が分かったら教えてください。それと私の分のお香典もそのときに渡したいけど、美津子に渡せばいいの?』 美津子からの返信もすぐに来た。『了解しました。詳しい日程は分かり次第、すぐ連絡するね。それとお香典の件は私がまとめさせてもらうので、私にお願いします。』 一度しか着ないだろうけれど、喪服も持っていかないとな。そう思ってこの日の夜、キャリーバッグに喪服を入れた。まさか横浜にいる間にこの喪服に二度も袖を通すことになるとは、この時は夢にも思っていなかった。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。いつも見に来てくださる方も、今日初めてお越しいただいた方も、ご訪問、ありがとうございました よかったら、応援お願いします!^^ 年末年始にご挨拶をいただきながら、まだぽあんかれからの挨拶がない!どうなっとるんじゃいっ!!とおっしゃる方…、申し訳ありません少しずつしか訪問できず、順次回らせていただいてます。もう少し時間がかかるかと思いますが、ご了承ください。m(__)mさてさて、なんとか更新完了。f^^;友人のお父さんが亡くなったという知らせこのタイミングで受けたのはフィクションではありません。突然の訃報にも驚きましたが、たまたま父の入院先のホームページを開いて、そこで働いていた友人のお父さんのことを懐かしく思い出していた矢先のことでした。たまたま両親が同時に入院し、実家に戻ることになったので友人のお父さんのお通夜に行くことができて、そのために持って行った喪服を、今度は父の葬儀で着ることに…偶然だったのか、必然だったのか、まるでご都合主義の物語やドラマみたいな、ご都合主義の現実?事実は小説より奇なり…ですね。さて今回、補足をアメブロの「Monologue」に設けています。補足は読まないと本編が分からないというわけではないので、時間と興味のある方だけどうぞ。^^ 本編・補足「息子の病気について」それとにほんブログ村のランキングについて、何やら色々と情報が飛び交っていることを受けて、と、いつかどこかで書こうと思っていた私の気紛れで自分勝手なブログ訪問のスタイルについて、これもアメブロの方でまとめたので良かったらご覧ください。 「私からのブログ訪問・ランキングの応援について」ここにも少し書いておきますが、今後もランキングサイトに参加中のブログにお邪魔した際は、これまで同様、応援させていただきますが、コメント内に「ぽち♪」と書くのは止めました。「ぽち♪」と書いてなくても応援していますので、ご了承くださいね。^^迷い犬ボーダーコリーの『パンチ』ちゃん 2才 メス1/9 富士山スカイライン 西臼塚付近で行方不明詳細は「MARONEE&HARUSAME」ところてん6161さん今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)v徒然なるまま…※一部リンク先は携帯からはご覧になれませんので、ご了承ください。Copyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、ブログやホームページをお持ちの方で 私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 ブログやホームページをお持ちでない方、またはURLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^ 尚、こちらからの訪問・お返事は遅れることが多いのでご了承ください。
January 9, 2010
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ようやく落ち着きを取り戻し、病院のホームページから父へのメールを入力しようとした途端、指先はキーボードに軽く触れたまま止まってしまった。 父に何と書けばよいのだろう。 メールフォームに入力する適切な言葉が見つからず、ただパソコンのディスプレイを眺めていた。陽が陰り始めた部屋の中は薄暗く、画面の中央に浮かんだ真っ白な空欄がやけに眩しい。 立ち上がって灯りをつけると、部屋は瞬く間に蛍光灯の光で満ちた。 おかげで画面に向けて一点に集中していた視線はぐんと広がりを得たけれど、父への言葉を探す思考までもが拡大したわけではなかった。 この空欄を埋めるのは、母の病状、孝之の様子、私も横浜に行く準備をしていること、それから「心配しなくていいからね」の一言。そんなことは分かっている。分かってはいるけれど、それが書けない。父を安心させ喜ばせるような言葉が、どうしても書けない。「なるべく早く行くようにするから、お父さんは安心して治療に専念してね」「お母さんも孝之もなんとか頑張っているし、私も横浜に行くから、お父さんも心配しないで頑張って」 言葉だけならいくらでも出てくる。だけど気持ちが伴わない。 照れくさい? そんなものじゃない。 父を安心させなくてはという意識はあるものの、それはどこか義務感でしかなく、父を喜ばせるような言葉を綴るのにひどく抵抗があった。 だいたい子供の頃から、父が好きではなかった。はっきり言えば大嫌いだった。 短気で、いつもイライラして怒鳴り散らかしていた父。休日と言えばパチンコと競馬で、家族をどこかに連れて行ってくれるなんてこともなかった。その上働くことが大嫌いで、母を困らせてばかりいた。父は配管工という職人で、昔は個人で雇われて働いていたので、仕事をした分しか収入は得られなかった。それなのに父は何かと理由を練り上げて、すぐに仕事を休もうとした。母はそんな父の機嫌をとって、なだめすかして現場に向かわせるのに必死だった。 そんな父のことを慕うことなどできるはずがなく、思春期を迎えた女の子が父親を鬱陶しいと思い始めるよりもだいぶ前から、私は父に嫌悪感を抱いていた。 よそのお父さんはみんな、優しくて包容力があって、教養もあって物静かな人に見えていた。どうしてウチの父だけがこんなふうなのだろう。ずっとそう思っていた。 そんな父がひどく上機嫌になる時があった。私が学校で学級委員に選ばれたり、成績表の評価が良かったりすると、父は顔をほころばせ、無邪気に喜んだ。 そういう父を見て、嬉しくなるどころか私は腹が立ってならなかった。「すごいじゃないか、麻実は」 そう言われるたびに思った。お父さんを喜ばせるために頑張っている訳じゃない、と。私は私のために頑張っているのだから、そんな笑顔するな、誇らしげにしないで、お父さんはお父さんでもっと頑張ったら? それを口にしたことは一度もなかったけれど、鬱陶しそうな顔はしたつもりだった。それすら父には全く通じていなかったみたいだけれど。 父を厭わしく思うようになった原因はもう一つあった。 小学一年生の私が腎臓病ネフローゼ症候群で入院していた一年間、父が病院に顔を見せたのはほんの二、三回だけだった。 入院中、父に会いたいなどと思ったこともなかったので、会いに来ないからといって何も感じなかったし、どうして来ないのか考えたこともなかった。寂しいどころか、怒鳴り散らかす大声のない病院で、かえって伸び伸びと過ごしていた。 しかし一年後、退院して久しぶりに会う父に、どんな態度で接すればいいのか私は分からなくなっていた。なんて声をかければいいのか、何を話したらいいのか戸惑った。父を避けるようになったのは、この頃からだった。 あの時と同じだ。初対面のような気恥かしさと、居心地の悪さ。 メールフォームに何を書き込んでも、気持ちが乗らない。 高校・短大と、私は次第に部活や友達と過ごす時間が多くなり、働き始めてからはますます父と話す機会は減っていった。関わる時間が少なくなった分、父に対する嫌悪感も次第に薄れていった。だんだん忘れていったというか、どうでもよくなっていた。 成人して父のことを許容できるようになったわけではなく、ただ一定の距離を保つことを覚えたに過ぎない。 父に対して鬱陶しい顔を作るようなことはしなくなったけれど、結婚して独立したことだし、この距離は今後も縮まることはないだろうと、縮めたところで何がどうなる訳でもないと思っていた。 私と父は永遠に交わることのない二本の直線のまま。 それでいいと思っていたのに…。 パソコンを前にしていくら考えていたって、にわかに父を気遣う優しい娘になんかになれっこなかった。 父に何かあったら大変だという心配は、父自身のことよりも母や弟、そして私自身が困ると案じているに過ぎなかった。 何もかも父のせいにして、ずっと父と向き合うことを避けてきた。そのつけがいっぺんに回ってきたような、何とも言えない苦さ。 だけど今更どうしようもなかった。 気持ちが込められないまま、まさかそれが父への最後の手紙になるなんてことは露知らず、社交辞令のような言葉を並べてなんとかメールを送信した。 淀んでしまった感情を押し流そうともせずに見て見ぬふりをしてきた私に、この日ついに痺れを切らした神様が風を起こしたのかもしれない。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。いつも見に来てくださる方も、今日初めてお越しいただいた方も、ご訪問、ありがとうございました よかったら、応援お願いします!^^ 大幅に更新が遅れました。m(__)mそして悟りました“もう年末だな~”と。f^^;何かとバタバタしているしこれから年末年始にかけての更新は週末更新にこだわらず、書けたとき更新でまいります。って、それっていつものことじゃん、とか言わないの、ってか言わせな~いどうでもいい独り言ですが、キャバ嬢芸人・姫ちゃん、最近目力が宿ってきたような? あの力もやる気もない目が好きだったのに。^^;正月明けくらいまではそんな感じでいこうかと思いますので、どうかよろしくお願いしますね。引き続き お知らせを以下ゆーみん55さんのブログ「我が家のにゃんこ日記」からのコピペです-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*多くの方に見ていただきたいと思いますので可能な方は文章を、コピーペーストして転記していただけたらうれしいです ↓ ↓ ↓ 『日本にアニマルポリスを誕生させよう!』からの情報です。以下転載 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*この夏から、大阪市在住のAさんが、里親詐欺犯を追っていました。きっかけはAさんが保護した一匹の仔猫です。足をケガしていた仔猫は、せっかく保護されたのに力尽きて、虹の橋に旅立ってしまいました。この仔猫を捨てたのが、ネットで里親募集されているところから次々と仔猫を譲り受け、リードで繋いでお散歩と称し外を連れ回し公園の滑り台を滑らせ、無理矢理リードを引き寄せたりとても、楽しくお散歩とは言い難い行為を続け仔猫が大きくなったり、懐かないからと捨て、人に譲り渡し果ては、踏みつぶして殺したりと、とても猫好きは思えない事を続けています。そこで、Aさんは里親詐欺犯のブログを全てチェックし、猫の出入りを記録し、捨てたと思われる場所へ毎晩出向き、時間を掛けて詐欺犯が捨てた猫たちを保護していました。警察に行っても相手にされなかったそうです。そのような時に賛同者の方の活動で、NHKが取材することになり、この里親詐欺犯の家にいた猫たちを、すべて救出することに成功するまでの様子を撮影できたそうです。この件ついての番組が、放送されます。-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*以上がゆーみん55さんのブログ「我が家のにゃんこ日記」からのコピペです。放送は 2010年1月9日午後10時~ です。この問題に関心を持たれる方が周りにいらっしゃいましたら、ぜひお伝えくださいね。今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)v※一部リンク先は携帯からはご覧になれませんので、ご了承ください。Copyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、 サイトをお持ちの方で私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 サイトの運営をされていない方、URLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^
December 9, 2009
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冬の太陽は午後になると、あっと言う間に力を失う。お昼前にはのどかな陽射しが庭の片隅にある花壇の土を温めていたけれど、早くも西に傾き始めた太陽は既に色褪せ、隣の家の枯れ枝の隙間からうっすらとその残影を覗かせていた。 あと三十分もすれば子供たちが学校から帰ってくる。それまでに出来ることは、なるべく片付けておきたかった。 夫には落ち着いて話したかったので、帰宅してから話すことにした。仕事が繁忙期に入り、夜も十時を回ってからの帰宅が多かったので、「話したいことがあるので、今日はなるべく早く帰ってきて」とだけメールで送った。 ついさっきまでは「今から横浜へ行きます」とメールに書いて送りたいくらいだった。でもなるべくなら母が退院するまで、少なくとも退院の目途がつくまでは向こうにいたい。そうなると一週間程度は帰ってこられないだろう。父も母も危篤だと言う訳でもないので、何もかもほったらかしにしてすぐに行くよりは、食事や洗濯、子供たちのことをどうするのか、ある程度整理してから出発した方が、少しでも長く余裕を持って向こうに滞在できるだろうと考えた。 それまでの頼みの綱になってくれそうな時雄おじさんにも、再び電話をかけてみたが今度も繋がらなかった。 孝之にも母の容態を知らせてあげたかった。だが、母が家にいる時には自分から電話を取ることなど決してしない彼にとって、何度も電話がかかってくることは、それだけで恐ろしく気が重くなるだろう。夜にはもう一度様子を窺いたかったので、孝之への連絡は夜までしないことにした。 先程電話をくれた瀬賀浦中央病院の看護師長さんにも連絡をして、母の容態を父に伝えてもらおうと思ったのだが、またしてもダイヤルしようとした指が宙に迷った。 病院の電話番号を聞いていなかった。電話機もかなり長いこと使っている古いものなので、着信履歴の表示機能なども付いていなかった。 電話番号はまたインターネットで調べればすぐ分かるだろうけれど、父が入院している病棟名とか、電話をくれた看護師長さんの名前とか、確かに聞いた覚えのあることですら、何一つ頭に残っていなかった。普段だったらそういうことは、必ずメモしておくのに。 とりあえず電話番号だけでもと思い、再びブラウザを開いた。 病院のホームページに辿り着くと、そこには青空に定規を当ててカッターナイフで切り取ったような、真っ白で四角い外来棟の写真があった。 この病院には、私自身も子供の頃から何度もお世話になってきた。 小学校一年生のときに腎臓病ネフローゼ症候群という、腎臓病の中でも特に厄介だと言われる病気になり、一年近くこの病院に入院していた。退院後も小学校を卒業する頃まで、ずっと通院していた。中学生になってからはネフローゼに関しては通う必要もなくなったが、大きな総合病院だったので何かあるたびにここを訪れていた。OLになりたてだった頃に手に湿疹が広がり、ここの皮膚科にしばらく通院したこともあった。 それから私自身がこの病院にかかったことはなかったけれど、すぐ近くには短大の時からずっと仲良くしている友人の家があるので、病院の前はちょくちょく通っていた。五年前に父が肺ガンの手術をしたのもこの病院で、その時はまだ幼かった子供たちを友人宅で預かってもらって父のお見舞いに行ったこともあったっけ。 次々と色々なことが思い浮かぶ中で、ふと中学・高校と一緒だったまどかのお父さんのことを思い出した。院内処方が当たり前だった当時、この病院の薬剤師をしていたまどかのお父さんに、薬局の窓口で何度か顔を合わせたことがある。「麻美ちゃんも、すっかり大人になったねぇ」「ふふ、おじさんもお元気そうですね。まどかも元気にやっていますか?」「あいつは相変わらずだよ。また今度、うちに遊びに来なさい」 おじさんは白衣に似合う上品な笑顔で、いつも穏やかに心安く話しかけてくれた。 気性が荒くて、夏場はシャツ一枚、冬は安っぽいジャージの上にどてらを羽織って、「水戸黄門」を見てゲラゲラ大笑いしているか、夕飯のおかずのことで母を怒鳴りつけている私の父とは大違い。こんなお父さんだったらよかったのにと、羨ましく思っていた。 おじさんは元気だろうか。 この時は何も知らずに、ただ懐かしく思い出していた。「そう言えば、まどかともしばらく連絡とってないな。今回は帰省しても父と母の両方の病院に通わなきゃならないし、孝之の世話もあるからゆっくり会う時間もないだろうな」 そんなことしか考えていなかった。 ユークリッド幾何学についてネットで調べなくとも、既に私の周りでいくつもの平行線が交わっていることなんて、これっぽっちも感じてはいなかった。 病院の電話番号を探して画面をスクロールしていくと、サイドメニューの一番下に「お見舞いのメール」という項目があることに気が付いた。 クリックすると、「入院している患者さまへのお見舞いのメールをお取次ぎ致します」と書かれたページにジャンプした。いくつか注意事項が書かれているその下にメールフォームがあり、ここにメールの内容を入力して送信すると、病院でプリントアウトして宛先の患者に渡してくれるらしい。 こんなサービスがあるなんて今まで聞いたこともなくて、驚きながらもとても心強い味方を得たような気分になった。 これなら間に人が入らないから、父に私の言葉をダイレクトに伝えることができる。 パソコンも携帯電話も持とうともしない父だったから、メールなんて初めてのことだし、父宛の手紙などもこれまでただの一度も書いたことがなかった。 そしてこのホームページから送ったメールは、父に宛てた最初で最後の手紙になった。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。いつも見に来てくださる方も、今日初めてお越しいただいた方も、ご訪問、ありがとうございました よかったら、応援お願いします!^^ 今週も遅くなりましたが、なんとか更新できました。^^;ところで本文中の「どてら」って、みなさん分かるかな?「半纏(はんてん)」や「丹前(たんぜん)」のことなんですけど…「?」な方は こちら をどうぞ。さて、ちょっと前にitchannさんのブログで拝見したのですが、これ → アクセス解析ツールなんですが、この中の「忍者効果測定」と言うのを使うと、ランキングのバナーを何時何分何秒にクリックしていただいたのかが分かります。楽天以外の方でコメントを残されていない方は、どのくらいランキングの応援をしてくれているのかちょっと気になっていた私は早速TRY♪楽天のアクセス記録の足跡とに記録された、ランキングバナーがクリックされた時間を比較することで、楽天以外の方でコメントを残されていない方でも、ランキングバナーをクリックしていただいたのかどうかが、だいたい分かりますちょっと前からこのブログでも導入中♪ではありますが…なかなか足跡の時間とクリックされた時間の比較をやっている暇がないのが実情で…いつか、そのうち、多分、きっと、チェックするんじゃないかな?って、既にヒトゴトみたくなっちゃってます。^^;あ、itchannさんも書かれてましがた、私も皆さんからいただくランキングのクリックについて、懐疑心とか持っているワケではありません。ただ単に、他に応援のクリックってあるのかな…と、一度調べてみたいな~と、単純に思っただけですので、そのあたり変なふうにとらえないでくださいね。^^興味をもたれた方は、itchannさんのブログのこちらの記事をご覧ください。今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)v※一部リンク先は携帯からはご覧になれませんので、ご了承ください。Copyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、 サイトをお持ちの方で私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 サイトの運営をされていない方、URLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^
November 28, 2009
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腹痛で救急車を呼んだと聞いて母の身体に何が起きたのか、思いつく事が二つあった。一つは腸の癒着で、もう一つは数年前に患った大腸ガンの再発。 腸の癒着は、これまでにも何度か起きていた。母は若い頃に盲腸の手術を受けたのだが、その時の処置が適切ではなかったのか、それ以来、腸が癒着しやすくなって何度か病院に通ったことがある。腸と腸の一部分がペタリと貼り付いてはがれなくなり、動くたびに貼り付いた部分が引っ張り合うので相当苦しいらしい。 今回も腸の癒着ではないかと思っていたけれど、これまで突然救急車で運ばれて緊急入院なんてことはなかったし、それがただ事ではない気がして、ガンの再発の可能性を否定し切れなかった。悪戯に不安がっていても良くないと思いつつ、だからと言って考えないようにしようとすればするほど、胸の中に冷たい墨汁のような不安がぼたりぼたりと重く垂れて広がっていった。「詳しいことはこちらに来られてから、担当の医師が直接ご説明しますので、今日は簡単にお話しますね」 電話で対応してくれた看護師は、そう前置きをしてから慎重に話し始めた。 予想通り、母は腸の癒着を起こしていた。もう少し詳しく検査する必要はあるが、現段階では緊急で手術をするほどではなさそうなので、点滴や薬で経過観察中らしい。 大腸ガンではなく、癒着も手術を要するような緊急の状態ではないということが分かって、それだけでもほっとした。「入院は長くなりそうですか?」「それも担当医に聞いてみないと分かりませんが、それほど長くはならないかと。順調にいけば恐らく一週間から十日くらいだと思いますが…」 電話はこちらから質問したことに、看護師が答えるという形だった。病院の方から進んで説明してくれるわけではなかったので、今一つ分かりにくくて物足りなかった。何を聞いても歯切れが悪く、消極的だった。 にも関わらず、この電話でのやり取りで不安になったり、イライラしたりすることはなかった。「ご連絡を待っていたんですよ」とか、「一刻も早く来てください」と言われることも考えていたので、そう言われずに済んで安心した。もしそんなことを言われていたら、焦った気持ちが心臓をノックしまくって鼓動を打つ暇も与えなかったかもしれない。 大変な状況であることに少しも変わりはなかったが、最初にあまりに慌て過ぎたような気がしてきた。 父が大騒ぎするからだ。確かに自分が動けないのでは、事実確認のしようがないから心配なのは分かるけれど。 いつだって母の方が冷静というか、「何とかなるでしょ」という感じだった。 もちろん今回は腹痛がひどくて苦しくて連絡どころじゃないのだろうけれど、だからと言って焦って病院の人に身内への電話を頼んだりしない。緊急でないのなら、容態が落ち着いてから連絡すればいいだろう、あるいは孝之がそのうち連絡するだろう、そんなふうに考えている気がする。 母がそんなだから父が慌てるのだ。そして父がこんなだから母は心配させるくらいならと知らせない方がいいと思うのだ。父の狼狽ぶり、母の変に沈着な態度、それがそれぞれの病院の応対に比例しているようだった。 父と母はいつもこんなふうにちぐはぐなところがある。 私は何だか、両親にしてやられたような気分になってきた。「母が自分で電話をかけるのは、当分は無理でしょうか?」「そうですね、いつ頃ならとハッキリは言えませんが、もう少し容態が落ち着いてからでないと…」 自分のことを連絡するのは後回しで構わないと思っていても、孝之や父がどうしているのかはさすがの母も心配しているだろう。それだけでも何とか母に伝えたかった。「電話が無理なら、私が書いたものをファックスでそちらの病院に送らせてもらって、それを母に渡してもらうということは頼めますか?」「そうですね。遠方にお住まいなので、こちらに来られるまでは特別に」 父の入院先からの電話を切る時よりは、落ち着いて電話を切った。それからすぐに母へのメッセージを書いた。「谷山幸枝様お母さんが救急車で運ばれて入院していると、瀬賀浦中央病院の看護師長さんから連絡がありました。孝之が電話で知らせたそうです。大丈夫? 苦しかったよね…。釜谷総合病院の看護師さんから、今のお母さんの状態はだいたい聞きました。できるだけ早く、私もそちらに行くので、心配しないでいいからね。お父さんも、孝之も大丈夫です。先程、孝之には電話しました。そちらに行くまでは、孝之にはちょくちょく電話して様子を聞くようにします。だから安心してね。無理せず、ゆっくり身体を休めるようにして、治療に専念してください。 高井麻実」 追伸に「こういう時は病院の人にでも頼んで、私にも早目に連絡ください」と書こうかと思ったが、それでは母を責めているみたいなので止めておいた。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。いつも見に来てくださる方も、今日初めてお越しいただいた方も、ご訪問、ありがとうございました よかったら、応援お願いします!^^ 大変遅くなりましたが、やっと更新です。^^色々と励ましのコメント、メッセージ、ありがとうございました!順番にお返事いたしますので、お待ちくださいね。さて、とうとう小4の息子のクラスが新型インフルエンザで学級閉鎖となりました。ウチの息子は元気です。元気なのはいいとして…明日から予定では一週間、元気なまま自宅待機。例え元気であっても外出禁止。元気なものどうしであってもお友達との行き来も禁止学校から課題は出ているものの、すぐ終わるだろうし、最初の1~2日はテレビ観たり、本を読んだり、ゲームをしたりして楽しむでしょうけれど、そんなのすぐ飽きるに決まってる。(>_<;)すぐに退屈して元気を持て余すに違いない~~~なので、今週は一緒にお昼ご飯作ったり、一緒に部屋の掃除や模様替えでもしたり、何かで一緒に遊んだりしながら過ごすことにします。みなさまのところへの訪問・応援くらいはできると思いますが、今週末(11/21)は続きの更新をお休みさせていただきますので、ご了承くださいませ。m(__)m本当は今回UPした分ももうちょっと練り直したいのですが、それも無理っぽいのでとりあえずUPしました。後日ちょこちょこ修正すっかな~。^^;急に寒くなりました。みなさまも体調を崩さぬよう、お気をつけくださいね。今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)v※一部リンク先は携帯からはご覧になれませんので、ご了承ください。Copyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、 サイトをお持ちの方で私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 サイトの運営をされていない方、URLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^
November 17, 2009
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十五年前、孝之は精神分裂症と診断された。今で言う「統合失調症」だ。発症してからは積極的な感情の流れが滞り、無気力なまま毎日を引き摺って生きているように見えた。 それでも普段は特に問題なく生活していたが、こんなふうに平穏な日常が壊れるようなことがあると、それがきっかけになって様々な症状が現れてくる。 疲れがたまってくると、先ずスムーズな受け答えができなくなった。言おうとしている言葉がどんどん自分の中に沈んでしまい、それを探してどこまでも追いかけていく。そうなると周りの全てが邪魔になるのか、孝之は両目を閉じて外界の音も光も全て遮断して、見失った言葉を見付け出すまで深く深く潜ってしまう。それは時間もエネルギーもひどく消耗する大変な作業だった。 それがたびたび続くようになると目付きがどんよりと曇り、急に攻撃的になった。暴れたり大声を出したり、ひと所にはいられなくなって家を出たり入ったり、無意味に何度も繰り返した。 そうならないために、今の孝之は殻に閉じ籠る必要があった。落ち着いている時の孝之は、殻の中から身体の半分だけを出して、そこから周りの様子を窺っているようだった。決して殻から抜け出そうとはせず、何か怖いことがあればすぐに殻を閉じて籠ってしまう。けれど籠りっきりという訳ではなく、時間が経って落ち着けば、また殻から半身だけ出してじっと周りの様子を窺い始める。 母が救急車で運ばれるという騒ぎも、突然の入院も、孝之をこの殻から無理やり引っ張り出したようなものだった。電話での様子も無口になるどころか、饒舌でひどく興奮していた。 もし行けるようなら今の母の様子を見てきてもらいたかったが、孝之に動いてもらうのは到底無理な話だった。 でもどうすればいいのか。母の容態が気がかりだったが、それを知るための手立てが思い付かない。 時雄おじさんが何か動いてくれているかもしれないと、おじさんの家に電話をかけたが繋がらなかった。 病院に直接電話したら教えてくれるだろうか? 個人情報保護のこのご時世に、入院患者の容態を電話一本で教えてもらうのは難しそうな気がした。娘だと言っても、怪しまれるのがオチかもしれない。 不安は色々あったが、迷っていても仕方ない。意を決して受話器をあげてからはたと気付いた。病院の電話番号が分からない…。 タウンページも、当然我が家にあるのは愛媛版。横浜の病院は調べようがない。そうだ、番号案内は? 番号案内にかければきっと教えてくれる。でも番号案内って何番だった? それこそタウンページに載っているかもしれないと電話台に移した視線の端に、つけっ放しになっているパソコンが映った。「そうだ、ネットで検索すればいいんだ」 もうユークリッド幾何学どころではない。平行線が交わろうがどうしようが、どうでもよくなっていた。読みかけていたユークリッド幾何学のページを閉じて、すぐに母のいる病院を検索した。「鎌谷総合病院…ここだ」 病院のホームページを見付けて、すぐに電話をかけた。 母が昨夜救急車で運ばれて入院したこと、父も別の病院に入院中でとても心配していること、私には弟がいるが弟は心の病を抱えていて母のためにあまり動けないこと、私自身は愛媛に住んでいてすぐに駆け付けられないこと、親戚にも連絡がとれなくて困っていることなどを必死に訴えた。「ちょっとお待ちくださいね」 電話の向こうの看護師は、困惑気味に電話を保留にした。看護師長や医師と相談しているのだろうか。私は少しの間、受話器から聞こえてくる保留のメロディに耳を傾けていた。 しばらくしてメロディがプツッと止まり、先程の看護師が電話に出た。「愛媛に住んでいる娘さん、ということで間違いありませんね?」「はい、そうです」「念のため、生年月日をお伺いしてもいいですか?」 看護師は私の生年月日を確認し、続けて母の生年月日も尋ねてきた。「本来はこうして電話でお伝えすることはできないのですが、ご事情がご事情ですし。ご本人にも確認しましたので、話せる範囲でということで構いませんね?」「はい、それで結構です」 有難かった。全面的な協力を得られたわけではなかったが、それでも駄目もとでかけた電話だったのでそれで十分だった。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。いつも見に来てくださる方も、今日初めてお越しいただいた方も、ご訪問、ありがとうございました よかったら、応援お願いします!^^ 早くも11月ですね。連載も5回目となりましたが、このまま順調に週一ペースで更新したとして、年内はあと7回。7回のうちあと何回ちゃんと更新できるかなぁ~^^;これまでにいただいたコメントやメールを拝見していると、皆さんそれぞれに色々ご経験されているんだな…と。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもんだと思います。私もこの物語に書いている出来事の後、以前とは違った自分を見つけることができました。これからも色々な波が押し寄せてくると思いますが、どんな大波にも飲みこまれることがないように、踏ん張れる力をしっかり蓄えておきたいと思うようになりました。くじけたり、凹んだり、時には怒ったり、泣いたりしながら、それでも踏ん張れる力。自分だけではなく、家族や友人といった周りからもらえる力もきっと大きいことと思います。こうして私が小説もどきを楽しんで書けるのも、これを読んでくださる皆さんからいただくパワーのおかげ人って、いいな、すごいなぁ~と思う今日この頃です。と、何だかほんわかまとめたところで、お詫びです更新のお知らせやいただいたメールへのお返事、コメントやご訪問のお礼などかなり遅れ気味になってます。(>_
November 7, 2009
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電話を切ってからも、しばらく何もできなかった。 横浜の親戚に連絡をとる、母の入院先の病院に電話をかける、弟に電話して様子を知る、夫に知らせて相談する、横浜に行く手配をする…。やるべき事があれこれと浮かんできて、優先順位がつけられずにいた。これではいつまで経っても行動に移せない。 とりあえず落ち着かなくちゃ、そう思ってパソコンの横に置いてあったマグカップを手に取った。ココアがまだ三分の一程残っている。先ずこれを飲もう。ゆっくりと一口飲んで、「ふう」とため息をついたら少しは落ち着くかもしれない。そう思って口をつけたはずだった。 それなのに私は、カップに残っていたぬるいココアを一気に飲んでしまった。飲んでしまってから自分でも驚いた。何だか思考と身体が同じ所にはなく、バラバラになった気がした。 こんな時は頭で考えていては駄目だ。じっとしていても始まらない。動かなくちゃ、動けば何かしら風が吹く。 今思えば、風が吹き始めたらもう止めることはできないと、私はどこかで感じていたのかもしれない。何かしなければという思いと、逃げたいという思い。その二つがそれぞれ右と左から同等の力で引っ張り合い、私を動けなくしていた。 動揺する自分を「抑えて」というよりは「無視して」、最初に弟の孝之に電話をかけた。 プルルルルル、プルルルル…、コールを一回、二回と数える。どうして出ないの? 外出中、それとも電話に出られる状態じゃない? 回数が増していくにつれて不安が募る。 だいたい孝之からの連絡が何もないというのは、彼がどうしていいのか分からず、取り乱している証拠かもしれない。 早く電話に出て、そう強く願った瞬間、孝之が電話に出た。「はい、谷山です」「孝之?」「姉ちゃん?」 思っていたより力のある声が返ってきた。「今さっき瀬賀浦病院から電話あって、お母さんが入院したって聞いたんだけど」「あぁ、あのね、昨日の夜、お母さんがさ、お腹が痛いって言って、救急車を呼んでさ、それでね、それで…」 孝之は少し興奮気味だった。「それで入院することになって、落ち着いたら電話するからって言っててさ、僕も家に帰ったんだけど、まだ電話がなくてさ、それで今日お母さんは、瀬賀浦には行かれないからさ、僕がお父さんに電話したの」「お父さんとは直接話したの?」「いや、それがね、お父さんに取り次ぎはできないって言われてさ、病院の人に、お父さんに伝えてくださいって、頼んだ」 ショックで口も聞けなくなっているのではないかと心配したが、孝之は予想に反して饒舌になっていた。それはそれでとても気が張っているのが伝わってきて怖かった。張りつめた心はあとほんの少し何かが触れただけで、パシッと音を立てて粉々に砕け散ってしまいそうだった。「あとさ、さっき時雄おじさんから、電話があった」「おじさん、何て言っていた?」「お父さんの病院からね、電話があったって。大丈夫かって聞かれたから、大丈夫だって言った」 瀬賀浦中央病院の看護師長さんは、横浜に住む母の弟にも電話をかけてくれたらしい。恐らく、父が頼んだのであろう。あちこち電話をかけさせるなんて、父は余程心配しているに違いない。普段は大風呂敷を広げるようなことばかり言っているくせに、いざとなるとノミの心臓なんだから。きっと看護師長さんも、見るに見かねて電話してくれたのだろう。 自分の狼狽ぶりは棚に上げてそう思った。そう思ったら、本当にさっきまでの狼狽が私から離れて棚に上がったみたいに、少しだけ落ち着いてきた。時雄おじさんが、この緊急事態を知ってくれたということも、私の気持ちを軽くした。 自分がしっかりしなければいけない。やっと自覚できた。「孝之も大変だけど、ちゃんとご飯食べるんだよ。コンビニやスーパーでおにぎりとかお弁当買って、あ、あと野菜不足にならないように、きゅうりとかトマトとか、そうそう野菜ジュースだっていいんだから。それから出かける時と寝る時は戸締りと火の後始末には十分気をつけて。それから…」 まるで子供にでも言い聞かせているようだった。結婚してから弟のことは両親に任せきりで、たまに実家に遊びに行った時に話す程度になっていた私は、弟がどの程度一人でできるのか見当もつかなかった。「うん、分かっている。大丈夫」 孝之の気が緩んだ時が怖かったが、気が張っている間は何とか大丈夫。その間に一刻も早く実家に帰らなければならない。「できるだけ早く、そっちに行けるようにするからね。何かあったら電話して」 そう言って、受話器を置いた。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。読んでくださり、ありがとうございました!!ランキングに参加しています。よかったら、応援を^^ 先週は何かと忙しくて、皆様のところへもほとんどお伺いすることができなくてすみません更新のお知らせもかなり遅くなったり、できなかったりで…とにかく更新することを第一目標としていますので、何卒ご了承くださいませ。m(__)mでもできるだけを作って皆様のところにお邪魔できるよう頑張ります。…というか、ホントはものすご~くお邪魔したいんです。^^;ブログって書くのも楽しいけれど、読むのも面白くってん~、頑張って作らねば~さてさて、この話、どこまでが実話というコメントやメールをいくつかいただいたのですが、今のところ人名や病院名の他はほぼ実話です。心配してくださった方もいらっしゃいまして、その優しさに心から感謝…でも私にとっては何とか乗り越えた過去の話なのでご安心を。^^当時は辛くて苦しくて、神様から罰を受けた気分でしたが、今となってはとても貴重な日々。神様からの贈り物だったと思っています。ウチの息子のお気に入りの本、「雨の日も、晴れ男」に「神様は人を不幸にも幸福にもしない。ただ出来事を起こすだけ」といった内容のことが書かれています。ホントにそうだと思います。私にもただ出来事が起きただけ。それをどう受け止めるかで、幸か不幸か違ってくる…。今だからこそ、そう言えるようになったんですけどね。^^;そんなふうに思えるようになった“今”に感謝です■□■ 10年前に別れた恋人との同居から始まる物語 ■□■「poincare ~ポアンカレ~」はこちらから↓ 今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)v※一部リンク先は携帯からはご覧になれませんので、ご了承ください。Copyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、 サイトをお持ちの方で私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 サイトの運営をされていない方、URLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^
October 31, 2009
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「高井さんのお宅ですか?」 受話器から聞こえてきたのは、聞き覚えのない女性の声だった。「はい、そうですが…」 振り込め詐欺じゃないにしても、また子供の塾や通信学習の勧誘か、化粧品や下着のセールスの電話、多分そんなところだろうと思って、少しうんざりした。でもそのいずれでもなく、電話は思いもよらぬところからかけられていた。「失礼ですが高井麻実さんですね? 突然の電話ですみません。私、お父様の谷山輝義さんが入院している瀬賀浦中央病院、第二病棟の看護師長で荒木と申します」 女性らしいとても柔らかな声だったが、何があっても芯がぶれるようなことのない、凛とした雰囲気が受話器から伝わってきた。 けれどそう名乗られた途端、私の方はかなり大きく動揺した。父に何かあったのか? だとしてもなぜ付き添っているはずの母からではなく、遠く離れた愛媛で暮らす私のところに病院から電話が? 難解なユークリッド幾何学と温かいココアがもたらしたまどろみは一気に吹き飛び、急に目覚めたシナプスが頭の中でスパークした。 父は五年前に肺ガンの手術をした。その後は何事もなく順調な生活を送っていたが、今年になって正月明けに体調を崩し、病院に行ってみたところ肺に影があると言われて入院した。肺ガンの再発だった。 母からその話を聞いた時はかなり驚いたが、母は普段の他愛ないおしゃべりと同じトーンで話していた。「たいしたことはないのよ。影はかなり小さいし、治療のために毎日病院通いするのは面倒だってお父さんが言うから入院にすることになったようなもので、何の心配もいらないからね。慌てて飛んで来るような状態ではないから。ただ入院したことは、麻実にも知らせておこうと思って」「ふうん、そうかぁ。子供たちの学校のこともあるし、すぐにじゃなくていいのなら、時期をみてそのうち一度顔を見に行くよ」「気の弱いお父さんのことだから、お見舞いなんかに来られたら、俺もいよいよ駄目なのか、とか余計な心配するだろうから来なくったっていいわよ。春休みになる頃には元気になっているだろうから、その頃みんなで遊びにおいで」 母にそう言われて、かなり気楽に構えていた。つい先日も母と電話で話したばかりで、その時も特に問題はないと言っていたのに。 困惑する私に、予想だにしてなかったことが告げられた。「お母さまが入院されたのをご存じですか?」 耳を疑った。母が入院? それは青天の霹靂だった。 昨夜遅く母は自宅で倒れ、父が入院している病院とは別の病院に救急車で運ばれ、そのまま入院しているというのだ。 もしや…と、不安で胸がいっぱいになる。母も四年前に大腸ガンを患い、手術をしている。どうか再発ではありませんようにと、願わずにはいられなかった。「お母様の病状について、こちらでは詳しいことは分かりません。お父様もとても心配されています。それとご自宅に一人でいらっしゃる高井さんの弟さんのことも、とても心配されていて…」 混乱する頭に追い打ちをかけるように衝撃が走る。そうだ孝之は? 孝之も相当なショックを受けているはず。弟の孝之は長いこと心の病を患っている。この数年間にあった両親の入院や手術も、孝之には耐えがたい重圧となり、そのたびに調子を悪くしていた。なのに、また。それも今度は二人とも同時に入院してしまうなんて…。 頭の中でシナプスが激しく火花を散らし、私の頭はショートした。 何があったのか事実は分かったものの、それでもなお、今何が起きているのかを把握しきれない。「ご連絡、ありがとうございました」 それだけ言うのが精一杯で、茫然と電話を切った。 近ければ今すぐ駆け付けられるのに。そうしたいのに横浜と愛媛では簡単にはどうにもならない距離がある。それでも心だけは先に横浜に飛んでしまって、抜け殻のような空っぽの身体だけが、遠く離れた愛媛で思考を空回りさせていた。まず何からしなくちゃいけない? 焦る気持ちに急かし立てられて、鼓動がどんどん早くなった。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。読んでくださり、ありがとうございました!!ランキングに参加しています。よかったら、応援を^^ 2/24に更新の予定でしたが遅れました!連載スタートしたばかりで私らしい…と言えばそれまでですが^^;週末覗きにきてくださった方、ごめんなさいちょっと? かなり? 内容が重くなってきました。全体的に重い物語ですが、今回あたりは一つ目のハードルかな?これからいくつか重いハードル越えが待ってます。こういうの苦手~な方は遠慮なくお逃げくださいませ。^^;ところで先日、美味しいお酒造りに日々励んでいる酒蔵天領誉さんの10.22のブログでインターネットの百科事典「Wikipedia」に365日の日付の項目があることを知りましたで、自分の誕生日のページを見ていたところ、年バレネタですが… 私と同じ年・同じ日に生まれた数学者にグリゴリー・ペレルマンという方がいらっしゃるのですが、この方こそ、私が「poiincare」を書くきっかけとなった「ポアンカレ予想」を解決した方なんですまさか同い年、同じ誕生日だったとは…かたや数学者として「ポアンカレ予想」を解決しかたやブローガーとしてブログ小説「poincare」を書いてその功績は雲泥の差どころじゃなく、果てしなく大きく違いますが、なんだか他人のような気がしません。^m^;この偶然に気が付くきっかけを作ってくださった 酒蔵天領誉さんに感謝「Wikipedia」でご自分の誕生日のページをまだ見たことのない方は一度覗いてみては?^^ 「Wikipedia」の365日はこちらから ■□■ 10年前に別れた恋人との同居から始まる物語 ■□■「poincare ~ポアンカレ~」はこちらから↓ 今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)v※一部リンク先は携帯からはご覧になれませんので、ご了承ください。Copyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、 サイトをお持ちの方で私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 サイトの運営をされていない方、URLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^
October 26, 2009
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二年前の一月も終わりに近い頃。子供部屋の掃除をしていたら、息子の机の下からくしゃくしゃになった紙が出てきた。広げてみると、それは冬休みの宿題の算数のプリントだった。既に学校で答え合わせもしたようで、自分で丸を付けたのか、解答欄を囲む赤丸は先生のシュッと勢いのある丸ではなく、くるりとしたどこか微笑ましい丸だった。 その微笑ましい丸で囲まれた解答欄の中に、息子の字で「平行」と書かれているところがあった。「どこまで伸ばしても交わらない、二本の直線の関係をなんといいますか?」 問題を読んだ途端、自分が小学生だった頃のある日の授業が、鮮やかな映像を伴って蘇ってきた。「だからね、平行に並んだ直線どうしは、どこまで延長しても決して交わることはないの」 算数の時間、平行な直線について勉強していた時のことだった。 当時担任だった尾関先生は一通り説明を終えた後、黒板を背にして独り言のようにぽつりと言った。「でもね、ユークリッド幾何学の中では交わることがあるんだけどね」 それは何かの呪文みたいだった。先生の言葉は凄いスピードで私の耳に飛び込み、まっしぐらに頭のてっぺんまで駆け上がるとばちんと破裂した。 先生はそれについて何の説明もしなかった。言った後、少し遠くを見つめた気がしたが、すぐに普段と変わらぬ様子で授業を続けた。 質問する子もいなかった。聞いていなかった子も多いと思う。聞いていた子も耳慣れない難解な言葉に、自分とは無関係な世界だということだけは感じて聞き流したのだろう。 授業は何事もなかったかのように続いた。 けれど私は、授業どころではなくなっていた。 ちょっと待って。今のは何だったの? そう思った私は慌てて算数のノートの隅に「ユークリッドきか学の中では平行線も交わることがある」とメモをした。「幾何」という漢字が分からなかったから「きか」と平仮名で書いた。小学生の私たちには関係なさそうな話だけど、大学生くらいかな? 私も「ユークリッドきか学」を学ぶ日が来るのだろう。その時になれば「尾関先生の言っていたことは、こういうことだったのか」と解るに違いない。無邪気な私は何年か先の未来にほんの少し憧れを抱いて、ドキドキしながらメモした言葉を眺めていた。 けれど尾関先生が言ったことを理解する日は、いつまでたっても来なかった。ユークリッド幾何学どころか、高校の基礎解析や代数・幾何の段階で、私はあっと言う間について行けなくなった。数学のテストは毎回あっ晴れなほど見事に玉砕。理数系の大学は、選択肢の一つにすら成りえなかった。「そうだ、ネットで調べてみよう」 息子の算数のプリントを眺めながら、インターネットで「ユークリッド幾何学」を検索することを思いつき、掃除を終えてココアをいれてから私はパソコンを開いた。 「ユークリッド幾何学」で検索したページには、確かに「平行」という言葉が出てきた。けれどいくら読んでもそこに書かれていることは私には難解で、一つも解らない。しかも「ユークリッド幾何学」に対し「非ユークリッド幾何学」なんていうものまで出てきて、何が何だかさっぱり理解できなかった。 当たり前か。いくら大人になっていようが、数学に別れを告げてから何十年と、数学とは全く縁のない生活をしてきたのだから。アラフォーの私に今更理解できることではなかった。 唯一分かったことと言えば、これから先も私とユークリッド幾何学は、決して交わることなく、永遠に「平行」な関係を保つのだろうということだけだった。 あの時、尾関先生は小学生相手に、なぜあんなことを呟いたのか? そもそも先生の言ったことを、私がそのまま正しく記憶しているのかどうかも怪しい気がしてきた。私の聞き間違い? でも先生があんなことを言わなければ、「ユークリッド幾何学」なんて言葉を私が知る機会なんて他にはなかった。平行線が交わるとはどういうことだろう? 「交わる」と言っても、それは私が知っている「交わる」という概念とはまた別のものなのだろうか? 穏やかな冬の平日。ヒーターに暖められた部屋で眺めるパソコンの画面。難解な説明文や温かいココアの甘さが、私の眠気を誘い始めた。 うつらうつらしそうになったその時、電話が鳴った。 それが始まりの合図だった。私を待ち受けていた大きな罰。 罰と言うよりは、贈り物だったのかもしれない。神様からの「罰」と言う名のとてつもなく深い「贈り物」。 ユークリッド幾何学同様、決して交わることなく、永遠に平行を保つだけだと思っていた父と私の関係が、この時大きくうねり始めていた。(つづく)※この作品はフィクションです。登場人物や団体等、実在するものとは一切関係はありません。読んでくださり、ありがとうございました!!ランキングに参加しています。よかったら、応援お願いします^^ 前回もたくさんのご訪問やコメント、ありがとうございました!久しぶりということもあって、不安を抱えたままスタートしましたが、「poincare」の時からお付き合いのある方との再会、そして新しい方との出会いもあって、本当に幸せなスタートをきることができました。みなさまに心からお礼申し上げます。(^O^)/さてさて前回の物語のタイトル「poincare(ポアンカレ)」も数学者のお名前からいただいたでしたが、今回の「ユークリッド」も数学者のお名前だったりします。そして前回同様、物語は数学とは全く無関係です。^^;今回の場面は、ほぼ実話です。先生が言った言葉を正しく私が覚えているのかどうか怪しいですが、先生は確かに「ユークリッド幾何学」という言葉を使い、遠くを見ました。先生がなんであんなこと言ったのか、それはどういうことなのか、今も謎は謎のままです。(+_+)それでは皆様、風邪をひきやすい季節になりました。インフルエンザも流行っているところがあるようですし、お互い体調には気をつけましょう!^^■□■ 10年前に別れた恋人との同居から始まる物語 ■□■「poincare ~ポアンカレ~」はこちらから↓ 今日もありがとうございました♪ ぽあんかれ (*^^)vCopyright (c) 2007 - 2009 “fragments”All rights reserved. ※迷惑コメント対策で「http:」を禁止ワードに設定しました。 URLをご記入の際には「http:」とご記入にならないよう、お願い致します。※基本的にいただいたコメントに対するお返事は、 サイトをお持ちの方で私がURLの分かる方は、お邪魔してお返事させていただいてます。 サイトの運営をされていない方、URLの明記は避けたい方のみ 私のブログ内のコメント欄でお返事させていただきますので、 お手数ですが後日お返事を見に来ていただけると嬉しいです。^^
October 17, 2009
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