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フリートウッド・マックといったら、スティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムが加入してからの、ポップ・バンドとしてのイメージが一般的だろう。'77年には「Rumours」という可もなく不可もないポップ・ロック・アルバムをメガヒットさせている(全米1位を31週間記録)というハクもあるししかし、フリートウッド・マックというバンドは、元々ピーター・グリーンを中心とした典型的なブルースロック・バンドで、60年代後半にはChicken Shack、Savoy Brownと共に"3大ブルースバンド"と呼ばれていた(そうだ)。キング・クリムゾンの1stと並ぶ"鼻の穴ジャケット"(上写真)が強烈なこのアルバム「English Rose(英吉利の薔薇」は、1969年発表。アメリカ仕様の編集盤であり、日本で初めてリリースされたフリートウッド・マックのアルバムである。ピーター・グリーン在籍時の代表作で、直球ど真ん中といった感じの、もろブルース・ロックなアルバムなのだが、エリック・クラプトンに続くジョン・メイオール門下生だったピーターのブルース・ギターは素晴らしいの一言。その後のピーターの不遇ぶり(墓堀り人夫もやったとか)を考えると、「エリック・クラプトンになれなかったよ」という歌が捧げられてもおかしくないくらいだ。また、サンタナで有名…というか、ほとんどサンタナの曲だと思われている「Black Magic Woman」もピーター・グリーンの作品で、このアルバムに収められているヴァージョンがれっきとしたオリジナルだ。ここで聴けるオリジナル・ヴァージョンは、ラテン的な味付けをしたサンタナのそれよりも、やや重苦しい雰囲気を醸し出しているが、呪術的とでも言えるこちらの演奏も充分魅力的である。もうひとつ、それと並ぶ本作の聴きものが、ラストに置かれたインスト・ナンバー「Albatross」である。"あほうどり"の意を持つこの曲は、69年1月に全英No.1を記録。作者は「Black Magic Woman」同様、ピーター・グリーンである。重く淡々としたリズム。簡素で地味だが、耳に残るギターのフレーズ。何ともいえないムーディ-な雰囲気を持つ曲で、聴いていると吸い込まれていきそうな妖しさが全体を支配している。レスポールを弾くピーター・グリーンはもちろん、当時十代だったダニー・カーワン、スライド・ギターの名手、ジェレミー・スペンサー、三人のギタリストによる一音一音に込められたフィーリングが素晴らしい。アンビエントにも通じるこの空気。渋い。シブすぎる。凡庸なブルース・ロックとは一線を画するナンバーであり、普段その手の音楽を聴かない人にオススメしたい名作である。この少し後に発表されるビートルズの曲「Sun King」(「Abbey Road」収録。作者はジョン・レノン)は、全体的な雰囲気が「Albatross」に実に良く似ているのが興味深い。ジョンが「Sun King」を作る際に「Albatross」に影響された事はまず間違いないだろう。また、同じ「Abbey Road」に収録のジョンの作品「I Want You」は、中盤のリズム・アレンジがフリートウッド・マック版の「Black Magic Woman」を思わせる。この2曲を聴くだけでも「English Rose(英吉利の薔薇」は、一聴の価値ありと断言したい。つーコトで「Albatross」を聴くにはここをクリック!
2007.11.23
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青春の名曲(笑)「Oblivious」が発表されてから、来年でもう四半世紀かよ~ここはひとつ、想い出のサニービートな気分でアズテック・カメラでも聴くかい。ロディ・フレイムのワンマン・ユニットとも言えるアズテック・カメラが、先述の「Oblivious」を収録したアルバム『High Land Hard Rain』でデビューしたのは'83年。いわゆる"ネオアコ"の代名詞的名盤とされるそのアルバムを発表した時、ロディはまだ十代だった。キラキラした感性が滲み出るメロディ、素人っぽさも残る演奏が好きだったなぁ。翌年にはマーク・ノップラー(ex:ダイアー・ストレイツ)のプロデュースで、2nd「Knife」を発表。ヴァン・ヘイレンの「Jump」をネオアコ風にカバーするというパンク魂にも、さらに惚れました'87年には3rdアルバム「Love」(上写真)を発表。黒人音楽のファンだったという妻君からの影響で、本人曰く「モダン・ソウルを追求した」内容となっている。名作揃いなアズテックのアルバムの中でも、個人的にはもっとも好きな一枚だ。「Deep And Wide And Tall」は、そのオープニングを飾るナンバー。ロディの滑らかな歌声、清楚なアコースティック・ギター、程よくハネるリズム、そして明快で美しいメロディが、メリーゴーランドのように回る。間奏のスパニッシュ風ギターも、耳に心地よい。聴いていると心の中に陽が差すような、風が通るような気持ちにもなる、実にすがすがしい一曲だ。カッチリとまとまったサウンドについては、プロデューサーであるラス・タイトルマンの手腕も見逃せないだろう。ネオアコというよりは良い意味でAORと呼びたくなる仕上がりで、デビュー時の瑞々しい感性はそのままに、より完成度と成熟を伴った名曲となっている。てゆーか、ロディ・フレイムこの時23歳かよー。破綻がないというか、落ち着きすぎじゃ~これも才能ゆえの早すぎる老成か。まあ、その反動は次作「Stray」(←これもイイ)で来るわけだが。それはともかくとして、この「Deep And Wide And Tall」、メロディ良し、演奏良しの、素敵なポップ・ソングさつーコトでここをクリック!アルバム「Love」は、他にも「Somewhere In My Heart」「How Men Are」などの名曲がいっぱい良質な音楽を求める人やスイーツ(笑)な気分になりたい方は、ぜひぜひ御一聴を。現在、「Love」は次作「Stray」との2in1CDで購入可能。いい時代だなあ~(´ー`)坂本龍一がプロデュースした'93年の「Dreamland」もオススメよ
2007.12.19
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特集 プログレッシプでいこう!~その2~ジェネシス4作目のアルバムにあたる「Foxtrot」(写真)は、プログレ全盛の1972年に発表された作品である。前期ジェネシスの完成形というだけでなく、プログレッシヴ・ロックを代表する名盤としても知られる一枚だ。各メンバーの演奏力の飛躍的な向上とバンドとしてのまとまりがピーターの創造力を刺激したのだろうか。緻密なアレンジ、バンドのアンサンブル、圧倒的な構成力、どれをとっても最高の出来だが、何よりもメロディの良さを重視した作りがこのアルバムを名作の名にふさわしいものにしている。小林克也のベストヒットUSAでフィル・コリンズやピーター・カブリエルを知り、初めて聴いたジェネシスの曲が「Invisible Touch」だった僕が初めて体験した「プログレバンドとしてのジェネシス」がこのアルバムだった。ここで聴けるガブリエルの繊細かつ変化自在なボーカルは、「ピーター・ガブリエル=スレッジハンマーの人」というイメージが固まっていた僕にとっては「某萌えアニメののロリ声キャラとクレヨンしんちゃんの声優が同じ人」というのに近いくらいのインパクトがあった。それに加えて「Apocalypse In 9/8」で聴けるフィル・コリンズの超絶変拍子ドラムのスゴさ!この人って実はすごいドラマーだったのね… 「Horizons」という美しいギターソロを弾いてる人はGTRの人だったんか~!!さらにマイク&メカニクスの人までメンバーにおる…って…いやいやいや…↑もお~、こんな感じでございますよ。さて、このアルバムというと、22分にも及ぶ組曲「Supper's Ready」がなんといっても有名だが、僕が特に好きなのは1曲目の「Watcher Of The Skies」だ。メロトロン(キング・クリムゾンのおさがりらしい笑)の不穏な響きが印象的なイントロ。そこからフェイド・インしてくるフィルのタイトなドラム、トニー・バンクスのシンフォニックなキーボード、そしてガブリエルのシアトリカルな歌声が耳に残る一曲で、緩急自在なアレンジと演奏はスリリングの一言!70年代の中期までのライブにおけるオープニング曲として使用されたナンバーで、プログレ時代のジェネシスの代表曲のひとつと言っていいだろう。そして一曲一曲が高い完成度を持っていながら、全体でひとつのアートとして完成されているこのアルバムは、まさにプログレのお手本ともいうべき一枚だ。つーコトで「Watcher Of The Skies」を聴くにはここをクリック!(最初の音質が悪いのは原曲の仕様です)
2006.04.18
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僕がリアルタイムではじめて聴いたヴァン・ヘイレンのアルバムは『5150』('86年)である。つまりヴォーカリストがサミー・ヘイガーに代わった頃だ。それまでは、ラジオで流れていた「Jump」(過去ログ参照)以外ヴァン・ヘイレンをほとんど知らなかった僕は、「へ~、ヴァン・ヘイレンてこんな感じなの」と思いながら『5150』を聴いていた。デヴィッド・リー・ロスのアルバム『Eat 'Em and Smile』が発売されたのは、それからほんの数ヵ月後(というかほぼ同時期)だったと思う。↑すごいジャケット……(笑ヴァン・ヘイレンの前ヴォーカリストだった彼にとって初の本格的ソロとなる本盤は当時大きな話題となり、「ヴァン・ヘイレンに対する挑戦状」みたいな言われ方もしていた。ラジオでは、シングル・カットされた「Yankee Rose」がかかりまくっており、あるDJなどは「こっちの方がヴァン・ヘイレンらしい」みたいなことを言っていた。バックを固めるのはスティーヴ・ヴァイ(G)とビリー・シーン(B)という途方もないメンツである。当時のデヴィッド・リー・ロス・バンドは、演奏力という意味では、本家にも決して劣っていなかった。ハード・ロック好きだった僕の先輩も「絶対にデイヴ時代の方がいい。サミーはクソ」などと断言していた。クソですか先輩。そいつぁヒドイ。と言いつつ、サミーには悪いが、僕も65%くらい同感だ(笑デイヴは技術的にうまいヴォーカリストではないが、ヴァン・ヘイレンのサウンドや音楽性にぴったりだった。ワイルドでアクの強いダミ声とエンターテイメント性あふれるキャラは、エディのギターと合わさって唯一無比の"バンド・マジック"を生み出していたと思う。サミーのヴァン・ヘイレンも決して悪くはない。彼は歌は上手いしギターも弾ける。だが、サミー時代のヴァン・ヘイレンは、商業的には大成功したものの、デイヴ時代にくらべて音楽的な面白みは低下していたというのが僕の意見だ。ヴァン・ヘイレンは基本的にエディのバンドだ。だが、デイヴという男がいてこそ、このバンドは輝きを増すのだと思う。大股を広げてジャンプをするのが得意な彼の愛称は"ダイヤモンド・デイヴ"だ。『Skyscraper』は、そんなデイヴの2ndアルバムである。発表は'88年。これもまたヴァン・ヘイレンの『OU812』の発表と同じ年だった。バックのメンバーは前作と同じ。違うのは、前作に比べてポップ性がより増したこと、サウンド自体もやや丸くなったことだろうか。ただし全体的なインパクトはもうひとつ。ポップなのはいいんだけど、曲自体の出来がイマイチなんだよねぇ。中途半端というか。ビリー・シーンのベースがおとなしめ(デイヴの指示だったらしい)なのも不満が残る。これじゃ超絶テクのベーシストをやとった意味がないやん、という感じビリーが本作を最後に脱退するのもよく分かる仕上がりです。「Just Like Paradise」は、そんな本盤の中でも突出した一曲だ。シングル・カットされて全米6位を記録。デイヴとブレット・タグルという人物の共作で、「まるっきりパラダイス」というおバカな邦題も納得のパーティー・チューンに仕上がっている。80年代アメリカっぽいカラリとしたイントロが気持ちいい。スティーヴ・ヴァイのギターも快調に唸りをあげる。デイヴの悪ガキのような歌声は"うまいヘタ"を越えてロックだ。輪郭のくっきりしたサビメロは一緒に歌うのに最適。後ろできらびやかに鳴るシンセの音もイイっすあの時代に量産された産業ポップ・ロックのひとつといえばそれまでだが、デイヴらしさは充分に出ている。ブレイクでの「Ho!」という雄叫びも気持ちいいこの曲は、彼がまだダイヤモンドの輝きをはなっていた時代の名作と言いたい。PVと合わせて見ると楽しさ倍増ですぜそういえば当時のデイヴは、東芝のCM(これね)なんかにも出ていましたね。このシングルと共にアルバム『Skyscraper』も全米6位まで上昇。一応の成功をおさめたデイヴだったが、この直後にはスティーヴ・ヴァイにも逃げられてしまい、以後は音楽的にも商業的にも失速してしまう。21世紀に入ってからはカバー・アルバムを出したのみ。すっかり"過去の人"という印象がついてしまった彼だったが、なんと2007年にはまさかのヴァン・ヘイレン復帰(※1)。ベーシストとしてバンドに加入(※2)したエディの息子、ヴォルフガング・ヴァン・ヘイレンを「黙れクソガキ」と罵倒するなど、ロックな精神も忘れないデイヴ親父でした。また日本に来るのかな~? ヴァン・ヘイレンとして……つーコトで「Just Like Paradise」を聴くにはここをクリック!「黙れクソガキ」発言の映像はこちら。'08年1月26日のライヴ。この日はエディの誕生日で、突然「Happy Birthday」を歌いだしたエディの息子にデイヴが「shut ur f***in mouth wolfie」と言っている(00:15あたりに注目)。エディはうろたえて演奏を中断し、場の空気も凍ったが、4:58あたりの所でデイヴが一応フォローのコメントを入れている。※1 サミー・ヘイガーは'96年にバンドを脱退。三代目ヴォーカリストのゲイリー・シェローンもアルバム一枚のみで脱退した。※2 ヴァン・ヘイレン結成時からのベーシスト、マイケル・アンソニーは2002年に解雇。2004年のツアーにも参加しているが、"雇われベーシスト"扱いだったとか。
2008.09.25
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フレーミング・リップスというバンドは特別好きなワケでもないが、この曲は別格だ。「Race For The Prize」。'99年のアルバム『Soft Bulletin』の冒頭を飾るリリカルなナンバーで、このバンドの代名詞といえる名曲である。その年に出会った曲の中では、個人的ベスト5に入る一曲でもある。フレイミング・リップスはウェイン・コイン(ギター、ヴォーカル)とマイケル・アイヴァンス(ベース)を中心に1983年米はオクラホマにて結成。1984年に自ら立ち上げたレーベルからEPでデビューしている。80年代はインディを通して活動し、4枚のアルバムを発表。'92年にワーナーと契約し、メジャー・デビューを果たす。自分が初めて聴いたリップスの曲は、'93年のシングル「She Don't Use Jerry」である。簡単に言うと、「ポップ寄りのヘタウマ系ガレージ・バンドだな」という印象だった。時代が時代だっただけにオルタナ/グランジの香りもあった。アルバム『Transmissions from the Satellite Heart』('93年)も評価が高く、自分も「悪くない」とは思ったが、だからといってさほど興味をひかれるほどでもなく、リップスのことはそれっきり忘れていた。自分がリップスと再会することになるのは、それから六年後だ。先述のアルバム『Soft Bulletin』がそれだ。メジャーからの5枚目、インディ時代から数えて通算9枚目のオリジナル・アルバムである。当時レッチリやベック、ジャミロクワイなどの新譜を聴いていた自分は、リップスについては「ふーん、まだ頑張ってるんだ」くらいにしか思わなかったのだが、そのアルバムはやたらと評判になっているので聴いてみることにした。で、アルバムの冒頭を飾る「Race For The Prize」である。相変わらずの、ゆるゆる系オルタナ・ロックなのかな、と思ったらみごとに違った。カウントする声に続いて流れてくるのは、硬質で力強いドラムと、あふれ出るようなストリングスだった。聴いた瞬間、「おお!」と思いましたね。こいつら化けやがったな、と。この曲の印象を一言で表すなら、それは「美しい」である。メロディがよく出来ている。もちろんそれもある。が、ソフトでクネクネしたシンセ・ストリングスと、ヘタウマをひきずったガレージ・サウンドの組み合わせは白昼夢のようだ。そこにウェイン・コインの頼りない歌声が重なった時、なんともストレンジで愛おしいリップス・ワールドが完成する。それでいて全体の印象はスケール感があり、とてもキャッチーなのだ。無垢でキラキラとしていて、どこか哀しい響き。「ポップ・シンフォニー」と呼んでもいい趣はビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』に通じるものがある……かも。胸を揺さぶられる、極上のリップス・ナンバーです。アルバムには他にも「A Spoonful Weighs A Ton」、「Gash」、「Feeling Yourself Disintegrate」など、哀しくて美しい佳曲がてんこ盛り。試聴をしてみて気に入ったら、聴いてみそ。リップスはもちろん今でも元気に活動中さつーコトで「Race For Prize」を聴くにはここをクリック。ええ曲や~
2008.07.17
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騒々しいジェット機の音に重なる、ゆったりとしたギターのアルペジオ。「Dear Prudence」。ホワイトアルバムの2曲目にあたる、ジョン作のムーディーなギターポップだ。この時期のジョンらしく(?)、いわゆるサビらしきものはない構成だが、メロディ自体はとても美しい。ジョンのみならず、息子のジュリアンもこの曲をフェイバリットとして挙げている。ビートルズは'68年、インドへ"修行"を兼ねた旅行へ行く。その時、一緒に滞在していた女優の妹について歌ったのがこの曲で、部屋にこもって出てこない彼女に対して「こっちへ来て遊ぼうよ」と語りかける内容となっている。透明感のあるギターの音色が印象的で、前曲「Back In the U.S.S.R.」のエンディングとクロスする形で静かに聴こえてくるイントロが絶妙。全体に漂う気だるさと浮遊感がなんとも言えないこの曲は、ぎこちないハイテンションを持った「Back In~」と合わせて聴くのが好ましい。ホワイトアルバムのセッションが、メンバーの関係がギスギスした状態で行われた事はよく知られているが、特にこの曲はリンゴの一時的な脱退という状況下で録音が行われている。「みんなとうまくいってない。バンドをやめたい」と言いだしたリンゴに対して、メンバーはしばしの休暇を与えた。重苦しい気分で続行されたであろうレコーディングは、曲の雰囲気となってそのまま表れており、それがまた魅力となっている。リンゴの代わりにドラムを叩くのはポール・マッカートニー(※1)。「リンゴが戻ってきますように」と思いながら叩いたのだろうか、そのプレイは淡々としていて重い。無機質に鳴るハイハットの音も耳に残る。が、後半ではバタバタしたオカズも飛び出し、妙な盛り上がりを見せてくれる。シュールだ。後ろでピロピロ鳴るオルガンがまたイカしている。ジョンはボーカルをダブル・トラッキングで録音しているほか、バッキング・ボーカルにも自分の声を入れている。ポールやジョージと一緒に歌われる「Look Around Around……」というコーラスは、呪文のようでもあり、なんだか不気味。バック・ボーカルには、スタッフのマル・エヴァンスとジャッキー・ロマックス(※2)も加わっている。また、この曲でのジョンはフィンガーピッキングでギターを弾いているのだが、その奏法を教えたのはインド旅行に同行したドノバンだった。なるほど、そう思って聴くとジョンのギターフレーズ(特にエンディング)はドノバンのそれを思わせる。やわらくて、どこかつかみどころのない旋律。曲は、このフレーズが宙に吸い込まれていくような構成で終わる。後に残る、微妙な倦怠感と余韻がいいなあ(´ー`)この曲はスージー&バンシーズが'83年にカバー。他には、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアやアラニス・モリセットが、さらにはジャコ・パストリアスなどがライヴでこの曲を取り上げている。また、エルトン・ジョンは'82年に「Empty Garden」というジョンの追悼曲を発表しているが、その歌詞には"won't you come out to play?(こっちへ来て遊ぼうよ)"という「Dear Prudence」の中の一節が引用されていた。ねえプルーデンスこっちへ来て、ボクと遊ぼうよ↑このフレーズとジョンの声が、今となっては少し恐い「Dear Prudence」を聴くには、ここをクリック。(※1)「Back In The U.S.S.R.」も、ドラムはポール。(※2)当時アップルのアーティストとして契約していた人物
2008.04.06
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坊主頭が印象的だった女性シンガー、シンニード・オコナーの一世一代の大ヒット曲。'90年に全米No.1を記録したのを始めとして、世界17ヶ国でNo.1を記録したという、後世に残る名曲だ。'90年の2ndアルバム「I Do Not Want What I Haven't Got(蒼い囁き)」に収録。「あなたが去ってから15日と7時間がたった…」という歌い出しで始まるこの曲は、別れた恋人への想いを歌った美しいバラードで、これを書いたのは、あのプリンスである。元々はプリンスが自分の身内のバンドであるThe Familyに提供した曲で、オリジナルは'85年にリリースされている。オリジナルはゴスペル色の強い「まあまあな出来」だったが、シンニード・オコナーと出会う事で、この曲は新たな生命力を吹き込まれた。神秘的な雰囲気、甘美なストリングス・アレンジ、そして彼女の歌の見事な表現力。どれをとっても「美しい」としか言いようのない最高の出来で、当時は「90年代最高の曲」とまで言われた。当時は「プリンスの曲を歌ってヒットを出しただけ」などと陰口も言われたが、彼女の選曲眼と、元曲を全く別の次元のレベルにまで高めてしまう消化力から生まれた名作と言える。だが、この曲のインパクトがあまりに強かったためか、以降これといったヒット曲は出る事はなく、彼女はチャート的にはほぼ一発屋的な扱いを受けたまま消えていき、その分プリンスの株がやたらと上がるという結果に終わった。その他にはピーター・ガブリエルやマッド・ジョンソンThe The)とのデュエットでも知られる。この曲はプリンスも自らライヴで歌っており、プリンスの3枚組ベストアルバム「The Hits」でも、そのバージョンは聴けるが、はっきり言ってあまり出来が良くない。やはりこの曲はシンニードのために生まれた曲というべきだろう。ジャンヌ・ダルクのような彼女の姿が美しい「Nothing Compares 2 U」のPVはここをクリック!奔放な言動とアナーキーな姿勢が売りでもあった彼女は、当時様々な方面からバッシングを受けており、「ちょっと売れたからっていい気になってんじゃねえよ。飛行機代やるから田舎へ帰れ」と、当時ちょっと売れたからっていい気になっていたMC・ハマーに言われていたりした。最も有名なのは、'92年のボブ・ディラン30周年記念コンサートにおける、シンニード・オコナーのボイコット事件だ。彼女の出身地であるアイルランド共和国では、カトリックの教義に従って、離婚と妊娠中絶が憲法で禁止されており(離婚は1995年に合法化された)、シンニードはこれに対してかねてから異議を唱えていた。'92年の10月3日、NBCの人気番組「サタデイ・ナイト・ライヴ」に生出演した彼女は、その場でローマ法王の写真をズタズタに破り、「Fight Real Enemy!」と叫んだ。この行為は全世界で大きな話題となり、特にアメリカではシンニードに対するバッシングが激しく起こった。カトリックの教義によって生み出された「悪しき伝統」を象徴するものとして、シンニードはローマ法王を選んだのだが、キリスト教が中心であり、カトリックの教義に何の疑問も抱かずに過ごしている多くのアメリカ人にとって、シンニードの行為は「悪しき伝統に対する告発」ではなく「聖人に対する冒涜」としか映らなかった。その2週間後、シンニード・バッシングの空気が強い中、彼女は前述のボブ・ディラン30周年コンサートに出演。当初はディランの「I Believe In You」を歌う予定だったが、彼女がステージに上がった途端激しいブーイングが起こり場内は騒然。歌うに歌えなくなった彼女は、たったひとりでボブ・マーリーの「War」をアカペラで歌い、泣きながらステージを降りた。その時の模様は僕もNHKの放送で見ていたが、アメリカの大衆の心の狭さと、それに対する彼女の毅然とした態度が印象的だった。
2006.07.05
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ルーの曲を取り上げるにしても、もうちょっとマシなのがあるだろう。↑本日のサブ・タイトルを見たルー・リード・ファンの多くはこう思ったかもしれない。自分もそう思ういやね、これでも例の「Walk On The Wild Side(ワイルドサイドを歩け)」とどっちにしようか、最後まで迷ったんですよ。いやホントホント。あ、そこのアナタ、帰らずにもうちょっとハナシを聞いていって…………ルー・リードが'75年に発表した『Metal Machine Music』(上ジャケット)は、ロック史上もっとも悪名高いアルバムとして知られる一枚である。"一枚"と書いたが、アナログ盤は二枚組のボリュームだ。にも関わらず、このアルバムにルーの歌はない。歌どころかメロディもない。演奏すらない。ここにあるのは、耳障りな電子音、神経を逆なでするようなフィード・バックの洪水である。「ういーん」とか「じゃー」とか「きーん」「ぴろろろー」とか、そんな類(たぐい)の音だ。最初から最後まで、64分ものあいだ、それがずっと続くのである。なめとんのか当時、予備知識なしにこれを聴いた人のほとんどがそう思っただろう。いや、今でも拒絶する人が大半だと思われる。もちろん、すべての音楽が大衆娯楽として成立していなければいけない、ということはない。ルーが在籍していたヴェルベット・アンダーグラウンドのアルバムにも「Sister Ray」('68年)というノイジーな大作があり、『Metal Machine Music』はそれを極限にまで発展させた作品といえないこともない。しかし、ここまでくると、すでに音楽であることを拒否しているようにすら思える。いわゆる"普通の神経"を持った人にとって、このアルバムを聴き通すことはある種の拷問なのではないか。案の定、『Metal Machine Music』は発表直後から集中砲火を浴びることとなる。その前のオリジナル・アルバム『Sally Can't Dance』が全米10位を記録するヒットだったのに対し、本作はチャートの200位以内にも入らなかった。スゴい落差だ。メディアからは長きにわたって「史上最低のアルバム」という、しごくまっとうな称号が与えられたりもした。自分の場合も、ロックのお勉強をしていくうちに当然ルー・リードに行き着くわけだが、もともとが視野狭窄のポップス人間だったこともあり、『Metal Machine Music』だけは恐くて近づけなかった。ガイドブックや巷に流れる悪評を真に受けて、「悪魔の音楽だ」などと勝手に決めつけたりもしていた。が、ある日とうとう覚悟をきめ、おそるおそるCDをプレイヤーに入れてみた。そしたらである。わりと普通に聴けてしまったのだノイズには違いないのだが、そこには得体の知れない気持ちよさのようなものがあった。少なくとも自分の場合はそうだ。初期クラフトワークやタンジェリン・ドリームなどのジャーマン・ロック、ソニック・ユースやボアダムスなどの(いわゆる)オルタナ・ロックをさんざん聴いてきたゆえ、耳に耐性ができてしまったのだろうか。人間の感覚とはおそろしい。そして、いいかげんなものだ、とつくづく思う。このアルバムには『無限大の幻覚』という邦題がつけられている。それに対しては、「単なる雑音の塊に意味ありげなタイトルをつけただけ」という意見の人も少なくないだろう。だが、聴いていると脳がとけそうにもなるこのサウンドには、わりかしその邦題は合っているのかもしれない。たれ流されるノイズの向こうには涅槃でもあるのだろうか?発想を変えれば、アンビエント・ミュージックとして楽しむこともできるアルバムだ。音楽っぽく聞こえる部分もあるし、耳をこらせば所々に美しさを感じる…ような気もする。とはいえ、さすがにこれを名盤だと言うつもりはないし、「コレが分かる俺様はエラい」などというつもりもない。下の試聴リンクをクリックしても、半分以上の方は「カンベンしてよ」といって途中で聴くのをやめてしまうと思われる。むしろ、それがまともだろう。作ったルー本人もそれは自覚していたのだろうか。アルバム発表後に、ルーみずから「あれは冗談でした」と謝罪文を出した、というエピソードも残っている。しかし、いつの世にも変人はいるものだ。ドイツの某有名ミュージシャンなどは、朝起きるとまずいちばんにこのアルバムを聴いていたという。デヴィッド・ボウイやソニック・ユースのメンバーも、同様の支持者として知られている。そして近年では、このアルバムを敬愛する者、賛辞を贈る者も日に日に増えてきている。時代がルーに追いついたのか、あるいは世の中が病んでいるのか。こんなアルバムが紙ジャケにまでなるんだからなぁ。。。ルー・リードに対しては、"ロック界の最重要人物"という評価が確立して久しい。だが基本的にこの男は、"音楽に娯楽を求める人"には不向きなアーティストだと思う。『Metal Machine Music』は、その極地といえる作品だ。というより、多くの人にとって、おそらくこれは"作品"ですらないだろう。そして、そんなアルバムを時々ムショーに聴きたくなる自分は、もうすでに手遅れなのかもしれない。これが美しきバッド・トリップ・ミュージックなのか、単なる雑音なのかは、聴いたあなたが決めてください。ただし、これで「ルー・リードはパス!」と決めつけないように。ロック史に残る傑作と名高い『Transformer』や、ポム・スフレのメインHPで紹介している『Berlin』をまずは聴きましょうつーコトで『Metal Machine Music』(の一部)を聴くにはここをクリック。
2008.08.30
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ニール・ヤング、スティーブン・スティルス、リッチー・フューレイ(ex:ポコ)が在籍した事で知られる伝説のグループ、バッファロー・スプリングフィールド。1967年に発表された2ndアルバム「Again」は名盤として誉れ高い一枚であり、全10曲のうちニールは3曲を書いているが、その中で一番好きなのが、アルバムのラストを飾る「Broken Arrow」だ。擬似ライブの細切れから始まるこの曲は、6分13秒にも及ぶコラージュ大作で、ニールのメロディ・センスと卓抜した構成力が遺憾なく発揮された忘れがたい一曲。フリッパーズ・ギターの曲にもサンプリングされており、その筋(?)の音楽ファンにも馴染み深い一曲だろう(笑この曲がレコーディングされたのは'67年9月。その前に、ニールはグループを一度脱退しており(三ヶ月後に復帰)、その間ジャック・ニッチェと交流を深めながら、1人で実験的なレコーディングを行っていたというが、その時の成果が存分に感じられる仕上がりとなっている。ピアノとアコースティック・ギターを基調としたサウンドではあるが、全体を包むサイケな肌触り、スケールを感じさせる曲展開と実験精神は、ビートルズの「A Day In The Life」を思わせる。叙情的なメロディもさることながら、ニールの柔らかく頼りない歌声や儚い音色のストリングスも美しい。リッチー・フューレイのコーラスがしっかり聴ける所も泣ける。最後に聞こえる心臓音が意味深…(笑「Broken Arrow(折れた矢)」とはネイティブ・アメリカンにとっての平和の象徴であり、戦いに敗れた敗者のことをも意味しているという。後にニールの音楽出版社の名前になり、'96年に発表されたソロ・アルバムのタイトルにもなった事からも、彼にとって思い入れの強い一曲だと思われる。ちなみに、このアルバムでは他に、スティルスの「Bluebird」「Rock & Roll Woman」、リッチー・フューレイの「A Child's Claim To Fame」なんかが大好きだ。「Broken Arrow」を聴くにはここをクリック!
2007.05.15
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ポールの代名詞とも言える究極のバラード・ナンバーで、ウィングスとしての2作目のアルバム「Red Rose Speesway」に収録。アルバムでは二曲目に配置されており、ファンキーな前曲「Big Barn Bed」から間髪入れずスーッとイントロが聴こえてくる構成も絶妙。1973年4月にシングル発売されたこの曲は「Yesterdayに匹敵する名バラード」とメディアからも絶賛され、全米1位、全英9位を記録。ちなみに全米チャートでこの曲を蹴落として次に1位になった曲がジョージ・ハリスンの「Give Me Love」だった。ポールがエレクトリック・ピアノを弾きながら切々と歌うセンチメンタルなバラードで、愛妻リンダに捧げられた歌詞(いわゆるダブル・ミーニングの説もあるが…)も素朴なものながら実に心に沁みる。ヘンリー・マッカロックのギター・ソロも短いながらもツボを押さえた聴き逃せない名演で、ストリングスとの絡みも絶品だ。「ポール=バラードの人=軟弱」というイメージを持たれる原因でもある一曲だが、その歌唱には静かな情熱が感じられる一方で、全体的な仕上がりとしてはビートルズ時代のような緊張感が感じられないのも事実。ジョンのような硬派なパートナーの不在やポールのセルフ・プロデュースのツメの甘さが原因だろう。「ビートルズは好きだけだけど、ウィングスはダメ」という人にとって分岐点のような一曲では?しかしこれもまたソロ・ポールならではのものであり、リンダとデニーによるウィングス・コーラスもビートルズとはまた違った味わいのある捨てがたい魅力を持つものだ。自分的には、同アルバムに収録のこれまた名バラード「Little Lamb Dragonfly」の方が好きなのだが、この曲も名曲である事は否定のしようがない。リンダ・マッカートニーは'98年に癌で死去。その後、今はもうない番組「知ってるつもり」でリンダの生涯について取り上げた特集があったが、番組の最後で在りし日のリンダの写真が次々と映し出される映像に重なって、この曲が歌詞つきで流れたのには泣けた…ポールの心にはいつまでもリンダがいるんだろうなあ…ジョンと同じように…遠く離れたその時も この心はあの人のもとそうさどんな時もあの人は忘れないあの人への恋に生きている僕さあの人は優しい一切をふまえ それは優しく愛してくれるのさいつもの所に何も見つからなくても恋人のあの人がいればそこには何かがそうさどんな時もどこにいても喜びを得る僕さあの人は優しい一切をふまえ それは優しく愛してくれるのさそんなあの人に僕も心からの愛を捧げる幸せな毎日も もちろんあの人が届けてくれるああ あの人は僕のかけがえのない人僕の心をいつも見ていてくれる唯一の人僕の素晴らしい恋人どこまでも優しい人僕の心は変わりはしないいつの日までも愛し続けるさそうさどんな時もどこにいても僕はあの人と生きていくあの人は他の誰よりもこの僕を知ってくれている一切をふまえ それは優しく愛してくれるのさ僕を この僕をポム・スフレのホームページでは自作曲の公開や独自の名盤レビューを行っています!
2006.04.09
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達郎クラシックの一曲で、大瀧詠一、伊藤銀次、そして山下達郎がそれぞれの曲を持ち寄ったオムニバス「Niagara Traiangle Vol.1」(1976年発表)に収録されていた曲だが、1993年にポンキッキーズのエンディングに使用され、一気に知名度を上げた。もともとこの曲、シュガーベイヴ時代の未発表曲で、「シングル用の曲を作れ」と言われて、安物のワインを飲みながら一晩で書き上げたものらしい。弾むような楽しい曲調と屈託のないポップセンスはこの時代の達郎ならではのもので、シュガーベイヴによるデモも残っているが、編曲やコーラスワークは既にこなれたものになっており、もう少しリハーサルを重ねてもいいかなという部分はあるものの、シュガーベイヴのアルバム「Songs」に収録されなかったのが惜しまれる。なおこの曲、2003年にはつじあやのがカバーしているがそちらの方は個人的には「…」だ。ポム・スフレのホームページには山下達郎のアルバムレビューがあります。是非ご覧下さい!
2005.08.18
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スティーリー・ダンといえば、まず定番として挙げられるのが『Aja』であり『Gaucho』だろう。そのイメージといったら、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人をから成る"オシャレで緊張感の高い"音楽を追求するユニット、といった所か。もちろん、それはそれで間違いじゃないのだが、あくまで後期以降のハナシである。前期、特にデビュー時の彼らは、ライヴもやるごくフツーのバンドであり、音楽自体もそれほど構えたものじゃなかった。'72年に発表された1stアルバム「Can't By A Thrill」は、"いわゆるスティーリー・ダン"とは少し違ったイメージを持たせる内容で、メンバーにジェフ・バクスター(※)がいる事からも分かるように、その音楽は意外にもウェスト・コースト色があったりする。2曲目にあたる「Dirty Work」はまさにそんな曲。このアルバムは全篇通して非常に完成度が高く、実際「Do It Again」(全米6位)や「Reelin' in the Years」(同11位)といったヒット・シングルも出ているのだが、個人的にいちばん好きなのがその曲だ。作者はもちろん、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人である。イントロの、のんびりしたオルガンの音色に軽く脱力曲調もゆっくりしてて穏やかだ。サビ部分でのメロディ展開や分厚いコーラス・ワークがとても気持ちよい。やわらかなアコースティック・ギター、間奏のサックス・ソロにも心がなごむ。シンプルなサウンドは後のスティーリー・ダンからは想像もつかないが、これはこれでなかなかに味わい深い。一方で、ヴォーカルをとるデヴィッド・パーマーの声がグレン・フライそっくりな上に、コーラスの感触なんかも手伝って、一聴するとイーグルスの曲かと思えるのが笑える。それでも、ジャジーなコード感覚といい、そこかしこからネジれや毒がにじみ出てるように思えるのはさすが。このグループ、やはり出発点からしてスティーリー・ダンだったのだ。バンドが6人編成にも関わらず、この時点で結構な数のスタジオ・ミュージシャンも使っているしねともあれこの曲、個人的にはスティーリー・ダンの中でもかなり上位にくるのだが、いかがでしょうか?アルバム『Can't Buy A Thrill』は、他にも聴き所がギュウづめよ~(詳しくはこちらを参照)。ダマされたと思って聴いてみてくださいなつーコトで「Dirty Work」を聴くにはここをクリック。ん~、なごみますなぁ~※ 後にドゥービー・ブラザーズへ加入
2008.04.30
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ムーディー・ブルースといったら音楽史的にはいわゆるプログレ・バンドの位置づけであり、例の名曲「サテンの夜」を収録した「Days Of Future Past」('67年)、「Every Good Boy Deserves Favour(童夢)」('71年)、「Long Distance Voyager」('81年)といった数々の名作を残しているのだが、その割にはプログレ・ファンからの評価は低いような気がする。プログレと呼ぶにはポップで口当たりの良い音楽性や、クリムゾン、イエス、フロイド、ジェネシスなどのバンドに比べると強烈な個性に欠ける所がその原因なのかなあ。ワシみたいなポップ人間なんかはむしろそんな所が好きだったりするのだがさらに、かつてはジミー・ペイジ先生から褒められたりもした(※)という事実なんかを知ると余計にヒイキしたくなるんだがなあポール・マッカートニーと長きに渡って活動(10年くらいか)したデニー・レインもかつて在籍したという事実は……ま、いいか。'72年発表の「Seventh Sojourn」(写真)は読んで字の如くの七枚目の作品であり、前述の「Every Good Boy Deserves Favour(童夢)」と肩を並べる名作である。それまでに比べて、各曲がさらにコンパクトな作りとなっているが、繊細なポップセンスを感じさせるメロディと聴きやすいサウンドで練り込まれた佳作揃いの内容。個人的には最もよく聴いた一枚かも。スケール感と哀愁を感じさせるオープニング・ナンバー「Lost In A Lost World」、心地良い小粒さとキャッチーさを持ったポップ・ソング「You And Me」、叙情的な「The Land Of Make Believe」、マイナー調のメロディを持つロック・ナンバー「I'm Just A Singer(In A Rock And Roll Band)」などどれもいいが、個人的なベスト・トラックは2曲目にあたるナンバー「New Horizons」である。柔らかくゆったりとしたサウンド、美しさと優しさに満ちたメロディ、ジャスティン・ヘイワードのジェントルな歌声と見事なコーラス・ワークが胸に迫る名曲となっており、特にふくよかでどこか哀しいストリングスの音色にはいつ聴いても心打たれる。自分の中でのオール・タイム・ベストな一曲であり、プログレという音楽に馴染みのない人にも訴えるものを持った名曲だと思う。ムーディー・ブルースの日本での知名度や評価はことさら低いとの事だが、いわゆるプログレッシヴ・ロックの草分け的な存在であり、幾多のメンバー・チェンジを経ながら現在も活動する彼らにはこれからも頑張ってほしいものだ。「New Horizons」を聴くにはここをクリック!。※ジミー・ペイジは「本当にプログレッシブなバンドは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだけだ」と語っていた。
2007.06.05
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カントリー・ロックのオリジネイターであり、70年代アメリカン・ロックの最重要人物のひとりであるグラム・パーソンズは、ローリング・ストーンズに大きな影響を与えた事でも知られている。'68年にバーズに加入したグラムは、新顔(しかも当時は無名だった)にも関わらずいきなり自身のカントリー志向を全開。グラムに押される形で制作された「Sweetheart Of The Rodeo(ロデオの恋人)」はカントリー・ロックの先駆として位置づけられる一枚となった。その後、バーズを半年で脱退したグラムは、自分の目指すカントリー志向をより具現化すべく、同じバーズのメンバーだったクリス・ヒルマンを誘ってフライング・ブリトー・ブラザーズを結成する。ローリング・ストーンズと交流を深めたのもこの時期で、特にキース・リチャーズとは親密な関係にあったようだ。フライング・ブリトー・ブラザーズは'69年にはストーンズが企画したオルタモント・コンサート(殺人事件が起こった事で有名)にも招かれている。グラムがストーンズの音楽に影響を与えた事は、この時期('69~'72年頃)のストーンズの作品を聴けば分かるし、その後も彼らの音楽にカントリーは欠かせない要素となっていく。'70年に発表された「Burrito Deluxe」(上写真)は、フライング・ブリトー・ブラザーズの2ndアルバム。そのラストに置かれた「Wild Horses」は、ストーンズのアルバム「Sticky Fingers」('71年)にも収録されているナンバーで、ミックとキースがグラムに書き贈った作品である。報われなかった恋の相手に向かって「せめて死後の世界で会おう」と語りかけるこの曲。カントリーの香り漂うアコースティック・バラードで、ピアノにはレオン・ラッセルが参加。ゆったりとした演奏に載っかるグラムのヴォーカルは、(いつもより)淡々としていて不安定だが、滑らかな歌声の中に秘められた情感が素晴らしい。ストーンズのバージョンも非常に魅力的だが、やはりブリトー・ブラザーズのこのヴァージョンがベストだ。6分20秒という長さを全く感じさせない名トラックである。このアルバムは他にも「Lazy Days」、「If You Gotta Go」(ボブ・ディラン作)、「Farther Along」などの聴きものが揃った逸品だが、本作を最後にグラムはグループを脱退。名作ソロアルバム「GP」の制作へと入っていくのである。グラムの歌声が胸に迫る「Wild Horses」を聴くにはここをクリック!
2007.06.14
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70年代ブリティッシュ・ポップ・グループであるジグゾーが残した、不滅の一曲である。車のCM曲として、某野球選手のテーマ曲として、現在も様々な形で聴き継がれるスタンダードナンバーだが、この曲を聴くと未だにミル・マスカラスの顔が浮かんでくるという人も多いだろう。などと言うワタシは、どーせ昭和人間。プップクプーこの曲のリリースは'75年。今でいうインディーズに近い弱小レコード会社から発表されたものらしく、当初は数百枚しかプレスされなかったという。日本には、香港・オーストラリア合作のカンフー・アクション映画の主題歌として初めて上陸したらしいが、その後、プロレスラーのミル・マスカラスの入場テーマ曲として一気に名を上げ、当時の洋楽としては異例のヒットを記録(最高2位)した。アメリカでも'75年の暮れに最高3位、本国イギリスでも最高9位のヒットを記録。まごう事なき、グループの代表曲となった。この曲はクライブ・スコット(Key)とデス・ダイヤー(Vo&Dr)の共作で、当時音楽界に押し寄せていたディスコ・サウンドを取り入れた作りとなっている。が、その本質はポール・マッカートニーを思わせるデス・ダイヤーの歌声と類まれなメロディ・センスであり、結果、この曲も「ディスコ版マッカートニー」と言える仕上がりとなった。おなじみの、シリアスかつ扇情的なイントロでツカミはばっちり。続いて飛び出す、美しいマイナー調のAメロ。静かに盛り上がっていくBメロ。そして、明るく転調するサビでの解放感がなんとも気持ちいい。飛翔感に満ちたストリングスの音色と力強いワウワウも相俟って、聴いていると天高く昇っていくような高揚感を覚える。メロディ、サウンド、構成、どれをとっても完璧。多少のベタさも含めて、親しみやすさとスケール感を併せ持った、珠玉の一曲と言える。ちなみに、この翌年に発表されたチューリップの名曲「風のメロディ」は、この曲を下敷きとしている。両グループともマッカートニー・フォロワーだと思うと微笑ましいなあジグゾーといえば、世間的に知られているのはこの曲だけ。「ザ・一発屋」の称号を与えられている典型的なグループだが、クライブ・スコットとデス・ダイヤーのコンビは、この他にもマッカートニーばりの名曲を数多く残しており、その筋のファンならベスト盤くらいは持っておきたいところ。特に、ボー・ドナルドソン&ヘイウッズのカバーで全米15位を記録('75年)した「Who Do You Think You Are」は必聴の名曲だ。ちなみに、彼らの'77年のシングル「If I Have To Go Away」は、日本の職業作曲家、林哲司の作品である。なお、この曲には2バージョンあり、その両方とも現在、紙ジャケで再発されている同名アルバム(上写真)で聴く事ができる。'94年には、ニュートンなるバンドのカバーバージョンがヒットを記録。他にも、セイント・エティエンヌ、我が国ではビート・クルセイダーズがこの曲をカバーしている。「Sky High」を聴くにはここをクリック!
2007.10.18
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ボブ・ディランにとって43枚目のアルバムである『Love And Theft』は2001年の9月11日に発売された。つまり9・11テロの日である。前評判からして非常に高かったその新作を当時の僕は楽しみにしていた。だが、9月11日の夜中に飛び込んできたあのニュース映像(最初はCGかと思った)を見た時には、さすがにそれどころではなくなってしまい、即買いしたアルバムを微妙な気持ちで聴いたことを覚えている。日本人の自分でさえこうだったのだから、当のアメリカの人達がどうだったのかは推して知るべしだ。ディラン先生はこの時60歳、デビューしてからちょうど40年という節目だった。つくづく数奇な星の下に生まれたお方だ、とあらためて思う。『Love And Theft』の収録曲はすべて先生のオリジナル。このアルバムをして、先生は「ヒット曲のないベスト盤みたいなもの」と言っておられる。言葉のトリック・スターであるこのお方の真意は自分のような凡人には分かりかねるのだが、はっきり言えることが二つある。ひとつは、ロックンロール、ブルース、カントリーなどの"アメリカン・ルーツ・ミュージック"的な音楽、言い換えるならディラン自身のルーツに立ち返ったような内容であるということ。もうひとつは、(彼の作品としては)非常に聴きやすい仕上がりになっているということだ。基本的にライヴ録音(一発録り)らしく、サウンドは軽やかでシンプルなものとなっている。また、全体を包む解放感がとても印象的で、前作『Time Out Of Mind』('97年)の重苦しい雰囲気が好きになれなかった自分には嬉しいものだった。先生のヴォーカルものびのびとしており、楽しんで歌っている御大の姿が浮かんでくるかのようだ。そんな中でも自分が特に好きなのは二曲目にあたる「Mississippi」だ。前作『Time Out Of Mind』で一度録音されながらボツになっており、シェリル・クロウのバージョンが先に世に出た(※)作品である。ディラン先生は、みずからのプロデュースでそれを再録音。結果、クロウのヴァージョンを上回る好トラックに仕上がった。カントリー・フレイバーあふれるイントロ、演奏におけるゆったりとしたビートが印象的。音の感触はシンプルでポップ、そしてナチュラルだ。ディラン先生の声は枯れているが同時にリラックスしており、聴いてて疲れない。楽曲もサウンドも特に新しいことはやっていないのに、ここには不思議な新鮮味がある。先生は還暦を迎えて、あらたな出発点に立ったのだろうか。ちょい小粒な所もふくめて、21世紀ディランの魅力をあらわしたシブくてチャーミングな一曲だと思う。アルバム『Love And Theft』は、全米5位、全英3位と商業的にも成功。テレビに映るアホのブッシュの顔を見ながら、「ディランは21世紀もイケるぞ」と思った2001年の僕でした。そしてその五年後に発表された『Modern Times』で彼は、さらに素晴らしいディラン流ルーツ・ミュージックを聴かせてくれるのである。「Mississippi」を聴くにはここをクリック!※ シェリル・クロウのアルバム『The Globe Sessions』に収録。
2008.09.11
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