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義父が亡くなった翌日。1日空いていて、私はやることがなさそうだったので午前中だけ出勤して仕事を片付けた後、買い物をしてから義実家に向かいました。義実家に行っても義父がいるわけではなく、何もすることがなくて私の仕事は「義母の愚痴を聞く係」でした。夜、ポンが帰ってきました。礼服…作ったのは大学入学時。嫌な予感しかない(笑)ポン曰く、あれから身長数センチ、体重10キロ増えた、と。上着は何とか着れる・・・けど、ズボンは・・・履けたけど、モモがぱつぱつで、お尻が裂けそう・・・いまさらどうにもならないし、仕方ない、別の黒いズボンで代用することにしました。なんだか短ラン+ボンタンの風情・・・急なことなので見逃して!!その翌日。午前中の湯灌に立ち合い、義実家で時間をつぶしたのち、お通夜に向かいました。葬儀は家族葬で行うので、お別れはお通夜にお越しください、と案内したところ、田舎なので近隣のそういったお付き合いがまだあることや、義父が元気なころ地域の活動に積極的に参加していたこともありますが、お通夜には多くの人が来てくださいました。お通夜が終わり、私とポンは帰宅。ユキゾウも帰省してきました。そのまた翌日。午前中の葬儀→火葬→葬儀場に戻って三日目(なんだかよくわからない)→義実家に帰宅。この日は義母・子ども家族(ひ孫まで)・義父の弟妹夫妻・義母の姉が参列し、無事に一連の行事が終わりました。夫は後処理があるので義実家に残り、私とユキゾウとポンは帰宅しました。次の問題はこの3日後に起こりました。続く
2024.03.25
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2週間ほど前のことです。朝の5時半過ぎに夫が「オヤジが心肺停止だって!」と言って起きてきました。急いで支度をして、義父がお世話になっている老健に向かいました。4時過ぎに、ナースコールして痰を取ってもらって、おむつ替えてもらって、義父は「これで気持ちよく眠れるよ~」と言って寝たのだそうです。で、5時半には心肺停止。2月下旬の自分の誕生日に念願の外出が認められて、久々に自宅に帰って義母と義妹夫妻・孫&ひ孫に誕生会をやってもらって、次は外泊だね、と言われていたくらい回復傾向がみられていたんですけどね。その日は急にやってきました。急にやってきたので、たぶん、そんなに苦しまずに済んだのでしょう。穏やかな顔の義父でした。老健を出発する準備をしている間に、義妹と私はそれぞれの子供たちに電話をしました。義妹のところはすぐにつながったのに、うちの子どもたち2人とも電話にでない。おまけにユキゾウの電話のコール音が海外っぽい。そういえば3月の中旬に会社の友達と南の島に行くって言ってたけど、今???仕方がないからLineを送り、返事を待ちました。しばらくしたら2人とも連絡を返してきましたが、ユキゾウはやはり南の島。帰国は翌々日。お別れができるかどうかはお葬式の日程次第でした。さて。お葬式等々をどうするか。葬儀屋さんとお寺さんは決まっていました。では義父をどこへ運ぶか?義父はとても家に帰りたがっていたので、義母が「家に連れて帰る」というとばかり思っていたら、「いいよ~連れて帰らなくても。そのまま葬儀屋さんでいいんじゃない?」と言い、義父はお迎えに来た車に家の前を通ってもらって、葬儀屋さんに向かいました。葬儀場で打合せをし、和尚さんに枕経をあげてもらい、義父を置いて義実家に戻りました。色々都合があって、お通夜は翌々日・葬儀はその次の日に決まりました。ユキゾウ、葬儀には間に合いました。義実家に戻ってからまた、色々な決め事をしていったのですが、まあ決まらない。義母は「こうしたい」ってことがあったのですが、それを言わない「察してちゃん」状態で、義妹の提案をことごとく「でもそれじゃあ・・・」「義理があるから・・・」と却下するので、義妹が「じゃあお母さんはどうしたいの?」と聞くと「あんたたちの好きにやってくれていいから」って。喪主は夫が務めたのですが、夫は地元のことがさっぱりわからず、役に立たず。。。色々時間がかかりました。続く。
2024.03.25
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2週間ほど前、義父が体調を崩して入院しました。定期通院日に「入院しましょう」ということになって、そのまま入院となりました。腰?背中?の圧迫骨折と、おそらく脱水が入院の理由です。定期通院には夫が付き添っていました。その日、義父はとても具合が悪そうだったそうです。入院した翌々日、夫と私がお見舞いに行くと、義父はベットに腰かけてテレビを見ていました。点滴されてましたけど、入院当日に比べて、格段に元気になった、と夫が言っていました。その後の義父…退院に向けてリハビリをするはずが、「嫌だ」と言って拒否。そして、なぜか急に食事が十分にとれなくなり、鼻にチューブを入れられる事態に。家に帰りたくて、娘婿に「家に帰る、医者には言った、ベッドを移動しておいて」と携帯で電話してきて、夫が病院に確認すると当然退院はNG...(義母はご飯食べられない人に帰ってきてもらっても困る、と言っていました。)義父は、ナースステーションに一番近い部屋にお引越し、となりました。義父、頭はしっかりしているので、自分が弱っていることを理解していると思います。それを受け入れるのも難しいのでしょう。機嫌が悪くなるのは仕方がないのかもしれません。(と、私が義父にがっつり当たられるわけではないので言えるのですが)それにしても。うちの父も、義弟のお父さんも、義父も。男の人ってなぜ家に帰りたいんだろう???
2023.08.02
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3月の中旬、娘が挙式・披露宴を行いました。東京で、です。コロナの流行もとりあえず治まっていてゲストも招待できたし、天気も良くて良かったです。ムコドノのご両親とはこの日初めてお目にかかりました。簡単に挨拶はできましたが、主役の子どもたちが紹介してくれる状況ではなかったし、私たち親自身のスケジュールもがっちり決まっていて、のんびりお話しできる時間はありませんでした。スケジュールの中には「両家顔合わせ」という項目もありましたが、ほんの数分、両家の親族紹介で終わりでしたしね。ムコドノと娘は大学の体育会仲間。披露宴のゲストの半分くらいは大学時代の友達・先輩でした。また、来てくださった会社関係者の方も一番上でも30代前半。両家の親とおじおばを除けば、披露宴出席者の平均年齢20歳代だったかも。。。来賓の祝辞はムコドノの上司(この方も30そこそこ)。乾杯の発声は娘の同級生。余興はお友達のスピーチがそれぞれ1人ずつ。お色直しは和装から洋装へ1回。ウエディングケーキの入刀とファーストバイト。あとはクイズ&ビンゴ・生まれた時から今日までのスライド上映・その日一日の振り返りムービー(エンドロールムービーっていうの?)の上映。きっちり時間通りに終わりました(笑)親への手紙を読む、はありませんでした。父親への花束贈呈と、母親には生まれた時と同じ重さの体重のお米の贈呈がありました。お米はおくるみに包まれた赤ちゃん仕様で、赤ちゃんの時の写真が貼られていていました。それがなぜこれを選んだのか?というくらい笑える写真で、感動するどころか吹き出してしまいました。そのせいか?涙する場面はなく、ずーっと笑っていた披露宴でした。私にはいくつかミッションがありました。受付をお願いした人にお車代を預ける、とか、ご祝儀を預けたクロークのカギを預かる→披露宴終了後に娘に渡す、とか、他にも「預かる→渡す」のミッションがあり、それぞれ指示が出るので、言われたまま動けばよいのは良かったのですが、なんだか落ち着かなかったです(笑)提供された食事はとっても美味しかったです。最後にウエディングケーキをカットしたものが出されたのですが、最後の挨拶やらお見送りやらで食べることができませんでした。それだけが心のここりかも(笑) お天気が良くて何より。 心残りのケーキ・・・
2023.04.03
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元日。義父が肺炎で入院しました。ナントカ性肺炎で7年目7回目の入院です。このご時世で見舞いはNG。洗濯物を届けるのも、1名限定。その係は義妹が担当することになりました。入院して1週間もしたら、だいぶ良くなったそうで、退院する!と騒ぎはじめ、退院準備を始めることになりました。そうはいっても、すっかり元気、というわけではなく、体力がなくなっていて、自力でトイレに行くのも怪しい。義実家は義父母2人暮らし。いくら徒歩3分の距離に義妹が住んでいるとはいえ、義妹もまだ働いているし、義父が自宅に帰ったら老老介護が始まることになります。夫と義妹が動き出しました。(私は静観)まずは病院のソーシャルワーカーさんと相談し、義実家近隣の事業所のケアマネさんと相談をしていました。でも。義父、これまで介護サービスを使ったことがないので、まずは介護認定を受けるところから始めなくちゃいけないのでは?と思っていたら、案の定、これから介護認定を受けることに。認定調査は来月になるそうです。ってことは、義父、あと2か月くらいは病院かな~(暴れそう・・・)
2023.01.18
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年末年始、ユキゾウが帰ってきました。年末、ユキゾウはオット殿と一緒にやってきて、義実家のジジババに挨拶に行き、オット殿はオット殿の実家に帰り、ユキゾウは我が家へ帰ってきました。別行動&ユキゾウはオット殿の実家には行かない、という年末年始。。。いいのか?ま、遠いからいいのか?ま、実の子だけ帰ってくれば良いか?ユキゾウ、4泊5日していきました。結婚式で使う、子供のころの写真とビデオを探しました。ユキゾウが小学校に上がるころまで、写真はフィルムだったし、ビデオも8ミリでした。写真はユキゾウが小さい頃、「小学校とかで持ってこい、と言われることがあるから、良く撮れている写真は余計に焼き増ししておくと良い」とアドバイスをもらい、焼き増ししてあった写真がありました。8ミリビデオは、テープも機材もしまってあったのですが、機材が動かない。これはダメかな~と思ったのですが、デジカメになってからの写真データを探したところ、デジカメの写真データDVDと一緒に8ミリビデオのデータをコピーしたDVDがみつかりました。私、コピーしてあったんだね。(夫はそういうことはしない人なので、コピーしたのは間違いなく私)すっかり忘れていました。で、見つかったDVDを再生したところ、ユキゾウが赤ちゃんの頃はあまり面白みはなかったのですが、幼稚園に入る前後あたりから、ずーーーっと歌っていたり(歌うというより叫ぶ)、ポンが登場してだいぶ面白い映像が出てきました。久々に子どもたちが小さい頃の写真を見ましたが…ユキゾウは義母(出生時)⇒朝青龍(乳児期)⇒寺田心くん(2~3歳のころ)ポンはなんかずっと、えなりかずきくんでした。そんな写真と映像探しで正月2日が終わりました。ユキゾウは幼少期の写真たくさんと、小学校以降の写真をちょっとと、幼少期のDVDを持って帰りました。それで用は済むのでしょうか?
2023.01.07
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あまり体調がすぐれない義父。義母が言うには、毎日寝てばかりだそうだ。でも、相変わらず口は元気。今年の初め、陸稲を作っていた畑を更地にした(らしい)。「あそこを更地にしなければ、死んでも死にきれない」と言っていたが、そこは更地にした。次は。60年近く前、義父がどこからかもらった廃材で自分で建てた農機具小屋(鉄腕ダッシュの世界だ・・・)を建て替えたい。「建て替えなけば死んでも死にきれない」と言う。たしかに今にも崩れ落ちそうだし、近所に迷惑かける前に建て替えた方が良さそうだけど…これはまだこれから。そして、どうやら農機具小屋の次は義実家の建て直しが目標らしい(笑)義母が「近所で一番古いんだよ」と言ってたし、たしかにだいぶ古い。古民家、という感じじゃない、ただの古い農家。義父、死んでも死にきれないことが満載。きっと長生きするわ。
2022.11.22
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ユキゾウが来年の春に東京で結婚式を挙げることになり、衣装合わせをする、というので、見に行ってきました。私が見に行ったのは2回目の衣装合わせ。1回目に続き、ウエディングドレスの衣装合わせでした。前回、色々なデザイン(形?シルエット?)のドレスを着て、デザインを絞り、今回は似たようなシルエットのドレスを何着か着て、ドレス決定!となりました。白い、似たようなシルエット。。。その差はドレスの柄が違うか、背中の開き方が違うか、せいぜいそんな感じ。どれがいいかと聞かれても・・・というのが正直な感想。一緒に行ったユキゾウの旦那さんも、私に「決め手はないですよね~」とこっそり言っていましたが、ユキゾウには「当日、自分がテンションが上がるものを選ぶのが一番だから、自分が一番気に入ったものにすればいい」と言っていました。(うまいこと言うな~)ウエディングドレス決めるのに前回2時間今回2時間。旦那さんはカメラマン(笑)ウエディングドレスが決まったので、次回は新郎の洋装・和装と新婦の白無垢を決めるのだそうです。が…新郎の洋装のカタログ(タブレットに入っていた)を見たら、種類が10くらいしかない…成人式の時にも思ったけれど、男子って気の毒。
2022.09.22
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テレワークで研修中のポン。夫も私もフル出社なので、家にはポンとワンコだけ。ワンコはリビング住みで、ペットサークルには入っておらず、入ってはいけないところはドアを閉め、家の中では自由にしています。ポンと家に2人きりだと、ポンを呼びに行ってしまいます。(遊んで欲しいわけではなく、ただ一緒の部屋にいて欲しいだけのようです。)冷暖房必須シーズンはリビングのドアを閉めてしまうのですが、冷暖房なしで暮らせる節電シーズンは可能な限り窓やらドアやらを開けて風を通すようにしています。そこで、ポンを呼びに行かないようにペットゲートを設置しました。夜中に夫がぶつからないか、が心配です。。。そしてテレワークの邪魔をするのはワンコだけかと思いきや。「風が強いと窓がガタガタいうんだよ~」とポン。これはググってみたら、アルミサッシのガタツキをなおす方法が出ていました。まずは掃除。次にドライバーで調整。まあ、休みの日にやってみようかね。そして。近所にある小規模保育園の声。4月は号泣する声が聞こえるのよね。これは仕方がないよ。窓問題と保育園問題はどうしても気になるなら、会社の近くに防音ばっちりのマンション借りる、がいいかも???それにはまた、おカネという別問題が発生するけどね。犬 ペットゲート ベビーゲート 柵 赤ちゃん ベビー ゲート シンセーインターナショナル スチールゲート2 ホワイト 【メッセージカード対応】 ベビーゲート ペットゲート 柵 犬 赤ちゃん ベビー ペット 【あす楽】
2022.04.21
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ポン、この春、新社会人になりました。隣県の会社に就職しました。が、まだ家にいます。元々、最初の半年くらいは東京or在宅で研修の予定、と言われていました。東京なら会社が用意してくれるし、在宅なら引っ越さなくても良いじゃん、実業務が始まるころに引っ越せばいいか~ってことで、いまだ家にいます。4月1日から1週間ほど、東京で研修を受け、その後はWebで研修を受けています。東京での研修後、1度出社、次の出社は5月だそうです。新幹線使ってよいらしいです。乗り継ぎ良ければ片道1時間半かからず。余裕で通勤圏内。家でWeb研修中の新社会人。大学生の時と違うのは、とりあえず朝8時に起きることと、上半身はワイシャツ着てること。きっとポン本人は新しい生活になっているんだと思うのですが、傍から見ている私は、今一つ新鮮味がありません。ずっとWebの研修。最初の1週間の集合研修で、同期入社皆、積極的に仲良くなるようにしていたそうです。コロナ禍3年目。会社も社会人1年生も対応できているみたいです。
2022.04.20
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なんと、ユキゾウが結婚しました。お相手は学生時代の部活仲間です。学生時代からずっとお付き合いしていたようですが、私たち親は一度も会ったことはなく、年末に結婚のあいさつに来られた時が初対面でした。ま、もう二人で決めちゃったことだし、特に反対する理由もないので、二人で頑張ってね、です。(なんだか、10月にご結婚されてNYに行かれた方のせいなのか、私の中ではちゃんと働いていればOK、になっていたような・・・)コロナ禍で、出社は週1。遊びに行くこともままならず、Web会議でもなければ誰とも喋らない日があったり、Web会議でストレスたまったり、と、結構追い詰められ気味だったユキゾウ。1人ではなくなるのは安心は安心・・・でも。「コロナ禍でなければこんなに早く結婚しなかったかな」って言ってたけど、大丈夫?結婚したいと言ってきたのは11月。それから彼が年末に挨拶に来てくれて、年始にお相手のご実家(かなり遠方)にユキゾウが挨拶に行って、1月の上旬には引っ越して、先日入籍。コロナ禍で、親同士の挨拶は手紙と電話だけだし、引っ越しも二人で済ませたし、結婚式もするのかしないのか決まってないし。そもそも、ユキゾウが家を出てからもう7年。娘が結婚した、なんて実感は全くない、なぁ。
2022.02.18
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肺炎で入院していた義父が無事退院しました。2~3か月くらいの入院になる、と聞いていましたが、3週間ちょっとで退院できました。元々、働き者の義父。(せっかち、とも言います)退院して家でゴロゴロ、はできないらしく、さっそくスモモの袋詰めに取り組んでいるそうです。ちなみに、スモモは義母が収穫。義母が収穫→義父母で袋詰め→叔父さん(義父の弟)が取りに来て自宅近くで無人販売。アラエイティ(っていうのか?)の3人、本当に働き者です。頭が下がります。
2021.07.13
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義実家にお手伝いに行ったポンは、義母に頼まれて義父の病院にお届けものをしに行ったそうです。義母は義父のいる病棟が「A棟〇階」なのか、「B棟〇階」なのかが怪しくなり、結局ポンは病棟がわからないまま、病院に行きました。ポンは病院の受付で義父の入院病棟を聞き、院内の地図を渡されて(建て増し建て増しでなかなか複雑な構造になっている模様)、義父のいる病棟のナースステーションに行きました。時節柄、病室に行くことはできず、お届けものはそこで看護師さんに預けたのですが、どうやらナースステーションに義父を連れてきてもらうことはできるようで、看護師さんがポンに「お時間あるなら、ちょっと待っていてください」と言って義父のところに向かったそうです。が、戻ってきたのは看護師さんだけ。。。義父は「話すことはないから、いい」と言ったそうです(笑)ポンは、じいちゃんらしい、と言って笑って帰ってきました。ポンが帰宅後、義父から「ポンが来てくれたとは思わなかった、悪かった」と謝罪の電話があったそうです(笑)義母か義妹だと思ったのかな? ← これならホントに義父らしい(笑)いやいや、看護師さんだって、「お孫さんが来ている」くらい言ってくれるよねぇ。← 看護師さんの話も半分くらいしか聞いてないか?それもまた義父らしい(笑)その後、義妹からも「じいちゃんが、会わない、って言って申し訳なかったって反省してる」というLineが来ました(笑)義父は看護師さんに「話すことはないから、いい」と言った記憶がないそうです。記憶がないという義父を夫は心配していましたが、ポンと私は「じいちゃん、看護師さんの話、全然聞いてなくてテキトウに返事したね」と結論付けました(笑)
2021.06.18
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ユキゾウの成人式の時はやれ振袖はどうする、着付けの予約は、写真は、と、いろいろ準備をしたし、高校卒業とともに振袖のカタログがあちらこちらから送られてきたのだけれど、今度成人式を迎えるポンには何もない。女子と男子で格差ありすぎ。なんだかちょっとかわいそうで。スーツ新調する??? ⇒ 大学の入学式で一回着ただけのがあるよなぁ・・・袴レンタルする??? ⇒ これはナシだそう(笑)20歳の記念になるものでもプレゼントする??? ⇒ 何を???世の中の男子の親御さんはどうしているんだろう?姉弟とかだと、格差丸見えなんだけど。そうそう、何もないどころか、いまだ市役所から成人式のお知らせが来ていない。(近所の子に聞いたけど、皆届いていない模様)成人式、あるのかね?(笑)
2019.10.29
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義父がまた肺炎で入院しました。器質性肺炎で、3回目です。最初の肺炎からずっとステロイドを飲んでいて、徐々に量を減らしてきて、次の検診でなにもなかったら投与をやめようってことになっていたらしいのですが、数日前から息があがるようになって、病院に行ったら即入院、でした。お見舞いに行った限りでは、ご本人は食欲もあり一見元気そうに見えました。よくしゃべるし。寝てないし。熱もないようですし。(熱が出ない方が怖い気もしますが・・・)ただ鼻から酸素入れているのに、血中酸素濃度が90を下回っていました。苦しくないんだろうか?あまり良い状況ではないと思うのですが。医者からは3回目の発症で薬が効くかどうか保証ができない的なことを言われたそうですが、夫は義父が元気そうにしていたので、あまり深刻には受け止めていないようでした。週末は家でゴロゴロ、の夫。お盆休みも家でゴロゴロ、の夫。実家に行って来たら?と言っても、行かない夫。義実家通いをして欲しいと思うのだけど。
2018.08.27
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来週から始めるわんこの治療のこと。うまくいくかどうかが最大の心配ごとではあるのだけれど、他にもおカネと時間のやりくりの心配があります。おカネの心配は夫に相談しても仕方がないので、まあ何とかするとして。時間のやりくりの問題は夫に相談・協力を求めたいところなんです。週1回注射による投薬をする3週間。注射をする日は一日病院預かりになりますが、その後の6日間は副作用の心配をしつつ、様子を看ていないといけません。土日を除く4日。家人が留守になる日中をどう過ごすか。とりあえず、私は上司に相談して、病院が休診日の曜日は休暇をもらうことにしました。残りの3日は病院にあずかってもらうか、私と夫が休みをとれるだけとるか。全部の日を休暇をとって、というわけにはいかないので、病院にあずかってもらうことにはなるのですが、前回の治療の時は病院にあずかってもらったら、緊張でご飯は食べないし排尿もできないという状態だったので、できれば家で過ごせる日も欲しいかな、と思います。しかし・・・休み取るよ、と夫は言ってはくれたものの、いつなら取れるのか?のスケジュールが立てられないみたいです。相談になったのかならないのか?まあ、休みがとれそうな日に休んでもらいましょう、ぐらいでいかないとダメってことですね。こういう時でもあてにしてはいけないってことを再認識しました。そして。これから先、わんこの病状のこともありますが、目の前にはポンの進学の問題があります。ポンはすでに進路の話は夫の前では一切しなくなっています。(進学先の話をすると、夫は必ず自分の母校を押してくるだけなので)来春にはおカネのやりくりと時間のやりくりの問題も当然発生してきます。時間のやりくりの相談相手はユキゾウかなぁ。。。
2017.06.28
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肺炎で入院していた義父が退院しました。どうやら間質性肺炎か器質性肺炎なる肺炎だったらしいです。退院するときに酸素ボンベを持っていくかどうかをお医者さんに聞かれて、近所のかかりつけ医にもあるはずだから、いざとなったらそこに行くからいらない、と断ったそうで(汗)とりあえず、家で2週間は安静にしているように指示はだされたそうで、家の中でおとなしくはしているようです。(しゃべり倒してるけど)。まあ、まだ畑に出る元気と勇気はないのかも。。。82歳にして初入院の義父。肺炎球菌ワクチンは打っていたの?と聞いたところ、義母は打った、義父は義母がどれだけ勧めても打たなかった、のだそう。義母は持病があって、若い時から健康状態は「安定した低空飛行」なので、定期的に通院はしているし、インフルエンザとか予防接種もしているけれど、義父は健康には自信がある人なので、予防接種は全く打たないし、病院も行かない。よく聞きますが、義母のようにどこか少し具合の悪い人の方が長生きするかも、です。
2017.05.21
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先月。母の主治医の先生に事情を説明して、紹介状を書いていただき、施設に相談に伺いました。結果、入所は可能という判断をいただいたのは、クリスマスのころ。あとは、入所の時期をいつにするか。家族で話し合い、時期を決めたらまた相談、ということになりました。母は地元を離れるつもりも、家を離れるつもりもありません。母の説得はそれはそれで相当難しそうですが、私を悩ませているのは、また違った問題。母の調子に合わせて妹の機嫌も言うこともころころ変わります。機嫌が悪い時は、こちらからの連絡は無視するか、電話で怒鳴り散らされます。つじつまが合わないことも多々。とにかく全て私が悪く、ずるいのだそうで、一方的に怒鳴り散らされます。母は私に会った後には必ず荒れるそうなので、私はどう関わったらよいのかも悩みどころ。そして今がまた、妹の機嫌が悪い時期。冷静に話し合い、はできない状態で、施設のことも「さっさとやれ」と怒鳴られるだけ。3週間前は迷っているって言ってたのに。介護うつも疑っていますが、それともちょっと違う気がします。生まれてからずっと、母と一緒にいる妹。母と離れると妹には経済的な不安も出てきます。施設のことは妹の希望に沿って動いてきましたが、いざ、話が進み出したら、もしかして母と離れることが不安???その不安もわからないわけではありませんが、理不尽に怒鳴られてばかりだと、私が病みそう。。。来週、母を施設見学に連れて行く約束をしましたが、その約束も直接母としました。大丈夫かな。
2016.01.08
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先月、母の介護認定が下り、地域包括センターなる市の相談窓口に相談に行ってきました。母の住所登録は私の家になっているので、まずは私が住む市の窓口へ。母にとって一番良いことは、在宅介護サービスを利用しながら住み慣れた自宅で生活できるだけすること。その次は住み慣れた地域の施設を探すこと。それはわかっていますが、それは少々無理な相談で。最後の手段?として、私の住む市内の施設を探す。結局、この方法を取ることにして、施設を紹介していただきました。最初の施設は、母にはちょっと無理かな、と思い、別の施設の話を聞きに行きました。今まで介護サービスを利用していないので、ケアマネさんも付いてもらっていないし、母自身は別の市の実家に住んでいるし、主治医も実家の近く。。。施設の方からは、まずは主治医の先生の紹介状を、と言われ、それを元に入所の審査をしてくれるそうです。母の状態には波があり、とても機嫌がよくとても理性的な日もあれば、些細なことでキレて数時間怒鳴り散らしていることもあるようです。妹と二人きりで住んでいるので、妹が受け止めきれないのは仕方がないと思います。まずは施設が受け入れてくれるかどうか、が問題ですが、その次の問題は母を実家から連れ出すこと。連れ出す自信がありません。。。いろいろ難しいです。
2015.12.01
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ひと月ほど前。認知症の症状がある母と同居している妹が「面倒見切れない!」とキレました。母、体は普通に動くけれど、とにかく物忘れが激しく、感情のコントロールが利かなくなる時があるらしく、妹に攻撃をするようになって実は数カ月。その現場は見たことがありませんが。いろいろあって、夫と相談して、母を自宅に連れてきました。母にとって我が家は、ほぼ知らない家と場所。水道の栓一つ違うと水が出せない。何度教えてもトイレの場所も怪しい。長い間1人で置いておくわけにはいかないので、職場にわがままを言って、1週間は午前中だけ仕事に出て、午後はお休みをもらいました。その間に、介護認定の手続きを始めました。認定が下りるまでには1ヶ月半ぐらいかかるそうな・・・母を自宅に連れてきて1週間。冷静になったのか、妹から母に「帰ってきていい」と連絡がありました。私の家にいると「知らない家」なので、本当に何もできませんし、妙に弱気でした。が、実家ならば普通に家事ができるし、今のところ外で迷子になることもありません。実家にいた方が物理的環境は母にはいいと思います。結局、母は実家に帰って行きました。実家での母は強気、です。できていないのに「できる」と言い張ります。そして攻撃の対象が妹です。(私はもう長く一緒に住んでいないので、母の中に遠慮があります。)妹がその攻撃にいつまで耐えられるか?耐えられなくなったらどうするか?また私の家に連れてくる?母のいた1週間、夫も相当気を使っていたらしくストレスがたまったようで、母が帰った後、私にあたってきました。1週間でそうなら、同居なんて無理かも。介護認定の手続きは私が進めないとならないことになり、主治医の先生へ書類作成をお願いし、市役所の方と母との面談に付き合い、後は判定待ち、です。この先、どうなることやら。
2015.10.08
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ユキゾウは小さい頃、「お父さんに似てるね~」とよく言われた。生まれたばかりのユキゾウを見たとき私は「あ、お義母さん・・・」って思ったし(笑)そんなユキゾウ。今は「誰に似てるの?」ときかれる。そう、見た目、誰に似てるのかわからない。そして、彼女は文系。何が苦手って数学が一番苦手。一応、両親理系なんだけど。ちなみに私は数学は2番目に得意だったのに。さらに。2学期の成績で一番よかったのは「体育」。そして今やっている持久走でも学年で20番以内らしい。。。もはや私の子ではないんじゃないかとも思う。(私は小学校の時体育で「1」取ったことあるんだよぉ~)性格は・・・真面目にコツコツ、は誰?って思うけど、気難しいのは私の家系だなぁ。そして、ポン。たまに「お父さんに似てるね」って言われることもあるが、「たまに」だし、一番似てるのは「のび太くん」だと思う。ぐーたらしているところもそっくり(笑)ユキゾウと同じく、数学が苦手。なぜ???ポンの「出不精でせっかち」は、私の母にそっくり。ちなみに、出不精は義母、せっかちは義父もかなりもの。とりあえず、今困っているのは「数学が苦手」。どうしてかなぁ???
2014.02.02
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毎年、義父母の誕生日が近くなると一応、「どうする?」と夫にきいてみる。すると夫は必ず「(夫の)妹に相談する」と答える。子どもたちが小さかったころは、義父母の誕生日前後の週末に義実家に泊まりに行って、近くに住む義妹家族とともにご飯を食べたりしていたけれど、子どもたちも大きくなってそれはできなくなった。ここ数年は夫が義妹に丸投げして、プレゼントとケーキを届けてもらっている。昨年の2月。義父は77歳の誕生日を迎えた。義父は自分で「お祝いの会」を開きたかったらしいのだけど、私の父が亡くなったばかりだし、孫二人は高校受験だし、で義母に止められたらしい。なんとなく義父に申し訳なかった気がするので、1月のうちに夫に去年お祝いできなかったから、一年遅くなったけれど今年お祝いしたら?と言ってみた。夫の回答は「(夫の)妹に相談する」だった。。。で、夫は義妹に電話していた。義妹のところは東京にいる長男が事故にあってしまって入院中でバタバタしている。それで夫は「自分が何か考えておく」と言っていた。あっという間に1カ月。毎週末、図書館に行ってみたり、ちょっと買い物に出てみたり、家でゴロゴロしていた夫。結局、私には何も相談もなく、何か動いた様子もない。そんな夫が義妹に電話するんだけど何か用事ある?と言ってきた。まさか義父の誕生日のお祝いをまた義妹に丸投げするんじゃないよね?と思ったら、そのまさかだった。相変わらずぎりぎりにならないと動けないし、自分じゃやらない、っていうか、できない?夫には、甥っ子が入院していて大変そうなのに丸投げは申し訳ないと思う、と言ってみた。結局、義妹に電話はしたみたい。どうなったのかは知らないけれど、週末に自分ひとりだけ泊まりに行ってお義父さんと飲んでこようかな~と言っていた。ちょっと良いお酒買って行ってくればいいよ。
2013.02.19
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父の一周忌の法事でした。これまでの法事はホントに家族だけで営んできましたが、今回は父と母の兄姉の家の人たちにも来てもらいました。父も母も末っ子。父の兄姉で生存しているのは実姉が1人と別の姉の夫が1人だけ。その2人も入院しているので、私の従兄弟にあたる人たちが来てくれました。母の兄姉も生存しているのは実姉3人と兄嫁1人。みんなもともと車の免許を持っていない人々なので、それぞれ息子とともに来てくれました。お年を召した方の集まりはホント自由(苦笑)お寺でお経をあげてもらっている間に、伯母はユキゾウに「何年生?」って聞くし。お墓に行った時もまだお坊さんがお経をあげてくれているのに、それぞれ散って勝手に墓地の探索?してるし。法事の後の会食のとき。私の前には母の長姉、その隣に母の兄嫁がいました。それぞれ勝手にしゃべって、会話にならない(笑)母の長姉は「ビールは好きじゃないんだよ」と言いながら、ビール飲んでたし。「ブランデーよりウイスキーが好きなんだよ。水で薄めるとまずいからそのまま飲んで(ストレートで飲むんだね)、あとから水を飲むんだよ。今でもジョニ黒って売ってるのかね?あれがうまいんだよ。」と言うこと数回。とどめに「今はお金がないから買えないんだよ・・・」とがっくり肩を落とす。お金ないわけないんだけど。で。会話になった!と思ったら、80過ぎの嫁・小姑プチバトル(笑)お米と一緒にさんまを入れて炊く「さんま飯」なるものがあるそうで、その「さんま飯」を作るときにさんまのハラワタを取るか否か、薬味としてニンニクの葉っぱを入れるか否かでもめていました。「さんま飯」に入れるさんまは一尾そのまま入れて炊いて、炊きあがったら骨を取ってほぐすのだそうです。骨は小骨も含めてすごく簡単に取れるから~と言っていました。「さんま飯」はお祖父さんが好きだったそうで、母の実家ではよく食べたらしいです。が、私は一度も食べたことがない・・・で、母に聞いたら、作り方を知らない、と。母の長姉&兄嫁いわく、「○○ちゃん(母のすぐ上の姉)はよく手伝ったから知ってるよね~」って。末っ子の母はな~んにもしなくてもよかったらしい(笑)母の長姉にはそのうち「ジョニ黒」贈ろうっと。
2013.02.10
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ユキゾウには同い年の従姉妹(夫の妹の娘)がいます。隣町の義実家の近くに住んでいます。小さい頃は仲良しでした。あ、別に今が仲が悪いわけではありません。ちょっと「ビミョー」な感じがするだけです。ユキゾウいわく、原因はユキゾウが義妹が苦手だから、だそうです。同い年なので、2人とも高校受験でした。ユキゾウは第一志望の公立高校に合格しましたが、姪っ子はすべり止めの私立高校に行くことになりました。この結果がまた微妙・・・姪っ子は第一志望の高校は本人も「ダメもと」のつもりで受けたらしいし、結構な高倍率だったので、サバサバしているらしいのですが・・・そうはいっても、なんかちょっとビミョーな感じ。同い年の従姉妹って中高生くらいになると微妙になるのかな。私にも母方に同い年の従兄弟がいますが、そういえば中学生ぐらいのときから全然会っていないし、中学校の時の友達はすぐ近所に同い年の従姉妹が住んでいて小中高ずっと一緒だったのに、実はすごく仲が悪かったみたいだし。高校の同級生にも従兄弟同士の男子二人がいたけれど、母方の従兄弟だったので苗字も出身中学も違うからって高校卒業するまで誰にも言わなかったらしい。すごく優秀な二人だったのに比較されるのがいやだったんだって。どこもそうなのかしらねぇ???夫に義母から「24日に一緒にお祝いをしましょう」っていう誘いが3日ほど前にありました。すでに24日には子どもたちには予定が入っていたので、夫が自分だけ行くつもりになっていました。24日の朝になって、夫が私に「一緒に行かないか」と言ってきました。子どもたちのお祝いのはずなのに、私たちだけ行ってどうするの?と思いつつ、自分のうちの子だけじゃなくて姪っ子のお祝いもあるので、一応、せめて私は実父の四十九日が終わるまではお祝いの席は遠慮しておくよ、と夫に断りました。(ま、正直、行きたくなかったのでいいわけなんですけどね。実父の四十九日は来週なので、それが終わってからでも良いんじゃないかとも思うし。)夫。また結局1人では実家に行けないようで、義母に「行けない」って電話をしていました。なんだかねぇ。。。夫が行かなかったものだから、4月になったらまた子どもたちを連れて義実家に行かなくてはならないんだろうなぁ。ユキゾウもまた、行かない理由を捜しそう・・・従姉妹には会いたくないみたいだし。
2012.03.24
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墓のない我が実家は、結局、父の実家の菩提寺にお葬式をお願いすることにしました。実家が引っ越す前の家は、そのお寺さんの近くにありました。枕経にきてくれた副住職さん。副住職さんは私よりも5歳か6歳年下。子どもの頃、駄菓子屋さんに行く時にはいつも旧実家の前を通っていたそうです。父の戒名を決めるためにいろいろ聞かれました・・・で、決めてくれた戒名の中に「照」の文字。たしかに照れ屋だったって言ったけど・・・副住職さんの子どもの頃のわが父の印象が「アタマが光っている(毛が薄かった)」「金歯銀歯が光ってる」からだと私と妹は確信しました。父は満78歳でしたが、そのお寺さんの宗派なのか何かはよくわかりませんが、お通夜のお経の時に「80歳」と言われました。そのとき、会場にざわめきが・・・父の同級生の「女の子」たちのようでした。「80歳って・・・」って。そこの2歳は大きいよねぇ。。。葬儀屋さんと打合せしたり、親戚に連絡を取ったり、お葬式が終わるまではかなりバタバタしました。こうして悲しんでばかりいられないようになっているですねぇ。我が家の場合は、母と妹はもう十分介護したからっていう気持ちがあるのと、父自身も多分精一杯生きてやっと楽になったんだろうなぁという感じがものすごくしていたのとで、家族は悲しいというよりほっとした気持ちの方が勝っていた気がします。そうそう。父が亡くなる2日前に、実家の隣の家のお父さんが亡くなりました。しかも父と同い年。同じ組の人は4日続けてお通夜・お葬式・お通夜・お葬式でした。父のお葬式の翌日、組長さんは寝込んでしまったそうです。。。
2012.02.29
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今日は2月29日。今年はうるう年なんですね。今月はなんだかものすごくいろいろありました。。。先月の終わりに肺炎で入院した父。当初は「3週間ぐらいで退院を目指しましょう」って言われていたのに、入院して3日目。母から「もうダメかも」っていう電話がかかってきました。その前の日にお見舞いに行ったときはそんな感じじゃなかったんだけど。。。平日で、私は仕事中だし、子供は学校だし、あわてて駆けつけたとしても、病院まではどうやったって2時間以上かかっちゃうから、と思って、母からの次の連絡を待つことに。で、2時間後、「大丈夫だった」っていう連絡がありました。その一週間後。また同じことがありました。今度は朝一番の連絡だったので、パートを休んで病院に行きました。行ってみたら父の容態はとても安定していました。ただ、意識はないようでした。。。これが、ユキゾウの私立高校入試の2日前。3年も寝たきりの父。何も今具合が悪くならなくたって・・・っていうのが正直なところ。父にも母にも妹にも悪いけれど、ユキゾウを最優先にするから私立高校の入試が終わるまではもう病院には来れないよ、と言って帰ってきました。次は入試の2日後。父の容態がまた悪くなったという連絡がありました。が、今度はポンが熱を出していました。インフルエンザの疑いアリ、なので父のところには行けません。(妹は怒っていましたが・・・)結局、ポンの熱は1日で下がって、インフルエンザではありませんでした。母も妹も父の容態が悪くなると電話をくれるのですが、改善された時には連絡をくれないんですよ。全く。片道2時間かかるので「ちょっと見に行く」ってわけにもいかないのにね。ポンがインフルエンザじゃなかったことがはっきりしたので、翌日の土曜日に見舞いに行きました。その1週間でいろいろ減衰しているのはわかりました。そして翌12日の日曜日。明け方早くに「今度こそダメかも」という電話がありました。日曜日だったので一家揃って病院に行きました。病院に着いたときにはこれまた父の容態は安定していました。が。減衰は確実にすすんでいたようで、その日の午後、父はすぅ~っと亡くなりました。
2012.02.29
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私の実家には仏様がいない。(父も母も大人数の兄弟の末っ子なのでね)=お墓がないんです。20年以上前のことですが。まだ私が20代で結婚する前のころ、父が「お墓を買おうか」と言ったことがあります。父は長女である私がお墓を守ることを期待したんだと思いますが、当時、まだ若くて実家から離れて自活していた私はたしか「私がお墓の面倒を見るのはムリ」と父に言ってしまった記憶があります。そのとき、実家住まいの妹が「お墓の面倒は自分がみるよ」と言ったそうですが(私は覚えていない)、妹のことを好きでなかった父はスルーしたみたいです。その後、父は倒れて闘病生活を送っていて、お墓の話はなんとなくできなくなっていました。で、今に至ります。先日、いまだ実家住まいの妹に父方の従姉妹(父の姉の娘。ここも姉妹。2人とも独身。すでに伯父は亡くなっていてお墓に1人入っている。)から「家のお墓に一緒にどう?」とお誘いの話があったそう。私は妹にこの話を「どう思うか?」きかれました。(電話で)そのお墓は多分父が希望しているであろうお寺さん。しかもわりと立地条件(?)がよい場所にある。(これからそこのお寺さんから墓地を購入となると、坂道を相当登らなくちゃいけない場所になっちゃう)父と伯母はとても仲良し。伯母の家も従姉妹の代で終わりなので、従姉妹が年を取ったら永代供養にすることになっているそうです。家も妹で終わりなのでどちらにしてもいずれ永代供養にするつもりのようです。信仰心の薄い私は「お母さんさえよければその話に乗ってもいいんじゃない?」と、妹に話しました。ちなみに母は「どうせ死んじゃったらわかんないんだからどうでもいい」って言っていました。独立した2軒の家が同じお墓に入るのは檀家の問題とかいろいろあるのかもしれないので、その辺の問題はお寺さんとも話をしなくてはいけないとは思いますが。妹は「間借りしているみたいでお父さんがイヤじゃないか、とか、お父さんは自分でお墓を買おうとしていたから」と言いつつ、「でもお父さんは私がお墓の面倒を見るのはイヤなんだから、私は面倒見ない」って言うし。お墓、買えるなら買っても良いんじゃないかと思います。でも申し訳ないけど、私の今の貯金じゃお墓は買ってあげられないの。子どもたちにこれからお金がかかるし。お父さんとお母さんの力で自分の入るお墓を買ってね。という主旨のことを妹に言ったら、「何でも私に押し付けないで」と電話を切られました。妹と私の折半でお墓を買うならまだしも、パラサイトシングルの彼女にはそれはムリだし。お墓の面倒を妹がみないなら、私がみるのはいいんだけどね。たぶん、私が私のやり方でやっても、彼女は何もかも気に入らないと思うんだよなぁ。。。
2012.02.02
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1年半ぶりぐらいに、父が入院しました。入院したばっかりの時は「2~3週間ぐらいでの退院を目指しましょう」だったのに、入院3日目の朝には、母から「今度こそダメかも。いろいろ準備しておいて」っていう連絡がありました。で、その夜には「とりあえず落ち着いてるから」って。父。毎度毎度入院するたびに「今度こそ」と言われるほど容態が悪くなり、それでもなんとか復活して家に帰ったんだけど。。。今度はどうなんだろう???とりあえず。来週はユキゾウの入試があるから、あと2週間はがんばって、そこをがんばれたら、ユキゾウの次の入試が終わるまでさらに1ヶ月がんばって。そこをがんばれたら自分の誕生日(それで平均寿命の79歳なんだから)までがんばって。あ、ユキゾウの入試が全部終わるまでがんばれたら、退院アリか。頼むよ、お父さん。
2012.01.30
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実家に父の顔を見に行ってきました。父の容態も今年に入ってからは安定しているようです。前日に母に電話をかけたら、「そっちにラミーってまだ売ってる?」という質問。母はロッテのチョコレートの「ラミー」にはまっているのですが、冬季期間限定商品なので、すでにスーパーの店頭から消えているところがあるみたいなんです。で。近くの菓子問屋みたいなお店に行って「ラミー」箱買いしてきました。母への手土産は「ラミー」10個、でした。すぐなくなっちゃうそうです。もう一回菓子問屋へ行ってこなくちゃかな(笑)そうそう、電車から見た東静岡駅近くの1/1ガンダムはすでに頭がありませんでした(驚)だんだん解体されていくんだね・・・だんだん作られている姿を見るのはわくわくしたけれど、解体されていくのはやっぱり寂しいな・・・
2011.04.02
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入院していた父が先週、退院しました。良くなって退院というわけではなく、病院にいても現時点で治療することはなく、病院の待遇があまり良くない&療養型の病院ではないので母が退院を希望したそうです。実は父は退院したくなかったみたい(苦笑)病院の待遇が悪くても、毎日見舞いに来てくれる母は在宅介護している時よりも父に優しくしてるし、父自身は「病院にいる」っていうだけで妙に安心するらしいんです。退院したとはいえ、いつまた病院へ戻ることになるかわからないので、父の様子を見に実家に行ってきました。父は体温の調節がきかなくなったらしく、気温の上昇とともに体温が上がる(熱を出す)状態のようで、熱を出していました。私が行ったら、さらに熱が上がりました。私、熱を発してるんですよね・・・腕とか他の家族よりもはるかに熱いのよね。よく考えると、最近我が家のワンコがあまり寄ってこないし。私が部屋の温度を上げてるのはたしか。で、エアコンの温度をさらに下げ、父は保冷材を何個か体に当てられ、しばらくしたら熱が下がりました。爬虫類のようだ・・・父のおかげ?で常にエアコンがついているようになって、実家の犬は幸せそうだ、と母は言っていました。
2010.09.05
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先週、スーパーで「イエローキング」という黄色いメロン(っていうか瓜?)を買いました。皮が黄色いプリンスメロンっていうところでしょうか。毎年シーズンに1回ぐらいは買っている気がするんだけど、子供たちに「これは何?」と聞かれたので、「黄色いメロンだよ」と教えました。味は瓜系メロンの味で(どんな味だよ!!)、甘くておいしく、子供たちも「メロン」で納得していました。昨日、スーパーで安売りしていた「アンデスメロン」を買ってきました。皮にはメロンらしい網目があります。アンデスメロンを出したら、ポン → おおっ!メロンじゃん!!高そう~ユキゾウ → あ~っ!メロン!!高そう~同じ反応かよちなみにお値段は両方同じ。味も甘くておいしいメロン。(高級メロンの舌がしびれるような味じゃないけどね)網があるかないかだけで、第一印象がこうも違うとは・・・メロン=網=網のメロンは高級!というイメージなんだろうね。高級メロンなんて頂き物でもない限り、食卓には上るわけないのにね
2010.06.17
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先日、仲人さんのお父様が亡くなりました。たまたまお通夜当日に、地元新聞の「お悔やみ」の欄でそれを知り、夫に連絡をしたら、「会社の帰りにお通夜に行ってくる」と言うので、行ってもらいました。夫は香典返しを二ついただいて帰宅しました。一つは夫の実家の分だそうです。夫は実家に連絡し、義父から義実家の分もお香典を包むように言われたそうです。それはいいんですが・・・何が気に入らないのかというと、夫は私に「お前はお通夜に行かないのか?」と聞いたんです。近所なら行ってもいいかと思いましたが、車で一時間はかかるところ&急なことだし子供たちが帰ってくる前に家を出なくちゃいけない。なので夫だけに行ってもらいました。でも、夫だけじゃダメ?それに結婚して以来、私の伯父伯母が何人か亡くなりましたが、夫はお通夜にもお葬式にも出たことがありません。(夫の身内ではおじ・おばは健在なので今までもめたことはありませんが。)ポンがお腹にいた時に私の伯父が亡くなり、夫に私の代わりに行ってくれるように頼みましたが、「なんでオレが」状態で断られたのが最初。義実家への連絡も夫に任せたのがいけないのかもしれませんが、してくれたのかどうかお香典をいただいたことはありません。今まではそんなものだろうと思っていたし、全く気にしていませんでした。でも今回、ちょっと待てよ、って気持ちがふつふつと。仲人さんのお父様のことは義実家に連絡しても私の伯父伯母のことは連絡しないわけ?う~ん・・・
2010.05.10
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ポンと夫のことでスクールカウンセラーさんとお話してから3ヶ月近くがたちました。この間、PTAの役員の話は話題に上らなくなっていたことや、実家の父の具合が悪くてバタバタしていたこともあってか、ポンはわりと落ち着いて過ごしてきました。夫にはスクールカウンセラーさんとお話したことは秘密にしてあります。話してもいいことはないと思うので。カウンセラーさんからいただいたアドバイスはすでにわかっていたことややってみたことがほとんどでしたが、唯一、やってないことがあったので、試してみました。それは、子育てに関する本(マニュアル本)を夫に読ませること。夫は本が大好き。(フィクションはダメですが)ただ、露骨に勧めることはNG。「さりげなく」勧めるようにしなくてはいけませんでした。まず、子育てに関する本を探しました。乳幼児や思春期の子育てに関する本はたくさんあるのに、小学生に関する、しかも父親と子のかかわりに関する本が見つからない。。。仕方がないので、父と子・小学生じゃなくてもいいや、と思って、読みやすそうな本を買ってみました。10代からの子育てハッピーアドバイス忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス当然、まず私が読みました。「10代からの~」はとても参考になりました。ポンは10歳ですが、感情的には思春期の女子中学生みたいなところがあるので。さらにちょうどその頃ユキゾウが中学校の友達関係に悩んでいたので、そちら方面のことも参考になりました。コタツの上に置いておいたらユキゾウも読んでいました。いいのかなぁと思ったのですが、彼女にもなんだか参考になったみたいでした。でも「忙しいパパ~」の方はね、わが家には全く参考にはなりませんでした。。。ま、そもそも「忙しいパパ」という表現は夫には皮肉かもしれませんし。とりあえず、「10代からの~」の方を夫にも読んでもらおうと、夫の目にも触れるようにコタツの上に置いておきました。夫、食いついてきました。私自身が子育てに行き詰っていることと参考になったことを話して、思春期の娘がいるんだからお父さんも読んでみた方がいいよ、と勧めてみました。それから2ヶ月半。本はそのままです。やっぱりうまくいきませんでした・・・元々、私の勧めることや忠告は一切聞かない人なのでね。。。もうすぐ夫が出席する最初のPTAの会合があります。ポンがどういう反応を示すのか心配です。今後のために、父親の子育て(10代の子供)について、どなかた良い本を紹介してくださいませんか?
2010.03.09
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月曜日はポンの小学校の参観会、火曜日はユキゾウの中学校の参観会、でした。小学校の参観会は国語。担任の先生の授業でした。担任の先生は、3年目の若い男の先生。授業中「いつもどおりに」というセリフを何度か言ってたけど、一番「いつもどおり」じゃないのは明らかに先生(笑)スーツ着て授業してるところから「いつもどおり」じゃないもんね(笑)子供たちのほうが余裕があるから、先生に「いつもどおりにね」と言っちゃっているし。手を挙げて発表する子供って、いつも同じメンバー。ポンは絶対に手を挙げない。なのに時々大きな独り言発言をしてました。手を挙げて発表すればいいのに。。。懇談会も出席しましたが、先生は緊張しまくっていましたね。他のクラスよりも15分も早く終わっちゃうし。懇談会ばかりは練習もできないから、より一層緊張しちゃうんでしょうね。中学校の参観会は数学。ベテランの先生。見た目は「芋洗い坂係長」(ごめんね、先生)こちらは先生の方にゆとりがある感じ。子供たちはシーンとして授業を受けていました。小学校に比べると見ていてつまらない・・・まあ、中1が小4と同じ雰囲気の授業態度じゃいけないよね。ポンのクラスに比べて手を挙げる子が多い。発表の数も成績に関係するらしいから、だと思うんだけど、私は子供の頃、答えがわかっていても絶対に手を挙げない子だったので、手を挙げてまで(!)発表しようとする気持ちがいまひとつわからないのよね~。ユキゾウは「手を挙げてまで発表したい子」。夫に似たのかしら???今回も手を挙げて黒板に答えを書いていました。家に帰ってから、「黒板に書いたんだけど、見てくれた?」と確認されちゃいました。やっぱり夫に似たんだな。。。二日連続の参観会。月曜日の朝、「あれ?今日はどっちへ行けばいいんだっけ?」と子供に聞いてしまった私。子供よりも自分のほうが心配になってきました。
2010.02.24
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医師から「これ以上、治療する方法がない」と言われた父。「今日や明日でもおかしくない」とも言われた。父を看ている母と妹はすっかりそのつもり?になり、私はこの2週間の間に7回、実家に行った。いざ、というときのために、実家の大掃除をしたり、ポンの服を買ったり、私のキモノを出したり。覚悟を決めていろいろ動いたのだけど・・・そんな準備をしちゃったせいか、父は回復の兆し。日に日に元気が出てきた。それはそれで良かったんだけど、元気とともに、めちゃめちゃワガママが出てきちゃって。昼間毎日付き添いをしている母がブチギレはじめた。(それだけ余裕が出てきたってことなんだけどね。)土曜日に半日だけ私が父の付き添いをした。父はベッドを起こせだ、寝かせろだ、トイレに行きたい(これはムリ)だ、車椅子に乗りたい(これもムリ)だ、同じ内容のことを延々要求してくるし、鼻に入れてある酸素吸入用のチューブを抜こうとするし。一時期はこんな要求も満足にできなかったことを思えば、元気になってきてるなぁと思うんだけど・・・付き添いと言っても寂しがりの父のそばにいる&ベッドから落ちないように監視するぐらいしか仕事はないので、本でも読もうとすると、数行読んだか読まないかぐらいで父が「おい」と呼ぶ。呼ばれたから返事をすると何も言わなかったり、同じ要求の繰り返しだったり。返事をしなけりゃしないで、「おい」「おい」呼び続けるし勝手に動くし。これじゃあたしかに母もブチギレるかも、と思っちゃいました。で、父に「お母さんに怒られてばっかりいるでしょ?」と聞いてみたら、「怒られてない」って言うの。母はずーっとブチブチ怒ってるのにね。とにかく、ワガママ言えるぐらい父が元気になってきたことは良かった・・・心臓に持病があるし、長く患っているのでいつ何があるかわからないのは一緒なんだけど。。。
2010.01.30
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クリスマス前。実家の父が定期健診で軽い肺炎を見つけられ、1か月の予定で入院しました。私は長い休みのときぐらいしか父の看護はできないので、年末2日ほど母の代わりで父の病院に行きました。母からは、私が行く前には肺炎は改善され、抗生物質の投与も終わったと聞いてました。私が病院に付き添った日。夜、帰るときになってなんとなく父の様子が変。熱を出していました。看護師さんに見てもらいましたが、たいしたことはなさそうだと言うので、その夜はそのまま帰りました。次の日。昼間はまた熱は出ていませんでしたが、また私が夜帰るころに熱を出しました。母は「脱水だと思う」と看護師さんたちに話をしていましたが、担当のお医者様はお休みだし、指示も出してもらえなかったようで、氷枕と酸素吸入の値を増やすという対応になったようです。元日の朝。母が病院にいくと、父の状態は悪化していました。担当のお医者様からは肺炎が悪化したのと腎臓の機能が落ちているのと・・・といろいろ言われ、父は大部屋から個室に移されました。お医者様は「脱水」という説明はなかったそうですが、点滴をされ、この水分を体が吸収できなければこのままかも、と言われ、親戚を呼んだほうがいい、とまで言われたそうです。その後、むくむこともなく尿が出て、水分は吸収されたようで、一山超えました。数日間は夜も付き添いがいたほうがよい、と言うので、1日と2日の夜は私が病院に泊まりました。血圧が低かったので父はぼんやりしていましたが、5分おきぐらいに酸素マスクをはずしちゃうので、結局、私はほとんど眠られず、でした。そんなこんなで、年末年始。子供たちは私の実家にいましたが、全く相手をする事はできずほったらかし。ユキゾウは実家の中を物色して、私の中高時代の漫画の本を見つけて読み漁り、ポンは何もする事がない、とグズグズ言うので、私の全然進んでいなかったドラクエをあげました。3日の夜には自宅に帰らなくてはいけなかったので、またすぐ呼び出されるかも、と思いながらも帰宅。その後、母からの連絡によると、父は徐々に回復。5日には「昼夜逆転が直ったら大部屋に戻ろう」という状態にまで戻ったそうです。数日間は余談を許さない状態、のような説明をお医者様がしていたけれど、これはオドシだったかも、と後から思いました。子供たちは「私たちが行ったときだけ、具合が悪かったんだね・・・おばあちゃんを取られたくなかったのかなぁ?」と言っていました。素人の見立てですが、今回の父の悪化の原因は多分脱水。水が足りなかったんだと思います。父はすでに口から水を飲める状態ではないので、胃ろうからか点滴でしか十分な水分はとれません。脱水で症状が悪化したとしたなら・・・また、お医者様が年末のお休みの間に悪化しました。お休みするのは何にも文句はありませんが、お休みの間の連絡・支持はどうだったんでしょう?看護師さんはお医者様の指示がなくては対処できないでしょうし。もうちょっと早く対処してくれていたら、こんなに具合が悪くなることはなかったのでは、と思ってしまいます。今回は大事に至らなかったので良かったのですが。。。去年も元日に肺炎で入院した父。今年も大変なお正月になりました。
2010.01.08
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土曜日の午後から1泊で、私とポンは私の実家の様子を見に私の実家に行ってきました。昼過ぎに夫は私とポンを駅まで送り、そのまま帰宅。同じときにユキゾウは自転車で書道教室に行きました。1時間ちょっとしてユキゾウが家に帰ると、玄関に鍵が掛かっていたそうです。車はあったので、家にお父さんがいるのは確実、と思って、チャイムを鳴らしても出てこない。玄関のドアを叩いても出てこない。1階の窓は全部閉まっている。(犬が家の中にいるのに、エアコンも動いていない・・・)どうしようかとうろうろしていたら、夫が2階のベランダに現れて、眠そうな声で「おかえり」と言った後、そのまま家の中に入ってしまったんだって。どうにもならないことを悟った?ユキゾウは、塀に登って、物置の屋根に上って、家の屋根に移って、2階の自分の部屋の空いていた窓から家に入ったんだそうです。(他人に見られたらどうしたんだろう???見られなくて良かったよ。)ユキゾウが夫にその話をすると、夫は「そうなんだ」でおしまい。夕方は夫とユキゾウ二人で、ユキゾウが夏期講習を申し込んだ塾へ説明会を受けに行きました。その後、ユキゾウの友達が住む町内の夏祭りに行き、帰りにファミレスで夕食をとって帰ってきたそうです。それだけ聞くと、夕方から夜は仲良くできたじゃん、って思ったんだけど、帰宅後、ユキゾウは「お父さんの相手は疲れる」という理由で、さっさと寝てしまったんだって。日曜日。二人とも朝寝坊し、二人別々に遅い朝食(菓子パンとジュースぐらいだったらしい)をとり、のんびりと別々に午前中を過ごし、お昼はカップめんを食べ、午後ものんびりと別々に過ごしたそう。で、夕方。私とポンが帰宅。台所には土曜日の夜に飲んだと思われるビールの空き缶が3本、置いてありました。一晩だけ、お酒を飲まないように頼んだのに。。。幸いなことに?ユキゾウは早々に寝てしまったので、夫がビールを飲んだのを知らなかったみたい。でも、結局飲んだのがバレて、ユキゾウも私も、あきれ果てました。あんまりあきれちゃったので、ビールのことは追求はしなかったけど。。。ユキゾウと夫コンビの留守番だったからまだ良かったかな。。。ユキゾウは「最悪の週末」って言ってた。。。今後、また私は実家に行きたいのだけど、夫と子供たち、という留守番メンバーには不安が残ります。
2009.07.19
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今週末、土曜日の午後から日曜日に私は実家の現状を見るために、実家に行く予定です。母と妹が父の介護をしていますが、かなり大変らしいので。。。(親不孝な私は全然実家に顔出しができていないの。。。)この1ヵ月半、土日必ず子供たちの予定が入っていて、ようやく今度の土曜の午後と日曜丸一日予定が入らなかったので、よし、実家に行こう!ということに決めました。そしたら、ユキゾウが「塾の夏期講習に行きたい」と言い出し、その説明会&テストが土曜日の夕方になってしまいました。(これは変更できませんでした。。。)相談の結果、塾の説明会には夫に行ってもらうことにし、実家には私とポンが行くことになりました。説明会に夫が行くことには何の問題もありません。ユキゾウも実家のことを理解しているので、お父さんと二人で留守番することも「大丈夫」と言っていました。が・・・ユキゾウは今日になって、「お父さん、土曜日はお酒飲むのやめてくれるかな・・・」と言い出しました。半年前の大酔っ払いの夫が本当に怖かったらしいのです。先日、私の実家の状態を夫が義父(夫の父親)に話しました。義父は夫に、土日に子供の用事があるならそれは夫が見て、私はなるべく実家に帰るようにしたほうがいい、それで何か問題があるなら義父に言いなさい、と言ってくれたそうです。どうやら夫は私が週末実家に帰れない理由が「子供たちの用事」だと思っているようです。やっぱりわかっていないのね。。。子供たちの用事があるから、っていうのも私が家を空けられない理由には間違いがありません。でも、その裏には子供たちのことを夫に頼めない、という理由が潜んでいるんです。お酒を飲むのは良いけれど、深酒はするわ、子供たちにからむわ、大声を出すわ、なんて前科?はあるし、土曜日におにぎりが必要だったユキゾウと前夜に「お父さんがおにぎり作ってやるからな」と約束したくせに翌朝夫が起きてきたのはユキゾウが出かけた後だったり。(おにぎり作る、と言ったことすら、忘れていました。)今度の土曜日の夜は、塾の説明会の後、二人でラーメンを食べに行こう!と夫とユキゾウが話をしていました。「お父さん、ビール飲んじゃおうかなぁ」と言い出した夫に、ユキゾウと私は「一晩だけお酒を飲むのはやめて」と頼みました。理由がわからない夫に、ユキゾウが半年前の大酔っ払いの夫の話をしていました。夫は「そんなことはしていない」と言い切っていました。やっぱり、わかっていない。。。
2009.07.15
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父が退院して、母と妹が在宅介護をしている。かれこれ4週間になる。1日2回のミルク。トイレはかろうじてトイレに行くけれど、自力ではいけないので、そのたび母が連れて行く。夜中でも、何でも。この間、母と電話で話したが、夜中に父に何度も起こされるので相当疲れていた。時々は代わってあげたいが、父は母じゃなけりゃダメだし、たまに行っても私にできることは少ない。電話もしないといけないと思うんだけど、寝ていたら悪いなとか思うとなかなかできない。(だいたい間の悪いときに電話しちゃうんだよね、私)実家まで片道2時間かかるので、平日はそうそう行っていられない。おまけに、私が車を運転すると母がとっても心配するので、実家までは車では行けないから、夫に運転を頼まない限り、実家には電車でしか行けない。土日に行こうにも、このところ子供の行事が立て込んでいて、時間が自由にならない。夫はそんな状況を知ってか知らずか、土日は全く自分の時間。たとえ自分が家にいて、私が外出していても、家事は何もしない。昨夜、夫から来月の土日のどこか空いている日に、夫の先輩と後輩とその奥さんと食事会をしたいんだけど、どうか?と訊かれた。ランチでいいらしいが、場所はみんなの中間点を取って、我が家から80キロほど離れた場所なんだそうだ。子供たちはどうするのか、と聞いたら、???という反応。(何も考えていないらしい)少し考えて、私の実家に置いてこよう、と言った。実家の状況、母の疲労度、何も手伝えない私。なのにさらに子供を預けたらって・・・所詮、他人事なんだよね。。。1月に父が入院したときに、土曜日1日だけ私が付き添いをした。夫と子供たちは家に残して、私だけ実家に1泊した。その夜、夫はお酒をたくさん飲み、子供たちに絡んだんだそう。夫は全く覚えていないようだが、子供たちは(特にユキゾウは)お父さんの醜態が怖かったそうで、お父さんと子供だけにするのはやめて欲しい!と涙ながらに言われてしまった。いくら土曜日だからって、そんなに飲まなくても。。。父親の自覚は全くないのだろうか?おかげで私は一人で実家には行けなくなってしまった。夫にとっては所詮他人事。私が何とか動く方法を考えなければ。
2009.06.19
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今週の火曜日に、父は予定通り退院しました。4月の退院→入院騒動(?)のためか、今後は深夜休日でも父の具合が悪くなったらその病院で受け入れるという約束を病院から申し出てくれたようです。退院後の訪問看護もまた、お願いしました。今度は前回とは担当の看護師さんは違う人になりました。父の入院中、前回の訪問看護担当看護師さんは一度も病室に現れることはなかったそうです。(訪問看護のナースステーションは同じ病院内にあるのにね)で、今回の肺炎でまた2つ別の問題が増えました。前回の入院時に、すでにミルク(胃ろう)でほとんどの栄養を取るようになりました。そのミルクが合わないらしく、血糖値が下がらなくなり、インシュリンのお世話になる事になりました。そして、口からの飲食を一切禁じられました。肺炎の原因が、ミルクの逆流による誤飲だから。今回の肺炎の前は、ほんの少しながら口から飲食ができました。でも、今回はリハビリはもちろん、検査もしないまま、飲食禁止となりました。どちらの問題も、母は納得できないようです。ミルクも他のものを試すこともなかったし、咀嚼のことも何もしないまま飲食禁止、という判断だった(と家族からは見える)。何か試してみてその結果、ムリってことなら納得できるのに、ってところです。ただ、父自身もやるべきときにきちんとリハビリはしなかったし、半分ぼけている(?)ので感情のコントロールがきかず、気に入らないとリハビリの先生を怒鳴るし、手を上げそうになるし。冷たい見方だけど、自業自得といえばそれまで。母はそう思っているので、半分あきらめ気味。他の病院でセカンドオピニオン的に診てもらったら、とも思ったのですが、その「他の病院」は実家からは遠く、父が入院したとしたら、母が通いきれない。地域の開業医さんに「かかりつけ医」として往診をしてもらって、入院が必要な状況になったら、今まで入院していた病院にお願いする、っていう方法も考えたんだけど、実家のあたりには往診してくれるような開業医さんはいない。つまり、実家の状況としては病院を選べないってこと。そして、患者とはいってもきちんとお金を払ってサービスを受けている「ユーザー」なんだけど、やっぱり「お世話になっている」という気持ちの方が強いから、あんまり強気にいろんなことが言えないし。訪問看護師をしている近所の友達にきくと、今私が住んでいる地域では、往診してくれる「かかりつけ医」もいるし、訪問看護の会社もいくつもあるので、会社間の競争もあるから、看護師さんと家族が合わないと家族から交代要請も出るらしい。ここだって都会じゃないのに、医療や介護サービスに地域格差を感じてしまいました。
2009.05.29
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今年の元旦、父が小脳梗塞で入院しました。小脳梗塞が原因で咀嚼がうまくできなかったらしく、肺炎も起こしていました。3ヶ月入院して、3月31日に退院。実家で母が介護をしていました。入院していた病院の訪問看護部門に訪問看護もお願いしていました。退院して3日後ぐらいから父の具合が悪くなりました。血圧が下がって、元気がなくなったんだそうです。看護師さんに来てもらって、父を見てもらいました。一時的には血圧が上がるものの、根本的な改善はみられず、退院後6日目の夜にはとっても様子がおかしくなっちゃったので、とうとう救急車を呼びました。ユキゾウの中学校の入学式の前夜のことです。実家に住む妹から深夜12時過ぎに電話がありました。これから救急車で病院に行くからって。我が家から実家までは車で(高速を使って)2時間弱。とりあえず、自宅待機してました。1時間後。また妹から電話。受け入れ先が決まらず、救急車はまだ自宅前。7日前まで入院していた、一番近い病院は医師不足で日曜深夜に父のような容態の患者は受け入れを断られ、その次に近い病院では1週間前まで違う病院に入院していた&訪問看護を受けていた患者は受け入れられないと断られたのだそう。その場には深夜にもかかわらず、訪問看護の担当看護師さんが立ち会っていました。なのに1時間も受け入れ先が決まらない状況に、担当看護師さんは救急車の救命士さんにも怒られちゃうし。その30分後、妹からまた電話。結局、7日前まで入院していた病院で受け入れてもらえた。どうやら肺炎らしい。命には別状ないし、大丈夫だから、って。翌日。結局、今回の父の病気は「肺炎」。胃ろうで入れているミルクが逆流して、肺炎になったんだって。1週間前までは脳外科に、今度は内科に入院となりました。私はほとんど眠れず、ものすごくぼんやりした頭で、ユキゾウの入学式に行くことになりました。それにしても、この救急車騒動。ワイドショーなんかでよく見る「医療過疎」「医師不足」なんていう言葉が頭の中でぐるぐる回ってしまいました。そして離れて暮らす自分には何にもできないことに、すごく自己嫌悪になった夜でした。続く。
2009.05.27
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3連休の土日、私と子供たちは1泊2日で私の実家に行ってきました。3日間、何の予定もなくずっと家にいるのも辛いし、父が「調子が悪い」と言って週2回のデイサービスをサボっているらしいので、様子を見に行きました。(父は逆流性食道炎の疑いはあるのですが、病院で検査してもどこも悪くありません。寝てばかりいるのもいけないのでしょうか?どっちにしてもこのまんまじゃ寝たきりになっちゃうので、説教してきました。)夫には1泊2日で行ってくるから、としっかり話していきました。が・・・土曜日の夜、メールが来ました。「実家の犬が、オレに会いたいって言ってない?」というメール。要は私の実家に行きたいってこと?夫に「明日帰るんだけど」と電話しました。そしたらえ~、そうなの???だって。どうやら月曜日に帰ってくると思っていたらしい。。。日月のどちらかに車を点検に出すと、言っていたのに、それはどうしたのかと思ったら、忘れてたって。金曜日に自分がディーラーに連絡して点検に行ってくるって言ってたのに。お金も一応渡したのに。夫のことはさておき、次はポン。もうすぐ誕生日のポンは、じいちゃんばあちゃんから誕生日プレゼントを買ってもらうことになりました。迷って迷って迷って「マリオストライカーズチャージド」を買ってもらいました。夫からは「ポケモン不思議のダンジョン時の探検隊」を誕生日前倒しで買ってもらってあります。ゲームばっかりじゃん。 さらに、先週夫の実家で「もうすぐ誕生日だから」って少々お小遣いをもらい、ひいばあちゃんにも「よく来たね~」っていうんで少々お小遣いをもらい、今回は私の伯母に少々お小遣いをもらい、さらに、先週夫の実家で「もうすぐ誕生日だから」って少々お小遣いをもらい、ひいばあちゃんにも「よく来たね~」っていうんで少々お小遣いをもらい、今回は私の伯母に少々お小遣いをもらい、 やったぁ。これでマリオパーティー8が買える!と言っておりました。またゲームかよ。。。と思いつつ、自分のお小遣いが溜まったら買ってもいいって言っちゃってあったんだよなぁ。。。それにしてもポン。本当にお小遣いを右から左へ使っちゃうんだよねぇ。ドケチのユキゾウ(こっちはこっちで腹が立つほどドケチ)と足して2で割ったらちょうどいいのになぁ。
2007.09.24
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9日から4泊5日で私の実家に帰省してきました。夫は留守番。私と子供たちだけで、電車でのんびり行ってきました。実家の愛犬、ものすごく歓迎してくれました。5日間、家の中どこでもついてきました。で、なぜかわからないんだけど、私の腕と顔をひたすらなめてました。何故???10日。母が母の実家方面へ行く用事があったので、便乗して行きました。私の実家から車で30分ぐらいなんだけど、山奥で、空が三角形。川遊びをしようと思っていた場所は「マムシが出る」っていうので、別の場所を探してちょっとだけ川に入ってきました。気持ちよかった!!11日。私と子供たちはポケモンの映画を見に行ってきました。私の隣に座っていたオバサン。1人で来ていました。ポケモンのシールをたくさん貼ったDSを抱えていました。「ダイヤモンド」か「パール」に映画館で「ダークライ」というポケモンをゲットできるんですが、どうやらやり方がわからない様子。で、ポンがそのオバサンのDSを操作してポケモンゲットしてあげていました。12日。一日ボードゲーム三昧。物持ちの良い母は、私達が子どもの頃に使っていた「人生ゲーム」と「億万長者ゲーム」をきれいにとってくれてあります。30年モノです。ポンは「億万長者ゲーム」が大好きです。モノポリーの日本版って感じなんですけど、モノポリーよりも子供には単純でおもしろいかも。同じゲームを今売っていたら絶対買っちゃう!とポンは言っていました。この日の午後、母は父の姉(私には伯母)の具合が悪い、と病院に呼び出されていきました。伯母はもう80歳を過ぎています。何年も前から次第に体が動かなくなる、という病気になっていました。原因がわからなくて、伯父はいろんな病院を回ったらしいです。で、最近になってやっと病名がついたそうです。それが脊椎小脳変性症でした。「1リットルの涙」の病気と同じ。そう言われると、伯母の症状はそのとおり、でした。年に1度会うか会わないかの伯母でしたが、会うたびに歩けなくなる、口が回らなくなっている、っていう感じで。(何をしゃべっているのかわからないのは、歯がないためではなかったんですね。。。)伯母のひ孫が今月中に生まれる予定だそうです。ひ孫に会えるといいね、と思います。
2007.08.13
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先週、水木と2日続けて更新の途中でパソコンにダンマリを決め込まれちゃって、すっかり更新する気力も、あちらこちら訪問する気力も失せてしまっておりました。今日は大丈夫かな???ドキドキです。土曜日の10時過ぎ、父から電話がかかってきました。ものすごく珍しい出来事です。父は脳梗塞の後遺症で口がうまく回りません。ちなみにまだらボケ&感情のコントロールもきかないところがあります。電話の内容は、「ちょっと来い」でした。ちょっと来いって言われても、実家まで100キロ。電車で1時間半です。なぜ呼ばれたのかよくわからなかったので、母に電話してみました。ようは父が一人で怒っていて、心配はないんだけど来れたら来て、っていうことでした。で、私と子供たちはお泊りの支度をして電車で実家に向かいました。電車、途中で止まりました。2本前の電車で人身事故があったんです。。。1時間半で着くはずが、3時間かかりました。ツイテマセン。。。実家に着くと、私は父に呼ばれました。話の内容は実家の犬の母犬とその飼い主に会いに、母と妹が車で1時間ちょっとの場所まで出かけるのだけど、事故にでもあったらどうするんだお前が責任取れってこと。車の運転は妹がします。父はずっと昔、タクシーの運転手さんに女の運転は危ないと教わり、かたくなにそれを信じています。で、妹が50キロほど先まで車で行くのが気に入らないんです。気に入らないというより多分、4時間前後、自分が独りぼっちになってその間に胸が苦しくなったらどうしよう、とか万が一妹達が事故にあったらどうしようって思ったんだと思います。むちゃくちゃです。とりあえず、私が責任取るよと、念書まで書きましたが、父はしつこく同じ話をするので、とうとう私もキレて、念書まで書いてこれ以上私にどうしろって言うのお母さんと妹に「行くな」って言えばいいの?と大きな声で反論してしまいました。そしたら父は黙っちゃいました(苦笑)日曜日、母と妹は犬を連れて出かけ、私と子供たちは父のばん?をしていました。出かけて4時間ほどで母達は帰ってきました。母達が帰ってきてから、私と子供たちは家に帰ってきました。疲れた週末でした。子供たちは急に実家に行ったことが結構楽しかったらしく、帰る時には父にまた呼び出してね~と言っていました(笑)父が布団の下にしまった、私が書いた「何かあったら私が責任取ります」の念書はどうなったでしょう???
2007.05.27
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昨年の10月まで、8年半住んでいた社宅は子育てするのにはとてもラクで恵まれたところでした。社宅の庭には小さな公園があったし、ポンが生まれたころにはユキゾウの同級生が8人、ポンの同級生は9人いました。小さな子供がたくさんいて、子供も私も友達には不自由しませんでした。その後、お家を買ったり転勤だったりして、少しずつ社宅の友達は減っていき、ユキゾウが小学校にあがった4年前には半分になりましたが、それ以降、我が家が引っ越すまで誰も引っ越すことなく、楽しく(それなりにトラブルもありましたけど)過ごしてきました。我が家の引越しの前後に2軒のお家がお家を買って転居しました。(両方とも今の我が家のすぐ近くですが)一軒のお家は新居購入のために物件探しをしているそうで、再来年までには引越しをする予定だそうです。そして、一番仲良しのお家は上のお子さんの中学進学とご主人のお母さんの介護問題の都合で春休みに実家近くに引越しをすることに決めたようです。子供たちが大きくなり、親が年をとり、わたしたちも分岐点にきてるんですね。社宅の友達の多くは、実家が近くにない人たちばかりだったので、何かあればお互いの子供の面倒をみたり、適当な距離感を持って協力し合えた友達なので、みんなが散ってしまうのは本当に寂しい。自分は先に社宅を出ちゃったし、社宅は一生住めるところではないのでいつかはやってくる分岐点だとは思っていましたが。やっぱり寂しいな。。。
2007.01.24
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大晦日は夫の実家に行きました。夕食の後、すぐ近くに住む義妹の誘いで、義父・夫・私・ポンの4人が義妹の家に遊び(飲み)に行きました。(義母はものすごーく出不精なので、徒歩3分とかからない自分の娘の家でもめったなことがない限り行かないんです)そこでの話題はもっぱら義父のぼやき。ぼやきの内容は飲み友達と飲みに行くとお義母さんが門限を決めるお金を使いすぎって怒られるっていうのがメイン。高校生みたいでしょ?義父71歳。昨年の誕生日の日は友達が誕生会を開いてくれて帰ってきたのは朝4時。飲みに行くときは夕方6時くらいには出て行き、帰ってくるのは午前3時ごろ。一晩で3万円ぐらい使うんだって。それが月に1度や2度じゃない。いろいろ付き合いがあるんだよ~ってお義父さんは嬉しそうに言ってたけど。家業は農業なのでまだまだ現役バリバリで働いている義父。遊んでばかりじゃないからあまり文句は言えません。元気一杯で羨ましい限り!!でもやっぱり遊びすぎかなぁ。義母が文句言うのも無理ないかも。おまけに義母は義父と正反対の出不精。欲もない人だし。義妹の家で義父のぼやきを肴にひとしきり飲んだ後、紅白の途中で実家に戻りました。義父は自室に行ってしまったので、今度は義母のぼやきをお茶菓子にお茶を飲みました。笑っちゃうのは義父が話したことをそのまんま義母がぼやいていたこと。結局仲良しなんだよね、きっと。
2007.01.11
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久々の更新です。遅ればせながらあけましておめでと~です。子供たちは今日から小学校。毎年6日に学校が始まるのに今年は遅い長い冬休みでした夫と子供たちを送り出して、今日から私の冬休み???のはずなんだけど、やっぱりそうはいかないのよね。。。なんだか朝から忙しかった。。。お正月、1日から5日までを自分の実家で過ごしてきました。初詣に行ったり、福袋を買いに行ったりもしましたが、子供たちは実家でやった「人生ゲーム」と「億万長者ゲーム」がとても楽しかったみたいです。どちらのゲームも小学生の頃に買ってもらったボードゲーム。お母さんもよくきれいにとっておいてくれてあったものだと思います。少々かび臭いような気もしましたが、充分遊べました。子供たち、DSやWiiが大好きだけど、ボードゲームもやっぱり楽しいんですね。去年は思いがけず(?)引越しをしちゃいましたが、今年はどんなことが起きるんでしょう?とりあえず、ブログ続けようっと。
2007.01.09
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22日。子供たちは「あゆみ」をもらってきました。ユキゾウはまぁまぁこんなものよねっていう成績なんだけど、ポンはねぇ。一年生なのにこんなんでいいの???っていう成績。ちょっと自信をつけるとすごくがんばれる子なんだけど、そのちょっとの自信をつけるのがものすごーく大変なのよね。面倒くさがりだし。まったくどうしたらよいのやら。。。23日。実は結婚記念日。今から思えば年末のしかもクリスマスイブイブ(?)のなんて迷惑な日に結婚したんでしょうねぇ。おまけに祭日だから毎年休日だし。結婚記念日だからと言って特に何もない我が家。今年も何もなく、どちらかというと険悪な雰囲気の結婚記念日でしたね。。。24日。一家で近所のスーパーのWiiの抽選販売にチャレンジ。今回も撃沈。後ろにいたおじちゃんは「こんなのに当たったら来年一年分のウンを使い果たしちゃうぞ~」と娘さんに話していました。今年はケーキを近くのケーキ屋さんに予約し、引っ越したおかげで徒歩圏内になったモスバーガーでモスチキンを買い、子供たちのリクエストでフライドポテトを揚げ、おにぎりを作るだけにしました。かんたんでよかったわぁ。ところで、サンタさん。ユキゾウはもうサンタ=親だと思っていますが、親がそんなに高価なもの(DSとか)を買ってくれるわけないでしょ!!という私の話に、プレゼントをもらえないのは困ると思ったらしく、しつこく疑いを向けてくることはなくなりました。が、部屋のドアに鈴をたくさんつけて、サンタがドアを開けたら起きれるように仕掛けたり、サンタさんにお菓子と「サインちょうだい」の手紙とペンを用意してあったり、録音できるめざまし時計にメッセージを入れてあったりで、サンタ役の私は一苦労でした。どうして私がサンタかって?だって夫はたらふくビールとワインを飲んで早々に高いびきだったんですもの。子供たちのプレゼントはユキゾウは欲しがっていたディズニーベアのぬいぐるみ。TDSに行った友達に頼んで買ってきてもらってありました。ポンはDS。どちらも楽に手に入るものではなくて本当に大変でした。サンタさんには不可能はないと思っている&親が試されてるって感じです。いつまで続くのかな~。。。結構辛いんだけど。今朝、子供たちはとても嬉しそうにプレゼントを開けていました。苦労の甲斐があったっていうものです。
2006.12.25
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大輔クンと悠ちゃん。実はどちらもポンが生まれたとき、私がポンに付けたかった名前です。大輔クンはもちろん、松坂大輔投手のあやかり名です。(いまや60億円の大投手ですよ!!)ポンの名前は実はユキゾウが付けました。ポンがお腹にいた時から当時2歳数ヶ月だったユキゾウがずっと同じ名前を言い続けていたので、違う名前を付けるわけにもいかず、その名前にし、漢字だけ夫と私が決めました。(結局私の意見は全く無視されたけど)というわけで、私の「大輔」案は全く無視されました。で、悠ちゃん。これはユキゾウが決めた名前に当てる漢字候補として私が一押しした字なんです。理由は悠という字が持つ意味が好きだったから。こっちは夫に全く無視されました。ポンが生まれて7年後の今年、大輔という字も悠という字も新聞の一面にたくさん載りましたよね。。。ポンは大輔クンでも悠ちゃんでもないんだよなぁ。。。
2006.11.16
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築25年のこの家。2階のベランダはスチール製(?)で狭い。2階の軒にも1階の軒にも物干し竿をぶら下げるものは付いていない。で、この家を買ったときから洗濯物をどこにどうやって干すか?が一つの問題でした。トイレと洗面所のリフォームをしたとき、ついでに軒に物干し竿をぶら下げられるかってことを建築士さんに見てもらいました。答えは「やめたほうがいいでしょう」。ってことで、狭い庭に物干し台を置くことにしました。引越し前に置いてしまうと荷物の搬入に不便かもと思って引越し後に買うことにしたのが間違いでした。引越しから5日間、物干し台を買いに行けず、家の中に無理やり干していました。家の中、これがまた問題。和室の鴨居に物干し竿を渡して洗濯を干す計画は、和室が物置と化していてとても無理。カーテンレールに干すことにしましたが、この家のカーテンレールはとても天井に近いところにあって、洗濯を干すのには脚立が必要。洗濯物を干したり取り込んだりするだけで大仕事&ストレスでした。引越し5日後に物干し台を購入して、狭い庭にセットしました。やっと洗濯物を干す場所ができた!!と思ったら、昨日、とても強い西風で物干し台ごと倒れました。我が家の西側は空き地。この辺りの冬は西風がとても強いのに。。。物干し台の場所を変えるか、何か風除けを講じるか、諦めて家の中に干すか。。。まだまだ頭の痛い物干し台問題(?)です。
2006.11.08
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