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長々と暗い日記を書いて申し訳ないっす。あまりの内容に引かれた方もいらっしゃるかもしれません。ただ本人は4年再発しなかったから嬉しくって書いた日記なんですが内容はかなりダーク&ブラックで・・・すまないっす。みんな遠巻きに見ないでくださぁい。今は全くの健康体なのです。(喘息持ちだけど)さってと、今日から通常営業です(笑)この暗い日記を書いてる間に夫婦ケンカ勃発です。それも現在3日目。彼は私を見るとき目をつり上げてみます。私のどんくささが気に入らないらしいです。責任がないとも言われました。「今回は俺に非は絶対ない!」ともいわれました。1返すと10返されます。口を開く隙も与えてもらえない。なのになんでしゃべらないとまで言われる。しくしくしく・・・。悔しいのでここに書きます。大体アンタの休みがわからなかったんが原因じゃないのさ。それがわからないと旅行会社なんて対応してくれないのにさ。飛行機埋まった事まで人のせいにするのはおかしくない??私は別に海外なんかどーでもいいんだよ。なのに全部人のせいにしてさ悔しすぎるわ。人が頭の中で考えてるのにギャーギャいってさぁ。何様のつもり??あーもう、面倒な奴。いちいち男のくせに細かすぎる!そんなに石橋を叩きまくって進む人生が楽しいの?あたしだったらゴメンだわ。そんな渡りかたしても落ちるときは落ちるんだよ。だったら落ちた後も対応できるような行き当たりばったりが強いほうがいいじゃないのさぁ!!!小声でしかいえないあたりが私の弱さを物語ってますなぁ(しみじみ)感情でものしゃべるなってケンカは感情じゃないのか?冷静にケンカすんのか?相変わらずこの人の思想はわかりません。とりあえず涙を流しながら俯いて早く説教が終わるのを耐えながら待ってました。でも3時間くらいブツブツネチネチと。ガラスのようなココロは亀裂が、ヒビが・・・。しくしく・・・痛いよぅ。大体石橋を一歩ずつ叩きながら進む旦那と、石橋があるからわたっちゃえー!途中で落ちたら泳いででも飛び石でも使って飛んじゃえって私がかみ合うわけがない。向こう5年はねちねち言われるらしいです。あーヤダヤダ。ご飯まずくなりそう。という事で結局昨日(JTBに何とかないですかと私が泣きついて)グアムに行くことに(無理やり)決定しましたがかなり険悪な感じで行くことは間違いない!何とあと11日後の話。今さらながらよく取れたもんだ。後は関空離婚にならないように気をつけるだけだな。ってここに夫婦ケンカなの話かいても全然みんなは面白くないな。ごめんよぅ。でもここにでも書かなきゃやってられないくらい頭に血が上ってましゅ。どこも夫婦ケンカってこんなもんなんすか?強い人と耐える人とに分かれてるんでしょうか・・・。?それが聞きたいっす、ウッス!追伸:今日見た夢には旦那は出てこなかった。ローズマリーひいてないけど(笑)もひとつ追伸:実はツリー式掲示板があるのですが現在アイチと私のラブラブ掲示板になってます。誰か乱入してください(笑)
2003/10/31
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だらだらと続けて申し訳ありません。ようやく今日で完結です。*******************************************************自殺は思いとど持ったものの、しばらくは結構悲観した生活を続けていた。何だか投げやりや自暴自棄になっていた頃である。でも、一筋の光明が見え始めた。ぴろの母乳を飲む量が増えてきたことである。早く生まれすぎたため全てにおいて未熟な赤ちゃんが未熟児という。ぴろは1㌔に満たなかったため超未熟児という。そんな超未熟児の子はまだ肺が出来てない場合も多い。そんなひろが自発呼吸ができるようになった人工呼吸器を抜く日が来たのである。ひろも生まれて3ヶ月。少しずつではあるが1.3キロになったり成長や体内のコードを抜いたりとかの悪さをしていた。わたしはひろが産まれてから毎日日記をつけていた。自分の日記ではなくひろの日記。将来的にこんなに成長したんだよって渡してあげようと思っていた日記。それに今日の喜びを綴った。私の体の中のガンもとりあえずは沈黙したようで検査の値は下がり始めた。それは新しい抗がん剤の影響かもしれなかった。でもまだ副作用で髪は抜けていた。多い髪を三つ編みにしていたのであまり気付かれる事は無かったがこのときすでにかなりの量が抜けていたはず。そして二つ目の副作用が出た。背中じゅうに一杯の発疹が出た。赤いにきびのようなものが背中じゅうに出来て。そのまま病院内の皮膚科に通った。毎日ステロイドを塗る生活が増えた。でも検査の結果は良くなっていた。私の中のガンは少しずつだけどその力を失っていったのだろうか?「7月の後半ようやく退院してもいい」って話が出る。既に入院してから4ヶ月以上がたっていた。退院できるんだ。「ということは落ち着いたらまたぴろに母乳やれるんですか?」「1ヶ月くらいは抗がん剤の影響があるから、それ以降だったらあげてもかまわないよ」「よかった」本当に嬉しかった。再び母に戻れる日が来るのだ。でも今まで遠目とはいえ毎日会っていたぴろに会えなくなるのは悲しいことではあったけど・・・。搾れる時は母乳パックに母乳を搾って入れ、クーラーBOXで運ぶという日々が続くことになった。だけど鳥取と岡山は片道4時間かかる。持ってこれたら私の母乳、無理なときは今までとおり貰い乳をすることに。それだけ聞いて退院した。約5ヶ月ぶりに歩く外の世界である。初めて岡山に来た時には自分が思いもよらなかった病気だった。それがガンであって、転移してて・・・ぴろが未熟児で生まれてきた・・・たったこの5ヶ月なのにもうずいぶん経ったみたいだった。そして一旦は退院して鳥取にいった。やっと半年以上ぶりの普通の専業主婦の生活をしてみた。いつもやってたことなのに何もかもが新鮮だった。病院ではただ寝てるだけだし、動き回るところは知れてる。そんな生活を外泊もなく約5ヶ月もいた。でも久々に友達にも会うことが出来た。それだけで十分だった。それで退院後、1週間後に行った病院で検査。2週間後に結果を聞きに言ってみると・・・また値が大幅に上昇してるという。「再発してるんだ」・・・先生が言った。「そうですか。じゃ、また入院ですよね」「申し訳ないけどもう一回打とう。それで治しきってしまおう」あっという間の再入院である。また抗がん剤を打つ生活が始まった。今回は産科の部屋じゃないので卑屈になることはなかった。婦人科の部屋だったから。周りがおばあちゃんだらけだったってこともある。またぴろに母乳はやれなくなってしまった。だけど完全に治してからあげればいいと言う風に私の思想はかわっていた。「生きていたら何でもできるから」そう本当にこれだけである。今は出来なくても治せばできる。治さなかったら何も出来ない。前向きに思っていればいつかは治るはずだから。だから私は再入院を簡単に受け入れられたのである。正直落ちるとこまで落ちたので開き直っただけかも知れない。1ヶ月抗がん剤をマジメにうけた。結局打った抗がん剤の量は60本以上になる。再び髪も抜けたし、相変わらずの発疹も出た。退院してる時は全部落ち着いていた症状だ。抗がん剤を打たなくなったらまた髪は生えてくるし、発疹も治るから。と自分に言い聞かせて治療を続けた。私が前向きなことを感じ取ったかのようにぴろも2キロになり保育器から出て来た。簡易ベッドで自分で母乳を飲む練習を始めたと言う。退院前に再び再発していたがもう迷いは無かった抗がん剤をもう2週間だけ打った。それがガンに致命的になったのかわからない。でも検査の値は0に近くなった。「これで後は通院で様子を見ましょう」季節は春から既に秋も終りへと近づいていた。ようやく本当の退院が出来た。あと1ヵ月後にはぴろが帰ってくる。再発さえしなければ母乳がやれる。賭けのように私は祈った。そして通院して最初の検査の結果を聞きに行った日。「大丈夫、子宮ガンもHCGの値の検査の結果も全部正常値だよ」それから2週間、1ヶ月といったが私は再発しなかった。ついにガンと縁が切れたのである。そして今は半年ごとに子宮ガン検査をしている。ついに先日再発なく4年目を迎えたのである。この4年半のうちには更にピロの障害がわかって一喜一憂したりと色々なことがあった。でも私はこうやって今生きていて自分の過去を振り返りつつ日記にこうやって書いている。もし悲観してあの時身を投げてしまったら今ここにいることさえもないし、こういう幸せな今を生きていることも無かっただろう。平凡でも何でも今をこうして生きていられるのがどんなに幸せなことかと私は思う。今年友達をガンで亡くした時は本当に他人事に思えなかった。だけど私は彼女の分も長生きしたいと思っている。暗い話に延々付き合っていただきまして本当にありがとうございました。私のかかった胞状奇胎と言う病気は全妊娠の350人に1人がかかる病気らしいです。古くは美智子妃殿下もかかった病気なんです。本来なら妊娠3ヶ月にもなれば産婦人科医はわかる病気です。その後、処置をしていればここまでひどくなることはありませんし、ましてや私のようになる人はまれです。私と同じ絨毛ガンになる人は全体の1~2%くらいです。私は最初の医療ミスをした病院が胞状奇胎を見逃しておいてくれたために皮肉にもぴろが存命できました。(普通この病気がわかったら即そうは手術をされてしまうため)今となっては自分をここまで追い込んでくれたけどぴろにほぼ影響を与えずにいてくれたガンに感謝せざるを得ません。ぴろはガンと栄養を取り合い大きくなっていたのですから。普通ならまずありえない話なんですけどね(笑)でもこうして今ナンダカンダいいながらも生きてます。たまにはお酒も飲めてます。こうして大事な楽天の方とも知り合うことが出来ました。私は今、幸せです。読んでくれてありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。ちなみに今日はぴろきちとこれから芋掘りです。
2003/10/30
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2と3続けて書きました。まだ終わりそうにありません。ごめんなさい。******************************************************旦那の心境は計りかねない。私とぴろのどちらもがもうすぐ死ぬはずだった。それをいきなり宣告されたような物である。結婚して1ヵ月半。まさかこんなことがいきなり起きるなんてといったところだろうか?涙が出そうになるのをこらえて旦那は未熟児センターの話を聞きに言ったらしい。ぴろはひどく赤紫色をしていた。そんな中で先生が語ったのは「未熟児は大体生後二日以内で危険度が80%それ以降は50%までさがります。赤ちゃん自体の生命力にもよりますがこればかりはやはり小さく産まれたリスクがありますし、障害の事とかについても今はわかりません。でも私たちは赤ちゃんを元気にしてお2人にお返しするのが仕事です。それで申し訳ないのですが名前をすぐにお付け願えますか?」「え?名前ですか?」「はいお名前をすぐ付けていただきたいのです。こちらで診察券等を作らなくてはなりませんので」そして旦那は1枚の写真を貰ってきた。それを私に渡した。ぴろの一番最初の写真だった。たくさんのチューブや点滴等がつけられた痛々しい姿。この写真を見た旦那や母はみんなぴろがダメだと思っていた。だけど私はこの写真を見た瞬間、母親のカンだろうか?「この子はもう大丈夫だよ。このまま育っていくから」と言ってのけた。みんなはビックリしていたが何かそう言うのがわかった。(案の定ぴろはそれからは元気に回復していった)次の日にはゴールデンウィークを利用して新潟の佐渡まで行っていたが突然の知らせにとんぼ返りした旦那の両親が駆けつけた。ここもみんなもうだめだと思っていたらしい。しかしその期待を裏切るようにぴろは元気になっていった。そして私も3日がたち初めて歩いて未熟児センターに行ってみた。お腹の痛みを耐えつつゆっくりゆっくりと歩いていった。(初めて会うぴろは保育器の中で寝ていた)「ぴろくんのお母さんですね」「はい」「私はぴろ君担当の看護士です。ぴろ君は順調に元気になっていますよ」「で、そろそろ体調が落ち着いたらお母さんにも母乳を搾って持ってきていただきいただきたいんです。まだたくさんは飲めませんので少しでかまいませんので・・・」「わかりました」私は母乳を初めて搾ることになった。普通なら子供を産んだ瞬間に出るはずの母乳が私は全然出る気配が無かったのだ。自分で搾ってもダメ。看護士さんに乳腺のマッサージや暖めてもらっても全然母乳が出ない。どうして?・・・凄く悲しくなった。さっきピロの顔も見てきたのに。母親のはずなのに。何で母乳が出ないの?ぴろは凄く可愛いし、子供がいとおしいと思ったらでるはずなのに・・・。このとき私の胎内にはまだ残っていた胞状奇胎というガンに限りなく近いものが妊娠中と同じ様なHCGという妊娠中と同じホルモンを分泌させていた。そのことによって私はほとんど母乳が出ない状態に陥っていたのだ。私は当時そんなこと知る芳も無い。ストレスを貯めたりすると逆効果だというけれど本当に母失格とまで思っていた。週数を早く産んだだけでなく、母乳さえもやれない母親。何があの子の為にできるのだろうと。そんな中一番最初にいた病室に帰れるという。4人部屋で過ごしていると少しは気分が楽になった。そんな時本当に少しだけだけど母乳が出たのである。このときの感動といったらもう。言葉では表せないくらいだった。その母乳を注射器で吸い取り未熟児センターに持っていく。たったの0.5mlだけどぴろはそれを1日8回に分けて飲むという。それから少しずつ出るようになった来た日に例の中絶と同じ手術をする日が来た。この間先生が取ってくれてにもかかわらずまだ胎内にはおびただしいほどの量が残っていたらしい。フィルムケースに入れたイクラ15粒ほどのこの病気が1粒で多大なる影響を与えるのである。それが15個分といえば母乳が出なくても当然の話である。先生も「もうこれで後は落ち着いたらHCGの値も下がるだろうし、そうしたら母乳が出るようになるよ。で、落ち着いたら退院しようね」そう言ってくれた。正直手術後はまた水分が出て58㌔近くまで落ちていたし、精神的にも体力的にも良かったんだろう。他の妊婦さんとは全然違う量だけど少しずつでも出るようになっていった(でも6cc注射器1個分ほどだけどね)そんな中、血液検査と尿検査でまた驚くほどHCGの数値が上がっていることに。そう、私は絨毛ガンに移行していたのだ。2回検査をして2回目は最初に検査をしたときよりも数値は圧倒的に高かった。体はその頃もう普通通りにはなっていたし、私は退院できる物とばかり思ってるからこの結果は正直嘘であって欲しいと思った。ちょうどダンナがその頃、会社の人事移動で鳥取に行くことになり引っ越さねばならないことになっていたから。そして3回目の検査でガンは確実な物となった。旦那が呼ばれて、先生から話を聞いた。「奥さんは絨毛ガンと言う病気に移行しています。ただ、発見が早くて抗がん剤を投与すれば100%治ります。ですのでこれから抗がん剤を1週間に5回、毎日片方ずつのおしりに1本ずつ交互に打っていきます。それで治療すれば今なら完治が望めます」抗がん剤・・・?ガン・・・?誰が?私が・・・?何でこんなに元気なのに!泣きたくないのに涙か勝手に出て来る。私は死んでしまうかもしれないんだなぁ。もうそれしか思えない。「あとは抗がん剤の副作用としては脱毛、吐き気等がありますが一番弱い薬ですし、症状も個人差があるということなのでわかりません。でも使わないと奥さんの命が危ないのは事実です」「わかりました。治療をお願いします」夫婦で出した結論はそれしか選択が無かった。ホントは弱い自分を誰にも見せたくない。特にそれは旦那にも見せたくは無かった。でもダメだった。抗がん剤を打つという怖さもあったし。自分がガンってことを認めたくないけど否定は出来ない自分との葛藤・・・。こういうときの苦悩はきっと当人じゃないとわからないかもしれない。だけど私もまた当人以外の苦悩を知るよしも無かったと思う。そして次の週から抗がん剤を打つ事になった。筋肉注射はものすごく痛い。だから一番筋肉のあるおしりに打つ事になったのだがそれでも痛かった。苦痛にゆがみながらもわたしは耐えた。今死ぬわけには行かない。私にはぴろも旦那も、それ以外にも私も助けてくれる人がいるんだから。その一心で頑張った。でも抗がん剤を打ち始めたことで犠牲になったこともある。ピロの母乳に抗がん剤が出るので与えてはいけないということになった。わたしは毎日、自分で出る母乳を搾り、搾った物をそのまま洗面台に捨てた。母親としてどんなに辛いことかわかるだろうか?その頃も同じ4人部屋でその中の1人の人が子供を産んだ。その人は産んですぐ子供を自分の手で抱き、母乳をあたえてあげれる。卑屈になってはいけないと言い聞かせた。だけど、私は子供を産んだもののあの子は保育器の中で他の人に貰った母乳を飲んでいる。私はというと前の病院が見逃したガンのせいで抗がん剤を打って、自分で出るはずの母乳を搾って捨てている・・・。こんな状態でそう言う幸せそうな人を見るのは辛い。卑屈にもなってしまう。抗がん剤の痛みにのた打ち回りながら卑屈になりそうな自分と戦いながらそのときは生きていた。羨ましかったんだと思う。だけど、・・・どうしようもなかった。前にも書いたけど弱い自分は人には見せたくなかったし、性格は明るく天真爛漫な感じと思われていたので楽だった。お調子物のふりをしとけば悩みが無さそうに見えるから。そんな私はいつしかみんなの寝静まった消灯後に屋上に行くのが日課になった。真夜中の屋上は誰もいなくて星がよく見えた。そんな星空の下で昼間泣けない分、夜はここで泣いた。屋上だけが私の弱さを出せる場所だった。そして1週間たったある日・・・。ついに副作用が出始めた。髪の毛がごそっと抜け始めたのだ。くしで梳いただけなのに髪の毛がくしにものすごい量ついている。知識としては知ってた脱毛。それが今、目の前に現実としてある。髪の毛を触れることさえも怖くなった。元々髪の毛は多いほうだったがこのとき大量に抜けて以来私の髪の量は少なくなってしまった。旦那には電話で冗談ぽく「ついに髪が抜けた(笑)」っていったが本当はものすごく真実は怖かったのだ。そしてまた私は屋上で泣いた。そして1週間後検査の結果が出た。少し良くなっているという。抗がん剤を打った甲斐もあったものだと私は副作用のことを少し忘れて喜んだ。しかしその幸せは長くは続かない。その後の検査で数値はで再び上昇。そして2回目もまた上昇した。CT検査とMRRI検査を受けることに。どんどん怖くなっていく。私の体は見えない悪魔に知らない間にのっとられているかのような錯覚さえ陥る。そしてCTなどの結果が出た。再びだんなが呼ばれた。「奥さんの検査結果が悪いので検査してみたところ転移しています。肺に転移しているんです。体が若いと血流に乗っていろいろなところにいってしまう可能性があったんですが奥さんは子宮内には無いのですが肺に転移しています」転移・・・?肺に転移?転移って言葉は知ってる。だけど23歳の私にはその言葉がとても遠い言葉に聞こえた。知識としては知ってる転移。だけどこうして自分の体内で起こっているなんて・・・。あまりのショックで私は椅子から転げ落ちた。何だかもうどうでも良くなってきた。もうきっと治らないんだ。私は死んじゃうかもしれないんだ。自暴自棄になりそうだった。だんなは落ち着き無い私の手を握ろうとしたが私はそれを拒否した。何だかもう何も信じれないし、信じたくなかったから。とりあえずもう1つ違う抗がん剤にかえるという。それだけ聞いて病室に帰った。旦那と話をしたけど何を話したかも覚えていない。その晩また同じ部屋の人がお母さんになった。また私は抗がん剤を打ち母乳を搾っては捨てた。そして私はまた屋上にいた。正直、転移という言葉は重すぎたし、今まで頑張ってきた私を奈落の底に落とすには十分な言葉だった。この日から頑張るって言葉が嫌いになった。努力したって無駄なんだ・・・。それしかもう思えなかった。私はふらふらと柵のところに歩いていき1つ乗り越えてみた。「この下に落ちちゃったら楽になれるかな?」ボソッとつぶやいてみた。飛ぶ勇気もいつもならない。だけどこのときはかなり自分でも危険だったから。・・・私がいないほうがいいかな?だんなもこれだけ面倒な私と離婚して新しい奥さん貰ったほうがいいんじゃないだろうか?ぴろだって私はほとんど初乳を少ししか与えてない全然ダメな母親だし・・・邪な考えが頭の中をグルグル回る。「だけど私あんまりいい子じゃないから天国にはいけないし、こんなことぐらいで死んじゃうようならぴろは生まなかったよね。あたしは何があってもぴろを守るって言ったんだからこんなことで悩んでるヒマは無いんだよね」さっきまでの自殺しようとしてた自分を打ち消し何とか思いとどまることが出来た。だけどこのとき死のうとした気持ちは未だに忘れれない。
2003/10/29
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ちょっと今回の日記は結構リアルな部分があるかもしれません。それだけ最初にお断りしときますね。******************************************************1999年4月30日私はこの前の日記でも書いたように個人病院から転院しました。この日旦那が帰ったあと、私は全く知らない土地で(当時は岡山に住んでなかった)一人ぼっちでいることになったんです。4人部屋の中でカーテンを締め切って、誰とも話しもできない、本も読めない。何もすることないまま寝ていると本当に悲しくなってきます。部屋の他の方たちも私に気を使って小さな声で話してくれるんですが私にはそれさえも辛かったです。普段の私はよくしゃべり、笑い、怒りと感情の起伏がかなり激しいほうですが、この日からの私はまるでマネキンのように無表情をしていたと思います。見ず知らずの土地で誰とも交流無く天井と時計だけ見てベットに寝ている。この孤独感はものすごく辛い物でした。そして運命の日がやってくるのです。体の中でガンが動き始めた悪魔の日が・・・。1999年5月1日生理の始まりのような感覚を受けた私は動けないので簡易トイレに座ってまた驚くことに。再び出血していた。すぐナースコールを鳴らし、内診してもらうことに。先生は即私を車椅子で連れて行った。「子宮口は大丈夫だし、赤ちゃんが出てくる気配は無いけど君の体の中にある病気から出血してみたいだよ」「病気?、私、病気なんですか?」訳がわからないまま口を開くと「昨日の超音波検査で君の子宮内に異常があるかもしれないってのがわかったんだ」「それで調子悪いんですか?」「多分中毒症もこの関係かもしれない」「とりあえずもうすぐ君の担当の先生がくるからそれまでまた病室で寝ていてください」帰るとき私は1つの言葉を思い出していた。2月の法事の時に行った病院。・・・もしかしたら異常があるかもしれないのでこの写真を見せてください・・・まさか・・・・もう既にあの時わかってた??何ともいえない感情が溢れた。だけど今さらどうすることも出来ない。もうこの病院を頼ってきた以上。ここの先生に全てお任せするしかないのだ。先生は来て一番に私のとこに来てくださり。「病気はすぐには何とかなることは無いと思う。ただ何らかの要因かで動き出すことがあるから油断は出来ない。だけど、とりあえずもうしばらくおなかの張り止めの薬で様子を見ていきたいんだ君の体の赤ちゃんは今もし出てきたら推定700グラム程しかない。耐えれるのなら耐えれるところまでは体内に置いておかないと赤ちゃんの命が心配になってくるんだ」「はい、わかりました」先生の説明は丁寧でよく理解できた。私も未熟児の赤ちゃんのリスクを知識では知っていたから。とりあえずこの子の為に、私は負けないようにしよう。そう思っていた。だけど、、、異変はすぐに訪れた。おなかの張りを監視する装置が凄く間隔が短くなり始めた。私も段々と苦しく辛くなってきた。おなかの張り止めを最大近くまで出してようやく落ち着いたけどどうしようもないくらい凄く張ってくる。晩ご飯はそれでも何とか少しだけ食べた。バナナがあったのでせめてそれだけでもと思い口にした。ご飯食べて薬を飲んでやっと段々とゆっくりできるようになって2時間後くらいの安心していた頃に今度は吐き気を催した。食べたものを全部吐いて更によくわからないけどのた打ち回りそうなほどの痛みが来た。(まさか陣痛??)あまりの私の状態を見かねた同部屋の人が看護士さんを呼んでくれた。「苦しいです・・・」そう伝えるのが精一杯だった。張り止めの薬を最大値にしてももう全く意味はなかった。そのまま陣痛が出始めた。きっと昨日揺られた救急車が・・・体の中の病気が・・・。苦しいよ・・・。色々なことが頭の中を回る。どうしようもないくらい辛いので何も考えたくない。だけど何か思ってないと体が二つに引き裂かれそうなほど痛くて痛くて・・・。陣痛室に移された私はあまりの痛さにずっとのた打ち回っていた。だけど初産だし子宮口もなかなか開かなかったし、すぐには生まれそうに無いこととこの日は運悪く宿直の先生が研修医の人だったことがあり、(とても私の手術は出来ない)明日の朝には私の先生が来るのでそれまで我慢することに。結局一睡もできないままあたしはベッドの上をのた打ち回っていた。ベッドには一晩中辛くて苦しくて流した涙が大きな跡になっていた。朝が来て先生が一番に駆けつけてくれた。「ぶっちさん、もう、出そう、じゃないと今度は君の体が持たない。今日までよく耐えれたね。赤ちゃんのことは未熟児センターのスタッフがいるからきっと元気にして、君の元へ返してくれるから」その言葉に私は辛うじて小さく頷くだけであった。もう既に正直体力は限界だったし、気力だけで持ってる状態だったから。そして帝王切開手術が行われることになったが旦那は一昨日帰るときに同意書のサインをしていなかった・・・。先生にだんなを呼び出してもらうと旦那はのんきに寝ていたらしい。ただことじゃない私の理由を聞くと一目散にうちの母を連れてきてくれるそうだが運が悪いことにゴールデンウィークでそして私は苦しい中更に1時間半耐えなくてはならなくなる。着いた時は旦那に会えたことより、非情なようだが正直サインだけが欲しかった。2日間に近いこの苦しみから解放して欲しかった。極限の体力で旦那の来るのを待ってたのだ。そして即手術になった。私は喘息を持っているので帝王切開時にも腰椎麻酔を使う。だんなが来る前に麻酔科の先生から説明を受けていたし、いざ手術が始まってからもこの先生がずっと手を握っていてくれたから安心した。帝王切開の手術しても上半身は麻酔が効いていないので手術してる時の事は覚えている。緑色のカバーが掛けてあって見えないようになっているが先生たちの息を呑む声や非常に驚いた声が未だに鮮明に残ってる。そんな中、赤ちゃんは産まれてきてくれた最初は泣き声も無かったけど。吸引してもらって弱弱しく「ぅにゃー」とカモメみたいに泣いた。1999年5月2日長男ぴろきち誕生の瞬間である700グラムと思われていたが実際には980グラムもあった。でも、まだ、砂糖1キロよりも軽い体重。ビックリする話だよね。でも、よかった・・・・・・本当に良かった・・・。何とか母として無事に使命を果たせたようだ。そのままぴろは私と分離されその後彼を自分の胸に抱き上げるのが半年後とは思いもよらなかったけど・・・。その後私は再び病室に戻ることに。病気のせいで体中の細胞が水を吸っていた。だから私はこの地点で体重が68キロくらいあった。だけど病気のせいでそうなっていたらしく、手術の際に導尿という尿を取ったり計ったりするものをつけるのだが1日12リットルもの尿が出て私はあっという間に3日間で64キロまで落ちるのである。手術から帰ってきた先生は旦那を呼んだ。旦那に私の胎内に入っていたものを見せた。「これ、もしかして胎盤ですか?」「いえ、奥さんの中に入っていた病気です。胎盤はこっちです。コレが奥さんの体内で悪さをしていたので奥さんは激しい中毒症とになってしまったんです。私も30年くらい産婦人科をしていますがこんな経験は初めてです。正直この病気で子供を胎内で育てた例は99.9%無いです。奥さんは自分の体を犠牲にして赤ちゃんを育てていたんですよ。正直この病気で赤ちゃんを産んだ例は全世界で一桁くらいしか報告されていません。ですが代償が大きすぎます。このあと普通なら2週間くらいで退院できるのですが奥さんには10日後にもう一度<そうは>という手術を受けていただきます。」「どんなことをするんですか?」「簡単に言えば中絶と全く同じです。子宮の中にあるものを取り除いてしまうと言った感じです。今なら子宮口も開いているし、奥さんの負担も少ないです。中絶と同じ手術をしたからといって妊娠しにくくなるということは一概には言えませんが一応見える範囲では取りましたがまだ全て取りきれていない。ですので10日くらいたって奥さんの体力が回復したらしようと思っています。中に残っている組織を取らないと奥さんは重篤な状態になってしまいます。このまま放っておいたらガンの可能性もあります」「ガン?ガンになってしまうんですか?」「この細胞ははっきり言ってガンにものすごく近いものなんです」「・・・妻に伝えるべきですか?」「今はまだ体力も回復していないし、お子さんのこともあります。産後の妊婦にあまりショックを与えるわけには行きません。もう少し内緒にしておいてください。私の口から手術のことは言います」「わかりました・・・」このときの旦那の心境を私は知らない。後になって全て聞いたものだ。*************************************************このときの旦那と先生の話など何も知らない私は痛み止めが効いて眠り続けていた・・・。
2003/10/28
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正直この話はここに書いてもいいものかどうか悩みつつ書いてます。書くのにもかなりの葛藤はあるし、信頼してるお友達には話した事もありますが、時間の都合や、また話す勇気がなくて全ては話せてないし、また自分自身が心の奥底の中に沈めて置いていたものです。自分の中でも触れたくない部分だったんです。悲劇のヒロインになりたいわけではなくここに書いてあるのは全部少し前に私が経験した事です。このサイトになって何人か新しい方に出産トラブルの話を見てもらってコメントを見たり私書箱にメールをもらいました。封印をといてそろそろ触れるべきかなぁと思って・・・。これは私なりの見解なので身内が見たら多分怒ったりするかもしれないけど。正直このサイトは私も消す気がないし、その当時はそういう心境だったという事で許してもらえたらなと思ってます。そう、この話は私の出産トラブルと絨毛ガンの闘病の話なのです。テーマがテーマなもので内容が暗いことはご容赦くださいね。私もまだ書こうとしながらも本当にここに書くか悩んでます。それでは申し訳ないのですが皆さんに私のちょっと前の話にお付き合いいただけたらなと思います。私はこうやって今元気にネットができたりしてますがほんの4年前は生死をさまよっていました。ちょうど5年ほど前の11月に妊娠がわかり、急遽ダンナと結婚する事が決まった時期でもあります。そのときは私は22歳。ダンナは25歳でした。ダンナの誕生日が1週間過ぎたときに私たちはお互いの親を呼び、日取りを決めたりいろいろしていました。結婚式は3月13日妊娠周期は5ヶ月後半になるので早めに取れそうな日を決めるために即、動かなければならない状態に・・・それはすごく忙しい日々だったけど大好きな人と結婚できてもうすぐ可愛い二人の子供が生まれてくるというのは私にとってすごく充実した日々でした。つわりもほとんどなく、仲人さんに挨拶に行って明けた年の2月のだんなの家の法事にてダンナの親族に私のお披露目が決まり、準備のために前日にダンナの実家に帰りました。朝起きると枯れたような出血が下着にあり私は小さく叫びました。かなりパニックになり、絶対に危険だということをだんなに相談。だんなは法事なんか出なくてもいい。子供のほうが大事だっていうことで近くの産婦人科に行くことに。全然気が気でなかった。何言われても上の空で。病院に着く時間は30分くらいだったのが何時間にも感じた。診察を待つ間、普通に待ってる妊婦さんがうらやましかった。その時私には余裕がなかったから。診察をしてくれた先生は内診をして、何枚も超音波写真を撮った。普段通っている産婦人科の数倍の時間のかけ方。「本当に赤ちゃんだめなんかな?」そう思っていた時、先生が口を開いた。「赤ちゃんは大丈夫です。順調です。ただ、お母さん、この写真を通ってる産婦人科に持っていって先生に見せて相談してみてください」「何か悪いんですか?」「ちょっとわかりにくいのですがもしかしたら異常があるかもしれません」「わかりました」そういってたくさん撮った写真をもらって帰った。月曜日に会社を休み行きつけの産婦人科に行った。そして土曜にあった事を説明して写真を見せた。するとその医者は写真を少しだけ見て「ああ、これは子宮が腫れたように映ってるだけだよ。そんなに心配しなくていいから」っていって写真をポンと机の上においた。ここで気づけばよかったのだ。この病院にはいてはいけないということに。でも出産経験もなく産婦人科をよく知らない私はこのままこの病院を信じて通っていった。今でこそセカンドオピニオンという制度が使いやすいようになってきたがこの当時はまだ勇気がなかった。ましてやここはいい病院と友達に聞いていたので替えないほうがいいかなと思っていた。普通に産めたらなんてことないお産。でもトラブルにはまったく対応できない病院だという事を気づいたのはずっと後になってから。そして、その結果2日後の水曜日私は朝から大出血に見舞われる。「もう、絶対に流産だと思った」それくらい出血していた。まだこの時は実家にいたから父に産婦人科に連れて行ってもらった。医者は9時までは今お産してるので出て来れないといい。私は不安なまま3時間ほど待っていた。医者が来てすぐに内診室に通された。内診の結果は「赤ちゃんは大丈夫。だから羊膜炎ではないか?」そういって私の子宮に消毒したガーゼを詰め込んだだけだった。(とりあえずもうここで医療ミスである。別の病院のいっていたことは当たっていた。私はこの地点で胞状奇胎という病魔に冒されていたので)そのまま入院して絶対安静を言い渡されたので私は仕事をやめることにした。大人しくしてないと来月の結婚式ができないかもという不安があったから。だんなも駆け付け事情を説明して会社を辞めるということに賛成してもらった。ちょうどこのころようやく住む家が決まった頃でその事にも追われてただんなはかわいそうだったんだけど。お互いの両親にも手伝ってもらって引越しは何とかできたみたい。その間ゆっくり安静に入院してたので私は何とか出血も止まり無事に結婚式までに退院できる事になった。3月13日の結婚式も無事に終わりもうすぐ23歳の誕生日が来るという時に私の体は突然不調を訴えた。今までずっと治まっていた喘息が復活したみたいで突然の呼吸困難に襲われた。もう妊娠6ヶ月過ぎていたので何とか薬も飲めるので病院にいって薬をもらって何とか事なきをえたけど。誕生日の日についに私の体は自分の意思では動かしづらくなってしまった。手械、足枷のついた鎖で手足を動かせないマリオネットのように体が重くなって。寝込んでたりする日も多くなった。だけどダンナや向こうの両親は普通の妊娠だと思ってるから多分あたしが妊娠して動くのがえらくて甘えてサボってるんだと思われていたようで。本当に悲しかった。言ったって理解してもらえないんだもん。何でもそうだけど何かが起こってからじゃないと認めてもらえないんだよね。それでも何とか仲人さんにお礼の挨拶に行った折についに無理をしてた私は立てなくなってその場に座り込んでしまった。その場所が運悪く上座だったので「嫁の分際で上座に自分から座った。まだ誰も座ってないのに常識知らず」と帰ってからものすごい罵声をダンナが浴びたのを私は知ってる。ダンナが私に言葉を選んでその旨を伝えてきた。私だってそんな事考える余裕もないくらい体が言う事聞かないのに・・・。とはダンナにはとても言えなかった・・・。それから1週間後友達の結婚式で私は体がむくみ始めた。たった1日で全身がむくみきってしまった。もうここまできたら私でもわかる。私は妊娠中毒症になっている。そう気づいた私は入院の用意をしていった。案の定妊娠中毒症。最高血圧は軽く190を超えていた。もうそのまま入院。むくみ、蛋白尿、高血圧と全てにそろった妊娠中毒症。私が入院して体重が一気に3キロ太った。塩味が全くない完全無塩食をたべて、薬を飲んでも全く聞かない私の体。私はだんだん笑う事を忘れそうだった。だけどとりあえず赤ちゃんが元気な事が私の生きがいだった。毎日その日あった事を日記に書いた。3行位の日記だけど。薬飲んでも聞かない。血圧もさがらない。そういう単語しか今見ても並んでなかった。正直死を少しは考えてたんだと思う。でも悲観はしたくなかった。何とか生きていたかったからそういう風に日記を書いていたのだと思う。(多分悪あがきだとは思うけど)そしてそんな時この病院は建て直して異動する話を聞いた。私のような面倒な患者をどうにかして厄介払いしようとする病院。全ての言動からそれが読み取れた。看護士が引越しのためにまだ寒い4月に病院開けっ放しで産後の肥立ちの浅いお母さんや、私のような妊婦を待合室に待たせていた。そういう人たちを寒い中で待たせるのはどういう意味か分かってるの?私はそういう目にあった瞬間決めた。「未熟児センターのある岡山市内の国立病院にいきます!」そういった瞬間。狸オヤジ(院長)は微笑んだ。「あ、そう、じゃ、すぐ行こう。ベッドが空き次第いけるように手配するよ」そしてその日のうちに私はこの病院を後にする事になる。でもきっと私は忘れる事ないだろう。新しい病院の名声と私のような重症患者を天秤にかけて病院のほうを選んだ医者の事を。その後私は救急車で運ばれた。救急車には私の万が一の手術に同意も何もできない看護士が乗りうちのダンナは自分の車で追いかけてきた。もし私がここで緊急帝王切開にでもなってもこの看護士は何もできないのにね。そういう意味でも私は病院の選び方を間違えたようである。国立病院に着いた。先生は私の検査を開始し、終了後に病室に連れて行った。「今から条件を出すよ、君は誰とも話しちゃいけないし、本を読んでもTVを見てもいけない。君は興奮したらいけないんだ。おなかの赤ちゃんもまだ小さい。できたらおなかの中においておきたい。君はつらいかもしれないけどもう少し頑張るんだよ。お母さんとして」そういわれた・・・。もしかして私すごいひどい状態なのかな?不安だった。だんなはついてきたものの仕事を途中で抜けてきたため帰らなくてはならない事に。そのままトンボ帰りしていった。その際に帝王切開の同意書を書き忘れて帰ってしまった。その次の日に私は再び出血するのである。*************************************************たぶん次数制限にひっかかりそうなのでこの辺でやめます。この日記にはコメントつけづらいでしょうので読み流してもらってかまいません。
2003/10/27
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ってわけじゃないけど近いもんでなんとなく(笑)さて今年こそ10月31日に枕の下にローズマリーを引いて寝て未来の結婚相手が夢に出るを実践しなくては・・・(笑)毎年やってるけどな。確率的にはダンナの出る確率は低いって事が判明。去年何ざケンシン、加藤晴彦、藤井隆等スンバらしい集団が夢に出てきたし。マジで求婚されるこたぁないから気楽だけど。ちょっち優越感だな(でも所詮、夢)かぼちゃつながりで・・・。最近グリコのパンプキンポッキーが大好きなぶっちお嬢。これがうまうまなのだ。つーか主食??これを食べてると心が安らぐのよね。昨日の事はもう忘れたわ。人間ポジティブが一番。自分達に何事もなかったのが一番よね、うんうん。という事で心が清い私に菊花賞の大当たりをください(笑)きっとこういう人が神を冒涜してるとか言われるんだろうなぁ。まぁいいけどさ(笑)という事で何を買おうか全然決まらないまま時間は近づいてくるわけで(笑)菊花賞私は何を買おうかにゃー?悩み中でございます。秋華賞が硬く決まったら菊花賞は大きく荒れるというデータもありますので荒れると踏んだ。◎チャクラ○ニシノシンフォニー▲マッキーマックス△マーブルチーフ×リンカーンあたりにしときます。後は誕生日馬券を少々(笑)*****************************************とここまでがさっきの日記。実はギリギリに今朝Theサンデーに仁志選手が出てたのをふと思い出し・・・「えーい、にしがはちで8番ザッツ単勝に300円!」という無謀な買い方をした。直線で絶叫したのは言うまでもない。(ネオユニファンごめんなさい。リンカーンもごめんなさい)300円が6060円になってしまった・・・。これでエリザベスもしくはマイルまでは入金要らないな(笑)相変わらずの自分のこういうときの脅威のギャンブル運にびっくりするばかりである。今日から仁志選手は私の神としてあがめよう(笑)
2003/10/26
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最初にみなさまにお願い。日記に別にムリしてコメントしなくてもいいよぅ。わからなくても素通り全然オッケーだし。これはぶっちが適当に書いてるだけだからね。無理やりに書こうとしたら反対に気を使って大変だしね(笑)最近流行りな素通り厳禁とか誰にも言わないしね。嫌味じゃないけどちょっと今はこういう書き方しかできなくてごめん。今精神的にかなり不安定なのです。もう今日はやる気ない。当分楽天にも顔出さないかもしれない。つーか今日、車をぶつけられました。めっちゃブルーです。っていうか私もぴろも妹も無事だけどね。ムームーちゃんが・・・。郵便局に妹の待ち時間に止めてたら突然バックで駐車しようとして来たおばさんの車が・・・。左後方のバンパー+ホィールに・・・。ぴろとあたしは乗ってたんだけどゴーンガリガリガリって・・・。出てみたら・・・傷だらけ・・・。ちょっとマジ??って感じで。塗装が思いっきりはがれてる・・・。へこんでる・・・。「すいません、私が悪いんです」それはその通り。いっぱい駐車場は開いてるのに車幅感覚もわからないのに斜めにつっ込んできたりするならカローラランクスとかは向いてないって。ムーちゃんも6歳。小さな傷とか事故ったりもしたけどそれ以来治ってからは大事に大事に乗ってたのに。ホィールは気にいってたから傷つけないように頑張ってきたのに・・・(もう買えないのに)全部水の泡。あたしが本当にへこむって!悲愴な気持ちで事故証明を取りにいって警察署でオバサンのぶつかった理由に唖然。「止めようとした駐車場の隣の高級車にばかり気を取られてて。つい」あんた。あたしの車はどうでもいいってこと?悪かったわね、古くてさ。という事でかなりむかついてます。もうちょっと何もやる気ない。まぁ10:0なのであっちに治してはもらいますがゴネテやってもいいけどそこまではしたくないし、私の心の傷は当分癒えそうにありません。でも腹立つわー。しくしく・・・************************************豚キムチを食べて少し落ち着きました。が、何だか今度は悲しくなってきました。ああ、秋の夜長はメランコリー(ユウウツ)しくしく・・・。こんな日はふてねと深酒に限ると思い親父さんと飲んだくれる事にしました。が、親父さんは酒に弱いのですでに酔っ払ってしまいました。つまんない(笑)ぶっちはキムチと発泡酒2本半目でっす!実家はいいねぇ。お酒飲んでも誰も怒らないモン(笑)って言うか遠巻きに見られてるのはナゼに?また酔っ払い扱いされてんのかしら??えーとここで予告ッス。結構カウンター回るのが早いので久々キリプレに送った人に大好評の生チョコをしようと思いまふ。番号は2126(ぶっちの高2のときの出席番号、笑)にしようかなと思ってまふ。常連さん限定でゲストさんは残念ですが、常連ゲストさんのみはオッケーでふ。という事でちーかま食べます。これにお醤油つけるのが大好きなのだ。では飲みまーす。
2003/10/25
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こないだ日曜日の朝に取ったばかりのスターダストレビューの12月21日(日)鳥取県立文化県民会館で行われる「Heaven」ツアーのチケットが火曜日にはもう届いたのだ。こないだ8月後半に行ったサザンの時は電話予約後にローソンのLoppiで発券。今回は私がカード持ってるチケットぴあのネットで取ったのだけど。今は自分がどの席に座るか事前に出るんだね。用意できた座席で一番良い物はこのとおりですって・・・席に「の」ってひらがなが書いてるのに疑問(笑)前なんか?後ろなんか?でも1階だし。鳥取の友人に聞いたら1階の真ん中辺りの真ん中辺だって。まぁ取れただけでもいいわよね(ポジティブなお人)すごくへぇー!って感じ。昔は電話でだらだら繋がるまでかけて一生懸命頑張ったもんだが今は簡単だねぇ。便利な世の中になったもんだ。後はファンクラブでも入っとけば、ほぼ完璧なんだろうね。しかしファンクラブ代もバカにならないがね。(昔、女子高生時にユニコーンとかブームとかにはいってた人笑)今回は保育園からの幼馴染みで大体音楽の趣味が一緒のKちゃん(牝27歳)にミスチルのベストと引き換えにスタレビのベストをかしたとこから始まる。正直に言うと彼女は3ヶ月前まではスタレビとスカパラの区別がついていなかった(見たらぶたれるな、笑)そんなKちゃんにスタレビの感想を聞いてみた。「すごかった。何ていうかいい年の人たちがここまで純粋に一途な歌を歌ってるのがいいね」という事ではまってしまったらしい。その感想はさすがというか何と言うか私がはまった時と全く同じこと言ってるがね(笑)今ではすっかりカラオケでも歌えるまでに成長。お母さんは嬉しい(誰がやねん、涙)って言うか彼女にはめられた音楽も数多いんだけどね。(ブームとか19とかさ)そんな彼女に「スタレビのコンサート行かん?12月14日の香川と、12月20日の島根と12月21日の鳥取だったらどこがいい?」って聞いたら「鳥取だったら近いかな?」って言う。(実は岡山は既に6月7日に終了してる、笑)「じゃあさぁ、スタレビ&うまうまお寿司のお店に行こう!」とディトに誘った(どっちもおごりではないのでまずディトではない、笑)決定打は「鳥取まで雪降っても車出すよ」の一言で快諾(さすが長い付き合い、お互いをかなり熟知してる、笑)ということで行くことに決定。電話して1分。早い決断。元鳥取県民なので場所もばっちし!さぁーて後は「Heaven」ツアーなんでアルバム買って予習しとかないとね。ホントは鳥取が一番開始時間が早い。PM4:30開場 PM5:00開演だからね。ってすごく早くない?サザンだって5:30開演が6:00だったんだよ。まぁその分アンコールあっても早く終わるだろうねぇ。雪が降っても早く帰れるからよいさ。ただ鳥取から実家のある市まではざっと2時間くらいかかる。なぜなら高速がないので(笑)雪が降ったらもうちょいと大変なのだ。が、こういうときはムーちんがMT車だからエンジンブレーキって手がある。っていうか正直雪降らないでほしいのさ。ループ橋があったり激しい黒尾峠を通らねばならないからね(笑)まぁ大丈夫だろうけど。しかしこれでついに結婚前から溜め込んでいた私の貯金が底をつきました。しくしく・・・もうどこにも行けない・・・ううっ(って多分家計切り詰めていくけどさ、笑)
2003/10/24
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昨日晩、だんなと2人で作ったバカなスクリュードライバーのせいでかなり2人とも喉が痛いです。二日酔いにはならなかったけどさ(笑)アルコール90%のウオッカなんて人の飲みモンじゃないわよね。火が付きそう(笑)ウオッカ1:4オレンジジュースの割合にしてもきっつぃ。という事で1杯でかなりほろ酔いって言うか本酔い(汗)もうあたしは飲まないわ。残り3分の2ほどはだんなにあげよう(笑)今日はぴろきちが週1日通うひまわり園の日。母親講座は養護学校の小学校部の見学ということで見てきました。何ていうかぴろきちはまだ2年あるのでまだ実感が沸かないのですがやはり入学年が迫ってるお母さんは最初から最後まで真剣で。帰り道にみんなで保育園の話をするも、どこも入れてくれないみたいな感じになってしまって今年春のうちのよう・・・。何でこんなに門戸が狭いのかしらねぇ、岡山県知事さん??福祉の市とか言うならそれに見合う街づくりしなさいよってんだわ。倉敷市のが政令都市だから対応も全然違うよ。岡山なんて県庁所在地のくせに政令都市じゃないからさぁ。とかふつふつとまた怒りが湧いた今日の午前でした。母親講座から帰るとぴろきちの今日書いた絵がありました。葉っぱ2枚はってある絵の模様。ここまでして寝てしまったそうな。相変わらずマイペースな奴(笑)きっと母の心配なんてとるにたらないんだろうねぇ(笑)ぴろきちの絵を見た後でご飯食べて軽く運動訓練しておしまい。ちょっと色々考えさせられた日でしたわ。今日の日課はこれから昨日いけなかった三井住友銀行にいって。おうちの草取りです。今日は昨日のような大量のポリスメンもいなくてあっという間に路駐もできて安心。ATMも人が少なくてすぐに終了。やれやれあれだけ昨日悩んだのがウソみたいだねぇ(笑)とか考えつつぴろきちの手を引いて車に帰ろうとするといたずらなそよ風と言うか強風が!ユニクロの花柄巻スカートがふわーぁってなって・・・・・・ぱっ、パンツが・・・(汗)チッ、不覚にも通行人サービスしちまったぜ(笑)っていうか多分誰も嬉しくは無いと思うけどね・・・。(最近かなり自爆的なサイト化してますなぁ)ピロの手を放すわけにも行かずカバンを放すわけにも行かず、仕方なく風にスカートをめくられるがままになってしまった(笑)こりゃ、間違いない!セクハラだな(笑)まぁちょっちサービスサービスってことで(笑)。そんなこんなで入金も終り、家に帰ってきた。お家では庭に抜いて乾かしてある草が山ほどあるの。(明日はゴミの日)ここまで乾燥したら燃えるでしょうということで外にゴミ袋を持ち出して草を入れ始めた。草を入れてたら寒くなったので草の下で暖を取っていたバッタやこうろぎ、かまきり、かえるなど豪華昆虫類&両生類がたくさん出てきた。まぁこの辺りなら全然平気なんだけど(田舎生まれ、田舎育ち)さすがにミミズとかは・・・キライ。だって女の子だもん(笑)かえるなんて愛らしいじゃん。何ていうかちいちゃいのはプリチーだしね(そうか?)こういうプリチー系なら私でも、何とかなるのよ。ただ・・・うにょうにょしたミミズ地帯があったのでスルーした・・・。そしたらちょっと目を離した好きにぴろきちがミミズ地帯に。急いで駆け寄ると、何とミミズを握っていた!!!「放しなさい!」って怒る母「おあえー」イヤー僕のおもちゃーって多分言ってるぴろ母はミミズに触りたくないのでピロの手をつかめずに困惑。ぴろはラッキー手が離れたといわんばかりに左手にもミミズをつかむ。ええい、この野生児が!!母は観念してぴろきちの手からミミズを奪い取った。手の中でうにうにして気持ち悪ぃッ!!良くこんな物体で魚なんて釣れるもんだわ(かなり偏見)人間一念発起すれば何とかなるもんである(笑)おもちゃを取られたぴろは大泣きした。(スマヌ。ぴろコレも母の愛なのよ)まぁとりあえず危機一発を逃れた母は残りの草を全部入れていた。で、終わったからぴろきちを家の中に入れようとしたらぴろきちが石をひっくり返して遊んでいた。石の下には黒い物体が・・・。まさか、まさか・・・。まーさーかーゴキじゃないよね?とか思った瞬間。ゴキだったのだ!!!凍りつき固まる母・・・。ぴろが凄い瞬発力というか多分偶然だとは思うのだがゴキを捕まえちゃったのだ。(って言うかただ転んだだけ、笑)ゴキは運良く死んではなかったのだがぴろきちの倒れこみのダメージによりすっかりのろのろとしたスローな行動しか出来なくなったゴキをぴろは捕まえた。一部始終を見ていた母は絶叫しそうになったが。ゴキだけは触れない。ましてや外にいるなどとは思ってもみなかったもんでかなり精神的ダメージもある。「あんなーうんなー」新しいおもちゃを見つけてやったぜ!かあちゃんと言わんばかりの満身の笑みを見せる愛息子を見て私は思った。将来もしかしてもしかして万が一にも著名な昆虫博士になるかもしれないけど今はただの憂鬱なファーブルだな・・・。母は取り合えずゴキブリの上に倒れこんだトレーナーとゴキやミミズを触った手をどうやって消毒しようか悩みつつ愛息子を見ていた。我が息子ながら野生児ね。やれやれだわ。
2003/10/23
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ちょいと趣向を変えて衣替え途中のパンダTシャツなんぞを(笑)コレはバックプリントなんで後ろから呼ばれてもパンダが振り向いてくれてます(笑)めんどくさがり屋のあなたに1枚(爆)「衣替えまだやってんの?」とか思われそうですが、私は喘息もちなのであまり大量のほこりを吸ったらアウトなんですねという事でちまちましてます。えっへん(って威張ることではない) コレは5年くらい着てるからパンダがだいぶヤバイ(笑)ぴろとのリハビリ用。着てる人は地味でもTシャツは結構派手。後はおうちのマグネット 家にあるパンダはコレでおしまい。実家に行けばまだあるんだけどね。このパンダとぶっちの関係がわからない人は昨日の日記を参照して下され。って衣替えの話はどうでもよくて。みんなもそろそろ意味不明なタイトルの中身が気になった頃でしょうのであえて触れてみたいと思います(笑)もっと早く触れろって?実は私が有栖川宮様を名乗ってたのがばれたとか?んなわけないっすよ(笑)とりあえず今日はピロのリハビリだったので岡山市中心部を通りました。(ぶっちは一応岡山市内だけど郊外なので下手したら倉敷市郊外のが近い(笑)で、それまで時間があったので三井住友銀行に行こうと思ってね。いったんですよ。岡山駅から続く桃太郎大通り(かっこ悪いネーミング)にある三井住友銀行は駐車場が無く路駐のメッカだったりします。警察の方とかパトカーが見えました。最初は路駐の取り締まりかと思ったんですよね。そしたらそうじゃなくて、何か物々しい。警察の方っぽい人がひとり、ふたりー、三人いるよー。よにんー、ごーにん、6人いるよ・・・って???(インディアン歌ってる場合じゃないって)何事?路駐でまさかこんなにいないよねぇ??その辺うじゃうじゃ大量のポリスメンが。またイケメンはいなくて(おいっ!)怖い顔のお人とか、ガタイのよろしい方々とか・・・。そこらへんざっと見て数十人。さすがのこの状態ではいくら宮様ぶっち(おいっ)といえども路駐する勇気はございませんでした。という事でリハビリ終了後にもう一度行こうと思ってたんですが・・・。帰り道にまたしてもいかつい方々とか、車を行かせないようにしたバリケード持った方々まで出現して。おまけに三井住友銀行前には朝9時よりもものすごい軍団のような警察官が・・・たむろってました。いく気が失せたのでやめました。ぶっちは清純派だからそんな悪い事してないのに。せいぜいスピード違反くらいでしょう(笑)ううっ、しかし何もしてないけど怖いっす。何ででしょうねぇ?ポリスメンがこんなに怖いのは昔、若かりし頃に飲酒運転で捕まりかけてからかしら?だんなと別れてた頃につぼ八で合コンがありそのかなり飲んだくれた帰りに見事にひっかかったんですが出なかったのでスルーしました。あの時の警察官の本気で血走った目はちょっと忘れることが出来ません。つーかトラウマだな。それ以来軽い飲酒運転しか出来ません。大ジョッキ一杯とかなら平気だけど(笑)今入った情報によると大量ポリスメンは右の方の集団の取り締まりにいたそうです(笑)しかしあんなにたくさん集団でいたらマジで怖いってばよ。
2003/10/22
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実は名古屋から帰ってすぐにこの日記を書こうと思ってたのに(笑)今さらになってしまった。唐突だけど(ホンマに唐突、笑)この世にはいくら年をとっても好きなものを集めてしまう人々がいる。例に漏れずこの日記かいてるぶっちもある意味コレクターである(某ぱんキャラとかさ)しかしこげぱんを遥かに凌ぐ好きなキャラがぶっちはある。それがよくたまごクラブやひよこクラブのキャラでもお馴染みな絵を書いてる アランジアロンゾさんという名の作家さんがいる。この方々の描くパンダに惚れたのが7年前その時からぶっちはこのパンダを愛しつづけている。 シンプルだが味があるパンダ。めちゃめちゃ愛しい(はぁと)いつも夜はコレでホットミルクのみ飲みネットしてまふ。が、なんせ大阪にしか当初は店が無かったのだ。仕方ないのでカタログでお取り寄せして買ってたりしてた。実家には今でもパンダがごろごろしてる(笑)値段はちょっとお高めなんだけど。手作りっぽい雰囲気とイメージの濃さはピカイチ。たまにロフトとかでもうってるし、見たことはきっとあると思うんだけど。そんなアランジアロンゾの最新作キャラは前に日記で書いていた「モリゾーとキッコロ」である。 言わずと知れた(いや、多分知ってないって、笑)1年半後位に愛知で行われる国際博覧会がある。愛・地球博という名の博覧会。モリゾーとキッコロはその公式キャラクターである。って知ってるのは東海地方中心だと思ふけどね(笑)ついに昨日大阪にいる妹から送りモンが来た。ずっと欲しい欲しいと連呼していた「モリゾーとキッコロへろへろバック 680円」が届いたのだ。言いつづけるもんだな(笑)モリユ、ハタチ説もそろそろ根付いてきたことだし、言いつづける価値をかなり見出し中(笑)こちらがそのバック めちゃめちゃ可愛い。お買い物用のエコバックにも利用できそうな感じで。軟らかめな布素材がすごく手触りがよい。まぢでうれしい!ちなみに模様。 こんなプリチーな妖精にゴロゴロかこまれて生活してみたいもんだ。ただ、冬はいいが夏は暑そうだな(笑)モリゾー、キッコロ!サイパンにも連れてってやるぞぅ!
2003/10/21
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たまには母っぽい日記を書くのです(笑)うちにはぴろきちという名の4歳の息子がいます。そのぴろきちくんが体験入園してる「みどり学園」という成長の遅い子や自閉症のお子さん等いろいろな障害や様々な悩みを持った親子を受け入れてくれる施設がありますぴろきち君はココに毎月2回午前だけ通っていたのですが「10月20日に初めてお弁当を持って最後までいていいよ」って先生に言われたのです。すごく嬉しかったんですよね。今までは最後までいるのをぴろは嫌がってとても無理だったけど最近すごく大人しくなってきたし、今が一番いい時期だから「ぴろ君もこれからは練習しよう」と。と、言うことで私も気合を入れてお弁当を作ったんです。とはいってもお家みたいにご飯食べるのを私が全部は手伝ってあげることが出来ないんですよね。できるだけ自分の力で食べさせるってのがモットーなのでぴろの好きなものばかり作ったら食べるかなぁと?フォークやスプーンを自分で使って簡単に食べれるものを中心に一応調理師なんで全部手作りしたんですよねトマトやレタス入れても自分じゃ食べれないし、色合いは似たものが重なっちゃったけれども シーフードカレーピラフ、かにかまの天ぷら、レンコンと鶏つくねのフライ、きのこいため。僅か30分で作れるあたり手抜き化が進んでるな(笑)このあたりがピロが大好きなので自分でも食べるだろうと思ってた作戦がドンピシャにはまりました。やはり母は良く知っている(うんうん)全部残さず完食。作った甲斐がありますな。そしてご飯食べた後に近くの川の土手で土手すべりをすることに(そりですべる)結構初めてにしては急斜面でぴろも私もビックリ。目をぱちくりしつつも滑ろうとする母に対し、ぴろはイヤと大泣き。でも滑ってみたら楽しかったっす。久しく忘れてた感覚でした。他の子達も元気に滑ってて何ていうかみんな何らかの障害を持ってるんですが笑顔がすごい眩しいんですよね純粋で無邪気な子供たちそしてそれを優しく見守る先生。誰よりも子供たちを愛しく思うお母さんたち。そんな中、ぴろは小さな手であたしの手をぎゅっとつかんで土手の階段上ろうとしたんです(面白いって感覚がわかってきてるのね)この青い空、白い雲の下でぴろは自分で楽しいって感情を少しでも理解できたんだと。その瞬間「私たちはもしかしたら誰よりも幸せかもしれないね」と思ったんですよね。こんな少しの事で幸せに思える自分がいるんですから。何だか色んな事で自分を見失いそうになる時やいわれの無いことで傷ついた時に、つい人と比べてしまいたくなる私がいるんです。そんなときにぴろを見て少し悲しく思う時もあったんだけどぴろが悪いわけじゃないし、もちろん私が悪いわけでもない。ただぴろを何とか私の手でちゃんと愛情もって育てたい。そう思って少しずつでも頑張ったことがちゃんと目に見えて花開いてるんだと思ったらホントに嬉しくて「人と比べたら自分の幸せを見失うよ」って前に掲示板に助言を書いてくれた人がいるんですよねその方に本当に心からお礼の気持ちを述べたいです「ありがとう」って・・・って書くのは何と言いましょうか普段は全くこんな日記書いてないもんですっごい照れくさいっす(笑)さぁ、今日は内Pだー!(笑)
2003/10/20
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どうやら私には間男がいるそうだ・・・。ってホントにいたら絶対にこんなとこじゃ暴露しないけどね(当たり前、笑)昨日衣替えを夕方にしてた時だった。冬用の物と入れ替えるためにカーテンは閉めていたが窓は全開で網戸にしていた。外ではこないだネタになった上の階の奥さんと子供、そしてその友人らしい親子が遊んでいた。子供たちはワーワー遊んでいたのだが上の階の奥さんたちは話ばっかしていた。不意にとある話が聞こえてきた。「1階にさ、多分私より若いと思う奥さんがいるんだけどさ、だんなさん、仕事でよく家を空けてるんだけど何か不倫してるみたいなのよ」「ふーん、そうなん?」いっかい・・・?いっ階・・・?1階!!!ってあたししか奥さんはいないじゃん。「エ?」ぶっちは固まった。ちょっと待て。だ、誰が?いつ?どこで?誰と?って言うかお前何いってんだ???(それに自分より若いとか言ってるが、多分私のが年上だし、自爆)「よくさ、日曜とかの昼にさ、若い子が黒のキューブに乗ってきてるんだよね。で1時間くらい、いて帰るんだけど」「何かそれって怪しいね」「でしょー?」「何か春から夏にかけてよく日曜とかきてたんだけどさずっと見なかったのね。で、それがばれたからか知らないけど奥さん長い間実家に帰ってたみたい。でもまた最近秋になって同じ車見るようになったの」世間ではそう言う風に思われてたんだな>わが家の実体うーん、私が悪いほうなんだな(笑)ダンナの仕事の都合で実家に帰っていただけなのに浮気がばれて家に帰ってると思われてるなんて。何だかショック(笑)しかし実体は・・・その人とは全く怪しくない、怪しくない(笑)ココまで聞いて間男の正体がわかった。あーちゃんだ。あーちゃんとはだんなの会社で働いてたバイト君23歳。だんなの下で働いてたのでダンナとも仲がよい。今はやめてしまって別のとこに就職しているがそれが縁で我が家によく遊びに来ていた。で、毎日のように晩ご飯を食べに来て、ぴろしきと戯れていたのだが(そいや最近はピロを見てもらって洗濯を干したりしてたな)最近競馬にはまり・・・ってココまで書けばもううちにくる競馬ファンはお分かりであろう。某グレードの高いレースのシーズンのみの日曜我が家に来てオッズ見て馬券買う(もちろん私が買うんだけど←ココ強調)つまりうちは「ウインズぶっち」なわけだ。で、お昼ご飯を出してお茶を入れる。寮母さんみたいなもんだ。間男というより家族だな(笑)あーちゃんの仕事場はうちから5分。ということで昼休みにきてるだけなんだな。もちろんうちのダンナは土日は休めないので家にいるわけが無い(笑)確かに(いない)間の男かも知れん。もしくは(う)まおとこだな(笑)お金受け渡しシーンなんて見られたらヒモ扱いされそうだ。しかしコレで間男といわれたら結構甘い。うちはダンナと同期入社した挙句の結婚なので同期のS君がよくドンちゃん騒ぎして泊まっていただんなが仕事に行った後同じ部屋で2人っきりで布団は別だが爆睡してたこともある(当たり前だが当然何もない)しかし、上の奥さん何でうちのことにそこまでチェック入れてる?もしかしてストーカーか?(笑)えーいゴシップ好きな主婦め!って言うか怪しまれる行動してる私も悪いのか?ご飯食べさせてるだけなのに怪しいのか?この話をダンナに言うとダンナは一言「うまいなぁ。確かに間男だよな」と1人爆笑してました。やれやれだぜ(笑)*****************************************こっから続き↓今日は秋華賞。もうすぐ噂の間男あーちゃんが参りますな(笑)予想では今回は荒れると見ました。(お前はいつもジャンとか言うツッコミは嫌う)私の中では残念ながらスティルちゃんはこない。(好きな人も買ってる人もゴメンよ)あえて私の中ではなので(笑)◎チューニー(オークスの借りを返すのだ!)○メモリーキアヌ(大舞台に強い角田くん)▲ミルフィオリ(兄ちゃんのかわりに頑張れ!)△アドマイヤグルーヴ(何となく)×レンドフェリーチェ(騎手はともかくっておい、馬の素質はすごい)今回珍しいのは私がド本命ユタカ兄さんを買っている。そして2年ぶりに中館を買っているということですな(笑)(しかしこの馬どうしてもフルーチェと言ってしまう)別に買い方を変えたわけではなく今日はこんなもんかなと。ユタカ兄かっても後の馬が配当高いやろうし。あと、気になるのはタンザナイトであります。それ言ったら池添っちも気になるな。正直今年はブゼンキャンドルとクロックワークがいるような気がする。府中は照男とマユゲと四位さんですな。相変わらずこんなんでいいのか?
2003/10/19
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11月10日から行くはずだったグアムからサイパンになりました(理由:2人で5万ほどかわってくる。とりあえず安い)余ったお金でお友達と12月21日に鳥取市内であるスターダストレビューのコンサートに行ってきやす(チケット取れたのだ)スタレビチケット代6500円、前回のサザンが7500円。さすが20周年超えたアーティストたちははチケット代も高いねぇ。ってそうでもないか。結構既にウキウキしとります(コンサート好きなぶっち)昨日のことダンナに「サイパンで何がしたい?」って聞かれてぶ「カジノ!!」だ「・・・・・じゃーさ、グアムでは?」ぶ「ドッグレース!!」だ「・・・・(汗)」ぶ「エ?何かおかしい?」だ「う、いや普通の女の人だったらスキューバとかエステとか買い物とか言うじゃん。何でギャンブルなん?」ぶ「わが家には無駄なお金はないもん!私はブランドに興味が無いし(唯一スキなのはアニエスべー)買い物はどーでもよいのだ。おまけにわざわざ外国で高いエステしなくてもホットペッパーで安いエステに行くわ(近くに絶対勧誘しないすごいいいとこがある)ギャンブルでローリスクハイリターンの時にドキドキして脳内アドレナリンが出るのよねぇ(ウットリ)」だ「あ、そうなん・・・(何かちょっと期待はずれっぽそう)」という事であーだこーだと話し合った結果サイパンになりました。私が普通の女の人とほんのすこぉし違うのはもうだいぶわかってるはず。私に言わせりゃ「5年半ほど一緒にいて何言ってんだか」って感じなのですが(笑)21時、関空発で到着が1時20分。ウーム、微妙。待ち時間は関空で飲んだくれだな(笑)とりあえず泊まるとこはPICサイパン(パシフィックホテルサイパン)ココはホテルから出なくても遊べるみたいなんで遊んでやる。昨日ダンナには正直あまのじゃくなので素直に言えなかったことがある。ホントのココロは海にもプールにも入りたいんだがよりによって生まれて初めての海外旅行なのに乙女期間になるのよねぇ。特に初日付近は貧血プラス痛みがひどすぎて立ってられない。よりによって、そんな日に当たるなんて。痛み止め大量に持ってかなくては。だから楽しみが既に半減なのだ。カジノでバカほど稼げれば楽しいんだろうけど。という事でかなすぃ。もう私的には今月で月のモノが永遠にあがってくれてもかまわないんだけど(笑)(いや、ダメだろう)なんちゅー日記やねん。帰りはサイパン発6:00、関空着8:35分朝っぱらには牛丼が食いにいけそうだ。ああ、自分で言うのもなんだけど私って安上がりな女だよねぇ(笑)正直、今一番欲しいのは「モリゾーとキッコロのへろへろバッグ」(680円)だったりする(わかる地域の方にはわかるネタ、笑)
2003/10/18
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今日は短大の友人と会いました。ぴろしきはマイ母に見ててもらってちょっくら昼過ぎまで出かけてきました。夕方には岡山の家に帰らなきゃならないのに。相変わらずよく動く女。実家の辺りで一番大きい本屋さんで今取ろうとしてる資格の参考書(って言うのか?)を2冊購入。コレで少しでも頭の中に入ればめっけモンなんだけど。後でじっくり見よう。で、本屋さんの後友人Hちゃんと合流して私が卒業した某三流短大and大学(併設)に行ってきました。うちが入学した時はどこを見ても女ばっかでした。それが何と今年から共学に…。ちくしょー10年前になっていてくれたら…。なんて今言っても仕方ないですが(笑)女子短期大学から女子がぬけてました。いいなぁキャンパスに男の子のいる風景。あの当時はどこ見ても…おん(もうええって)一昨年さりげなくなんちゃって短大生をしに行った時は通学してた妹にばれてしまい失敗に終わりましたが今回は私、年齢不詳をフルに使い、コンタクト姿となちゅらるめいくユニクロ一式と若返りセットで行ったので私は溶け込んでましたが一緒に行ったHちゃんはちょっとどういうかケバイ系なので私、いつもはお水系でバイトしてますって感じのエセ大学生。怪しい2人組。そうなんたって卒業は7年前しましたって感じだから。でも私は全然平気でしたわ。自称まだまだいけるって思ってたけどホントにいけるとは。コレで1ヶ月通えば彼氏がもしかしたらできるかもってちょっとダークな思想が(笑)Hちゃんはちょいとヤバげでしたが…(笑)で、こっそり大講義室で心理学の講義聴いてきましたよ。先生は一緒だったんで笑いつつ、ばれなかったのが不思議って感じで一番後ろのほうの席とって当時と同じ様に遊んでました。(聞いてやれや)後期から始まったばかりか釣り橋ドキドキ理論とかやってたねぇ。高い釣り橋を男女で渡るとカップルになりやすいという話。自分が極度の興奮状態にあるときに別の事にすりかえることによって精神の均等を保とうとするって話。この場合自分が釣り橋を怖くてドキドキしてるのに私はあの人のことが好きだからドキドキしてるんだと摩り替えることらしいそんな気持ちに人間が陥りやすいのでカップルが出来やすいという実験らしい。当時いなかった男の人も聞いてるんだもんなぁ。絶対実践する奴いそうだし、っておい(笑)あたしも釣り橋でドキドキしたかった(笑)(当然そんな誘いは無かった)まぁてな感じで遊んでました。で、昼になったんでとりあえずこの学校で唯一美味いカレ-ライス320円の食券を買いやっすいランチでなんちゃって女子大生を締めようとしたその時です。「お前もしかして、ぶっちじゃないか?」とある男の人が話し掛けてきました。なぜ、知ってる???振り向くと何と中学の同級生(男)今年共学になったので環境学科に入ったらしい。「周りはまだ女の子ばっかでええゾー。ウハウハだし」「でも彼女はいないんでしょ?」と聞くと彼は黙ってしまった。「かみさんに怒られるからな…合コンにも行けれへんねん」「そりゃおこるっしょ」「で、何でぶっちらはココにおる?通ってるんか?」「まさか、私たちはOBだもん」「そっか、先輩なんだ」「うん、そうーどっちかっていうとうちが合コンしたいわ。わっかい男の子とさ(笑)」「あれ?独身だっけ?」「まっさかー、ダンナと4歳の子持ちッス。だから当然冗談やで(笑)」「そりゃ無理だな」はははははーとお互い笑っときました。でもあやつ確か大学にいってたはずなのにまた今行ってるんだ。すごいなぁとちょっと尊敬。<今日の感想>でもまぁ自分がまだまだ無理をすれば20代前半には見えることが判明。おっしゃ、この調子でどんどん若返るように頑張りたいですなぁ。次はすっぴんでなんちゃってじょしこうせいだ!って絶対やばいのでこの辺で止めときます(笑)
2003/10/17
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昨日から実家に里帰りしてまふ。そして事件は起きました。(もちろん会議室ではない。スーパー(笑)会ってしまったんです。世界で一番に近いほど嫌いな人に。それも天敵。いわば女王様です。嫌いなんです。顔も、姿も、声も態度も何もかもひっくるめて全部!大嫌いって声を大にしていえるほど嫌いです。年は私と同い年。だから27です。実はこの子、私の仕事上の元上司に当たります。私はバイト、パートを経て正社員になったんだけどこの子はバイトから正社員になった子でした。出会ったときが彼女は正社員、私はパートでしたから下手に出てたんですわ。そしたらあたしに向かって一言。「年や学年はあんたのが上でもあたしのほうが正社員だからえらいのよ。あんた生意気よ」まて、あんた初対面じゃん。何でいきなりそんなこと言う??こっちはちゃんと敬語使ってるちゅーねん。まぁ同じような境遇のあたしが気に入らないのかむっちゃくちゃ偉そうげで、人のことパシリみたいに使うし。とりあえず当時彼女にすっごい好きな人がいてその人追っかけまわしててさ、それに私を無理やりつき合わせるし、あたしがすごい好きだった人の事みんなに暴露するし。まるで私はシンデレラ(変身前)並のいじめられ方でした。周りの人にちやほやされないとダメというかあたしも会社内ではバイトしてたから知ってる人が多いじゃないですか?他の人の興味が自分以外にあるとダメらしく。私と話してるのにその人を奪い取りに来る(こえぇ)あとは上司、オトコに媚びる。これが一番むかつく。そのピンク色に染めた頬あたしにも見せてみいや(笑)って感じ(笑)まさにオトコのアイドル。オンナのタンコブを地で行くような人でした。そんな嫌いな人が移動していったときに私はホントにせいせいしました。そしてそれから奴も会社を辞めて何年も会う事がなかったのに・・・。今日、実に6年ぶりに会ってしまったのです。うわーん。相変わらず強引で偉そうげでいじめられた。もう嫌い大嫌いー。トラウマが復活しちゃうよぉ。嫌いなんだってば。だってアイツあたしの好きな人暴露しといてどういったと思う?「だって、○○は私と同期だからわかるけど全然あんたには興味ないよ。私がこうしてばらしたおかげで少しは進展するかもしれないじゃん」いうまでもないけどもちろん進展せずに終わりましたよ。彼の耳にも入って気まずいままでね。ものすごく好きだったのに。このときあたしゃ、殺人許可証をくれー!と思いましたね(笑)とりあえず今日6年ぶりにあって奴に勝っていたところはやせたので私のが細い。この1点しかいえないのが辛いんですが(笑)私と奴の仲をよく知る元上司のナミちゃんが一部始終を見ていたにもかかわらず何もいわずにっこりと私に微笑みアイスをおごってくれたので思わず今泉新太郎のように抱きつきそうになりました。私のほうがきっと味方は(多分)多いと思う(はず)
2003/10/16
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日記書くの忘れてた・・・。まぁ、いっか(笑)次の出現は年末じゃないことを祈ろう。ぎゃー、またもう少ししたら年賀状しなきゃならないじゃん。やな事思い出したわぁ(シクシク)来年は何年???サルだったっけ?うぅーめんどくさいわぁ。そうそう最近気づいたんだけど私が語尾をよく日記で伸ばしてるのは自分が普段話してる言葉がこうやって語尾を延ばしてるからなのね。決して若者を意識してるんじゃないのよぅ(笑)って書くあたりがオバちゃんくさいか?年末はイケメンのマッサージ師のサンタが欲すぃぶっちでした。
2003/10/15
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やれやれ…いつまでこの出だしが続くんだろう。こっちのサイトになってからずっと同じ出だしのような気がする(笑)まぁ、いっかやっぱり芸人不信シリーズの柔道は面白かった。あれが一番のマイ内Pヒットかもしれない。今日から通常営業です(2周年記念はもう終り)さて何の日記にしようかな?ちょうど一週間前の先週の火曜日にイオン倉敷ショッピングセンターに行きました。岡山市にもジャスコはあるけど死んでるも同然なのでわざわざ片道約35キロのココまで行きます。途中でチボリとかもいけますが、あたしゃ2度とチボリにゃ行かないわ(笑)来年広島のキリンビール跡地に新しいジャスコが建たない限り今のとこ中、四国最大級ジャスコらしい。という事で別に何するわけでなく行くんですね。何たってココにはMOVIXもあるし、愛しのドトールもあるし、ウインドーショッピングにはもってこいですな。(「お金が無いから?」ってツッコミはチョップ、笑)と、いう事でぴろしきといつもつるんでる元看護士のNちゃんといつもココに3人で行きます一人ぴろしき見て一人はお店の中に行くというローテーション製。さすが元小児科の看護士だけあってぴろしきの扱いも上手です。安心してお買い物にいけるのだ。で、相変わらず何するわけでなく2人でぼぉーっと話をしたりしながらふらふらしてるわけですね。そしてとある雑貨屋さんに入ったときに見つけました。 フリースソックスコレが模様はともかく暖かい。冬の深夜にパソして遊ぶ17のお嬢ちゃんにはピッタリの代物。女の子は腰や足を冷やしちゃダメな生き物ですからねこれからの季節にピッタリ。なんと1足250円すっごい今はまってる代物です。2足もつい買っちゃったよ。家で最近夜は毎日はいてるねぇ。コレはかなり自分の中でヒットです。夜のネットはホットミルクとフリースソックスとブランケットでやってます。だんなに夜のお前は「油すまし」だなって言われた。毛布とみのしかあってないじゃん(怒)で、ですね、喉が乾いたのでドトールに行きました。そこでいつもどおり大好きなアイス・ソイ・ラテ(豆乳カフェオレって感じ?)にモンブランを食べてみました。おいしーっい!!まさに「目からウロコ(byモリユ)」でした。モンブランがあんまり洋酒臭くない。味も好みの味で栗の味もしっかりしてる。思わずもう1つ買って帰ったもん。またドトールが好きになっちゃいました。興味がある方はいってみてくだされ。その後でタワーレコードで「オザケンのCDはいつ出ますかね」と聞いてみたら「一応今のところは10月22日発売予定です」とのこと。ホントに頼むわよ、東芝EMI。帰ろうとしたら「デェラ・シェラ・ム」という名のこないだカウントダウンTVで見たとき買おうと思ってたCDSを発見。思わず衝動買い。CHAGE and ASKA+スターダストレビューのコラボCDなんだけどすごく良かったです。要さんと飛鳥さんの2人の声の融合が言い表せないくらい素敵でした。って私のこんなレビューじゃわかるはずもないな(笑)で、一緒に買ったブルーナのミッフィーのビデオはぴろしきの分。結構お金使ってるな。給料前なのに。そんなこんなでいつもどおりふらふらして帰り道にキャラジャ(全国だよね??)によって帰りました。クーポン券をパソから出してたんだけど特に買うものないからそのまま買い物やめ。帰り道にダンナのスーパーによって栗を買って家で茹でてスプーンでくりぬいて食べて幸せいっぱいでした。やっぱ秋はいいねぇ。
2003/10/14
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やれやれ・・・うちのSOTE○1号ますぃーんが最近不調でございます。そろそろWIN98 second editionも危険か?もう少しご機嫌取りつつ使わないと…。来月はだんなと今月初めの諸事情で(知ってる人は笑いましょう)韓国行きをグアムにグレードアップ無理やりにあげさせたしたとこです。という事でわが家は金がない。ますぃーんを買えないわけです。もう少し頑張ってもらおう・・・。生まれてはじめての海外のために。サイパンでカジノも良かったけどねぇ。別に買い物が目当てではないけど。もちろんお目当ては…ド・・・ってそんな話は置いといて…(中途半端な進行)年表続きでっす。微妙に抜けてた部分があるのでつけたし。2002年4月前の変態彼氏がネットに乱入1番最初のサイトを消す(笑)2002年6月ピッチを解約し携帯にする。結構ウキウキが抜けてた部分(笑)2002年10月サボりがちのまま1周年迎える。11月前半中京オフ会に正式参戦が決まる。11月30日中京オフ会昼間バスを乗り継ぎ無理やり名古屋につくお昼に競馬に来てた(なおち、くろたん、ニンジン夫妻、まつきち兄さん、さとちゃん)と、夜飲み会から参加の(モリユ、ぶっち、モトキチ兄さん)というメンツでやぎやで行われる。飲んで騒いで陽気にいた気がする。記憶としてはモトキチ、松吉両兄さんがお片づけを進んでしていたのに感動。その後カラオケで熱唱してお別れ会となる。12月1日モリユと名古屋観光。モーニング、名古屋ドームで中日、巨人グッズ購入大会ひつまぶしetc土産にきしめん暴れに暴れて名古屋を15時半ごろ後にする。その後大阪にて晩ご飯食べてモリユとお別れする。12月後半人のサイトの弁護を掲示板でしたら2ちゃんのサイトの攻撃対象になったらしい。面倒なのであっさりサイトを捨てる。12月28日ぴろきちインフルエンザにかかる12月29日ぶっちに移り、高熱のまま運転していき何とか救急でみてもらう。12月31日新年ギリギリにあけましておめでとうメールなりと送ってみる(笑)まだ体調はボロボロ2003年1月1日あけましておめでとう体調は悪いままだが恒例の福袋ツアーのため無理やりにイオン倉敷ショッピングセンターに行く。病人のどこにこんな体力があるのかわからないが組曲7000円、ベネトン10000円、ブランシェス(ピロ)5000円を次々にゲットしていくが力尽きる(当たり前)1月3日体調が悪くてずっと寝込む。「熊沢、熊沢先頭」となんかテレビがよく言うなぁとぼぉーっと見たら「箱根駅伝」の「駒澤大学」だった。聞き間違いだが今年はクマちゃんにとっていい年かもしれないと勝手に思う(正直あまり良くない)1月7日自分の治らない体調不良はインフルエンザが悪化した肺炎だったらしい。かなり体力もないのでそのまま入院するはめに・・・1月16日退院。やれやれやっとTVが見えるなぁ。病院にはなかった(笑)10日間のうちに娑婆はだいぶ変わっていた。1月20日真紀ちゃんの余命が後2週間弱と聞き自分も病み上がりのままお見舞いに行く。これが元気な真紀ちゃんの最後の姿だった。2月4日友人たちと真紀ちゃんに会いに行く。緘口令を強いてたけどあまりのショックで寝てる真紀ちゃんの前で声を押し殺して泣き出す友人も。自分達が何もできず無力なのがこんなに辛いなんて。2月9日真紀ちゃん亡くなる(享年26歳)2月10日真紀ちゃんのお葬式。行けれる友達と最後のお別れに行ってきた。この日は暖かな日で彼女の旅立ちにふさわしい日だったと今でも思っている。天国で安らかに眠ってね。と声をかけるのが精一杯。今ごろゆっくりと天国で幸せな暮らしが出来ていると信じてる。2月後半激しくお笑いにはまりだす。3月13日4度目の結婚記念日。特に何もない(笑)3月18日27度目のバースデー。自分でスロットで5万近く稼ぐ。自分のお金でプレゼントを買う。自分へのプレゼントだね。焼き鳥と回転すし(ウニばっか)食べちゃった。4月醍醐桜を見にいった。今年はあまり花がなく残念。5月何かあったっけ??友人カップルがくる。だんなと友人Oちゃんが酔いつぶれる。私とY君はこういう時いつも飲めないのでシラフのまま壊れる2人を見つめるのが精一杯。6月飲み会が4連荘。この頃からのんべェの異名がつく。普段は飲まないんだって。7月20日友人の結婚式でチャペルの証人をすることになる。あまりの緊張にドキがムネムネ。緊張から解放された披露宴で飲みまくり・・・大変。花嫁の手紙後の記憶がない。宇宙人のように連行されたりしたらしい。だんなに引きずられて帰ったが…。3時間寝て復活。二日酔いにもなってない恐ろしい女。7月21日車のカギ等を結婚式場に置き忘れたことに気付きさすがに自分はいけないので友人に偽物になって行ってきて貰う。8月23日この結婚式の2次会。甘いカクテルが飲めない私は生ビール、モスコミュール、ジントニック、ソルティードッグ等、おじさんな酒をひたすら飲みつづける(笑)その後カラオケでサザンとかパフィーとか熱唱。大いに盛り上がる。でも二日酔いではない(笑)8月24日サザンのコンサートのためにin神戸昨日の酔いもなく会場では暑さに耐え切れずガバガバ生ビールを飲む。アミノサプリをもって生サザンの感動に酔いしれレールスターで岡山かえって温泉はいって牛丼(大盛り)食べて爆睡。8月25日~8月27日ミュールで飛び跳ねたため地獄の筋肉痛。9月14日短大の友達くみちゃんの結婚式一人のため米子ウインズに行って来るそれで馬券の換金方法に困るのにバカめ(笑)夜は2次会。相変わらず飲む。飲んで飲んで飲んで今回は記憶はあるが大量に飲んだゆえに睡魔に襲われる(笑)15日またもや酒に飲まれなかった…。元気いっぱいで朝からアミノサプリとよっちゃんいか食う。水木しげるロードで鬼太郎のセクハラにあう。大暴れで遊んで実家に帰宅する。9月26日名古屋フィーバー旅行。わかちん親子ときしめんディト東急ハンズ、JR TAKASHIMAYAをふらふらしてお話したりスカイラウンジで名古屋城を見たりする。豊橋に移動してカフェ姉さんと臓物屋ディト食べて飲んで暴れたあとにシダックスで熱唱タイーム。その後カフェでいろいろお話して送ってもらう。9月27日ふらふらと静岡に行く。お昼くらいからお友達と合流してココイチを食べる。さらに遊んだ後飲みまくる。飲んでばっかりだな、最近・・ちょっと禁酒(笑)?9月28日名古屋に帰り京都経由で大阪に大阪ウィンズに友達と行き換金。阪神名物いか焼きを買って帰途に着く。10月9日どうやらかぜっぴき。新サイト製作開始。10月12日無事に引越しも完了。何とか2周年に間に合った。*************************************************** とまぁ何とか書き上げました。こんな感じでしたのね。この2年間。(楽天系のネタばかりだけど)ちょっと忘れてる部分もあるかも。2年を振り返って。その1 オフ会出席率が高い。大阪、東京、京都、名古屋、島根等にいってる。その2 名前がころころかわってる。さえぶー、さえ♪くま、しおべー、くましげ♪さえぶっち、ぶっち2番その3 2年経ってもあまりかわってない。キャラが濃すぎてあまり成長してないですなぁ。日記の内容も陳腐だし。ちっとも大人になってませんな。(誉めてんのか?けなしてるのか?)まぁどうせ、きっとこれからもこういう感じでしょう。こんな感じですが末永くぶっちを愛してやってください。(きもー、笑)これからもよろしくお願いいたしますねん(はぁと)
2003/10/13
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やれやれ・・・。実は今日で2周年。自分でもたいぎながらよくやったと思う。その割にサイト4つも作り直し、今なんかアクセス130(笑)まともにしてたら今ごろ50000アクセスくらいはいってたかしら?(ほとんど興味がない)せっかくだから年表作ってからみんなに新サイトのお披露目に行こうかねぇ。と思ってやってみまふ。2001年10月12日 楽天にHP製作。ぴろきち主体のページを作りいいお母さんと呼ばれたいために(腹黒い)作ろうとしたらタグとか分けわからんことに悩まされ1ページに2時間弱もかかりむかつきながら作ったけど「どーせこんなサイト誰も見やしないわ」と開き直り適当に作る。13日 長文が1時間かかりながらも何とか打てるようになる。昨日はぴろのためとか言ってたのに1日たつと既に自分の趣味のページに(笑)何故だろう?15日 14日に書いた秋華賞の日記を見てけだまっちが掲示板にものすごい量の「楽天の女の人の競馬好きをはじめてみた!仲良くしよう」と言った内容のカキコをくれる。それからけだまっちと親しくなる。私のサイトは人に見られてるんだとちょっと感動(笑)18日 ふらふらランダムで遊んでてアイチを見つける。「北海道ですか、いいなぁ?牧場めぐり、うらやましぃっす!」とか書いた記憶がある。この後アイチとはカニと桃、マスカットを送りあう仲に。25日ぐらい(この辺から怪しい)ドラクエⅦネタで生き別れの姉モリユを発掘。2人ともドラクエは相変わらず進んでない(笑)11月前半なおちゃん、マジョンナさん、ミティーちん、シロフネ君とかと親しくなる。この頃は競馬好きを見せたらすかさず行ってたな(笑)11月後半 多分けだまっちつながりでモトキチ兄さんと知り合う。HPの第一印象は「恐妻家か、うちと正反対だな。お互い苦労してるのね」と同情してしまう(笑)で、ツナピコ兄さんも見つける。最近活動してないけど元気なんだろうか?12月前半 けだまっちツリー式掲示板で、名作劇場、リレー小説等が流行る。GⅠも佳境を迎え当てたの当たってないだのとみんなが最も競馬に燃え上がってた頃「あの頃は、ハッ!(笑)」12月後半「ボス×カフェ」を買ってたつもりが馬券買い間違いで「トップロ×ボス」になっていたために20万円を逃す(笑)25日 我らがうまれんず発足。この年のクリスマスだったんだ。 みんなそれぞれすんばらしいニックネームを持ってたりする。 チャットにはまっていたのもこのあたり。2002年1月6日ごろ「ステイの引退式見にいこうよぉ」とモリユを勧誘。「おっしゃ、わかったうちもステイは好きやからいくで」というモリユの発言を受け1月20日に上阪決意(上京?)1月8日 なおち、マジョンナさんも引退式に参加することに、けだまっちとアイチは電話参加と言う話で第1回うまれんず関西支部初オフが決定する。なお、岐阜は東海ではないのか?と言うことはこの際つっこまないで欲しい(笑)1月12日アイチの誕生日になった瞬間にみんなでお祝いするチャットをする。みな1月11日から待機してて12日になった瞬間におめでとう!というチャット。しかしいつまで起きてんのさ、みんな(笑)1月19日上兵する(兵庫)妹の家で551の蓬莱の豚まんと餃子とケーキを食べ寝る。さぁ明日は初モリユだという事で電話したり、メールしたりして親睦深める。1月20日初オフ会。モリユと同じく赤いダッフルで参加(ミニストップで買ったおやつとビールでのんべぇな2人)豹柄なおちは菜桜ちゃんとだんなさんとファミリーで、マジョンナさんはゆーとくんと一緒でみんなそれぞれ合流。途中にはアイチ、けだまっちの電話が入りみんなで楽しく時を過ごす。この辺りまで詳しいのだがねぇ。こっからあいまいなんだよね(笑)1月後半うまれんずにプチさん、まつきち兄さんが加わる。風邪を引いたり、仕事とかでチャット人数激減する。うまれんずチャットブーム下火へ(笑)2月 そろそろみんなに遠慮がなくなり、容赦ないボケ、鋭いツッコミ等が増えてくる(笑)くろたんがうまれんずにはいる4月15日モリユと岡山オフ。あちしの実家付近で和菓子屋めぐり、でかいZガンダムと写真をとる(笑)その後岡山に移動し、我が家でおもてなし。刺身とバームクーへンでハタチのお祝いをする(笑)16日モリユを大阪までお見送る。って岡山のバス停までだけど(笑)4月中旬 とある理由で急性神経性胃炎にかかる。ノーリーズン単勝万馬券を当てる。5月19日 上の理由と更に事情があって入院。オークスのチャペコンサートでちょっと精神的に救われる。馬券も当てたけどね。5月21日退院かなりやつれる。伊藤俊人さんの出てるさんま御殿を見て爆笑する。5月24日ダービーのために買った新聞で一昨日元気だった伊藤俊人さんの急逝を知り更にショックは倍増に…。6月前半ご飯が食べれず一気に体重が7キロ近く落ちる。何とか落ち着いたけどね。6月30日から7月7日ダンナが会社の旅行でハワイに行く。7月前半 東京オフのお話がまとまり東京に行くためにダンナのボーナスから数万円をよける(笑)7月19日うまれんず関東支部(けだま、ぷち、まつきち)(敬称略)and関西支部(モリユ、ぶっち)ちのっぴぃさん、のろさんのカラオケのみ放題オフが始まる。これなかった人々(アイチ、なおち、ブラさん、マジョンナさん、モトキチ兄さん)らが次々と電話をかけてくる。その後ゲーセンでみんなスパークする。プリクラ取ったりね(笑)7月20日プチさんと浅草観光and初浅草ウインズに行く。ちっとも当たらずぼぉーっとするがその後大井競馬場でトゥインクル競馬を少しだけ見にいく。プチさんのお見送りを受けて17時の飛行機でかえる。またいきたぁい東京!!8月16日 突然今日限りで益田競馬場が閉鎖になるというので急遽中国地方オフ会(笑)山口在住のいさっちと益田まで向かう。始発のひかりに乗ったの初めて(笑)結果は惨敗。リベンジを誓うがもうないのであったまたしても競馬場が消えてしまった…。9月29日モリユの家にお泊まりへ。いたせりつくせりでうれしい。明日はそう、大阪オフ会なのだ。9月30日大阪初オフ会参加者は(ぶっち、モリユ、さとちゃん、サリーちゃん、ケンケン、ゆうきくん)串カツをあげて時間制限の中たくさん食べたはずなのにソフトクリームを食べる。その後は子供達はゲーム、大人達は話で盛り上がる。***************************************************** とまぁ。約1年分書いてみたけど。あたしオフ会ばっかりだわ。この地点でうまれんずのほとんどと会ってるのはあたし、モリユだけなのね。ちなみにこの地点で既にモリユとは4回も会ってるし・・・。さすが生き別れの姉妹。明日は第2弾を書いてみよう。
2003/10/12
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やれやれ…何とか無事引越しも今日中には完了かしらん?明日には間に合うかしら?風邪の調子がまだ悪くて大人しくしてなきゃいけないのにこの人は何やってんだろ(笑)でも2年前は長文打つのもとろくてサイト作るだけで手一杯だったのに今じゃさらっと1日あれば余裕しゃあしゃあでサイトが移動できるまでに…。コレも熟練の技なのか??
2003/10/11
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やれやれ…。コレで実に4度目のサイトですなぁ。コレは潰さなくて済むようにしよう。それにしても引っ越したいぎぃ。ログインとログアウトがメッチャめんどい(笑)早く落ち着かないとお披露目できひんし(笑)チャットとか作っちゃおうかなぁ?↑所詮言うだけ(笑)なにわともあれ赤井秀和(笑)またよろしくお願いいたしまふ。ぶっちより
2003/10/10
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