ガーデンデザイナーのブログ
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2011年4月、いつもは行かない場所であった京都御苑、修学旅行からおよそ38年ぶりの御苑。38年前の記憶はただ広く、時代のターニングポイントであった程度の見識しかない。その年の11月再び京都へ、今回は打ち鎌の調査も兼ねて成瀬金物「カネブン」の打ち鎌と現当主大隈刃物のキリバシを求めて訪れた。その際、御所にある松の手入れに興味を抱いた。2010年秋、修学院離宮・野村碧雲荘を見学、碧雲荘は約7千坪に及ぶ庭園だ。そして京都御苑、苑内の広さつまりスケールは、910000平方メートル、27万坪およぶ苑内にあるアカマツやクロマツの樹形に順ずる管理状況が気になっていた。およそ100年を超える樹形への手入れがどのようにして行われているのか興味深いものがある。「国民公園」京都御苑の個性と松の「御所透かし」(平成13年度 日本造園学会研究発表論文集(19)) 別タイトル The Characteristics of the Kyoto-Gyoen "National Garden" and "Gosho-sukashi" Pine-Pruning there(PAPERS OF THE 19th SCIENTIFIC RESEARCH MEETING) 作成者(著者) 井原 縁 別作成者(著者) IHARA Yukari 公開者 社団法人日本造園学会 別公開者 The Japanese Institute of Landscape Architecture 正式発行日(W3CDTF形式) 2001-03-30 内容記述 所属名 : 京都大学大学院農学研究科学会研究発表論文概要によれば現在の「国民公園」京都御苑では、御苑造成時から共存している「皇室苑地」と「公園的利用の場」という2側面に基づく二律背反的な要素が多数共存しており、この内包する要素の多様性こそが個性といえる。本研究では、まずその個性が形成された京都御苑の歴史的経緯を辿り、その後、「御所透かし」という特殊な技法が、その個性を守っていくうえで非常に重要な要素のひとつであることを考察する。「御所透かし」は、皇室苑地」という側面に付与される要素であると共に「公園的利用の場」という側面にも寄与する要素であり、時代を経て継承されてきた重要な文化財的要素であると共に松の手入れという景観構成要素でもあるからである。とあ。内容は、序説に「国民公園」定義域が説かれ京都御苑「国民公園」の区画資質、京都御苑となる歴史背景と明治2年の東京遷都、その後の第二次大戦前と戦後までの間に明治11年「大内保存」の号令のもと整備され続いて「即位大礼」をもって大正2年から3年の大改修によって苑内植栽の充実を図った。その後、明治10年~16年にかけ「大内保存」事業が布かれ明治17年には葵祭りが復活した。当時は、景観よりも火災延焼による防火植林に重点が置かれたようだ。苑内65haには、クロマツ約2600本、アカマツ1000本がある。これらの松は、この地独特の自然の形のままで手入れされる「御所透かし」という手法が取り入れられている。この論文を読むだけでは具体的な技法が浮かび上がらない。また、京都という地域性特徴がつよいので「御所透かし」他に「寺透かし」や「町屋透かし」ことばがあると紹介されている。京都という地域での管理単位表現として捉えたい。「御所透かし」比較的厚く仕上げて広い空間にメリハリをつけ、樹木の存在感をだす自然風仕上げが要求される。「寺透かし」詳細表現はない。「町屋透かし」樹形の刈込みをはっきりと見せ、目の近さに耐えうるきめの細かさが要求される。これらは、昭和10年からこの御所に出入りしている小島造園によると「小枝の先が止まっていない、のびのびした枝ぶりの自然樹形に近い形に仕上げる技法であると小島佐一の弁であると記している。具体的な道具が描かれていないのでどのような手入れなのか想像しがたい。同じく国民公園の東京皇居前広場には、約2000本のクロマツが東京湾に浮かぶ小島に見立てた島々に植えられている。皇居の深い森と対照的に、開放的でしかも荘厳な雰囲気の 国民公園・皇居外苑の景観となっている。明治21年の「皇居御造営」完成後のクロマツなどの植栽整備事業が行われ、その後の整備を経て今日のような美しいクロマツ群ができ上がった。しかし、ここでは京都御所にみられるような「御所透かし」のような名称や管理方法はない。東京遷都後、公家屋敷を形成していた京都御所周辺は大量の空き家の町となり荒廃した。この状況を嘆いた天皇は、明治10年(1877年)御所の保存を命じ、京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷を撤去して整備したのが京都御苑の始まり。昭和24年(1949年)には国民公園として広く開放された。現在は京都御所、仙洞御所、京都大宮御所の築地内は宮内庁、2005年4月に開館した京都迎賓館は内閣府が、それ以外は環境省が管理している。御苑内の閑院宮の展示品に管理道具「木鋏、両手、」が展示されているという。何故そこに展示されているかも含めてふたたび御所に訪れ確認したいと思う。いずれにしても1869年(明治2年)に東京遷都され143年が過ぎ、1935年(昭和10年)小島佐一が御所の管理を行ってから77年が経っている。
2012年01月17日
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