ガーデンデザイナーのブログ

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2011年11月21日
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カテゴリ: 近代別荘・別邸史
「茅ヶ崎むかし語り」
茅ヶ崎むかし語り.jpg

ここで、小学生であった原氏の姪である柴田周子・稲村秀子さんは、「茅ヶ崎むかし語り」P4の2行目に記されている。「川上別荘があったのは、今の芝生の花壇の辺だけじゃなかったかな。今の門の右側ね。駅前に小原さんという石炭屋さんがあったでしょう。

ここ(高砂緑地)の土地をどの部分か知らないが持ってたっておっしゃってた。3軒か4軒かをまとめて買ったんですね。2階が屋根の上が陸亀みたいになっていたから、見晴らしみたいのがあったような…。すぐ地震(関東大震災1923年T12)で潰れましたからね。

それで、オシダさんって方が畑をつくったりなさるでしょ。そんな道具が立てかけてあったりして田舎のようでしたね。家は田舎のようではなかったです。」と小学生時代にみた川上別荘の建物の印象を語っています。

さらに、萬松園となる敷地は川上貞(定)名義後翌年、幡豆寅之助によって1903年明治36年から1918年大正7年に至るまで買い足されている。市史編纂、第2表川上定分土地取得状況によると現在高砂緑地を管理する茅ヶ崎市公園課の台帳では、面積約0.6ha(約2000坪)で1216坪が川上定分として明記されている。

1902年明治35年8月、欧州公演旅行を終え帰国した川上夫妻は、この茅ヶ崎を日本での演劇活動の拠点として考え俳優養成学校を事業しました。川上定(貞)分9筆1216坪、姻戚関係の幡豆寅之助分を含めると最終的には14筆1757坪を高砂下の土地家屋を取得する。ここまでが生涯学習科の調査。

この度、調査で解明されたのは、幡豆寅之助氏と川上貞が姻戚関係であったことが解明されたため1906年明治39年2月5日幡豆寅之助取得10293番地の222.4坪を足すと1979.4坪約2000坪の取得が判明した。その他、明治30年の8月、花房義質の書簡によってこの茅ヶ崎に萬松園があったということが明らかになった。

幡豆寅之助の住所は、北海道小樽区土場町7番地とあり、貞の実兄幡豆勝次郎の縁者と思われる。実兄幡豆勝次郎は、「山口玲子著『女優貞奴』に文中出展されている。「実兄幡豆勝次郎は、貞がもの心つく頃には、既に屯田兵になって北海道に移住している」と記されている。貞の血縁筋小山家の過去帳から没年順に、源兵衛、花子、トヨ、タガ(タカ)、留吉(留三)、久次郎、夏子、彦造、倉吉、幡豆勝次郎、貞の11人の名前が見出され貞と勝次郎の二人を除く以外は、小山姓になっている。

幡豆寅之助と川上家との関係については、白川宣力著『新聞にみる人物像』の海賊島・川上音二郎の探検(2)の文中『オセロ』の翻案劇のために台湾視察を描写する記述がある。『オセロ』の翻案劇は、1903年明治36年東京公演にて日清戦争後日本の植民地として領有した台湾に設定し、─ヴェニスのムーア人オセロを、「原住民」鎮圧のために台湾に送り込まれた薩摩出身の帝国軍人に変更し演じられている。


幡豆寅之助の人物名は、白川宣力著『新聞にみる人物像』にも筆出している。出展、新聞にみる人物像によると「川上、其れから自分の親戚に常(あたる)幡豆寅之助と云う人、此の人は嘗て(かつ)横浜の水上署に奉職をして居って海上のことに詳しいと云うので同行をして連れ立ち前期の日取りで東京を出発11月19日に神戸から泰南丸で泰湾澎湖島へ志した」とあり、幡豆寅之助と川上音二郎と共に当時の台湾事情を視察している記録があった。

1911年明治44年11月11日に音二郎は亡くなる。その7ヶ月前1911年明治44年9月、博多の櫛田神社に土地・建物を寄進した際の書類(登記簿抄本)は、川上音二郎の名で神奈川県高座郡茅ヶ崎町茅ヶ崎12684番地、現在の南湖4丁目16-34番地に相当することがわかった。彼の本籍住所が何故ここだったのか未だもって謎。高砂下土地名義が大正七年、原氏に譲渡するまで貞と姻戚関係の幡豆氏の名義であり、そこに音二郎の名義はなかった。

萬松園土地台帳1.JPG

当時の旧登記簿によると登記主は伊藤里之助になっている。ここは、小山敬三別荘に程近い場所。驚いたことに中村楼当主星野岩松土地所有が近隣であった。何故かというと中村楼当主星野岩松の所有地が川上定、幡豆寅之助が購入した萬松園の隣接地にあったからだ。何故隣接地にあったかは、未だに不明。

萬松園について我々は、大胆な仮説をたてた。それは、萬松園の由来について、1897年明治30年8月7日茅ヶ崎の駅舎が出来る一年前に宮内庁関係の花房義質(よしもと)萬松園への滞留人数確認の書簡記録が茅ヶ崎美術館館長小川稔氏によって発見された。このことによって万松園は、川上貞が茅ヶ崎に来る5年前には存在し、1899年明治32年3月13日に中村楼が旅館案内を広告。同年8月官設鉄道案内の旅館案内は既に萬松園が紹介されていた。






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最終更新日  2012年03月10日 10時22分40秒
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