デニムデザインの虜です!

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2011.09.23
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この「輪島塗」と言う漆器、つまり「漆(うるし)」を使った生活雑貨や彫刻に漆を塗った工芸品も盛んに造られたのですが、金沢藩に「蒔絵」の技術が入って来たのが江戸「文政の年間」1818年から1829年頃になるそうで、会津から職人を呼び寄せて輪島塗と合体させたとの話です。

さて、ここで我家の家宝?と呼ばれて来たモノがあります。
印籠
「輪島塗 金蒔絵の印籠」表側になります。

これは表面ですが、本体の裏の模様と裏側は異なり、
この丸いフタのような物の裏は象牙を埋め込んだ彫刻になっています。
根付というのでしょうか?下の丸い象牙を網のようにくり抜いた饅頭のような物も付属しています。
DSC00138 印籠一式裏.JPG
裏側になります。

造りは五重になっており、今でもきちんと分離する事が出来ます。この赤くて丸い玉は「鶴のなんとか?」(すみません)と言う代物でこれも貴重な玉だそうです。
印籠箱の裏書
箱書きの裏には「天保3年箱改め」と何気に書いてありますが、天保と言うと西暦でいうと1830年 から始まるので、「1832年に箱が壊れた?ので造り変えた」と言う事になります。
と言う事は、1832年に当時においてすでに箱が壊れる程ボロくなっていた?と言うのであれば、その時点で最低でも5~10年は経っていた計算になります。
でも?です。もしさらに10年前の時代のモノとなると「江戸文政の頃の作」と言う可能性がでてくるのです。つまり今日の文頭で説明した通り、加賀に輪島塗と蒔絵が組み合わせられた1829年以前の初期の作品と言う事になります。

我家の言い伝えでは、加賀藩(金沢藩)藩主の前田公から直接頂いた物で、前田の殿様の鎧兜模様と併せて造られたセット物だったようなのです。
蒔絵の柄は「羊歯」(シダ)模様になります。
つまり、甲斐武田家の分家でありながら前田家と深い関係にあった事もこれで解かったのです。
この印籠は、60年以上前から「安物の偽物だろう」と家族代々信じていなかったので、本当にぞんざいに扱われていました。
何しろ「輪島塗が高い物?」と言う認識すらなかったわけですから・・・。
・・・で、昨日の続きになるのですが、我家の祖先をネット洗い出して行くと出るわ出るわ結構調べている人(学者)が多く、その方々の論文の中に情報が次々と現れて歴史の中の「点」と「点」が結ばれて徐々に全貌が見えて来たのです。
元は間違いなく「清和源氏」の末裔(嫡流ではない)であり、甲斐武田家と兄弟関係で別れた分家である事、さらに武田家本家が滅亡後、加賀前田家に居てなんか?していた事。
加賀前田家の姫様が江戸の将軍家関係先に嫁入りした際に随行して江戸住まいになった事。
明治政府になって廃藩置県により加賀藩が消滅した時点ではすでに「宮家」との「法務的」仕事を任されて「宮内省」に勤めてかなりの高給を貰っていた事。
我家も含めて大正・昭和との時代変遷によって明治の役人すべてが没落して行ったと言う事が大筋で解かったと言う事なのです。
まだまだお面白い歴史的逸話も出てきましたので、それはまたいつか・・・。






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Last updated  2011.09.24 03:26:19
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