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ちょうど3年前に脳梗塞で倒れて入院し、右半身すべての痺れと感覚麻痺と言う後遺症に慣れ親しんだ?ものの、昨年は心臓の動悸が激しくなり検査の結果、今度は狭心症を発症。その後薬で何とか誤魔化していましたが、今度は目です。偶然別の病気で眼科に行き検査したところ、大学病院にて精密検査を受けるように指示され、2月15日あの大雪の翌日お茶の水の某大学病院で検査を受けたところ、は「網膜静脈分枝閉塞症」と診断されました。具体的には目の毛細血管が詰まりその先の毛細血管が無くなってしまったので、行き先を失った血液の血瘤が沢山できてしまったとの事です。それをレーザーで焼き切る手術をしないと失明の恐れがあるとの事で、昨日第一回目、右目の手術を受けました。点眼タイプの麻酔薬を塗りバチバチされましたが、鈍痛と気持ち悪さ、さらに右目から流れた液体が右の鼻の穴から流れてグチャグチャでした。今24時間が経過しましたが右目の視力は半分以下となってしまった為、眼鏡の度数が合わず裸眼で過ごさなければなりません。来週は同じ手術を左目に受けますが、この手術は来月さらに二度目があり合計両目で4回の手術になります。入院はしなくても良いのですが一回の手術料は健康保険を使っても55,010円で、これも痛いですね。結論としてすべての病気は「血管」から来ており、若い頃の食習慣や不規則な生活が血管を老化させてしまったと言う事です。健康で長生きしたかったら先ず「血管」を大切にしなければならないと言う事ですね。
2014.03.07
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家内の本業の〆がやっと終わった。生徒の指導やら準備やらで熱を出し声は出無くなっていた。昔は発表会が終わると生徒さんのお宅から「謝礼」が出て、家内のボーナスになっていたのだが、時代は変わり、良くても花束。「花束では飯が食えませ~ん」とも言えないし・・・。反面、自分達の孫が出るとなると親よりも爺ちゃん婆ちゃん達が張り切って?惜しみなく金を出すようで、子供たちの衣装も毎年のように凄くなり時代の流れを反映しています。ゲストは音大で声楽を学ぶ女子大生に歌を披露いただきました。毎年家族総出で手伝わされるので、はっきり言って迷惑なのだが、断るともっと面倒な事になるので、黙って従っています。
2013.12.22
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今日も千葉県東方沖で地震が発生したが、私の住む「千葉県北西部」における震度4前後の地震は毎月のように発生している。今日の地震も震源が太平洋側なのに、なぜか千葉県の東京寄りつまり「北西部」の方が揺れが大きかった(下の図黄色いポイントが震度4)以前も指摘したが、京成電鉄の成田スカイアクセス線(北総鉄道)沿線エリアを震源とする局地的な小さな地震も頻発している。つまりこのあたりも指摘の「千葉県北西部」になる。雑誌では年内?来年3月までに?大地震の発生(東南海)と書かれたりしているが、案外関東大震災の方が先なのでは?なんて考えてしまうのは自分だけだろうか?学者でも無く素人意見だが事実は事実。エリア住民として何か気になる。万一の事を考えると、水・食糧の備蓄だけは用意してあるが仕事は無くなるだろうなあ。
2013.12.14
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今日、住宅展示場に行って来ました。そして「鍋」3,000円相当の粗品を頂いてきました。しっかりしていて使いやすそうで、はっきり言って「粗品」ではないです。その他、箱のシチュールー・お菓子・お茶等お土産を例のごとく頂いてまいりました。この2年間で展示場から頂いた粗品(アウトドア用品中心)は総額3万円を超えているでしょうね。新年になるとまた豪華な入場プレゼント(粗品)が貰えるので、これは絶対に行く価値ありです。ところで、同年代の友人達がポールマッカートニーのコンサートに行き興奮していた。やはりファンは50代が多いようで、実は当日券も結構あったらしく皆さん販売一時間前に並んで手に入れていたと言うのだ。どちらにせよ私は仕事で行けないので関係無いのだが、何となくビートルズを思い出して昔のCDが聞きたくなった。しかしいざCDを聞こうとするとTVとオーディオ機器とを連結ささせたDVDデッキ、ブルーレイデッキしか家に無いのだ。仕方なくPCのスロットに入れてCDを聞こうと思うのだがPCを立ち上げマウスで操作し終えたらPCを切るその「段取り」がとても面倒なのである。理想は、枕元でイヤホンやヘッドフォンを使用してCDを聞きながらそのまま眠る・・・みたいな。確かに従来からのCDウオークマン等もあるが、CDを交換するのにカバーを開けてガチャガチャやらなければならず「枕元の作業」としてはどうも良くない。そこで小さくて操作性の良い単純なポータブルデッキを探そうとしたのだが意外と売っていないのである。CDを持ち歩く人がいなくなったのが衰退の理由だろうが、私みたいに単純にCDだけ聞きたいと言う人は意外多くニーズは高いと思うのだ。・・・で、今回見つけたのが「東芝製 CDクロック ラジオ」購入価格はネットで5,800円。最大の売りはCDの出し入れが上部スリットから電動で出来る事と、外部入力としてUSBやSDカードスロットも備えておりMP3再生が可能なところである。肝心の音質はCDなので可も無く不可も無くだが、ヘッドフォン出力の音量が小さいのでもう少し大きい方がありがたい。ヘッドフォンで気軽に聞くだけなので、これで十分だと思う。音量関係は音量調整機能付きの少し高級なヘッドフォンを使えば何とかなるだろうと思っている。
2013.11.23
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前回、住宅展示場にて「コールマンのディレクターチェア」を粗品として頂いた事を書いたが、今度は「鍋」をくれるというハガキが届いたので、遠慮なく頂く予定だ。ハガキに掲載された粗品の鍋について中途半端な物ならいくらタダでも不要だが、ネットで調べて見ると3,000円前後するらしい。ちなみに前回も粗品を頂いただけで帰宅したが、その後ハウスメーカーからのセールスや厄介な話は一切無かった。なので、本当に貰っていいの?とも思ってしまうが、遠慮なく頂く事にする。頂ける物は限られるが、下手な懸賞に応募するより実があると思うのだ。我が家には毎回、下記のようなDMが来るので「欲しい粗品」の時だけ展示場に行っている。でも、受付の女性から「あの夫婦また来た」なんて言われそうだから少し変装して行くかな?
2013.11.22
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我が家には隠れた楽しみがある。それは「住宅展示場」に行く事だ。我が家は3年前に立て替えたので見学する必要が無いのだが、展示場の方からダイレクトメールが届くのでその葉書を持参して受付に出すと「軽食引換券」「飲み物券」「ゲーム券」「粗品引換券」が貰える。そこで場内の引換所で交換して廻り、最後に「粗品」を頂いて帰ると言う寸法だ。実はその「粗品」が目的なのだが、粗品とは言う物の毎回3,000円前後の物が貰えるのだ。コーヒーメーカーや前回はアウトドア用のコンパクトガスバーナーとコッヘル(鍋)のセット。その前は簡易テント。そして今回はコールマンのディレクターチェアだった。チェアはこれで4脚目なので家族分がすべて揃った事になる。だが、良く見ていると同じ引換券のように見えるが明らかに「安そうな物」を貰っている人もいる。つまり招待券でもグレードがあるらしくそれに応じて引換券の色が違う事に気付いたのだ。想像だが、最初に訪れた際に記入したアンケート用紙の内容が生きてるらしく、家を建てる前だったので多少?オーバーに世帯年収を書いたり、適当に大ボラを吹いて書いた。その後ハウスメーカーからのダイレクトメールやセールスも無く、家を建てた後の今でも年に数回「展示場」通いが続いていると言う訳だ。後はキャンピングテーブルを頂けたらすべてのアウトドア用品が揃いそうです。もし、興味がございましたらぜひ一度行ってみて下さい、暇つぶしや目の保養に良いでしょう。そしてその際に書かされるアンケートには少々オーバーに、いかにも「お金持ち」風に?書くと良いよいかもしれません。
2013.11.08
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ここ数ヶ月ブログ更新が出来なかった理由としてフェイスブックのチェックの方が忙しくなってしまったからである。FBの方はすべて友人関係なので、先方が更新したら「いいね」をしなければ悪いし、当方にコメントをくれる方にはお返しが必要になる。まるで盆暮れの付け届けのような感じで、広げ過ぎると収拾がつかなくなる事に気付いた。要するにそのスパイラルから脱するには、私が最新記事をUPしなければ良いと言う事になる。そうすれば自動的にステージから消えて行くので、ただの傍観者でいられるのだ。確かに最初は嬉しかった、何しろFBでの投稿は一方通行で無いのと同時に友人知人達の普段見えない姿を知る事ができたからである。そしてグループ内で何となく「盛り上がる面々」が確定し、活発に投稿を繰り返しているのだが、同じ友人グループ内にも拘らず突然「いいね」をされると「おい!見てたんかい?」と気付く。まあ、見られて困る事は一切ないが、この度私がやろうと思った「傍観者」が意外と多かったのである。このようにオープンなブログは誰から見られても困るような事は書かないが、FBの場合はあまりにもコミュニティーエリアが狭いので書く事に細心の注意が必要だ。なので、私の長男のFBに「お友達申請」はしていない。そうでないと長男は傍観者として「オヤジの行動」を見る事で、私が丸裸にされてしまう恐れがあるからからだ。何しろ友人達は問答無用でコメントを投稿してくるが、それはその仲間内だけで盛り上がる事例にも拘らず、何気に悪げもなく「個人情報云々」が無視されてしまう事になる。良く考えると怖いのかもしれない。海外では空き巣等の犯罪事例で70%以上がこのFBにより行動パターンを知られて被害を受けていた事が判明したらしい。だから普段から傍観者でいながら時々「いいね」をやってあげる程度が良いのかもしれない。オヤジ連中はFBへ投稿があまりにも簡単になり、かなり熱くなっているのが解るが、写真付きで「今日どこで何を食ったか」を投稿し、またそれを多くの仲間達が見、即答で意見を投稿している。それ自体は別に否定する事ではないのだが、実はコレがまた何かとメンドクサイのである。理由はスマホにそれらの投稿がご丁寧にグループの皆様に送信されて、私のスマホにも着信し、ピコピコ鳴るからだ。i fhoneの画面には『○○さんの投稿「今新宿で▲▲ラーメンを食っている」』『◆◆さんの投稿「そこより◎ラーメンの方が旨いぞ」』だの文章の文字列が自動表示されている。こちらはと言うと飯も食えずに仕事中でイライラしている状態なので、「いいね」ではなく「うるせ~」というポチリがあれば、思わずやってしまうかもしれない・・・。まあ、手元の方でスマホの設定を変えれば何とかなるのだろうがそれが出来ないから皆様に「オヤジはしょうがねえなあ」と言われてしまうのだろう。まあ、昔みたいにこのブログでセコセコ文句を書いている方が楽なのかもしれない。
2013.10.30
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女性誌の多くに「オマケ付き」雑誌があるが、私の場合はオマケの有無に関わらず30年以上購読している雑誌がある。いつも年間定期購読している訳ではないが、面白そうな内容の時だけ買っているそれが「MEN’S CLUB」だ。12月号は24日に発売だそうだが、先月このような案内が届いた。一部の方だけに案内が届いた特別な特典らしいが『年間購読特典1年12冊分で3,838円』と言う事、もちろん送料も必要ない。・・・で、驚いた事に先着申込特典として「ライジングエウェ-ブ」最新ののオードトワレ「NATURAL50mml」がプレゼントとして先に贈られてきた。このトワレの販売価格が5,775円。?????、すると1年12冊分の雑誌代金は差し引き▲1,937円になる。オードトワレが不要だとしても1年に4冊以上買う事を思えば成程お得だと思う。当然ながら私はオードトワレも欲しいので年間購読をお願いしたのである。この不可解?なシステムは、何となく雑誌業界の一端を覗いたような気がするが、これだけお得なら大歓迎である。まあ、掲載広告代だけですでに利益が出ているから可能なのだろうが・・・。女性誌の「雑誌とオマケどっちがメインなのか?安っぽいバッグや袋なんて沢山あっても無駄になるだろ」的にバカにしていたのだが、結局自分も同じだったと言う事ですね。下記の通りすでに一式届いており、オードトワレも爽やかな今迄にない香りで周りにも好評でした。
2013.10.22
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先日のクラス会に着て行ったジャケットとパンツです。この「Q」のロゴでAマックイーンだと解った女性が1名だけおりました。現在、国内のファッションショーの多くを手掛けている有名会社の元副社長さんですから・・・。ホワイトジャケットでも、袖をまくりあげてラフに着ればキザにはなりません。
2013.10.21
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先日、中学3年生の時のクラス会を開催した。休日14日の昼から寿司・和食の店で開催。そこで考えさせられた事がある。我々オヤジは夜の宴会で10,000円前後、若い社員が多い場合は5,000円前後の会費で、不足分は上司年配者が補填する感じ・・・。なので「5,000円が妥当」と考えていた。しかし、結果は3時間も宴会しながら料理・酒込で3,000円で上がってしまった。これは意外だった。理由は恐らく半数以上が女性で、開催時間帯が12時~15時だった事。つまり時間的に主婦層が気楽に参加出来た事と、数十年ぶりに会ったので「飲み食い」よりも「会話」に夢中で、その事の方が楽しかったからである。目から鱗ではないが、「宴会」=「親父の常識」を単純に当てはめてはだめだと言う事だろう。来年6月にはホテル宴会場を予約して学年全体の同窓会を企画しているが、現在幹事の殆どがオヤジ。だからオヤジ目線での「開催プラン」で進んでしまっている。参加者を増やしたいのなら今回の宴会パターンはとても良い経験になったと思う。
2013.10.21
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月曜日に市川市妙典にあるイオンに行きましたら、備蓄品や災害時の商品処分セールをやっていました。購入したのは、水やお湯を入れればご飯が出来るアルファ米で、カレーやら炊き込みご飯やら4種類が各5食、つまり20食入っていて一箱1,000円で処分されていました。賞味期限は2018年なので十分備蓄に適してるし、一食あたり50円はお買い得である。そこで合計4箱を購入。さらに断水でトイレに困った時に、トイレにビニール袋をかぶせて使用しその糞尿に専用スプーンで一杯振りかければ消毒・消臭・固めるまでをやってくれる。・・・で、20回分一袋で200円。これも5袋購入。こんなに安くなっているのに誰も買わない。地震は必ず来るんだから、準備しておかないとアウト!です。実は、今日ブログを書こうと思ったのが、三宅島近海で朝10時頃から震度1~3の地震が15回以上続いているので、「大きいのが来るぞ」と書こうと思ったのです。したら今17時57分に来ちゃいました!火山性か?プレート断層か?何かの前触れにならなければいいんだけれど。後、沖縄のよなくに島、石垣島周辺でも微振動が出ている。今日これを読んだ方、備蓄は自分と家族の為ですのでやっておいて損はありませんよ。ちなみに我が家はご近所に配ってもいいように、飲料水を20ケース備蓄してあります。
2013.04.17
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先週末に山梨県に行って来ました。昔の言い方をすれば「甲斐の国」であるが・・・。以前書いた続きだが、当家の過去帳から約400年間の先祖氏名と死亡年月が判明しその先代まで証明する事ができました。昨年は金沢市近代歴史資料館の古文書(ユタ州ソルトレイク市保存)の写しから、当家の過去帳と同じ氏名が3名見つかり(親子3代)その出自からどうやって生活していたのか?まで克明に記載されていたのです。また、加賀藩には100万石の大藩にも関わらず「秋山」という名の藩士は一家系しか存在しなかったので、当家過去帳の人物とのマッチングは簡単にできたのです。そしてその「由緒書」の文中から当家が「甲斐源氏」の子孫である事も判明しました。これが今までの話。だが、なぜ?いつごろ?「甲斐」から「越前」に移りすんだのか?ががどうしても判明せず、今回は山梨県庁に勤務する友人の手を借りて調査を行った・・と言うのが今回の山梨旅行なのです。そして紹介されたのは南アルプス市教育委員会文化財保護課の方で、とても親切に調べていただいたのですが先ず先に名所旧跡に行く事にしたのです。・・・で。この石碑がある「甲斐源氏」の祖である「源 遠光(加賀美遠光)」とその嫡男「源 光朝(秋山光朝)の墓がある「光昌寺」に行って来たのです。その片隅に作られたのがこの石碑なのですがこれは最近建てられたものであり、我が家の証明にはなりませんでした。その寺には甲斐源氏関係者の墓が集中的に存在し、その子孫たちも葬られている墓地でもあったのだが、秋山家の大元である祖先の墓自体は鎌倉時代のものであり相当に古いものでした。私の疑問その2、甲斐秋山家の家紋は「小笠原家」と同じ「三階菱」(菱形を縦に三つ重ねた紋)です。しかし当家に残されて(500年以上前の鎧兜から外された金属製の家紋)家紋とされる「花菱」とは異なるので、甲斐秋山家と当家は関係が薄いのではないか?と思っていたのです。次に訪ねたのがその寺の100m位先にある神社「熊野神社」です。その神社の地は平安時代から鎌倉時代にかけて秋山家の祖である「加賀美遠光」の屋敷があった場所になります。なので「秋山家」を祭る神社と言う事になるのです。その社殿の屋根の上に光輝く家紋が三つ。中央には「甲斐秋山家」が使用していた三階菱。そしてそれを囲むように2つの花菱紋が飾られていました。それがこの写真です。その点を学芸員の方に聞いてみると、甲斐秋山家が三階菱紋を多用し始めたのは小笠原家と同じ頃の鎌倉時代初期であり、その頃は当家も三階菱紋を使っていたらしい。「加賀美遠光」は征夷大将軍であった「源頼朝」の信頼が厚く、公式の場で「源」姓を名乗る事ができる「御門葉」一族となっているのです。当時「源」姓の武士が多くなり、同じ血族であってもそれを規制する為にこの「御門葉」一族となる事は特に名誉だったそうなのです。しかし鎌倉幕府は3代で途絶え、それを期に京の上皇軍が鎌倉勢討伐の為の挙兵をし、それに対して源頼朝の妻で尼将軍と言われた北条政子の扇動で勃発した1219年の「承久の乱」に原因があるのではないか?と言うのです。20万人近い軍で京都に新軍した鎌倉軍は、あっけなく終わった戦いの後相手の所領を没収しその地に甲斐源氏の一族を目付けとして配地していった事実があり、その役目が「越前の地」だったのではないか?と言うのです。またその後2回目「元寇」に備えて東国武士を隠岐やその先の地に送った際の移住も考えられるとの事でした。さらに興味深いのが、当家の祖先が「青木右衛門の娘を妻にした」との記述があり調べてみると「青木」家は、藤原摂関家と甲斐源氏の血を引く家系であり豊臣秀吉から絶大な信用を得て「越前北庄20万石」を与えられていました。この事はあまりにもマイナーな事実で、同じ場所の城主だった「柴田勝家」の後に治めたと言う事になります。ただしその後「関ヶ原の合戦」が起こり西軍についた「青木家」は取り潰しとなり、運よく徳川家に付いた「前田利長」が残った事になります。青木家と前田家は根本的に親密だったようで、青木家救済の懇願を前田家が行った事実もあるのです。その「越前北庄」(越前松江藩)を治めたのが徳川家康の次男「結城秀康」であり、その後その子孫たちが治めて行く事になりました。実は、当家がこの青木家との婚姻関係にありながら結城秀康・松平直政・松平昌勝らの藩主達から幕末まで延々と1000石以上の扶持を貰っていました。しかしながら当家は「松江藩」の藩士ではありません。「捨扶持」と言う給料をもらっていた理由。それは青木家と秋山家の間に生まれた娘「秋山知久」が松平昌勝の側室となり、後年代7代越前松江藩主となる「松平吉邦」を生んでいるのです。ちなみにこの「青木家」の家紋は当家に存在する大昔から続く家紋「花菱」と全く同じなのです。つまりボヤーっとですが、承久の乱前と江戸時代になる直前の時代背景までは見えてきました。たかが「家紋」と言うかもしれないけれど、時代劇では決して表に出無い事実など想像が出来ない程深い歴史が隠されていると言う事です。偶然その墓には老夫婦がいて
2013.03.18
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今から丁度2年前の事、脳梗塞で入院していて退院したのが3月10日になる。本来なら後3カ月のリハビリ入院を指示されていたのだが、それでは会社が倒産してしまう。・・・で、通院する事で納得していただき無理やり病院を出てきたのである。その翌日つまり明日3月11日、あの惨劇が訪れてしまったと言う訳である。後々友人達から「お前が退院したから地震が起きたんだ」と言われてしまった。実を言うと、それには理由がある。以前「肝機能障害」で2週間ほど入院した事があるが、退院したその日の朝つまり1995年1月17日早朝に「阪神淡路大震災」が起きてしまったのである。なので「大地震を呼ぶ男」だとか「自分の身と引き換えに大震災を起こした男」だとか言われ放題だったのだ。言う方は気楽で良いが、大震災となると被災地ではなくても当方の仕事はとんでもなく忙しくなるのだ。企業や個人のリスクコンサルタントとして保険のアドバイスや加入も受けているので、問い合わせや中途加入依頼が殺到するのである。中途加入はその時点からの加入になるので地震保険の年間保険料を頂くのではなく、契約満期までの残り期間に地震を追加で掛けるのでそれこそ一件一件個々にオリジナルで計算しないとならないのである。また、2年前の時には近くの浦安や松戸においても結構大きな被害が出ていたので、上記のような問い合わせや加入依頼のみならず「被災者」が発生したので、その対応もしなければならなかったのである。書類作成や計算処理は顧客からの電話がかからなくなる午後11時から仕事を始めるので、毎日寝るのは午前4時をまわってしまう程だった。まあ今でも3時前に寝た事は無いが・・・。結果、2カ月後の5月9日に脳梗塞を再発し再入院してしまったのである。まあ、何とか復帰したのだが今に思えばこの2年間で所得は半減した。リーマンショック以降の不景気に加えて通算2カ月の実質的休業は本業にダメージを与え、今になっても響いている。それより前のブログを見ていただけると解るかもしれないが、このブログテーマでもある「ジーンズ」にはまり、それもデザイナーブランドのデニム専門でイタリアから直に買い集めていた。1本10万円以上のジーンズなんて普通だったし、イタリアンブランドかぶれで前輪が2つある3輪スクーターなんかも乗りまわしていた。何しろ、脳梗塞で倒れてしまったが本当はその翌日には家内と二人でイタリアに10日間行く予定だったのである。今見ると2011年1月末ごろのブログを返り見ると、バカみたいにウキウキしている様子が描かれている。今では、私の方から「どこか海外に行こう!」と言う気にもならないし、逆に「再発してしまったらどうしよう」と言う恐怖の方が勝る。なので本当に地味な生活になってしまった。ただ、不思議な事に今は凄く気持ちが落ち着いていて「幸福感」すら感じる。海外旅行もホテルの贅沢な食事にも行かなくなってしまったが、不満はまったく感じない。2年前に私が入院中、家内が私の仕事を代行し社員や関係者と共に顧客を廻り最低限の対処をしたのだが、それにて私の仕事の一面を体験し「どんなに大変な仕事なのか?」身を持って知ってくれたからか?それとも私が死にかけたからか?この2年間で恐ろしい程?家内が優しくなっていたのである。だから家に居ても楽しいし、家で一緒に「焼き芋」を焼きながらバカ話でもしている方が充実している。明日は脳梗塞の定期健診の日だが退院後の通院にはかならず家内が付き添いで来てくれる。別に私一人で車を運転して通院ができるのだが、「来なくていいよ」と言っても一日付き合ってくるのだ。その後お昼ご飯をどこかで外食して午後は夜までのんびり過ごす。会社には「病院だから一日連絡が付かない」と前もって伝えてあるので、携帯も切っている。まあ、定年後の「老後のひととき」みたいな雰囲気だが、考えてみると個人事業主は定年が無いので、自らリタイヤしないとこの「老後のひととき」は味わう事ができないのも現実である。困った事は、今まで毎年海外旅行に行くのにJALのマイルを使って行っていたのだが、この2年間海外旅行をストップしてしまったので、貯まりに貯まって25万マイル程残高がある。昨年別府に行くのに「大分」まで、行くのに使ったがJクラスで3名で乗っても「減らす」事ができなかった。さらにヒルトンホテルのポイントも23万8千ポイント近くあって、行こうと思えばどこかのリゾートで10泊ぐらいはできる・・・。家内は「今年の秋に10日ぐらいイギリスの湖水地方にゆっくりと滞在したいね」と言うが、ロンドンまでビジネスクラスで行っても一人8万マイルくらいかな?・・・なので使ってもまだ余る。ホテルは街中のヒルトンに泊らなくても、B&B何かを探して列車を使って気ままに旅できたら楽しいのだろう・・・と思うが、また「出発前日キャンセル」だけはしたくない・・・。
2013.03.10
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今から約40年前、つまり私が中学生だった頃大型団地が沢山建てられて小学生・中学生の頃は一学年12クラス以上ありました。小学生のころはとうとう校舎が足りなくなり、市有地に分校が建てられNHKで「お兄ちゃん本校、僕分校」なんてドキュメンタリーが放送されたものです。そんな超マンモス小学校は数年前に生徒不足で廃校になりました。地方の小学校が廃校になる話は多々ありますが、都心に近いエリアで廃校になるなんて想像もできず本当にショックでした。確かに、「公団住宅」とは比較的若い夫婦が住む事を想定して建てられた「団地」なので子供達が大きくなり世帯収入も増えると、手狭になり当然のように「転居」と言う事になります。つまり、そのような団地内に存在した小学校や中学校に通っていた場合、同窓生達の行方を追う事はとても難しくなります。そして20年以上経過すると同窓生達も殆どが結婚してさらに新居に移る。そして今頃、約40年も経過すると今度はその同窓生の子供達が独立する年齢になる訳です。・・・なので、中学生の頃の仲間が集まると言う事は本当に断片的で小さな集まりしか出来ないでいました。逆に、私の長男は今24歳ですが、家内から強制的に3歳から受験させられて私立の幼稚園と同じ系列の小学校で計9年間過ごし、さらに受験させられて中学から高校そして大学まで同じ学校に10年間通っていました。気付くと私立校の場合、生徒はあちらこちらからと通ってくる訳で、卒業後も殆ど実家の住所は変わっていない。つまりいつでも連絡が取れる状態なんですね。ちなみに昨日は会社の飲み会で、今日は小学校の仲間達と飲み会、先週は大学の友人達と合コン?その前は高校時代の友人・・・。とにかく繋がりが多く忙しくて仕方が無いと言う感じ。・・・で凄いと思ったのが、小学校から受験して他校に進学するのが当たり前だったので当然高校も別になる訳です。ところが、そのようにバラバラの学校に行き繋がりがなくなったかに見えても大学が同じになってまた仲間が集まる。そんな繋がりが複雑になるとおもしろい事がおきる。就職し新入社員が一同に集まると同じ大学の仲間以外に小学校時代の友人が多数同期入社となってしまうのだ。さらにそれら他大学に進学した昔の仲間たち以外にも横の繋がりが増えてとんでもなく横の連携が深くなるようである。この横の連携は15年以上の付き合いでもあるので、影響は親である私達にも及び親同士も友人となってしまうのである。大変なのはその子供達が結婚するとなると、長男だけでなく私達夫婦も呼ばれる事になるので金がもたない。しかしながら「男親」の付き合いは単純で、ごくたまにゴルフに行ったり軽く飲みに行く程度だが、母親達の付き合いは想像を絶するのだ。・・・ちゃんはどこの学校に行ったとか、どこに就職したか?だの他人の様子や情報を知りたがる種族が集まる格好の集いになるようなのだ。ちなみに家内は今日も長男の幼稚園小学校当時の友人のお母さん達のお食事会に行ってしまっている。さて、本題に戻すが実は長男達はフェイスブックやらツイッターなどで常に連携している。なので集合離散も簡単に把握できるのだ。時代の変化とは凄いものだ・・・と思っていた。そんなオヤジの仲間達も年齢的に余裕が出て来たのか?さらに上記のような若者達だけの手段?と思っていたネットを利用したシステムを構築してくれた方々出て来たのですな。すると凄い勢いで情報が集まりだした。僕だけじゃなかった、皆さん同じ思いをしていたんだ・・・。本当に嬉しかった。社会に出て「裏があってもおもて(表)なし」の世界で他人と付き合い、利害関係を重視しての友好親善付き合い・・・。それから一時逃れる事が出来る連携ができた事が嬉しいのである。あの時バカな事やってたヤツは、笑っちゃうほど今でもバカをしているし、それを本人にも「バカだねえ」と言える。2年前の事だけど生きてて本当に良かった。★追記です!表題の「高根台中学」は山ピーこと、ジャニーズの「山下智久」の出身校ですよ。
2013.03.09
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また果物が届きました。ミカンにリンゴそして今回届いたのはマンダリンオレンジ、しかもわざわざロサンゼルスからの贈り物でした。柑橘類の個人輸出入は出来ないんじゃないの?と思いつつも送り主の住所はUSAに間違いない。調べてみるとアメリカ国内で日本人向けのギフトショップがあるらしく農産物などはまとめて日本で通関せて、アメリカからオーダーが入ると日本国内基地の在庫から発送されるらしい。小ぶりなオレンジだがとても甘い!・・でこんなに果物があっても仕方が無いので、知人・友人・顧客と配って歩いたのだがそれが逆に困ってしまったのである。伺う前に電話連絡をしてしまったのが悪く、訪問する処すべての方々から「お返し」を頂いてしまったのである。あの有名なバームクーヘン・マカロン・あんみつ・クッキー・煎餅・・・・etc.まるで昔話の「わらしべ長者」状態である。そこで、思いついたのが現在一人暮らしをしている中学3年時の担任の先生である。毎月一度だが仕事で先生の家の前を通るので、夕方伺って食事をご馳走になって来るのが習慣になっている。70歳のお婆ちゃんでもあるが元気で本当に楽しい。やはり教師時代に中学生を教えていたので、相手が私達のような50代になっても、そんな感じ?の接し方をしてくれるので気兼ねが全く要らないのである。・・・で、そのような「余り物」で大変失礼ではあるが、理由を言って引き取っていただいた。実は昔国語の先生だったので、古文書の解読や先生の交友関係から多くの学芸員の方々と付き合いもあるので、前回の「甲斐源氏 秋山家」に関するデータ収集にも協力頂いている。今日は「江戸東京博物館」の方の連絡先アドレスを頂いてきたので、今度連絡してみようと思っている。現在博物館に寄贈しようと思っているのは、我が家に残された「写真」である。それも「明治」「大正」時代のモノばかりが200枚以上ある。鹿鳴館の白黒写真に後から彩色したカラーモノなんかもあるし、あの幕末の志士「江藤新平」が後年死刑となりその晒し首の写真もある。一度、この写真を仕事上の付き合いがある画廊関係者に見せた処「一刻も早くマイクロフィルムに転写させないとダメだよ」と言われてしまったのです。明治時代の軍人の軍装、お公家さん?女性の十二単の婚礼姿、街中の様子そして当家祖先が四谷の大邸宅に住んでた頃の使用人36人全員をまとめて撮影した集合写真。まあとにかく人物写真がやたらと多いのだが、私達からしてみれば「誰が誰だか解からない」ので持っていても何の意味もないのだ。知人の歴史学者や民族学者にも見せた事があるが、そのような方々は「見る視点」が異なり、例えば当家の子弟が七五三の時のポートレートだと思うのだが、少年・少女の衣装が「朝鮮王朝の装束」だと言うのだ。もちろん我が家は1200年前から日本人だが、明治期に日本が統治していた関係からか当時の富裕層達はそのような衣装を日本に持ち込み「珍しいので着せた」と言う事らしい。なにしろ街中ではまだまだ「洋装」している人の方が少なく、当家保存の写真人物はすべて着物姿である。着物以外の洋装はドレス姿の女性である。それにしてもこの膨大な写真は、当時一枚いくらくらいかかったのだろうか?すべて一枚づつ装丁がしてあり、「青山写真館」OR「赤坂写真館」と印字されてある。一方スナップ写真の多くは大正時代と思われ、街中庶民の和装姿は減っている。とにかく年代も解からないので、整理のしようもないのである。なので、博物館寄贈と言う選択が一番良いと考えたのである。余談だが、本日学生時代の友人で山梨県庁に勤める方から連絡があり「南アルプス市」の教育委員会の学芸員の方が当家の調査にお付き合いしていただける事になったのだ。早速、来週の14・15・16日二泊三日で甲府に行く事に決めました。これで、「甲斐源氏の我家が、なぜ鎌倉時代に越前に渡ったか?」のヒントが掴めるかもしれません。
2013.03.07
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昨年末に銀座三越地下にある「チャイモン」(京都のお店)というお芋スイーツ専門店がありまして、「焼き芋」を買って来ました。確か100グラム380円だったかな?1本軽く1,000円を超えました。2本も買ったので金額を聞いて「ヒエー!」と叫ぼうと思いましたが、場所が場所なので平常心を装いカードで買いました。本来はアツアツのまま食べるのがお店流のようですが、自宅に持ち帰り「冷えたまま」家内と二人で食べました。・・・・驚きでした。こんなに甘い「芋」がこの世にあるのか?下手すると加工したスイートポテトより甘いのではないだろうか?中年メタボながらスイーツ大好きオヤジにとって、どうせ食べるなら「野菜」の方がいいじゃないか?と無理な言い訳を思いつき、ネットで検索すると九州の「安納芋」、種子島産云々・・・。と評判だったので5K程購入。但し、ただ購入しただけでは無い、「ジャパネットたかた」で「ザイグル」と言う遠赤外線調理機1万9千円也を事前に購入してからの話。これなら5~7本位一度に焼ける。・・・で、焼く事1時間。屋内で調理しても煙が出無い事が売りだが、芋から「蜜」が滴り、それが焦げて甘い香りが部屋に充満してしまうのが難点だが、確かに「石焼き芋」そのものである。廻りの皮はパリパリだし、中はしっとりとジューシーに。だが、注文した「芋」にはバラツキがあり、あのCHAIMONの芋の感動からはほど遠かった。そこで家内の文句に発奮し、今度は「紅はるかが美味い」との情報を仕入れ、また5K程購入したのである。安納芋はジャガイモのような色とまあるい形が特色だが「紅はるか」の見た目はそこらへんで売っているサツマイモと変わらない。しかも「千葉県産」とある。家内は「地元のイモじゃない、あなたバカじゃないの?」ワザワザ地元千葉の芋をネットで買う意味が解からず文句だけ言っていたが、焼き始めると「安納芋」どころではない匂いが違うのだ。まさに「蜜」そのものの香りだ。良く見てみると焼く前から黒く蜜が溢れて黒くなっている箇所もある。焼き始めるとイモの表面からは蜜が半端なく流れ出て、調理機「ザイグル」の下ザラに垂れて煙を上げている。ちなみに「焼く」のは私の役目になっている。我が家は東京電力の「ナイト10」で契約しているので、10時以降の電機代は1KWH8円になるので焼き始めは10時以降と決めているからだが・・・。・・・で、やはり1時間根気良くコロコロと返しながら焼くのだが「安納芋」よりも長く太く大きいので、円形のザイグルでは芋の末端がはみ出すのである。つまりコロコロ転がすだけでなく、前後入れ替えして中心位置を変えなければならない面倒が生じる。しかも4本焼くのが限度。食べ方は芋をナイフで「縦」に切る。するとマンゴーのようになるので、スプーンで削いで食べるスタイルとなる。これならば熱々でもスマートに食べられるからだが、実を言うと普通に掴んでかじると「蜜」が溢れて手がベタベタになるのでこの食べ方が一番良いのだ。肝心の味は「安納芋」より絶対に甘い!5Kなんてあっという間に食べてしまった。毎日「石焼き芋」を焼いているうちに、遠赤外線調理機「ザイグル」の基本性能を熟知してきた。この機械は円形のホットプレートの中心に「きのこ」の形をした「傘」の下部から熱源として「遠赤外線」を照射するのだが、この「傘」を上下スライドさせる事で、「火かげん」を調節するシステムなのだが、堅くて火の通りが悪そうな芋を焼こうとするとどうしても「傘」を下げて「強火」で焼いてしまっていた。すると「表面」に火が通り過ぎて「皮」の内側にある「蜜」を焦がしてしまうのである。遠赤外線ザイグルの場合、一度熱せられると下部のプレートにも赤外線の熱源が反射しそれ程近火にする必要は無かったのである。つまり「遠火」で表面をあまり焦がさないように焼く。これが一番うまい焼き方なのだ。本当に甘くて美味しい。(レンジ調理は厳禁らしい)焼いた後の芋を手でつまむと蜜が実の部分からは汁のようににじみ出て来る。これは果物?以上!の甘さ。こうなると人間の欲望は尽き無くなるのだが、ジャパネットで今「ザイグル」を買うと「蜜芋がおまけで付いてくる」と言うキャンペーンを行っている。我家の奥様は「ズルイ」と言うが、その商品説明で焼いている「プレゼント用」の芋がまた恐ろしく美味そうなのである。今まで食べた事が無いような種類?家内は「もう一台買おうか?」なんてバカな事言い始めるので、今はその同じ芋を探しているという状況なのである。ちなみに、某整形外科の院長先生から一昨日ミカン1箱、リンゴ1箱をいただいたので、お返しにこの「紅はるか」を5K送っておいた。先生もザイグル買うと言うので、買ったらおまけの芋を分けてもらうか?もちろん「紅はるか」が我が家にも5K届くが・・・。ちなみに、焼いた後冷蔵庫で冷やして食べるとさらに美味しい!「スイートポテト」そのものである。もちろん無添加ですしね。一人2本くらい軽くイケる!
2013.03.05
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ブログの更新はなんと5か月ぶり、中にはまた脳梗塞を発症して死んだのでは?と個人的な問い合わせがありましたので、重い腰を上げたと言う訳です。実を申しますと、以前の話の中で「古い家を壊して転居する際にお宝が出て来た」と言う事で写真を含めて公開した事がありました。その際に「なんで我が家にこんな物あるの?」と言う事から我家のルーツ探しを始めたのです。・・・そのもう一つのきっかけは5年前に亡くなった父の戒名を書いた「過去帳」です。意外と知らない方が多いのですが、過去帳は死亡した日付順(月別)に記載されているので、亡くなった順ではないのです。そして我家の過去帳はあまりにも古かったのでお寺さんに依頼して「書きなおし=写し取り」をお願いしたのです。その際に「古いの捨てますか?」と聞かれたのですが、江戸時代のご先祖の名前が沢山あったので保存しておいたのです。また、我が家には「ご先祖は加賀藩から来た」と言う言い伝えが残っておりましたので、昨年の6月と8月に金沢の「近代歴史資料館」で調査を行ったのです。そこで発見したのが加賀藩に残された「由緒書き」でした。以前にも書きましたが、そこに書かれていた1617年に亡くなった「秋山先太佐衛門源近」その子「秋山先佐衛門源近富」その妻の実家(父親)「青木右衛門一矩」と我家の過去帳の名前が一致して約400年前のご先祖まで遡る事ができたのです。・・・で、ここまでが今までのお話。その当家に関する「由緒書き」のコピーを金沢で頂き、今年の一月私の中学校担任の国語の先生に解読していただいたのです。その中には「出自は甲斐源氏の一族で代々越前に住んでいた」とあったのです。この「越前」とは現在の「福井県」つまり「石川県」のお隣と言う事になります。・・・で、我家の過去帳の疑問点として、唯一妻の実家の父親の名前が記載されていた「青木なにがし」の男が何者なのか?なぜ当家の過去帳に記載あったのか?結論は一時「大名」だったからと言う事でした。実は「秋山近富」の妻の父親は「青木」という者なのですが、「青木家」は当家「秋山家」と同じ出自の「甲斐源氏」子孫で「藤原北家」の縁者でもあったのです。この「青木家」は数奇な運命をたどる事になるのですが、「豊臣秀吉」に可愛がられお隣の加賀藩「前田利家」とも永い付き合いがありました。ピーク時は1599年頃「越前北ノ庄20万石」の大名だったのです。ところが秀吉亡き後、加賀藩を継いだのが「前田利長」で、利長は「家康」に人質を取られていた?関係で「家康側」の立場にいました。当然、越前青木家は「西軍」、加賀の「前田家」は「東軍」となり、闘う羽目になりました。しかしながら関ヶ原では「東軍」があっけなく勝ったので青木家と前田家は闘わなくて済んだのです。それを「家康」が許す訳ありません。名門「青木家」はお取りつぶしです。それを家康に対して助命嘆願をしたのは加賀藩「前田利長」でありました。つまり当家の祖先は「越前」におり、その災いに逢っていたはずなのです。その潰された「越前北の庄」を次に治めたのが「徳川家康」の二男「結城秀康」になるのです。・・・で、加賀藩の史料では、当家「秋山家」は結城秀康から知行を受けていたのです。さらに後継者である「松平直政」の時代になっても「捨縁」として1000石の知行を受けていました。一方、「青木家」は加賀藩お預けになり、陰で前田家が助けていたようなのです。ところが「秋山近富」とその息子は「青木家」の名前を消すかのように、秋山の姓を捨てて「土川」と名前を変えました。当家「越前秋山家」は、なぜか松平家の加護を受け続け「越前福井藩」と名前を変えた藩の藩主「松平昌勝」の側室に当家の娘が上がり、後の「松平吉那」を生んでいるのです。この「松平吉那」の「吉」の字は、そもそも「越前松平家」は幕府の諸大名の中でもとびきり家柄が良く家格も高いので、代々当主はその時代の「将軍」から名前を一字賜ると言う習慣があったそうなのです。つまりこの「吉」は五代将軍「徳川吉宗」から頂いたものだったとの事です。余談ですが、徳川家康の側室に「於都摩の方」という方がいましたが、この方の父親は「甲斐秋山家」秋山備前守虎康の娘なのです。学芸員の方の説では、信長に攻め滅ぼされた「甲斐武田家」(武田信玄)の勇猛な血筋で、「清和源氏」で甲斐源氏の頭領でもある血筋は、その時代においては「秋山家」しか残っておらず、「由緒正しい秋山家一族」は、徳川家から引っ張りだこだったと言うのです。今風に言うと「ブランドの血が欲しい」のであって、正室は「お公家様」から貰い、側室は「甲斐源氏秋山家」からというパターンが流行っていたようなのです。事実、紀州から将軍になった8代将軍「綱吉」のライバル「尾張大納言徳川継友」にも秋山家の娘が側室に上がっているのです。以上は複数の文献や資料から判明した本当の出来事でございます。まあ、今回はここまでと言う事で・・・。次はまた気が向いたら続けます。
2013.03.03
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昔から「天災は忘れた頃にやって来る」なんて事が言われているが、東日本大震災で直接被害があり未だに爪痕が残る市町村では「忘れる」事は絶対に無い、と言うか忘れる訳が無いと思うのだが関東地方つまり首都圏に住む人達は大地震の危険なんてとっくに忘れていると思う。大地震なんて来なければ良いに違いない、だが「確実に発生する」事は事実なのだ。・・・で、前から気になるエリアがある。我が家のPCには、有料の地震警報システムを組み込んでいる。(無料版も有り)住んでいるエリアを中心に、震度3以上の地震波が到達すると思われるP波が検出された場合はPC画面から警報が鳴り、震源地の地図とマグニチュード、想定震度が表示されて本震の想定到達時間がカウントダウンされる。テレビを見ているとテロップで「地震速報」が流れる場合と流れない場合があり、私が気になるのはテロップで流れない「極めて小さいエリアでの直下型地震」なのである。震度は毎回3程度、マグニチュードは4くらい。・・・で、最近気になる震源地は以前にこのブログで紹介した京成「成田スカイアクセス線」沿線の「白井町」エリアなのだ。実は先程も同じ場所でマグニチュード4.3、震度3の地震が起きたようだ。我が家は免震構造の家なので震度4を超えないと実際の揺れには気付かないので、本当に揺れが発生したかどうかの確認が出来ないのが難点なのだが、今も数値では残っている。実を言うとこのスカイアクセス沿線エリアでは東日本大震災の際に「屋根が崩落する」家が多かった事が解っている。・・・で地盤が悪いのか?と思うだろうが、この沿線である「西白井」に住む方で元三井ホームの一級建築士の方が「浦安は地盤が弱くて危ないからこのエリアを選んで家を建てた」と言っていた。もちろんこの同じエリアでも「屋根が壊れた家」は昭和58年以前に建てられた物が殆どだったが、そもそもこのエリアは岩盤が続く山だった処なのだ。ただし、このスカイアクセス線の線路は昔は山と山の間の連続した谷状の土地だった場所である。千葉ニュータウンを開発するにあたり、造成作業として簡単方法は低い山々の上部を削って平らにする。・・・で、「谷」の部分にその残土を埋める。だがその谷部分に将来「広い道路」と「電車の線路」を計画設置するならば、埋めないでそのまま「直線の谷」にしておいた方が開発しやすい。決してそこが「断層」だとは言えない、何しろ私は素人だから・・・。だけど不思議な事に「またここで地震?」と思うほど小さな地震が多いのも事実だ。千葉県の中央部に度々起きる小さな地震、ちなみに成田スカイアクセス線に並行するように遠くの湾岸部には「東京湾北縁断層」があり、それよりさらに東京湾を跨ぐ断層がもう一本並行して存在しており東京湾北部地域を危険視した首都圏直下型地震の「あの警告」の地震震源地に繋がるのである。素人なので私には何も解らないが、心の準備は常に忘れないようにしないといけないと思う。ちなみに我が家の家族は、私がこのような心配症なので地震がいつおきても数カ月は生きていけるような準備はしている。・・・と言うか強制させている。ソーラー発電に蓄電池、飲料水2Lペットボトル20ケース、お茶やスポーツドリンクの2Lペットボトル5ケース、ティッシュやトイレットペーパー、その他ラップやゴミ袋、プロパンガスボンベに専用コンロ、屋外のトイレ専用テント(裏庭に穴を掘る)、消毒する塩素剤、その他ありとあらゆる物を準備してある。先日「市川市役所」の津波被害想定ハザードマップをダウンロードして見たら、この東京湾で直下型地震が起きると国道14号線手前まで津波や江戸川の決壊等で「30cm位水に浸かる」となっていた。もちろん総武線の真下も水に浸かる・・・。こうなると「想定外」だったでは済まない。なので最低限の生活環境(昔の昭和初期の暮らしが再現できるような)を目指して準備しているのだ。まあこれだけ準備していても私はいつも運が悪いから、きっと仕事で遠くに行っていて家に帰れないような状態な時に限って地震が起きるのだろうなあ・・・。
2012.10.19
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最近のTV地上波は本当につまらない。番組の改編期であるのもそうだが、安易にお笑い芸人を引っ張り出して同じ様な番組ばかり造っている。まあ、マニアックなテレビ東京はまだ許せるが・・。そんな時に頼りになるのがCS放送だ、スカパーで見る人が多いのだろうけれど「我が家はケーブルTVで見ている。これは実に良い、自分の好きなジャンルだけをチョイスして視る事ができるし、地上波ではカットされるおかしな倫理規定に束縛される事も少ないようだ。時代劇専門もあるし、マニアックな軍事物も放送されるし、邦画もあれば洋画も盛り沢山!とにかく飽きない。そんな中、ネットサーフィンならぬTVCSサーフィンをしていたら、ディスカバリーチャンネルで凄いライブをやっていた。なんと宇宙の成層圏からスカイダイビングをする様子を生中継しているのだ。成層圏と言うと空気も無い真空の宇宙。そこから大気圏に突入して、最後は落下傘で地上に降りるらしい。12万フィート、約37,000メートルからのライブ中継となる。後数十分で飛び立つ(気球でカプセルを上昇させる)そして12万フィートに達したら、そこから飛び出すそうだがその速度は音速を超える、つまりマッハのスピード!人間燃えないのか?マッハの衝撃はいかに?とりあえずTVを視て来ます・・・。戻りました・・・っまだです、時間延長です。リビングのTVだけCS契約しているので、今いる自宅の事務所からリビングまで視に行かなければならないのが億劫だが、今の状況は出発時間が延長されて日本時間の2時40分頃らしい。なにしろ上昇させる動力が「気球」な訳だから風で流されるとなると、ダイブした後の落下地点だって変わってくる。成層圏って一言で行っても想像できないかもしれないが、あのグーグルでおなじみの宇宙から見る地球その視点の位置から飛び降りると言う事。はたしてそんな中を何を目標に落ちてくるのか?ダイブ時間は5分ちょっとらしいが、カメラを付けた人間が生身(宇宙服を着ている)で1,100KMの速度で大気圏に突入すると言うのだから、見慣れたロケット発射シーンより貴重だろう。生きて地上に降り立つ瞬間を信じて見守りたいが、今CS放送が視られる環境にある方は必見でしょう。全世界で一体何人の人が注目しているのだろうか?スポンサーのレッドブルは何を考えているのか?こんな事を真剣に考えている人がいる事自体が信じられない・・・。そしてそのジャンパーは世間を時々騒がせる有名人「高い場所」があったら逮捕されても飛び降りるあの男。ディスカバリーチャンネルは2:00で中継放送終了予定だったが、先程から延長が続いている。明日の仕事もあるし、3時まには何とかして欲しい物だ。例え今寝ても気になって眠れないだろうろうし・・・。今視てきたら2時45分になったらしい・・・。仕方が無いので、リビングに移動します。結果は明日のニュースで流れる事でしょう。
2012.10.09
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久しぶりにブログを更新するが、未だに我が家の家系図調査を行っている。かれこれ1年以上になるが、資料を探しに「国立公文書館」には毎週出かけ(便利な閲覧カードが作れる)金沢(加賀藩)に資料が残っていると聞けば6月と8月に現地に赴き調査を行ってきた。その結果、確定した事実は1000年以上も歴史を遡り、源義光流加賀美遠光系「甲斐清和源氏」の末裔である事が解った。金沢市に残る「加賀藩藩籍簿」に残る各家の「由緒書き」に我が家の祖先3名の名前が記載されていたからであるが、幸運にも加賀藩に当家の姓を名乗る武士が一家系しか居なかった事から簡単に探す事ができたのである。我が家に残っていた資料は「仏壇の中にあった過去帳」と「兜飾りの家紋」そして各種のお宝だけだった。その過去帳の先祖の名前が今回の決めてとなった訳だが、一番古い先祖の死亡年は西暦で言うと1603年、つまり徳川家康が征夷大将軍になった頃から現在までの400年以上書かれている。8月の金沢市における調査については「金沢市玉川近代史資料館」の学芸員の方2名に協力していただいたのだが、古文書には前述の我が家の祖先の生国出身地や由緒が細かく記載されており、甲斐清和源氏の一族である事も詳細に書かれていた。それにより鎌倉時代から江戸初期までの人名からどのような武士だったか?どんな事をした人物がいたのか?インターネットでその名前を検索すればいくらでも出てくる。鎌倉時代以降から続く家紋も一緒、祖先の名前も一緒、と何でも判る感じだったのだが、どうしても解らない事があった。なぜ、甲斐の国から金沢に移りすんだのか?いつ江戸に移りすんだのか?松江城主「松平直政」から捨扶持700石、越後松平家から500石、他の大名家から「捨扶持」として貰っていた理由は何だったのだろうか?それだけの知行を貰いながら、どこの藩にも属さない「浪人」だったのはなぜか?つまり江戸時代の我が家の祖先の役向きと言うか、何をして生きていたのか?それが全く説明できなかったのである。「浪人」と聞くと藩が御取りつぶしになり貧乏で「傘張り」なんかの内職をしながら長屋で暮らしているイメージがあるが、我が家の明治期まで残る屋敷は「四ツ谷」にあり700坪以上あったと聞く。家人・用人は36名以上仕えて居たと言う事実や写真が残っている。だから解らなかったのである。家内などは「きっと何か悪い事をして生きていたに違いない」と言っていたが、昨日その我が家の江戸時代の「仕事」が判明した。「清和源氏」とは清和天皇を始祖とする一族であり、「源頼朝」が征夷大将軍になれたのも清和源氏として武家の頭領資格を得ていたからであり、その後の「足利尊氏」も清和源氏の一族である。・・・で、我が家も清和源氏の一族だった事から、江戸時代の初期から「高家」と言う扱いを受けていたと言うのである。「高家」(こうけ)には、「奥高家」と「表高家」の二つがあり、「奥高家」は天皇に拝謁し武家との諸手続きを行う事が出来る職に務める事ができる家柄なので、官位としては徳川御三家・徳川御三卿の次に位が高かったので、大名家で言うと加賀前田家・奥州伊達家などを除くと殆どがこの「高家」の方が身分が高かったそうである。これが「職を持つ高家」である「奥高家」であり、一方で「職を持たない高家」が存在した。昔から「藤原摂関家」の一族、「公家」に関係する武士の一族、そして「清和源氏」の一族がそうである。表向きの石高は1000石程度だったが、仕事は大名やその藩士に「武家の作法」「公家・武家の接待饗応作法」などを伝えて教えるのが仕事だったと言うのだ。あの「忠臣蔵」において赤穂藩主が、奥高家である「吉良上野介」に饗応の方法を教えてもらおうとしたが、「謝礼」が「赤穂の名物塩?など?」だった為、吉良上野介から「田舎者と馬鹿にされて意地悪された」事が発端と聞くが、私が「高家」の立場から吉良上野介を見ると、「作法を教える事」を仕事にしていたので、「名物」では無く「金品」を渡すのが筋だった事が解る。実際に「高家」は諸大名や他の武士達から教える事による「報酬」を受け取る事は幕府から黙認されていたと言う事実がある。つまり名門の家系である「高家」を滅亡させない為にも余裕のある大名家は「捨扶持」を与えて、作法教授として藩士の指導をさせていた経緯もあり、高家の武士自らが営業し稼ぐ事は大名家の負担も減らす意味からも重要な仕事だったと言う事が解る。だから長男曰く「400年間遊んで暮らしていた」のも事実であり、しかもかなり裕福だった事も証明された。ちなみに明治時代の曾祖父は明治新政府に登用されて働いていたようだが、祖父は生涯働いていいない。父も38歳まで働いておらず財産を食いつぶして暮らしていたらしい。戦争中は「お家が途絶えてはいけない」として、軍部に圧力がかかり?陸軍経理部で兵隊の給料計算をしていたと言う。確かに我が家は親族が誰一人生き残っていない、我が家には長男が一人いるが彼の子供が生まれなかったら当家1000年の歴史は終わる事になる。
2012.09.30
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日本の外交下手は相変わらずで情けない限りだ・・・。頭の堅い日本政府が自国で「何とかしよう」と考える前に先ず他にやる事があるはずだ。それは「第三国の世論」をうまく利用する事につきる。ネットを利用し国民を扇動する別働隊、サイバー攻撃を行う組織など裏の組織を多く抱える中国政府に対して正攻法で闘うには、他国のマスコミを煽るのが一番いいだろう。アメリカのCIAではないが、いかなる手段も用いて他国のTV番組や新聞等のマスコミのニュースソースとして歴史的史実の「真実」を適材適所にリークして、どちらが正しいのか?中国の狙いは何か?日本だけでなく東南アジア諸国にも広がる同じ問題の一つとして「報道特番」を組ませたり、マスコミ関係者のコメントを公の場で引き出して行くのが最も大切な事だと思うのだ。先ず、世界に「状態」を認知してもらう事、次に日本が戦後ODAで中国に対してどのくらいの金額を援助してきたのか?ちなみに中国ご自慢の「上海空港」だって日本のODAで造られた事を中国国民は知らされていない。日本人がネットで声高に唱えても中国人は誰も信じないだろうが、世界のマスコミが事実を報道し続ければ、やがて中国人の目にも触れて行く事になる。あの「とう小平」(中国語の「とう」の漢字は表示不能)は中国の発展に際し、当時のパナソニックに対して頭を下げて産業発展のノウハウ援助を乞うたのである。日本の企業はアメリカの企業に残るような昔の資本主義タイプの「搾取」的経営から中国が発展するような方法を取り、労働環境を整えてまさに社会主義的経営を根付かせたのである。なので中国人でも知識人や富裕層は「真実」を知る人は多いのだが、事実・真実はネットでも公にも正面から言う事はできない。実はこのような事は韓国でも同じだ。以前「日韓ワールドカップ」の仕事で毎週のように韓国に行っていた事があった。その際、毎回現地で日本語が話せる通訳兼コーディネーターの女性を頼んでいたのだが、その方から聞いた話。その方は日本語がペラペラなのに日本には一度も行った事も無く、日本語学校へ通った事もなかった。「どうやって覚えたの?」と私は尋ねたら、最初は教えてくれなかったのだが数回目の訪韓時にやっと話してくれた・・・。その方の祖父は昔日本に住んでいて、日本に渡った理由は「貧しい韓国から脱出したかった」からだったそうで、日本に行ってみても実際の現実は変わらなかったそうだ。しかし一番違った事は貧しく住んでいても、周りには同じ様に貧しい日本人も多くご近所同士で手を取りあってその苦しい時期を乗り越えたのだと言う。その際に多くの日本人の優しさに触れて、自国の荒らしい民族と根本的に違う民族だと知ったそうだ。その後、日本でお金を貯めて戦後すぐに韓国に帰ったのだそうだが、その方の話として「従軍慰安婦」は韓国人の裏社会の組織が韓国国内の貧しい農村を舞台に「人買い」をして娘を集めていたと言うのだ。つまり自国の人間が自国の娘たちを売り買いし、それを提供する場所もこさえたとの事だった。そこに日本の裏社会と軍部の下級将校が目を付けて利害が結び付き、結果ビジネスに発展していったと言う。経営は韓国人と日本人が共同で行い、韓国人は地方の貧しい村々から「娘の調達」を役目とし、日本人は部隊の軍人や商社マンを誘い「客寄せ」をしていたらしい。実はその「娘」を調達する係の韓国人のやり方が問題だった。無法な手段を用い「人攫い」のようなやり方で村の娘を買い取って行ったらしい。もっと問題だった事は「人と減らし」と称して「親が自分の娘を売りに来る事が多かったので驚いた」とも言っていたそうだ。そして手先の韓国人が娘を連れ去る時の捨て台詞は必ず「日本軍を恨め」だったらしい。何も知らない韓国人はすべて日本軍の命令だと思ったに違いないと・・・。その方の祖父の方は死ぬまで「その時の事を悔やんでいた」と言うので、ある意味日本にいた頃から裏社会に通じた方だったのかもしれない。さらにその方の祖父は韓国政府が日本の嫌がるような教育や誤った内容の洗脳施設の開設について「韓国政府は日本が困るような事をして何が目的なんだろう」と感じ、政府の事が信じられなくなったと言っていたそうだ。そして、祖父は孫であるそのコーディネーターの方に「日本語をしっかり勉強していれば必ず人生の役に立つ」と言い、学校や世間からは隠れるようにして、さらには両親からも隠れながら祖父から日本語を勉強したとの事だ。ちなみに祖母は日本人だったそうで、「国籍の関係で祖父と一緒に韓国に渡れない事になった祖母は神戸を出る船の岸壁から祖父が見守る目の前で海に身を投げた」のだそうだ。金もあり大学に進学して勉強する学生と違い、その学業の過程に進めない貧しい家庭の子が韓国国内で仕事を得るために、最短のコースが日本語の勉強だと思って彼女は日本語を学んだのだそうだ。「事実を知る人」は次々と亡くなり、日本が正当性を証明できる真実は消えていく。だからこそ、「第三国が調べた形」で正しく歴史を調査してもらい、「真実・事実」を後世に残す地道な作業の積み重ねをすることで今後の日本を守れるのだと思う・・・。中国・韓国の無茶ぶりは「勝てば官軍」という言葉の通りでもあるが、日本は戦後の「負け戦」を後何年引きずらなければならないのか?とにかく韓国や中国がコツコツと国民を洗脳したように、日本人も根気よく世界に「真実・事実」を発信し続けなければならないのだ。
2012.09.20
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今、8月に滞在した金沢での記録をまとめている。まとめると言っても我が家の先祖の話なのだが、事の発端は以前書いた通り引っ越しをする為古い家を転居する際に屋根裏から「お宝?」がザクザクでてきた事ことにある。「お宝」と言っても我が家家族にとってははっきり言って邪魔だった。「掛け軸」に「書」だけで50点以上、「壺」に「印籠」「刀」に「短刀」・・・で、中には「清和源氏」「徳川家達」の落款がある書に「三条実美」真筆の書などなど・・・。なんでこんな物が家にあったのだろうか?・・・という疑問が発端なのである。86歳の母に確認すると亡くなった父も祖父母も「心当たりが無いし聞いた事も無かった」と言う。但し、口伝として代々伝わった話は残っている。1、大昔は甲斐国(山梨県)の出身だった。2、江戸初期は金沢にいた。3、家系から徳川家康の側室に上がった娘がいる(生まれた子は家康の五男「松平信吉」)4、江戸時代に当家の分家は旗本だった。5、昭和初期父の学生名簿には「士族」と書かれていた。以上から、江戸時代は「武士」だった事は何となく家族全員が知っていた。しかしながら昔の事なので「眉唾もの」で誰も真実を知らなかったのである。・・・で、ある時仏壇の整理をしていて古い過去帳を見たのだが、そこには当然ながらご先祖関係者が記載されている。そこでそれを見ても何も気付かなかった。なぜならば、過去帳とは死んだ人間を「亡くなった月別」に記載されているので、系統が見えてこなかったのである。6月にも金沢に行った折「玉川(金沢)近代歴史資料館」の学芸員の方から「死んだ方々のお名前を年代別に並べ替えてみた方が良い」との事で、並べ直してみたのである。すると一番古い先祖は「元和3年7月」に亡くなっている。つまり西暦で言うと1617年、つまり395年前から過去帳に記載があった事になる。ちなみに徳川家康が征夷大将軍となったのが西暦で言うと1603年、まさに徳川秀忠の頃から記載が有ったのだ。今回はそのご先祖の死亡年代別一覧表を前述の資料館に持参し、加賀藩の「藩士記録名簿」と士族の「由緒書き」を見せてもらう事が目的だったのだが、祖先が一度金沢にいた事が幸いした。金沢は太平洋戦争中に米軍の爆撃を逃れており、多くの古文書や資料が大量に保存されている。その為、加賀藩に立ち寄った武士はすべて出身地からどこで?何をしていたか?その後どこへ行ったか?まできちんと名簿に残っているのである。しかも6月の調査では金沢(加賀藩)に当家と同じ名前の士族は一家系しか存在しないので、我が家の口伝が本当ならば江戸時代の祖先の名前が記載されているはずなのだ。結果は見事ビンゴ!初代395年前に亡くなったの祖先の名前と、その妻の出身家名まで完全に一致した。その次の代の祖先名も妻の名前も全く当家の過去帳と同じであり、学芸員の方に言わせれば「大変珍しい事であり江戸時代はおろか鎌倉時代まで遡って繋がる甲斐源氏一族の家系だ」と言われたのである。しかもその古文書(由緒書き)には現代訳をすると「甲斐より1605年に金沢に来た。清和源氏甲斐○○家子孫、加賀美遠光の直系御葉門一族。松江城主松平出羽守直政より1.000石の捨扶持知行を賜る。加賀藩より150石の捨扶持を賜る。豊後松平家より200石の知行を賜る。越前松平家より知行を賜る。云々・・・と数ページの記載。」そして名前の前には我が家の姓○○が入り「○○左喜佐衛門 源近英」(○○サキザエモンミナモトノチカヒデ)そして、「○○右近之允 源近恭」(○○ウコンノジョウミナモトノチカヨリ)と記載されていた。この代以降は江戸に上り300年以上明治時代まで四ツ谷の大御殿に居住している。次にここで大事なのは「御葉門」の意味。これは「源 頼朝」が清和源氏(清和天皇の子孫)な中で鎌倉幕府設立までの貢献度から、「源氏」の姓つまり「源」を名乗って良い一族として認める一族の事を指すのである。ちなみに「御葉門」一族にあの「源義経」は取り消されているし、頼朝の家族兄弟でも「源」姓を名乗る事は許されなかったのだと言う。「「山名・大内・加賀美・足利・武田・安田・平賀」が御葉門の一族となる。なので、巷に聞く「うちは由緒ある源氏の子孫だ」と名乗れるのは、本当はこの家系の末裔しか許されなかったのである。だから加賀藩の士族由緒書きには「源」の姓が追加されていたと言う事になる。さらに驚いたのだが、我が家の祖先はどこの藩にも属していない。普通であれば「○○藩藩士」「○○藩浪人」などと名前が付くのだ。しかしながら日本中の松平家や大名家から数百石の「捨扶持」を貰っており、かなり裕福な生活だった事が解っているし、明治期には明治政府に官僚として務めている。学芸員の方の話では、この我が家が代々貰っていた「捨扶持」(すてぶち)とは、幕府や大名家が「名家」の存続などの為に与えた扶持(給料)だと言う事なのだそうだ。宮本武蔵が剣術指南役として小笠原藩から受けていた給料もこの「捨扶持」になると言う。ようするに「働きもせず、役も無く、金は使いきれないほどありただブラブラ暮らしていた」みたいである。この状態は昭和の初期まで続き、明治大正時代に生きた祖父は生涯仕事をしておらず一昨年亡くなった父も38歳まで仕事をしていなかった・・・。戦争すら行っていない。理由は父が戦争で死ぬと「家の跡取りがいなくなると大変だから」との勝手な理由で親族の当時大本営にいた陸軍参謀が手配してくれたからだそうだ。いつの時代も権力を持つ役人が役得をするのだろう?おかげで我が家は何とか続いているが。・・・で都内の土地五ヶ所を売り払い、祖父と父二人で全ての財産を食いつぶして現在に至ると言う訳である。都内の土地でも一つ残しておいてくれれば今頃は私も働かないで済んだかもしれないのに・・・。
2012.09.14
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あっと言う間ですが八月ももうじき終わりますね・・・。さて、我家の今年の夏休みは前回記述した通り「金沢」に行ってまいりました。JALのマイルが20万マイル以上貯まってましたので6月に続き強引に行って来た次第です。行きは「クラスJ」のシートが4人分予約できたのですが、帰りは普通席・・・。客席が満員で取れずちょっと不満でしたが、搭乗時間は1時間。つまり離陸で30分、水平飛行に移って数分後の残り30分で着陸態勢・・・。ならクラスJのシートは意味が無い。こんな状態にもかかわらず機内でお買い物をするヤツがいる。それは家内だ。JALのオリジナルサンダルが5,000円。しかしJALカードで買えば4,500円になるので買うと言うのだ。さすがに売る方も時間が無く適当な機内販売だったが、まさか買う人がいるとは思わなかったのだろうか?・・・で、なぜ行きはクラスJに拘ったか?理由は小松空港から金沢駅に向かうスーパー特急バスに乗る為である。飛行機の到着に合わせてバスが発車するので、到着後の余裕時間は15分前後しかない。またなぜ急ぐかと言うと86歳の祖母を連れているし、バス乗る前に「便所」なんて事が予想されるかからだ。なので、行きはわざわざクラスJの前から2列目シートを4席確保して一番に降りられるシフトを組んでいたのである。そんな私の苦労を考えずに機内販売の商品を買った家内は、次々と飛行機を降りる乗客に抜かれながら「今、ココに無いんだってさ、探して持ってきてくれるからちょっと待ってて」って。結局降りるのは一番最後じゃないか・・・。案の定、婆ちゃんは「ちょっとトイレに行く」と言い出すし・・。その後、JALの買い物袋を抱えて戻って来た家内までも「トイレに行く」と言い出したので、長男には「問題のある女共2名を確実にバスまで連れて来るように」と指示をして、私は一人ダッシュしてバスの4枚綴り回数券を購入してから4席確保した。そして「すみません後から3名来ます」と運転手さんに言ってバスを待たせたのである。旅行の添乗員の気持ちが良く解かると言う物だ。本当に呑気な家族である。一昨年までは毎年このJALのマイルを使って家族全員で一週間グアムに行っていた。帰国予定300日前(予約日の300日前なので帰国便に合わせる)に航空チケットの予約をし、ホテル予約、レンタカーも予約し一週間の行動予定表を作成しプリントして各自に配る。なので、私の立場は昔から常に「添乗員」だった。そうでなくても「時間を守れない家族」なので、私が作成した予定表を全員が所持し決まった行動を取るようにさせていたのだが、誰一人として旅行当日に持ってきていない。私が一生懸命作成した「予定表」をしっかり家に置いてきている・・・。まあ、毎年の事だから私もそれを見越してもう4枚~5枚作成して持参しているので、現場では何とかなるのだが・・・。・・・で、今回の金沢旅行は4泊。6月はANAホテルだったが、一泊7,000円前後で2,600円の朝食が付くもちろん部屋も広いし文句のつけようがない。しかし年寄りにバスタブ兼シャワーのみは使いづらく4泊はつらいので他のホテルを探したのである。金沢周辺の散策ならばJR金沢駅東口にあるホテルが使いやすい。新しいファッションビルの6Fにはレストラン街もあるし、お洒落なお店も沢山ある。JR駅中の「百番街」に行くにしても近いし、何よりも市内各方面のバスの始発ポイントが東口なので移動が楽だからである。そこで今回選択したホテルが最近人気が出て来たホテルグループの「ドーミー・イン」である。朝食が付いていてやはり7,000円前後で、ANAホテルよりちょっと高いが何よりも、天然温泉大浴場・露天風呂があるのだ。駅前で天然温泉があり、しかも夜食のラーメンは無料だ。朝食の価格は別で支払うと一人1,100円とホテルとしては安い設定だが、内容は十分だし味も良かった特に毎日出るカニ汁は絶品だ。しかも朝のジュースやコーヒーなどはレストランだけでなく、紙コップが用意されており自由に部屋にテイクアウトできるようにも気を配られている。家内などは最初「そんなビジネスホテルななんて嫌」と言い、チェックイン前にはホテルの入り口に「ショートステイ・・・・」と看板があったので「ここラブホテルじゃないの?」なんて文句を言っていたが、2日目を過ぎてから「ここ良いかもしれない」と言い出して、最後には「凄く気に入ったから今度もここにしよう」と言っていた。それは添乗員?の私が面目を保った一瞬でもある。クチコミを調べて、評価を調べて、ここに決めたのだが正解だった。但し基本的にビジネスホテルなのでファミリールームは少ない。我家の場合はツインの部屋を2部屋予約したのだが、4泊と言う事を考慮してくれて8畳の和室が付いた和洋室を用意してくれたのである。但し、同形態の部屋は各フロアに一室しか無いらしく家内と婆ちゃんは10階、私と長男はその下の9階真下の部屋と別れて宿泊したのである。温泉も入った瞬間に肌がヌルヌルする通称「美肌の湯」であり、市内探索から帰って疲れた体に本当にありがたかった。金沢に行ったら能登半島に近いエリアにあの有名な温泉街もあるのだが、夕食も毎日好きな物が自由に食べれて、しかもバスで自由に散策が出来ると言う利便性を考えると、わざわざ「温泉街」に泊まり、車が無いと行動を制約されてしまうような観光客の場合は「駅前温泉」の方が価値がある事に家内ともども気付いたのある。温泉に入りながら「結局どこに行っても風呂は風呂だろ?まあ露天風呂の気色は見えなくても夜空は同じじゃん・・・」と言う境地に至ったと言う事だ。ちなみにホテルの夜食の無料ラーメンは滞在中に2回食べたが、実を言うと若い女の子が一人で5人分づつ一斉に作っているのだが、麺の堅さもベストだしスープもさっぱりしていて美味いのだ。具はメンマにネギに刻み海苔のみでチャーシューは無い。人気も高く9時から11時までやっているのだが、いつ見ても「こんな時間なのに腹減らしているヤツがいるのか?」と思うぐらいの宿泊客が食べていた。ちなみに私と長男は駅中スーパーの2F中華総菜売り場で「チャーシュー」を1パック買ってきて、密かにトッピングをしてチャーシューメンにバージョンアップさせて頂きました・・・。ちなみに廻りを良く見ると隠れて「餃子」を買ってきて食っている猛者もいた。同じような事は誰でも考えると言う事でしょうか?とにかくお勧めのホテルでした。
2012.08.28
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さて、お盆休みを皆様はどのように過ごされたのでしょうか?今年の都内は意外と人や車が多く、一昔前のように街がガラガラになるような事はありませんでした。お盆休みを取る方の分断化が進み、日常生活と変わらなくなって来たからでしょうか?会社のOLさん達は昔からわざわざ「夏休みを9月に取り、安くなった海外旅行に行く」のが常套手段でございました。中には10月・11月に取るつわものもおりましたね。会社も従業員には必ず規定日数の「夏休」は取らせておかないと、意外と重い処分の対象になってしまいますので、どんなに忙しくても夏休みを「取っていただかなければならない」のですな・・・。私の場合この仕事を始めて20年、夏休みも・・・と言うか、土日も祭日もありません。毎日24時間、365日携帯の着信音に神経をとがらせ顧客の対応をしなければならない。一人24hコンビニ状態。だから「脳梗塞」なんてなってしまうのでしょうねえ。さて、そんな私でもどうしても生きている内にやってしまわなければならない使命がある。それが、「家系図」の作成だ。偶然の事、昨年TV番組「○○鑑定団」の出演オファーがありその際に「我家のお宝」を出してきて、調べたところ、その際に祖先の「祖」が少し見えてきたのである。それまでは我家の家族4人誰一人知らなかった。しあkしながら我家の口伝えでは、昔「加賀より江戸に渡る」とあり、実際に前田候から賜ったと言う「輪島塗の金蒔絵」の印籠(家宝)がある。そして、祖父の戸籍や学生記録には「士族」と書いてあったので間違いなく武士であった事は解かっていた。ならば、戦争の被害が無く史料が沢山残っている加賀(金沢)に行けば証拠が見つかると思い6月に行ってきたのである。すると我家の仏壇にあった「過去帳」の名前と、金沢の近代歴史資料館に保存されている加賀藩の戸籍となる名簿記載の中に複数の先祖の氏名・死亡年月が400年間一致した。なんと一番古い記録は1605年の話。徳川家康が征夷大将軍になったのが1603年なので、その2年後に「甲斐の国」(甲府)から加賀(金沢)に移住しているのである。しかし金沢に残る史料によると藩籍は「松平家家臣」となっていた。・・・と言う事は、武田信玄が亡くなり後年武田家が滅亡し、その後家康の趣旨で武田家の血族である我家の祖先の娘が家康の側室になっており、その子供が家康の5男「松平信吉」となる。さらに後年「武田信吉」となるのだが、我家の祖先はその家に使えていた事になる事が判明した。そこまで解かると、なんと鎌倉時代まで祖先を証明する事ができたのである。しかしながらこのように過去を掘りだしたとしても、我が家一族の生き残り子孫は私の長男ただ一人だけ・・・。つまり現在我家の家系は、日本国中探しても従兄どころか親戚すら一人も残っていない。その為、葬儀や結婚式があっても名前の異なる遠い親戚は集まっても、「同じ姓」の直系子孫はどこにも存在しないのである。6月に徳川家重臣だった「本多家」の現在のご当主ともお話したのだがどこも同じようだ・・・。だからこそ正確に家系図を完成させたい。その為、明日から22日まで再度金沢に行って調査の続きをする事にしたのである。また、明治時期の祖先は「官軍」(加賀藩は官軍だった)から登用されて「宮内省」に務めて官位を貰っていた。(莫大な給料に驚く=今の年収で7000万円位)それを15日に竹橋の皇居前にある国立公文書館で確認をした。また不明な点と祖先の名前と経緯を現在の「宮内庁」に連絡したところ、「詳細を調査してご連絡します」と誠に丁重なお答えをいただいた。ちなみに22日まで不在の為、回答は23日以降にいただけるようだが・・・。実を言うと我が家は「清和源氏」の生き残りの一族であり、鎌倉時代は「源頼朝」から「御門葉」を許された一族なのである。前にも書いたが、「清和源氏」の落款が押された徳川家からの書や、三条家からの書などの書画骨董が馬に食わすほど残っている。骨董品に興味が無い私達夫婦にとっては、何の価値も見出せない物なので東京江戸博物館に寄贈する事も考えている。
2012.08.17
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2年ぶりの「江戸川花火大会」、自宅3Fのテラスからバーベキューをしながら、しかもサッカーを見ながらの大忙しだったが風向きが東京湾側から吹いていたので「花火の煙」で見えなくなる事もなく、爽やかな風の中を涼しく見る事が出来た。・・・で、今年の感想だが「花火の色が鮮やかになった」ような気がするのだ。最新の火薬の調合の関係かもしれないが「青」は青、「緑」は緑、そしてオレンジやピンクなどがハッキリ、くっきりと本当に鮮やかだって気がする。14,000発と言うと地方の大きな花火大会よりは規模が小さいのかもしれないが、細々とした家が密集する下町エリアでの開催は多くの住民の毎年の楽しみでもある。今の家に引っ越す前は見る事が出来なかったので昼間に江戸川の河原まで行って場所取りするか、奥の手として花火が見える位置にある「公民館・市民ホール」の小部屋を「ピアノ練習」名目で予約し、クーラーが効いた部屋で(飲食は不可だが隠れて持参)見る事にしていた。このエリアにマンションを買う方は「西側」を選ぶと花火大会が見えるので、駅前高層マンションに住む友人の家も例外に漏れない。今回も我家からは東側に建つ36階建てのマンション最上階に住む知人から「双眼鏡で我家の方を見たらバーベキューをしている様子が見えた」とメールが入った。いつも見下ろされているのか?とも思ったが、家の電気を消してバーベキューコンロの周りだけ電気を付けていたので普段よりはっきり見えたに違いない。何かこのところ落ち込んでいたので、気分的にスッキリしたような気がする・・・。但しその夜と言うか午前3時頃「すみません今事故を起こしてどうして良いのか解からなくて・・・」と相談の電話が鳴った。仕事とはいえ嫌な商売である。精神的におかしくなるのも仕方が無いのかもしれないなあ・・・。
2012.08.05
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最近ブログの更新をわすれていたところ「もしかして体調が悪いのだろうか?」と言うご心配をいただいたので更新をする事にしました。さて、毎日外は酷暑と言う事で日中に出かけるのは止めて仕事は午前中と夕方に限っている。脳梗塞の患者には「水分不足」が致命的なので毎日ナメクジのような生活を心がけているのだ。家の中にいると冷房をかけなくてもそれ程暑さは感じないので問題ないし・・・。築3年目になるが本当に涼しい家である。夜間はエアコンを停めて寝ないと28度に設定していても寒くて仕方が無い。寝る前にエアコンを切っても朝まで殆ど温度が変わらない事が解かったので、切っても朝まで暑くて起きた事なんて事は一度も無い。昼間は2階のリビング・ダイニングで朝食時にエアコンを点けるだけ、その後皆仕事に出てしまうのでエアコンを停めて窓をすべて締めておく。我家の窓はすべてペアガラスの内側にもう一枚ガラス窓を追加した「インプラス」にしている。開ける時は内窓も外窓も重くてとても面倒だが、防犯上もいい。そしてその窓も「小さい」ときているから「放熱」が少なく外の外気の影響も受けない。・・・で昼頃に帰宅して玄関を開けると、何もしていないのに家全体がヒンヤリと涼しい。今まではマンションにしても戸建てにしても「日当たり良好」は最高のキャッチフレーズで、なによりも重要視して生活してきた事なのだが、「エコ」を考えると反対なのだ。周りに木々があり土が沢山あるようなエリアにお住まいの方は大きな窓があると良いのは解かっているしかしながら都心近くに戸建の家を建てるとなると土地が狭いのでどうしても隣の建物に近接する。100坪あっても建てる建蔽率やら何やらで建てられる位置はきまってしまう。さらに隣地の家が法的基準で建てられると、窓を開けると「こんにちは」になってしまうのだ。だからか最近の建物には窓が圧倒的に少ないし、南側だって「何これ?」と思う程小さな窓しかない。肝心の太陽の明りは「屋根の天窓」から採光するので窓が無くても家の中は暗くないのだ。我家もその彩光用の天窓以外には合計30枚の太陽光パネルで屋根を覆ってしまっている。2階が涼しい理由はここにもある。そのソーラーパネルの発電する電気の源は太陽光の「赤外線」である。つまり太陽の熱はすべて電気に変換してしまうので屋根に暑さは一切伝わらない。ソーラーパネルの設置は「自家発電のエコ」システムばかりが伝わるが、住んで実感する事はこの涼しさがとても大きい事だと感じている。我家の使用「電気アンペア」は80Aなので一般的にみても結構大きい容量を使っている。4年前に住んでいた同じ規模の家の場合、電気料金は多い時で月に40,000円以上だった。それが同時期(6月分)で7,000円前後、売電収入が30,000円前後になっている。これは、昼間の電気を使用して「余った電気だけ」を売っている状態の時の事。昼間の電気は1KW29円で買って、夜間は9円で買っている。契約上の売電価格は10年間固定で1KW=48円。(今の方は42円かな?)あまり知られていないが、ソーラーパネル設置者は「小口発電所」扱いなので自家発電した電気は7月1日以降「全量買い取り」制度の対象となる。つまり今まで昼間自宅で消費していた分もすべて売却に回る事になったのである。なので、7月1日以降我家の昼間の電気はすべて「東京電力」から買わなくてはならないのである。だから今月の電気料金の明細金額は高くなる事が解かっている。だが発電した電気全量すべてを48円で買い取ってくれるならば、売電収入が大幅に上がり東京電力から電力を買っても大幅に得をする事になるのだ。このように晴れが続くと感謝感謝である。さて、明日は「江戸川花火大会」である。我家の3階ペントハウスに設置した物干しスペースとしては広すぎる?8畳のテラスは、その花火大会の日の為に設計したようなものである。もちろん浦安ディズニーランドの花火も見れるがそれは少し遠いので「音」と「光」が一致しないのだ。昨年は震災の影響で中止になり、建築初年度は旅行に行ってしまったので3年間まだ使っていない。なので今年は気合いを入れて先日から準備に入っている。子供が小さい頃は毎年会場で席を確保して真下から見物していた恒例家族行事なのだ。家族4人が勢ぞろいして見物する久々の花火大会・・・。張り切っていたのだ。しかしながら、先程メールで肝心の長男が帰って来ないと連絡があった。上司の付き合いでゴルフに行かなければならないと言う。その後も同期?きっと女の子達と「東京湾花火大会」にでも行くんだろうと思っている。バーベキュー用にと美味しいホンビノス貝も注文し先程届き、国産黒毛和牛A4ステーキ肉も1kg買ってしまった。残念だが、これが子供を思う気持ちなのか?意外と男の子を持つとこのような期待外れが良くあるものだ。自分で良く理解していたつもりだった。でも凄く残念である・・・。帰って来ないなら「もっと早く言え!」
2012.08.03
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最近はスマホにての利便性が上がりパソコンは仕事のみにしか使わないので、このブログ更新もできなくなっていた。実はそれ以外に自分はもしかしたら「鬱病(うつ)」なのではないだろうか?と思うのだ。他人から言わせてみれば、「自分で気付くくらいなら問題ないよ」となるだろうが、鬱病は意外と自分でも解かるらしい。実は私が小学生の頃に興味を持って読み漁った作家がいる。作家の名前は「北杜夫」(きたもりお)である。精神科の医師でありながら作家になった方で、この作家のお父様も精神科の医師でありながらアララギ派の中心人物であった文人「斎藤茂吉」だ。北杜夫氏は自分で「躁(そう)病・鬱(うつ)病」を理由に、気分のアップダウンを表明してマスコミにも多く登場しながらも世間を煙に巻いていたものだ。「今日は鬱なので帰ります」なんて行って記者の前から姿をくらましたりと奇行でも有名だった人で、そんな彼の文章を小学生のころから読んでいた私は小さい頃から自分自身を第三者的目線から見るような性格になって行った気がする。「今自分が喋った事は皆からは何ととらえられたのだろうか?」と他人事のように気にしたり、女性とデートしている時だって厳密に言うといつも「他人事」のような感じで、誰と付き合っていても「ねえ、聞いてる?」とデート中に言われるのが当たり前で、今の家内からも毎日言われている。今50代の半ばを迎え、何となくその当時の「北杜夫」氏の年齢に近づくと何となく自分の心境に似ている事に気付いたのである。若い頃と言うか昨年脳梗塞で倒れて一瞬「死」を悟った後から「やる気」「気力」が萎えてしまっていたのだ。それまでは、毎日のようにブログを更新していてそれが「脳梗塞」で中断するやいなや、それまで読んでくださっていた多くの方から「お見舞い」のお便りが届き、驚きと感動で病院のベッドの中で涙したものだった。そして気力を振り絞り「入院中の様子」を携帯電話を使ってこのブログを更新していたのである。なんとその事が「リハビリ」になり格段に良くなり40日で無事退院できたのであるが・・・。ところがである。日常生活に戻ってまた仕事漬けの世界に飛び込むと、自分では気付かないのだが「異なる」生活パターンに変わってしまっていたのである。倒れる前は、仕事を終えてから3時だろうが朝日が上ろうが関係無い、書きたい事があればお構いなしにブログを更新した。徹夜が2日続こうと翌日の仕事に支障が出る事もなかった。ところが今の私は何をするにも臆病で、マイナス思考になっている。自分自身の生きている価値観は何なんだろうか?退院後に気付いた事、「寝たきり状態の入院」が続いていたら?仕事も復帰できず、結果住宅ローンは払えず家は売却?長男は就職しても私の医療費の面倒を見なけらばならないし、アフラックの医療保険だって「連続入院60日」なんて縛りがあるからそれを超えたら保障は終わる・・・。「麒麟の田村家」が一家離散してホームレスになった事例と同じ状態となるのだ。ところがだ、逆に病気であろうとケガだろうが今私が死んだとしても家族全員、一生経済的に困る事は無くなるのだ。生命保険の保険金が入り住宅ローンにソーラーパネルのローンも免除となる。仕事を全部辞める事で「営業経費」が一切かからなくなる。私が倒れて会社の利益が無かろうとこの会社が生きていれば「経費」は自動的に銀行口座から消えて行く。だから私が死んだら会社を閉ざしてしまえばその支出はすべて無くなる。建物のローンはすべて消えて尚且つ家の電気代はソーラーパネルの影響で80Aの契約にもかかわらず年間7万円程で済んでいるので売電収入を加味すれば黒字になる。家族が減ればさらに電気・ガス・水道の使用も減る。私へのお小遣いも不要だし、逆に家内には私の「遺族年金」も入るだろう。あれこれ計算すると家内の老後は羨ましいほど豪華な世界が待ち受けている。それ以外に死亡保険金として億単位の現金を受け取り、所得補償保険によってさらに10年間毎月安定した月々の保険金収入を受け取れる。しかもそれに連携して10年後以降は家内も自分の年金が受け取れると言う寸法だ。ファイナンシャルプランナーとして完璧な仕事をした事でまさか自分がそれに悩まされるとは・・。「ムザムザと死ぬものか」と思う反面「死んだ方が家族は楽になるのか」と毎日のように気持ちがアップダウンするのである。その結果気付いたのが、「私は今鬱病なのかもしれない」と言う事だ。その事に気付いた私の今日の状態は「躁(そう)」状態と言う事か・・・。
2012.07.21
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朝からシトシトと霧雨が降っていたが「押上」駅に着く頃には完全にやんでいた。この場所は塔全体が石でできているように見えるチェックポイントだが、下から30%ぐらいまでしか見えないので、これでは上から何も見えないと思い、天気が回復するギリギリまでチェックインを遅らせて入場する事にした。予約時間は10:30~11:00と言う事で、「ソラマチ」で日光天然氷のかき氷を食べたりしてブラブラし、4Fチェックインカウンターに向かったのは10:50だった。混むどころか誰も並んでおらず、列に並ばずにチェックインしてそのままエレベーターに案内された。今日のエレベーターは、4つの四季の「夏」。江戸切子の文様が入ったエレベーターであった。このエレベーター内の「切り子模様」の中に「隠れスカイツリー」が彫られた切り子が一つあるのだが、気付くだろうか?中央より少し右側の「青い大きな切り子」の文様がスカイツリーになっているのだ。・・・で、あっという間に350mの展望デッキへ到着。これは350m上空から見た「浅草寺」です。パノラマを楽しむ前に、先ず450mの展望回廊チケット売り場へ直行。・・・そこも誰も並んでおらず、逆に場所がカウンターが解からなかった。難なく1,000円のチケットを購入し、さらに別のエレベーターで445mの到達ポイントへ上がりそこからさらに徒歩にてスロープを上って450mの最高到達地点へと向かいます。・・・で450m上からの「浅草寺」はと言うとこんな感じです。確かに高い・・・。都内の街が小さく見えて、「東京ってこんなに川だらけで小さな街なのか?」と言う印象が・・・。我家の方向を見ると、近所の高層マンション群が見える。子供の部屋から双眼鏡を持ってくればよかった。さて、目標は達成できたのでもう一度350m地点にまた戻り、のんびりと見物する事にした。そしてもう一度我家の方向を探すとなんとベストビューポイントが「スカイツリーカフェ」になっていて入れない・・・。仕方無くそこでアールグレー(450円)を一つ購入し家内と半分ずつ飲む事にして、カフェの中へ入る。もちろん立ち見なので見物の状態は変わらないのだが、団体客はいないしのんびりと見れるのは良かった。・・・で気付くと12時が過ぎている。しかしまだ70%くらいしか見物しておらずもう一度上階に移動して探索し結局13時に降りるエレベーター乗り場へ。340mポイントでは真下がガラスになっているフロアがありそこで有料の記念撮影1.200円。もちろん待ち時間は無し。気付くとこれから450m地点に登る乗り継ぎエレベーターのチケットカウンター前は30分待ちの看板が出ていて多くの人が列を成していた。やはり「10時~11時に登り13時以降に食事ポイントに移動」のパターンが大成功だった。どうしても450mポイントから帰る人、今350m地点に登った客が混ざり合い、しかもなかなか下りないのでこのフロアに人が溜まるのだ。7月11日以降は一般入場もできると言う事で相当の混雑が予想される。今回の食事は「ソラマチ」6Fの「VIVA NAPOLI」イタリアンのお店。ピザかパスタを選んで、前菜やサラダ・パンはビュッフェスタイルと言うコースが1.600円。都内のイタリアンレストランではパスタ・ピザ類が1,400円~1,800円で値段設定されている店が多いので、このビュッフェが付いてこの価格ならば安い方かも知れない。ドリンクバーは300円追加だが生ジュースが豊富で一杯飲めば元が取れる感じである。・・・お天気が良いのでオープンテラスで頂きました。魚介のパスタと魚介のピザどちらも人が食べているのを見て美味しそうだったので選択。家内と半分づつ食べたのだけれど前菜やサラダを食べたら結構な量になる。味も正解。前菜の野菜類も美味いしスープも良かった。前菜食べ過ぎかも・・・ピザが食べきれない。隠れて胃薬を飲む・・・。その後もテラスでのんびりお茶していると、気付くとなんと4時だ。上を見上げるとスカイツリ-のてっぺんまで見えて青空がまぶしい。暑くも無く寒くも無く最高のシチュエーションである・・・家内以外とだったら・・・。疲れたので?今日の第二目標の水族館はこの次することにした。考えてみると家から徒歩の時間と電車乗車時間を含めてもで20分で来れてしまうので、何も無理するする事は無いのだ。さて、これからの時間は家内のショッピングタイム。ソラマチの2F3Fを行ったり来たり・・・買うわ買うわ・・・。中にはスーパーストアもあり、下町?と言う事で我家のある街よりも野菜が安い!チェーン店の「サワミツ」だからか?スカイツリー見物に来て野菜を買うなよ・・・誰が持つんだ。さて、今回は天気に恵まれたのでとりあえず良しとするか?ちなみに天気に左右されないのが「夜」だそうだ。下からの光は上空まで見えるので、雨でもそれなりに綺麗だそうである。隅田川の花火大会の様子も映像で紹介されていたが、手元で輝く「線香花火」みたいに見えるのが面白い・・・。最後にもう一つの情報、入場する時は4Fのチェェックインカウンターでチケットが一枚づつ発券されるのだが、このチケットには「当たり」があるのだ。普通はタワー写真のみチケットなのだが、そこにキャラクターが交じって印刷されたバージョンがたまに発券される。我が家は1枚が当たり!やはり高い処で景色を見るなら「冬」に限る。12月~1月が最高だろう。次回は冬の夜景を見る事にしようか?
2012.07.02
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本当に久しぶりのブログになる。毎回読んでくれていた友人などは「死んだかと思った」などと言う始末である。書こうと思う時はやはり気分がハイになっているのが自分でも良く解かる。なぜハイになっているのかと言うと、我家先祖の疑問が晴れたからなのだ。我家の祖先と言うか家系は「清和源氏」一族であり、由緒書きやら鎌倉時代の骨董品からも推察ができたから解かった事なのだが、実を言うと父も母もまた祖父も知らなかったのである。たまたま父が2年前に無くなって「戒名」を書き記す仏壇に納める「過去帳」を見た時に起きた疑問が発端なのだ。ボロボロの過去帳をお寺さんで書き写す作業を頼んだのだが、一番最初の記載は3代将軍の「徳川家光」の前、徳川秀忠の頃にまで遡る。つまり江戸初期から現代までの家系図が簡単に読み取れる貴重な物だったのである。一応記載内容は名前の下に「誰誰の子」「誰の妻」「誰の子」が書かれて、その人物が死んだ日付けが記載されている。・・・で、なぜこれより前の時代の記載が無いのか?我家の先祖からの口伝が4つ。1、先祖は甲斐武田家一族である2、江戸幕府成立と同時に加賀に移り前田家の家臣であった3、加賀のお姫様が江戸に上る際に同道して江戸に移り住んだ4、加賀の前田候から「輪島塗金蒔絵」の賜ったと伝わる印籠があるそこで先週家内と二人で加賀の国、つまり金沢に行って来たのである。宿泊は移動に便利な金沢駅前のANAホテル。金沢まで行ったら温泉でも行けたら良かったのだが今回は学術調査と言う意味合いもあったので、分単位の移動で廻って来たのである。金沢と言う街は戦災の被害が無くまた100万石の城下町として頑固に生き残って来たので「古文書」などの歴史的資料がそのまま現存するのである。しかもすべてがコピーされており誰でも閲覧できるようになっている。その場所は金沢市玉川にある玉川図書館に併設された「近世史料館」と言い、我家の名字を伝えれば学芸員の方が史料を用意してくれるのである。・・・で、我家の名前を伝えて「名前検索」してもらうと一系譜(一家系)だけが記載されていたのである。10cm近い厚さの「加賀藩名簿」の中に一家族しかいない。つまり口伝が事実ならばその家族が祖先の系譜となる訳である。次に名前が判明したので「加賀藩士族」の名簿を見せて貰ったのだが、昔の仮名遣いであり漢字も崩されているので素人では読めない。はたして我家が持参した「過去帳」と同一人物が記載されているか?なんとあったのである!それも5人も!ただし当方の過去帳と死亡時の年号は同じだか「月」が少し異なる・・・。例えば同一名で其の人物の死亡日時が「正保3年(1647年)8月没」と書かれていたが、金沢市の資料では(10月没)となっていた。他の人物でも「明暦3年(1657年)5月没」が6月没になっていたのである。金沢市の学芸員は「違う人なのかなあ?」と言うが、同じ名前で記載年が同じならば間違いないと思うのが普通なのだが、学芸員ともなると100%一致しないと「正しい歴史」としてみなさないのか?実は「寺」も何件か訪ねて来ている。どこの寺もご住職が丁寧に教えてくれて、この資料館の事もアドバイスしてくれたのだが改めてこの記載内容の違いを尋ねると・・・。「江戸時代は死んだ日付けと藩に死亡を届けた日付けは違いますよ」と言うのだ。上級家臣ならばいざ知らず下級武士の死亡届などは「受付が後回しになるのはよくある事だ」と言う事だ。なる程、藩の資料では無く寺の日付けの方が正しいに違い無い。さて、今日の本題は当初の4つの疑問の答えがあったのだ。記載では(1605年)甲斐の国より移り住む・・松平家の家臣となり・・・本多家に仕えて加賀へ」つまり徳川家康が征夷大将軍になったのが1603年だからその二年後にあたる。・・・なので疑問の1と2は正しかったのである。さらに3と4は面白い仮説が立ったのである。先ず事実として判明したのが『13代となる我家の当主長男が他家に養子に行き、当家は「閉門」されていたのである。そして後年、養子に行った14代目が出家して僧侶になっているのである。ところがその僧侶の長男が15代目として「お家を復興」させて江戸に居住・・・』ともある。江戸での仕事は加賀藩江戸藩邸でお姫様やら家臣が着る呉服の調達係つまりスタイリスト?的な仕事だったと言うのだ。考えようによっては呉服問屋の袖の下(賄賂)も入る美味しい仕事だったに違いない。以上は推定では無く明確に金沢の歴史資料に記載されていた事実である。そこで私が推察したのが、我家の家宝の印籠の箱書「天保3年箱改め」つまりこの年「に箱が壊れたから直した」とある。その時代は天保3年より10年前後前の頃と時代が一致する。仮定だが我家の先祖が「何らかの罪を被ってお家は断絶」結果、その子供は出家・・・。そんな境遇の家に前田家藩公のお殿様が「家宝」を与えるだろうか?しかも出家させた先祖の子供は数年後にお家を再興し江戸で呑気に暮らす事が許されている。お家騒動か?何かの事件があったに違いないが、それを今回は身代わりだけど許してね」的な事があったのではないか?と思うのだ。まだまだ話は沢山あるのだが今日はこれまで・・・。おまけ。仏壇にある「過去帳」(死亡者名簿)は江戸初期からしか記載が無い。その理由は?『徳川秀忠による「キリシタン弾圧」の中で、キリシタンでは無い事を証明する為に、すべての国民の宗派を認定する為「過去帳」ができた』と言うのだ。「宗門人別帳」と言う物だったらしい。だから徳川初期の頃からしか記載無いのである。(金沢の某ご住職のお話)
2012.06.22
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相変わらず忙しくてプライベート時間が全く取る事が出来ない。嫌な仕事である。さて、5月にスカイツリーの入場券の予約をしたが7月2日の10:30のチケットが当選した。なぜ10:30かと言うと、この日のメインイベントを「本所吾妻橋」駅近くの「野口鮮魚店」での昼食としたからである。350mの展望台から、その先へ上るチケット購入に1時間と想定し「12:30には降りて来られるだろう?」と計算した。つまり「野口商店」のランチが13:30で終了するので、その前にお店に着く事を考えている。「ソラマチ」も面白そうだが、場所的にも自宅から20分圏と言う事で別の日にノンビリ行こうと家内を説き伏せてのスケジュールだ。7月11日以降は当日券が売られるので、今以上に混むと想像される。今回予約の7月2日はまだ梅雨が明けていないだろうから限りなく雨天が予想されるのだ。そこでメインイベントを「野口商店」の海鮮丼にしたと言う訳である。実際に行った人の話を聞くと「雨でも夜間は街並みの灯りが見えてが綺麗」だと言うので、昼間に行くなら12月が一番良いのだろが、夜間に絞れば別に天気に左右されないのでいつでもお勧めだと言うのだ。確かにTVの中継を見ていたら雨天にも関わらず夜景は結構綺麗に見えていたような気がする。家内は「なんで夜にしなかったのよ、野口商店は夜もやってるんだから」と文句を言うが、そんな事オープン前に解かる事ではないだろう。ところで最近気付いたのだが、機械的なスカイツリーのイルミネーションを見ていると「東京タワー」の美しさが際立っているような気がする。先日も新宿方面から三軒茶屋を通る首都高速3号線を走っていると、それまではビルに囲まれて気付かないのだが、突然のように真左に立つ大きな東京タワーが出現する。首都高速のその周辺を走ると東京タワーを中心にグルグル回っているような気持ちにもなるが、このエリアは夜間に走ると本当に綺麗なのだ。スカイツリーのLEDライトも環境には良いのだろうが、あの塔をクルクル回るイルミネーションは芸が無い。昭和生まれの人間にとっては東京タワーのあの電球のような?ぼんやりと赤オレンジ色に輝くイルミネーションの方が落ち着く。昭和33年生まれだし・・・。実際、東京の象徴として無くてはならない「塔」ですからね、アレは・・・・。海外から来る友人達の意見を聞いてもも圧倒的に「東京タワー」の方がお気に入りみたいです。
2012.06.04
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金曜日の夜12時に赴任先の神奈川からいきなり長男が帰って来た。そこでJRの駅から自宅までは徒歩10分位なのだが、毎回小さめの海外旅行用スーツケースで帰宅する。その姿はまるで海外を飛び歩くビジネスマンのようだが、中身は一週間分の洗濯物である。・・・で、大荷物なのでJRの駅まで車で迎えに行ってやる事にした。しかし今週は帰宅する予定では無かったので、土日を家で過ごす彼の食事のオカズが用意していなかった。ありあわせの物を食わせればいいのだが、子離れができない家内は「ご馳走」を用意しないと気が済まないらしい。そこで彼を乗せたスーパーまで行く事にしたのである。・・・とは言っても12時を過ぎており、24時間営業のスーパーに行くしか無い。先ず、「マルエツ」に行って肉だの野菜だのを購入したのだが、レタスのみが売り切れだった。それならそれでいいじゃないか?と思うのだが、家内は「完璧」でないと満足しない。なのでそこから500m程離れたもう一軒のスーパーに行く事にしたのである。そこは安売りでも有名な「BIG-A」と言う24時間オープンのスーパーで、やっとお望みのレタスを購入する事が出来た。そこで異変に気付いたのである。先ず最初のスーパーに行った時にレジに並んでいる人がやたらと多く、なぜか客の皆が「水」を買っていた。その時は気にしなかったのだが、二件目のスーパーに行ったときにはその様子が一変していたのである。慌てて駐車場に入る車が多く、「今は夜中だぞ、なんでこんなに客がいるんだ」と思ったがまだ私は気付かなかった。・・・で、家内が水を5ケースも買っていた主婦に「なぜ皆さん水を買っているのですか?」と聞くと「浄水場でホルムアルデヒドが発生し、取水制限のうえ断水の恐れがある」と言うのだそうだ。そう聞くと家内は100%パニックに陥る。「あなた何ボーっとしてるの?早く私達も買いましょ!」と。大き目のカートを転がしてきて「ヨイショ、ヨイショ」と掛け声をかけながらあっと言う間に2Lペットボトル6本入りのアルカリイオン水を5ケース、麦茶を2ケースをカートに積んだ。まさに「オバサンパワー」全開である。私はお金を払っただけだが、こんなに購入してもまだ足りなそうにしている。なので、これ以上は車に積めないから止めてくれ・・・と、やんわりと断った。さて帰ろうとすると、パーキングに入ろうとする車が殺到して出る事もできない。見ていると店員が「水は完売です」とダンボール箱に書いて駐車場入り口に貼りだしていた。家内は「ラッキー、なんて運が良いんだろう!」と喜んでいる。その一部始終を見ていた長男は、冷静に「これ、ツゥイッターのデマじゃないの・・・」「まあ無駄でも地震の備えになるじゃない・・」と家内。「あのねえ、地震用の備蓄はすでに15ケースあるよ」と私。自宅に戻りTVを付けても何の報道もしていない・・・。やっぱりデマか?・・・で、インターネットで「ホルムアルデヒド」と打ち込むと、利根川水系と江戸川水系の水が汚染されていて、取水を止めたと記されていた。徐々に下流域も断水する見通し・・・。とニュースが流れていた。幸い我家の地域は断水しなかったが、これがもっと怖い物質だったりした場合に地域限定でどのように市民に伝えるのだろうか?この小さなエリアには軽く100万人は住んでいる。でも「全国的ニュース」取り上げる事も無く、気付いた連中だけが夜中に大騒ぎしていた。恐らく半分以上の住民は寝ていただろうから、まさに「寝耳に水」である。・・・で、地域的には断水してあの通りの光景となったのだ。さて、デマで思いだしたがある噂が飛びまわっている「311はユ~らユラ」と東日本大震災を言い当てたと言う知的障害者がいて、その子が「522はグッシャグシャ」と歌っうているというデマ?噂である。まあ、5,22でなくても5,11は金冠日食の日で「太陽・月・地球」が直線上に並ぶ。意外と知られていないのだが、海の満ち引きは月の引力で作用する。6時間で海水は満ちて6時間で海水は引いて行く。その干潮時間に「潮干狩り」ができるのだが、この満ち引きを2回づつ一日24時間で繰り返す訳だ。その理由は地球が月と直線上に並ぶ場所が一番引力が強くなるので、「海水が引っ張られて盛り上がる」から、その場所では海水(潮)が満ち満潮にると言う事になる。・・・で、今回のコースが悪い。「大地震が起きそう」と言う震源域が「絶好の観察コース」になっている。つまり観察可能エリアの直線は「月の引力が一番強くなる直線」と置き換えて良いのである。ウワサで済むのか?天体ショーだけで済むのか?ちなみに23日は私の誕生日である。
2012.05.20
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今回の竜巻で私の知人が被災した。住所から「危ないな」と思っていたら今日夕方のNHKニュースに本人が出ていた。整形外科医院なのだが、電源が復旧しておらず医療機器も使えないらしい。そこで慌ててご自宅に電話をしてみると、奥様が電話に出たのだがTVで映る重い雰囲気の先生の表情とは打って変わり「TV見たんですか?あんな事でTV出るなんて情けないですよね~」と大笑いしていた。かなりのダメージだったようだが、火災保険に入っていたら被害総額の殆どは出るので(全額は出ない)損害実額は営業再開までの休業損害と、保険対象外部分の実費負担と言う事か・・・。火災保険のオプションになる「休業損害保険」にも加入していれば、約定復旧期間の営業損害も補償できるはずだ。だが、意外と保険料が高くなるのでそこまで加入しない人が多いのも事実だ。病院も含む店舗の場合は個人の火災保険控除と異なり全額損金計上できるので、加入可能な範囲の保険はケチらずに入らないと大きな代償を払わなければならない時代になってきたのかもしれない。日本でも「竜巻」はけっこう発生するが山間部が多く平野が少ない日本では、あれほど大きな竜巻は発生しない。地表が暖かい状態で、その上空に寒気が入るとその場の「空気の層」が上下逆転する。冷たい空気は下に下がり、暖かい空気は上昇する。上から下へと下がる風と上昇する風。大きな積乱雲がそこに存在すれば、元々上昇気流があるので、さらに大きな空気の回転が生まれる。その時は上下の回転だから、大気の流れは横向きに回転しているのだ。だが地球には引力がある。簡単に言うと「回転するコマが立ち上がる」原理と同じだ。最後は地表に冷たい空気が残る・・・。だからあの日の午後は冷たい風が都内を覆った・・・。巨大竜巻と言えば北米大陸のような高い山々がある山間部から続く広い平野がある方が発生しやすい。さて、地震に津波そして竜巻・・・。今度は何だ?神様仏様、日本人は何か悪い事でもしたのだろうか?気の弱い私は、一人「禊(みそぎ)」のつもりで、駅前で呼びかけていた赤十字主催の「献血」に立ち寄った。誰も並んでいなかったので直ぐ終わると思ったのだが、私が手続きしているとあれよあれよと列が出来上がった。そこには10人以上並んでいたのだがすべて若い女性。OL風の方が3人と若い主婦風の方が3人そして残りはイケイケ女子高生4人組みだった。・・・で男はオヤジただ一人。採血するバスの中も女性看護師の方しかおらず、当然のように車内は「単独オヤジ」である私に話題が向けられた。話題は基本的に「男性は意気地が無く注射が嫌い」さらに「血を見るのが苦手」の人が多く、献血に来る男性は少ないそうだ。「おじさんはどうして注射が平気なの?」なんて言い出す女子高生もいて、他の女性からも同じような事を言われたので、「おじさんは見るからに血が余ってそうでしょ?定期的に水分を抜かないと体重増えちゃうから」と言った一言がOLさんを含めて皆さんに大受けして、(太めの体型だから)そして物好きにも「血採ってるとこ写メ撮ってもい~い?」なんて言い出す女子高生まで・・・。一体今の子は何を考えているのか?その後、献血終了後は「安静にしなけらばならない」との理由で、OLさんや女子高生に囲まれて?出されたジュースを飲みながらテーブルを囲で何とも楽しい一時になりました・・・。ちなみに女子高生の一人は血清の比重が低くて「落第」と言われ、もう一人の子は「自分でピアスの穴を開けた」と言う理由で「落第」と言われていました。でも、現場の雰囲気で4人ともジュースも2本貰ってさらに記念品のマリーゴールドの苗木を貰って帰って行きました・・・。
2012.05.08
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先日家族3人でスカイツリーを見て来た。まあ外からの様子なのだが、家から電車でジャスト20分。一応仕事で近辺を車で通過したり、電車の車窓からボーっと眺める事はあってもツリーの足元まで行きたいとは思わなかった。実は、我家からスカイツリーに行くには都営浅草線の「押上駅」が近いのだが、今回の目的はスカイツリーではなく、一つ先の駅「本所吾妻橋駅」から徒歩5分位の処にあるマンションの1Fにある「野口鮮魚店」に行くのが目的だった。以前に一度行った事があるが、TVの「ぴったしかんかん」で放映しているのを見てたまたま帰宅していた長男が「行きたい」と言うので「家族で昼ご飯に行こう」と言う事になったのである。この店は昔は普通の「鮮魚店」だったのだが店内に「イートインコーナー」を20席位設けて「食堂」に変身してしまったのである。もちろん「鮮魚店」が本職なので魚を販売しているのだが、人気の理由は「てんこ盛り」の丼物にある。昔の「海鮮丼(ちらし)」は普通のサイズだったのだが、2代目の若社長の「気合い」でボリュームが段々アップして進化続けている。ちなみに家内が注文したのが「上海鮮丼(ちらし)」1,500円長男は「中トロマグロ丼」1,200円私が季節限定「海老海老天丼御膳」1,300円この3品になるが、注目はボリュームだけでは無い。「ちらし」に入る魚の種類も半端なく15種類以上あるだろうか?これで1,500円という値段には十分満足できる。地方の漁港などでもおなじみの盛り付けスタイルだが、肝心な事は「都内で食べられる」と言う事に尽きる。また実際の「具」のサイズも大きく、寿司ネタで良く見る茹でて開いた「車海老」とは異なり見た事無いような大きさの海老にも驚く。店舗内にはこの「ちらしの具」の魚部分だけを刺身パックとして「テイクアウト(1,200円)用」が販売されており、お店のお兄ちゃんに頼めばこの魚を「ご飯」の上に乗せて海鮮丼にしてくれるので、お弁当代わりに外で食べる事も出来る。ちなみに目の前は児童公園なので、気候の良い日はそこで食べている人もいる。まあ、歩いて7~8分のスカイツリーの足元で食べる勇気のある方ならそちらでも構わないが・・。写真のように、メニューの種類が豊富でナマ物が苦手な外国人が一緒でも大丈夫です。どちらかと言えば「煮魚御膳」など「御膳モノ」がお得なように私は思っている。今回の私のお勧めは期間限定「海老海老天丼御膳」で、カルパッチョ風の刺身たっぷりサラダも付く。桜海老たっぷりのカキ揚げや大きな車海老等がてんこ盛りで、天丼のつゆは東京風の「濃いめのつゆ」が別添えとなっている。写真より実物は大きくて、食べていると最後は天ぷらが残ってしまうようなサイズなのだ。衣がサクサクで「油っぽさ」は全く無い。煎餅みたいに天ぷらだけでもいけるので飽きがこない。当日も観光客が半分以上で、食べているのは80%が「海鮮丼」なので、私の「御膳」が運ばれると廻りからは「お~」と言う感嘆の声が広がった。ちなみに木曜日と祭日は定休日で土日はもの凄く混むので、平日以外は2時間待ちは覚悟したい。昼は2時30分で終わりとなり、その後の人は3時半からの休憩再開後から店内に入れる事となる。さて、長男は上野で同窓会があるとの事で現場で別れ、私と家内は腹ごなしにスカイツリーのある「押上駅」まで歩く事にした。やっぱり真下から見上げると本当にデカイ。ただし、建物直下の真横から見ると東京タワーの方が大きく見えるような気がするが・・・。現物を見ると登りたくなる・・・。自宅に戻り「ネット会員」に登録し、5月7日抽選分の7月2日と3日で希望を2つ登録しておいた。ちなみに第八希望まで登録ができます・・・。
2012.05.03
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毎日更新するつもりのブログがいつのまにか月一になっていた。今日の仕事も「月末」の大騒ぎで終わった。PC入力締め切りが22時。後は明日から書類の整理と発送で忙しくなる。世の中は連休で浮かれているが、仕事の忙しさは平日となんら変わらない・・・。そんな生活が20年以上続き、良い時の収入は公表できないくらいだったが今は同じ仕事をしても三分の一程度だろうか?前回のブログで間違えて「45」と書いたが、キーワードは「54」である。実は来月5月23日で私は54歳になるのだが、前回のお話の続きで「死人と会話ができる?」方2名(一人は韓国人)から同じ事を言われたのである。それは「54歳の暑い日、あなたはこちらの世界に来る事になる云々・・・」だった。言われた日の間隔は10年以上違うが、同じ事を2回も言われるものだろうか?それも始めて会うような人から・・・。まあ「あんたは54歳で死ぬよ、だけど死は怖くないから安心しなさい」って事。それでもこんな事は信じる事は無かったのだが、それは昨年の2月までの事。それは「血の病気」と表現して「脳梗塞」で倒れる日も10年以上前から正確に言われていたからなのだ。信じたく無くても人間には「運命」があると聞かされた事を思い出す。なので、今は身辺整理をしながら毎日暮らしている。書類の位置から、仕事の後継者の選定、衣類(100本以上あるプレミアデニムなど)の処分。なんでこんなに集めてしまったのか?ジーンズを履いても足は2本だしすべてを制覇して履く事は不可能だ。かと言って興味の無い家内のような人から見れば、どれも同じ古びたジーンズにしか見えないし処分する際は「古着」としてゴミ処分されるだけだろう?だから本当に大事にしてくれるような人に配っている(無料配布?)沢山集めたバイクのヘルメットしかり・・・。先日は友人に譲った「イタリア製MOMO(ファイター)ヘルメット」を彼の20歳のお嬢さんが街中で被って走る光景を見かけてなんだかとても嬉しくなったものだ。私の身の回りのモノで沢山の方々が今後も使い古してくれると思うだけでもう本望である。まあ、こんな非現実的な事が本当にあるかどうかはまさに人体実験かもしれないが、運命は運命として甘んじて受ける覚悟はできた。後は開き直って「良い人」になる事を心がけて生きて行くつもりだ。それと俗物的なモノだが、バカにしていた「スカイツリー」にも行ってみたいと思うのだ。web会員になりネット抽選にも参加できるようにした。なにしろスカイツリーまで我家から浅草線に乗れば20分で着く距離なのだから、息の根が止まる前に行っておこうと思ったのである。同じように6月には我家の祖先が甲斐武田一族から分かれて、加賀前田家(石川県金沢市)家臣となった痕跡を確認する為に家内と二人で旅行に行く予定も立てた・・・。要するに「思い出作り」だ。更新が続いていたら私は変わらず元気だし、更新が止まり数カ月間音信不通となったら本当に「運命の日」が訪れた証拠として後世に残せるに違いない。「信じるか?信じないか?それはあなた次第です」・・なんて某TV番組でも言ってましたが・・・。さて、単身赴任中の長男が後一時間位で帰宅すると言うので、JRの駅まで迎えにいかなくては。社会人になっても子供は可愛い・・・。万一自分の命と引き換えに守れる事があればそれでも構わないと思う。それが親の気持ちだ。最近続く幼い子供の死亡事故や残虐な事件を聞くと親の気持ちを想像し情けないほど涙が出てしまう。私も年を取ったからかな・・・。それとも本当に「良い人」になろうとしているのかもしれない。
2012.04.27
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本当に久しぶりのブログ更新になる。3月末の決算と新年度の新規契約更新作業。特に官公庁の契約を抱えているとすべての契約が4月1日付けとなる為忙しさは半端では無かった。ようやく落ち着いてきたのが今と言う訳である。それでも従来の新年度と異なり、気合いが全く入らない。理由は後で述べるが、54歳と言う年齢が気を重くしているのである。単純に54年と言う年を気にしての「年齢」ではなく、実は数字に意味がある。同年代の連中と比べると、頭も全く禿げておらず、かと言って白髪も無い・・・。生まれつき茶髪で天然パーマである事も幸いしているのだろうけれど、体脂肪計付きのヘルスメーターに乗ると筋肉量・新陳代謝・骨重量・すべてを計算して出される肉体年齢は毎回34歳~36歳と表示されている。年齢を知らない方からは、見た目の年齢は誰からだろうか常に「30代後半ですか?」と言われる。先週もM&S損保の支店長が会社に来訪されたのだが、彼が頻繁に「お若いのに・・・」と言うので「もう今年の5月で54ですよ。」と言うと「失礼しました。社長は30代に思えましたので・・・」と改めて「年長者に対する失礼なモノ言い?」を恥じたと同時に終始狼狽していた姿が面白かった。自分より若い者を瞬間的に「目下」ととらえる人は、常に「自分より下の立場」の多くの人間に接しており「常に自分は高いところにいる」と言う自負がそのような態度になるのだろうか。私の場合は商売上年齢は全く気にならない、例え客が10代でも70代でも同じ扱いと態度で接する。商売をしている方なら「当たり前の姿」なのだが、銀行や保険会社などの金融関係の中枢部で働く人間は特に欠如しているようだ。それはキャリア公務員と同じく、民間大企業でもエリート社員は「飛び級」で出世するので、いつのまにか自分より年長で社歴の長い社員達を追い抜いて部下となる。そして自分より年長者を叱咤しながら働かせ、自分の肥やしとしてさらに上を目指す・・・。まあ、男の理想としては夢のようだが、人間性は麻痺していくのだと思う。さて、「あなたは神を信じますか?」なんて昔はよく街頭で勧誘されたものだが、私は残念ながら子供のころから「神」も「仏」も信じていない。ただし、お盆の行事もするし墓参りもする。まあ、これは慣習なので何も考えずに行っている。だが、私自身昨年の脳梗塞で瀕死の状態の時「現在の世界」以外にも「別の世界」があるのではないか?と感じたのである。その時のベッド上の私の姿は「身動きできずに機械で酸素を送り点滴で栄養を補充する」まるで植物のハイドロカルチャーのようだった。つまり私以外の第三者?が私の体を抜けてその状態をベッド脇に立ち?そこで見て?今でも覚えている。さらにもっと驚いた事に病院の内部建築構造がレントゲンのように見えたのである。鉄骨の合間を様々な配管がめぐらされており、患者のベッドの頭の上に集中して出口ノズルまで繋がっている・・・。実際意識は無かったし、意識を取り戻しても全く動けない状態だったので見ようと思っても「頭の上のノズル」も見えなかった。なのに、「夢」でその配管ノズルがある事は知っていた。また離脱した「私」はイタリアにも飛んで「観光」をしている。街の名前は解からないが匂い・風・人の喧騒や言葉が飛び交い、さらに建物にもふれて感触も覚えている。書かれた文字を見て「へ~こんな時代の建物なんだ」と教会を見上げてみたり・・・。家内に言わせれば旅行前日の入院騒ぎであり、「よほどイタリア旅行のキャンセルが悔しかったのね!」と笑って信じないが、はっきり言って「夢」とは全く違った体験だったのだ。何が違うか?それは「体験時間が長かった」と言う事だ。誰でも夢で「リアル」な夢を見る事があるだろうが、それってなんらかの「矛盾」があったり不自然なストーリーだったりするが、私の体験は3Dと言うよりも「間違い無くその地にいた」気がするのである。ただし不自然だったのが移動である。動くのに足が地に付いていない・・・。人にぶつかるのだが不思議に当たる感触が無くすり抜けるような感じ・・・。なぜそれが解かったかと言うと、私が右側の建物を見ながら浮遊するみたいに移動していた時、正面から来た太めの中年の白人女性とぶつかってしまっった!と思った。急ぎ後ろを振り返り「エクスキューズミー」と言おうとしたのだが、その女性は大きなお尻をぷりぷり揺らして去っていった・・・。・・・で「夢?」の世界の中で「自分は幽霊になったのだろうか?」と真剣に考え、そう言えばさっきから自分の体が自分の視界に一切登場していない事に気付いたのである。壁に手が触れた感触や、風、そして街の匂いまで感じるのに・・・。あまりにもリアルな世界。だから「もう一つ別の世界があるのかもしれない」と思ったのである。さて、「54歳」と言うある意味「恐怖」の年齢と、20年前と10年前に偶然知り合った2人の女性霊媒師?から言われた言葉が今になり現実味を帯びて来たので、ある意味「覚悟」をし始めた。・・・と言うのが今の私なのである。一人は20年前に知り合った顧客で当時75歳。独身で家族親族は一切いない。さらにJR小岩駅前に土地を持ち資産も豊富にあった・・。もう一人は韓国人の方でしかも日本語が全く話せない。顧客で韓国人の奥様が通訳してくれた時の話。お二人とも今は亡くなっている・・・。なんとその二人とも私に対し全く同じ忠告をしていたのである。そしてその忠告を今まで全く信じていなかった・・・。今までと言うより昨年の2月までだが。もう朝になりそうなので、続きは次回と言う事で・・・。その時に「45歳」のキーワードをお知らせします。
2012.04.14
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26日から29日までの平均睡眠時間は約2時間だった。毎年同じような愚痴を書いていていささか自分でも情けない・・・。今日は四時には床に入れそうである。なので今久しぶりにブログを更新する事にしたのである。以前はどんなに忙しくても大体2~3日おきには更新しができたのだが、最近はそれが本当に難しくなってきた・・・と言うより「ブログの事さえ頭に浮かばなかった」と言うのが本当だ。3月末の年度変わり、特に金融機関や保険会社も含め企業は年度末は「少しでも業績を上げる為、多く数字を積んで終わりにしたい」と言気持ちがあるので、それらの営業マン達から私のところにも「最後の一声」がたくさんかかって来るのである。・・・というより昼間に事務所に来る人がやたらと多くなる時期でもあるのだ。毎回訪問を断っていても「最後」となれば嫌応なしに時間を作らなければならなくなる。「30分だけなら」と了承しても、いざ話始めると1時間はあっという間に過ぎてしまう。我家の来客用駐車場は、「出待ち」の営業マンの車が順番待ちをしている状態が数日続いていたのだ。当然、事務仕事は電話もかかって来ない夜9時以降から始めるしかなく、しかも例月の10倍近い仕事があるので半端なく忙しかったのである。理由は「公務契約」つまり役所の契約を多く抱えているので、毎年4月1日付けの書類が山積みになってしまうのである。一日でコピー用紙一束、つまり500枚がプリンターから消えて行く。・・・と言えばどのくらいの分量か何となくご理解いただけるかもしれない。プリンターインクだって2セット用意していないと(黒は3セット)全く足らない。それでも数年前は意外と悠長にやっていけたのである。来訪者がめんどくさいので信州の妙高高原のホテルに4~5泊し、家族はスキーをして私はパソコン・プリンター・インク・紙束・仕事道具一式を持参し現地に移動オフィスを設置して向こうで仕事をしていた。つまり経済的にも身体的にもそんな優雅な仕事ができなくなってしまったと言うのが事実であるが・・。一方、この次期は人事異動の季節でもあり特に金融機関の担当者は2年程度で転勤してしまうので「引き継ぎ」もしなければならず、やはり優先的に会わなければならない。今年も男性「損保会社の営業」担当者が1名異動となり茨城に行く事になってしまった。近年は「損保会社」の合併が続き、システムの変更やら弊害が多く出て来て担当者には毎日文句を言っていたものである。ただその担当者は私が昨年脳梗塞で倒れた時に家内の事務補助として、事務所に朝から夜の11時過ぎまで手伝ってくれていた恩人でもある。なので、文句を言っても「彼が悪い」のではなく会社に対する?と言うか会社の対応に文句を言っていたのであり彼には感謝の言葉も無かった。そこで彼には私のコレクションの中から「お気に入りの腕時計」を一つ進呈した。・・・でもう一人異動することになったのが、30代独身の女性生保営業担当者である。この場合の「営業担当者」とは「生保のおばちゃん」ではない。一流大学を出て、総合職として知識を武器に営業する今までは男世界だったポジションの方になる。なので見た目は美人さんなのだが、ショートカットで「男っぽく」て、私も女性を意識する事はなかったのである。狭い事務所に二人きりで朝から昼過ぎまで話している事も事も多かったのである。彼女の場合当方の仕事内容を十分把握しているので、月や週の合間で「私が暇な頃」を良く把握しており「営業」ではなく「遊びに来る」感じだった。家内の受けも良く、その彼女が来ていても「私約束があるから夕方まで帰れないから・・・」と二人にして出かけて行ってしまう位だった。もう一人の「損保会社」の営業担当者も30代独身女性であり、彼女と事務所にて二人きりになってもそのまま放置して出かけるのが常である。まさか「こんなオヤジが女性にモテる訳が無い」とでも思いこんでいるのだろう。万一間違い?でもあったらどうすると言うのだ。基本的に「オヤジ」=「スケベ」なのだ。若い諸君と異なりバブル時に遊びまくった今の50代オヤジ連中は、70歳80歳の「爺様」になっても「スケベじじい」つまり「肉食系ジジイ」となるだろう。・・・で、今回転勤する女性は月に3~5回は着ていたが、仕事で来る事は少なく世間話や昔話などを話して過ごしていた事の方が多く、当然のように毎回「お昼ご飯食べに行こうか?」となっていた。一年の付き合いで、正直言ってなんでも話せる間柄になっていたのも事実だった。先月冗談で「もう少し化粧でもして来いよ」と言ったら、マジで化粧してきて心臓バクバクになった覚えがある。そこで「脳梗塞経験者は心筋梗塞になりやすいから脅かすな」と怒った程だ。女性は本当に化粧や香水で全く別の人間に変身してしまうから「恐ろしい」ものである。その時は本当にドギマギして話辛かったので、丁度イタリアから到着したばかりのブルーの織り方が綺麗なミッソーニの春物ハットをプレゼントしてしまった・・。本当は家内へのホワイトデーのお返しにしようとしたのだが、家内は顔?頭?がデカイので入らなかったのだ。彼女が被ると本当に爽やかで良くにあうし「こんな素敵なプレゼント頂いた事無い」と大喜びしてくれた・・・。なので、それから勘違いされたのか?いや、私は勘違いされても良い・・・。だがこの関係があと一年続いていたら・・・と思うと、彼女の今春の転勤は正しかったのかもしれない。実を言うと今日の夜11時半ごろ私の携帯に電話があったのだ。送別会が終わってその直後らしい。内容は今までの仕事のお礼から始まり、いつもここに来る事が「癒し」だったと言う話。そして最後になると泣きじゃくりながら「お別れしたくない」「本当に好きだったから・・」とか「大好き????だったの・・・」と。いささか驚いた私は「もしかして酔っ払ってない?冗談はやめてよ、オヤジをからかったら怒るよ」と言うのが精いっぱいだった。久しぶり?に女性から「好き」と言われた私は、気が動転して情けないったらありゃしない。ただアブラ汗を垂らしながら彼女の話をじっと聞くしかなかった。ただ、男としてこんなに嬉しい事は無く、でもどうしようもない。元気な頃なら「大丈夫?これからそっち行こうか?」とでも言えたのに・・・。しかし最後に「近くに来たら連絡しなよ」と言うのが精いっぱいだった。とは言ったものの本当に連絡して来たらどうすればいいのだろうか?風呂上りの家内に「●●さん転勤だって言ったけれど、さっき電話があって今まで僕と会うのが心の癒しだったってマジで言ってくれたよ」と嬉しげに伝えたら家内はこう言ったのだ。「あなたは本当にバカで単純ね、基本的に生保の女性は口がうまいのよ」と嘲るように笑った。男として?スケベオヤジとして?どちらが本心なのか?ただの営業トーク?これじゃあ想像が膨らんで?気になって?今日も寝られないじゃあないか!
2012.03.30
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「3.11」が近づくにつれてTVの震災特別番組が多くなってきた。忘れてはならない教訓なのだが、あの大災害に匹敵する「首都圏直下型地震」のカウントダウンも始まっているのは間違いない。東北三県の場合は「津波」が死者の殆どだと言う事は事実だが、阪神大震災の時は建物倒壊による「圧死」とそのまま火災に巻き込まれた「焼死」が圧倒的な亡くなり方だった。この「首都圏直下型」の地震はまさに「阪神大震災」タイプの地震であり、震源が東京湾の直下であれば「津波」もこれに加わる。つまりダブルパンチを東京・神奈川・千葉は受ける事となる。要するに今、テレビに映る3.11の後の被災者の様子は明日の我が身なのかもしれないのである。家を失い、仕事を失い、首都圏の流通はは止まり深刻な「モノ不足」が発生するだろう。「給水車」が一台来てもマンション一棟の住人分さえ賄う事は不可能だし、家を失った人々は行き先を求めて街を彷徨う事になる。避難所の数にしても、あの東北3県の住民の数と首都圏の住民の数では比較にもならない差があるので一時的に避難しても「その先」の生活は全く想像が出来ない。ここ数日そんな事を考えていると、何をやっても手に着かないと言うか「何をするべきか?」本気で迷っているので、ブログを書く気にもなれなかった。我が家はとりあえず「耐震」「免振」住宅なので、「横揺れ地震」ならば建物倒壊はないだろうが、真下から突き上げるような「縦揺れ」の地震なんかが起きたら?どんな免振住宅でもひとたまりもないだろう?なにしろそんなどこで発生するかわからないピンポイント直下型の地震に対応するような免振構造なんか設計されていないし存在しない。今日もTV報道で家の下に「鉄球」を配置して家が地面との間をゴロゴロ転がって揺れを抑えると言う装置を紹介していたが、「直下型地震」の地面の下から蹴飛ばされたかように家が飛び上がってしまったら全く意味を成さないと言う事なのである。・・・と書いている間にも私のPCは緊急地震速報を受信して福島県海岸部を震源とする地震の到達時間と予想震度の警報を鳴らしている。カウントダウンの後、軽くユラリとしたような気がした・・・。我家の位置における今の地震のは震度3だったようだ。PCの警報がならなければ気付かないレベルだが、「震度」という単位は最高で「7」までしか無いと言う事をご存じだろうか?つまり「6強」の上が「7」と言う単純な数値では無く、これ以上はカウントできない規模である事も含めて7と言うレベルでまとめているにすぎないのだ。普通「弱」と「強」では強さの差は「弱の1.7倍」に相当すると聞くが、東日本大震災の最大震度が6強だとするとそれが「7」になると、あの大地震の「2倍以上の破壊力」が首都圏のどこかに発生すると言う事なのである。それが「どこの場所の直下」なのかが問題なのだが、発生してしまったら例え家屋がなんとか残っていても職を失う事は間違いないだろう。さて、その後は何をして食っていけばいいのか?その事を本気で心配している毎日なのである。後で後悔しない為に?と思って食料と飲料水の備蓄と、最低生活ができる日常品の備蓄だけは準備できているのだが、その後はどうなるのだ。つまりその「備蓄」を使い果たした後の事だ。まさか「その先」と言う状態までは考えてもいなかったのだ。さて、どうする?
2012.03.09
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よく聞く話だが「運がいい人」とか「運の悪い人」とか言われる方がいるが、生きている人に対して本当に「運」と言う偶然は存在するのだろうか?例えば宝くじに当たった人を「運がいい人」と呼ぶにしても、先ず「宝くじを買う」と言う努力をしている訳で、買っていなければ最初から「運」は来なかった事になる。つまり「運」は何らかの努力して得るものなのかもしれない。ところがだ、逆に「運の悪い人」と呼ばれる人は何もしないのに不運が勝手に向こうから訪れてしまうから困ってしまうのだ。実は先週の私は「運の悪い人」だった。先週「朝から雪が降る」と聞いたので、その前日に仕事を集中して処理して回ったのだがいつもの顧客事務所脇のコインパーキングが満車だったので、「数分で済む」と思いその事務所前に駐車したのが先ず悪かった。ほんの数分だったが、「駐車違反」のステッカーが貼られていた。このぐらいなら「う~ん悔しい」程度の運の悪さだが、この日は違った。悔しかったけれど仕事は続けなければならないので、次の目的地に向かった。場所は「新大橋通り」そこは路上のチケット制パーキングが並ぶ道路であるので、そこに駐車してきちんとチケットを購入し、窓ガラス内側に張り付けて仕事先に向かったのである。訪問時間は一応30分以内が目安だったのだが、少し遅れてしまったのである。まさか?と思ったが、しっかり違反チケットが貼られていたのである。一日に2回も捕まり、違反金は合計3万円也!もう心はズタズタで、気力を失いそのまま銀行に行くと銀行の駐車場は月末と言う事で大混雑。そこで、今度こそはとコインパーキングに駐車して銀行手続きを終えて駐車場に戻りコインを投入。すると200円入れたがそのまま戻ってきてしまう。違う100円玉を入れてもまた戻ってしまうのだ。私の後ろに他の客が並んでいたので先に譲ると、その方の料金は800円と表示されたので1000円を投入していた。ところが今度は200円のお釣りが出て来ない。そうこうするとすでに4~5人が列に並んでいる。仕方なくその方も後ろの方に順番を譲るとやはり私と同じでコインが戻っていた。その状況を見たところ1000円札を入れた場合は釣りが出ず、コインだけの入金は弾かれると言う状態だったので、他の客が管理会社に怒りの電話をかけたのだ。見ていると1000円入れた人は、おつりが出ない代わりにロックが解除されて車は出せるようになっていた。なので、それを見た人達は1000円を投入して自分の車を駐車スペースから頭半分だけ出して管理人を待っていたのだ。それを知らない「新規入場車」の運転手は「おい!出るのか出ないのかはっきりしろ!」と怒鳴り、まさに一触即発の緊張状態になってきていた。20分程するとアルソックの警備会社の車が来て、対応を始めたのだが料金支払い機のケースを開けて「皆さんおいくら投入されたのですか?」とそこにたむろす人達に尋ねると、皆さんは「・・番に停めて1000円」とか言って警備員から1000円札を貰っていた。・・で私の番になり「おいくら入れたのですか?」と聞かれたので「200円です」と答えたら、「無料でけっこうですのでそのまま出して下さい・・・」バカ野郎、30分も待たせているんだぞ・・・。と内心思ったが最初からみんなのように「1000円」と嘘をついた方が良かったのか?とにかくムシャクシャして自宅に戻ると、今度は自宅パーキング入り口の反対車線に「COOP」の配送トラックが停まっており運転者も不在だった。その路地は車がやっとすれ違える幅の道なので、自宅Pにバックで入るには車の頭を目一杯そのトラックが停まっている場所まで右に切らなければならない。・・・で右のトラックに擦らないようにゆっくりとハンドルを右に切りながら前に進むと「ゴリゴリ、グシャリ」と言う嫌な音が左側面のドアから聞こえたのである。トラックはそんな私の「醜態」にも気付かずいつのまにか「すみませんでした!」と言いながら立ち去ってしまった。まあ、自爆なんだから仕方が無いが・・・。無事に駐車はしたものの「左側のドア」は電信柱との戦いに敗れて瀕死の重傷だった。本当に「腰が抜ける」と言う感じは、あの状態を言うのだろうか?今日一日何と言う「運」の悪さなのだろうか?と思っていたがそれだけでは無かったのだ。その後急用があり、顧客先に行かなければならなくなったが「事故車」に乗って行くのも悲しいし、もう一台の軽自動車である「アイ」に乗って出かける事にしたのである。今度の運転は慎重に・・・。路地もゆっくり、安全運転。顧客先に着いてそこのお宅に停めるのだが、そこは道路に並行した壁に沿って「右側」にぴったりと停めて左側のドアから出なければならない場所だった。慎重にバックさせながら、右に幅寄せしていたところ、またしても「ぐしゃぐしゃ」と言う嫌な音が今度は右後方のバンパーあたりからするではないですか。「だってココは障害物無いでしょう?」と思って降りてみると、高さ50cm位の丸い鉄製の「クイ」みたいなモノが塀際に立っていたのである。それはT字露なんかで車がバンパーで自宅の塀を擦らないように防止するための「車避け」だったのだ。まあ理由なんてどうでも良い、とにかくまた車をぶつけてしまったのである。こんな不幸な男の話を聞いた事あるでしょうか?駐車違反で一日2回捕まり、自分の車2台を自爆事故でぶつけてしまうなんて・・・。そんな時、人間の頭は理解不能なのでしょうか?ヘラヘラ笑ってしまうものなんですね。音に気付いた顧客が「車、大丈夫ですか?ここよく擦るんですよね・・・」と心配していたが、私がヘラヘラしていたので大丈夫だったと思ったらしく・・・。自宅に帰ると家内が「運の悪い日は動かないでじっとしていればいいのよ」と言うが、そこまで運が悪いなんて思って生活している訳でもなく、ここまで「運」が悪い人もいる訳が無いと思うだろう。まさに「想定外」の出来事であり、しかもまぎれも無く現実で精神的にかなりの「痛み」を伴うものだった。車の修理は普通ディーラーに出すが、実を言うと「保険会社の紹介修理工場」に頼んだ方が楽なのだ。普通、自爆事故では代車は出してもらえない。しかも「入庫日」なんかを指定されて、直しにかかるのは双方の都合の付く日になってしまう。しかし、保険会社の提携修理工場に出せば、すぐに代車を持って車を取りに来てくれて対応してくれるので結構助かるのだ。しかも仕上がりだってディーラーに依頼した仕上がりと変わる事は無い。なぜならば、ディーラーだって自社では板金修理はしない。と言うかできないので指定工場に持ち込む形となるのである。だから修理日の都合が付きにくいのだ。まあそんな事はどうでも良いのだが、軽自動車の修理はまだ考えていない。保険で綺麗に治るのは解かっている・・・。だが、また何かありそうで怖いのである。だから一台は当分修理しないで過ごそうと思っている。それは自分を戒めるためでもあるから・・・。
2012.03.02
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最近はこのブログを更新するのが大変になってきた。・・・と言うよりも精神的なゆとりが無くなってきているのかもしれない。そんな時に、一人暮らしの長男が神奈川県の某街から3時間かけて我が家に帰って来てくれる事が何よりも楽しみになっている。今日も会社が終わり、支社の全員が帰宅したのを確認してから会社のカギをロックして「これから帰るね」とメールがあったのが22時45分。小田急線で新宿まで行き総武線中央線で帰宅するのだが、我が家に一番近いJRの駅に着いたのはやはり日付の変わったAM1時50分だった。雨が降っていたので駅まで車で迎えに行ってあげたのだが、家内は「甘やかさない方がいいわよ」と責める。確かに一人っ子で甘やかして育てたのは間違い無い。彼が生まれてからの23年間は、何だかんだと言っても日本の景気は良かったのである。収入だって今の4倍以上あった。だから3歳から幼・小・中と「お受験」をさせてあげる事ができたし、大学に進んでも「法律の勉強をしたい」と言うので2年間「大原」にWスクールもさせた。別に司法試験を受ける訳でもないが、所属していた法学部でイニシアチブを取るには「陰で専門知識を養っておいた方が良い」と言う彼の考えに賛同したからに相違ないが、何の事は無い「これも学校の勉強についていくための塾」だったと言う事である。そんな大小合わせた塾代を含めた20年間の学費は総額でいくらになるのだろうか?軽く3,000万円を遥かに超えて4,000万円近い費用がかかっていると思われる。家内は「これから元を取らないと」と言っているが、どう考えても長男から金をむしり取る事ができるのは独身時代の残り数年だけである。しかも彼のハードワークを見ていると、気の毒でしょうがないのだ。最大手でもある一流企業はそんな兵隊の給与を上げすぎると、社会保険や厚生年金の負担が増えてしまうので「福利厚生」を良くして社員をつなぎとめていると言う姿が見え隠れする。以前マクドナルドの社員給与について「月々の基本給は低く抑えて、ボーナスを10カ月分にする」みたいな事をやっていて問題になった事がある。その理由は当時の厚生年金でも社会保険でもカウントする給料算定月が確か、5・6・7月の平均給与で決まっていたと思う。その期間に高額給与を貰う人は最悪だ。レジャー産業に従事する人なんかはゴールデンウイークを含めて、最も給料が高い時期に算定されてしまうとその料率で一年間同一金額で引かれてしまう事になる。その月に平均給与が残業代も含めて40万円貰えていたのが、冬の時期は20万円しか貰えなくても引かれる保険料はコンスタントに毎月40万円の給与を得ている社員と同じ額を払わなければならない。・・・なんて矛盾があって憤慨したものである。実は私が大学卒業後に最初に勤めた「役人」の頃のセクションがまさにそんな感じだった。本当に「秋から冬場」の手取り給与は、バイトの臨時職員より低かった思い出がある。今はだいぶ改正されたとは思うのだが、今でも同じでサラリーマンは所得の誤魔化しが効かないから気の毒なのである。さて、そんな今日の午後税務署から電話がかかって来た。本当に心臓に良くない電話である。しかし内容は『貴社は1月決算なのでその際に「eータックス」で申告してもらえないか?』と言う事だったが「税理士さんにまかせているので」と断ると「税理士さんに伝えて貰えれば大丈夫ですから」と食い下がる。そこまでして「電子化」させたいのだろうか?中小企業の経営者や確定申告をしなければならない人なら経験があると思うが、この時期の税務署は「戦いの場」でもあったのだ。私も「個人事業主」として青色申告をしていた頃があったが、担当官によっては項目チェックで文句を言われる事もあるし、ダメ出しされて再提出させられる事だってあったが、そこには少なからず「人間」が存在していたのである意味「お願い」が通じたのである。その担当官と言う「門番」を通過してしまえばそれで申告はクリアと言っても過言ではなかった。しかしだ、それが電子化されればそうはいかないだろう?想像だが「経費」の支出バランスなんかで、何かの項目が突出していたりすると自動的にチェックが入るようなシステムが組まれているに違いない。・・・で後から「お尋ね」と言うハガキが送られてくる。私も一度この「お尋ね」があったが「●月●日●時に●●税務署まで、●と●の資料を持参して来て下さい」というものである。優しく書いてあるが、要するに有無を言わさずの「出頭命令」に他ならない。だが、ハガキが来るだけならまだ良い方だ。私の同業者の中には自宅やオフィスに「税務調査」がいきなり訪ねて来て大騒ぎになった事がある。ただしこれは脱税の摘発を行う「マル査」ではない、その前の段階の「調査」なのだがこれがまた横柄な方々が優しいような?きついお言葉?で徹底的に領収書やその筆跡まで調べて帰る。そして接待交際費の領収書なんかは社長の「行動予定表」や「手帳」に記載された行動日時と合致しているか?とか矛盾を探すのである。本当は5,000円しか持参しなかった?領収書の無い葬儀の香典を適当に嵩上げして書いた「香典として3万円」なんて気楽に書いて支出にしておくと、当時の「手帳記録」やらその他の領収書を持ちだして、さらにその時の「参列御礼文書」などの証拠まで調べられるのだ。そして『この日は18痔に顧客への手土産としてケーキを●●デパートで購入し、その後「お通夜」に参列して、その後は銀座まで出かけて?喪服を着たまま?4名で?イタリアンレストランでお食事ですか?さらにその後は新宿のスナックで二次会という日程でしたのですかねえ?そこまで盛り上がれば仏さんもさぞかし喜んでいたでしょうね』・・・と的確で有無を言わせない事実の矛盾まで指摘されて・・・。ちなみにこれは実際のお話です。今では税務署も「気の毒?」に思ってくれる程所得が減ったが、まさに「東日本大震災」「台風災害」「タイの洪水」「超円高」そして「不安定な政権」このプロセスが確実に日本経済を破壊した。たった1年で本当に日本は壊れてしまったと感じている。だが、今の日本の若い人達やあまり影響を体感できない一般国民、さらには高額年金を貰って過ごしているようなご老人などは殆ど気付いていないのかもしれないなあ。4月以降秋まで?とにかく心配で夜も寝られないのだ。
2012.02.24
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先日何かの相談記事で、「自分が死んだら着信メールの保存やブログのページ管理などはどのように扱われるのだろう?」と心配している方がいたが、口座から携帯の料金や会費相当分が引き落とされている限り続き、途絶えたら自然廃止になるだろうと言う事だった。確かに一か月以上入院して自宅に戻り、メールを開いたらとんでもない事になってしまった事がある。メール総数は軽く3000件を超えて、受信メールをダウンロードするのだけでも大変な時間を要してしまったのである。本来ならば管理サーバーの元にログインして元で消去してしまえば簡単なのだが、重要なメールも点在しているので、やはり一通りタイトルと送信者だけでも全文目を通さねばならなかったのだ。さらにダウンロードしている最中にパソコン自体が調子悪くなり中途で中断するとまた大変な事になる。つまりおかしくなった時点では、まだ全文をダウンロードできていなかったのでそこでもう一度受信を始めると「最初のメール」から再びダウンロードして同じメールを繰り返して表示される事になる。最終的には同じメールを4通づつ受信する事になり、合わせて10,000通近いメールを「目を通しながら」消去しなければならなかったのだ。中には「入院お見舞い」を兼ねてのメールも点在するので、後でまとめてお礼のメールを返信せざるを得なかった・・・。もう二度と入院なんかはしたくはないが、次回入院する事が事前に解かったら小さなB5サイズのノートパソコンは絶対に持参しようと思っている。eモバイルもあるしネット接続もできるのでPCが一台あれば暇な時間も何とかなる。実際5月に2週間入院した時は真っ先に用意して使っていたが、その時はパケットが「使い放題」では無かったので結構金がかかってしまったと言う記憶もある。それでもPCが一台あれば、銀行決済もできたし仕事もする事ができたのである。しかし、最初の入院のように右半身不随のような状態になってしまったら?動けないので意味は無いのだが、当時一番の「希望」は病室から動かない右手に代わり左手で「携帯メール」でこのブログを更新続けた事だった。左手一本しか使えないと言う事は、それはそれは大変な作業であり記入途中で操作を誤り全文消去されてしまったりなんて事もあった。そこで今になって気付いたのだが、人間はいつどうなるか解かったものではない・・・と言う事。だから、「万一の事」を考えて「正確に指示を残す」必要があると思ったのである。それは「遺言」ではなく「家族への指示書」である。実は、今空いた時間を使って一生懸命その「死後・植物状態等の動けなくなった場合の指示書」を作成しているのだ。だからブログ更新もできていなかった。やっているとサラリーマンとは異なり、会社を経営していると膨大な指示書が必要になる事も解かった。いつ?どのようなタイミングで?誰に?何を伝え?どのように動いてもらうか?印鑑や重要書類、返却するモノから処分しなければならないモノ。銀行口座が凍結される前にとりあえず銀行預金からお金を下しておく必要も。その金額や使途。会社取引先への対応や、中途状態になっている契約の流れを変えたり会社経費の引き落とし口座の変更もしなければならない。さらには、会社・個人の土地・建物当の登記変更まで考え、さらに顧客への説明文書の作成・・・。何しろ私に万一の事があった時に残された家内では何もできない事が解かっている。その為、パソコンでアクセスする必要がある仕事では「ID」「パスワード」も伝えておかないとならない。さらに面倒なのがアクセスするパスワードは、各社三ヶ月ごとにパスワード変更をしなければならずしかも時期が異なるので「共通パスワード」とする事も出来ないので、その作業の指示書まで造る必要がある。これらを考えていたら果てしなく膨大でキリが無い事がわかってきた。逆を言うと「ワンマン経営者」が亡くなった場合、残された者がどれだけ苦労する事になるのか?が解かっただけでも良かったと思っている。また身辺整理も重要だ。「残しておきたく無いモノ」「見られたくない?物」も処分する必要もあるし、ヘソクリだって公開できるような手段を考えておく必要があるのだ。事実、残されたヘソクリ口座が宙ぶらりんになっていた時、それが気になったのか?亡くなったはずの上司S課長がその夏のお盆に幽霊となって現れた事があった。会社の赤外線アラーム警報機が発報し、警備員が行くと誰もいない。その状態が夜間に一日に数回。それが8日間毎日連続して起きていた時の事。警備会社はセンサーも交換し故障していない事も確認し、・・・で9日目の夜中、警備会社への自動通報があった時に、事前に駐車場の車の中で待機していた当時の新しい新任課長と私と警備員の3名が会社事務所に恐る恐る入ると・・・。S課長が生前座っていた席に、なんと「リアル」にきちんと「3D画像?」と言うか、「生身」に見えるS課長が座っていたのである。(透き通る事も無く本当にカラー?で生身と同じ身体に見えた)これは3人が同時に目撃しているので間違い無く、「S課長どうしたんですか?」新任課長が声をかけた瞬間にその姿が瞬間移動のように消えたのである。そして翌日スタッフ全員で事務所内を捜索すると、ロッカーの上にS課長の私物が入った段ボール箱が一つ残っており、開けてみると預金通帳とカードと銀行印が入っていたのである。金額は25年前の頃だが、確か250万円位あった。そしてそれらの遺品を奥様の元に届けて仏壇に置くと、「翌日からアラームは鳴らなくなった」と言う真実の話がある。本当に私が見た幽霊?と言うか?伝えよう?とする怨念か?であり、死んでも気になるような事は残さない方が良いのだろう?・・・と思った瞬間でもあった。なので、今生きている内に必ず「指示書」は作っておいた方が賢明だと思うのだ。幽霊になって「家族に伝える」ような事は、家族も良い気はしないだろうから・・・。
2012.02.18
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「日本の国債は大丈夫か?」との懸念から大手生保が銀行窓口で販売している「一時払い養老保険」を売り止めする方向でいる。日本の国債が将来的に「ギリシャ・イタリア」のようにならないか?との懸念からなのだが、要するに国内で資金調達できていた今までは何とかなっていたのだが、このままの状態では民間資金が国債へ流れなくなる「始まり」なのだ。実は家内もヘソクリを「東北支援のお役に立てて」との善意から今回の「復興国債」を買おうとしたのだが、我家の銀行担当者から「国債には手を出さない方がいい」と言われて他の海外債権投資に回したらしい・・・。確かに外貨差益などの「為替で云々」以外に、長期的に見れば資源国家であるオーストラリア債権の方が将来的にも安定していると思う。こんな小さな「金」を扱う主婦すら「絶対安心神話」があった日本国債に手を出せない状態なのだ。つまりこのままだと「仕方なく金利を上げて」海外の投資に頼るしかなくなり、結果日本の国債が巨大な「投機対象」となる。海外の一部投資家がマネーゲームで大儲けをしつつ、言わば日本の国債は日本の意思で扱える範囲を超えて乱高下してしまう懸念が強くなった・・・と言う事だ。大量の国債を買って運用していた生命保険会社の保険は、国債の価値が極端に下がれば既契約者の中途解約も生じるだろうし支払いの為に保有国債を売却せざるを得ない。そのような事態になると生命保険会社はバブルの処理と同じように?高く買ったモノを安く売るいわゆる逆ザヤになる。前回は「土地」だったが今回は最も安全のはずの「日本国債」だから?たちが悪い。バブルの後、今までに金融機関や保険業界が買い付けた保有額のケタが違う。・・・と言う事はまたまた「逆ザヤ」で大損した結果、もっと大きな保険会社だってあの時の千代田生命のような破綻もありうるだろう?そんな経済状態の時に先日懸念していた「大震災」が関東や中部関西で起きたらどうなるの?今の経済危機をなんとか堪えたとしても、新たな「震災」が続けば日本経済は100%無理である。つまりもっと大量の「高金利の復興国債」を海外投資機関に買ってもらわないと資金調達ができない。さらに露呈するのが今までに蓄えた国家が抱える巨額「累積赤字」だ。当然、国債価値の取引はは「暴落」から始まる。それはイタリアやギリシャの比ではない。世界的?前代未聞の国家破綻?想像できないだろうがとにかくケタが違う。最悪の場合、国の国土を切り取って他国に売るか・・・。・・・と言うより、不良債権となった巨額国債を中国やロシアが保有したら?「土地で返せ」とまでになるかも?しかしこんな日本だって「資源」が豊富に眠る国で海外に「売る物」が有れば何とかなるのだが・・・。資源、それは原油・天然ガス・金銀プラチナ・メタルアース・・・。国会議員が国会で子供の喧嘩のような「ゴタゴタ」なんかやっている暇なんてないだろう?メタンハイドレートでも良いし、日本海の天然ガス開発でも良い。とにかく将来大規模「国家収入」を得る事ができるような「事業予算」を最重要課題とし、真っ先にやるのが一番の課題だと思うのだ。その結果「大量資源の獲得が現実的に可能になりそうだ」と言う「情報」だけで日本国債の暴落は防げるだろう。日本はまさに一刻を争う時期にきているのに、議員も役人も誰一人気付かないのだろうか?中国や韓国は一昔前から気付いているんですよね・・・。だから近隣「海洋権益」に固執して、中国はとうとう航空母艦まで準備した。向こうは「早いもの勝ち」だと思ってやっているんだから、日本も負けずと中国の試掘探査のすぐ横で同じ事を堂々とやればいいんです。それならお互い様なんだから文句も言えないでしょう?勝手に試掘されて「遺憾です」なんて言ってる政治家の方がイカンですよね・・・。大阪の「橋本塾」塾生募集に大勢の方がエントリーしたそうだが、橋本さん!国家を動かすには金が必要だ。どうせなら大阪商人らしく「国家プロジェクト的儲け話」を優先してやってみないかい・・・。さて、こんなオヤジが一人ヤキモキしている時に、家内は「箱根」の温泉に遊びに行っている。小田急「新宿発二日間乗り放題チケット」を買って友人と遊ぶつもりで行ったらしいが・・・。ザマアミロー!明日の箱根は雪だぞ~。
2012.02.13
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先月まで小さな地震が頻発していたが、小康状態になってきたのかな?と思ったら先日「ドン」と軽く付き上がる感じの地震があった。ところがテレビでも「速報」テロップは流れない。・・・で気のせいか?と思ってパソコンを見ると有料で登録している「緊急地震速報」画面が開いており震源地の地図が表示されていた。我家の場合、一昨年の4月に建築したミサワホームの免振装置が壁面に設置された家なので地震の横揺れは殆ど感じないのである。あの3.11の震度5弱の地震でさえ家はあまり揺れなかった。だいたい普段でも震度4位は感じないくらい横揺れには強い。しかし阪神大震災のような直下型の突き上げるような「縦揺れ」には対応していない。これはどんな最新の免振住宅でも例外ではないだろう。つまり一昨日の「突き上げるような揺れ」は地域限定的な直下型タイプの地震に相違ない。気象庁の広域地震計においての公表目安震度は解からないが、当方のPCに表示された想定震度は3となっていた。気象庁が管理する地震計には些細なごくありふれた地震だったに違いないが、ごく限られた範囲の地震だった事になる。ただ、なぜ今日この問題を取り上げたかというと先日の地震の震源地は千葉県内陸部の「白井市」であり震源の500m脇には京成エアポート特急「成田スカイアクセス」の線路がある場所なのだ。実を言う最近気付いたのだが、この成田に向かうスカイアクセス特急が通る路線は「北総線」という京成と都営線を結ぶ連絡路線であり、昨年から頻発する何回かの地震がこの沿線の地下で発生しているのである。一昨日の震源地を見て「あれ、またこのエリアだ」と感じたのである。前回も含めて気象庁の地震速報は全く流れなかった地震だったが、「突き上げる感覚」は共通しているのである。もう一つ震源として多いエリアが千葉市の港湾部。だいたい千葉ポートタワーがあるエリアだ。4年以内に70%の発生確率として「東京湾北部震源域の直下型地震」を発表した東大の先生は、今マスコミや学会から袋叩きに逢っている。「余計な事言いやがって」「売名行為だ」と言われているが、私からしてみれば「明日起きたらどうしよう?」と思うぐらいに緊張している。神経質?と思われるかもしれないがグーグルで番地を表示すると自動的に「標高」が出て来る。いい加減な高さかもしれないが、付近の高低差から比べるとまんざらでもない数値かもしれない。・・・で、我家の家の標高は海抜9mとなっており、東京湾の津波を想定しても助かる高さである事が解かった。そこでとりあえずコツコツと「備蓄」を始めているのだ。人間の力から言えばそれぐらいしかできないからだが、やらないよりやっておいた方いい。実は東大の先生もソレを言っていたのである。別にいい加減な意味で世間を煽ったのではない、当日の新聞の片隅に「準備を怠らないようにとの喚起が目的です。」と書いてあったではないか。そこで近くにある「ジェーソン」という超ディスカウントショップで、やたらに安いペットボトルの水やらスポーツドリンクをケース買い(500ml24本入りで500円以下)したり、缶詰や乾燥食品、カセットガスボンベ、ティッシュペーパーにトイレットペーパー、ゴミ袋に使い捨てのマスク・・・。物置のキャンプ道具をチェックしたり・・・。そこで思いだしたのが「車のシガーライターから取れるDC電源」100Vも取れるのでアンペアの低いノートパソコンやスマホは平気で使える。これも出て来た。つまりこれさえあれば停電でもどんな場所でもインターネットが出来る環境が得られる事になる。とにかく考え始めるときりが無いけれどやらないより良いでしょう?あの被災地を訪れた事がある方なら「今直ぐに準備しなくちゃ」と感じるのではないでしょうか?あの3.11からもうじき一年になるけれど、あの時の「モノ不足首都圏パニック」を忘れたらいけませんぞ!今度はあのパニックの数十倍数百倍つまり「被災地」になるのですから・・・。とにかく男としては最低限、家族の生活を守らなければ・・・。
2012.02.08
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最近忙しくて夜中にブログをアップすることもできなかった。同じ忙しさでも金になる忙しさなら嬉しいのだが、殆どの相談が金にならないマイナスの仕事ばかりになる。先日もある中小企業の本社に行ったところ入り口のドアは開いていたが電気も消えて事務所のブラインドも下ろされていた。訪問時間は9時半だったので、てっきり「10時始業だったかな?」と思ったのだが、とりあえず「すみませ~ん」と声をかけると奥からボサボサ頭の社長が出て来て、「悪いねえ、本社の事務所閉めちゃったんだよ・・・」唖然。そこで私が「女の子たちはどうしたの?」と聞くと「悪いけど当分の間暇を出したよ」と。世間的には良く聞くパターンなのだが、この会社は昨年の今頃まで大儲けしていた会社であり40代の社長を含めて彼の弟さん達が役員となり会社を広げていた。車だって1,000万円を超えるレクサスの最上級車種をキャッシュで買ったり、他の若い役員もベンツやら数台を会社の経費で買って乗りまわしていた・・・。それがたった一年でこの有様である。他にも「電気工務店」を経営する会社に行くと、「電子機器・部品がタイで水害に遭いパーツの調達ができず商売にならない・・。」と休業状態になっていた。一般の顧客である中小の会社が不景気になれば、当然我が社の業績も下がる。極端に言えば3年前の半分以下になるだろうか?、幸い子供にも金がかからなくなりその分が浮くので助かっているぐらいだろうか?また昨年の2月9日に脳梗塞で倒れ、そろそろ一周年記念?になる。その後仕事を選びながら徐々に事業を縮小して行ったので、収入が半分になってもそれなりにやっていけたのだ。これがいきなり半分になっていたら、我家も本当はおしまいだったのかもしれない。今は常に「節約」を心がけて「出金」をとことん押さえて生活している。それでも定期的な医療費や薬代が万単位で消えて行く。最も負担の住宅ローンは月々21万円。その内12万円は自宅と併せて建築した貸家の賃料から補填できるがどうしても9万円のローンが残る。後はガス・水道・税金・保険・通信費で20万円。電気代はソーラー発電収入があるので日照の少ない11月から2月の冬場のみ自己負担分は7千円前後で済んでいる。3月になると売電の方が多くなり電機代支出は0円になり、その後は収入に転ずる。こんな状態なので、支出を押さえるのは「食費や衣料費」などの目に見える物が中心になってくる。・・・で、残りはすべて貯める。・・・つもりが残らない。但し家内の老後の人生は心配ないようにしてある。何しろ私が死ねば「ローン」」は全額無くなるし、生命保険の死亡保険が手に入る。すると「賃貸収入」に「寡婦年金」があれば食っていけるだろし、一人でボケそうになったら相続税のかかる不動産なんか子供に残す必要は無い。土地・建物を処分すれば高級老人ホームに入って優雅に暮らせるだろう・・・。ここまで「奥様の老後」までを考えているオヤジなんて滅多にいないだろう?なぜか、これが「多額の現金資産を持たない一般庶民」が唯一資産を残せる最後の方法だからだ。いま、億単位の高額現金保有者は海外不動産の投資に夢中のようだが、もし我が家に数億円の現金があれば間違い無く米ドルに換金すると思う。なにしろ今の「円高」はお祭りの「お神輿」みたいなものだから・・・。外国人の「担ぎ手?」が高く持ち上げてくれているけれど「やーめた」と言って皆さんがいなくなれば「神輿」は地面にたたきつけられてしまうだろう。「超円安」の到来理由は今後の「日本経済」だけではない。今後発生する「自然災害リスク」もある。報道のように4年以内に関東直下型大地震が発生したら?「円」と言うお神輿を担いでいた海外の投資家は慌てて「神輿」を放り投げるだろう。誰だって貧乏くじを引きたくないから・・・。そうなると1ドル120円どころか140円なんて事にもなるかもしれない。4年以内に70%の確率ならば、今後「円」が70円にまで上がったとしても「損した」とは思わず「その日」が来るのをじっと待てばいい・・・。非常だが「大儲け」をする人間は、世の中が非常事態になった時に大儲けする。歴史は語る・・・。戦後の焼け野原の東京もそうだった・・・。戦後大儲けした連中は、今でも東京のど真ん中にビル群を持っている。なら、一般庶民が非情時に生き残るには?単純に考えれば「食糧」供給者である「農業・漁業」従事しかないのかな?戦後を思いだし、解からなければ当時の状況を調べて「混乱期において世の中に何が必要だったのか?」に気付いた人がいたら、その人はきっと「大儲けができる」のでしょうね。さて、アメリカはどうしてもイランに対して「イスラエルを使って戦争をさせたい」のでしょうな?アメリカ様が得意の「他人のフンドシで相撲を・・・」というやり方。戦争が始まればどこかで「特需」が生まれ、不幸にもそれが景気回復に繋がる。だからアメリカはどうしても戦争がしたい。しかも中東には「オイル」と言うオマケがある。北朝鮮なんか相手にしないのは何のメリットも無いから・・・。戦争=原油高騰=産業衰退=光熱費アップ=生産現象=物不足=超インフレ・・・・。こんな時に日本に「自然災害」が来たら・・・。ああ・・・こんな事考えるのも嫌だ・・・。寝る前に思いださなければ良かった・・・。
2012.02.03
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さて、関東地方平野部の雪はほぼ無くなりほっと一安心なのだが、あの雪の翌日の朝は予想通り転倒事故が続出していた。そこでちょっと疑問なのだが、テレビ報道では朝から昼そして夕方から深夜まで首都圏での交通事故や転倒シーンを繰り返し放送していた。それも同じ局内ではすべて同じ映像を流していた。確かに交通事故はすべて事故後の映像だから仕方が無いものの、凍りついた横断歩道を定点観測して「スッテンコロリン」するシーンばかりを集めていたのはどうか?と思うのだ。そこで転んだ人達は朝から深夜まで何十万人の視聴者に「恥ずかしい姿」を披露しなければならない事になってしまったのだが、被害者?は皆さん「顔」が出ているので最低限放映許可は個々で取ってあるのだとは思っている。だが私の疑問は別だ、もし転倒して頭を打ち血まみれになった重症者が出たらどうしていたのだろう。恐らくと言うか間違い無くスタッフが救急車を呼んだりの救済以外にも、転倒被害者に放映許可を取ったり本来の仕事にも没頭するだろう。おかしいのは「転倒シーン」を撮りたい為だけのロケは異常ではないのだろうか?戦場カメラマンは自分の身内が殺されそうになってもシャッターを押すと聞くが、本来ならばその現場で「ここは滑りますから気を付けて下さいね」なんて歩行者に声をかけるのが、正常な人間のする事なのではないのだろうか?実は見ている人は気付かないだろうが、雪が降り凍結した路面で人が転倒するシーンを撮影する場所は毎回決まっている。知る人が見れば一目でわかる都内某所の横断歩道。つまりそれ程「滑りやすい横断歩道」として有名なポイントだからである。あの横断歩道の「白線を塗った塗装部分」は塗らない路面より数ミリ高い。つまり塗らない路面は数ミリ低いのでそこに雪が解けた水が溜まり早朝に「薄い氷」が張るのである。本来ならば「白線」の方がすべるので、人間の心理として黒く表れた路面の方が大丈夫だと思って大股で「滑りそうな白線」を踏まないように歩いてしまう。ところが体重をかけて踵から着地した「大丈夫なはずの路面」が凍っており、当然のように後方へのけぞるように転倒してしまうのである。普通の路面ではそれ程心配するレベルの凍結ではないのだが、横断歩道は渡るのに時間制限がある。朝は忙しい、都心部の信号は長い。なので赤になる前に急いで渡りたい・・・と言う心理。・・・で、歩行者信号が点滅始めると「スッテンコロリン」が多発するのである。まあ、確かに「凍った路面で人が転ぶ姿」というのは、コントでコケるのと違い一般素人でもあるのでリアリティーがあり、本当に大慌てしてしまうシーンが不本意ながらも笑いを誘ってしまうのだ。不謹慎かもしれないが、朝一番で見た時は思わず笑ってしまっていた。それが、ファッショナブルでお洒落な格好をしている人がコケると尚可笑しい・・・。つい「雪の翌日にハイヒールなんて履いて歩くなよ、雪国の常識を知らないなあ・・・」・・・なんて、完全にテレビ局の罠にはまっていたのだから、喜んで視ていたこっちもアホウである。ところが、同じシーンを何度も放映するのを見て「面白くなくなった」事から、この報道はちょっと変じゃないか?と気になってしまったと言う訳だ。さて、今後も寒波が続くそうだが毎年2月3月になると太平洋を進む低気圧が関東地方に近づくような気象配置となってくる。通常なら「雨」になるのだが、今年の場合は100%雪になるだろう。先日だって3日間の雨だったがたまたま寒波の緩みがあったから首都圏は助かったのである。関東の人は気付いていないかもしれないが、あのまとまった雨が3日間すべて雪だったら・・・。なんて考えると恐ろしい事なのだ。その恐ろしい事が今日本海側で起きている。ニュースで見て「雪が凄いなあ?」なんてレベルではないのだ。新潟では「一晩で80cmの積雪」なんて単純に言っていたが、雪が垂直に80cm積もるなんて事ではない。当然の事ながら風の影響で「吹き溜まり」が出来上がる。昔、長野県の「妙高高原」のスキー場で宿泊中に同じ状況に逢った事があったが、一晩でペンションの玄関ドアが開かなくなっていた。2階の部屋から外を見ると窓のところまで雪が積もっており、一見して状況が解からなくなっていた。確か窓を開けたらその下は駐車場だったはずだ。自分の車もこの窓の下に停めていた。ペンションから出られないどころか、当分帰れないかもしれない・・・と思ったものである。実際は2日後に「救助」が来て外から道を作ってくれて出入りができるようになったのだが、その時点でペンションの食料は無くなっていた。さらに3m以上の「積雪の壁」の中から横方向に車を探し出すのには本当に苦労したものである。中には雪の重みでフロントガラスが割れてしまった車もあったぐらい。つまり本当の「雪」の怖さはこれからなのである。ちなみに世界広しといえどもこんなに雪が積もる国は無いそうだ。昭和38年の「サンパチ豪雪」の際は「積雪の重み」で地球のバランスが一時的に崩れ「自転速度が変わってしまった」と言う事実もある・・・。「雪」と簡単に言うがそれ程凄い影響があるのだ。
2012.01.26
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先週、我家の「チビ太」(家内がそう呼ぶ)のタイヤをスタッドレスに換装しました。土日に雪だと想定してのチェンジでしたが毎年「大寒」になるとチェンジしておくのが我家の習慣です。本来は我家の車すべてのタイヤチェンジを行うのだが、最近は何をするにもこの軽自動車1台あれば事足りてしまうのである。・・・なのでコレだけでいい。関東の首都圏東京湾沿いは、同じ首都圏でも積雪量は少なく今回もテレビで見ていたJR新宿駅南口の様子と比べても「意外と少ないな?」と言う感じですね。 12時頃には完全に降りやみ、街は今静寂につつまれています。雪が降ると本当に静かになりますね。さて、この程度(3cm位)なら昼前には通行量の多い道路の雪は消滅してしまうので大きな問題は無いでしょう。でも雪国と異なり都会の住人は「他人の為に雪かきをする」なんて事は絶対にしないでしょうから、北側で日の当らない歩道や細い路地の雪は「根雪」になって厄介な氷の塊と化すのでしょうな。「路地の急坂で北斜面の影」なんて場所を車で通る事はしばらく止めた方いいだろう。特に雪国に行ったことが無い「4WD車オーナー」なんて人が厄介な事故を起こす。意外と中年のオヤジが多いようだが、「4WDは無敵」と信じきっている事が危ない。街中をソロソロと慎重に走行する車を後ろから「ドケドケ!」と言わんばかりに煽ったり・・・。雪国の車は市内の走行でも必ず車間距離を多く取り、前車の挙動を見ながら運転をする。それは当たり前の事なのだ、前の車を見ていれば走りやすい路面のコースも解かるし路面の「わだち」にタイヤを取られる事も避けられる。ところが4WDを過信して「ノーマルタイヤ」でスピードを出して前記のごとく煽るアホウが多く出没するのが明日の午前中だろうか?たとえ4WDで発進が楽であっても停止する時は普通の2WD車と条件は同じなのだ。下手にギヤダウンによるエンジンブレーキをかけて制御不能になったり・・・。関越道でクルクルスピンして雪の側壁に突入している車なんて状況は良く見かける光景だ。さらに雪が降り続き、雪国では当たり前でもある事だがスタッドレスタイヤでもグリップしなくて走行が出来なくなり、さらに「チェーンを巻いて走る」なんて経験はよほどのスキー・スノボ好きじゃないと体験できないでしょうからね・・・。さて、明日の朝歩道の雪は通行人に踏み固められて「氷の板」に変身し、冷え込む明日の夜には何人もの転倒者を出すのでしょうなあ・・・。しかも明日の朝から晴れてしまうと皆さん「通勤靴」で会社に行くでしょうがそれも危険です。こんな状態は雪の多い地域では普通の事なのですけれど、都会の人は雪上の歩き方も知らない・・・。体の重心を前に置き、前傾姿勢を保ちながら半ばガニ股で磨り足ぎみで歩く・・・。重心を踵に乗せるような「ふんぞり返る」歩き方は一発で滑り、地面にお尻を強打する事になるでしょうね。また雪国仕様のビジネスシューズは当たり前のように靴底に「金属製スパイク」が付いており、そのスパイクをクルりと立てれば凍った路面でもがっちりと食い込み滑る事が無い。それを知らないでテレビの画面だけ見て「雪国の人も雪の中を平気で皮靴で歩くんだ」なんて思ったら大間違いなのだ。首都圏でも靴屋さんに行くと「ゴムで固定するタイプ」のスパイクを売っているので、それを普段でも準備しておく方がいいでしょうな。ところで世界的に「温暖化、温暖化、」と騒がれていますが、一部の学者に言わせれば「年々地球が冷えて来ている」とも言っている。ただし、今から45年位前はもっと沢山雪が降り芝生の上にはキラキラと大きな霜柱が立っていた事を思い出す。その頃から比べれば格段に暖かいとは思うのだが、あの頃は緑も多く「土」や「草」に覆われた土地がたくさんあったので、今より「冷えやすかった」のかも知れない。今では「土」「草」が露出している場所を探す方が難しい・・・。一方、昔と違って家屋の暖房は「石油ストーブと炬燵」が基本。外に出る時のアウターだって今のようなダウンジャケットやヒートテックなんて存在しない。だから、昔は家の中も外もとにかく「寒かった」記憶があるのだ。今はエアコンでヌクヌク・・・。外に出るにもヌクヌク・・・。だから気付かないけれど、本当は寒くなっているのかも知れない。さて昨年は2月の末に大雪がいきなり降ったのだが、今年もそのパターンが続くのかも知れないですね。とにかく滑ってコケないように気をつけましょう。
2012.01.23
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我家の長男は今社会人一年生である。運よく世間では知らない人がいない「一流?」と呼ばれる会社に就職できたラッキー組でもある。聞く処に寄ると同級生の中では一番給料も良く、ボーナスも友人達の2倍近くの差があったらしい。だが実際は過酷な「労働」との引き換えに他ならない。新人なので、朝一番に出社して支社のカギを開ける。それがだいたい午前7時半前後らしい。そして、仕事が終わり通常の一般社員は残業して遅くとも「8時には帰らなければならない」と言うルールがあり、50人以上いる一般社員達はその時間あたりで退社する。しかし3人の「管理職?」には表向きの時間制限は無く、最後に長男が会社のカギをロックして帰宅するらしいのだがそれは大体午後11時前後。また、昼食にしても毎日この3人の内一人を会社に残して2人で食事をしているらしく、若い女性が多い一般社員達と食べに行く事も少なく、若者好みではない?しかも高い高級なお店であっても2名の「上司」に気を使い、嫌とも言えず好きな物も食べに行けないらしい。・・・と言うストレス。たまに金曜日に早く終わると上司や一般社員達から「飲み会」に誘われて夜中まで付き合わされる。そのうち数名は酔いつぶれて彼のマンションに転げこみ宿泊して行く事も多いとの事。先日も女子社員が4人も終電に乗れず彼のマンションに泊まって行ったと嘆いていた。ベッドもソファーも占領されて、ダウンジャケットを布団代わりに床に寝て、ここでも気を使う。・・・で、翌日、通常の定休日である土曜日や祭日にも出社して自分の個人残務を整理したりしている。そんな場合、酔っ払った女子社員達を自宅のマンションに残し、自分一人で会社に向かうとの事。これだけ働けば残業手当も相当に貯まり、毎月の給料もホクホクだろうと思いきや・・・。入社後半年、すでに残業手当の支払いを受けられない立場にされている。・・・そうなのだ。体よく?自動的に管理職に格上げされているので、残業手当支払いの対象外なのである。そんな話を聞いて心配していた家内が先日の土曜日に、そっと彼のマンションに行って来た。彼のマンションは思いのほか綺麗にされており、カーテンを含めて焦げ茶とベージュでまとめられた室内。17畳の部屋にモダンなセミダブルベッドと、いつの間にか買っていたのか?黒の豪華な革製コーナータイプの大型リビングソファーセットが中央にあり、さらに洒落たスタンド照明などのインテリア小物の室内配置は「まるで都内の一流シティーホテルのようだった」と家内は言っていた。駐車場も付いていてマンションの最上階角部屋。これで自己負担家賃は1万円ポッキリ。これだけの生活スタイルを見たら、家内だって「呆れた、こんなに贅沢していて何文句言ってるのよ」と最初は思ったらしい。ところが、休日である土曜日にその部屋で待っていると夕方に帰宅して「ああ来ていたの?」と言いながらスーツのまま、その真新しいソファーに倒れ込むように転がった。・・・で、数分後家内が「スーツが皺になるから着替えなさい」と声をかけると、彼はすでに鼾をかきながらもう熟睡していたと言っていた。家内は「こんな高そうなソファーを買ったり、インテリアに凝り金を使い過ぎる事の注意をしよう」と思っていたが、死んだように熟睡している長男を見ていたら「気の毒で涙が出て言えなかった」そうだ。思わず奮発して美味しいモノをご馳走してしまった。・・・らしい。まあ、「親バカ」と言えばその通りだが、彼の業界では30代で体の変調をきたす人も多く悩みを抱えながら働く人間も結構多いのである。いかに「図太く生きるか?」、何を言われても「気にしない図々しさ?」など、したたかな人間でないとやっていけないのかもしれない。彼の同級生や友人の多くは官僚を含めて公務員になった。公務員の場合「新人」は意外と「する事」が少なく「早帰りが多い」と聞く。ある親御さんは「6時には帰宅して家族全員で食事してますよ」と言っていたが、公務員はアフター5に自分の目的を持つ人が多いので「飲み会も少なく余り金を使わない」そうだ。しかも自宅通勤なので、我家の長男のように給料が多く無い公務員の給与でも結果として手元に残るお金は変わらないと言う事だった。ならば人間らしく楽しく暮らした方が良いだろう。今から一年前は「良い会社に就職できた」と夫婦で喜んだが、今にして見ると確かに彼は気の毒で仕方が無い。私からしてみればすべてにおいて「苦労」とは思わないので、どちらかと言うと冷静なのだが、今の彼ら軟弱な世代では耐えようの無い苦痛と見えるだろうか?さらに母親はもっと大変だ、先ず「男の子」との子離れ?ができていない。例えば昔の戦争中でも「お母さん!私は見事散ってきます」なんてセリフを残して「特攻隊」で出撃したり、というシーンがあるが・・・中心は「お母さん」だ。靖国神社の隣の展示館に並ぶ当時の若い兵士の手紙も「お母さん宛て」が殆どで「お父さん!」と言うセリフはあまり出て来ない。まあ、この頃の時代は「お父さんはすでに戦死」というパターンが多かったからなのだろうが、TVドラマでも映画でも?どうしても「お母さん」が主役になるし、またそれが絵になる・・・。つまり、今の家内の気持ちはこの「特攻隊」に取られた「息子」を思う母親の気持ちと通じる物があるのかもしれないなあ・・・。そして今度は「嫁さん」候補が見つかると、その女性に対しての「ライバル視」が始まるのだろうか?早く子離れして、夫婦の老後を考えてみないかい?と言うか、もう私は眼中にないのかもしれないが・・・。
2012.01.16
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さくじつ、朝食のトーストを食べている時に右奥歯が「ギシリ」と嫌な音をたてた。昨年二度の脳梗塞の影響で、右半身の知覚・触覚麻痺の後遺症が残っている。体は健常人と区別できない位によく動くが、基本的な右半身の筋力は握力を含めて小学生低学年以下のレベルにある。そんな人間でも「歯の噛む力」と言うものは凄いらしい。脳の感覚が壊れた人が全力で噛むと自分の歯が折れてしまうくらいの力は簡単に出てしまうらしい。実際は「脳」がそのパワーをセーブするので、意識をしないでもそこまで噛む事は無い。ところが、私の場合は「筋力が無い」と思い込んでいるので、まさか「歯の噛む力」も落ちていると思いこんでいたのである。ところがその歯の噛むと言う顎の筋力をセーブする機能そのものが一部壊れているらしく、自分が想像するよりも大きな力でトーストを食べたのだろうか?右奥歯が一本真っ二つに割れてしまったのである。もともと虫歯の治療で詰め物をしてあった歯なのだがいつの間にか「詰め物」が取れていたらしい。そんな状態で「強く噛んだ」為?歯が折れたと言う事なのである。右奥歯の一本は中央で真っ二つになった挙句、そのまま歯根は付いているのでカスタネットのようにカタカタと可動式の奥歯となっている。・・・で本日かかりつけの歯医者に行って治療してもらおうとしたが、「割れた二つとも抜歯するしか方法が無い」と言うのである。ところが抜歯すると当然かなり出血するが、実を言うと脳梗塞の治療薬の中には「血液をさらさらにする」薬も処方されており、自分はそれを毎日服用している。なので街医者が迂闊に抜歯手術をする訳には行かないとの事だった。歯医者はその場で私が入院した「東京歯科大総合病院」の担当医に連絡して、そこの口腔外科で抜歯をする事になってしまったのである。それが来週月曜日なのだが、偶然その日はその病院で定期検査のMRIを受ける予定だったので、結果それは丸一日仕事が出来なくなる事を意味する。それは想像するだけで悲惨な一日になりそうである。抜歯後の麻酔が切れて奥歯に詰めた脱脂綿を噛みしめながら?あのMRIの機械の中でじっとしていなければならないなんて・・・。放射線を使う「CTスキャン」はレントゲンと同じなので、ただ寝ていればいいにだが、MRIは強力な磁力を発生させて計測する機械であるため、ジジジジジ・・・。コンコンコン・・と交互に大音量で響き渡る機械の中に30分以上入らなければならない。しかも固定用の器具で顔から手足まで身動きができないようにベッドにくくりつけられて受けるのである。とりあえず防音装置のついたヘッドフォンを耳に付けるのだが、不思議な事に人間と言うものは「骨伝導」と言うか?骨から音を感じ取る事が出来るのである。なので、体全体が音を拾うのである。さて、昨日から奥歯で噛まずに飲める?「うどん」ばかり食べている。明日も明後日も「うどん」か?「お粥」も良いだろうと思われるが、お粥でも米粒がその「カスタネットのように割れた奥歯」の間に挟まった時の悲惨な状態を想像したら?食べる事ができない。下手すると月曜日以降も「うどん」が続くのだろうか?なんだか新年早々本当についていない。これが悲惨な一年の始まりなのだろうか?悲惨な一年?ついでだが、最近凄く気になる事象がある。我が家は有料のケーブルTVを使ってTV番組を視聴しているのだが、ここ数カ月の間「画面の乱れ」が時々起きるのである。空を飛ぶデジタル電波ならいざ知らずケーブル線を伝わる信号が乱れると言う事は何らかの力がケーブルに作用していると言う事のなのである。実を言うとあの「東日本大震災」の揺れている最中も度々同じ現象が発生していて、放送が寸断されて途切れる事すらあったのである。そんな時デジタルアンテナ経由の場合は、アンテナの揺れの影響か?と思うような感じであり大きな画像の乱れは少なかったと後から聞いている。さらに北海道大学の先生が「地震エコー」と言う物を研究していて、「地震直前数カ月の間は本来聞こえるはずが無い地域のラジオ電波が聞こえるようになる」事と地震の発生をデータで立証している。そして数カ月聞こえていたラジオが聞こえなくなった翌日が3月11日だった。その不思議な現象がまた起きていて、前回と同じ周期だとリミットは「残り3カ月以内」しかも方角的には「茨城県沖から千葉県東方沖」近辺が危ないと指摘していた。案の定?気象庁や政府専門家は認めていないのだが、うい先日東京湾湾奥で大型のナガスクジラが死んでいたり?東京湾の最奥端にある千葉県船橋市の港にイルカが迷い込んだり?と水生ほ乳類の異常行動も見られている。ご存じの通り、ニュージーランドの大地震の直前一週間位前?には多くのイルカが浜辺に打ち上げられて、東日本大震災の前にも確か茨城県か福島かどこか?の砂浜に小型のクジラが沢山打ち上げられていた事がありました・・・。歴史的サイクルを見ると、今度関東近辺で大地震が発生すると間違い無く富士山も噴火するらしい。・・・すると、今安いアメリカドルを大量に買っておくべきか?このままならもっと円高になり購入するとしばらくの間は大きく損をするだろうが、万一日本に致命的自然災害が発生したら?東日本大震災の時は、世界的な円の強みと復興特需もにらみ「円高」になったが、首都圏にダメージが出たらそんな呑気な投機は出ないだろうなあ?「円」なんて売りに売られて大暴落するだろう。今の円相場86円・・・、世界中で円が売られ120円以上の円安なんて起こるかもしれない。きっとそんな日本の大災害で大儲けする人も出て来るんだろう?それにしても嫌な予感がするなあ?
2012.01.13
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正月もあっと言う間に過ぎ去り現実の世界に戻ってしまった。年末の忙しさは半端なく、毎年29日ごろになると熱を出して倒れる。だが仕事は30日夜まで続き、31日は大掃除を手伝わなければならない。何しろ自宅に居るのは家内と私と85歳の婆様しかいないからである。・・・私の担当は外窓の洗浄と床のワックスがけと決まっている。一昨年の4月に建てたばかりとは言え汚れるのは同じである。なのでやっておかないと絶対にやる機会は無い。熱は38度位あったがその作業をこなし、正月恒例「箱根駅伝」応援の箱根詣での準備をしなければならない。幸い今年は天気に恵まれたので、スタッドレスタイヤに換装する作業が減ったので助かったが、その時点では「熱」は忘れてしまっている。駅伝の「熱」で吹き飛んでしまうからであろうか?現地「箱根」にいても朝は早い。往路のゴール地点駐車場は7時で満車になるし、復路の応援は8時過ぎとなり、道路規制により本数の少ない登山電車を使わなければ移動ができないのでやはり早起きしてホテルを出なければならない。箱根を去る最終日の4日は、新人サラリーマン長男がこの箱根のホテルから出社する為、朝4時半起きとなる。ホテルで朝食用のお弁当を作ってもらい、それを持たせて送りだす。それからひと眠りして遅い朝食後にチェックアウトする。今年は長男の送り出しが増えたので、特に忙しかったがこんな正月箱根旅行を25年以上続けている。そして、その疲れを取る為に、国道一号線の酒匂川を渡った直ぐ川沿いの寿司処で「鰻」を食ってから帰る事にしている。余談だが、この店の名前は覚えていないが、安くて美味しい良心的な店なので寿司や天ぷらそして鰻を食べて〆とするのである。ホテルでは初日に出されるフレンチコース、翌日は鉄板焼きのステーキコースを食べて来るのだが、私のような人種は普段食べる?「高級食材」の方が、安心なのだ。だからわざわざ、この店に立ち寄るのである。それが唯一の私が家族に願う「我儘」だからだ。そんな感じで「小田原厚木道路」の小田原東料金所あたりから東名高速へと向かうのだが、ここ数年1月4日はどこも道路はガラガラで渋滞に合った事が無い。なので、二時半に寿司屋を出て、自宅には4時半には着いてしまう。ところが安心した途端、そこでやっと年末に「熱」があった事を「体が思いだす」のである。・・・なので毎年1月5日から7日は40度近い高熱で寝込んでしまうだ。毎年5日になると「年始回り」に訪問客が多数集中するのだが、私自身が病院に行っていて不在だったり居てもボサボサ頭のパジャマ姿でのお出迎えとなる。これも毎年「恒例」なのである。来客は口を揃えて「社長、お身体が悪そうで・・無理をなさらないで下さい」と言われて、双方暗い気持ちの年始となってしまうのである。さらに不思議な夢を見る。夢の中で私が「襲われる」のである。相手は「何者」なのか「動物」なのか?はたまた「お化け」なのか?とにかく「殺そうと?」襲ってくる夢を見るのだ。・・・で6時頃に目覚める。信じて貰えるかどうか解からないが、今朝は何者かに刃物で突かれそうになったので右手の平でその刃物を遮ろうとしたのだ。(もちろん夢の中だ)その刃物が刺さった瞬間、なぜかその刃物は一寸法師の「針の剣?」に代わっていて、その針で刺された激痛で目覚めたのである。その後が気味悪いのだ。先程、風呂に浸かりながら右手を見ると「手のひら」にポツンと「針穴」のような「血豆」ができていたのである。最初はインクが付いたのかな?と思ってゴシゴシ洗ってみたのだが「触れると痛い」感覚もある。ベッド周りに手を挟むような物体は無いし、なら「夢の中」の針で刺された後なのかな?これって一体何なのだろう?不気味です。どなたかご説明できる方はいますでしょうか?
2012.01.10
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今年も感動をありがとう。箱根駅伝の選手の皆さんに言いたい。朝9時の「元箱根」ゴール地点。1月2日朝7時のオープンと同時に近?の駐車場はほぼ満車となる。上はゴール地点の写真だが、この中には入れない。人も少なそうに見えるがこの奥にはすでに千人位はいるだろう。何しろ午前9時頃からゴール地点奥にあるスポンサー企業の仮設テントにおいて、グッズや食品などの配布が始まるからである。私達が到着した時は7時10分位だったので一番近い有料駐車場はすでに満車となっていたので、少し先の無料駐車場に車を停めて歩いてゴール地点に移動した。ご存じの通り5区の見物は「柏原」の力走だった。このゴール地点は山を登り元箱根に向かってさらに最後のアップダウンが続く場所であり、選手の学生たちが最後の力を振り絞る姿を応援できる事にある。これは、他の襷をつなぐ中継ポイントでも同じだと思うが、5区6区の箱根エリアは環境が異なるのだ。テレビを見ていた方々は、この日は「晴れ」だと思っていただろう?ところが、このゴール地点では時々雪がチラつく程寒かったのである。それはこのゴール地点そのものが「高地」だからだ。ここで朝から5時間以上待機して「応援ポイント」を確保する我々も必死なのだ。今回は、とんでもなく早く到着した「東洋大」に対し、根性で登り切った「東京農大」の対比は涙物の感動である。東京農大がまだ来ていない事を知らない観光客は、まだ規制解除されていないのに道路を渡り始めたりゴール手前は大会関係者の手には負えない大騒ぎになっていた。このゴールエリアは電波状態が悪くワンセグも映りづらいし、ラジオさえ途切れる状態なので選手の状況を掴めていないのもあったが、少し間違えば沿道の人と接触する危険もあったのである。それを制止したのが、各大学の応援団や関係者達だった。自分の大学の応援が終わっても、各大学の応援団はその場に残って声の限り後続の大学の応援を続ける。その姿に気付いた見物人達は気付いてもう一度戻って応援を続けたのである。結果、ご存じの通り最後の「東京農大」の力走には、感動の嵐となっていたのだ。・・・で翌日の復路は、例年だと「宮の下」で応援するところを箱根登山鉄道「小涌谷」駅横の踏み切りに行く事にしたのである。理由は「日本でここでしか見る事ができないショー」を見る事が出来るかもしれないからだ。「選手の為に電車を止めて踏み切を開け放つ」シーンが見られる事があるのである。また「電車が通過中」の場合は審判がそこでタイムを計測しその踏切通過時間を後に差し引くのだが、電車マニア、通称「鉄ちゃん」達にも有名な場所なのだそうである。実際、早く到着した「東洋大学」の選手通過が、下り「強羅」方面行きの電車とバッティングしたため電車を止めたのである。その後踏切が手動で上げられて、選手や車両を通過させる。まさにほんの数秒であった。本来ならば踏切が上がった瞬間を撮りたかったのだが、携帯のカメラ起動が遅くて間に合わなかった。そして踏切が下げられてからゆっくりと電車が動き出したのである。それが上の写真だ。本当に珍しいシーンなのだそうである。さて明治大学が3位。着実に成績も上がっている。さらに今年の一年生も期待できる。来年も応援気合いを入れないと・・・。
2012.01.04
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明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。 これは箱根駅伝のゴール地点の少し手前「元箱根」から見た富士山です。そうなんです。今年も「箱根駅伝」応援の為、箱根に来ております。往路はゴール前の「明治大学」の応援席を確保する為、朝7:00から場所取りとなります。参加する各大学は、ゴール地点の応援席をOBを中心とした方々が先乗りしきちんと確保されていますが、明治大学に関しては大学のホームページを見ても5区・6区つまり折り返し地点での応援場所の位置が指定されていません。なので、当日大会関係者に「大体の場所」を聞いてから、我家が持参する「紫紺色」の旗を置いて、あたりに偶然集まってきた「顔も知らない」OB関係者数人で手分けして「場所取り」をしているのです。選手の到着は大体午後1時過ぎすが、大学の応援団が到着するのはその直前になります。つまりその時点ではすでに一般観光客や応援者が沿道に並んでしまっているので、正規の指定応援場所が指定されていても、応援団がそこを押しのけて入る事はできなくなります。なので、別に大学に頼まれているのではないのですが、ここ15年以上このボランティア?を続けています。・・・で、応援指導班の吹奏楽部とチアで構成された学生達が到着したら私達は場所を開けます。別に私達の名前を告げてもいないし、毎年場所を確保している事を応援団や大学関係者も気付いていないかもしれませんがそれでいいのです。逆に復路の応援は、「一般観光客」に成り切り「宮の下」で応援するのですが、今年は箱根登山鉄道の駅「大平台」か「小涌谷」駅のすぐ傍で応援する予定です。まあ、私が昨年2月に脳梗塞になり徒歩でのバランスが取り難く、「宮の下」駅の急坂を上り下りが出来そうもないからです。何しろ、昨年などは体は何とも無い状態でスロープを下りていたのにも関わらず、路面が凍りついていて2度も転倒しました。まあ、毎年の我家年初の「初仕事」ですからとにかく「楽しんで」きます。大学に関係なく、走る学生達の健闘と無事を祈りたいと思います。・・・で、一日おいて4日に帰宅します。神奈川で単身赴任中の長男は自分の車で来て、4日早朝にそのまま車で出社するそうです。サラリーマンは大変ですな・・・。
2012.01.01
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