デニムデザインの虜です!

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2013.03.18
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昔の言い方をすれば「甲斐の国」であるが・・・。
以前書いた続きだが、当家の過去帳から約400年間の先祖氏名と死亡年月が判明しその先代まで証明する事ができました。
昨年は金沢市近代歴史資料館の古文書(ユタ州ソルトレイク市保存)の写しから、当家の過去帳と同じ氏名が3名見つかり(親子3代)その出自からどうやって生活していたのか?まで克明に記載されていたのです。
また、加賀藩には100万石の大藩にも関わらず「秋山」という名の藩士は一家系しか存在しなかったので、当家過去帳の人物とのマッチングは簡単にできたのです。
そしてその「由緒書」の文中から当家が「甲斐源氏」の子孫である事も判明しました。
これが今までの話。
だが、なぜ?いつごろ?「甲斐」から「越前」に移りすんだのか?ががどうしても判明せず、今回は山梨県庁に勤務する友人の手を借りて調査を行った・・と言うのが今回の山梨旅行なのです。
そして紹介されたのは南アルプス市教育委員会文化財保護課の方で、とても親切に調べていただいたのですが先ず先に名所旧跡に行く事にしたのです。
・・・で。
甲斐源氏発祥の地.JPG
この石碑がある「甲斐源氏」の祖である「源 遠光(加賀美遠光)」とその嫡男「源 光朝(秋山光朝)の墓がある「光昌寺」に行って来たのです。
その片隅に作られたのがこの石碑なのですがこれは最近建てられたものであり、我が家の証明にはなりませんでした。
その寺には甲斐源氏関係者の墓が集中的に存在し、その子孫たちも葬られている墓地でもあったのだが、秋山家の大元である祖先の墓自体は鎌倉時代のものであり相当に古いものでした。

私の疑問その2、
甲斐秋山家の家紋は「小笠原家」と同じ「三階菱」(菱形を縦に三つ重ねた紋)です。
しかし当家に残されて(500年以上前の鎧兜から外された金属製の家紋)家紋とされる「花菱」とは異なるので、甲斐秋山家と当家は関係が薄いのではないか?と思っていたのです。
甲斐源氏神社屋根の秋山家家紋.JPG
次に訪ねたのがその寺の100m位先にある神社「熊野神社」です。
その神社の地は平安時代から鎌倉時代にかけて秋山家の祖である「加賀美遠光」の屋敷があった場所になります。
なので「秋山家」を祭る神社と言う事になるのです。
その社殿の屋根の上に光輝く家紋が三つ。
中央には「甲斐秋山家」が使用していた三階菱。そしてそれを囲むように2つの花菱紋が飾られていました。それがこの写真です。

その点を学芸員の方に聞いてみると、甲斐秋山家が三階菱紋を多用し始めたのは小笠原家と同じ頃の鎌倉時代初期であり、その頃は当家も三階菱紋を使っていたらしい。

「加賀美遠光」は征夷大将軍であった「源頼朝」の信頼が厚く、公式の場で「源」姓を名乗る事ができる「御門葉」一族となっているのです。
当時「源」姓の武士が多くなり、同じ血族であってもそれを規制する為にこの「御門葉」一族となる事は特に名誉だったそうなのです。
しかし鎌倉幕府は3代で途絶え、それを期に京の上皇軍が鎌倉勢討伐の為の挙兵をし、それに対して源頼朝の妻で尼将軍と言われた北条政子の扇動で勃発した1219年の「承久の乱」に原因があるのではないか?と言うのです。
20万人近い軍で京都に新軍した鎌倉軍は、あっけなく終わった戦いの後相手の所領を没収しその地に甲斐源氏の一族を目付けとして配地していった事実があり、その役目が「越前の地」だったのではないか?と言うのです。
またその後2回目「元寇」に備えて東国武士を隠岐やその先の地に送った際の移住も考えられるとの事でした。
さらに興味深いのが、当家の祖先が「青木右衛門の娘を妻にした」との記述があり調べてみると「青木」家は、藤原摂関家と甲斐源氏の血を引く家系であり豊臣秀吉から絶大な信用を得て「越前北庄20万石」を与えられていました。
この事はあまりにもマイナーな事実で、同じ場所の城主だった「柴田勝家」の後に治めたと言う事になります。ただしその後「関ヶ原の合戦」が起こり西軍についた「青木家」は取り潰しとなり、運よく徳川家に付いた「前田利長」が残った事になります。
青木家と前田家は根本的に親密だったようで、青木家救済の懇願を前田家が行った事実もあるのです。
その「越前北庄」(越前松江藩)を治めたのが徳川家康の次男「結城秀康」であり、その後その子孫たちが治めて行く事になりました。
実は、当家がこの青木家との婚姻関係にありながら結城秀康・松平直政・松平昌勝らの藩主達から幕末まで延々と1000石以上の扶持を貰っていました。
しかしながら当家は「松江藩」の藩士ではありません。
「捨扶持」と言う給料をもらっていた理由。
それは青木家と秋山家の間に生まれた娘「秋山知久」が松平昌勝の側室となり、後年代7代越前松江藩主となる「松平吉邦」を生んでいるのです。
ちなみにこの「青木家」の家紋は当家に存在する大昔から続く家紋「花菱」と全く同じなのです。
つまりボヤーっとですが、承久の乱前と江戸時代になる直前の時代背景までは見えてきました。

たかが「家紋」と言うかもしれないけれど、時代劇では決して表に出無い事実など想像が出来ない程深い歴史が隠されていると言う事です。


偶然その墓には老夫婦がいて





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Last updated  2013.03.18 22:58:27
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