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2014年06月27日
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テーマ: ニュース(96869)
カテゴリ: 政治
「基金」事業を受け取った7名の元慰安婦が韓国内で継続的にハラスメントを受けることになったことを踏まえ,「基金」は,一時事業を見合わせることとして慎重な対応を取ることとなった。他方,一部被害者支援団体から,事業の受け取りを希望する元慰安婦との調整に前向きな反応もあり,そうした元慰安婦の数を増やすためにも引き続き事業に対する韓国での理解が得られるよう様々な方策を検討し,韓国国内で新聞広告を掲載することなどを模索すること
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とした。
(2)その後,1997 年夏から秋にかけて,日本政府と「基金」関係者との間で,
韓国国内での広告掲載や事業再開について幾度も折衝が行われた。日本政府は,
韓国大統領選挙や日韓間の漁業交渉の状況もあり,延期するよう働きかけたと
ころ,「基金」は,納得できないとの立場を堅持しつつも,日韓及び韓国国内の
センシティブな状況に配慮し,新聞広告の掲載を数回にわたって見送った。
(3)しかし,少しでも多くの韓国人元慰安婦に「基金」事業の内容を知って

載の了解があったため,日本政府としても,1998 年12 月18 日に終了する大統
領選挙後であれば,静かに目立たない形で事業を実施し,広告についても掲載
することはやむを得ないと判断し,小渕外務大臣までの了承を得た。
5 「基金」による新聞広告掲載(1998 年1 月)
(1)1998 年1 月上旬に,日韓の事務方のやりとりにおいて,日本側から,「基
金」事業に係る韓国内での理解を普及する目的として新聞広告(4 紙)の掲載予
定について事前説明したのに対し,韓国政府側からは,「基金」事業の一方的な
実施は問題の解決にならないとして,挺対協と「基金」との対話を進めようと
しているが,挺対協からは組織内の意見がまとまるまでもう少し時間が欲しい
と言われている旨回答があった。
(2)1998 年1 月6 日,実際に広告が掲載されたことを受け,韓国政府側から,

くよう対応するのが好ましいと考えており,その意味で,先日の新聞広告は極
めて刺激的であった旨の反応が示された。
6 「基金」による償い金事業の一時停止(1998 年2 月~1999 年2 月)
(1)1998 年3 月,金大中政権が発足し,韓国政府として日本政府に国家補償
は要求しない代わりに韓国政府が「生活支援金」を元慰安婦に支給することを

援金」の対象外となったものの,「基金」自体に表だって反対し,非難する措置
ではないとの立場について説明があった。
(2)さらに,この時期,韓国政府は,金大統領自身本件について金銭の問題
をなくせ,政府間のイシューにするなという意見であり,両国の問題は存在し
ないと思った方が良いとして,「基金」には申し訳ないが,政府間の問題になら
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ないよう終止符を打つべき旨述べていた。
7 韓赤による医療・福祉事業への転換(1999 年3 月~1999 年7 月)
(1)「基金」は,1998 年7 月にオランダでの医療福祉事業が順調に開始された
こともあり,「償い金」に代わる医療福祉事業の転換を検討し,1999 年1 月末,
韓赤に協力を打診する方針を決定した。これに対して,日韓の事務方のやりと
りにおいて,韓国側からは事業を抜本的に変更することは結構なこととして,
形としては,日本側と韓赤の間で話が進み,韓赤より相談を受けた段階で前向
きに対応することを慫慂するとの段取りが適当と考える旨の反応が示された。
(2)しかし,1999 年3 月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて,
突如韓国政府が方針を変え,この問題では何かしてもしなくても批判されると
いうことを冷静に踏まえておく必要がある旨述べつつ,韓赤は韓国政府の息の
かかった組織であり,強い反対が予想されるので,今回の提案は勘弁してほし
いとの反応が示された。これに対し,日本側は,事業転換は,金大中大統領訪
日により醸成された未来志向の日韓関係に悪影響を与えないようにとの観点か
ら,総理の了承も得て事業終了に強い難色を示す「基金」を説得したものであ
るとして,韓国側の申し入れは容易に納得し難い旨申し入れたものの,韓国側
の協力が得られずに最終的に事業転換が実現できない状況となった。
8 事業転換困難のまま基金事業終了(1999 年7 月~2002 年5 月)
(1)事業転換が実現出来なかった「基金」は1999 年7 月に事業を停止するこ
ととなり,停止状態が2002 年2 月まで続いたが,同月20 日,「基金」は事業の
停止状態をいったん解き,韓国内での事業申請受付期限を同年5 月1 日にする
ことを決定した。
(2)2002 年4 月に行われた日韓の事務方のやりとりでは,改めて韓国政府と
しては,「基金」の「償い金」支給,医療・福祉事業について反対の態度を示し
た。そして,翌5 月1 日に韓国における全ての「基金」事業申請受付が終了し,
1997 年1 月から始まった韓国での事業が幕を閉じた。
9 韓国における「基金」事業の終了と成果
(1)1995 年に設立された「基金」には,基本財産への寄附を含め約6 億円の
募金が集まり,日本政府は,インドネシアでの事業をもって事業全体が終了す
る2007 年3 月末までに拠出金・補助金あわせ約48 億円を支出した。韓国にお
ける事業としては,事業終了までに,元慰安婦合計61 名に対し,民間による寄
付を原資とする「償い金」200 万円を支給し,政府拠出金を原資とする医療・福
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祉支援事業300 万円を実施(一人当たり計500 万円)するとともに,これらを
受け取ったすべての元慰安婦に対し,当時の総理の署名入りの「お詫びの手紙」
をお渡しした。その数は,橋本政権下で27 件,小渕政権下で24 件,森政権下
で1 件,小泉政権下で9 件に及ぶ。
(2)フィリピン,インドネシアやオランダでの「基金」事業では,相手国政
府や関連団体等からの理解や肯定的な評価の下で実施できたところ,韓国では,
韓国国内における事情や日韓関係に大きく影響を受け,同政府や国民からの理
解は得られなかったものの,「基金」事業を受け取った元慰安婦からは,日本政
府から,私たちが生きているうちに,このような総理の謝罪やお金が出るとは
思いませんでした,日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました,
大変有り難うございます,とするお礼の言葉が寄せられた。
(3)また,一部の元慰安婦は,手術を受けるためにお金が必要だということ
で,「基金」を受け入れることを決めたが,当初は「基金」の関係者に会うこと
も嫌だという態度をとっていたものの,「基金」代表が総理の手紙,理事長の手
紙を朗読すると,声をあげて泣き出し,「基金」代表と抱き合って泣き続けた,
日本政府と国民のお詫びと償いの気持ちを受け止めていただいた,との報告も
なされており,韓国国内状況とは裏腹に,元慰安婦からの評価を得た。
以 上





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最終更新日  2014年06月27日 07時34分11秒
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