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2007.12.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私は全然クリスマスに興味がないので、相変わらず家でだらだらしている。
昨日はクリスマスにかこつけてセルライト対策用ローラーを買ったけれども、
クリスマスが嬉しくて買ったわけではない。
考えてみれば、昔からクリスマスだろうが新年だろうが仕事をしてたし、
常にクリスマスにはパートナーがいたけれども、特に何か特別なことをしようとは思ったことはなかった。
そんなわけで、今日も夫は仕事に行き、私はセルライトローラーを
ひたすら体中に転がしつつ、X氏からメールのメールを待ちながら、
ここに日記を書いたり本を読んだりする休日を過ごしているというわけだ。
まあ、37歳のクリスマスなんてこんなものだろう。


内田樹(たつる)の『下流志向』(講談社)だ。
なぜ最近の若者が学ばなくなったのか、そして働かなくなったのか、について
自己の確立の過程を労働による社会参加から消費主体へと変化したことを軸に
鮮やかに説明するという、とても洞察力と示唆に溢れた本だ。
この中で、現在学ばなくなった若者の特徴として、
分からないことがあってもそのままスキップする能力が高いことを指摘している。
例えば雑誌や本、人との会話の中で、分からない言葉や理解できない概念が出てきても、
それはそのまま置いておいて、自分が分かる範囲の話だけで理解して満足できる、ということだ。
その一つの例として、以下のような文章があった。

 …(中略)…こっちの話の何をきいていたのかな、と。その人が話を聴く前から持っている
 手持ちの枠組みの中に聞いた話を全部納めようとする。枠に収まらない部分は全部カット。

 同じということがある。「ユダヤ人が世界を支配しているという説がありますが、うかつに
 そういうことを言うものではありません」と話すと、あとで「先ほど先生は『ユダヤ人が
 世界を支配している』と言われましたが」と確認してくる。「違います」と言うとびっくり
 する。自分で同意できるところだけしか聞いてないんです。

これは、まさに私が最近つくづく感じていることだった。

例えば、生まれたての赤ちゃんにはまだ複雑な感情はなく、あるのは「快」「不快」の2種類だという。
それが成長するにつれ、喜怒哀楽がでてきたり、自我が芽生えると嫉妬などの感情も出てくる。
私は児童の発達心理学に詳しいわけではないので、あまり詳細には論じることができないが、
これは大人になったときには、さらに個人差が拡大するものだと思っている。

中学生レベルで感情の発達が止まった人間は、周囲の人間の感情も
全て自分と同レベルであるという前提でしか理解できないだろう。
子供が大人の感情を理解することができないのと同様に。
こういう単純な人の感情は、概ね「好き」「嫌い」が基準であるから、
「まだ好きだけど嫌いな振りをする」「嫌いだけど好きになろうとしている」などの解釈がせいぜいで、
それ以外の感情の枠組みが適用される余地はない。

例えば、私のFくんに対する感情は、単純に「好き」「嫌い」では表現できない。
彼と私との間には、長い期間をともに過ごした過去がある。
先日、彼は私に「今でも好きだ」と言ったが、この「好き」というのは単純に、
そう、内田がいう無時間的な意味での「好き」ではなく、過去に一緒に時間を過ごした、
パートナーであった私に対する愛着や、私を人生の伴侶として選ぼうと決意していた頃の
自分自身に対する思いすらも、この「今でも好きだ」という言葉には含まれている。
彼はとても複雑な家庭で育ち、心を閉ざしがちな人だったから、
初めて他者である私に自分をさらけ出し、関係を築くことができた、という思い出は
今の彼を形成する大きな基盤の一つであると思われる。
だから、私は彼に「今でも好きだ」と言われたときに、無下にすることができなかった。
あまつさえ、セックスまでしてしまったのだ。

こうした私の感情やFくんの感情は、中学生では理解できないだろう。
もしこの話を例えば中学生が聴いたら、
「結局Fくんはキリコさんに振られた恨みをずっと持ってたから復讐したかったんだろうね」
とか、もしくは、
「セックスしたってことは、やっぱりキリコさんもまだFくんのことを忘れられなかったんだね」
という、ものすごく単純な話に終わってしまうだろう。

また、J氏に対する私の感情も、単純な「好き」「嫌い」の問題ではない。
これは言ってみれば、私のカルマのようなものだからだ。
私は10代の終わり頃から20代前半まで、本当にひどい異性関係をたくさん持った。
これはひとえに私自身の女性としてのアイデンティティを確立できずに、
他者から与えてもらいたいという一心で行動した愚かな結果だったと今でははっきり言えるが、
J氏との関係も、実は同じ構造を持っている。
そして、実はJ氏にとっても私は同じような構造を持った関係だったと思っている。
だから今となっては、私にとってはJ氏は思い出したくない自分の様々な過去を
思い出させる存在であるために、会いたくない人の一人となってしまった。
これは私がJ氏を「好き」とか「嫌い」とか、そんな枠組みでは論じることができない感情だ。

だけど、この話を中学生が聴いたならば、
「結局キリコさんは、J氏のことが好きだったのに受け入れられなかったという思いが
 ずっと残っていて、それを思い出すのが辛いから会いたくないんでしょう」
ということになってしまうだろう。
コトはそんなに単純ではないのだ。

物事を単純化する、ということは、時には有効だ。
不特定多数を説得するためには、単純で明快な論理が必要だろう。
しかし、時にはそうした単純化は多くの物事を捨象することになってしまう。
単純化した結果、本質的な部分だけが残っているとは限らない。

X氏はとても感情のひだが多い人だ。
バンコク・ハノイで過ごした時間の多くを、お互いのこれまでの人生を語ることに費やしたが、
彼は私の話を下手に要約することもなく、そして単純化することもなく、
私がどういう思いでそのときにある行動をとり、そのことが今の私にどういう影響を与えているのか、
を誠実に捉えようとしてくれていた。

多分、X氏も私に対して、自分と同じぐらいの量の感情のひだがあると感じたのだろう。
だからこそ、彼はあんなにたくさんの話を私にしたのだ。
私ならば彼を理解できる、と感じたからこそ。

X氏の奥さんは、どう考えても幼い感情の持ち主だ。
X氏はひたすら「本当に愛しているのはお前だけだ。キリコとはちょっと過ちを犯しただけだ。
もう二度と連絡は取らないし、会うこともない」
と奥さんに言い続けて、奥さんの感情が収まるのを待つのだろう。
そう考えると、意外に今回の騒動はあっさりと終わるのかもしれない。
単純で幼い感情の持ち主であれば、すぐに機嫌を直して元通りになるのだろうから。







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最終更新日  2007.12.24 15:39:01
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