タイ&日本 国際遠距離恋愛日記

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カテゴリ: 日々のこと
不愉快に思われる方もいらっしゃると思いますので、どうぞスルーしてください。


私は、自分が AC(アダルト・チルドレン) である、
という自覚はかなり以前から持っていました。
私の場合。
人に嫌われることが非常に怖く、
常に、「人がどう思うか」ということが最優先になってしまう。
自分に自信が無い。人に受け容れられるはずが無いと思っている。

その場その場で相手に合わせることは得意だけれど、
その分、自分が空っぽであるような気持ちに襲われる。
対人関係で理不尽なことがあり、自分が相手への怒りを感じるべき時でも、
「私が悪い」と自分を否定する。

大学生の頃、親しい(と思っていた)友人に
「raknaaはいつもニコニコしてるけど、本音が全く見えない。何を考えているか分からない。」
と言われた一言がきっかけで、対人恐怖のようになり、引きこもりになったこともありました。
なぜなら、それは「私そのものに対するあまりにも的確な描写」だったからです。
私にとって、人に本音を見せることは、「できない」ことでした。
怖い、とかそういう以前に、単純に「できない」。
友達が開けっぴろげに自分のことを色々と語るのを、いつも羨ましく見ていました。

妙なプライドも、高かったのかもしれません。

私は、高校生になるくらいまでの記憶が、ほとんどありません。
特に、「楽しかった」とか「大笑いした」記憶は、全くと言って良いほどありません。
あ、ひとつだけありました。
母方の祖父母の家に夏休みに行ったとき。それが唯一、楽しくて笑っている自分の記憶です。

いつも人の顔色を伺い、「自分が死んだら誰か悲しんでくれる人がいるのか」
ということばかり考えている子どもでした。
当然のように、いじめられることもありました。
良く覚えているのは、家の屋根の上で
「自分がここから落ちて死んで、幽霊になって、自分のお葬式を見てみたい。」
という想像をしていた場面。
「誰か泣いてくれる人がいるのを知ることができたら、楽になれるのに。」と思っていました。
でも、死んだら実際は幽霊にはなれないだろうから、お葬式なんて見れないだろうな、
それなら死んでもあまり意味は無いなぁ、なんて思っていました。
(可愛げの無い子どもです。(;^_^A)
その当時の私は「死にたかった」訳ではなく、自分が誰かに愛されているのか、
それを知りたかったのだと思います。

私の育った家庭。
ささいなことで急に怒り出し、怒鳴り声を上げる父。
母に対しては徹底的に冷たく、理不尽な要求をし、女中のように扱う。
母や子どもたちの感情は「無視」する。
母はいつも父を怒らせないように神経をピリピリさせ、
父がいない場所では、子どもたちに延々と父の悪口を言い続ける。
イライラが募ると、それを長女である私にぶつけ、私を正座させて何時間も「説教」をする。
小さかったから、実際はそれほど長い時間ではなかったのかもしれません。
でも最後のほうは、いつも、本当に気が遠くなるような、
目の前にいる母親がどんどん小さくなっていくような幻影を見ていました。
私や弟にとって、家は「甘えられる・落ち着く場所」ではありませんでした。
私達にとって、両親は「甘えられる相手」ではなく、
「怖いおじさん・おばさん」というようなものに近かった。
それでも、父と母の喧嘩が始まると、いつも心臓がキューっと音を立てるような感覚を味わいました。
そして、「母を守らなければ」という義務感のようなものを、常に感じていました。
そう思って喧嘩の中に入っていったことも何度もありました。
仲の良い友達の家族が、本当に本当に、心をねじ切られるような気持ちで羨ましかった。

でも、これって「良くある話」なんですよね。この程度の話なら、本当に山ほどある。
もっとずっと、私なんかとは比べ物にならないくらい辛い思いをされている人は沢山いる。
私は、自分が特別不幸だなんて、決して思っていません。自分の不幸に酔っているつもりもない。
でも、人は最終的には、自分の経験したことしか自分のものではないわけで、
そういう意味で、
「人から見たら大したことではないが、私がそのことによって傷ついた」ことは事実なのです。

でも、22歳のとき、転機がありました。
初めて一人で海外に行ったとき。
そこで大げさではなく、私の人生が変わったと思っています。
初めて自分の口で自分の「本音」を語ることができ、
それを聞いたみんなが、それを受け入れてくれた。
私はみんなと一緒に、心の底から笑うことができた。
本当に、幸せでした。最高に楽しかった。
大げさではなく、「人生って、例え20年に一度でもこんなに良いこともあるのなら、
生きているのも悪くないかもしれない」と思いました。
そこから少しずつ、少しずつ、変わることができたと思います。

少しであっても「本音」を言うように努力したら、
段々とそれは、それほど難しいことでは無くなって行った。
「人」が、それほど怖いものではないと感じられるようにもなった。
「自分は自分」と思うことが、できるようになってきた。
お互いを受け入れて信頼できる、心を許せる友達もできた。
中学時代の同級生に今会うと、「別人だ」と驚かれます。
確かに、自分でもだいぶ変わったと思う。
年を取るごとに、「生き易く」なってきている自分がいます。
両親に対しても、正直、未だに恨むような気持ちがあることは否定できないけれど、
どうしようもないことだった、両親も人間なんだ、と思える所までは来ている。
母にしても、私を傷つけようと思っていたわけではなく、
母なりに愛情を注いでくれていたことも、今では理解することができる。
それでも、今もやっぱり、以前のような自己否定感に襲われることがあります。
それは、特に何のきっかけがあるわけでもなく、突然に始まります。
自分が空っぽな人間であるという思い。
結局は今でも愛情をどう扱ったら良いかの分からない、駄目な人間であるという思い。
ははは、暗いですね。
でも、こういう気持ちは、多かれ少なかれきっと誰でも味わうことでもあるのでしょう。

何故いま、こんなことを書こうと思ったのか。
それは、つい2週間ほど前に出会った 「モラルハラスメント」 という言葉が理由です。
それまでは、言葉としては知っていたものの、詳しいことは全く知りませんでした。
何がきっかけだったかも忘れてしまいましたが、
たまたまモラハラ被害者の方のブログにたどり着きました。
それを読んで、本当に驚きました。
そして、読めば読むほど、衝撃を受けています。
まさに、父方の祖母、そして父と同じような行動が描かれていたからです。
祖母と父は、恐らくモラルハラスメント加害者であると思います。
幸いにも、父は大病をして退職をしてから、以前より少しマトモな(?)人間になったのですが。
(元々、父は、そのブログを書いていらっしゃる方の元夫ほど酷くはありませんでしたが。)
父がモラとなった原因は間違い無く祖母(父の母)ですが、
それだけではなく、仕事のストレスもそれに拍車をかけていたのかも、と思います。

何が解決したわけでも無く、モラルハラスメントという言葉を知った、それだけのことなのに、
救われたような、また一歩進むことができたような気持ちを味わっています。
上手く説明できないのでうすが、不思議な気分です。
言葉は「言葉」となった瞬間に、力を持つのかもしれません。

私が衝撃を受けたブログですが。
リンクを張る許可をいただいていないので、ここには張ることができませんが、
ご興味のある方は「」で検索をしてみてください。
このブログを書いていらっしゃる方も仰っているように、
直接モラハラと関係の無い方にも、モラハラについて知っていただければと思います。


こんな話、自分だけが読める日記の中でしていれば良い、ここに書くのはある意味甘えだ、
とも思うのですが、こういう形で書きたかった。
最後まで読んでくださった方。
本当にありがとうございました。





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最終更新日  Feb 16, 2008 01:49:58 PM
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